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2015年2月18日水曜日

芹沢光治良記念館 菊竹清訓 1970 ★★★★


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所在地  静岡県沼津市我入道
設計   菊竹清訓
竣工   1970
機能   記念館
規模   地上2階
構造   RC造
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期待していた富士山周辺巡り。それが予想しなかった雪の為に突然のルート変更を強いられ、気分が落ちていたときに雲間から差し込む陽の光と覗く青空。そして訪れた心地よい神域空間。

それですっかり気分を良くして、できることなら後三つ回りきってしまおうと、予定していた沼津漁港近くでの食事を諦め、夕方の渋滞で込み合う道を脇道にそれて住宅街の中を通り抜けたどり着いたのがこの文学館。

漁港の街というイメージの強い沼津であるが、その中でも我入道(がにゅうどう)というかなり個性の強い海沿いの地域に立つこの文学館は、この地出身の明治の文学者である、芹沢光治良(せりざわこうじろう)の功績を記念して建てられ、彼の作品や生い立ちなどを紹介している。

もちろん作家が好きでこの建物を訪れたいと思った訳ではなく、その設計をしたのが大好きな菊竹清訓という建築家であるからという理由からであるが、こうして建築を見に来ることは必然に、その中身である作家を知ることにつながることでもある。こういう機会が無ければきっと一生この作家がいたことを知ることも無くすごしてしまうかもしれないが、こうして建物を通して知り、そこから興味を持ち一冊でも彼の小説を読んでみる。それが建築が繋いでくれた文化の縁でもあるのだろう。

そんなことを考えながら、徐々に西に沈んでいき、オレンジ色に輝きだす夕日の中、うっそうとした防風林を背にして建つ、なんとも不思議なプロポーションと様相を見せる建物にまずは驚くことになる。

明らかに普通の住宅でも、そして美術館でもないそのプロポーション。やたらと背が高く、まるで何かエネルギー関係の施設なのかと思わせるその概観。来る途中、渋滞にはまってしまい閉館時間に間にあわなそうだと電話をしたら「まだ待っていますから焦らずに来てくださいね」となんとも感じの良い受け答えをしてくださった係りの方が待ち受けてくれており、いろいろと建物について説明してくれる。

「この前もどこかの大学の建築の学生さんが来られて、いろいろと調べてらっしゃいましたよ」と、沼津市の木である松の葉をイメージした天井のパターンが完全な東西南北を指し示しているとか、トイレの男女を分ける壁の上に伸びている梁の特徴的なディテールなどについて教えてくださる。

こうした交流は本当に気持ちの良いもので、互いに良いと思うものを共有しているという文化的な安心感に包まれながら、「ぜひとも上の階も見ていってください」という言葉に甘えて「肥大化した4本のコア」というコンセプトの上下移動を担う一つのコア内部にある階段に向かうことにする。

このコア内に収められた螺旋階段。建築家の魂のこもったディテールの宝庫を言っていい至極の空間となっており、一人階段を上り下りしながら「ほぉぅ」と感嘆の言葉をこぼしてしまう。中央吹き抜け部に上部からつられた照明器具はガラス玉の漁具をモチーフとしているらしく、そこから放たれる暖かい光が階段の手すりの壁を周囲の壁に投げかける何とも幻想的な雰囲気を作り出す。

階段は一段一段浮いているように仕上げられているのはもちろんのこと、コアという垂直性を強調するために踊り場のみが壁と接地して、階段部分は壁から離されているために、下から見ると壁沿いに上からの光がうっすらと落ちているのが見て取れる。

「うーん」と一人唸りながら、今度は中間の踊り場にはめ込まれたガラスのフィックス窓が明らかにおかしな形状をしているなと思って写真に収めておくと、後ほど下におりて先ほどの係りの方に聞くと、それが「光の十字架」を作り出しているのだと教えてもらい、さらに唸り声を上げることになる。

階段をあがり、二階の展示室から外の駿河湾に沈んでいく太陽の光がいっぱいに室内に入り込んでくるのを感じ、さらに階段を上に上っていく。屋上階レベルには中央部の吹き抜けに浮いている照明器具を吊るす為に中央から伸ばされたコンクリートの梁が象徴的に空間に漂っており、ここもまた「建築的」に空間をつくろうとした建築家の執念を感じて唸ることになる。

氏の作品の年表を見てみると

1958年 スカイハウス(30歳時)
1970年 芹沢光治良記念館(42歳時)
1975年 パサディナハイツ(47歳時)

30代後半のもっとも充実した設計時期の後期に属する作品だと見て取れる。

下の階で展示を見ていた妻に、如何に階段がすばらしいかをざっと説明し、再度階段を上り下りし、せっかくだからと建物の後ろに広がる海岸線まで足を伸ばし、水平線を描く駿河湾とそこに沈みゆく太陽の姿を眺めあと少しで一日の終わりが訪れるのだと感じながら次の目的地へと向かうことにする。
























2013年6月10日月曜日

ゑしんの里記念館 池原義郎 2005 ★



運転免許書の更新や、国民年金の口座引き落としへの変更手続きなど、どうしても本人でなければ出来ない様々な雑事を処理するためと、いくつかのプロジェクトの大切な打ち合わせに参加するための帰国。

その間にできた1日半の時間を有効活用するために足を伸ばした長野・上越地方。

午前中の打ち合わせが思ったよりも長引き、12:24分発の長野新幹線「あさま」に乗るために走って東京駅に到着したのが12;15分。駅前のチケット屋で格安チケットを手に入れ、差額500円を駅弁に当てて飛び乗る車両。

1時間半の移動の間に、読みかけの小説を終えてしまって後は睡眠を貪ることにし、あっという間に到着する長野駅。

予約してあった、レンタカーをすぐに見つけ、閉館時間前に何とか見学を終えたい美術館の住所をナビにセットして上信越自動車道を飛ばすこと1時間。「これぞ上越」という米どころの風景を堪能しながら到着する美術館。

その名称から、テレビドラマの「おしん」の舞台だったのか?と思っていたが、親鸞の奥さんであった恵信尼(えしんに)がその晩年を過ごした場所ということから、その功績を紹介するのを目的に建てられた記念館であるという。

所沢聖地霊園浅蔵五十吉美術館酒田市美術館と毎回期待以上の建築体験をさせてくれた池原義郎氏設計の美術館。しかも晩年期の作品ということもあり膨らむ期待を抑えきれず駐車場に車を滑り込ませる。

片持ちで張り出された連れなる壁に横目にぐるりと回ってエントランスに。入り口に池原作品らしさを感じながら中へと入り見学開始。そんなに規模の大きくない建物なだけに、付随する建物を見学しても30分あれば十分にぐるりと見学できる。

そうして感じる違和感。浅蔵、酒田で培われた細部の建築言語は確かに使われているが、両建築では細部が主題になることなく、おおらかなでありつつ緊張感漂う絶妙な建築空間が漂っていたが、どうにもそれが感じられない。まるで入るべきの魂が抜けてしまっているかのように。

杉板型枠で荒く仕上げられたコンクリート。その壁が長く伸びては水平な広がりを醸し出し、いつまでも永遠に続くのではなく、物質として止まる意思を表すかのように折り曲げられる端部。ただの折り曲げに拠る「停止」の表示ではなく、片持ちによる重力に対する「力学」の表示。

それは良く分かる。池原作品として成り立たせるための建築言語とシグネチャー。しかし以前の作品で感じられたような、この場所でこの形態でなければ成立しないという零度の緊張感が感じられない。

何故だろう?と思い始めると、そのすべてが池原作品にするための操作に見えてしまう。

以前の作品に感じられていた、形態以上に生まれる空間の性質。直線がある以上の長さを持つとそこに生まれる動きの力学。同時に絶妙にコントロールされる見るものと見ないもの。それが壁にそって移動する空間を起伏に富んだものにする。

しかしここの壁は、それが空間を規定することはなく、壁の存在を見せようとするジェスチャーの様に存在する。外部に存在する壁の意義が、そのまま内部の空間に影響を与える。そんな関係性はここには見えない。

そう考えると、1928年生まれの池原氏。
所沢聖地霊園は1973年で45歳。
浅蔵五十吉美術館は1993年で66歳。
酒田市美術館は1997年で69歳。
ゑしんの里記念館は2005年で77歳。

こう見ると、77歳で自らすべてと統括して設計を進めていたとはやはり考えにくく、そうなると設計事務所として池原作品を踏襲しながら設計を進めていたと思われる。しかし建築が工学と芸術の狭間に存在するのを証明するように、その設計も個人の感覚に負うところが多く、このような芸術性の高い芸術作品を作るうえではノウハウは受け継ぐことができても、やはり何かが違ってしまうのだと妙に納得してしまう。

建築家として現役でいられる時間の中で、10も20も名作と呼べるような建築を残せるはずも無く、せいぜい数点、自信を持って次の世代に残せるような建築を残すことができたら、建築家としては幸せな一生であろう。その為に、無駄に過ごす時間は少ないと改めて思いながら次の目的地へと向かうことにする。