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2018年11月9日金曜日

アル・バトハ地区(Al Bathaa)


到着後、どうにも現金が無いのはいかにも心もとないと、念のためにと出発前の北京空港にて、いくらかサウジ・リヤルSR(SaudiRiyal)に両替をしておく。乗り継ぎのドバイの両替所で確認すると、日本円も中国元も問題なくリヤルへ両替でき、そのレートも北京よりもよっぽど良い。

国際色豊かなドバイ国際空港(Dubai International Airport)だが、サウジの首都であるリヤド向けの便の搭乗口にでは、すでに「トーブ」と呼ばれる足首まですっぽりと被る白の布の民族衣装の男性と、「アバヤ」と呼ばれる黒色の布をまとった女性の姿が多く見られるようになり、徐々に「異国感」が高まるのを感じる。

リヤドの玄関、キング・ハーリド国際空港(King Khalid International Airport)に到着すると、調べてきたように、むやみに写真を撮らない様に気をつけて、時間がかかるという入国審査の列に並ぶ。が、早朝ということもあったからなのか、びっくりするほど列は短く、その手前ではセルフィーをするアバヤの女性の姿がチラホラ・・・。日本人だと分かった入国審査官の男性は、「今度日本に桜を見に行くんだ」と嬉しそうに話してきて、入国審査も数分で終了。

「ん?」と思いながら、写真を撮っていると誤解を受けないようにと、携帯を出すのを避けながら荷物受け取りまでいくが、周辺には半袖のラフな姿で携帯を出してSNSに興じながら荷物を待つ人々の姿。思ったよりも早く出てきた荷物を受け取り、外に出るとクライアント手配のドライバーがボードを持って待っていてくれ、一緒になって空港の外へ。「車を回してくるから、ここで待っていてください」と言われるままに、車寄せで周囲を観察しながら暫く待つことに。

確かに乾燥した空気と赤土っぽい周囲の風景、そして何をしているのか分からない人たちがぶらぶらしているのは、異国に来たなという緊張感を与えるが、それでも思っていたものよりはいくらかレベルが低く感じずにいられない。それでも、油断しないようにと車で戻ってきた運転手に車内で、「ここらへんは写真は撮ってもいいものなのですか?」と尋ねると、「もちろん、もちろん。何なら止まりましょうか?」と言うので、それには及ばないが車内から流れる風景をカメラに収めつつ、まずは無事にピックアップされたことにホッとする。

ホテルに着き無事にチェックアウトを終え、せっかくの一日を無駄にしないようにとコンシュエルジュに「いくつかの観光地を回りたいので情報をくれないか?」と聞いてみるが、「あいにく今日は金曜日で、礼拝の為にどこも少なくとも午前中は開いてないですよ」と・・・

預言者ムハンマドが、聖地メッカに入城したのが金曜日だったため、イスラム教では金曜日を礼拝の日として安息日と定めているという。そのことをすっかり忘れ、少し前入りして街の様子を理解しようと思っていたが、すっかり予定が狂ってしまう。

それでも、まるまる午前中を無為に過ごすのももったいないので、ホテルでタクシーを手配してもらい、少しだけ市内を見て回ることにする。それに先立ち、ホテルのコンシェルジュに事前調査に基づくいくつかの項目を確認するが、「今ではそれほど厳しく行っておらず、半袖短パンでも問題ないですし、街中で写真を撮るのも何の問題もないですよ」とのこと。念のために今度はフロントで同じ質問を繰り返すが、返ってくる返事は同じもの。それでも季節柄もあり、長袖長ズボンは保ち、手配してもらったタクシードライバーに行き先を伝えるが、なかなか英語が伝わらず、聞いてみるとパキスタンから来ているという。

日本から持ってきたガイドブックを見せながらなんとか意思疎通を図り、旧市街の中心地だというアル・バトハ地区(Al Bathaa)を目指すことに。道中も、「今日は金曜日でお休みだから」と陽気に説明してくれる運転手。20分ほどで中心部に着くと、「ここで待っているから」とツンデレのようなことを言ってくるから、「一緒に行こう」と着いてきてもらい、「ここら辺はパキスタン・マーケットが広がってるんだ」という説明を受けながら、同じ商品を扱う同じ店が等間隔で並んび、おそらくそこに商品やサービスの差異は無く、ただただ関係性や値段の差で商いがされているのだろうという、非常にプリミティブな商売が広がる街区を暫く眺めながら歩くことにする。

ホテルのフロントで渡された市内地図。英語表記が無いため、ほとんど読めず。




パキスタンから来ているというドライバー












2016年2月17日水曜日

音と光に快適性

中国での日常から離れ、日本でしばらく過ごしてみると、日常の中での圧倒的な快適性の違いが身に沁みる。それが一体何に現れているかと考えをめぐらせて見ると、人々の振る舞いはもちろんであるが、それよりも音と光という目に見えないものへの気配り、制御が大きな影響を与えているのだと改めて実感することになる。

例えば空港について、入国審査を終えるまでに通る通路でも、ガラスなど硬く音を反射する素材が多く使われている空間の中で、歩きやすくそして音を吸収してくれる絨毯が大きく作用し、習慣の異なる様々な国の人が訪れ、時に周りの人を気にせず大声で話す人々がいても、柔らかな吸音面のお陰で落ち着いた空間が迎えてくれる。

どこかの空港であれば、ピカピカに磨かれた大理石の床にダウンライトが反射して目に痛い思いながら、大声でしゃべる人々の声が反響してさらに身体を刺すかのように迫ってくるのだろうが、ここでは窮屈な機内から解放されて、ほっとする空間が身体にも優しい。

夜になれば自分の存在を誇示するかのように、ギラギラと照らしつけるだけの照明ではなく、間接照明を多用し、必要充分な照度を確保しつつも快適な空間になるようにとの配慮が感じられる照明計画がいたるところで感じられる。

「自分、自分」と前にでるよりも、全体としてどのような落ち着いた空間にできるか、その周囲への配慮を、どれか一つの建物が無視することであっという間に壊されてしまうその雰囲気。そのような暗黙の了解がある種の風景を創り出しているのだと改めて実感する。

目に見えないものだからこそ、その後ろにある気配りや配慮がより差を生むことになり、モノが溢れ、そこの豊かさの差異化が見えづらくなったからこそ、音と光の快適性がより重要性を持ち出したのだろうと思わずにいられない。

2016年2月13日土曜日

最終便のリスク

大分から東京へと戻るために大分空港に向かっていると、徐々に霧が濃くなりほとんど視界が無くなっていく。雨や雷などの問題は無いようであるが、これだけ濃い霧だと、思うように運転もままならない。そうなると飛行機は無事に発着するだろうか・・・と心配して空港に到着すると、案の定到着ができない状況で、最終便が出るかどうかも分からないという。

調べてみるとこの濃霧による欠航などの問題は、海に張り出す形となっている海上空港の宿命であるようであるが、そう考えるとこれだけ「移動」が激化する現代においては、「最終便」で移動することのリスクの大きさを改めて感じることになる。

空港スタッフに日常をこの場所で過ごす人間としてどうなりそうかという感触を教えてもらおうとするが、「天気のことのなので、なんとも・・・」と言葉を濁すばかりで、欠航となった場合に近くのホテルを紹介したり送迎したりという対処があるのかと聞いても、どうやらそんなことは無いらしく、調べてみてもどうにも近くに宿泊できそうな施設は無く、欠航となったら大分市内までどうにかして戻らなければいけないことになりそうだと、ジリジリするような気持ちで待つことに。

地元の人ならば慣れている状況で、それほど焦りもしないことなのかもしれないが、一生のうちに何度かこの空港を利用するというほとんどの人にとっては、これはなかなか予想しがたい事態であり、明日の予定の調整も考えつつひたすら待っていると、1時間ほど遅れながらもなんとか無事に飛行機が到着し、そして飛び立てそうだということに。

近年の不安定化する世界の気候を見ていると、今後はより一層天候により移動にもたらされるリスクは増加するばかりであり、その中で最終便という後の無い選択肢はできるだけ避けておいたほうが良さそうだと思いながらつかの間の眠りに落ちることにする。

2015年12月29日火曜日

香港国際空港ターミナルビル(HongKong Airport) ノーマン・フォスター(Norman Foster) 1998 ★★★



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所在地  香港
設計   ノーマン・フォスター(Norman Foster)
竣工   1998
機能   空港
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建築に携わる人間であれば、香港に到着した途端に教科書で見ていた建築を体験できるのはなんともいえないお出迎えとなる。設計者はそのキャリア自体が現代建築の教科書のようになっているまさに現代の巨匠ノーマン・フォスター(Norman Foster)。

六本木の森美術館においても「フォスター+パートナーズ展:都市と建築のイノベーション」と題して来年の元旦から展覧会が開催されるほど、建築家でありながらその職能の枠を超えた存在として社会に影響を与える存在となっている建築家である。1935年生まれであるから、2015年現在はすでに80歳。主な作品を見てみると

1978年(43歳) センズベリー視覚芸術センター ノリッチ イギリス
1985年 香港上海銀行・香港本店ビル 香港 中国
1989年 リバーサイド・オフィスとアパートメン ロンドン イギリス
1991年 スタンステッド空港ターミナルビル ロンドン イギリス
1991年 サックラー・ギャラリー ロンドン イギリス
1991年 センチュリータワー 東京都千代田区 日本
1992年 テレコミュニケーションタワー バルセロナ スペイン
1995年 ビルバオ地下鉄 ビルバオ スペイン
1997年 コメルツ銀行タワー フランクフルト ドイツ
1998年 九廣鐵路 (KCR)・紅磡 (ホンハム) 駅舎 香港 中国
1998年 香港国際空港ターミナルビル 香港 中国
1999年 ドイツ連邦議会新議事堂、ライヒスターク ベルリン ドイツ
1999年 カナリー・ワーフ駅 ロンドン イギリス
2000年(65歳) 大英博物館グレート・コート ロンドン イギリス
2000年 ミレニアム・ブリッジ ロンドン イギリス
2001年 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス図書館 ロンドン イギリス
2002年 ロンドン市庁舎 ロンドン イギリス
2003年 トラファルガー広場 ロンドン イギリス
2004年 30セント・メリー・アクス (スイス・リ本社ビル)  ロンドン イギリス
2004年 鎌倉の住宅 神奈川県鎌倉市 日本
2005年 ベルリン自由大学・フィオロジカル図書館 ベルリン ドイツ
2006年 ハースト・タワー ニューヨーク アメリカ
2007年 ウェンブリー・スタジアムの改修 ロンドン イギリス
2007年 スミソニアン博物館コートヤード ワシントン アメリカ
2008年 北京首都国際空港ターミナル3 北京 中国
2010年 ボストン美術館 ボストン アメリカ
2011年 ザ・トロイカ クアラルンプール マレーシア
2011年 ザ・インデックス ドバイ アラブ首長国連邦
2014年 帝国戦争博物館 ロンドン イギリス
2015年 ミラノ万博 アラブ首長国連邦館  ミラノ イタリア
2015年(80歳) アップルストア ウェスト・レイク 杭州市 中国

1985年に完成した「香港上海銀行・香港本店ビル」によって当時の英国出身建築家による建築の流れを総じて呼んだ「ハイテク建築」の旗手として、その後大規模な建築を環境に配慮しながら非常に繊細なディテールを見せる建築を多く手がけることになる。

フォスター・アンド・パートナーズと呼ばれる設計事務所は個人事務所の規模を超え、世界有数の組織設計へと成長し、世界中で最先端の技術と技能を駆使し、さまざまなタイプのプロジェクトを定期的に手がけ続けており、現在ではアメリカでアップル本社ビルを建設中であり、また世界中のアップルショップの設計も手がけており、あの恐ろしく透明で薄く軽やかなショップはこのフォスターの長年の経験が後押しして実現しているものである。

そしてこの香港国際空港ターミナルビル。それに先立ってロンドンのスタンステッド空港ターミナルビルを手がけており、空港というテイポロジー、その機能的要求、そして航空交通が主流になる世界における空港という場所の意味の変換を理解して臨んだであろうこの香港の新しい顔となるターミナル。

背の高い円柱で支えられた軽やかなパネルが一定のリズムを刻みながら、上空からの暖かな太陽の日差しを室内に取り込んでおり、アーチ型立体トラスによる構造のある完成形を見せてくれる。

大量の人が出発と到着という二つの流れの方向性を持ちながら、24時間留まることなく、動き、休み、食事をしながら数時間過ごすことになるメトロポリス的な要素を持った都市としての空港を、非常にたくみにプランニングすることで、ストレスを感じることの少ない空港空間を作り出している。

そんなことを思いながら上を見上げながら、到着駅でも支払えるという非常に旅人に対して配慮の行き届いた空港に直結する高速鉄道にチケットを買うことなく乗り込み、数日間の滞在でどれだけこの街のリズムを感じ取れるか楽しみとする。

2015年3月9日月曜日

北京空港の便利さ

空港に到着し、迎えの車を待っている。

その間にも、多くの人が到着し、同じ様に迎えの車に吸い込まれるようにして消えていく。

人が都市に到着し、ある人は電車で、ある人はバスで、ある人は自らの車で、またある人はこうして送迎の車にて都市へと吸い込まれて行く。その風景を眺めながら思う。

「空港」というのは、人がある都市に到着する、もしくは離れる時に使用する場であり、そこに留まる為のものではなく、如何に素早く本来の目的である都市へと人を運ぶことができるかが求められる機能であろう。

そう考えると、如何にスムーズに、如何に短時間に大量の人をこの場所から離すことができるか?それがその空港の能力ということになる。

道路に対して長い距離で建物に面し、同時に多くの人が送迎をすることが出来ること。
上下階で出発と到着を完全に分離すること。
他の施設と混用することなく、空港の為だけに伸ばされた専用道路に接続していること。
そしてその道路は都市の中心部へ30分ほどで接続できること。

その様に、求められる機能的要求がそのまま形態として立ち上がっているこの北京空港を見ると、それはやはりよく出来ているのだと思わずにいられない。

だがしかし、そんな機能を満足するように建物へと変換された空間に、何かしらの魅力があるのかと考えると、やはり疑問符がつくのと同時に、そんなインフラとして存在する建築に何の魅力が必要なのかという別の疑問も現れながら、到着した迎えの車に乗り込むことにする。

異なる価値観を認めること

空港のラウンジで、子供連れの中国人が大声で泣き出した子供に対して「シーーッ」と注意をしている姿を見かける。中国国内ではほとんど見かけることのない光景である。

中国国内では、ほとんどの親がたとえ公共の場所で子供が大声で叫んでいたり、泣いていたりしても、「それが周囲に迷惑となっているかも」という気の使い方はほとんどせず、何も気にせずむしろ自分もipadなどで大音量を流しながら映像を見ていたりする姿を良く見かける。

そんな光景に「民度」という言葉がよく心の中に浮かんできたのだが、空港での光景を見ると、そんな「民度」は国という括りよりもやはり「人」によるのだと思わずにいられない。

社会的振る舞いというのは、「自分の価値観とは違う人が世の中にはいる」ということをまずは認識し、次にそれを認め、自分の常識が他の人にとってそうではないかもしれない可能性について想いを馳せ、相手に不快な思いをさせないように気を遣って行動をする。それは相手への敬意でもあり、同時に自分も同じ様に社会的に扱われ同様に気を遣われることを期待することでもある。

つまり世の中には自分とは違った価値観をもち、社会的行動規範を持つ人々が多く存在し、自分も社会の中で生きていく上ではそれを尊重しなければいけない。

そういうことを成長する過程において誰かから教えられるか、もしくは自らの経験としてそれを学んでくるかしかない訳である。

ラウンジで見かけた人は恐らく後者に分類されるのだろうと思う。違う文化圏に足を踏み入れ、ツアー旅行でどこまでも準備された世界を見学してくるのではなく、しっかりと一人の個人として文化や人に触れてくること。その中で自分とは違う文化への敬意を感じて、その社会で求められる振る舞いやマナーが存在することを学ぶ。

そういうことを繰り返すうちに、ある種の共通認識へと到達する。

21世紀の価値観が多様性だと叫ばれるなか、世界中のどこ国においてもこの「自分とは違う価値観を持った人が存在し、それに敬意を払う振る舞いをする」ということが国際舞台での最低限のマナーとなるだろうし、同時に多くの摩擦を軽減する手助けにもなるだろうと思わずにいられない。

2015年3月8日日曜日

シャルル・ド・ゴール空港 ポール・アンドリュー 1974 ★★★

通常、時間が少しでも空けば、できるだけ周囲にある現代建築を見ていこうとするのだが、さすがにこの五日間は余りに多くの建築を見すぎたためで、少々消化不良となり、予定よりもかなり早いがパリに戻って空港へと向かうことにする。

二人のパートナーはプレゼンの為にパリからドバイに向かい、自分は先に北京に戻るために別々のターミナルへ。そんな訳で久々に一人となり、チェックインも早く済ませたので空港内を散策することに。

「空港」に到着する際は普段とは違った都市へ足を踏み入れる期待に満たされつつ、入国審査や荷物のピックアップ、そして市内までの交通の確認など、何かと忙しく感傷に浸ることはないが、「空港」から出発する際はチェックインや諸々の手続きの為に、どうしても空港内部で「漂う」時間を持つことになる。

それは同時に、空港という場の持つ特殊性に向き合う時間でもある。

多木浩二が「都市の政治学」で指摘するように、現代を表象するのは拘束された無能な身体によって行程を切り落とされた飛行機による旅。そしてその目的地は都市の玄関として表象される駅や港ではなく、どこでもない場所としての空港。そんな無場所性を最も体現する建築がネットワーク化された現代を象徴し、目的地という点と発着の時間だけの情報を求めて空間をさまよう旅人で埋め尽くされる。

「到着」するこれから都市に「入ってくるもの」と、「出発」する都市から「出て行くもの」の徹底した管理空間。そのシステムとしての一つの建築タイポロジーである空港、が交通革命によってたった数十年の間に世界中でこれほど多く作られるということは建築の歴史においても稀に見る減少であろう。

このシャルル・ド・ゴール空港が作られて既に40年近い月日が流れている。その間に「空港」という場所の使用頻繁度は加速度的に上昇し、その場で過ごす人々の時間も意味も激しく変貌した。

現代の都市において「閾」となるべきこの「空港」建築。現代の空港の代表的作品であるこのシャルル・ド・ゴール空港を改めてみることで、40年以上も前に人類が来る21世紀において空の移動の頻度が増し、空港という施設の持つ重要度が変化していく上で、どのようなブループリントを持って設計が行われ、40年という時間の中でその想定のどこが当たり、なにが偏差したのかを見ることで、今後の空港に求められる問題に想いをめぐらすことにする。





2015年3月6日金曜日

シュトゥットガルト空港(Stuttgart Airport Terminal 3) GMP Architects 2004 ★★


夜の便で次の目的地のパリに向かうために帰宅の車で込み合う街中を抜けて山の南に位置するシュトゥットガルト空港(Stuttgart Airport Terminal 3)へと向かう。

北京空港などの自分がどこにいるか分からなくなるような巨大な空港ではなく、街の規模にあった程よいサイズのターミナルに入ると、視界に飛び込んでくるのはなんとも特徴的な樹木の様に枝分かれして屋根を支える構造体。

他は過剰なデザインなどなく、非常に機能的に配置されたチェックインカウンターが並び如何にもドイツの交通施設だと思われるが、どこを見てもその特徴的な構造が目に入ってくる。

後で調べてみるとやはりドイツの組織事務所のGMP Architectsによるものだという。「やはりな・・・」と思いながら調べると、どうやらこのシュトゥットガルト空港はターミナル1からGMPによって設計されており、その当時からこの特徴的な枝別れする柱は採用されていたという。

グローバル化後、空港で過ごす時間がどんどんと増える現代人にとっては、空港空間の意味も激しく変化していく。その中で世界の拠点都市に置かれる巨大空港ではなくて、このような地域の拠点都市に置かれる中規模の空港がどのような空間であるべきかは今後とても重要なポイントになりそうだと想像を膨らませながら、遅れていたがやっと到着した飛行機に乗り込むことにする。






2015年3月2日月曜日

コーヒーより一冊を

空港で出発を待つ時に必ず足が向かう先に本屋がある。文庫や新書の前を上から下までひとしきり目を通し、今何が売れているのか、読まれているのかを把握する。

すると必ず気になるタイトルに出くわす。しかしそれらの本は数ヶ月、ものによってはあっという間に中古としてアマゾンやブックオフに並ぶ類の内容であり、深く考えると言うよりも、スピードの速い現代を知るための本である。

それらをあえてこの場所で定価にて購入することに非常に大きな抵抗感を感じてしまう。

せめてそれらのタイトルを携帯にメモを取り、一休みしようとコーヒー屋に行くが、今度はこちらで一杯500円近くするその値段に、「あ、一杯コーヒーを我慢すれば本が買えるのか」となんだか分からない発見をし、コーヒーを諦め本屋に戻って先ほどの本を手にすることにする。

コーヒーの代わりに水でも飲んでおけばいいが、その本を手にしなかった代わりに大切な何かを知ることなく人生を過ごしてしまうことのほうがよっぽど損だと自分を言い聞かせながら登場ゲートへと足を向けることにする。

2015年2月21日土曜日

前浜掩体壕群(まえはまえんたいごうぐん) ★★★


「空港」という都市からあまりに遠くあると不便だが、逆に生活圏内にあるのもまた困るものである。成田空港や沖縄の空港などをみても、その建設にはその地に以前から住んでいた住民との間で何かしらの軋轢を引き起こすものである。

そしてこの高知の空の玄関口となっているこの高知空港の場合は、戦時中に海軍航空隊基地としてこの空港が建設・利用され、太平洋に面している土地柄、何度も空襲に襲われたという暗い過去を持っている。

「特攻」として知られる「神風特別攻撃隊」の舞台がこの地から沖縄へと飛び立った基地でもあるという。できるだけ飛行距離を短くすることで積み込む燃料と機体を軽くすること、内地からの補給経路を短くすること、太平洋に展開する敵機からの攻撃からの距離を稼ぐことなどの様々な距離のパラメーターによって選らばれたであろうこの場所。

自分から届くと言うことは、相手からも届くということであり、その為に頻繁に襲来する敵機の空襲を受けることになるのだが、貴重な戦力である戦闘機をその敵の空襲から隠すこと、守ることを目的として強固なコンクリートの格納庫が必要となった。それらを称して掩体壕(えんたいごう)と呼ぶと言う。

形状的には航空機を入れる空間の為に平べったくなり、中央が少し高くなる。屋根があるタイプはヴォールト状をしており、屋根の無いものはコの字型の上に土を持って作られたと言う。

ウィーンの「レーダー塔 砲撃塔」同様、建物がその本来の機能を失い、時代の変化の中で別の機能を寄与されることなく、あたかも時間を止めたかのようにその場所に留まる現代の遺跡は、その周辺に異様な空気を作り出すものである。

戦争と言う臭いを消臭された現代の日本の風景の中に、まったく「異物」として取り除くこともできずにそこにい続けるこの構築物達。それは戦後70年を迎える今年だからという訳ではないがぜひとも見ておきたいとリストに入れていた場所である。

午前中の建築ツアーが比較的スムースに行ったため、予定に入っていなかった潮江天満宮まで巡るがそれでも飛行機の時間まで相当時間があるために、航空会社に前の便に振り替えを問い合わせると丁寧に「変更は一切受け付けられないチケットとなっております」とのことで、しょうがないから二日間ずっと動きっぱなしの身体を休めようと市内のスーパー銭湯である「高知ぽかぽか温泉」に足を運ぶことにする。

休憩場所でうとうととし、レンタカーの返却時間までの時間を使って空港近くのこの前浜掩体壕群(まえはまえんたいごうぐん)を見に行くことにする。事前にどのサイトを見ても、実際にどこにあるのかがいまいち把握できなかったが、恐らく近くに行けば間違いなく見つかるのだろうとおもっていたが、セットであるはずの前浜トーチカは見つからず、この前浜掩体壕群もなかなか見つからない。

彷徨いながら徐々に海岸沿いの集落である前浜に入り込み、細い路地を抜けながら、すぐ先に見える砂浜の寒々とした風景と、塩害にやられたかのような黒ずんだ石の姿にやはり何か暗い影を感じながら目的地を探す。

そんな中、如何にもこの地域の重要な場所であると思われる神社が顔を見せる。せっかくなので参拝していこうと車を停める。名を伊都多神社(いづたじんじゃ)といい、やはりどう頑張っても漢字からは読み仮名が想像つかない。

海に向かって参道がとられているために、海風がもろに境内に吹き付ける。境内に立ち並ぶ石造が潮風にやられて形を失っているのも何かおどろおどろしい感じを醸し出す。地元のおばさんと思われる方が自転車でやってきて、手を合わせて帰っていく姿を見送り車にてこの地域を抜け出す。

「とうとう前浜掩体壕群を見つけられないか・・・」と諦めかけたが、最後にもう一つだけ道を回っていこうと通りがかったらいきなり田んぼの真ん中に異様な構造体がどぉーんと見えてくる。

明からに周囲の風景と隔絶したその異様さ。空気も時間もその周辺だけゆがんでいるようでいて、それで周囲の自然に飲み込まれてしまったような不思議な風景を作り出す。朽ちることなく、また使われることも無くその場に取り残された姿はある種の美しさを作り出す。

道沿いに車を停車し、歩いて見えている掩体壕にあぜ道を通って近寄る。近くで見ると思ったよりも大きくないのが見て取れる。目の前の風景にはさらに二つの似た構造体が見えている。そばで農作業をするおじさんに聞いてみると、全部で7つあり、あそこの先まで行けばあと二つ見えてくるという。

数が決まっているものが風景の中に散らばっていることほど楽しいものは無く、北京の九壇八廟モスクワのセブンシスターズの様に、似ているが微妙に違った同じ属性を持った構築物が風景の焦点となることの美しさ。

実際に歩いてみると思ったより距離があるが、角を曲がるたびに「また掩体壕が見えるかも・・・」という期待感を持ちながら周囲を散策する。半径1キロくらいの周辺に計7つの掩体壕を見つけ車に戻ろうとすると、「掩体壕駐車場」という空き地とともに、掩体壕を説明する看板を見つける。ちゃんとこうして外部に発信しているのだと思いながら文を読み車に向かう。

空港までに向かう間に、なんだか不思議な構造物に出くわす。恐らく津波発生時に非難するための建物なのだろうと思いながらも、日常生活の中で意味を成さない構築物が同じように無機質に風景の中に散らばっている姿は、今度は逆になにやら気持ちの悪いものだと思いながら調べてみるとやはり津波避難タワーだという。


朝から晩まで最大化して丸三日間を費やし高知を見てきたが、素晴らしい建築から、高知ならではの風景、そして自然との関係の中で、また歴史の中で生み出された不思議な光景を高知の景色として脳裏に焼きつけ飛行機に乗り込むことにする。



前浜
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)
伊都多神社(いづたじんじゃ)














津波避難タワー