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2013年7月18日木曜日

比叡山延暦寺 横川(よかわ) 788 ★★


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所在地  滋賀県大津市坂本本町
山号 比叡山
宗派  天台宗
寺格 総本山
創建   788
開基 最澄
別称 比叡山、叡山
機能   寺社
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百寺
世界遺産
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時刻は既に16時20分。参拝時間が過ぎてしまうからと諦めてみるが、ここまで来て完結せずに帰るのはあまりに忍びないということで、ドライブウェイをできるだけ飛ばしながら車を滑り込ませる横川駐車場。

参拝を終えて戻って来る数人の観光客とすれ違いながら、左手の崖に咲く怪しい色の紫陽花を眺め、徐々に暮れ始めて来たのを感じながら、道沿いに展示してある道元や親鸞の一生を説明する絵巻物的看板に、ちょっとした違和感を感じながら、このエリアの本堂にあたる横川中堂へとたどり着く。

横川と書いてよかわと読むこのエリアは西塔から更に北へ4キロメートルほどのところに位置し、第3世天台座主慈覚大師円仁が建立したという。

朱色の横川中堂は傾き始めた強い夕日を浴びて、更に鮮やかな色あいを見せる。旧堂は1942年に落雷で焼失し、現在の堂は1971年に再建された鉄筋コンクリート造であるという。

日が暮れてた後に、あの山道を車で下るのも恐ろしいので、できるだけ日の高いうちに下まで降りようと踵を返し、おみくじ発祥の地として有名な元三慈恵大師良源を祀っている四季講堂(元三大師堂)を諦めて駐車場へと戻っていくことにする。









比叡山延暦寺 西塔(さいとう) 788 ★★


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所在地  滋賀県大津市坂本本町
山号 比叡山
宗派  天台宗
寺格 総本山
創建   788
開基 最澄
別称 比叡山、叡山
機能   寺社
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百寺
世界遺産
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東塔を出て、再びドライブウェイを北に走り、時々切れる木々の間から覗く琵琶湖への絶景に目を取られながら数分で見えてくるのが西塔の看板。まだ15時40分ということで、入れるなと思い駐車して中に入っていくが、先ほどの東塔のような入り口も係りのおばちゃんもいなく、自由に入れるようになっている。

この西塔(さいとう)は東塔から北へ1キロほどに位置し、中には歩いてここまで参拝に来る人もいるようだが、やはり東塔に比べたらぐっと参拝客の姿も減り、自然の中でゆっくりと伽藍を巡ることができる。

まずはこのエリアの中心的伽藍である釈迦堂に向かうべく、左に折れて道を進むと、前方に見えてくるのがにない堂。左右対称のお堂が道で結合されており、その下を潜っていくようになる。

少し進むと長い階段の下に見えてくるのが西塔地区の中心の堂である釈迦堂。急勾配に設置された階段の為に、一段一段の蹴上が高く、降りるのにも一苦労しながらポッと開けた堂前の広場。

この釈迦堂は、延暦寺に現存する建築中最古のものらしく、もとは園城寺の金堂だったが、秀吉が1596年に西塔に移築したという。

その後今来た道を戻り、先ほど左に折れた曲がり角を直進し浄土院へと向かう。随分長いうねる道を進み、「後ほど同じ道を戻るのはしんどいな・・・」と思いながら前方に見えてくる浄土院の山門。

この浄土院は最澄(伝教大師)の御廟所(墓)のある場所であり、比叡山第一の浄域とされている。山門は閉じられており、山門の左手にある小さな通用門をくぐって塀の中に入り、拝殿に参拝する。

参拝後、同じ道を帰るのはあまりに忍びないと思い、地図を見ると別の道でドライブウェイに出られ、そこから駐車場に戻るのも、今来た道を戻るのも距離的に同じくらいだというので違う道を選ぶことにする。

一段一段のキツイ階段を上りきり、ドライブウェイに出たかと思うと、道よりも一段上になっており、道に降りられない。汗はダラダラ、足はガクガク、「ここから戻れと言うのか?それとも思い切って急勾配を降りて道にでるか?」と悩んだ結果、大人しくもと来た道を戻ることにする。

心理的ダメージのせいで、階段一つ一つがやたらときつく感じながら、暗くなり出した道を急ぎながら駐車場へとかえっていく。後で知るのだが、この浄土院は東塔地域と西塔地域の境目に位置し、所属は東塔地域になるという。道理で遠いと思った。そしてこのドライブウェイだが、車専用で歩行者は歩いてはいけないと言うらしい。だから道に降りれないようになっていたのかと納得。




















比叡山延暦寺 東塔(とうどう) ★★★ 788


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所在地  滋賀県大津市坂本本町
山号 比叡山
宗派  天台宗
寺格 総本山
創建   788
開基 最澄
別称 比叡山、叡山
機能   寺社
建築文化財 根本中堂(国宝)
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百寺
世界遺産
日本の建築空間掲載  根本中堂( こんぽんちゅうどう)1641
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比叡山延暦寺。

日本人であれば必ず一度は耳にしたことのある名前。

エリートとしての最澄とアウトローとしての空海の対立。
信長の焼き討ちによる怨念じみたイメージ。
何か不服があると暴れ坊主がすぐに山から都に降りてきては暴れまくる姿。
山の中に一種の独立国家のように俗世から離された距離。
他の仏教宗派を立ち上げる開祖が学んだ場所。

などなど、様々なイメージがオーバーラップし、どうにもつかみどころがないのがこのお寺。お寺と読んでいいのかどうかもいまいち分からないほどの存在。

伊勢と出雲で沸く2013年の日本。同じように比叡山と高野山も間違いなく今の日本の風景を作るのに寄与してきた大きな仏教の聖地。そんな訳で今回の巡礼の最大の目的地の一つである比叡山に向かって、麓の日吉大社より車で山を上がっていく。

標高848mと言うだけあって、相当急勾配の道を上がっていくと、暫くして比叡山ドライブウェイの田の谷峠ゲートが見えてくる。事前に調べたところ、随分高い値段を取られるようなので、ホームページから割引チケットを印刷しておいたのだがうっかり忘れてきたことを思い出す。

「それにしても参拝に行くのに有料道路を通らないといけないとは・・・」と思いながらもチケットを受け取り、先に進むと、なかなかの峠道。ハンドルを10時10分に持ち直し、対向車も後続車も無いドライブウェイをひたすら集中して走っていく。

やっと見えてきたのが「東塔」の文字と巨大な駐車場。この時点では延暦寺がどれだけの広さを持ち、どんな伽藍配置になっていて、どれだけの参拝時間がかかるのか、また参拝時間はいつまでかを把握していないので、タオルを首にまき、急いで参拝受付所に向かう。

なんでも比叡山の山内は「東塔(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」と呼ばれる3つのエリアに分かれており、ここはその中でもメインである「東塔(とうどう)」エリアの入り口らしい。通常この三つのエリアを総称して「三塔」と呼ぶという。そんな訳で3塔共通の参拝チケットを550円で購入し、「このエリアを見るのにどれくらいかかるか?他のエリアも一緒に見ようと思ったらどれくらいかかるか?」を聞くと、「参拝時間が16時30分までで、今が15時10分だから三つを見ようとするのは厳しいかも」という。ほとんどの観光客はこの「東塔」エリアを見て、延暦寺を見たということにしているらしい。そしてこの「東塔」だけでも40分くらいはかかるだろう、車で来ているなら「西塔」は車で5分の距離なので行けるかも、「横川」はちょっと離れているので厳しいと思うなどを聞き出して、早速伽藍へと向かうことにする。


この延暦寺は比叡山全域を境内とする巨大寺院で、延暦寺の名より比叡山、また叡山(えいざん)と呼ばれることが多いという。平安京の北にあったので北嶺(ほくれい)とも称される。もちろん開祖は平安時代初期の最澄(767年-822年)で、日本天台宗の本山寺院である。住職は天台座主(てんだいざす)と呼ばている。

最澄の開創以来、空海の開いた高野山金剛峯寺とならんで平安仏教の中心であり、天台法華の教えのほか、密教、禅、念仏も行なわれ仏教の総合大学の位置づけで、平安時代には皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持つ。特に密教による加持祈祷は平安貴族の支持を集め、真言宗の東寺の密教(東密)に対して延暦寺の密教は「台密」と呼ばれライバル争いを繰り広げた。

そして延暦寺とは比叡山の山上から東麓にかけた境内に点在する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)など、三塔十六谷の堂塔の総称であり、延暦7年(788年)に最澄が一乗止観院という草庵を建てたのが始まりである。開創時の年号をとった延暦寺という寺号が許されるのは、最澄没後の824年のことだという。

桓武天皇は最澄に帰依し、天皇やその側近である和気氏の援助を受けて、比叡山寺は京都の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場として次第に栄えるようになった。これは後の江戸の都市計画にも繋がっていくことになる。


延暦寺は数々の名僧を輩出し、日本天台宗の基礎を築いた円仁、円珍を始め下記の著名な層を輩出している。

良源(慈恵大師、912年 - 985年)比叡山中興の祖。
源信(恵心僧都、942年 - 1016年)『往生要集』の著者
良忍(聖応大師、1072年 - 1132年)融通念仏宗の開祖
法然(円光大師、1133年 - 1212年)日本の浄土宗の開祖
栄西(千光国師、1141年 - 1215年)日本の臨済宗の開祖
慈円(慈鎮和尚、1155年 - 1225年)歴史書「愚管抄」の作者。
道元(承陽大師、1200年 - 1253年)日本の曹洞宗の開祖
親鸞(見真大師、1173年 - 1262年)浄土真宗の開祖
日蓮(立正大師、1222年 - 1282年)日蓮宗の開祖

新仏教の開祖や、日本仏教史上著名な僧の多くが若い日に比叡山で修行していることから、「日本仏教の母山」とも称さる。

様々な小説で語られるように、様々な僧が、理想の仏教の姿とは何か?に悩み、熱い議論を重ね、仏陀の教えとは何か?を考え抜き、自分に向き合うために厳しい修行の為にこの山の中を何度も何度も歩き回ったのだろうと想像する。


開祖最澄は朝廷から派遣される形で、805年遣唐使船で唐に渡り、霊地・天台山にて、天台大師智顗(ちぎ)直系の道邃(どうずい)和尚から天台教学と大乗菩薩戒を、行満座主から天台教学を学ぶ。それだけではなく、越州(紹興)の龍興寺では順暁阿闍梨より密教を翛然(しゃくねん)禅師より禅を学んでいる。

結果、天台教学・戒律・密教・禅の4つの思想を全て学び、日本に伝えた(四宗相承)ことが最澄の功績で、その為に延暦寺は総合大学としての性格を持つことができた。そして後に延暦寺から浄土教や禅宗の宗祖を輩出することになる。

806年に日本天台宗の開宗が正式に許可されるが、仏教者としての最澄が生涯かけて果たせなかった念願である比叡山に大乗戒壇を設立すること、つまり奈良の旧仏教から完全に独立して、延暦寺において独自に僧を養成することができるようにすることは、最澄の死後に許可される。

延暦寺といえば、「坊主の武力」というイメージが強いが、強大な権力で院政を行った白河法皇ですら「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と恐れたと言う。この中の「山」は比叡山のことであり、山法師とは延暦寺の僧兵のことである。

この言葉に代表されるように、延暦寺は自らの意に沿わぬことが起こると、僧兵たちが神輿をかついで強訴するという手段で、時の権力者に対し自らの言い分を通していたという。

また、祇園社(現在の八坂神社)は当初は興福寺の配下であったが、10世紀末の戦争により延暦寺がその末寺とした。このように、延暦寺はその権威に伴う武力があり、また物資の流通を握ることによる財力をも持っており、時の権力者を無視できる一種の独立国のような状態であった。延暦寺の僧兵の力は奈良興福寺のそれと並び称せられ、南都北嶺と恐れられたという。

そんな訳なので他の権力者からは時に気に食わない存在となる。そして武に秀でた権力者は延暦寺を制圧しようと試みる。初めてその試みに踏み切った権力者は、室町幕府六代将軍の足利義教である。この義教は将軍就任前は義円と名乗り、天台座主として比叡山側の長であったが、還俗・将軍就任後は比叡山と対立したというから何とも狭い世界でやり取りが行われていたということだ。

また有名なのは、戦国末期に織田信長が京都周辺を制圧し、朝倉義景・浅井長政らと対立すると、延暦寺は朝倉・浅井連合軍を匿うなど、反信長の行動を起こした。信長は武力と権力をもつ仏教勢力は日本統一の邪魔になると考えて、1571年延暦寺に武装解除するよう再三通達をし、これを断固拒否されたのを受けて延暦寺を取り囲み焼き討ちを行う。これにより延暦寺の堂塔はことごとく炎上し、多くの僧兵や僧侶が殺害される。

しかし信長の死後、豊臣秀吉や徳川家康らによって各僧坊は再建された。家康の死後には、天海僧正により江戸の鬼門鎮護の目的で上野に東叡山寛永寺が建立されてからは、天台宗の宗務の実権は江戸に移されるが、現在は比叡山に戻っている。


そんな長い長い歴史を後ほど、「なるほど・・・」と復習するのだが、そんな複雑で政治的な背景などいざ知らず、緩やかな坂道をのんびりあるく高齢者観光客をさっさと追い抜き、左手に見えてくるのは巨大な大講堂。1634年の建築物で重要文化財に指定されている。旧大講堂は1956年に火災で焼失し、もとは東麓・坂本の東照宮の讃仏堂であったものを1964年に移築したという。本尊である大日如来の両脇には向かって左から日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍など若い頃延暦寺で修行した高僧の像が安置されている。

大講堂を参拝し、階段を下りて左に折れると更に長い階段をおりてたどり着くのはこの東塔を東塔足らしめる建築。延暦寺発祥の地であり、延暦寺の総本堂にあたる根本中堂(こんぽんちゅうどう・国宝)。最澄が建立した一乗止観院の後身であり、現在の建物は織田信長焼き討ちの後、1642年に徳川家光によって再建されたものである。

比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。入母屋造の大建築である。なんでも日本で3番目に大きな木造建築だという。

南側に中庭が配置される寝殿造で、堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、本尊を安置している内陣は中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっており、内陣は僧侶が読経・修法する場所でなる。暗い本堂の中で、更に奈落に落ちていくような内陣の深さ。その闇。その中に「ぼぅ」と揺らめく蝋燭の光。「何か独特な空気が漂っている」と感じるに十分なその空間。本尊厨子前の釣灯篭に灯るのが、最澄の時代から続くといわれる「不滅の法灯」という。

天台宗の伽藍はなかなか足を運ぶことが無かったので、この空間で護摩を焚き、煙の中で経を唱えている姿を想像すると、なんだか身体が震えるような思いに駆られる。1000年を超えるこの場所の力を感じ外に出て、向かいの急勾配の階段を登り再度見下ろす根本中堂。

その後、阿弥陀堂、東塔を朱色の建物を見て回り、時計を気にしながら、「せっかく延暦寺に来たのだから、一般的なルートで終わるよりはせめて西塔まで・・・」と駆け足で車に戻ることにする。
















日吉大社(ひよしたいしゃ)紀元前91 ★★★★


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所在地  滋賀県大津市坂本
主祭神 西本宮:大己貴神,東本宮:大山咋神
社格  式内社,二十二社(下八社),旧官幣大社
本殿の様式 日吉造
別名 山王権現
創建   紀元前91年(伝承)
機能   寺社
文化財 西本宮本殿 1586,東本宮本殿 1595
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都の北東、鬼門の方向を守る比叡山。その比叡山の麓のうっそうとした森のなか、広大な神域に数多の神様の住まう場所として崇められてきた日吉大社。

建部大社同様この近江の地の大社として長い歴史を眺めてきた神社であるが、境内108社・境外108社と言われたその神域の中でも、上七社(山王七社)・中七社・下七社を合わせ山王二十一社と総称され崇拝を集めてきたと言う。

その中の上七社(山王七社)は西と東の2つの本宮と以下の5つの摂社から成りそれぞれ主祭神は以下の様になり通称日吉七社とも呼ばれる。

本宮
西本宮:大己貴神(大国主神に同じ)
東本宮:大山咋神

5摂社
牛尾宮:大山咋神荒魂 - 大山咋神の荒魂
樹下宮:鴨玉依姫命
三宮宮:鴨玉依姫命荒魂 - 鴨玉依姫命の荒魂
宇佐宮:田心姫神
白山宮:菊理姫命


元もとの呼び名は日枝の山(ひえのやま)、つまり後の比叡山の名前から「ひえ」神社だったが、平安時代から「エ」に縁起のよい「吉」を使うようになり、更に第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしたという。


最澄は比叡山上に延暦寺を建立し比叡山の地主神である日吉大社を、天台宗・延暦寺の守護神として崇敬し、そのお陰で中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになったという。

そして延暦寺では、山王権現に対する信仰と天台宗の教えを結びつけて山王神道を説き、その結果天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建され、現在見られるように全国に約2,000社あると言われる日吉・日枝・山王神社の総本社となっている。

そういう訳で、山の上の延暦寺とは歴史の中で切っても切れない関係だったと言う訳で、いい時も悪いときも共有してきたわけである。

1571年、織田信長の「比叡山焼き討ち」によりこの日吉大社も同じく焼き払われ、現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものという。しかし信長の死後に豊臣秀吉がこの神社の復興に尽力した。これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、猿を神の使いとする当社を特別な神社と崇めたためといわれ、境内のいたるところに秀吉から献上されたという橋が見られる。

そんな訳でイントロだけでも相当時間が必要になる長い長い歴史を持つ日吉神社は西本宮と東本宮を中心に400,000m²の境内を持つ。完全なる森の中。そんな境内はもちろんアスファルトなんかで舗装などされておらず、砂利道に車を進めると、係りのおばあさんに入苑協賛料という名目で大人300円を払うと、あれやこれやと説明をしてくれる。中でも秀吉から献上された石の橋は見所だからぜひじっくり歩いていって欲しいとのこと。

そんな訳で「これは時間がかかるな・・・」と、尋常ではない雰囲気にニヤニヤしてしまうのを止められずに早足で参道へ向かうが、少し歩いただけで「境内108社」というのを身体を持って実感する広さ。

如何にも山の中に入っていく、自然に包まれていく感じが得られるとても気持ちの良い参道。

そして辿りつくのは東本宮本殿。1595年建立で400年以上も前の建物。ちなみに国宝。楼門をくぐると本殿を中心に左右に摂社を構え、「神様がいっぱい居るな・・・」という雰囲気。

こんどは木漏れ日のなか西本宮へと向かうと、途中4月初旬に行われる山王祭で使われるという立派な神輿が展示されている。

さらに先に進むと、山の入って行く道が見えてくる。如何にもその先に何かあるという雰囲気を醸し出す神々しい光に照らされる道。「これを登ったら、今日は比叡山までいけなくなるな・・・」と思いながら道を進む。後で調べるとこの道は日吉大社の信仰の始まりとなった神体山八王子山の頂上付近に鎮座する牛尾神社と三宮神社の本殿・拝殿へと向かう道という。

暫くすると見えてくる西本宮本殿。1586年建立であるとされ、こちらもまた国宝に指定されている。楼門の中に入ると東同様「沢山居るよな・・・」と感じられる神域感。境内を流れる清らかな水の音が印象的な清らかな空気が印象的。

楼門を出て、道を下ると、先ほどのおばさんの前へと戻ってきて、そのまま参道脇を流れる大宮川のせせらぎを聞きながら参道を上がっていき、係りのおばあさんの話にも出た豊太閤秀吉の寄進による大宮川にかかる石橋・日吉三橋を眺める。大宮橋・走井橋・二宮橋は石ではあるが造りは木の橋にならったもので、確かに不思議な造形を見せている。

大宮川

そんな訳でやっと駐車場に戻ったころには、すっかり身体中汗だくだが、なんともすがすがしい気持ちを感じながら後ろに聳える比叡山を目指して車に乗り込むことにする。