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2013年7月21日日曜日

松阪城 1588 ★★


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所在地 三重県松阪市殿町
城郭構造  梯郭式平山城
築城  1588
築城主 蒲生氏郷
機能  城郭
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日本100名城
Discover Japan「いま、見ておくべき城 100」
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伊勢市を北に抜け、暫く走ると少々街中になってきたと感じる。そこが松阪牛で有名な松坂市。

ナビに誘われるままに辿りつくのは正門で、どこに車を停めて良いのか迷い近くのおじさんに聞いてみると左に回ると上に上がれるからという言葉通りに車を進める。

右に立派な石垣を眺めながら車を進めるがどうにも上に上がれそうな道は無く、徐々に石垣から遠ざかってしまうので、再度近くと通りかかるおばさんに聞いてみると、なんとも丁寧に大きな身振りで「あそこの市民病院の駐車場に停めて大丈夫だから」と教えてくれる。

市営の駐車場らしく、お城見学の人は大体この駐車場を利用するらしい。早速車を停めて、久々に思える神社以外の散策がなんだか新鮮に感じながら、素晴らしい石垣の間を抜けて天守跡へ。

この松坂城。なんといって目を引くその石垣が素晴らしい。石の積み方は「野面積み(のづらづみ)」という、非常にラフな積み方を中心に、隅は「算木積み(さんぎづみ)」という、長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせる積み上げる方を用いられている。

これらの工法は「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる近江国の職人達が、安土城築城時に今まで無かった新しい築城方法を発案したものである。近江出身の蒲生氏郷がその穴太衆をかり出し、安土城を凌駕する様にと石垣をくみ上げさせたという。

その石垣の上、平坦に広がる本丸跡地から眼下に広がる松坂市ののどかな風景を眺める。街の中心に城跡があり、遠くに伊勢湾を持ち、その湾に流れ込む川が流れ、中心部のすぐ外には田園地帯が広がり、人口16万人とそこそこの規模を誇るこの街。恐らく地元としてよい風景を作ることができる街なのだろうと勝手に想像を膨らませる。








2013年7月18日木曜日

安土城跡(あづちじょう) 1576 ★★


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所在地  滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
城郭構造   山城
築城主 織田信長
築城   1576
機能   城郭
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日本100名城
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「城跡」というのは極めてやっかいで、その場に行くまでそこがどういう管理に置かれていて、どのような形で見学できるのかがよく分からない。いや、恐らくしっかり調べていけばそのような情報は手に入るのだろうが、そこまで下調べに時間を費やせない人間にとっては、神社同様できるだけ大らかな形で城跡公園となり、一定部分を除いては時間を限らず自由に見れるのが一番望ましい。

そんな訳で太陽の傾き方と、ネットで調べた日の入り時刻と相談し、近江八幡見学は夜間に回し、ここまで来たら見逃すことは出来ない二つの100名城を目指して片側一斜線の田舎道に心が焦りながらもアクセルを踏み込む。

史上初の天守をもった城として織田信長によって建設されたのがこの安土城だとされている。その規模は地下1階地上6階建ての高層建築であり、信長の居住空間と機能していたのでりっぱな高層住宅となり、現行の法律ではエレベーターの設置が必要となる、とにかく当時のとってはとにかくデカイ建築であったに違いない。

「ニッポンの城大図鑑」に拠ると各部分のデザインもまた、それまでの城にはない独創的なもので絢爛豪華な城であったと言われる。もちろん城跡ではあるが、日本100名城にも登録されている。

1582年の本能寺の変の後、まもなくして何らかの原因によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の遺構を残しだけとなり、臨済宗妙心寺派の摠見寺によって400年にわたり管理されてきたという。もちろん見学時間は終わっているので、入り口付近にちらほら見える石垣から当時の壮大さを創造する。

なんでもこの安土城。近くに位置する同じく100名城の六角氏の観音寺城を見本に総石垣で普請された城郭であり、ここで培われた築城技術がその後の安土桃山時代から江戸時代初期にかけて相次いで日本国中に築城された近世城郭の範となったという。

そんな訳で、是が非でもとこの安土城のあとに観音寺城跡を見に行くのだが、冒頭に書いた「城跡」問題の為に、たどり着いたのは近くの公民館。よくよく見ると、先に見える峠道に、「観音寺城跡この先」という看板が。今からどれくらい歩くか、参拝できるように開いているのか確信の持てない城跡よりも、確実に神域に入れる神社だろうと決断し、東近江に向けて車を走らせる。