2021年12月7日火曜日
2021年12月1日水曜日
2021年11月7日日曜日
2020年5月25日月曜日
「螢川・泥の河」 宮本輝 1978 ★★★★
家の近くに流れる川沿いを夕方になると走っていると、川の表面が日によって微妙に違う表情を見せることに気が付く。昨日は清んで日を反射していたのに、今日は淀んでいるなと。
そんなことを思いながらのそのそと走っていると、突然「バシャッ」と大きな音がして、目を向けると大きな波紋が広がっていく。川の主のような顔をして、普段はゆっくりと大きな灰色の身体をうねらせながら、水面近くを行き来するあの鯉が、水面近くを飛ぶ昆虫に飛びつき、びっくりするような跳躍力を発揮したところだろう。
波紋が落ち着いてくると、悠々と身体をうねらすあの鯉の姿も捉えられ、これこそ泥の河の「お化け鯉」だなと思いながら、重い足をなんとか前に進める。
宮本輝の名前はよく聞くので、読んで気になっていたけど、久々に手に取り、じっくりと考えるとやはり読んでないようであり、せっかくの機会だからと読んでみたが、流石作家デビュー作で、太宰治賞も受賞した「泥の河」。そして翌年に芥川賞を受賞した「蛍川」。後の「道頓堀川」と併せて、川三部作と呼ばれているらしいが、どちらもとても素晴らしく、読み応えのある作品であった。
夜のポンポン船の上で、サワガニに油を飲ませて火をつけ、カニが水面に落ちていく姿を眺める様子や、やっと辿り着いた蛍の繁殖地で目にした、雪が巻き上がるような蛍の嵐の様子は、鮮やかな色で目の前に広がるようななんとも不思議な体験を呼び起こす描写は圧巻。
どちらの作品にも漂う背徳感やエロス。そして子供の中で育成される、ドロドロとした社会への眼差し。
「鬱金色のさざめきが川面で煌めいていた」という言葉など、生々しい主題にも関わらず、全体的に品を感じさせるのは、作家が過ごしてきた時間の濃度がさせるのだろうかと思いながら、川の近くに住んでみるのもまた悪くないだろうなと思いながら、三部作の残りの一冊である道頓堀川を楽しみにする。
2020年4月25日土曜日
「初恋温泉」吉田修一 2006 ★★
もう何年も、読むことを楽しみながらページを捲るというよりも、年齢と共にこれくらいの本は読んでおかなければいけない、メディアで取り扱われている話題の本は読んでおかなければいけない、というなんとも言えない思いに押され、内容よりも読んだということを追いかけるなかで、かつてワクワクしながらページを捲っていた子供時代の読書の楽しさをまるで失ってしまった気分に苛まれ、なんとかあの時に気持ちを取り返せるかと実家で片付けをしている中で見つけた本が詰め込まれた段ボールの中から見つけ出した一冊。
一時期随分気に入って読み漁っていた作家の作品で、納められている5編の物語は、それぞれ年齢も置かれた状況も異なる5組のカップルがそれぞれ違った場所の温泉地の温泉宿を訪れる様子を描いているため、一日一篇と決めて読みすすめる。
初恋温泉が熱海の「蓬菜」
白雪温泉が青森の「青荷温泉」
ためらいの湯が京都の「祇園 畑中
」
風来温泉が那須の「二期倶楽部」
純情温泉が黒川の「南城苑」
レストランで成功した経営者夫妻が訪れる旅館では、温泉に浸かっていると入っている他の宿泊客の「こういう高級旅館というものはね・・・」というセリフに感じられるように、高級旅館から鄙びた温泉宿、お忍びで訪れるような宿から有名温泉街の心地よい宿まで、登場人物が人生の中で如何にもチョイスしそうな宿がうまいことマッチングされている。
温泉と旅館。
日本人なら誰もが想像できる、特別な時間とくつろぎの非日常。
そんな中でも雪深い青森の風景で、一瞬音が消えたような錯覚から始まる「白雪温泉」はとても印象深い内容で、音なく降り注ぐ雪のように、少しだけ読む楽しみが手の中にまた戻ってきたような感触をもってページを閉じる。
2015年3月6日金曜日
Nordpark Cable Railway Zaha Hadid 2007 ★★★
恐らく二度とこの街を訪れることはないだろうから、ということで、折角だから見ておこうと、山の中腹にあるザハ・ハディド(Zaha Hadid)によるケーブルカーの駅舎(Nordpark Cable Railway)を見ていくことにする。
イン川を北に渡り、急な斜面の為に十分は道路幅を確保するのが難しかったと想像できる時に一車線のみになる非常に狭い峠道をおどおどしながらあがっていく。上にあがっていけば、どんどん周辺に残る雪の量も多くなり、ゆっくりと走りながら進むこと20分この先はスキーリゾートという感じの場所へと到着する。
その目の前には、スキー客用のリフトがあり、多くの地元民が平日だというのにスノボーやスキーを手にリフトへと吸い込まれていく。その先に見えるのが、麓に位置する街からこの中腹のリフトステーションまで運んでくれる急斜面を走るケーブルカー。
白く染まった山の背景に完全にスムースな曲面を持った軽やかなその構造体はまさに風景を異化させるのに十分なインパクトを持つ。近寄ってみると、曲面でぐしゃりと歪んだように反射する周囲の風景が写りこみ、その滑らかな建築はまるで宇宙から送り込まれ生物のような今まで見たことのない風景を作り出している。
コンピューター上で作り出された滑らかな曲面を人間が作り出す施工という条件のもとに落とし込むと、どうしても何枚かのパネルに分割しなければいけない。そしてパネルとすることによって、そこに生まれる分割線。Landhausplatzでもあったように、人間が立体を理解する時にその助けとなるのが表面上の分割線。この分割線をどのように「デザイン」するかが現代の曲面建築を手がける多くの設計事務所における大きなチャレンジとなっている。
捩れたサーフェイスは、その幅が常に一定ではなく、その為に分割する線分の幅もどうしても変化することになる。2本の線が一点に収束するとそれはパネルと三角形にすることになり、逆に収束せずにある線と交差する部分で線が消えれば不正形な台形となり、なにより全体を覆う線のダイナミズムがそこで止まってしまうことになる。
サーフェイスのコンセプトを踏襲しつつ、かつ施工的、制作条件に沿った適した分割線を見つけることができるか。その試行錯誤の後をこの表面にも感じる。
なんと言ってもこの作品は、大学院時代を共に過ごしたチームメイトと、ザハ事務所時代によく一緒にプロジェクトを手がけていた友人が中心になって完成させた作品でもあるので、よく話しに聞いていただけあって自身としてもなんとも思い入れのある建築である。
ネットで見ていたよりも、実際にこうして3次元に滑らかに曲げられたガラスパネルがこれだけスムーズに接合されて全体を構成している姿を見ると、ある種の感動を感じる。それが装飾としてではなく、しっかりと構造と一体となり、緩やかに内部と外部を隔てており、ケーブルカーの駅舎としての機能も満足しているようである。
頭痛の種であったであろう雪の処理もその形態からなんとか処理仕切れているようであるし、何より完成からすでに5年たってこのクオリティーを保っているのならそれは素晴らしいことだと思わずにいられない。
そして何より、その駅舎の向かいに設けられたビュー・ポイント。恐らくこれもこの駅舎のデザインに合わせて共に設計されたのであろうが、滑らかに外に張り出すようにして眼下に広がるインスブルックの街を見下ろしながら、その先に広がるアルプスの山々の風景は圧巻である。
その風景の中にもう一つこの駅舎と向き合うようにして建つザハ設計のジャンプ台を見つけるのもまたこの場所の楽しみになのかと思いながら、次の街へ向かうことにする。
2015年3月5日木曜日
Landhausplatz LAAC 2011 ★★★★★
ここ数年でもっともみたい建築の一つとしてリストの中にあったのがこの広場。単体の建築物ではなく広場。建築家の作った建築的なアイデアがいたるところに施された建築的な広場である。
この波がうねる様なダイナミックな広場の存在はネットなどでよく目にしていたが、「いかにもありそうなものでなかったものだな」とそのアイデアを評価していたが、2013年のメルボルンのカンファレンスでその設計者であるLAACという設計事務所からキャサリン(Kathrin Aste)が参加していてレクチャーを聞く機会があり、そのプロジェクトの背景や身体との接触度合いによって何種類にも分けられている表面処理などの話を聞き、これはぜひとも実際に見てみたいと切に思っていた作品である。
そして今回、進行中のプロジェクトの為に素材の参考になるかと思い実際にその場に立ったときにどのように見えるのかを確かめるためにわざわざこの街まで足を運ぶこととなった。
街に到着したのが夕方17時過ぎ。雪がちらつく中ホテルにチェックインして徒歩でいける距離にあるLandhausplatzと呼ばれる広場へと向かう。やはり高度が高いせいか相当に冷え込みを感じながら、しばらく歩くとすぐに目の前にポッと広がる広場。雪空の闇の下でも、その不思議な起伏は十分に「今まで見たことのない空間」としてのインパクトを与えてくれる。
恐らく一番高い部分でも地面から1.5m程しか起伏していないのかと思うが、それでも十分なダイナミズムを空間に与えている。街のサイズに適応するかのように、こじんまりとした広さの広場であるが、その如何にも「身体スケール」という横の広がりに、縦の起伏が加わることで今までになかった空間の豊かさや楽しさが生まれている。
滑らかに地面から隆起する起伏は、アフォーダンスを刺激するのに十分で、ついつい斜めの部分に上って歩きたくなってしまう楽しさを内包している。現場打コンクリートで作られたというこの滑らかなサーフェイス。そしてコンクリートという素材性を現すその分割線があることによってより立体を把握することを手助けしてくれる。
そして何より唸ったのはこのような横に広がりのあるプロジェクトを行うときに、それが周囲と接する縁のデザイン。いかに周囲になじむのか、それとも明確な縁を切るのか。その処理によって全く成否が違ってしまうのだが、この広場に関しては横に立つ恐らく最近計画されたと思われる建物の足元にはまるで巻き込むかのように滑らかに接続している。そして北側の象徴的な市の歴史的建物には「ドンッ」と壁にぶつかるようにしているが、垂直な壁に対して微妙にスロープをとることで、新しい建物との関係性と、古い建物との関係性を異なった処理で対応しているのを見せてくれる。
そして残った二面は道路に面するので南側の人を呼び込むようになじむ処理の仕方に対して、長辺方向となる東側では人が座れるようなベンチの高さの立ち上がりが垂直にあがっていたり、駐車場への入り口となる高さを稼ぐように徐々に高い擁壁としてボリュームになっていくなど、しっかりと4面の差異化を図っている点などもひたすら寒い中唸りながら周囲を歩くことになる。
広場の中に目を戻すと浮いたようなデザインのベンチは絶対水平を現し、線として扱われる照明は絶対垂直を表す。これもまた滑らかにうねる立体の曲面をより際立たせるための要素を削ぎ落すプロセスを経てこうなったに違いないと勝手な解釈を重ねる。
立ち上げる面は暗い中にも全く光の当たり方の違う、つまり色の違った面となって視界に現れ立体を理解する手助けとなる。その面が徐々に高さを失い再度面の一部として最後は線として消えていく様子は、幾何学を手中に収めようとするヨーロッパの中に流れる長い歴史を感じずにいられない。
もちろん起伏を楽しむのは、我々のような建築家か、スケボーを楽しむ少年たちで、普通にこの場を「通過する場所」として日常の一部としている人たちにとっては、やはりフラットな場所を歩くことになる。そしてフラットな場所は起伏のついた幾何学がない場所としてまた建築家によってデザインされていることになり、人がこの場所でどこからやってきて、どこに抜けていくかを考えた行動学によってデザインされていることになる。
今度は徐々にスケールを落として素材に目を向ける。
いい大人のアジア人が二人で地面にしゃがんで表面をなでているのを、もう一人のアジア人女性が面白がって写真を撮っているのを、なんだか不思議なものでも見る様に地元の人が訝しげに見ながら横を通っていく。
コンクリートに混ぜる砂利の大きさや種類を変えることと、磨き方を変えることで、座る場所や手が触れる場所などこの広場に7種もの異なった表面の処理が施されているというのが納得できるくらい、場所によって異なるザラツキを見つけ、それが日の光で違った表情を見せながら色合いを変えることを発見していく。
「これはわざわざ来た甲斐があった」と十分納得してホテルへと戻る。
翌朝、なんとか夜のうちの表情を見ておこうと、朝5時に起きだし、防寒に気をつけ、一人冷たい夜の道を進む。さすがに誰もいない夜の広場は昼間とはまた違った雰囲気で心地よい。細い照明がどのような効果を演じるのかと思っていたが、どうやら足元は十分に明るさが確保されているようであるし、広場の隅々まですべて明るくしようとはせずに、歩く場所だけに照度が確保され、明るさと暗さのグラデーションが広がっている。
夜に積もった雪が凍り、特に水下では平坦なところに微妙にスロープがついているために水が溜まり安いのか、特に滑りやすくなっているのを気をつけて、鉄製のベンチに溜まった雪が徐々に溶けて水滴として滴る場所の石が微妙に変色してしまっているのを確認し、北側の建物付近の照明は横に向けて照射するタイプのものになっているのを発見して、あまりの寒さに絶えられずホテルに戻って再度布団にもぐりこむ。
朝食をとりチェックアウトを済ませ、再度3人揃って今度は晴れ上がった日の下で広場の様子を見ようということで、最後にもう一度寄っていくことにする。これで、曇り、夜、昼間の違った状態で同じ空間を十分に体験することが出来た。やはり燦燦と降り注ぐ陽の下で見ると陰によって起伏の立体が良く分かる。何よりも、北の建物の後ろに聳えるまさに壁の様な山の威容がこの街の風景をつくり、それがあることを前提としてこの広場が成立しているのだと理解して次の目的地へと向かうことにする。
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