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2014年6月4日水曜日

選択肢に入ること

ファイドンのパーティーを後にして、夕食の会場であるレストランを目指して海岸沿いを歩いていると、前方から明らかに遠近法を無視した船が近づいてくる。

昨日イタリア人のスタッフが興奮気味に、「数日前に凄い大きな船を見たんだ」と言っていたのを思い出す。確かにこれはちょっと想像を超えているサイズである。甲板の上には旅行客がこっちを向いて手を振っている。「なんて俗世的なんだ・・・」と思いながらも、ついつい手を振り替えしてしまう自分達。

イタリア人に聞くと、こうしてカナル・グランデを行き交う大きなフェリーに規制をかける動きが起こっているという。かつての海洋都市といっても、流石にこれだけのサイズまで船が巨大化するとはその時代の誰もが想像しなかっただろうと思いながら、「これだけ資本主義に押されて海を行き交う船が増えれば、環境負荷や燃料消費も相当増加しているのでは?」とイタリア人に聞いてみると、既に規制が敷かれ、かなり限られた船しか運航していないという。

そういうところは流石イタリア・・・と思いながら、ヨーロッパでの仕事の機会を広げる為に様々な人を紹介してくれているフランス人がセッティングしてくれた今夜のディナーの会場が、やや入り組んだところにあるというので、水上タクシーで向かうことにする。

20分ほどで陸に上がり、到着したのはなかなか雰囲気のあるレストラン。既知のフランス人とその古くからの友人だというパリを拠点に活躍する都市計画事務所の3人のパートナー。互いに簡単な紹介を済ませ、どの様な仕事をしているのかを話し合う。

さっぱりした白ワインを味わいながら、こうして「何かの機会があれば、その選択肢に入っている」という状態を増やしていくことが、チャンスをつかむことの下地になっていくのだと再認識せずにいられない。







パラッツォ・ジュスティニアン(Palazzo Giustinian) 15世紀後半 ★★


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所在地  ヴェネツィア(Venezia)
竣工   15世紀後半
機能   住宅
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カ・レッツォーニコ(Ca' Rezzonico) の右に比較的目立つ大きな建物が二つ並んで建っている。

手前がこのパラッツォ・ジュスティニアン(Palazzo Giustinian)で、その奥にあるやや背が高い建物がカ・フォスカリ(Ca' Foscari)と呼ばれる邸宅である。このカ・フォスカリ(Ca' Foscari)は現在ヴェネツィア大学として利用されているとうい。

そのパラッツォ・ジュスティニアン(Palazzo Giustinian)であるが、正面に回りこめなかったのでやや分かりにくいが、ここまでくるとこの建物がゴシック様式でできているというのが、この距離からでも良く分かる。

一時期ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーがこの邸宅に住んだといわれるベニスにおいても有数の邸宅であるこの建物。しかしそろそろ邸宅建築にもおなか一杯になってきてので、カナル・グランデ沿いの建築巡りを終了し、サン・マルコ広場目指して路地の中へと入っていくことにする。

パラッツォ・コルネール(Palazzo Corner) ヤーコポ・サンソヴィーノ 1532頃 ★


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所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   ヤーコポ・サンソヴィーノ
竣工   1532頃
機能   住宅、庁舎
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リアルト橋のたもとのマーケットで、水揚げされたばかりの新鮮な魚介類がテーブルに並べられていく姿を見物し、用意してあったグーグル・マップ上にマッピングしてあった建築物の位置とGPSを頼りに人一人が通れるような路地を進んでいく。

日本の路地と違うのは、日本では左右を挟むのはせいぜい二階建ての住宅であるが、この街では優に6階建てはありそうな壁が遥か上まで伸びているため、垂直性の強い路地となっている。床も壁も全てか石造りの為に音の反響は強く、自分の身体を否が応でも意識しながらランニングを進めていく。

重要な建築物は運河に面している為に、その主要ファサードが運河に向かうことになる。そして主要な交通手段が船であったため、各建築には運河から直接アプローチする方式がとられていた為に、建築と運河の間には空間が取られておらず、建築の外形がすなわち運河の外形となっている。

その為に建築を見ようとすると、どうしても反対側からアプローチすることになる。巧いこと正面に道が繋がっていればいいが、なかなかそう巧くはいかず、どうしても斜め向かいからの見物となる。

そしてこのパラッツォ・コルネール(Palazzo Corner)もそのタイプに分類される為に、向かいの運河に垂直に走る道を何本か運河まで行って見てどこが一番近く見れるのかを試しながらやっと一番正面に近づける場所を見つけることになる。

さてこのパラッツォ・コルネール(Palazzo Corner)。先程までの「カ」と呼ばれる邸宅と同様に、元々は貴族の邸宅であったが、現在はヴェネツィアの県庁舎として使用されている為に、「宮」を意味する「パラッツォ(Palazzo)」の名前が冠せられている。

元々の建物が1532年に火事で焼失し、ルネサンス期の建築家ヤーコポ・サンソヴィーノにより再度建築されたため、そのファサードも天を突くようなゴシック・スタイルではなく、るルネサンス様式が採用されているため、大規模の邸宅ということは図るがそれほどの華やかさは感じさせない建築である。








カ・ダ・モスト(Ca' da Mosto) 13世紀 ★★


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所在地  ヴェネツィア(Venezia)
竣工   13世紀
機能   住宅
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リアルトのマーケットの向かいに位置するのが13世紀に建てられたというビザンティン様式のカ・ダ・モスト(Ca' da Mosto) 。

元々商人の邸宅及び工房であった平屋を、16世紀に二階部分を増築し、さらに19世紀に3階部分を増築したという建物。

曖昧な記憶を辿れば、2008年のビエンナーレ参加の為にキックオフ・ミーティングが行われたのがこの建物。打ち合わせ後に3階のテラスからカナル・グランデを眺めていると、協同するローマの設計事務所のイタリア人建築家がこの建物について説明してくれたような記憶がかすかに残っている。

ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロックというヨーロッパでの建築様式の流れに対して、いわゆるヨーロッパとは離れ、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の影響下で発展した建築様式であるビザンティン様式。

東ローマ帝国の盛衰に伴ってその建築様式も変遷し、4世紀から12世紀までの長い間の時代をさすために一概に様式といってもその内容は多様に渡り、時代ごとに様々な影響を受けている。

そんな建物が改修を繰り返しながら残っているこの都市の歴史の長さを思いながら、建て替えを繰り返しながら再生を繰り返していく日本の神社の歴史の繋ぎ方との違いに思いを寄せながら、次の目的地へを向かうことにする。








カ・ペーザロ(Ca' Pesaro) 国際現代美術館(チヴィチ博物館) バルダッサーレ・ロンゲーナ 1710 ★


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所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   バルダッサーレ・ロンゲーナ(Baldassarre Longhena)
竣工   1710
機能   住宅、美術館宅
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カ・ドーロ(Ca' d'Oro)の向かいの少し駅側に進んだところにあるのが、このカ・ペーザロ(Ca' Pesaro)。同じく「カ」がついて、かつての貴族の邸宅であることが分かる。現在はチヴィチ博物館と呼ばれ、国際現代美術館として利用されているという。

ベニスの重要な教会であるサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の設計者としても知られるバルダッサーレ・ロンゲーナ(Baldassarre Longhena)という17世紀にベニスで活躍したバロック建築の第一人者によって設計をされ、カナル・グランデに面する建物正面は後にアントニオ・ガスパーリ(Gian Antonio Gaspari)の手によって1710年に完成させられたという。

設計はバロック様式を採用され、特に特徴的なのは1階部分の外壁に、ゴツゴツした岩の素材を使用して壁面に明暗を表現をしている。ゴシック、ルネサンス、バロックと続くヨーロッパの建築様式の変遷は、どうしてもその前の時代の様式に対する反運動でもありながら、それでもどこかで流れは受けているということで、バロック様式もその前のルネサンス様式との明確な違いが現れるまでにはどうしても微妙な違いでしかなく、建築を業としていても、この様式がどちらに属するのかをはっきりと示すのはやはり難しくなってしまう。

アジアから来るとどうしても美しい中世の都市としての風景を残すベニスとして括ってしまいがちになるが、もちろんその中には何百年という隔たりを持って設計された建物たちが渾然一体となって存在していることを改めて感じながら、その背景まで視線を届けながら観察していかないと、大きな間違いを犯すことになりそうだと次の目的地へと向かうことにする。




カ・ドーロ(Ca' d'Oro) ジョヴァンニ・ボン バルトロメオ・ボン 1430 ★★★★


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所在地  ヴェネツィア(Venezia)
設計   ジョヴァンニ・ボン バルトロメオ・ボン
竣工   1430
機能   住宅、美術館
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西に向かって旅をすることのよい事の一つに、時差の為に朝早く目覚めてしまうこと。展覧会に向けてのやり取りSNSで行われていることもあり、どうやら皆朝の6時には目覚めてしまっているのが見て取れる。

折角の朝の時間なので、持ってきていたランニング・シューズを引っ張り出し、朝食前にこの迷宮の様な街に繰り出し、村上春樹ばりにとはいかないまでも、ランニングがてら見たかった建物を探索してくることにする。

ベニスのカナル・グランデを水上バスで進んでいくと見えてくる数々の華麗な邸宅。その中でも一番壮麗な姿としてこの街を訪れる人々の記憶に残っているであろう館がリアルト橋の手前に位置しているカ・ドーロ(Ca' d'Oro)。

ホテルから比較的近いこともあり、ここがランニングの第一立ち寄り場所となる。

ベニスに残る貴族の邸宅のなかでも最も古いものの一つとされ、かつては運河に面した外壁に金の装飾が施されていた為に、「黄金の館」という意味のカ・ドーロ(Ca' d'Oro)という名前が付けられているという。因みにこのカ(Ca')は「館」という意味のイタリア語。

建築はジョヴァンニ・ボンと彼の子バルトロメオ・ボンによって1428年から1430年にかけ完成された。ヴェネツィアン・ゴシックと呼ばれるベニスで発展した独特のゴシック様式を駆使したそのファサードは世界でも最も美しいゴシック建築の一つとして知られている。因みに設計者の親子はサン・マルコ広場に面するドゥカーレ宮殿の設計も担当した、この街のゴシック建築の生みの親でもある。

運河に面した壁面は花模様を用いたゴシック様式。近くには同様の様式でよく似たバルバーロ館とジュスティニアン館があるので、水上バスで移動していると少々混乱しそうになる。現在はこの館の修復と保存に尽力した貴族のジョルジョ・フランケッティの名をとったフランケッティ美術館として一般に公開されている。

朝早い時間の為、街にはほとんど人影が見えず、まさに迷路の様な狭い路地に自らの足音を反響させながら次の目的地へと足を進めることにする。






2014年6月3日火曜日

リアルト橋(Ponte di Rialto) アントニオ・ダ・ポンテ 1591 ★★★★


ベニスに滞在していると何度も足を運ぶことになる場所がある。その一つが中心でもあるサン・マルコ広場。そしてもう一つがこのリアルト橋(Ponte di Rialto)。

群島というベニスの中心には大運河であるカナル・グランデ (Canal Grande)が街を分断する。海運輸送によって街がつながれているという側面もあるが、徒歩で移動する人にとってはやはり、運河が街を分断する側面は否めない。

そうなるとその運河のこちら側とあちら側を繋ぐ橋が都市にとって重要な意味を持つのは世界中の水と関係する都市においては共通の問題であり、このベニスでも中世の時代からこのカナル・グランデを渡す橋の設計が都市にとっての大きな課題であった。

大運河と言うだけに他の小さな運河に比べてもちろんその幅が大きくなる。その為に小さな運河を渡す橋とはことなり、これだけ大きなスパンの橋を当時の技術でどう作り出すかが長年探求されたのは想像に難くない。

その解決策として橋の案を広く募集することになった中世のベニス。その橋の候補地として挙げられたのが、比較的海抜が高く、洪水の被害が少ない為に早くから人々が集まり商業の中心地として栄えていたこのリアルト周辺。そしてそのコンペを勝ち取ったのがアントニオ・ダ・ポンテという技術者の案で、橋の下を通る船を妨害しないように、アーチ型の太鼓橋。

その上にはアーケードが作られ、現在でも土産物を売る多くの商店が賑わいを作り出す。このリアルト橋はその構造よりかなり高い位置からベニスの中心風景であるカナル・グランデを眺めることが出来る為に昼夜を問わず多くの観光客で賑わっている。

橋の上にアーケードと言うと、どうしてもフィレンツェ(フローレンス)のアルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)を思い出す。ポンテ・ヴェッキオもフィレンツェ最古の橋であり、現在の橋は1345年に再建されている。橋がただただ移動空間としてではなく、都市の重要な活動空間の一部として発展したイタリアの都市空間の凄さを思う。

では、向こう側とこちら側を繋ぐ橋が都市の徒歩交通にとって重要な意味をもつということで、このリアルト橋を含め、ベニスのカナル・グランデには現在までに計4本の橋がかけられている。

リアルト橋 1557年
アカデミア橋 1930年代
スカルツィ橋 1930年代
カラトラヴァ橋 サンティアゴ・カラトラバ(Santiago Calatrava)の設計により2008年に完成

それぞれの時代のそれぞれの技術を使って作り出されたこの4本の橋は、ベニスという都市の本質をある意味一番良く現している風景なのかも知れない。そんなリアルト橋近くに位置するマーケット脇のレストランで、ベニスで食前酒として良く飲まれているスプリッツ(Spritz)を飲みながら、少々の観光客気分を味わいながら本場のイタリア料理を楽しむことにする。

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二日目の朝。

ランニングの途中で立ち寄るリアルト橋とそのマーケット。まだマーケットが賑わう前の時間らしく、揚ったばかりの新鮮な魚達を並べる姿とそのマーケットが入る空間を写真におさめる為に、暫しランニングの足を止めることになる。








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二日目朝