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2015年3月2日月曜日

映画と読書のギャップ

飛行機の中の過ごし方。まずはどんな映画が更新されているかチェックする。手元には鞄から出しておいた数冊の本があるにもかかわらず、気になっていたタイトルがあるとついつい観てしまう。

「映画を観る」という行為は極めて受動的である。基本的に自分は何もせずに視覚だけを使って物語を追っていくだけ。脳への負担は極めて少ない。それでいながら、小説家が魂をこめて書きあげた一冊の本をたった2時間に集約して仕上げた物語を、あたかも本を一冊呼んだかのように「見終えて」しまう。

一冊の小説を、どんなに内容が薄くてもやはり2時間で読めることはほぼ無い。しかも手で本を保持しながら、頁をめくりながら一行一行追っていく。単語をおい、台詞をおい、行間をおい、人間関係をおっていけば、おのずと脳への負担は大きくなり疲れも出てくる。

それでも、読み進めるとともに視界が開けるように物語の世界が見えてきて、生き生きと登場人物たちが立ち上がってくる。少なくなる残り頁とともに、次のページをめくるのを楽しみに思いながらも、終わってほしくないという相反する気持ちを処理しきれずに最後まで物語を読み終える。

文章から想像力を駆使して作り出した自分だけの本の世界に十分浸り、その中で自分の記憶に残る部分を選択していく。そんな極めて能動的な行為が読書にはある。たとえ映画で2時間で観終えてしまう小説が読み終わるのに1週間かかるとしても、その行為としての体験は遥かに内容が濃いと言わざるを得ない。

忍耐力がどんどん失われていく現代社会。その中で少しの差に見える映画と読書のギャップ。その意味をしっかりと理解してその上で何を読み、何を観るのか選択していく。それがこれから我々に突きつけられている問題意識なのだと思う。

2014年6月8日日曜日

空と空港の未来

空港に到着し、また次の飛行機を待つ。

空港にいる人の数もまたそれぞれの国の現状を表すようである。混み合う空港の様子を眺めていると、一体一年に世界中の空港を利用するはどれだけの数に上るのだろうとぞっとする。

世界の空港 旅客数・利用者数ランキング TOP30(2012年)

規模別の空港一覧

航空旅客数・貨物取扱量の推移 - 国土交通省

どうも世界規模での合計となると、単一空港で既に年間旅客者数が1億を越えるほどの空港もあるのには驚かずにいられない。そして単一空港での旅客者数が上位に位置する空港の多くがアメリカに位置しているのも、如何にアメリカが航空大国であり、経済活動を世界規模で展開し、都市同士を密接につないでいるかを示している。

ちなみに世界最高と言われる新宿駅の乗降者数は一体どれくらいかとみていくと、JR新宿駅だけでも一日平均で76万人。この地に乗り入れる他の東京メトロ、都営地下鉄、小田急線、京王線を合わせるとその数は一日平均で350万人にも上るという。そこから算出する年間乗降者数は12億人・・・・。まだまだ地上はとてつもなく混んでいるというのが見て取れる。

これだけの人間が駅という地上交通網のノードに一気に押し寄せる圧力を、なんとかJRの必死の努力によって、運行本数を増やしたり、正確なダイヤを実現させたりとなんとか少しでも混雑解消に努めているというところである。

その人の移動の波が確実に今、空港という新しいノードに押し寄せている。

この10年。明らかに空港で見かける人の数に変化が見られるようになって来ており、その数は航空技術の向上と、世界規模で活性化する経済活動に後押しされるように、今後も加速度的に増加するのは間違いない。既に航空交通路は人類のインフラとして定着した訳である。

そうなるとどういうことが起こりうるかと想像すると、使用頻度の高まりによりある一定の人気路線ではより密な発着陸が行われるようになり、空港ラウンジ、空港の滑走路、そして空の航空路でもかなりの混雑が起こってくる。

空港では今のままのシステムではチェックイン機能が麻痺し、しばしの混乱の後により効率的なシステムへと移行していく。

滑走路は限りがあるために、不採算路線は次々へと廃止されるのと同時に、ハブ空港においては、滑走路の拡張が続いていく。

空の上では今まで以上に多くの行き来が起こるために、航空機による環境負荷の低減を担う技術革新が起こるがそれでも追いつかず気候への影響がさらに大きくなり、不安定な気候が今まで以上に多くなる。

そして加速度的に増える飛行機の数に対して、それを操縦するパイロットの数が追いつかず、今までであれば決して操縦桿を握ることが無かった未熟なパイロットなどが安い給料にて雇われる状態なども発生しうるだろう。

そんな様々な状況が絡み合い、より航空機の事故は多発する。それが今年に多発した航空事故が示す空の移動の未来の一部であろう。

マレーシア航空370便 クアラルンプール発北京行き

アルジェリア航空5017便墜落事故

ウクライナで起きたマレーシア機墜落事故 遠隔調査

トランスアジア航空222便着陸失敗事故

そんな妄想を膨らませながら、なんだか背筋をぞっとさせながら、やっと到着した模様の搭乗機に向かいゲートへと足を進めることにする。

2014年6月3日火曜日

「アバウト・タイム 愛おしい時間について」 リチャード・カーティス 2013 ★★

これだけ飛行機での移動が日常的になってきた世界においては、映画を見る機会が最も多いのは飛行機の中なのではないかと思わずにいられない。人が映画を見る機会の最も多い場所は一体どこなのか?同じ映画を映画館で見た人、DVDで自宅で見た人、そして飛行機の中で見た人の割合をぜひともどこかの調査会社で調べて見て欲しいものである。

つまりは映画を作る側としても、こうして飛行機の中で見られることをある程度前提として映画を作ることも起こってくるだろう。一体それが映画業界にどんな変化をもたらすのだろうかと思いを馳せる。

北京からベニスで行われる建築ビエンナーレに参加するために、スイス航空で乗り換え地のチューリッヒに向かう長距離フライト。手元には建築の専門書を2冊、新書を2冊、そして文庫本を1冊と移動時間を有効活用するために普段なかなか読み進められない読書の準備をして、そしてフライト時間から考えて何が見れるかを映画のリストから探し出す。

「ラブ・アクチュアリー」の監督で、舞台がロンドン、そしてビル・ナイが出てるとなるとこれは見逃せないと選んだのがこの一本。そのほのぼのとした雰囲気からは想像できないが、タイム・トラベル系の内容。過去に戻れることで、人生の中でよりよい選択を積み重ねることができる主人公。

それでも描かれるのは時間をやり直すことができるからこそ理解できる、一回きりの人生のすばらしさ。そしてその人生の中で一回きりで出会った大切な人々。過去に戻れるから、時間をやり直せるからかどうかではなくて、誰でも自分の人生がどれだけ価値のあるもので、それが一回きりしか得ることのできない時間なのだと意識して「今」を過ごすこと。「今」を積み重ねること。そんなメッセージを感じながらも、役は変われど演技は変わらないビル・ナイに癒されながら見終えることができる一作である。

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スタッフ
監督 リチャード・カーティス
脚本 リチャード・カーティス
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キャスト
ティム・レイク  ドーナル・グリーソン
メアリー  レイチェル・マクアダムス
父さん (ティムの父)  ビル・ナイ
キット・カット (ティムの妹)  リディア・ウィルソン
ハリー  トム・ホランダー
シャーロット  マーゴット・ロビー
母さん (ティムの母)  リンジー・ダンカン
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作品データ
原題 About Time
製作年 2013年
製作国 イギリス
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2014年4月16日水曜日

「最悪」 奥田英朗 2002 ★★★★★

モスクワから戻ってきて、すぐに日本で進めている保育園のプロジェクトの打ち合わせの為に日本に戻る。国境をまたいでの移動は、空港での待ち時間に、飛行機の中で身体を拘束される時間を合わせ、必然的に読書がはかどる時間でもある。

そんな中で読みきったのが、大藪春彦賞や吉川英治文学新人賞など1999年に様々な文学賞で受賞候補に挙げられた奥田英朗の有名作。そのタイトル通り、読んでいても、「なんでそんな風にしてしまうんだ・・・」と心がムカムカするほどの登場人物の判断力の無さや行動内容。まさに「最悪」としか言いようが無い。

最近読むことが多かった、ある数人の主人公にスポットを当てるのではなく、多種多様の人物を平行して追うことにより物語を進行する群像劇ではなく、あくまでも主役は3人なので、読んでいきながら流れをつかみやすい。そして3人の転換も非常にテンポが良い。

一人目の主人公は鉄工所社長の川谷信次郎。鉄工所の社長といっても、「僕達急行 A列車で行こう」の瑛太の様なのんびりした感じでも、池井戸潤の描くような技術に裏打ちされた職人的な側面を描くでもなく、ただ真面目に、そして愚直に仕事に取り組み、家族を少しでも楽にできるようにと休日返上でも単価の低い仕事でもこなしているいいおっさんである。しかし、かつての田畑に囲まれた中に鉄工所があるという風景から、開発がされ周囲にはマンションが立ち並び、地縁で繋がってはいない新規の住民が周辺に住み着くようになる。

彼らは夕方以降や、週末での騒音は出さないようにと一方的に要求を突きつけてくる。それが如何にも外資系のサラリーマンという形で理論武装をして追い詰めていく。そこに近所付き合いや人情なんてものは入り込む余地は無い。

そんな苦情は区役所にも回っていき、お役所仕事として「形だけでも」なにかしらの結果を欲しがる役人から、どうにか約束を確約しようとされてストレスをかけられる。折りしも取引先の懇意にしてもらっている担当者から進められた設備投資の甘い話。その彼から紹介された通常の取引銀行ではない大手の銀行からの融資の話。その話が済むまでは近隣での騒音問題を抱えている会社とは知られる訳にはいかず、なんとか隠し通そうとする信次郎。

冷静に考えれば、自らの身の丈に合っていない設備投資であり、無理な借金をしてまでも行うことではないと分かるはずなのに、他の幾つものストレスが重なり、ある種の思考停止に陥り、とにかく設備投資さえ出来れば全てが解決すると盲目的に信じてしまう状態。その描写がなんとも素晴らしい。

建築事務所なんていう零細企業を行っていると、つくづく人間は属している組織の大きさによって自らの態度を決め、そして相手の組織の大きさによってとる態度を決めているのだと痛感させられる。決してその人の能力や人間性でではなく、あくまでも最終的にその人を守るであろう組織の大きさでである。

小さい、もしくはその人が知らない組織に属していれば、人はとことん攻め入ってこようとする。人が謙虚に下手に出ていけばいくほど、人は漬け込んでくる。何かこちらに非があると思われることを見つければ、これ見よがしに漬け込んでくる。その目的は最終的には金銭となることが多い。

建築設計を行っていても、時に適正価格というものを考えず、ただただ提示された額からどれだけ値引きさせることができるかが、自らの能力だと考えている人に出くわすことになる。恐らくそれらの人が生きてきた人生と言うのは、そういう中で能力が評価される世界だったのだと想像し、さぞやさもしい時間だったのだと思いを馳せる。

本来はその仕事の業務量がどれほどで、その中で専門的能力がどれほど関与し、手間と時間がどれだけ費やされての報酬額かを理解し、また取引をする企業にとって、この仕事でどれだけの利益が出て、企業活動の継続が可能である範囲かに思いを馳せることがいいのであろう。

しかい多くの人は、他の人はその金額を払っても自分だけは値引きをして欲しい。自分だけは恩恵を被ってもいいはずだ。それでもおたくも問題ないでしょう。という態度となる。この空気が強く現われたのは自由主義経済を進めてきた2000年代の後半。デフレの波が世の中を多い、本質を見ることなくただただ値段の問題へと還元されてしまう専門業務。それは何も残らないイナゴの大群の通った後の風景を思い起こさせる。

そんな思いを抱えながら世の中を眺め、なんとか耐え忍んできた身にとっては、信次郎がどうには現状維持の生活からなんとか上昇のスパイラルへと希望を描き、数多の可能性の中のベストなシナリオしか頭の中に思い描けなくなってしまったかが良く分かる。それほど、社会の下で必死に生きている人の姿をよく理解し描いた作品だと思わずにいられない。

二人目の主人公の藤崎みどりはかもめ銀行の銀行員。職場での淡い恋心や上司からのセクハラ、奔放な妹への心配、自分を目当てに通ってくる少し地方気味の老人顧客への対応など、まさに日常の中の些細なことではあるが、本人にとっては非常に大きな問題を抱えながら生きている。

最後の主人公は、チンピラの野村和也。パチスロで生活費を稼ぎ、水商売の女のヒモとなり、ヤクザの友人とトルエンの強盗を繰り返し、そこからヤクザに追われることにあっていく。

それぞれの状況が徐々に徐々に「最悪」の方向へと沸騰していき、あるとき急に沸点に達したかのように事態が動き出す。そしてバラバラだった三人があるところで運命に引き寄せられる。

三人が三人とも、なんで真面目に生きているのに、何で頑張っているのに、それなのにどうして俺だけ、私だけこんなに悪い方向に進んでしまうのか?どうして俺だけこんなに負担が大きいのか?なんで頑張っているのに人生がよくならないのか?という思いにかられながらも坂を落ちていくようにどんどん「最悪」へと嵌っていく。

まさに読んでいて、気持ちのよいものではない。それだけに描写が素晴らしいということである。恐らく日本人の誰もが、主人公の誰かのどこかに自分の日常を写し合せることができるのだろうと想像する。それだけ日本人は真面目で平凡に毎日をこなしている。それなのに、悪い方向へといってしまう。

あっという間に読み切れてしまうスピード感ある良作である。


2013年10月3日木曜日

「乙女の密告」 赤染晶子 2010 ★

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143回(2010年上半期)芥川賞受賞
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飛行機で移動する用事があるとパッキングの段階で一番頭を悩ませるのがどの本を持っていくか?自分がこの世の中で一番嫌うものの一つに、読書くらいしか出来ないような状態で、読むべき本が手元に無いということだから、いつも文庫、新書、建築本とバランスを取りながら計4-6冊ほどを広げて「うーん・・」と悩む。

そういう時に、薄めの本だとひょっとしてあっという間に読み終えてしまうのではとなかなか時間を読みにくい。そんな悩ましい時間は、同時になんとも楽しい時間でもある訳である。

そんな訳で考慮した結果持っていたこの一冊は、思ったとおりに北京から日本への飛行機の中であっという間に読み終えてしまう。

冒頭のシーン。関西の語学大学。シーンとした教室の中で、丈の長いスカートに身を包んだ「乙女」達が、静かにノートを取り、辞書を引きながら勉強をしている。教室の窓から吹き込んだ風は、ひらりと桜の花びらを運んできて、一緒に吹き込んだ花の香りにふと顔を上げる何人かの乙女達。

そんな具体的な臭いまで香ってきそうな想像力を刺激する書き出し。やはり日本の女性はこういう理知的で清楚な乙女であってほしいという世の男性の願いも同時に刺激される。

物語はドイツ語を学ぶ乙女達が、先生であるバッハマン教授の厳しい指導のもと、スピーチ・コンテストに向けて努力をしながら、乙女らしい悩みを抱え、群集の心の葛藤が、ナチスに追われ身を隠しながら、自らのアイデンティティーに苦しんだアンネの日記に重ねられて物語が進行する。

ユダヤ人だから密告されたアンネは、ユダヤ人であることから解放されようとしつつも、自らをユダヤ人たらしめる自分の名前を決して忘れることは無かったように、スピーチに立つ乙女に必ず訪れる「忘れる」ことの恐怖を重ね合わせ、物語の緊張感を高めていく。

恐らくこのような手法は、文学の中でも随分確立されている手法なのだと思うし、この物語の中でも効果的に使われているのだろうと感じ取ることが出来る。それが芥川賞にも相応しい作品としているのだろうが、冒頭のシーンがなんとも心地の良い描写の仕方だっただけに、その若き乙女たちのいる教室の華やいだ明るい春のリズムをもって全体を描いたほうが自分好みだったなと思わずにいられない。

2013年6月4日火曜日

日常へ


早朝6時。
着陸の衝撃で目を覚ます。

シドニーを夜に出て12時間。赤道を越えて帰ってきた北京の朝は相変わらずのスモッグ模様。

満席のエコノミーシートに身体を埋め、泣き叫ぶ赤ん坊の声を耳栓で防ぎ、妻と二人なんとか眠りに落ちようと軋む関節を伸ばしながら、耐え忍んで末にやっと伸ばせる身体を感じる。

早朝にも関わらず大量の外国人がならず入国審査をパスし、理由も無く1時間近く待たされる預け荷物をひたすら待ち、その後はタクシーを待つ人の列。想定よりも1時間遅れての帰宅後、シャワーを浴び、身体を存分に伸ばして束の間の深い睡眠へと落ちる。

そして一時間後。寝たか寝なかったのか分からないまま、いつもの日常へと戻るためにオフィスへと自転車を走らせる。時差が無いのはいいことだが、休息の時間も削られて、こうして確実に寿命が縮んでいくのだろうと思いながら朝靄のようなスモッグの中を日常へと帰っていく。

2012年12月27日木曜日

新しい時代にあった飛行機の乗り方

年末年始。様々なところから家族で過ごす故郷に向けて、いろんな人が移動する時期。

北京からKLまでの6時間強のフライト。3人がけの席の後ろに陣取ったのは、夫婦と小さな女の子と赤ん坊。チケットが必要な年齢に達していないためか、その席の横にはもう一人若い女性が陣取って、3人がけに5人が座るという事態になり、航空会社のスタッフが「これはありえない」となにやら揉めている様子。「この子達は2歳に達してないから。」という夫婦の説明によって、なんとか横の女性が我々の座る席の間に移動して落ち着く。

そんな訳で、その夫婦、早速空いた席に上の子を座らせてスペースを確保するが、飛び立ちもしないうちからその上の子が泣き叫ぶ。周囲の乗客(正月を国で過ごすと思われる、マレーシア人や正月休暇をあったかい場所で過ごそうとしている外国人)も、さすがに子供だからと、みな困ったなぁという視線は送るがそれ以上何も要求できずという状態。

せめてあやして泣き終えるようにするとか、何かしゃぶるものを与えるとか、少しは周囲に迷惑がかかってしまって申し訳ない的な行動を取るのかと思っていたが、心の相当強い夫婦なのか、それともまったく社会性をどこかに置いてきてしまったのか、それとも自分たちだって困っているんだと開き直ってしまったのか、それとも子供を持つ親というのは大変なんだという方向に行ってしまったのか、とにかく何らかの対応を取る気配はない。

それどころか後ろをチラッと眺めると、泣き叫ぶ二人の子供はほったらかしに、ウトウトと眠りに落ちる夫婦の姿が目に入る。しかしこの子供達は更に激しく泣き叫び、まさに阿鼻叫喚の様。しかもそれが日本人というオチ。

用意しておいた耳栓を奥まで詰めても、アイフォンに入れておいた激しい音楽を最大ボリュームでイヤホンに流しても、その声は鼓膜まで届きBGMとして成り続ける。どうせ眠ることは無理そうだからと激しい音楽を聴きながら、この問題について考えをめぐらせる。

年末年始、ネット上でこの問題に対してあーだこーだと問題になるが、子供は泣くものだとか、子連れでは飛行機に乗るなとか、泣く子供連れならビジネスに乗れとか、逆にそれだとより高いお金を払って苦痛を感じずに旅をするはずのビジネスシートの意味が下がってしまうとか、子供を持った親じゃないとこの苦しみは分からないとか、その場の感情論的な意見は多々あるが、恐らくこれは時代が変わりインフラがその変化について来れていない歪の現れである。

昔の親は子供が自制が効くまでは、このような空間を他人と共有する行動はしていなかった。泣いてしまう子供がいるのなら、時間がかかっても車で高速道路を使って里帰りし、車内で泣いてしまう子供でも、家族としてその時間を受け入れていた。それに比べて今の親は、公共性や他の人に気を遣わず、便利であることだけで公共交通を利用して、迷惑の押し付けが多すぎるという意見も聞く。

しかし、やはり公への気の遣い方のモラルハザードはあるとしても、グローバル化が進んだ世の中において、どうしても個人で所有できる移動手段では辿りつけないほど、家族と自分たちの住まう場所の間に距離ができてしまったことは間違いなく、そうなると公共交通手段に依存をしなければいけなくなるのはしょうがない。

だからといって、「私も大変なんですよ。困ってしまっているんです。だから文句は一切受け付けません」的な雰囲気を醸し出す親たちの姿が正しいのかといえば、それもまたそうとも言えない。

そうならば、そういう抵抗することのできない社会の変化に対応すべく、公共のほうもシステムの在り方を柔軟に変化させていくほかない。数年前に「女性専用」という摩訶不思議な車両を東京の鉄道会社が導入し、世界に日本の異常性を見せ付けたが、今こそこのような空での時間の過ごし方に対して、独自の対策を採用する航空会社が現れるべき時代に入ってきているのだろう。

それなら何が可能かというと、やはり子供連れの乗客にはある一定のシートを「優先して」割り振り、他の乗客と距離をとって空間を分離する方法しかなくなってくるように思える。KLで宿泊予定のホテルも、明確に「12歳以下の子供はお断り」とうたっているように、これは「差別」ではなく「区別」であり、たとえ自分の子供が泣かなかったとしても、同じ子供を持つ親としてそのリスクを共有し、その空間を共有すること。そんなことを実行する航空会社がでてきてもおかしくない時代に来ているのだろう。

後部の座席は子供連れが座るようにして、前に来るにつれて、ところどころに防音の良く効くカーテンで仕切っていく。泣いた子供をあやす姿を横の親が「大変ですねぇ」という言葉にも、これならより一層の重みが加わるというもの。

グローバルに展開する世界では、如何に「差異」化するかが生き残りの道であり、その中では逆に子供連れの乗客はお断り、という航空会社が出てくるかも知れない。そうすれば、子供連れもOKですというチケットはもう少し安くなって差異化が加速し、後は顧客の「選択」次第ということになる。リスクを知り、自らが「選択」をした結果であれば誰も文句は言えないが、「選択」が与えられない中で、ただ「偶然」に乗り合わせてそれを強制されるよりははるかに納得感が増えることになる。

自分の立場によって意見がブレまくるこの問題だが、時代の流れを考えると、上記のような勇気ある航空会社が現れるのもそう遠くは無いなと確信する。

どんな時代に入っていっても、公共性というココロを失うことはしたくないなと心に誓う空の上。