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2017年4月30日日曜日

「マンチェスター・バイ・ザ・シー」 ケネス・ロナーガン 2016 ★★★

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2017年アカデミー賞ノミネート作品
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最近のアカデミー賞のノミネート作品は、どれもこれも重い内容のものばかりなのか・・・と少々鬱々としながらも見終えた一作。

主人公を演じるケイシー・アフレックはベン・アフレックの弟ということもあるが、それよりも「インターステラー」で主演を演じていたのも同じ俳優だというのに驚く。重い過去を背負いながら言葉少なくも、実直に生きる中年男性を見事に演じている姿から、その高い演技力に納得せずにいられない。

物語が進むにつれ、徐々に明らかになる主人公の辛い過去。地元から離れ言葉少なく懺悔するかのように毎日を淡々と生きるその理由と、周囲の人との接触をできるだけ絶ちながらも、自らの中にある後悔に苦しみんがらあがく姿が、寒々しくも美しい北アメリカの町の風景と共に描かれる。

一人の人間の負った深い悲しみと、それが原因で人間関係も全ても失って孤独の中で生きる姿。人生に絶望しながらも、どんなに地元に戻れない理由があろうとも、家族のつながりで否応無しにコミュニティの中に引き戻され、見るのを避けてきた事柄が日常の視界に入ることで、更に過去の悲しみを突きつけられることになる。

登場する全ての俳優の演技も素晴らしく、そしてその心情を物語るような風景の撮影方法もまた美しく、映画らしい一作であるのは間違いない。そしてその内容から各映画賞で高評価を得ているのもまた納得。全編を通して流されるBGMも教会音楽のような響きで、カトリックの強いボストン郊外の街の雰囲気を感じ取ることが出来るのも、なんとも気の利いた演出をする監督だと思わずにいられない。
ケネス・ロナーガン(Kenneth Lonergan)


ケイシー・アフレック


ルーカス・ヘッジズ




ミシェル・ウィリアムズ

2017年4月15日土曜日

「ライオン~25年目のただいま」 ガース・デイビス 2016 ★★

ある日の新聞で、この映画に関する記事を目にした。

実話を元にした話であり、インドの駅で家族からはぐれ迷い子となり、その後家族を見つけることができず、オーストラリア人夫婦の元へと養子縁組で移住したインド人の青年が、成長後自らの本当の家族への想いに駆られ、グーグルアースと自らの記憶を元に細い糸を手繰るようにして自らの家と家族を見つけるという内容。

今年のアカデミー賞の作品賞の候補にも上がっており、様々なところで高評価を得ているというのは聞いていたので、ぜひとも見ておくべき一作だろうと手にとることにした。

主演のインド人の青年を演じるのは、デーヴ・パテール。「スラムドッグ・ミリオネア」でかつてアカデミー賞作品賞を受賞したあの少年がこれほどの青年に成長した姿をみるのは、それはそれである種の感慨を感じることになる。

ニコール・キッドマン演じるオーストラリアのタスマニアに住む豊かな夫婦は、わざわざインドから養子を引き取るのは、自分たちに子供ができなかったからではなく、この世界にはすでに多くの人間がいて、それを増やすことよりも、すでにこの世にいて、恵まれない子供たちを引き取り育てることの方が、この世界に何か良いことをできるのではという信念によってだと話を主人公に語ることが、結局はインドに赴き家族に再会するのを後押しするあたりも、誰がどう見てもポリティカル・コレクトネス満載の一作であり、その意味で様々なところで高評価を得ているのもまたしかり、

冒頭のドローンによって可能になった新しい映像美が、スケールをまったく無視してズームインしていくグーグルアースの映像とリンクさせる手法など、映像の観点からみても素晴らしい点はあるのだろうが、記事で読んだ物語のそれ以上でも以下でもないという感想を持って見終えた一作。

ガース・デイビス(Garth Davis)









デーヴ・パテール (Dev Patel)
ルーニー・マーラ(Rooney Mara)





2016年2月3日水曜日

「子どものまま中年化する若者たち 根拠なき万能感とあきらめの心理」 鍋田恭孝 2015 ★★


鍋田恭孝

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子供の頃思っていた、「大人になったらどうなっているんだろう?」という問い。漠然と、大人になるということは、いろいろなことができるようになり、知識も増え、様々な責任も受けながら、忍耐強く、自分のことは我慢してでも家族を優先し、社会の中で立派な人間として認められる。そんな漠然としたイメージを持っていた。

その時想定していた「大人の年齢」をはるかに超える歳になっているにも拘らず、当時の想定からは大きく離れた未熟なままであるが、それでもなんとかそのギャップを埋めようと意識は持つようにしている。

しかし、どうも世の中ニュースなどを見ていると、そうでもない人が多いようである。電車の中で周囲の人が見てようがお構いなしでマンガ雑誌を見入ったり、携帯でゲームにふける。そんな「公と私」の境目が曖昧なままに都市の中に垂れ流されている人々や、自らの欲求を理性によって押さえるなどして適正に制御しきれないまま周囲に撒き散らす人々の様子は、ニュースや書籍でいくらでも目にすることができる。

そんな明らかに「大人としての自覚」をもって「成長しなければいけない」という思いと焦りを持って日常を過ごすのではなく、刹那的に今の快楽を求め、短期的に生きている人たちが増えているのは間違いないであろう。それが若者に限ったことではなく、中高年と呼ばれる「いい大人世代」の中にも、いまだにそのような人がいる。

ひょっとしてどの時代もそんなもので、大人としての適正がないままに成長している人というのはある程度の割合いたのかも知れないが、それでも自己中心的な振る舞いで、小さい子がおもちゃ売り場で駄々を捏ねている様を見ているようないい大人の見苦しい振る舞いが日常のあちこちで見受けられる、そんな時代になってきている。

その変化がいったいどこから来ているのか?社会のどのような変化がその子供のまま大人になる人々を増加させているのか?それを少しでも知り、できるだけそこから距離を取るために手にした一冊。


以下本文より、
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/何もかもあるのに何もない世界
何もかもあふれるほどにそろっているのに、手ごたえのあるもの、信ずるもの、理想や希望、守るべき規範などが失われた世界

/子供のまま中年化する若者たち
いつまでも親離れせず、遊び気分を抱き、ファンタジーの世界を好み、未熟な自己中心性を抱き、友達からの承認を求め続けるなど、子供のままの生き方をする。その一方でリスクを避け、今の生活レベルを守り、家族だけを大切にし、上から言われたことには反抗せず、与えられて狭い世界に順応し、ワクワクすることよりも、ゆったりできることを望み、何よりも居心地の良さを大切にする。

第1章 いま若い世代に起きていること
/買い物に行っても選べない、選びたくない
心地よい刺激に対しても、量が多すぎると反応しなくなる
幼児が喜ぶあやす行為をすると、途中までは喜ぶが、ある一定の頻度を超えると反応しなくなる

/思い付き・遊び感覚の犯罪の増加 
代わって増えたのが、「いきなり型」「暴発型」の犯罪
「思い付き型」「遊び感覚型」の犯罪
川崎の13歳の少年 遊び感覚

第2章 精神科臨床30年の現場から
山竹伸二「認められたい」
コミュニケーション能力が重要になり、「空虚な承認ゲーム」
「社会の承認」が不確実なもの、コミュニケーションを介した、「身近な人間のしょうんん」の重要性が増している
多少、不本意なキャラでも、承認を失わないように演じ続ける
キャラからはみ出すことは許さない

/社会の規範・役割にぶち当たって途方にくれる
わが国においては、大学までは学生は大切にされる。会社は、何といっても生存競争の中にある。

第3章 悩めない、語れない若者たち
/「コミュ障」とは何が問題なのか
斉藤環 現代のコミュニケーション・スキルにおいて、好ましいとされる属性は、「メッセージ内容の軽さと短さ、リプライの即時性、頻繁かつ円滑なやり取り、笑いの要素、顔文字などのメタメッセージの多用、キャラの明確さなど」
短く、浅く、身近な内容
コミュ障
語れなさ 自分の思いや考えをイメージ化して言葉にする能力 自分の体験を物語として語れない
語りの乏しさとともに反射的活主観的で一方的なコミュニケーション

/心の中からも村社会が消えた
親が優しくなった
何とか社会(村社会ともいえよう)に参入しなくてはならない
親からの働きかけもなくなっている
共同体感覚が消失した

/植物化とクラゲ化の二極化が進む
培養植物化 クラゲ化

第4章 「青春」がなくなった人と世界
/生きる力のベースとなる枯渇感と満足感
枯渇感が消えた
ものも情報も、多すぎてはいけない

/人間関係も時間軸もフラットなバーチャル世界
世の中の厳しさを知り、大人として生きるためのしつけや訓練も、与えられなくなった

/10歳までの育てられ方が一生のペースをつくる
今後養育格差社会が生まれる
子供を健やかに安定した人物に育てるのは家族だけ
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■目次  
プロローグ
/何もかもあるのに何もない世界
/「それは無理です」
/植物化する男子、クラゲ化する女子 
/ワンパターンでモノトーン
/子供のまま中年化する若者たち
/他国とは異なる変化が起きている?

第1章 いま若い世代に起きていること
・もはや動物でなくなりつつある-学童期の子供たちの変化
/さまざまな身体機能の低下
/物事を統合して把握できない
・あきらめ、流されて生きるー思春期の若者たちの変化
/多くの調査結果から見えてくる思春期像
/反抗期の減少ーいつまでも親が大好き
/買い物に行っても選べない、選びたくない
/思い付き・遊び感覚の犯罪の増加 
・言われたことはまじめにやる ー青年期の変化
/学生たちとの驚くべき経験
/車はほしくない、コスパには敏感
/将来は不安だけれど現在には満足
/親元から離れない、無理しない
・群れになれない世代ー学童期から青年期まで一貫している変化
/グループ活動が成り立たない
/自分ひとりの小さな世界で

第2章 精神科臨床30年の現場から
・思春期・青年期の心の病の変容
/古典的な神経症の対人恐怖症は軽症化
/摂食障害・BPD・不登校は70年代から増加
/90年代半ばからすべての疾患の病像が変化
・古典的な対人恐怖症から「ふれあい恐怖」「承認不安」へ
/わが国の伝統的な葛藤を抱えた若者・K君
/2011年に受信したR君ー現代型対人恐怖症
/「身近な他者」の承認を求めて汲々とする
・摂食障害の変化ー激しい拒食から、漂う過食へ
/「完璧な良い子」の強烈な自己主張・A子さん
/親・治療者への拒否的エネルギーが弱いB子さん
・苦しむ不登校から葛藤なき不登校へ
/優等生の息切れ型不登校・J子さん
/葛藤なきタイプ・語れないタイプの増加
・沈静化した家庭内暴力
/開成高校生殺害事件のT君
/川崎金属バット殺人事件のI君
/高学歴神話が生んだ悲劇
/ネット回線を切られて暴れたG君ー最近の家庭内暴力
・増加する若者のうつ病ー現代型うつ病の登場
/典型的な従来型うつ病のY君
/現代型うつ病(新型うつ病)とは何なのか
/「うまくいかないのは会社のせい」のX君
/やさしく、素直すぎ、周囲にあわせすぎのW君
/社会の規範・役割にぶち当たって途方にくれる

第3章 悩めない、語れない若者たち
・すべてにおいてエネルギーが低下ー元気のない若者たち
/飛行も病気もおとなしくなった
・反射的・断片的なコミュニケーション
/「わからない」「別に」「何となく」「びみょう」 
/「コミュ障」とは何が問題なのか
・自分から動けないー主体性の低下
/少し困るとすぐに固まる
・社会参加へのモチベーションが低下
/心の中からも村社会が消えた
・理想を追い求めない
/理想の自己像がないから葛藤もない 
・脆弱な子供のままの若者たち
/根拠なき万能感ゆえの、傷つきやすい自己愛 
・「症状が出せない」「病みきれない」若者たち
/症状を出すだけの力がない
/様々な症状が断片的に出てくるU子さん
/リストカットを続けて死んでしまった南条あやさん
・自分の世界にこもる若者・状況に漂い続ける若者
/植物化とクラゲ化の二極化が進む
/多くを望まなければ生きていける

第4章 「青春」がなくなった人と世界
・世の中から失われたもの
/明治維新以来の成長神話の終焉
/世の中から理不尽が消えた
/親に反抗し、異性に恋い焦がれる「青春」が消えた 
/生きる力のベースとなる枯渇感と満足感
/群れて進化してきた人間から「群れ」が消失
・新たに、我々の環境に溢れてきたもの
/自分は有能で評価に値する人間だという思い込み 
/生活の隅々まで行き渡った巨大システム
/人間関係も時間軸もフラットなバーチャル世界
/世界のスピード化は人間をどう変えるか

第5章 日本人はこのまま衰退するのか
/「ワクワクするのは疲れます」24歳L君
/「もう人に気を遣うのに疲れました」23歳Hさん
/子供のまま諦めの中年期を生きる
/「成熟社会の宿命」だけでは説明がつかない
/若者の亜スペルがー傾向が進んでいる?
/不幸ではないが、ぼんやりと不安
/狭い世界の身近な理不尽が押し寄せる
/10歳までの育てられ方が一生のペースをつくる
/経済格差より深刻な養育格差
/親は子をどうのうに育てればよいのか

エピローグ
/新しい若者・新しい頑張り方
/植物的な生き方こそが時代に遭う
/やっと足元を見るようになった

あとがき
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2016年1月9日土曜日

「35歳のチェックリスト」 齋藤孝 2014 ★★


この本の存在を知ったときにはすでに35歳を過ぎてしまっていたが、「念のために・・・」と自らの今までの人生の過ごし方とこれからの時間のために「人生の棚卸し」をどうするかの参考書として読んでみる。

好きな友達と遊んで、興味のある異性とデートを重ね、自分の時間とお金を自分の好きなように使える時期から、結婚をし家族ができて自分のためだけではなく、誰かのために、誰かを守るために人生を生きるようになってくる35歳。そんな時間の過ごし方の変化は、そのまま今までの人生の過ごし方を何かしら違いを求めることになる。

「誰と過ごしているのが一番楽しい時間ですか?」と問うのは、今までどおり愚痴を言い合いストレスの発散目的だけの楽しい時間を過ごす生ぬるい友人との時間ではなく、「5年後の自分にわくわくした喜びを与えてくれる」を基準にして、自らの周りで誰がその刺激を与えてくれるのか、その人と時間を過ごすことがどう自分の明日に活力を与えてくれるのかを基準とすることとする。

これは分かっているけどとても難しい。誰もが働き盛りとなる40代に向けて、昨日よりも今日、今日よりも明日の自分が職業人としてどう向上するか考えて日々過ごすのであるが、それと同時に毎日やるべきことはたくさんあり、終われるようにして目の前の業務をこなし、それに付随するさまざまな人間関係、ストレスに追い詰められ、そんな中でどうにか息抜きと気の置けない友人とあーだこーだといいたくなるのもまたこの年代の求めるところ。

「自分の出身大学を話題にすることはありますか?」では、社会にでてすでに15年近く経った今、それでも出身大学の話で自らのプライドを保とうとするのはすでに賞味期限が切れており、それよりも社会に出てから今まで自らの実績は何かをもとに人間関係を構築すべきだと釘を刺す。フロイトを引用し「人間は生まれつき、快を求め、不快を避けようとする快楽原則を本能的欲求として持っています」という高きから低きに流れやすい人の惰性に苦言をさす。

「ツイッターやフェイスブックを頻繁にチェックしていますか?」では、誰でも日常的に友人や人生で一瞬すれ違ったような人の日常を否が応でも見せ付けられるような現代のSNS漬けの社会。その中で、自らのアイデンティティを誰かとの比較、相対的に位置づけるような過ごし方をしていれば、いつまでたっても「つながっていないと不安だ」「自分の存在感を示すために発信せずにはいられない」ということに陥りやすくなると。

「知的好奇心にブレーキをかけない」では、「何かに対して興味、好奇心が持てないと、人は閉じていきます」と著者らしい言葉で読者を煽り「知的好奇心を失った時点から、老け込んでいく。年寄りくさくなります」とばっさりと切って捨てる。「本を買うことに我慢しない」では、「知的好奇心とは、何かを吸収したいと言う意欲を持てているかどうか。知的体力は、若いころの差よりも、むしろ35歳以降をどうすごしていくかでどんどん差が開いていく部分。読書量。それから何かを習う。学ぶこと、自分へ投資し続けることをやめてしまうと、人間、頭打ちになってしまいます」とたたみかける。誰もが分かっていながらも、疲れていたり、子供の相手で忙しかったり、ネットの動画をついつい見てしまったりと、読書というある種の時間と集中力と身体の拘束を必要とする作業よりも、現代社会で他に幾らでも無料で得られる受動的で享楽的な時間の過ごし方についつい流れてしまうことを反省する。

「目から鱗」のことは決して多くはないが、35歳と自分の将来を心配して本気で自分の毎日の過ごし方に対して苦言を呈し、怒ってくれる人がいなくなる年頃にとって、こうして耳が痛いと思う言葉を胸に刻んで先の人生に向けて、今までの、そして現在の自分の日常の過ごし方を振り返る良いきっかけとなる一冊であろう。

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■目次
はじめに

【第1章】人は35歳で大人になる
1)35歳で何が変わるのか?
2)35歳は「大人」になる最後のチャンス
3)「35歳から」をデザインしよう
コラム あの人の35歳をチェックする 池井戸潤/堀江貴文/タモリ

【第2章】不安を自信に変える作法
1)人生の収穫期への準備をしよう
2)今の会社で「攻め」の姿勢を貫こう
3)30代の仕事力チェック
4)35歳、「できる人」と言われるには
5)できる人ほどポリバレント
コラム あの人の35歳をチェックする ビートたけし/安藤忠雄/奥山清行

【第3章】人生の迷いを吹っ切る技術
1)20代と30代で「幸せ」は激変する!
2)あなたが本当に「急ぐべき」リアルな理由
3)幸せを更新しよう
コラム あの人の35歳をチェックする ヤマザキマリ/菊間千乃

【第4章】35歳からの心技体の整え方
1)ビジネスマンにとって体力とは何か?
2)「疲れさせない」技術
3)ビジネスは「対人体力」で決まる
4)知的好奇心にブレーキをかけない
5)35歳で「真の花」を咲かせよう

おわりに――なぜ35歳なのか。
あとがき
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2015年12月29日火曜日

「大人のひきこもり 本当は「外に出る理由」を探している人たち」 池上正樹 2014 ★★★


現在の日本であれば、恐らくどこの地方都市にいっても当たり前の様に見られるようになった光景。家の周りを見渡しても、親と同居する中高年のひきこもりを抱える家庭があちこちに散らばり、親の仕事を手伝ったり、親の年金で生活をしたりと、なんとか生活を繋ぎとめている状態。

迫り来る親世代の死というタイムリミットを誰もが理解しながらも、外に出て社会の中で仕事を得て、糧を得るということがなかなか難しくなるのは、ひきこもりの時間が長引けば長引くほど。

誰もが分かっているけれど、誰もが解決策を見つけられず、放置することで問題を先延ばしにしつつ、更に状況を深刻化する。「家庭の恥」と隠すことによって問題は外から見えず楽なり、濃密な関係の家族間のみでも互いの軋轢はより激しくなるばかり。

そんな閉じられた関係性の中で互いを傷つけあい、時にどうしようもなく、親が子を、子が親を殺してしまう事件が起こる。そういうニュースを元に、世間に隠されていた実態が知れ渡る。

その当事者である「子」が、10代や20代でなく、40代や50代の立派な「大人」と言われる年齢であることに当初は驚きをもって受け止めていたのもすでに昔のこととなり、今では当たり前のニュースとして頻繁に繰り返される。

「家庭」というものが、社会や世間からのストレスを和らげ、個人のプライドを守り生きていく為のシェルターとして機能するのは当然であるが、同時に一人の社会人としてどうしても社会と向き合いながら様々な思いや重圧を折衷しながら関係性を構築し、自らの居場所を確保していく、そういう厳しさや辛さを人は誰でも受け入れなければ行けないのもまた事実。

家庭の形が変わり、社会との関わり方が多様化した中で、どうすればいいのかは決してひとつではなくなった時代に、家族のメンバーがそれぞれに社会との関係性を健康的に構築できる、それはとても難しくなった時代。

社会のあちこちで、ポツポツと沸点に達した水のようにチラホラと見えてきたこの問題であるが、それでも臨界点に達するのは、親世代が動けなくなったり、介護が必要になったり、亡くなっていくであろう数年から10年後。

少なくとも状況をこれ以上難しくしないためには、家族以外との縁をできるだけ切らないようにすること。地域との縁。友人との縁。社会との縁。声を上げられない家族に代わって、周りから「大丈夫か。こうしたらどうだろうか?」と声と手を差し伸べられるように、縁を切らないためにも、同窓会などが果たせる役割もきっと多いのだろうと想像する。

以下本文より。
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電車に乗ると、腹や頭などが痛くなって、家に引き返してしまう

「ひきこもり」該当者のうち、半数近くの約45%は40歳以上の中高年

こういう問題は家の恥として表にでてこない

/7割が男性、10年以上が3割
ほとんどが家族と同居 不登校 失業

/「自分の将来を見るようで怖い」
2011年2月3日 クローズアップ現代 「働くのがこわい、新たなひきこもり」
実は自分の身にも起こりうる

/他人に頼るべきではないという風潮
「ひきこもり」の人たちが社会復帰を望んでも、ひきこもっていた期間により生まれる履歴書の空白や社会経験の不足が、自立への道をそばむ
気力がなくても、実家にいれば何もしなくても生きていける

/行過ぎた成果主義が社員のつながりを寸断
東北地方の支店から本社に転勤
成果主義の流れがこれまでの個々のつながりを寸断し、同僚や部下を気遣うサポート体制も崩れてしまった
労働の流動化時代が到来

3 ひきこもる女性たち「それぞれの理由」
/出口のないトンネルを抜け出せない
どうして働いている若者のほうが、働いていない高齢者の方よりも収入が少ないのか?
どうして真面目に働いてきた自営業者のほうが、生活保護受給者の方より収入が少ないのか?

2 「迷惑をかけたくない」という美徳
/「迷惑をかけるな」という風潮
力のある人に都合がいい、弱い人には厳しい社会

3 「家の恥」という意識
/貧困・引きこもり・孤独死
ひきこもる当事者を抱える家族は「家の恥だから」と、本人の存在を長年にわたりかくして続けていることが多い

/「いちばんの家並みはお金がないこと」
Uさん一家の収入は現在、母親の年金のみで、月に8万円ほど
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■目次  
第1章 ひきこもりにまつわる誤解と偏見を解く
1 データが物語る「高齢化」
/「ひきこもり」と「ニート」は違う
/情報が無いからキッカケもないし何も変わらない
/新たなひきこもり層が明らかに
/支援するほうも「どうすればいいか、わからない」
/「40歳以上」が半数
/7割が男性、10年以上が3割
/認知されていない厚労省の支援事業
/暴力や変化を恐れる親たち

2 ひきこもりの「潜在化」
/「自分の将来を見るようで怖い」
/他人に頼るべきではないという風潮
/ずっと孤独だった
/どこに助けを求めればいいかわからない
/会社を辞めれば追跡されることもない
/行過ぎた成果主義が社員のつながりを寸断
/”追い出し部屋”がきっかけ
/こうしたひきこもりは大量生産され続ける

3 ひきこもる女性たち「それぞれの理由」
/息子の就活失敗を機に母が「買い物にも行けない」
/出口のないトンネルを抜け出せない
/長男とひきこもる元エリート母
/セクハラがエスカレートして
/「老後破産」激増の危機

第2章 ひきこもりの背景を探る
1 「立ち直り」を阻害するもの
/ハローワークの「怪しい求人」と「神様スペック」
/足元を見られる中高年応募者
/仕事を選ばなくても雇ってもらえるとは限らない
/代表戸締役社長
/300戦全敗
/資格はまるで役立たず
/玉石混交の人材紹介会社
/辞めさせないブラック企業

2 「迷惑をかけたくない」という美徳
/まさか30代の娘が同居していたとは
/「迷惑をかけるな」という風潮
/傷つけられ、封じ込められて消えてゆく
/働けず生活保護も受けられず
/侮辱的屈辱的な答えが戻ってくるだけ
/「常に世の中からはじまれてきた」という疎外感
/精神的なさせとなるものが少ない

3 「家の恥」という意識
/貧困・引きこもり・孤独氏
/都会の会社を辞めて実家に帰ったものの
/「いちばんの家並みはお金がないこと」
/家族ごと地域の中に埋没していく
/70歳の父親が息子の将来を悲観して殺害
/「消えた高齢者」とひきこもりの共通点

4 医学的見地からの原因分析
/トラウマとひきこもり
/内海の水位が上がっている次代
/生命力を取り戻すカギ
/ADHDとひきこもり
/診断基準
/強迫症状と依存症
/一緒にできることを考える
/自閉症とひきこもり
/特効薬が誕生する可能性
/薬物治療の意義
/慢性疲労症候群とひきこもり
/かかりやすいタイプ
/緘黙症とひきこもり
/「大人になれば治る」はずが
/年齢によって緘黙の質は変わる
/自分自身を変える大きなチャンス

第3章 ひきこもる人々は「外に出る理由」を探している
1 訪問治療と「藤里方式」という新たな模索
/共感を呼んだ活動
/拒絶されるのは当たり前
/一人暮らしをサポート
/18ー55歳の10人に一人がひきこもる町で
/ひきこもりの自覚が無い人もいる
/いろんな人が出入りするための工夫
/試行錯誤を行うほどに希望が湧いてくる

2 親子の相互不信を解消させたフューチャーセッション
/縦割り組織を乗り越えるための取り組み
/親には自分を信じてほしい
/自己満足な支援になっていないか?
/家族会にFSを取り入れてみると
/対決ムードが一変
/親子が一致した瞬間
/対話の大切さ

3 ひきこもり大学の開校
/化学反応が次々と
/「ひきこもり2.0」の始動
/美人すぎるひきこもりを売り出す
/ひきこもり大学解説の経緯
/「空白の履歴」が価値を生み出す
/地方でも開催
/ひきこもり当事者ならではのアイデアとニーズ
/ひきこもる人たちが駆け込める場所
/きっかけがあれば外に出ていける

4 外に出るための第一歩――経済問題
/支援制度
/面接は必須
/第二のセーフティネット
/住宅支援給付の要件
/「お知らせしていないわけではないが」
/押し付けではないメニューを
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2015年12月5日土曜日

「NHKスペシャル|調査報告 介護危機 急増“無届け介護ハウス” 」 NHK 2015 ★★


2016年の日本。どんな都市に住んでいようとも、現役世代は親世代やその上の祖父母世代の介護問題を、現実問題として常に日常の中にあるか、すぐ横に迫っている。誰もが家族や親戚の中で、介護が必要になった高齢者をどうの施設に入れるか、また費用や待機の問題で入れることが出来るか、そしてそのやり取りにおける家族への負担を実際に体験しているはずである。

それと同時に、この10年近くで地方を巡ると大きく風景が変わったことに気がつくことになる。「こんなところに大きな施設ができたけど、なんだろう・・・」と思うような施設は大概、この様な高齢者ケア施設であることが多い。非常に控えめで、決して目立つことなく風景に溶け込もうとしているが、それでもやはり何かしらの違和感を風景に与える結果になっているのは否めない。

そんな高齢化社会が実際問題として社会の風景を変え始めた現代。政府が取った方針は、できるだけ「在宅介護」を推し進め、社会保障費を抑制しようとする政策。病院側には、患者の多くを在宅に帰さなければ診療報酬を加算しないようにして、無期限に受け入れるのではなく、できるだけ「帰宅」という結果を出させようとし、また逆に高齢者側にも比較的低予算で入所することが出来る「特別養護老人ホーム」への入所条件を厳しくすることで、現在でも多くの人が待機老人として入所街しているにもかかわらず、更に入所できない人を増やすことになっていく。

そうなると、自らの経済的負担を増やして、民間のケアハウスなどに入所しろということになるが、それには驚くほどの費用がかかるのは、恐らくどこの家庭でも既に経験済みにことであろう。何百万、何千万という費用を払ってケアをしてもらうか、それとも仕事を辞めたりやり方を帰ることで、家庭の中から誰かが介護をするか、いわゆる介護格差がより一層鮮明になることになる。

そんな状況の中ある意味必然として登場するのがこの無届け介護ハウス。その内容はいくつか異なるケースがあるが、この状況に苦しむ人々に対しての受け皿をなるべく、低予算でも十分なケアが受けられる施設を高齢者やその家族の視点から考えて社会に提供しようとし、空き家となった民家に手を入れて、共同で生活を営みながらケアを提供するというケースにおいては、政府が定める施設の設備まで完璧に満足するには相当な費用がかかってしまい無理ではあるが、実際問題として生活を営み、困っている家族の負担を軽減するための使用できる施設としてはなんとか十分であるという状態であり、その為に行政側からとしては基準を守るために改修をするなどの要求を突きつけられ、それが出来ないなら施設の運営を取り消す処分を行うなどの厳しいやり取りが行われている。

そうで無いケースは、「安かろう、悪かろう」ではないが、この状況を一つのビジネスチャンスと見込み、誰も使わなくなった建物のストックを利用して、高齢者の生活に相応しい建物として改修することなしに、とにかく家庭では面倒を見れなくなった高齢者を家から出し、その受け皿として低予算で入ることが出来る場所を提供するという施設も登場してくる。もちろん、集団が共同で生活する、更に身体の不自由な高齢者であるということを考えれば、火災など何か発生したときに大きな問題になるのは目に見えている。

だからこそ行政側もできるだけこれらの施設を取り締まろうとするが、それでも社会のいたるところに、こういうレベルの施設でも高齢者を受け入れてくれ、自分達の負担が軽減するのは非常に助かるという家庭があるというのも現実であり、彼らに上記の非常に高額な民間の受け入れ施設を許容できる経済的余裕があるかと言えば、決してそうではなく、その社会の歪が徐々に大きくなっていっている。それが現在の日本。

恐らく、今後都市部よりも地方都市の方が、この社会問題によってどんどん風景が変わり、その速度はより加速するものと想像される。それぞれの場所で生まれた人々が誰でも入れることの出来た小学校や中学校。それと同じ様に、人生の最後に誰でも低予算にて入ることの出来、そして決して贅沢ではないが必要十分なケアが受けられる終末を迎える施設はどうにかして行政側で作り運営していく、それが本当に必要な時期になってきているのだろうと想像する。

その為には、本当に税金が不必要なところに回されたり、途中で搾取されたりと消えたりすること泣く、明確にどんな使い道がされたのか、それがどんな効果をもたらしているのか、そんな風に国の運営の仕方が変わっていくことを願うばかりだと思いながらテレビを消すことにする。



2015年4月27日月曜日

貧困の原因

「貧困」や「格差」が叫ばれて久しくなった現代の日本。

「絶対的貧困率」「貧困線」などそれを定義するには様々な数字が並べられ、みんな自分が「社会の中でどのあたりにいるのか?」を知るために気をもむことになる。

収入は少なくとも、多くの友達に囲まれ十分に幸福そうに日常を過ごす若者がいたり、大きな会社で勤め上げたにも関わらず、老後一人で社会とのつながりを持たず、苦しみながら過ごす人がいたりと、「貧困」の定義はなかなか見えづらい。

「最貧困女子」の中でも語られるように、同じような低収入しかなくとも、ある女性は社会から孤立し、性風俗業界を渡り歩くことでなんとか人生を紡ぎ続ける貧困の日常にいるが、ある女性は地方で中学からの友達とつるみながら、お金が無いなりにうまくやりくりをしながらそこそこ幸せな日常を暮らしている。

その違いは何なのかと考える折に、作家の橘玲が非常に分かりやすく「貧困に陥る」とはどういうことかを説明している。



経済通の作者らしく、人の持ちうる「資本」を「人的資本」「金融資本」「社会資本」の三つとし、「人的資本」は如何にその人自身が社会の中で活躍する能力があり、仕事をこなし報酬を得る力を身につけているかとし、「金融資本」は収入や資産など、その人が持っているお金の多さを意味し、最後に「社会資本」とは、友人や地域とのつながりの強さや、困った時に助けてくれる家族や親類の多さを示す。

こうしてみると、地方でマイルドヤンキーと呼ばれる収入は決して高くは無いが、多くの友達に囲まれ、地域のつながりを強固に持っている人々は「人的資本」や「金融資本」は低いけれども「社会資本」は非常の高いので、貧困に陥ることなく幸せな日常を過ごせるとする。

今はまだまだ社会で認められてお金を稼げる段階ではないが、一生懸命勉強をし修行をしながら自らの技術や知識を磨いている若い世代は「金融資本」は将来的な「人的資本」への投資を行っている段階だとする。

そしてこれらの三つの資本をすべて失っている状態が「貧困に陥る」状態だと定義する。
と同時に資本を一つしか持っていないと、何らかの拍子にそれも失って「貧困」に陥るリスクが高いとする。

仕事を一生懸命しても、それがプロフェッショナルとして「人的資本」に繋がっていなければ、頑張って収入が上がっても、それは他の「資本」を構築していないので、何かしらの原因でその仕事を失ったら「貧困」に陥る可能性がある。

同じように、必死に仕事をして友達や家族とのつながりをないがしろにし、徐々に身の回りから近しい人がいなくっていると、これも何かの拍子に仕事を失ったりとする際に「貧困」に陥る可能性が高いという訳である。

つねに二つ以上、できれば三つの資本をバランスよく向上していくこと。適齢期に結婚をし、子供を作り、両方の親とも程よりつながりを持ち、昔からの友達とも友人関係を続けながら、仕事も自らの職業人としてのキャリアを意識しながら能力を向上させつつ、それが収入の向上と同調する。

そんなスーパーリア充「超充」がベストだということになる。そうはっきり言われるとハードルの高さにげんなりし、なんとも億劫になってしまう。

まぁなんだかんだ言いながら、「貧困」なんて相対的なもので、最終的には「自分がどう捉えるか?」によってしまうかなり主観的なものである。例えば同じものでも、ある人にしたら「こんな素晴らしいものを得られてなんて自分は幸福なんだ」と思う一方、ある人にとっては「こんなものしか得られない自分はなんて不幸なんだ」と。

旅行や、ファッション、食事、生活。すべてにおいてこの心理的な受け取り方の違いは発生する。それはその人が何をスタンダードとして捉えるか、どれだけのことを知り、経験して、物事のレベルを詳しく知っているかに拠ることになる。本や映画による疑似体験やそれによって養われた想像力によって補完されることもあるだろう。

それに自分の身の丈を十分に理解し、無理をして背伸びをしないこと。それによって、同じ量でも「これだけか・・・」と思うのか、それとも「こんなにも・・・」と思えるのか、それで幸福度は変わり、心理的な「貧困」からの距離を変化する。

そんな訳で「人」「金」「社会」という三つの資本を高める意識を忘れずに、なおかつ身の丈にあった日常を生きつつ「想像力」を養いながら生きるのが、あっちにもこっちにも潜む「貧困」の落とし穴に嵌らずに生き残る術なのだと納得することにする。

2015年4月18日土曜日

「「悩み」の正体」 香山リカ 2007 ★★

大人になるほど、
仕事の責任が大きくなるほど、
家庭を持ち、家族が増えるほど、
日々の「悩み」は右肩上がりに増えていく。

人と接するから摩擦は起こり、仕事を頑張るからできないことで悩み、そんなことならいっそ、社会から離れ、上昇志向を待たず、できるだけ人との関係を絶って生きていく。そんな日常のほうがどれほど楽か。

なんて考えることも少ない無いが、それでもこの世の中で生きていくためにはどうしても、社会の中でストレスに晒されながらも生きるために、生活するために働いてお金を得ていかなければいけない。

自分一人がこの社会の中で生きていくだけでも、相当なお金がかかるのに、ましてや家族を養っていくとなるとどれだけ頑張って外で働かなければいけなくなるのかは想像に難くない。

そんな社会と、自分の感情との葛藤で生まれるのが悩み。複雑に絡み合い、様々な人たちの参加によって運営される社会であるからこそ、自分一人の思いのままに物事は運ばず、嫌な思いをしながら、不条理なことだと思いながらも、ぐっと心の中に溜め込み顔は笑顔を保たなければいけない。

そんな「悩み」だらけの現代社会。余裕があれば、それを「悩み」と取れることなく、うまく消化できるのかもしれないが、そんな時間的余裕を与えられるわけでもなく、ひたすら「悩み」に負けそうになりながらも、なんとか心を定常状態に保って今日も生きていく。

現代に生きるものとしてその状況から逃げ出すことができないならば、せめてその「悩み」に立ち向かい、分析し理解して消化を良くすること。そんな思いで手に取るが、中には出るわ出るわ、身の回りにもなんだか会ったことがありそうな人たちが。それぞれがそれぞれの「悩み」を抱えて生きている今、どこかの暗い路地裏で喪黒福造に「ドーン!」とされて悩みをリセットしたいと悶々としていそうな同志達。

これを読んでも悩みは解決しないのは、そのタイトルを見れば分かるけど、それよりも他の皆が自分と同じように悩み、もがいている姿を第三者の視点で眺めることで、結局は世阿弥の 「離見の見」 の様に自分を距離を置いて捉えることができる。

以下、本文より一部抜粋
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その「悩み」は悩みとして正当なのだろうか
そもそも、「世話になった祖父が恒例になったことに伴う介護」が、個人だけが抱える、「悩み」にならなければならないと言うこと自体が、おかしいのではないか

本書で取り上げる「悩み」の多くは、恐らく10年前、20年前だったら、「悩み」にならなかったようなもの、あるいは「悩み」になったとしても、ちょっとした生活の知恵や工夫、まわりの人の手助けで重症にならずにクリアできたようなもの

嫌われるのがこわい――人間関係編
/場の空気を読めなかったらどうしよう
優先されるのは、自分の意見や考えを主張することではなく、周囲の空気を読み取り、自分に期待されている役割をこなすことなのだ
自分の気持ちよりもまわりの秩序を大切にする

/他人の失敗が許せない
「いじめ」に加担する子供たちは、「次は自分が標的になるのではないか」という不安やおびえを抱え、「とりあえずこの子をいじめているうちは、自分はいじめられることはない」と目の前の「いけにえ」を激しく攻撃することで、その不安などを隠蔽している場合が多い

/若い人の要領のよさについていけない
自分自身が何かに真剣に取り組み、はっきり評価を下されるのを恐れている場合が多い

/暴力にどう対処したらよいか
日本社会が全体的に他人への寛容な気持ちが薄れ、他者への攻撃的あるいは暴力的態度を強める方向に向かいつつある

「自分がやられるかもしれない」とうい不安にかられ、プライドも恥も捨てて、生き残るために「社内いじめ」に象徴されるような他者への攻撃、さらには暴力に走る人が増え続ければ、この先、社会はどうなるのだろうか

/家族どうしなのに気持ちが通じない
子供にとって、人生の早い時期に一度は、「親は自分の命よりも僕を大切だと思ってくれているんだ」などと実感することが大切だ

/働いても生活できない
廃棄処分になる「無料バーガー」を求めて、夜のファストフード店の前に集合する若者たち
自分も富裕層の一部かもしれないと錯覚するようになる
自己イメージはセレブ、実質下流

/効率がすべてなのか
素直で優秀な人材が見つかるまで、何度でも交換することができます
モノ以下 堂々と「何度でも交換可能」などとうたう
効率や生産性がすべて

/地方にいても展望がない
「どこでもできる」はずのIT産業が振興すればするほど東京への一極集中が進む、という皮肉な現象
/恋愛したいけれど出会いがない
失望されたり軽蔑されたりして傷つくよりも、何も起こらないほうがまだいい。そういう無自覚の計算が、彼の心の中で働いているのだと思う。
恋愛もまた、心の境界を超えて相手が侵入してくる体験に他ならない

/結婚は失敗だったのだろうか
いったん結婚してしまうと、シングル時代に「どんな人でもいいから、誰か私を選んでくれないだろうか」と思ったことなどはすっかり忘れてしまい、「こんな人と結婚するんじゃなかった」と今の状況の不遇にばかり目が行く

人間には、いったんある状況に置かれると、比較する対象が同じ状況の中の人ーそれも自分より幸福そうな人ーだけに限れれ、自分が前にいた状況、他の状況の人たちのことはきれいさっぱり忘れてしまう

/病気になっても医者に診てもらえない
なぜ医学部が人気なのか
「医師免許」と言う資格を取れるから
医学部を卒業することが必須 医学部さえ卒業していれば、合格率は約9割と高い
意思志望者が増加しているのに、地方の医療は衰退し、小児科医や産婦人科医のなり手がいない
小児かも産婦人科 重労働の割りに収入が低い
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■目次  
まえがき
嫌われるのがこわい――人間関係編
/場の空気を読めなかったらどうしよう
/他人の失敗が許せない
/若い人の要領のよさについていけない
/暴力にどう対処したらよいか
/家族どうしなのに気持ちが通じない

無駄が許せない――仕事・経済編  
/忙しく働いていないと不安だ
/働いても生活できない
/効率がすべてなのか
/やりがいを感じられない
/地方にいても展望がない

このままで幸せなのだろうか――恋愛・結婚・子育て編  
/恋愛したいけれど出会いがない
/結婚できないかもしれない
/子どもがいないと不幸せなのか
/親になったが自信がない
/結婚は失敗だったのだろうか

老いたくない、きれいでいたい――身体・健康編  
/自分の顔、からだを変えたい
/健康のために何かしないと不安だ
/老いたくない、病気になりたくない
/病気になっても医者に診てもらえない
/現代の医療に信頼がもてない
 
いつも不安が消えない――こころ編
/自信が持てない
/前向きな気持ちになれない
/気分に浮き沈みがある
/「ありがとう」が息苦しい
/自分は誰にも大切にされていない

 
まじめに生きてきたのに――社会・人生編  
/まじめに生きて損をした
/「便利な世の中」についていけない
/自分は何の役にも立っていない
/おとなになりたくない
/この先、楽しいことはない
 
/あとがき
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2014年11月8日土曜日

ライフログという糸

人の一生という時間の流れの中には、様々な線が分岐している。
比較的近いDNAを持っている家族であろうとも、過ごした時間の中で経験した出来事と、
その受け取り方で微妙にだが人生の線に様々な分岐点を作り、
それぞれが自分の線を作っていく。

時間を共にした友人
考え方に影響を受けた人々
感動を受けた絵画
涙を流した映画
日が沈んだ後の海の音
頬をなでる風の心地よさ
何度も読み返した本

今の自分は10年前の自分と比べても、
恐らく同じ体験をしてもまったく異なる反応を見せるに違いない。
それはその間に過ごした時間が自分に幾多もの分岐点を与え、
当時の自分からは遥か遠くの場所に立たせているからである。

毎日の日常の中で感じる様々な悩み、喜び、悲しみ。
そんな心の揺らぎも小さな小さな分岐を自分の中に作り出し、
止まることの無い時間と同様に、自らの一生の線もくねくねと前へと進む。

自分ですら気がつかないような繊細な分岐の繰り返しによって、
明らかに物事の選択に変化が起きるが、それらの原因となる分岐については、
複雑に絡みあった体験と心情によってもたらされるものであり、
それを家族といえども他の人が100%理解することはどう考えても無理である。

しかし少なくともその変化は体験した出来事やその時々の反応を共有することによって、
少なくとも分岐後の軌跡を目撃し、理解することは出来る。
だからこそ、幼少期から家を出るまでの時間を共有した兄弟よりも、
結婚を経てその後の時間を共有する夫婦のほうが、
ある一点を越えた時点でより心理面での理解が深まるのは当然のことであろう。

移動がより活発化し、情報を選ぶ時代に入った現代においては、
同じ家の中にすんでいても、その日常のなかで過ごす時間の質はまったく異なってしまう。
ましてや、世界中に住まう可能性がある現代においては、
出身地や国籍よりも、どんな日常を過ごしているかがよりその人の人格を形成してしまう。

そんな頼りどころの揺らぎ始めた現代において、
せめて自らは、現在の自分の行動の根拠を少なくとも把握する為に、
自分の過ごしてきた人生の跡に残されたささやかな一本の糸を手繰り寄せるように、
うっすらと見える細い糸を途切れさせること無く、
選択と同時に捨て置いてきた数多の可能性の中の分岐を繰り返す自分の線を見つけていく。
その為に、日常の中で、その時の自分が何を見て、何を感じ、どう取り込んだのか。
その小さな小さな時間を身体と脳の外に置いておくことが、
山の中で道に迷わぬように、分岐点に置かれた印の様なものになる。
それがライフログ。

茂木健一郎がいうような些細なクオリアが自らの脳内でどう発生したのか。
どんな場面で見た、どんな空間が、自分の中にどんな影を落としたのか。

「軽さ」

という言葉を聞いたときに自らの脳内でどんな体験や本、空間や建築が思いおこされるのか。
その根拠となる体験と心の動きをアーカイブとして残していくこと。
自らの脳内シナプスが、どんな風に結合してより複雑性を増していったのか、
その結果見えるようになった新しい風景がどんなものだったのか、
それを少しでも自らに明らかにする為に記するのがこのブログ。

しかしどんなに頑張っても、複雑な脳内現象を言語という非常に限られたメディアを使用して100%書き留められるはずも無く、また時間のスケールを異にする脳内現象をタイピングとしてデジタル化する時間の不整合の問題も横たわる。同時に誰でもアクセスできる場所に日常の過ごし方が晒されることもまた様々な問題を引き起こす。

そんな訳で暫く今後のデジタルライフの行く末と、日々体内の蓄積する様々な体験と感情との付き合い方に思いを馳せていたが、やはり従来的なアナログ方式で、一つ一つ経験と向き合い、時間を費やし、手を使って言葉へと変換することに変わる良案が見つからず、再度こうしてブログを綴ることにする。

2014年8月30日土曜日

「他人を見下す若者たち」 速水敏彦 2006 ★★★

書店やネットで随分見かけた本なので、時代を体現している内容なのだと思っていたが、なかなか手にする機会がないままに時間をすごしてしまい、気がつけば出版からすでに10年近く時間が経ったことになる。

匿名のネット世界だけでなく、自分の身の回りにも「自分のことは棚に上げ、すぐに誰か別の人を悪く言ったり、見下したりする」人たちが多くなっていると感じるのは、恐らく現代に生きる人の総体としての実感であろう。

ネットで見られる誰かをターゲットにした集団のたたき。世間を賑わすようなニュースにかこつけて、とことん個人情報をさらし、その家族や周辺の人たちにまで攻撃を与え、正義の番人になったかのように徹底的に痛めつける。

その流れが過ぎると、すぐに次の目標へと向かい、ただただ終わることのない他人叩きが繰り返される。そんな殺伐とした雰囲気を誰もが感じているはずである。

ネットが登場するまでは、情報というのは受けとるばかりであった一般大衆。メディアに登場し情報を発信するのは、リアルな世界において何かを成し遂げたり、名声を得ている専門家や芸能人。それがネットの登場により、誰でも情報を発信できる力を得ると、通常世間から評価されて決まるべき経験や名声というものを抜きにして、自分で勝手に判断し、あたかもひとかどの人物かの様に発信する機会を得てしまう。

機会を得たら、それを実行に移したくなる欲望の生物である人間。本来なら長い時間をかけて、一つのことに真摯に向き合い、ストイックな競争の中で徐々に周囲から認められ、周囲の人も耳を傾けるようになる実社会の時間の積み重ねはしない割りに、すぐにできるだけ多くの人からの承認や賞賛を得るために、一番手っ取り早いのは、いかにも弱者と思われたり、悪者と思われる人間に対して攻撃すること。

その姿に、これまた匿名のネット民が「よくやった!」という言葉が、あたかも自分の存在の肯定かのように捉え、そこに実社会では得にくい承認という快感を感じていく。快感はすぐに慣れてしまうものなので、前よりももっと大きな快感を、前よりももっと多くの日とからの承認をとその攻撃性は止まることができない。

そんなネットの特性によって新たに見つけられた人間社会のある一面性。そのネット社会の雰囲気が、実社会の中まで持ち込まれ始めたところから感じるこの殺伐とした感じ。そうしてみると、恐らくこれは「他人を見下す」という部分と「若者」という部分で分けられて、本来的には若者だけでなく、すべての国民においてこの傾向はネットから助長されて広がっている現象であると思われる。そしてそれは日本という国に関わらず、世界同時進行の現象なのだろうと想像される。

そして「若者」ということは、また別の側面で、思春期の多感な時期にすでに見方によれば無法地帯を思われるネット社会と当たり前のように接しながら育ち、核家族の中で両親という限られた大人しか触れることなく、多様性の無い社会の中で幅の広い価値観を見ることなく、十分に子供としつける能力も足りていない親に育てられたり、子供に向き合う時間を取れずに自分優先で物事を判断する親の影響を受けたりと、地域の中で子供を育てていて世代から、一気に家族、それも核家族という小さな家族という親の資質によって教育が大きく差が出てしまう状況の中、ネット言う自分の望む情報だけを得ることができるツールの使いこなし方も教わることなく育ったのが、この「若者」という言葉に託されている像であると思われる。

忍耐力もなく、ただし根拠無き自分へのプライドはやたらと高く、ギャーギャー泣き喚けばすぐに自分の思うままに買い与えてくれたりする芯の無い親からは、社会で生きるための規律や共同の役割の大切さを教わることなく育ち、実質10歳も満たない子供の様な精神レベルで社会の中を漂い、増大するエゴを抱えながら、自分には分かっている自身の能力の無さに不安を覚え、それでいながら、メディアに翻弄されて自己に期待するイメージばかりを保とうとする。

本文を読んでいても、「あれ、この部分てあの人のこと・・・」と、身の回りの人の行動に見事に当てはまる部分が何度も見られる。それは恐らく個別的な現象というよりも、時代的、社会的現象なことであるのだろう。

分析や個別例を客観的に示しながら、心理学の面から現象を捉え、感情的にならずに、ちゃんと現実的な提案まで行っているので、そのタイトルから想像される内容に対して、自分が考えていること以上の情報を得ることができ、さらに今後の展望を与えてくれる新書としては非常に良い一冊となっている。それだけに、読みながら引いた線の多さと、その後にタイピングする文字の多さがそれを物語る。

以下本文よりいくつか抜粋。
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学びも働きもしないし、職業訓練も受けようとしないニートが増加している
人間の感情や「やる気」のあり方が今、大きく変わろうとしているのではないか

人は自分の立場ばかりを見て、他人の立場をみなくなる

誰もが体面を保ち、個を主張して生きていくことが求められている。少子化の影響で小さい頃から大切に育てられ、苦労をせず、楽しいこと、面白いことに浸ってきた若者にとって、見知らぬ社会を一人だけで歩いていくことは恐怖でもある。欲しいものを何でも買い与えられ、、有り余る時間を自分のためだけに使ってきた人たちが、厳しい現実の競争社会の中でまともに生きていくことは難しい課題である。

自分は他人に比べてエライ、有能だ という閉鎖的な感覚
一時的にせよ、自分に対する誇りを味わうことができる
特に負け組になりうるような人々が生き抜くためには必須の所持品
他人の能力を低く見るほど自分の能力の自己評価がつりあがることになる。

常に自己中心でありたい
我慢ができない セルフコントロールができない 忍耐力がない 机や壁をける 物にあたる

怒りは自然に出てくるものだが、悲しみは生活体験、想像力がないと持てない

知的好奇心を感じるのは、限られた子、知識のある子であり、その割合が少なくなってきた
喜びを感じやすい人は悲しみも感じやすい

子供たちが欲求不満でぐずっているときに、親がその場を早く乗り切りたくて、お金で帰るものならすぐに買い与えてしまうことが多くなっているから
子供が欲求不満に陥る前に、親が何でも買い与えるためではなかろうか
欲求不満にならなければ、我慢も、悲しみも生じない

直接自分だけに関わるのではなく、社会全体に関わる不条理なことに関しては、怒りをあらわにすることは減少しているように見える

現代の日本で「悲しみの希薄化」が進んでいることを嘆いている
悲しみの文化から怒りの文化に移行している

ここ数年のヒット曲の特徴として「根拠なき自己肯定」
努力や経験という代償なしに誇りを得たいという、現代の青年たちの欲求がある

すでに何年か前から現代人は「悲しみ」よりも「怒り」を感じる時代に突入している
特に若者にあっては、「キレる」とか「むかつく」という言葉が氾濫し、怒りをあらわにするような事件が、頻繁に起きていることからも推測できる
人から注意を受けることに対して、自分が下に見られたという認識が強く働いたため

別れも 物質的に豊かになった今、距離的にはなれたところに移動したとしても、いざとなれば短時間のうちに帰れる交通手段があるし、電話やメールでたえず連絡できる。別れの意味は、まったく異なってきている。物質的豊かさは悲しみの感情を抱く経験を減少させてきた

葛藤が起きると、即座に怒りの感情として爆発したり
個人主義社会では攻撃性が高まり、暴力が日常的に発生する

学習の動機付けが低下してきている
大人の勤労意欲も、戦後豊かさが広まる連れて変化

現代の日本社会 さらに高い水準の生活は現実的には求めようもなく、物質的に充足した今の若者たちは、人生の目標や夢を失ったように見える
自分自身の価値を意識して生きることは、難しいことかもしれない。若者が社会に貢献できているという感覚や、社旗に必要とされているという感覚を持ちにくい時代である。

打たれ強いとか、我慢強い 少しのことで傷つきやすい

自分以外はバカの時代
高度専業社会 誰もが何かの専門を学んで、各人がプロ意識を持つため
相対的に他者をバカにすることに繋がっているのかもしれない
同情したり共感したりすることもない殺伐とした社会が到来する
国際競争力をつけるために日本人はもっと自分を主張せよ
人の欠点をはっきり言う人のほうが有能 先に指摘したほうが勝ち

親たちが先生や学校をバカにする
自分の子供を高く評価してくれた先生=良い先生

一定の年齢になれば、自分を監視する目を自分自身の中に強く意識するようになるため
現代の若者に社会的迷惑行為が多いのは、自分自身を監視する注意力が発達していないからであろう

大衆は下品で無教養で、自分とは異なる人種のようである
そう断定することで自分の価値を吊り上げようとしたのだろうか
弱者であるホームレスの人たちを襲う事件

素直に謝ろうとしない 
弱者とみなされやすい「叱られる立場」になることをひどく恐れて 
親が率先して学校に謝罪をすることを強く拒否する

近年はあらゆるものの選択の幅が広がり、一様に比較することが難しくなった
誰もが「オンリーワン」の気分を持ちやすい
自分の価値を上積みして、自己価値を吊り上げることが可能になる

自己愛的な若者が増えている
赤ちゃんのときの誇大自己を手放せないまま大人になったのが、自己愛人格の人たちである
幼児期、児童期での大人の甘いしつけが、自己愛形成の確立を高めてしまう

他社軽視を通して生じる偽りのプライドがある
過去の実績や経験に基づくことなく、他社の能力を低く見積もることに伴って生じる本物でない有能感
彼らに共通しているのは他者との親密な人間関係が形成されておらず他者を軽視していること
人は誰も常に優れた存在でいたい、人から認められる存在でありたいと思っているため
現代の人々は自由な社会の中で自我を膨張させている面がある
他方では産業構造の変化や厳しい現実から、結果としての夢の喪失、自信の喪失がある
自分の有能さを確信している人が、他者の能力を低く見ることはありうることである
有能感とはあくまで主観的なものだからである

他者軽視的内潜的言動が生じたときに、ほぼ自動的に誇らしい開館を瞬時に感じる、それが仮想的有能感の正体と言える
自分が負け組みであることを意識しないように、先手を打って他者を見下げることで生じた有能感やプライドなどと、自ら意識的分析的に解釈しようとはしない

人間は本来常に自分を高く評価していたい動物である
社会的比較論では、人は自分より低い位置にある人を比較の対象と考えることにより、自己高揚が生じることがすでに指摘されている。つまり、人は自分よりも優れた人物について知りたがっているというよりも、自分よりも劣っているものに関する情報を求めたがっている。このような傾向を、下方比較と呼ぶ
下方比較することで心理的安寧を得ようとするものの様である

希薄化する人間関係
人は親しい人間関係を喪失し、孤立すればするほど、外面的には傍若無人な他者軽視的行動をとるようになる
なぜ彼らは真の自己肯定感はもてないのだろうか
人の自信というのはつまるところ、親しい人間関係になる周りの人たちから、承認され賞賛される経験を通して形成されることが多いからである
ただし親密な人といっても、親や兄弟というよりは、それ以外の親しい人の承認や賞賛が大きいように思われる 先生 友人

私の意見が聞き入れてもらえなかったとき、相手の理解力が足りないと感じる
他者と違って自分は知識や教養があり、それなりの地位についている
他者の意見に比べて自分の意見は優れている

成功者が落ち目になってり、失敗したりすると、ここぞとばかりに袋叩きにする
ジェラシー方嫉妬よりもむしろエンビー型嫉妬

新しい電子機器に対する適応の問題
自分の操作のうまさによるものではなく、機械の性能のよさに起因するものだが、それを多くの若者は自分の力であるかのように誤解する
マスメディアの発達 瞬時にして世界の動きを知ることができる 人を軽く扱う風潮

仮想的有能感が高い人ほど、ニュース番組を見やすく、ドラマ番組を見ない
毎日のように流されるニュースーそれはネガティブな意味を持つ内容が圧倒的に多い

悲しみが多いほど人にはやさしくなれるというような悲しみは、昨今ではなかなか見つからない
中原中也「汚れつちまつた悲しみに、今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる」

自分の日常はあっという間に退屈なものとなり、毎日の記憶も薄れていくのかもしれない
今の若者は、自分喪失の危機から脱出するために、泣きの反応を身に着けた
悲しみをある程度蓄積している人のほうが感情の統制ができるのではなかろうか

上野行長 ユーモアは3種類 攻撃的ユーモア 風刺、ブラック・ユーモア、皮肉、からかい、自虐
陽気なユーモア  遊戯的ユーモア 
支援的ユーモア 励ましたり、許したり

今後予想される社会は、個々ばらばらの社会
人間同士の温かみが伝わらない冷え切った社会

本当の意味でのしつけの回復
自尊感情を強化する
もっとも子供に一定の役割を与え、それを遂行させる経験が必要であろう。
彼らにとって自分が誰かに役立っている、何かの役割を果たしているという感覚こそ必要である
積極的に家の仕事を分担させることが望ましい。食事の後片付けであれ、風呂の掃除であれ、どんな小さなことでも、毎日繰り返して行うようなことで、役割を遂行する習慣をつけることが大切である
そこから自分の存在の意義が見出せるし、日常生活が、家族の人たちのいくつもの仕事によって支えられていることを認識できる
多くの人たちに直接触れ、実際に自由にコミュニケーションできる場を増やす
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■目次  
/日本人の感情
/やる気が変わった
/若者、負け組の「他者軽視」
/現代人への警告として

第1章 感情が変わった/
/子供の感情の変化
/頻繁に「怒り」を感じ、表出する子供達
/「悲しみ」にくく、「喜び」にくい子供達
/表出されない感情
/恐れ、驚き、面白さ
/感情日誌から見た若者の日常的感情
/中学生の喜び、怒り、悲しみ
/大学生の喜び、怒り、悲しみ
/感じない子供達
/「悲しみ」と「怒り」の性質
/感情の文化差
/悲しみ量の歴史的変化
/作文から見る
/流行歌から見る
/映画から見る
/個人的仮の増大
/貧しさから豊かさへ
/権威主義から民主主義へ
/宗教の衰退
/集団主義から個人主義へ

第2章 やる気が低下する若者たち/
/やる気の変化
/自信の無い日本の若者
/有能感の国際比較
/「大志」を嫌う現代っ子
/大人側の責任
/昔と今の大学生
/集団を避ける若者達
/大学生の内的エネルギーの減少
/僕の長所って何?
/子供に距離を置く教師
/子供や若者に蔓延する鬱

第3章 他者を軽視する人々/
/「自分以外はバカ」の時代
/親の問題行動
/平然とする若者達
/社会的迷惑行為が増える理由
/薄れる罪悪感
/大衆は劣等
/他人蔑視の昔と今
/ピーナッツに見るルーシーとチャーリーの性格
/謝らない子供、親

第4章 自己肯定感を求めて/
/「並み以上」の感覚
/自己愛的性格の浸透
/日本人のポジティブ、イリュージョン現象
/高校中退者の楽天主義
/可能自己
/自己肯定の不安定さと他者軽視

第5章 人々の心に潜む仮想的有能感/
/他者軽視と仮想的有能感のメカニズム
/仮想的有能間が働きやすいケース
/下方比較で安心する
/希薄化する人間関係の中で
/人間関係のストレス
/他者軽視傾向から推測する
/仮想的有能感を持つ人の特徴
/軽蔑や嫉妬を含む仮想的有能間
/自己愛との距離
/社会・文化的要因
/ITメディアの影
/ネットの中の有能感
/インターネット好きでドラマが嫌い
/誰にでもある仮想的有能感

第6章 自分に満足できない人・できる人/
/自尊感情が高いのか低いのか
/自尊感情・仮想的有能感・自己愛的有能感
/経験に基づかない仮想的有能感vs経験に基づく自尊感情
/仮想的有能感と自尊感情との関係
/仮想的有能感の4タイプ
/年齢と仮想的有能感
/年齢ごとの有能感タイプ
/「萎縮」する若者にも注目
/年配者の「全能型」にも注目

第7章 日本人の心はどうなるか
/感情ややる気を動かす仮想的有能感
/仮想的有能感と一般的怒り
/個人的出来事に怒り、社会的出来事に無反応
/高校生の感情反応調査から
/悲しみはどこへ
/泣いてみたいだけ
/悲しみをエネルギーに
/悲しみの文化の意味
/心から「喜ぶ」ことができますか
/集団での喜びを感じない人々
/「笑い」の変質
/「ユーモア」の源泉
/熱くなれない理由
/21世紀社会への警鐘としての仮想的有能感
/個人主義の文化差
/仮想的有能感からの脱出
/しつけの回復
/自尊感情を強化する
/感情を交流できる場を!

おわりに
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