ラベル 6区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 6区 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年11月8日火曜日

リュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg) ジャック・ボワソー 1612 ★



シテ島の北側のマレ地区に位置するホテルから、せっかくの好天だからと歩いて待ち合わせ場所のモンパルナスタワーに向かう途中立ち寄ったのは、フランス元老院(上院)の議事堂として使用されているリュクサンブール宮殿(Palais du Luxembourg)を中心としたリュクサンブール公園(Jardin du Luxembourg)。

1612年に宮廷庭師であったジャック・ボワソーの設計によって造園された巨大な庭園であるが、今では市民に公開されて、朝の早い時間ということもあり、ランニングなどに勤しむ地元の人々の姿が多く見受けられた。

さすがにこれだけの巨大な広がりを持つ場所になると、高さのあるモンパルナスタワーもその全貌がはっきりと見て取ることができ、昨日は見ることのできなかったその頂部も姿を現し、見失うことなく朝の気持ちの良い公園の中、足を進めていくことにする。



パリ6区


2016年11月7日月曜日

フランス学士院(Institut de France) ルイ・ル・ヴォー 1688 ★



フランス学士院(フランスがくしいん,Institut de France)は、フランスの国立アカデミー。と言われてもピンとこないが、つまりフランスで一番権威のある学術団体が入る建物ということらしい。

その威厳を示すように建物は見事な古典主義建築。その設計はヴェルサイユ宮殿を設計したことでも有名な建築家のルイ・ル・ヴォー(Louis Le Vau)。ルイ14世時代における筆頭建築家ということから、相当権力に近い場所にいたのだろうが、そのルイ14世の摂政であったマザラン枢機卿(Jules Mazarin)が私費によって大学(Collège des Quatre-Nations)を建設することになり、その設計がこのル・ヴォーに託されたという訳である。

目の前にかかるポンデザールが1804年に完成しているから、それからおよそ80年後にルーヴル宮殿からの軸を受ける立派な建物がセーヌの南に完成したということになる。

では、この建物が建つ前にはここには何が建っていたのかと想像を膨らませる。なぜならたいしたものでないところに、わざわざ当時の国家プロジェクトとも言える橋を架ける事業を行わないだろうし、加えてルーヴル宮殿と向き合うくらいの重要な役割を担わされるのは一体どんな建物が建っていたのか?

と思い調べると、以前はネールの塔(La Tour de Nesle)と呼ばれる、かつてのパリ中心を巡って建てられていた城壁の一部として12世紀に建てられた塔があったという。つまりはこのフランス学士院が建っている場所はかつてのパリの中心から言えば周縁にあたる場所であったということである。

そうなると俄然興味が沸いてきて、パリにおけるアースダイバーの様に今度はパリの古地図を見てみると、なるほど、かつてのパリの中心は現在のシテ島をぐるっと取り囲むようにして城壁で囲われており、この城壁を作ったのがフィリップ・オーギュストであるためにオーギュストの城壁と呼ばれているらしい。

この城壁のほとんどは19世紀のオスマンによるパリ大改造によってほとんど取り壊されて、変わりに近代社会にふさわしい大きな通りへと姿を変えられたが、今でもほんの一部分はまだ見ることが出来るという。そういう歴史の残骸がその意味を失っても姿を残している姿はなんとも言えぬ都市の色気を醸し出すが、次回はぜひともその城壁を巡ってみたいものだと思いながら、やっているはずの写真展への入り口を見つけるために建物の周囲を巡ることにする。

ちなみにセーヌの南のこの地域は6区となり、ここから南に少しいけばサンジェルマン・デ・プレ教会が見えてくるオシャレな雰囲気のエリアとなる。


ネールの塔(La Tour de Nesle)
パリの古地図
パリ6区

ポンデザール(芸術橋,Pont des Arts) 1804 ★★



シテ島を南に渡り、セーヌ川沿いを西に向かっていく。朝のラッシュ時にあわせ、車も人も仕事場へと向かって急いで動いていく姿が、都市の一日のリズムを加速させていくようである。

遥かかなたに頭を雲に隠されたエッフェル塔を見ながらしばらく進むと、左手に半円弧の古典主義であるフランス学士院が見えてくる。その中心軸上にセーヌ川にかかり、向かいのルーヴル宮殿へと繋がるのが、このポンデザール(Pont des Arts)。

1804年にナポレオンの命を受け、初の鋼鉄製の歩道橋として架けられたという。ここで問題なのは、まず歩道橋。つまり馬車や汽車などではなく、純粋に人々が歩いて渡るために架けられたということ。そしてもう一つが鋼鉄製。つまりそれ以前にも石橋や木橋はあったけど、鉄という新しい素材を使い、その特性を表現するように、今までの石や木に比べて格段に「軽い」表情を持った橋が生まれたということ。

都市の中に輸送の手段として大きな川が流れる場合の必然として、両岸を生活の場面から分断してしまうが、それを人類の知恵として橋を架け、つなげることで様々な物流や交流を生み出す。その中で歩行橋として人の移動を主として架けられたということから、19世紀初頭のパリが都市としてどれだけ成熟してきていたかを感じさせる。

それと同時に、「鉄」という近代を象徴する新たなる素材が、様々な研究を積み重ねられ、その耐久性や加工性などを踏まえて今までにできなかったことを土木の世界において実践し始められたということ。こうした鉄に対する技術発展はさまざまな技師によって行われ、それがこれからおよそ100年後、1887年に開始してたった2年という驚異的なスピードで1889年に完成したエッフェル塔の建設へと繋がり、その後様々な建築にも使用され、軽く透明感をもった近代建築が生まれていく流れとなる訳である。

そんな歴史上の重要性よりも、この橋を有名にしたのは、世界中様々な有名観光地の橋で行われる「愛の南京錠」という若いカップルが互いの名前を記して永遠の愛を誓って橋の欄干に取り付けるという儀式。このポンデザールでも2008年ころからその行為が人気となり、あまりの多さに2014年にその大量の南京錠の重さによって一部の欄干が壊れてしまい、そのために南京錠を取り付けられないようにするために、以前の金網を取り外し、現在のガラス板の欄干へとデザインの変更が行われたという。

ちなみに橋の名前がポンデザール(芸術橋) と呼ばれるのは、ルーヴル宮殿がかつて「芸術の宮殿」と呼ばれていたからだといい、観光シーズンには多くの観光客がこの橋を渡り、セーヌ川の北と南を行き来するのだという。

ちなみ北側のルーブル宮殿は1区に属し、南側のフランス学士院は6区となる。すぐ南にはサンジェルマン・デ・プレ教会があり、学生時代によく聴いていたサンジェルマン・デ・プレ・カフェの音楽を思い出しながら、6区を南へと進んでいくことにする。



パリ6区