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2017年10月20日金曜日

烏鎮南区(乌镇南栅,Wuzhen Nanzha,ナンジャー) ★


イベント終了後、まだ日が高いからということで、よりローカルの雰囲気が残っているという南区もせっかくだから足を運んでみようということで、朝歩いた道を再度いくことに。

付き添いの子は、「南区はそんなに見るものないですよ・・・」とあまり乗り気ではない様子で有るが、せっかくだからと場所を聞くと、南といってもほとんど西と東の間に位置する小さなエリアをそう呼ぶという。

実際、街一番の川沿いに小さな通りが走っていて、そこがちょっとした目抜き通りになっており、確かにこれといって何か観光地化されている訳でもなく、ただただ地元住民の普通の生活の様子が見て取れる。

少し奥に入っていってみると、公営住宅のような建物が何棟も同時に建設されており、その奥には「拆」の字が壁に書かれて、激しく解体されたいくつもの建物の姿が。北京ではすっかりみることのなくなった「拆」と、まるで巨大なハリケーンでも通り抜けたかのように跡形も無く壊されているエリアの姿と、そのすぐ後ろに位置する歴史地区として保存される街並みとの対比に、この街の強い光と影を感じつつ、ホテルのある西地区へと足を向けることにする。













2015年12月5日土曜日

大相国寺(大相国寺,dà xiāng guó sì,だいしょうこくじ) 555 ★★


開封府の出口は北側に位置する。正面玄関の如何にも観光地として整備された感とは裏腹に、こちらの出口は如何にも「裏」という感じで、この街の現実を見せるかのように、如何にも地方都市の生活という風景を見ることが出来る。

そんな風景のなか少し歩くと、如何にもこの街の大衆生活の中心という雰囲気の場所にでる。その中心は大きな市場。道の反対側には、「拆」という張り紙の貼られた取り壊しの決まっている建物が並び、その横には既に取り壊された建物の瓦礫が散乱し、様々な紙の色と混じり、解像度の小さな雑多な景色を作り出している。

その市場の横に位置するのが次の目的地である仏教寺院の大相国寺(大相国寺,dà xiāng guó sì,だいしょうこくじ)。その正面の広場で子供達がバドミントンに興じているのが如何にも古刹的な雰囲気と、そしてこの街でどれだけ当たり前のものとして風景に溶け込んでいるかと教えてくれるようである。

大相国寺と聞くと、京都の臨済宗の寺院である相国寺を思い出すが、もちろんこちらの大相国寺が歴史が古く、その由来の基にもなっているという。京都の相国寺が室町時代の1382年に創建されたのに対して、こちらの大相国寺は555年に創建され既に1500年の歴史を有するという。とにかく中国の仏教の歴史の中でも非常に重要な意味を持つ寺院であり、「十大名寺」の一つにも数えられている。

ちなみのその「十大名寺」であるが、諸説は色々あるようであるが、とりあえずは白马寺、灵隐寺、少林寺、寒山寺、隆兴寺、清净寺、大昭寺、卧佛寺、塔尔寺、金山寺となるという。


そんな訳で宋代においても首都開封(抃京)一の寺であったこの寺院であるが、それに先立つ唐の時代においてももちろんその重要性は変わらず、遣唐使として日本から長安を目指した空海が、途中にこの寺に立ち寄ったことでもよく知られているという。

その空海像があるのは日本人としても参拝をより楽しくしてくれば、この寺院を有名にしているものとしてはもう一つ、中央の羅漢堂(八角琉璃殿)に納められている7mもの高さを持ち、金箔で塗られた千手千眼観音像だというので下から見上げて「なるほど」と思いながら参拝を済ませる。

全体として非常に縦長の敷地に建物が配置されており、残念なことに入口は南側のみ。という訳で、北の端まで行っては戻ってくるのだが、入口付近でやたらとスピーカーを通して流されているのは、北京のラマ寺院の中心施設である雍和宮付近に行くといつも流れている例の音楽。恐らく何かのお経であるのは分かるのだが、やたらとキャッチーなそのメロディーをついつい妻と一緒に口ずさんでいたので、せっかくなのでとお土産屋に入り、お坊さんの定員に「この音楽のmp3はあるか?」と聞くと、「六字真言颂」というお経だというのでそのCDを土産として買っていくことにして寺を後にする。


















2006年6月21日水曜日

チャイ 拆


二年前のこの時期、イスタンブールに居た。大学院時代の友人のトルコ人がこれまた同級生のポルトガル人と結婚するというので、のこのこ出かけていった。そこで飲むのはやはりチャイなのだが、チャからティーへと文化の変遷地なんだと思うとなんだか一層美味しく感じた。

茶の文化を運んだシルクロード。今、その東の果てでいるべきでない「チャイ」が街に溢れている。

「チャイ(拆)」。

先日、大山子(798)で北京の現代アートシーンの仕掛け人の黄鋭(ホアン・ルイ)さんのアトリエに伺った。ずかずかと寝室から屋上まで上がらせてもらったのだが、その時に現在作成中だという、「CHI-NA・拆那(チャイナ)」という作品を眼にすることができた。

「拆」というのは、政府が取り壊すことを決めた建物に、「近々取り壊します」という意味ででかでかと赤丸つきで壁にしるしをつけるもの。

日本の様に何年もかけて交渉なんてものはさらさら頭にないので、「チャイ」が現れた数ヶ月以内には建物はすでに再利用されるレンガの塊へと解体されている。

CHI-NA・拆那」という作品は、あまりの速度で解体されていく北京とCHINAは、どこにいくのか?というメッセージをこめたもので、2008年のオリンピックまでに完成目標だとのこと。

こんな様に、できることなら見かけたくない「チャイ」なのだが、ある時友人に「チャイ」のもたらした面白い現象について聞かせてもらった。

その彼は「アーバン・チャイナ」なる雑誌を媒体に社会学的なリサーチをしているのだが、ある地方都市で突然「チャイ」の刻印をされてしまった家族がその主人公。

「チャイ」される家族は悪いことばかりでなく、補助金がでてバス・トイレ付のアパートに引っ越すことができる。しかもその補助金は既存の建物の床面積に比例して支給されるという。そこに目をつけたデキルお父さん。チャイされる前になんとか床面積を増やそうと、なんと5階建ての建物に改装してしまったという。先を見通す眼を持ったお父さんだが、まさか政府が「チャイやめます」といい出すとは予想だにしなかったのだろう。

そんな訳で、チャイの副産物として生み出された5階建てビルだが、そこはさすがビジョナリー・家族、ただでは起き上がらない。かつて小学校の先生をしていたお母さんは自宅で寄宿舎付の塾を開設、23階はそれで埋められた。45階は家族専用に当てられ、昔から鳩が好きだったお父さんは屋上で鳩の飼育なるものを始める。しかもそこで育てられた鳩が「中国伝書鳩コンテスト」で一等を獲得するほどになるのだから、このお父さんただものではない。

チャイをめぐる狂想曲、しばらくは皆が踊らされることになりそうだ。