2013年7月18日木曜日

西武大津ショッピングセンター 菊竹清訓 1976 ★★


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所在地  滋賀県大津市におの浜
設計  菊竹清訓
構造 鉄骨鉄筋コンクリート造
竣工   1976
機能   商業施設
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大津の中心地のまさに一等地に建つこの百貨店。1976年の竣工なので既に40年を経ていることになる。商業施設の在り方も大きく変わったことだと思うが、それでも壊されること無く今でも使われていることは素晴らしいことだと思わずにいられない。

菊竹清訓は1928年生まれということで、竣工時の76年には48歳。建築家としてまさにバリバリに仕事をしていた時期であろうと想像する。同時期に竣工を迎えた静岡のパサディナハイツなどを見てみても、住居と商業とプログラムは違えど、この時期に建築家が何を考え、どういう表現を試そうとしたかがよく伺える。

パサディナハイツは地形をトレースし、眺望と屋外テラスを確保するための段丘状の建築。変わってこちらは百貨店という極めて室内だけで完結してしまいがちなプログラムと、琵琶湖湖畔という平坦な地形ではあるが敷地条件から琵琶湖への眺望は望めないという条件に対して、建築自体で人工的な地形を作り出し、豊かな屋外空間を創出し、インテリアから少しでも脱却しようとする建築家の飽くなき挑戦心が伺える。

そんな訳で主要道路に向けられるファサードが上層階に行くにつれて段々にセットバックして行き、その屋外スペースはガーデンテラスとして緑化され、緑の見える喫茶店などが配され、内部の階段とエレベーターによって、「階」に分断されるではなく、如何に地形として外部より人を上階のテラスに導くかということから、通常隠される、できるだけ見えない場所に押しやられる避難用階段を左右に押しやり、設計上ネガティブな要素になりがたちな要素をそれでもデザインによって処理してやるぞ、と言わんばかりの意志を表す入れ違いになった外部階段の意匠。

立体が空中に浮き、背後に聳えるマッスから徐々に崩れていき、地形に馴染むように高さを失っていく。そんなイメージなんだろうが、どんな部分でもデザインしてやるという高い意識が無ければ、こういう商業施設のプロジェクトでこういうデザインを最後まで実現させるのは難しかっただろうと想像する。

「カッコいいかどうか」「使いやすいかどうか」なんて簡単に言われてしまうが、建築が構想されてから、実際の物質として実現するまでにはさまざまな調製があり、様々な思惑が働いて、必然としてできるだけ簡単に、できるだけ経済的に、できるだけ問題のないようにと収束させようとする波がある。それはしょうがない。

如何に建築家が信念を持って、その波を一人で、チームで受け止めて、それでも自分達が信じるものがその後何十年もこの場の風景となる建築にとって相応しいんだと言い続け、それを納得させるために通常の何倍ものエネルギーをかけて、図面を直し、無視することのできない諸々の条件をクリアしていくこと。その過程はそんな甘いものではない。

そういう建築家の情念が感じられる、常識をはみ出す建築物を目の前にした時には、少なからぬ感動を感じ、その建築家がこの建築を想い過ごした時間に思いいる。

そりゃ40年も経ていれば、社会劣化もするだろう。当時の商業の常識が現代では通用しなくて、使い勝手も悪いところもあるだろう。その為に内部はあれやこれやと手を入れられ、当時の面影は随分薄められているだろう。

だからといって商業施設と言う社会の動向を無視できない、下手すれば竣工後すぐにでもとても陳腐な建築に見えてしまう可能背を含んだプロジェクトをやらない方がいいというと、そうでもないと思う。社会を構成する中で、商業施設の意味は大きいし、それだから実現できる良質の都市空間もあると思う。

しっかりと自分なりの時間的な枠組みを捉えていくことが重要なのだと、「ここまでデザインしてるのか」と効率よりも他の価値が上位にあった時代の壁面の処理を眺めながら外部階段を下りていく。












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