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2017年7月8日土曜日

各国硬貨の整理


いつの間にか戸棚の一角を空き缶に詰まった各国の硬貨が占拠してかなりの時間が経つ。

「いつか整理しなければ・・・」と思いつつもほったらかしにしていたが、同じ通貨圏に再度訪れる機会が増えてきたこともあり、この機会にと重い腰を上げ、通貨ごとの国旗を印刷し、切り取って適度の大きさのジップロックに貼り付けて、その中に硬貨や紙幣と共に、公共交通機関のICカードなども一緒に保存することに。

横でテレビを見ている妻をチラチラ見ながら作業を進めるが、一度始めてしまうと、徐々に整理されて、収まるべきところに整理された紙幣やコインを眺め、戸棚に並べてしまい込むと、逆になぜ今までこれに気がつかなかったのだろうかと思うほど。

出張に行くごとにそれぞれのジップロックを持っていき、現地に到着したら財布の中身と入れ替えて、帰国したら再度入れ替えて保存しておくだけ。なんと効率がいいことか。

ユーロの袋に間違えてフランス国旗を印刷してきてしまったので、「明日にでもユーロの旗を印刷してこないと」と小声でつぶやいていると、「お、綺麗に仕分けできたね。これは次から便利だ」と横から妻が覗いてくる。

「・・・」と何も発することはせず、「次はどの袋を開けることになるのか」と少々の満足感を感じながら戸棚を閉めることにする。

2016年2月13日土曜日

最終便のリスク

大分から東京へと戻るために大分空港に向かっていると、徐々に霧が濃くなりほとんど視界が無くなっていく。雨や雷などの問題は無いようであるが、これだけ濃い霧だと、思うように運転もままならない。そうなると飛行機は無事に発着するだろうか・・・と心配して空港に到着すると、案の定到着ができない状況で、最終便が出るかどうかも分からないという。

調べてみるとこの濃霧による欠航などの問題は、海に張り出す形となっている海上空港の宿命であるようであるが、そう考えるとこれだけ「移動」が激化する現代においては、「最終便」で移動することのリスクの大きさを改めて感じることになる。

空港スタッフに日常をこの場所で過ごす人間としてどうなりそうかという感触を教えてもらおうとするが、「天気のことのなので、なんとも・・・」と言葉を濁すばかりで、欠航となった場合に近くのホテルを紹介したり送迎したりという対処があるのかと聞いても、どうやらそんなことは無いらしく、調べてみてもどうにも近くに宿泊できそうな施設は無く、欠航となったら大分市内までどうにかして戻らなければいけないことになりそうだと、ジリジリするような気持ちで待つことに。

地元の人ならば慣れている状況で、それほど焦りもしないことなのかもしれないが、一生のうちに何度かこの空港を利用するというほとんどの人にとっては、これはなかなか予想しがたい事態であり、明日の予定の調整も考えつつひたすら待っていると、1時間ほど遅れながらもなんとか無事に飛行機が到着し、そして飛び立てそうだということに。

近年の不安定化する世界の気候を見ていると、今後はより一層天候により移動にもたらされるリスクは増加するばかりであり、その中で最終便という後の無い選択肢はできるだけ避けておいたほうが良さそうだと思いながらつかの間の眠りに落ちることにする。

2016年1月31日日曜日

「世界を知る力」 寺島実郎 2009 ★★★


寺島実郎

コメンテーターとして様々な番組で世界情勢を踏まえた重みのある発言をする著者。元商社マンで世界のあちこちで培った経験を生かして、今では大学での教育などにも携わりながら、国際人として通用する若者の育成にも関わっているようである。

「日本をでて海外にいく」というのは、様々な形がありえるが、企業人として駐在員という立場で海外に行くパターンでも、歴代の駐在員が長く滞在し、数年の任期をオーバーラップしながら会社としてのネットワークと実績を広げていくなかで、様々な補助がありながら駐在するタイプもあれば、まったくゼロベースで開拓していく駐在員もあるだろうし、比較的馴染みの深いヨーロッパやアメリカの大都市に赴任するのと、文化背景もまったく異なる発展途上国に赴任するのもまたまったく違った時間のすごし方になるだろう。

また大企業のメンバーとして至れり尽くせりのサポートを受けながらのものと、中小企業の開拓メンバー、もしくはまったく個人で海外に渡る時は、それこそ頼れる人も何もない状態から自らの力で切り開いていく、そんなことが要求されて、エネルギーの費やす部分も大きく異なる。

そんな訳で「海外に行く」というのも、内容によってまったく異なる現代においては、その地でどのような環境の中で、どのような時間を過ごしたのかを見なければ、その人となりは見えてこない。

そんな時代においても、言葉の端々から、自らに対してストイックであり、会社人としてではなく、それを超えていかに自らがその場で職業人としての能力を伸ばせるか、会社の人間としてではなく、個人としてどのように現地の世界に受け入れられ、付き合っていけるか、そんなひりひりするような時間を重ねてきたのだろうと想像できる。

冒頭にある
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百数十年前の日本にタイムスリップし、休む間の無く働く女性を見かける。「この人、この村から出たことがあるのだろうか?」と思うような小さな村の中で一日が完結する生活。それが、ほんの百数十年前までの、平均的な日本人の暮らし方。
当時の多くの日本人にとって、「世界」は歩いて二帰りできるだけの範囲ー半径20キロメートルほどの広がりしかなかった。現代行動できる「世界」はぐんぐん広がっているように見える。ヒト・モノ・カネ・技術・情報がボーダーレスす「境界なし」で交流する時代。単純に、交通手段や情報環境の発達と正比例して向上するものだろうか。残念ながら答えは「否」である。わたしたちの認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右される。時代や環境の制約を乗り越えて、「世界を知る力」を高めることが痛切に求められているのではないか。
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非常に重い言葉である。「グローバリゼーション」や「フラット化した世界」が叫ばれながら、同時に「内向きの若者」や「マイルドヤンキー」といった、現状に満足し、変化や向上を得るために外にでるなどの行動を起こさないと言われる現代の日本人。ネットの登場により、「世界を知った気」になってしまう我々に対して、痛烈な言葉である。

空海を「全体知」の巨人として、
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異なる国の人たちにも心を開き、自分を相対化してみることのできる人間が「国際人」
エンジニアとしての空海
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体系として知るだけでなく、異文化の中に飛び込んで自らの身体を伴って知を吸収することの大切さを説く。

日本の文化の中に流れている中国との関係性。ネットワークという視座から見た地政学的な世界の見方。それを通して初めて見えるイギリス帝国が生み出した世界に飛び地で存在するユニオンジャックの共通点。そしてどんな場所に辿り着いても活用できる価値、技術や情報を操作するすべを身につけるユダヤの知恵。

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大量の情報にアクセスできるようになるにつれ、膨大な情報のなかから筋道を立てて体系化したものの見方や考え方をつくっていくことが、ますます難しくなってきている。
古本屋にて目当ての本以外の、それまで意識しなかった、あるいは知らなかった本が同じ棚や近くの棚に並んでいるのを目にし手にとることで、私たちに思いもかける相関の発見を促すからである。本と本との相関が見えなければ知性は花開かない
世界最大の売り場面積と書籍数を誇るといわれるフォイルズ書店 Foyles。「この問題意識を深めようとしたら、こういう本を読み、ついていかなければいけないんだな」という知的興奮が高まってくる仕掛けになっている訳
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とパソコン全盛の現代においても、本による知性の成長を保ちながら、世界に対峙する教養を磨くことを説く。

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/書を捨てずに街に出よう
大空から世界を見渡す「鳥の眼」と、しっかりと地面を見つめる「虫の眼」
身体性を有した体験がすごく大事
見聞きした意見したことに関連する文献に当たって調べてみると、そこに、みえざる地下水脈的ネットワークがあることに、だんだん気がついてくるわけである
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あくまでも、自らの体験として知識を消化し、その上でさらに学ぶことによって新たなる意味を付加していく時間の過ごし方。

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/異文化の中へ飛び込め
名もなく貧しく異文化に飛び込んで、孤独と失望の連続を体験することが必要なのかもしれない。数知れない孤独と屈辱。
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この言葉には、本当に著者がどのような思いで若い時代に海外に出て、そしてどんな時間を過ごしたのかが見て取れる。安易な環境に流されるのではなく、あくまでもストイックに、常に自らを問いただし、今ここで何をするべきか、何を得るべきかを考えて、日々を精一杯過ごしてきたに違いない。

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おわりに
ひとり異国の町に立つ機会を重ねてきた。旅愁という言葉があるが、今、この瞬間にこの街から自分が消えたとしても、この街は何の痛痒も感じることなく動き続けるのだろうという思いがもたらす寂寥感ともいえる。何人もの知人や友人がいても、自分がその町での想像や生産に関わっていない場は虚しいものだ。人間とは不思議なもので、やはりその場所と自分との関係性を実感できない限り、寂しい「ストレンジャー」なのである。人間とは社会と時代とに関与して、はじめて人間なのだと思う。
海外に生活するほど人間は愛国者になる
航空機の中で、そして列車の中で、考え込みながら生きてきたようなものであるこの移動空間は、ひとりの時間が確保できる場でもあり、沈思黙考、後にしてきた場所で目撃し、確認してきたことを整理することのできる貴重な機会である
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新しい土地に行くまでは、その土地のことは情報でしか知らない。たった数日の滞在にも関わらず、行った後にはそれが実体を伴った自らの五感を通した体験として身体に刻み込まれる。その時間はどうやっても他者とは共有できないものである。できることは、移動の時間にそこで過ごした時間、見たものを自分なりに考えてその先につなげる、そういうい地道な積み重ねが激動の現代に生きる本当の意味での国際人につながる唯一の道なのだろうと思いながらページを閉じることにする。

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■目次  
はじめに

第1章 時空を超える視界―自らの固定観念から脱却するということ
/戦後という特殊な時空間―アメリカを通じてしか世界を見なくなった戦後日本人

①ロシアという視界
/1705年、ロシアの日本語学校
/1792年、初の遺日使節
/はじめて世界一周した日本人
/幕府、北方の脅威に目覚める
/北海道と極東ロシアは瓜二つ
/ウラジオストックで見た一枚の風景画

②ユーラシアとの宿縁
/歴史時間の体内蓄積
/七福神伝説にみる日本人的なるもの
/空海ー「全体知」の巨人

③悠久たる時の流れを歪めた戦後六〇年
/歴史時間を忘却した日本人
/与謝野晶子の世界地図は逆さだった?

第2章 相関という知―ネットワークのなかで考える
/ネットワーク型の視界をもつ

①大中華圏
/広義の「チャイナ」と狭義の「チャイナ」
/大中華圏の強固な実体
/「中華民族」なる言葉の二重構造
/躍動する大中華圏のダイナミズム
/なぜ中国だけがポスト冷戦で台頭したのか

②ユニオンジャックの矢
/世界を動かすユニオンジャック
/シンガポールが持つ地政学的な意味
/情報と価値の埋め込み装置

③ユダヤネットワーク
/世界を変えた五人のユダヤ人
/基軸は国際主義と高付加価値主義
/無から有を生み出す力

④情報技術革命のもつ意味
/「IT革命」というバラダイム転換
/暗転するアメリカ、オバマ大統領の登場
/就任演説にこめられたメッセージ

⑤分散型ネットワーク社会へ
/太陽・風力・バイオマス
/グリーン・ニューディールはIT革命を超えるか

第3章 世界潮流を映す日本の戦後―そして、今われわれが立つところ
①二〇〇九年夏、自民党大敗の意味
/東西冷戦構造と55年体制
/「漂流」を始めた90年代
/脅迫概念にも似た「小泉構造改革」
/民主党政権誕生が意味するもの

②米中関係―戦後日本の死角
/日米関係は米中関係である
/相思相愛から始まった
/メディアの帝王ヘンリー・ルース
/「二つの中国」が日本に戦後復興をもたらした
/アジア太平洋は”相対化”の時代に突入した

③日本は「分散型ネットワーク革命」に耐えられるか
/二つのグローバリズム
/日本の「国際化」は後退している
/「分散型ネットワーク時代」に日本を浮上させる

④「友愛」なる概念の現代性
/冷戦形世界認識から脱却せよ
/アジアとアメリカをつなぐ「架け橋」
/オバマ登場と共鳴する「友愛」なる概念
/プロジェクトとしての「東アジア共同体」
/「大人の外交」にはシンクタンクが不可欠

第4章 世界を知る力―知を志す覚悟
/PCと古本屋
/書を捨てずに街に出よう
/agree to desagree
/異文化の中へ飛び込め
/異国に乗り込んだ「場違いな青年」
/情報は教養の道具ではない
/知ー不条理と向き合うために

おわりに
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2015年2月19日木曜日

闇の中の移動

本来なら建築士講習が夕方遅くまでかかるので、翌日の早朝からと予定していた高知への建築ツアー。しかし、目的地と許された日程を考えるとどうしても回りきれないことが分かってくる。その原因は高知の南の果てに位置するどうしても見たい「海のギャラリー」。この建築の為だけに、片道4時間の運転をしなければいけず、建築はどうしても日の光の元で見なければいけないために、日が出ている時間を移動に費やすのはどうしても受け入れがたい。ではどうする・・・

とういう葛藤の中、定期講習の終えたその日の夜の最終便で高知に飛び、そのままレンタカーを飛ばして4時間運転し、深夜に目的の建築のある土佐高地市に入り宿泊し、次の日の朝一番から建物を回れば、日の出ている日中の時間を無駄にするのを防げるのではという結論に。

その為には、一日定期講習で疲れた後に、1時間半のフライトを経て、4時間と言う長距離のドライブをなれない道に行う体力的な負担。

そして、建築士講習が終了するのが夕方の17:20分。そして様々なフライトを調べても羽田発の最終高知便が18:50出発ということで、講習会場の新宿から羽田まで間に合わせることが出来るか、いくつものシュミレーションを重ね、「これはいける」と確信を持ち迎える当日。

分刻みのスケジュールで管理される定期講習はどう考えても予定よりも早く終わる様子は見られない。貸し会議室のビルの為に、縦動線となるエレベーターは相当な混雑が予想され、そこでの10分の遅れは致命的だと、昼休みに階段での会場脱出ルートを確認すると共に、主催側に講習終了後の手続きなどにかかる時間を確認し、会場から駅までの最適ルートを考慮して再度電車の乗り換えを確認する。

それでも、ベストなシナリオで18;30分に羽田に到着するのが良いところで、「これはなかなか緊張感のある移動になりそうだ」と訳の分からぬ冷や汗をかきながら、顔見知りの建築家に「終わったらすぐに出なければいけないので、先にご挨拶を・・・」と言葉を交わし、刻一刻と迫る定期講習終了の合図を待つ。

一人場違いな青色の登山リュックを背に、エレベーター待ちをするおじさん達を脇目に階段室へと飛び込み、転げ落ちないように駆け足で建物を後にし、雑踏で賑わう新宿西口を走り抜ける。

JRの西口改札に戸惑いながらも何とか予定より一本早い山手線に飛び乗るが、恵比寿で緊急停止した車内流れる「前方車両で、体調不良の為に倒れられたお客様の救護をしておりますので、暫くお待ちください」とのアナウンス。

「今じゃないよ・・・」と心の中でつぶやき、再度携帯で乗り換え案内を調べるが、「乗り継ぎとなっていた京急線が、この遅延で乗り継ぎが乱れたら間に合わないのでは・・・」と焦りながら、少しでも早く復旧することを祈りながら待つこと数分、やっと動き出した電車にホッとする。

予定とズレながらも何とか急行で羽田に到着したのは18:20分。機内での簡単な夜食と、長距離ドライブ用に眠気覚ましのガムなどを買い込み安全検査を抜けてゲートへ。搭乗すると朝から脳を酷使してきて、更に緊張しながらの移動を重ねてきたのですっかり疲労から睡魔に襲われ気がついたら高知空港の着陸時。

「最終便の予約客は営業時間を終えているが空港での待ちうけなどの対応をします」というレンタカーのスタッフさんに迎えられ、車にて営業所へと移動。「ここから土佐高知まではどれくらいかかりますかね?」という問いに、「今から行くんですか?」という担当者のリアクションにかなり大変な道のりになりそうだと気を引き締める。

通常、事前調査でのGoggle Mapで表示されるルート案内にて、どれくらいの距離でどれくらいの時間がかかるのかを把握している。今回の場合、距離が180kmとそんなに長くは無いのにも関わらず、所要時間が4時間半と感覚よりも随分長い時間がかかることをやや不思議に思っていた。

通常なら表示される所要時間より、相当時間を短縮する自信があるので、今夜もレンタカーの手続きを終えた20;30からならなんとか23時ごろには到着できるのではと、遅いチェックインになると伝えてあったホテルに再度電話をしておく。

南国市に位置する空港から、高知市の市街地を抜け、速度の遅い軽自動車に前方を塞がれる幹線道路で少々イライラしながら何とか市内を抜ける。「一体どこから高速に入るのだろう・・・」と思いながら、ナビに誘導されるままに一般的な道路を進む。「これはおかしい。下道設定になっているのでは?」と停車して再度ナビを設定するが、同じ道が最短時間で表示される。

「これが高知か・・・」と受け止め、遅い時間で道を行く車も少ない為に、できるだけ地元民と思われる車の後ろについていくのを繰り返しているうちに、土佐市を抜け、四万十市を超え、四万十川と思われる大きな川沿いの道を走り終え、左手に海を感じながら最後の山道を進む。

距離は近いのに時間がかかると表示されていたのはこのためか?

と十分に理解できる土佐清水市から足摺岬へと抜ける最後の峠道のドライブで磨り減った神経をなんとか持ちこたえながら峠を越えて目的地のホテルへと車を滑り込ませる。しょぼつく目を擦りながら、車内に忘れ物の無いことを確認してホテルへチェックインし、電話でやり取りしたスタッフと話をすると、「空港からこの時間に来たんですか?それは大変でしたでしょう」と苦労を理解してくれる人の言葉に少しだけ癒され、明日からの建築巡りに思いを馳せながらベッドへと身体を横たえるとすぐに眠りに落ちていく。

2014年4月16日水曜日

「最悪」 奥田英朗 2002 ★★★★★

モスクワから戻ってきて、すぐに日本で進めている保育園のプロジェクトの打ち合わせの為に日本に戻る。国境をまたいでの移動は、空港での待ち時間に、飛行機の中で身体を拘束される時間を合わせ、必然的に読書がはかどる時間でもある。

そんな中で読みきったのが、大藪春彦賞や吉川英治文学新人賞など1999年に様々な文学賞で受賞候補に挙げられた奥田英朗の有名作。そのタイトル通り、読んでいても、「なんでそんな風にしてしまうんだ・・・」と心がムカムカするほどの登場人物の判断力の無さや行動内容。まさに「最悪」としか言いようが無い。

最近読むことが多かった、ある数人の主人公にスポットを当てるのではなく、多種多様の人物を平行して追うことにより物語を進行する群像劇ではなく、あくまでも主役は3人なので、読んでいきながら流れをつかみやすい。そして3人の転換も非常にテンポが良い。

一人目の主人公は鉄工所社長の川谷信次郎。鉄工所の社長といっても、「僕達急行 A列車で行こう」の瑛太の様なのんびりした感じでも、池井戸潤の描くような技術に裏打ちされた職人的な側面を描くでもなく、ただ真面目に、そして愚直に仕事に取り組み、家族を少しでも楽にできるようにと休日返上でも単価の低い仕事でもこなしているいいおっさんである。しかし、かつての田畑に囲まれた中に鉄工所があるという風景から、開発がされ周囲にはマンションが立ち並び、地縁で繋がってはいない新規の住民が周辺に住み着くようになる。

彼らは夕方以降や、週末での騒音は出さないようにと一方的に要求を突きつけてくる。それが如何にも外資系のサラリーマンという形で理論武装をして追い詰めていく。そこに近所付き合いや人情なんてものは入り込む余地は無い。

そんな苦情は区役所にも回っていき、お役所仕事として「形だけでも」なにかしらの結果を欲しがる役人から、どうにか約束を確約しようとされてストレスをかけられる。折りしも取引先の懇意にしてもらっている担当者から進められた設備投資の甘い話。その彼から紹介された通常の取引銀行ではない大手の銀行からの融資の話。その話が済むまでは近隣での騒音問題を抱えている会社とは知られる訳にはいかず、なんとか隠し通そうとする信次郎。

冷静に考えれば、自らの身の丈に合っていない設備投資であり、無理な借金をしてまでも行うことではないと分かるはずなのに、他の幾つものストレスが重なり、ある種の思考停止に陥り、とにかく設備投資さえ出来れば全てが解決すると盲目的に信じてしまう状態。その描写がなんとも素晴らしい。

建築事務所なんていう零細企業を行っていると、つくづく人間は属している組織の大きさによって自らの態度を決め、そして相手の組織の大きさによってとる態度を決めているのだと痛感させられる。決してその人の能力や人間性でではなく、あくまでも最終的にその人を守るであろう組織の大きさでである。

小さい、もしくはその人が知らない組織に属していれば、人はとことん攻め入ってこようとする。人が謙虚に下手に出ていけばいくほど、人は漬け込んでくる。何かこちらに非があると思われることを見つければ、これ見よがしに漬け込んでくる。その目的は最終的には金銭となることが多い。

建築設計を行っていても、時に適正価格というものを考えず、ただただ提示された額からどれだけ値引きさせることができるかが、自らの能力だと考えている人に出くわすことになる。恐らくそれらの人が生きてきた人生と言うのは、そういう中で能力が評価される世界だったのだと想像し、さぞやさもしい時間だったのだと思いを馳せる。

本来はその仕事の業務量がどれほどで、その中で専門的能力がどれほど関与し、手間と時間がどれだけ費やされての報酬額かを理解し、また取引をする企業にとって、この仕事でどれだけの利益が出て、企業活動の継続が可能である範囲かに思いを馳せることがいいのであろう。

しかい多くの人は、他の人はその金額を払っても自分だけは値引きをして欲しい。自分だけは恩恵を被ってもいいはずだ。それでもおたくも問題ないでしょう。という態度となる。この空気が強く現われたのは自由主義経済を進めてきた2000年代の後半。デフレの波が世の中を多い、本質を見ることなくただただ値段の問題へと還元されてしまう専門業務。それは何も残らないイナゴの大群の通った後の風景を思い起こさせる。

そんな思いを抱えながら世の中を眺め、なんとか耐え忍んできた身にとっては、信次郎がどうには現状維持の生活からなんとか上昇のスパイラルへと希望を描き、数多の可能性の中のベストなシナリオしか頭の中に思い描けなくなってしまったかが良く分かる。それほど、社会の下で必死に生きている人の姿をよく理解し描いた作品だと思わずにいられない。

二人目の主人公の藤崎みどりはかもめ銀行の銀行員。職場での淡い恋心や上司からのセクハラ、奔放な妹への心配、自分を目当てに通ってくる少し地方気味の老人顧客への対応など、まさに日常の中の些細なことではあるが、本人にとっては非常に大きな問題を抱えながら生きている。

最後の主人公は、チンピラの野村和也。パチスロで生活費を稼ぎ、水商売の女のヒモとなり、ヤクザの友人とトルエンの強盗を繰り返し、そこからヤクザに追われることにあっていく。

それぞれの状況が徐々に徐々に「最悪」の方向へと沸騰していき、あるとき急に沸点に達したかのように事態が動き出す。そしてバラバラだった三人があるところで運命に引き寄せられる。

三人が三人とも、なんで真面目に生きているのに、何で頑張っているのに、それなのにどうして俺だけ、私だけこんなに悪い方向に進んでしまうのか?どうして俺だけこんなに負担が大きいのか?なんで頑張っているのに人生がよくならないのか?という思いにかられながらも坂を落ちていくようにどんどん「最悪」へと嵌っていく。

まさに読んでいて、気持ちのよいものではない。それだけに描写が素晴らしいということである。恐らく日本人の誰もが、主人公の誰かのどこかに自分の日常を写し合せることができるのだろうと想像する。それだけ日本人は真面目で平凡に毎日をこなしている。それなのに、悪い方向へといってしまう。

あっという間に読み切れてしまうスピード感ある良作である。


2013年12月2日月曜日

吸い上げる都市


地縁について思いを馳せる事とともに始まった今年の師走。

地縁というのが脈々の日本の各地で続いてきた時代というのは、明治以前の様に都市間での移動が非常に難しい時代をベースにしていた。時代は流れ大正、昭和になっても、各家庭には複数の子供がいて、長男は家を地元に残り家を継ぎ、次男や三男は都市に出て仕事を見つけるというスタイルが成立していた。

更に時代は流れ少子化と核家族化が進み、それが社会の多数を占めるようになった時に、既に地縁というものが消えていく傾向は始まっていたはずである。極めて限られた大学進学率を誇っていた時代には、地元から選抜されたエリートがより大きな地域や国の為に仕事をする為に、都会の大学へと進み、そのまま都市に残って生活を営んでいく。そういう時代は生まれ育った都市から出て行くことのハードルがまだ高かったと想像に難くない。

しかし大学全入時代を決定付けた2007年に代表されるまでも無く、少子化の果てに誰でも経済的余裕があれば大学に入れる時代になってしまい、それに伴い18歳になった子供の多くが親元を離れ都市部や他の都市へと移動する。

既に核家族化した多くの家族にとっては、長男も次男も差が無く、よりよい将来の為に少しでも良質な大学へと地元を離れ学をおさめ、更に能力次第によって別の都市、更に巨大な都市へと移動し力を発揮していく。

機会を求め、待遇を求め、仕事を求め、優秀であればあるほど、都市に吸い上げられていき、その吸引力は一生に渡り発揮される事になる。

地元回帰意識が強く働く時代であり、都市間にまだ距離と移動の困難さがあった時代というのは、地方が地方の存在意義を持ちえたが、移動が容易になり都市間競争が大都市の圧勝として決定付けられた現代においては、各地方に根を張ることよりも、大都市がそのフィールドを広げていく事の方がコスト的にもビジネス的にも強さを増してしまった。

その時に地方の意義といものを強烈に再定義しえた都市以外は、移動が容易になって簡単に流出していく人材に対して引きとめる引力として作用を持ち得ないことになってしまう。その地に残るのは「ここが住みやすいから」というポジティブな理由なのか、それとも「別に出て行く理由がないから」というネガティブな理由なのが不明瞭になっていく。

大家族的経営が行われていた高度経済成長時代。誰もが右肩上がりで、大きな傘の中で身内を守りながら成長するモデルは、社員の家族までもその傘に入れる事ができ、転勤という巨大な人口再シャッフルによって、地元回帰を成して地縁を維持することが何とか可能であった。

その時代はかつてのこととなり、世界的な競争に常に晒され、効率化を日常的に行い、無駄なものは全てそぎ落とし、限られた身内を守ることで精一杯となった日本の企業。各家庭もメンバーが少なくなり、依存できるのは一等親までの極めて近しい身内のみという状況で、家族を守る為に少しでも良い条件を求め、過酷な労働条件でも、とても上等とは言えない生活環境でも甘んじて受け入れ、歯を食いしばるように手に入れた仕事にしがみつき、多くの人間を都市へと吸着する。

自分を振り返っても、恐らく10年前後の間には両親もこの世を去り、既に地元を離れて生活を持っている兄弟と共に、住居を処分し、墓の処理を話し合い、地元とは違った場所で生活を持つことになり、更に地元との縁は薄くなる。

何年かに一度行われる高校などの同窓会にもやってきてはホテルに宿泊するのかと思うと悲しくなるが、それが現代に突きつけられた事実。多くの人がそうして場所を変えながら生きていく時代。

そこには加速度的に増加する大都市と地方との格差であり、特権化する都市の引力。と同時にそのシステムは都市がどんどんと小さな地方を崩壊させていく姿に他ならない。何が地方を疲弊させるのかといえば、人材がいなくなることであることは間違いない。

中心と周縁というテーマに再度向き合いながら、新しい局所的な多中心を作っていかなければ本当にこの国の未来の風景はまったく変わってしまうものだと思わずにいられない。その為にも、抵抗する事ができない現代の資本主義に支えられたこの都市の引力を前提として、新しい地縁のあり方、離れてもそれでも切れる事のないネットワークとしての地縁を想像していかないといけないと心から思う今日この頃である。

2013年11月3日日曜日

「「都市縮小」の時代」 矢作弘 角川oneテーマ21 2009 ★


石油埋蔵量がピークを打ち、いつ地球の油田の底が見えるのかとビクビクしながらも、エネルギー転換に舵を切れないのは、石油エネルギーを前提に現行の市場経済が制度設計されており、その前提が崩れると大きな利権を失う人たちがあまりにも巨大な力を持ちすぎているために、新しい時代へと舵を切るのを堰きとめるような圧力となっている。

どこの世界でも、どんな時代でも、社会の前提が崩れるときは、現行制度で利権を持ちえる組織や人々が大きな抵抗勢力となり、社会的に見たら一刻も早く問題解決のために新しい前提を構築していく必要があるにも関わらず、個人や組織の利益を守るために社会や国というものがないがしろにされる。

そうした誰が利権を持っているかがはっきりする分野では話が早い。

国の人口増加がピークを打って、緩やかに減少に向かっていく。国という制度設計の多くが人口が増えることを前提に作られている中で、誰もがこのままではこの国が成り立たないと少し考えれば分かるにも関わらず、硬直したシステムから享受するものが多い人や、「自分の任期、自分が現役でいる間だけはなんとかこのまま行ってくれ・・・」という、ささいなエゴを心に抱えて日常を生きる人々の総体と、変化を望まない大きな力に助けられ、問題が放置され続けているこの数年。

日本の人口

建築は人がいて、経済活動があり、新しい家族を作り、そんな何かが始まるときに必要とされるものであり、その時に初めて設計活動が必要となる。ただでさえ、経済が停滞し、建築という巨額の投資となる行為が気軽に行えなくなってきた21世紀においては、ひたすらに少なくなるパイを多くの建築家が取り合うという事態になっている。

それに加えて今度は人口が減っていく。そうすると「建築設計」という行為を生業として生きていく建築家という存在自体が、今後の時代にかなり危うい存在になることは間違いない。それにも関わらず、毎年同じ数の建築学科へ入学し卒業する学生の数は変わらず、プラス国民年金だけという老後を送ることになる自営業の老年建築士にとって退職して悠々自適な老後という言葉は存在せず、動ける間は働き続けることになる。つまり上は減らずに、下からどんどん増えてくる建築家。それに対して仕事の数はどんどん減っていく。

そういうことを考えたら、建築学科も募集人数を大幅に減らすか、隔年ごとに募集をかけるなどの処置が必要になると思われるが、こうしてしまうと今度は教師たちをどうする?という問題になり、とりあえず社会の問題はおいといて、安定した職をある一定の人の間で確保できるようにしておきましょうとなってしまう。建築学科をでても、建築家にみんながなるわけではないので、まぁいいじゃないか、という訳か。

まぁとにもかくにも、人口が減る日本というのは現在進行形の事象であり、それを縮小社会、シュリンキングなどと呼び方は変われど、自らの職能の存続に直接に関わりがありかつ、近い将来に訪れる地方都市における悲惨な状況において専門家として仕事を確保するための布石かの様にという訳でもないだろうが、やはり建築家にとって社会や都市というのは魅力的な扱う対象物であり、純粋にそれらの前提が変わり、新しい状況が現れるときにどのような設計ができるのか?を考えることは職能を刺激するトピックでもある。

そんな訳で何年も前から今後人口が減少する社会、都市、国においては、どのような都市空間が必要となり、どのような建築的設計が要求され、既存の社会インフラをどのように更新し、ストックを浪費せずに、かつ姥捨て山社会をつくりださずに、どうやって新しい社会へと移行していけるか?そんな言説を発する建築家が物凄く多くなってきている。

もちろんこの問題は、建築だけではなく、日本が本気に向き合うべき大きな問題であり、結局無駄を垂れ流しながらも税金を注入し続け、実質破綻の市町村は高位の自治体が面倒を見ながらなんとか先延ばしにしていこうということはもう通用しないと誰もがわかっている問題である。

そんな人口減少の時代。縮小するのは国だけでなく、都市もそうであり、人が減ることになった都市がどのような状況を迎えるのか?その前例を世界中から拾っては紹介する一冊である。

世界中を周っていれば、いやが上でも目にすることになる都市の歴史。港湾都市だったコペンハーゲンが物流の主流の転換によって廃れ、荒廃した湾岸エリアをどのように生き返らせたか?こんなことは長い歴史の中で何度も何度も行われていることであり、ロンドンしかり、大航海時代から現代に至るまで、何度も産業と経済に翻弄しながらもなんとか自らを適応させて生き延びてきた。

その街が生き延びていくためには、物凄いエネルギーが必要になる。それは行政関係者はもちろんのこと、その土地に住まう人々が、新しい社会に適応すべく、自らを変えていくという意志がエンジンとなって変革を進めていく。

しかし、今回迎えるのは「人口の減少」という未曾有の事態。それは各自治体が競争に負けて廃れていくという今までにも起こったことを下敷きにはしているが、グローバル社会と世界的交通網の整備が完成された現代においては、自由主義経済によって人がよりよい機会、より良い環境を求めて移動していく。誰もそれを止められない。そうなった時に、縮小する都市の数は加速度的に増加する。

今までの人類の歴史においては、この移動距離にリミットがかかっていたことと、その移動速度が限られていたこと。また他の場所での情報が限られているなど、ある程度生まれた場所に人々をとどめておくための条件が整っていた。それがフラットにされてしまった現代。そこにやってくる人口減少。この二つが相絡まりあいながら作り出すのが縮小都市の群れ。

デトロイト、セントルイス、ライプチヒ、福井、長崎・・・

縮小し、そのことを受け入れ「賢く小さくなる」ことを掲げながらも生き延びようとする都市もあれば、いまだに旧態依然の大きくなることへの欲望を捨てられずにいる都市もあるが、家族との繋がりが薄くなり、土地への吸着力が弱まり、どこにいっても軽く生活を始められる現代の世代の到来がその後ろに大きく背景として横たわる。

かつてなら、大学進学や裕福な家庭出身とうい限られた人間だけに与えられた「移動する特権」が全ての人間に与えられている現代。それがまるで非正規雇用が増えるように、短期的な幸福を求めて人が流入する都市。そして流出していく都市。

この都市で生活することは私が求める幸福に対してある程度の満足を与えてくれるから、私はこの場所に居を構えます。ただし、もっと良い条件を与えてくれる場所があれば、すぐに出て行きますのでよろしく。

と言わんばかりに軽く住まう現代人。それでも、まるでフワフワと漂うようでも、ある種の魅力を抱え、人を呼び寄せる都市とそうでない都市とに二分化していく。都市の勝ち組と負け組。

世界中と日本の縮小都市の例をあげ、一般解と特殊解。マクロとミクロの政策を紹介しているが、はっきり言ってこの問題に万能な対処法は無いのだろうと思わずにいられない。それと同時に、長い長い地球の歴史から眺めてみれば、都市が縮小し、都市生活が危機に陥ることは、おそらくひどく一般的なことなんだろうと思わずにいられない。

戦国時代に栄華を誇ってきた都市が、今でも同じように社会の中心として存在しているのは極めて稀で、勝者の場として限られた都市だけに許された特権であろう。歴史でよく語られる街が、今はビックリするくらいの小さな街として存続していることも多々ある。

環境変化に適応できなかった生物が自然に淘汰されていくように、都市も同じように厳しい競争に晒されている。生命の存続に公平な競争なんて内容に、都市間での競争にも始めから不公平が付きまとう。それが地理、規模、行政の優劣、地場産業の有無など。それでも必要なのはその場所が次の世代の日本にとって本当に残っていくべき場所であるかどうか?その場に住まう人たちが真剣にそれを望むかどうか?が恐らく近い将来、我々世代とその子供世代が真剣に向き合っていく課題になっていくのだろうと思わずにいられない一冊。

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目次
第1章 世界の町が小さくなっている
・21世紀、縮小都市がメジャーになる
・なぜ、縮小するのか
・縮小都市はは悲惨か?
・「賢く小さくなる」制作研究
・国土計画と縮小都市

第2章 夢から覚めたアメリカの街
・「頭脳」がアメリカの都市を救う
・アメリカ南部の揺り戻し

/ウアングスタウン
・空き家に死体が転がっている
・スマートに衰退する法
・縮小は敗北ではない!
・都市を持続させるために

/デトロイト
・超高層ビル群の廃墟
・社会変革を目指す都市農業運動
・カジノは都市を再生しない

/クリーブランド
・アヴァンギャルドは倉庫暮らし
・蘇る文化遺産と「倉庫地区」
・工業デザインで「中西部のミラノ」を目指す
・デザイン力がまちを救う

/セントルイス
・都心、賑わいを取り戻す
・「ダウンタウンで食事をしましょう」運動
・官民のパートナーシップ
・アートがまちを救う

/バッファロー
・往時の賑わいを回復することは不可能
・悪循環からの脱却
・メディカルコンプレックスがまちを救う
・楽観論ばかりではない

第3章 絶望からはい上がるドイツの町
・ヨーロッパの縮小都市事情は複雑

/ドレスデン
・倦怠と希望の斑模様
・パンクとバブルと荒廃が混在
・変貌する中央駅前
・市場経済化の勝ち組風景

/ライプチヒ
・プラス/マイナス相半ば
・ライプチヒは勝ち組なのか?
・不動産の需要と供給がま逆
・まちに「孔」をあける

/ライネフェルデ
・農村風景の中に出現する工業都市
・縮小都市のパイオニア
・集合住宅を縦横無尽に改造

/フランクフルト(オーデル)
・国境の町の失望
・非現実的な夢
・宮東ドイツ時代に比べ家賃は3-5倍に
・団地住民の戸惑い

/デッサウ
・廃墟に魅せられて

第4章 復活を遂げる日本の地方都市
・日本の縮小都市
/福井
・性懲りなき郊外開発が今、重荷に、
・郊外区画整理に喘ぐ
・土地浪費、車依存の土地利用
・コンパクトシティ福井づくり

/釜石
・高炉の火が消えても
・「釜石の希望」を共有しあう
・次々変わる「総合計画」

/飯塚
・旧炭鉱町がITに賭ける
・「助け合いネットワーク」が機能する

/長崎
・「斜面地都市」長崎の衰退
・斜面地をいかに暮らしやすくするか
・コミュニティ再生の「長崎モデル」

/泉北
・「限界集落化」するニュータウン
・老朽化が泉北離れを加速させる
・建て替えとリニューアル

あとがき
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2012年12月27日木曜日

新しい時代にあった飛行機の乗り方

年末年始。様々なところから家族で過ごす故郷に向けて、いろんな人が移動する時期。

北京からKLまでの6時間強のフライト。3人がけの席の後ろに陣取ったのは、夫婦と小さな女の子と赤ん坊。チケットが必要な年齢に達していないためか、その席の横にはもう一人若い女性が陣取って、3人がけに5人が座るという事態になり、航空会社のスタッフが「これはありえない」となにやら揉めている様子。「この子達は2歳に達してないから。」という夫婦の説明によって、なんとか横の女性が我々の座る席の間に移動して落ち着く。

そんな訳で、その夫婦、早速空いた席に上の子を座らせてスペースを確保するが、飛び立ちもしないうちからその上の子が泣き叫ぶ。周囲の乗客(正月を国で過ごすと思われる、マレーシア人や正月休暇をあったかい場所で過ごそうとしている外国人)も、さすがに子供だからと、みな困ったなぁという視線は送るがそれ以上何も要求できずという状態。

せめてあやして泣き終えるようにするとか、何かしゃぶるものを与えるとか、少しは周囲に迷惑がかかってしまって申し訳ない的な行動を取るのかと思っていたが、心の相当強い夫婦なのか、それともまったく社会性をどこかに置いてきてしまったのか、それとも自分たちだって困っているんだと開き直ってしまったのか、それとも子供を持つ親というのは大変なんだという方向に行ってしまったのか、とにかく何らかの対応を取る気配はない。

それどころか後ろをチラッと眺めると、泣き叫ぶ二人の子供はほったらかしに、ウトウトと眠りに落ちる夫婦の姿が目に入る。しかしこの子供達は更に激しく泣き叫び、まさに阿鼻叫喚の様。しかもそれが日本人というオチ。

用意しておいた耳栓を奥まで詰めても、アイフォンに入れておいた激しい音楽を最大ボリュームでイヤホンに流しても、その声は鼓膜まで届きBGMとして成り続ける。どうせ眠ることは無理そうだからと激しい音楽を聴きながら、この問題について考えをめぐらせる。

年末年始、ネット上でこの問題に対してあーだこーだと問題になるが、子供は泣くものだとか、子連れでは飛行機に乗るなとか、泣く子供連れならビジネスに乗れとか、逆にそれだとより高いお金を払って苦痛を感じずに旅をするはずのビジネスシートの意味が下がってしまうとか、子供を持った親じゃないとこの苦しみは分からないとか、その場の感情論的な意見は多々あるが、恐らくこれは時代が変わりインフラがその変化について来れていない歪の現れである。

昔の親は子供が自制が効くまでは、このような空間を他人と共有する行動はしていなかった。泣いてしまう子供がいるのなら、時間がかかっても車で高速道路を使って里帰りし、車内で泣いてしまう子供でも、家族としてその時間を受け入れていた。それに比べて今の親は、公共性や他の人に気を遣わず、便利であることだけで公共交通を利用して、迷惑の押し付けが多すぎるという意見も聞く。

しかし、やはり公への気の遣い方のモラルハザードはあるとしても、グローバル化が進んだ世の中において、どうしても個人で所有できる移動手段では辿りつけないほど、家族と自分たちの住まう場所の間に距離ができてしまったことは間違いなく、そうなると公共交通手段に依存をしなければいけなくなるのはしょうがない。

だからといって、「私も大変なんですよ。困ってしまっているんです。だから文句は一切受け付けません」的な雰囲気を醸し出す親たちの姿が正しいのかといえば、それもまたそうとも言えない。

そうならば、そういう抵抗することのできない社会の変化に対応すべく、公共のほうもシステムの在り方を柔軟に変化させていくほかない。数年前に「女性専用」という摩訶不思議な車両を東京の鉄道会社が導入し、世界に日本の異常性を見せ付けたが、今こそこのような空での時間の過ごし方に対して、独自の対策を採用する航空会社が現れるべき時代に入ってきているのだろう。

それなら何が可能かというと、やはり子供連れの乗客にはある一定のシートを「優先して」割り振り、他の乗客と距離をとって空間を分離する方法しかなくなってくるように思える。KLで宿泊予定のホテルも、明確に「12歳以下の子供はお断り」とうたっているように、これは「差別」ではなく「区別」であり、たとえ自分の子供が泣かなかったとしても、同じ子供を持つ親としてそのリスクを共有し、その空間を共有すること。そんなことを実行する航空会社がでてきてもおかしくない時代に来ているのだろう。

後部の座席は子供連れが座るようにして、前に来るにつれて、ところどころに防音の良く効くカーテンで仕切っていく。泣いた子供をあやす姿を横の親が「大変ですねぇ」という言葉にも、これならより一層の重みが加わるというもの。

グローバルに展開する世界では、如何に「差異」化するかが生き残りの道であり、その中では逆に子供連れの乗客はお断り、という航空会社が出てくるかも知れない。そうすれば、子供連れもOKですというチケットはもう少し安くなって差異化が加速し、後は顧客の「選択」次第ということになる。リスクを知り、自らが「選択」をした結果であれば誰も文句は言えないが、「選択」が与えられない中で、ただ「偶然」に乗り合わせてそれを強制されるよりははるかに納得感が増えることになる。

自分の立場によって意見がブレまくるこの問題だが、時代の流れを考えると、上記のような勇気ある航空会社が現れるのもそう遠くは無いなと確信する。

どんな時代に入っていっても、公共性というココロを失うことはしたくないなと心に誓う空の上。

2012年11月3日土曜日

帰ってくると

4ヶ月ぶりの日本に戻る。中国のスタッフにはホリデーで戻るかのように見えているようだけど、土曜日に東京に戻って、次の日曜日に北京に戻るまでに会計士さんやら進行中のクライアントさんやら、これから始まりそうなクライアントと敷地を見に行ったりやらで、計15近くの打ち合わせをこなさなければいけず、一つでも段取りにミスがあれば、ドミノ倒しの様に次の打ち合わせに影響ができるので、毎日かなりの緊張感を以って過ごすことになり、決して心休まるホリデーなどではなくなるのが常。

土曜日を最大利用するために、朝の4時に起きて手足の凍えそうな真っ暗な大気の下でタクシーを拾い、すでに活気の出始めている空港を通り抜けゲート前にたどり着いて妻と一緒にややホッとして、登場と共に眠りに着く。壊れていない荷物にホッとし、アクセス特急で都内の事務所に戻る。打ち合わせをしてその後一人だけ直接実家に戻らなければいけないということで、妻のご両親と弟さんが車で来てくれており、妻と一シィに荷物を以って行ってくださった。

事務所で月曜からの打ち合わせに向けて打ち合わせをし、会計士との打ち合わせに必要な資料を整理して鞄に詰めて品川に向かってひかりに乗り換え。こんな時ばかりはと持ってきていた小説を着々と消化しつつ豊橋経由で岡崎へ。

タクシーで実家につくころには19時を回り周囲はすっかり暗くなり、久々の母親の手料理を味わって人心地ついた21時に予定していた通りにプレ・スクールを経営している同級生が迎えに来てくれ、依頼をしてくれている新しい保育所のプロジェクトの概要を聞くために居酒屋へと向かう。

詳しい概要をヒアリングしていると、地元で幼稚園を長いこと経営し、政治家としても活動し、目前に迫る衆議院選へ出馬を予定している別の同級生も急がしい間を縫ってやって来る。忙しい選挙活動の動向を聞きながらしばらくお酒を飲みながら一緒になってプロジェクトの概要を聞いてくれたり、経験者ならではのアドバイスをくれたりする。

地元の様な中規模の地方都市では、JTや商工会議所などの集まりでかなり同年代の横の繋がりができるようで、このプロジェクトの賃貸部門を担当してくれる不動産を手がけているクライアントの友人も合流し、話がつきることなくすでに深夜を回る。

代行を呼ぶ間にもう一見とお店を変えて、「明日は7時から敷地を回れればと思っているので」と渡されたスケジュールは一時間後とにびっちりと打ち合わせが入っており、いくら時間が厳しいといってもすでに2時近いし・・・ということで、8時集合に変更して、代行にて実家に送ってもらう。

まだ起きて待っていてくれた母親と一緒に、妻から頼まれていた引越しで消えてしまったティファールを探すために段ボール箱を開けては閉めてを繰り返し、やっと見つかり寝床に着いたのはほぼ3時。移動距離に比例するくらいに密度の濃い日本初日。