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2017年6月22日木曜日

Western Concourse at King's Cross ジョン・マカスラン(John McAslan) 2012 ★★



London Holocaust Memorial Competitionにも参加しているスコットランドのグラスゴー生まれの建築家ジョン・マカスラン(John McAslan)  設計によるキングス・クロス駅の改修。

ロンドンから北に向かうだけでなく、ユーロスターがかつての始発駅であったウォータールー駅から、このキングス・クロス・セント・パンクラス駅へと延長・変更されたことで、ヨーロッパ大陸への玄関口として機能することで、以前よりも頻繁に足を運ぶようになったこのキングス・クロス駅。今回は明日から向かうヨーク行きの電車のチケットを受け取りに立ち寄ったのだが、やはりハリーポッターのワンシーンを思わせる19世紀のイギリスのターミナル駅の雰囲気と、柔らかな構造をもった未来的な巨大屋根との対比は、現在のロンドンを象徴する都市空間となっているのは間違いないだろう。








2016年11月10日木曜日

コート・ハウス(Paris Courthouse) レンゾ・ピアノ(Renzo Piano) 2017 パリ



我々MAD Architectsがパリの北部バティニョール(Batignolles)で進めている高層住宅UNICはパリ市が中心となって進める、環境に配慮した新しい大規模都市開発の一部。我々の建物は来年に基礎の建設が始まる予定となっているが、開発のあちこちでは様々な建築家の設計による建物がすでに多く立ち上がっている。


この計画の中心となるのが、パリの中心で現代アートの殿堂として建築の歴史にポンピドゥー・センターのコンペにおいて名を刻んだイタリア人建築家レンゾ・ピアノが再度、このパリの街のランドマークとなる建物の設計を手がけることになったとして注目を浴びているプロジェクトである、Paris Courthouse。つまり現在シテ島に位置するパレ・ド・ジュスティス(Palais de Justice, House of Justic)に入る司法関係の施設が入ることになる高層ビルである。

位置するのはパリの北西を占める17区で、RERの通るポン・カルディネ駅(Pont Cardinet)と地下鉄のブロシャン駅(Brochant)の間。南北に伸びるマルティン・ルーサー・キング公園に沿って、東側の建物はほぼ完成しており、駅との間の西側の建設が急ピッチで進んでいる。

出勤ラッシュの朝のパリ。先日結果が発表され、トランプの次期大統領就任が決定的となった2016年アメリカ合衆国大統領選挙の結果を受け、「パリでメトロはできれば避けたい時期だな・・・」と思いながら、通勤の為に市中心に向かう人の流れに逆らって、郊外の雰囲気を感じられる17区にでる。

まだまだ開発の途中ということで、周辺の道路には大型のトラックが行きかい、様々なところで歩行者の通行禁止となっており、なかなか自由に動き回れないが、それでもマルティン・ルーサー・キング公園の中を、散歩やランニングをする地元の人々とすれ違いながら、小雨の降る寒い中とぼとぼと北に向かいながら、見え方を変える西側の敷地に、来年に立ち上がってくる建物の姿を想像しながら、足を進める。

公園を北に抜けきると、その前方には、三段のブロックがセットバックするようにして相当な高さまで立ち上がっている目的の建物を見つける。これがレンゾ・ピアノのコート・ハウス(Paris Courthouse)。敷地周辺は完全に建設現場として封鎖されており、諦めて線路の逆側にでようと西側に向かって歩くが、線路の真下まで来たところで、きりが無いのでは・・・と少々嫌な予感を感じて、来た道を帰り公園を横切り、ポン・カルディネ駅まで到着し、今度は駅のプラットフォームで電車を待ちながら開発風景を眺めることにする。





パリ17区









2016年2月4日木曜日

姫路 ★★★



淡路島から夜の高速を飛ばして3時間近く、やっと宿泊地の姫路に近づいたと思ったら、携帯にオフィスから連絡があり、パートナーが「明日提出の資料が全然できてないから、今からメールするからスケッチしてチームに送ってやってくれないか」ということで、一日移動と運転を繰り返しへとへとになった身体に鞭打って、とりあえず中心部の姫路城近くに予約した宿へとチェックイン。

ホテルの受付のスタッフが思いのほかチンピラ風情で少々驚きながら、必要資料をダウンロードししながら観念しつつ、とりあえず腹ごしらえだけでも・・・と近くの海鮮料理にてせめてもと海の幸を味わうことにする。

「嫌だ、嫌だ」と目をそむてけも、誰かが代わりにやってくれる訳でもなく、観念して狭いビジネスホテルの狭いテーブルに向かい、一枚一枚トレーシングペーパーを重ねて鉛筆を走らせる。結局全てを描き終えてメールを送信したのは深夜を回っており、大浴場もすでに閉まっており、しょうがないのでシャワーで済ませてベットにもぐりこむ。

播磨国の中心として栄えたこの姫路。世界遺産にも登録されている姫路城を始め、日本人なら非常に馴染みが深いその地名。江戸時代までは全国有数の藩として多くの人材を輩出していたが、播磨国で書いたように、転機が訪れたのは明治維新。佐幕派としての立場を取り続けた姫路藩は明治の文明開化の時代において、非常に冷遇をされることになり、歴史の中のイメージと現代における地政学における重要度におけるギャップを生み出しているという。

逆に言えば、現代の急激な発展から距離をおくことになったからこそ、歴史の中で重要な地位を占めた都市が、現代の中でもその中心地をズラすことなく存在し、かつての都市のあり方を残しつつ、また近代化における鉄道中心の都市づくり、そして現代の車社会のおける都市のあり方が多様にオーバーラップして現在の街並みができているのが良く見て取ることができる。

JRと山陽電鉄の姫路駅の北にやや距離を置いて姫路城がドンと鎮座しており、その城を取り巻くように、広大な都市公園が良好な自然環境を伴いながら存在している。必然的に、人の流れは駅から北に向くことになり、姫路城の前を走る国道2号線から駅までの間に様々なアーケードなどの繁華街が広がっている。

城下町としての基盤を持つ他の多くの都市に見られるように、姫路城周辺には良好な自然環境とともに共存するように、様々な学校が小学校から高校まで広く配置されており、周囲を車で走っていると、ランニングをする学生たちの姿を多く見かける。調べてみると、賢明女子学院高校、白鷺中学校、姫路東高等学校、城乾中学校、城乾小学校などなど。「この一等地に位置するなら歴史のある新学校に違いない・・・」と調べてみると、思ったほどではないらしい。それにしても、やはり姫路城周辺の雰囲気はとても良く、噂で耳にするような姫路の雰囲気とはかけ離れ、とても落ち着いた住宅街の風景であり、ここで育つ子達はきっと素直に成長するのだろうと勝手な想像を膨らませる。

初めて訪れる街は、できるだけ夜の繁華街を練り歩き、アースダイバー的に歴史の襞を一枚一枚めくるようにして過去と現在を身体で感じながら、その街の活気や人々の生活の雰囲気を感じ取るのは何よりもの楽しみであるのだが、今回は明日の早朝になんとか播磨国一宮である伊和神社までいければと企てているので、夜の姫路を散策するのはまたの機会に譲ることにして、明日一日かけて姫路を体感することに期待する。





2015年2月21日土曜日

高知駅 内藤廣 2009 ★★★


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所在地  高知県高知市栄田町
設計   内藤廣
竣工   2009
機能   駅舎
規模   地上3階
構造   木造・S造(大屋根)・SRC造(北口キャノピー)
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日のある内に建築をできるだけ回ろうとするとなると、朝の時間を活用することになる。図書館や美術館などの公共建築はどうしても開館が9時や10時となり、日の出からそこまでの数時間を無為に過ごすのはどうしても許されない。

そんな訳で、その時間でも建築を体験できる場所に足を向けることになる。それが寺社などであるが、建築の中でも人の営みと時を同じくして時間を動かし始めるタイポロジーがこれに入る。その一つが駅舎。

現代社会においては、駅という国に引かれた都市を繋ぐ線分が人と物の移動を促進し、繋がることが価値を作り出すと言う鉄道網が国の地勢図を大きく書き換えた。中世までの徒歩や馬といった限られたスピードからもたらされる移動距離で長く保たれた地勢図は、圧倒的な動力に支えられたスピードを持った鉄道の前に、多くの地域がその存在感を消していったのは間違いない。

縮小社会を向かえ、コンパクトシティの必要性が叫ばれる現代日本においては、地域拠点としとなる有力な地方都市の中でも、その地域活動の拠点となる場所が全体としてネットワークに結束するこの駅舎。

その駅舎をどう街の中で位置づけていくか。その駅舎を中心としてどうやって新しいこれからの都市像を描いていくか。利権にまみれて、何もしなくても困ることの無い収入を得ることを覚えた駅前商店街の地主たち。高齢を迎えた彼らが自らの利権を守るために、本当は人を呼び込み、人を動かす活力としてあるべき都市の魅力である駅前空間が廃れて久しいのは、日本全国どこでも見られる光景である。コンビニと同じくらいに風景の一部となったその駅前の空間と、いったいどこの都市が変えることができるのか?

そんな期待感がありながら、どこの都市も答えを見せることができないままに、建築を、都市を相手にする建築家が自らの職能の限界を感じながら忸怩たる思いをしてすごしていたこの10年。

そんな中、先見の明のある行政のリーダーと、自分の世代よりも子供たちの世代にこの都市が魅力的な場所であることを願う地域の人々の行動力があり、はじめてその本丸である駅舎の改築という都市の顔を変える大事業が動き出す。

鉄道が線である限り、都市という面の広がりを持つ空間をどうしても二つに分断してしまう。それが現在の技術においては、駅舎を地面から持ち上げることにより、地面レベルを自由にし、水平方向のつながりを再度都市の中に取り戻すことが可能となった。

駅の北/南、駅の東/西という分断から、線分による制限が無くなった都市が繋がることにより、どれだけ大きなインパクトを都市にもたらすか。その価値をしっかりと分析することができ、今までとは全く違った都市の未来、都市の玄関口の価値を作り出すことに一歩踏み出したこのプロジェクトの関係者の勇気を感じずにいられない。

そんな訳で、朝の6時に起きてホテルをチェックアウトし、都市に生きる様々な人間模様が交錯する早朝の駅に向かい、入場券を購入してプラットフォームに。県産材の木材を利用して作られた木造の大屋根と杉板型枠で統一感をもたらしている足元の打ち放しコンクリート。「日本の駅」というイメージを全く覆す風の通り抜ける街に開かれた駅舎。こんな場所から、新たに生活を営む都市へと向かう電車に乗り込むのは、きっと素晴らしいイメージとして地元を記憶させるのだろうと想像しながら、階段を下りていくことにする。

1984年 ギャラリーTOM(東京都)(34歳)
1992年 海の博物館(三重県)(42歳)
1997年 安曇野ちひろ美術館(長野県)(47歳)
1997年 うしぶか海彩館(熊本県)
1999年 十日町情報館(新潟県)(49歳)
2002年 フォレスト益子(栃木県)(52歳)
2002年 ちひろ美術館・東京(東京都)
2002年 九谷焼窯跡展示館(石川県)
2004年 みなとみらい線馬車道駅(神奈川県)(54歳)
2005年 島根県芸術文化センター(島根県)(55歳)
2006年 二期倶楽部 七石舞台【かがみ】
2008年 日向市駅と駅前広場(宮崎県)(58歳)
2009年 高知駅(高知県)(59歳)
2009年 山代温泉「新総湯」(石川県)
2010年 和光大学E棟(東京都)(60歳)
2010年 練馬区立牧野記念庭園(東京都)
2011年 旭川駅(北海道)






















2014年4月8日火曜日

レニングラードホテル セブンシスターズ 1952 ★


昨晩、朝方までかかって準備しただけあって、思ったよりも英語表記の無いモスクワの街で公共交通を乗り継ぎしながら目的地を回るのも意外をスムースに進み、予定通りに午前の目的地を見終えて、一足先に今日の夜の便で北京に戻るという同行者がそろそろホテルに戻るかな?と思って聞いてみると、「次の目的地を見たらホテルに戻る」と言う。

という訳で、iPadの自作PDF地図を眺めながら駅名や道路名を確認しながら先を行く自分の後ろに、のんびりと周囲の風景を楽しみながらついてくる同行人というスタイルで午後もスタートすることに。

そして向かったのはモスクワ市の東側にあるセブンシスターズの一つ・レニングラードホテル。午前に訪れたウクライナホテル同様に、セブンシスターズの中に二つだけあるホテルのうちの一つである。

その名前の由来は目の前に鎮座するターミナル駅・レニングラーツキー駅。市内に9つあるターミナル駅の一つであり、北のサンクトペテルブルク(旧称・レニングラード)へ向かう列車が発着する駅である。

東の玄関口にあたるこのエリアは、いくつかのターミナル駅が並び立つ。レニングラーツキー駅の東には、ヤロスラフスキー駅。これはウラジオストクや途中から南下してモンゴルのウランバートルを経由して北京まで延びているシベリア鉄道が発着する駅である。その南にはカザン行きのカザン駅。

それらのターミナルに到着した人々が駅舎から外にでてモスクワの街で始めて目にするのがこのレニングラード・ホテルの壮大なファサードということになる。しかし先ほどまでのシスターズと比べて見ると良く分かるように、高さがやや低く136メートル(26階)。加えて両脇の建物も塔がなく、ボタッとした印象。そして全体的に装飾が少なく凹凸のないノッペリした表情。

なんとか正面からカメラに収めようと歩き回るが、周囲を大きな車道が走ってしまい、どうも正面からは見上げられず、やはり駅舎から出てくる人向けにファサードが向けられているようである。そのためにこのシスターズは市の中心部から見てもそれほど認識されないのではと勝手に想像する。

現在は、ヒルトン系列のホテルとして運営されており、300室以上の客室数を誇るという。ここに車での道すがら、そろそろ一人で帰るためには地下鉄の乗換えなどを把握しないといけないということで、少々焦りながらも路線名を駅名に注意を払い始めていた同行者が、「帰り道に迷うかも知れないからそろそろ帰るよ。内容の濃いツアーに参加させてくれてありがとう」と言い残して帰っていく。

それを見送って、後ろに見えるこの地のもう一つのシスターズ目指して歩き始めることにする。






ヤロスラフスキー駅
レニングラーツキー駅