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2019年9月14日土曜日

「プラハを歩く」 田中充子 2001 ★★


チェコのプラハで行われるreSITEという都市・建築のシンポジウムに参加するために、初めてプラハに出向くことになった。そんなことは話していたら、ちょうど夏休みにプラハとウィーンを回ったという友人から、「戻ってきてから存在を知って、手にしたら結構面白かったので、プラハに行く前に読めばよかった」と言われて借りた一冊。

著者は建築史を専攻し、京都精華大学で建築を教えていらっしゃる田中充子さん。どっぷりプラハにハマった様子が伝わってきて、実際にその街で時間を過ごした人らしい視点と、そして歴史を学んだ専門家の二つの視線を交えてプラハという一つの都市をじっくり解説している。

プラハといえば、世代的に浦沢直樹の漫画「モンスター」の舞台としてのイメージが強いが、本で紹介された様々な時代の建築を廻り、「建築博物館」や「百塔の街」と呼ばれるその歴史を少しでも感じてこれればと想いを馳せながら、あわよくばとミュラー邸やトゥーゲントハット邸に足を運べることを祈ることにする。

2015年2月16日月曜日

「沙中の回廊 上・下」 宮城谷昌光 2001 ★★★


「ちょっとここ読んでみて」と妻に蛍光ペンで引いた数行を見せる。

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自分の精神が饐(す)えてゆくことは避けたい。世知や常識にくるまってしまう自分を憎悪し、みずみずしさの残った感覚の棘(とげ)で虚空を搔(か)きたい。傷ついた虚空から何が滴り落ちてくるのか、それをみたい。蒼天(そうてん)のしずくが地表に落ちて赤い花と化す、そのような時に接したい。

---自分はまだ何も成していない。

花と化せば、いつ滅んでもよい。感覚がそういっている。
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「恐らく、この一節を世に届けることがかなり大きなモチベーションとなってこの小説を作らせたのではと思うんだ」と伝えると、「なかなか良い言葉だね」と妻。

そんな「これがこの本の後ろに見える著者の思想だろう」と思われる気合の入った数小節を見つけること、それが現代に生きながら、遥か時空を超えた日常を描く時代小説の一つの愉しみであることは間違いない。

冒頭に出てくる

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たれも士会の懸命な姿をみていなくてもよい。自分がどういう気持ちで何をしたのかは、自分がもっともよく知っている。自分を裏切ることだけはしたくない。
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この一節もまた著者の信念が滲み出る。

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士会は戦場を局部とみなさない。一つの小さな戦いが伏流を発すると考える。その流れが必然をつくり、大きな何かを地上に出現させる。それゆえに士会の脳裏にあるのは空間の多角だけではなく、時間の多角もあろう。
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碁盤の上に広がる無限の広がりを思わせるこの一節もまた、情報と技術が限られた時代に、戦場と言う広がりを持った状況を、時間と空間の広がりを持って理解し、分析し、対応することができた人間こそが、すぐれた将として歴史に名を刻んできたことを理解し、そこから何を学び、そして今我々が生きる時代に何を写し取るか。

そんな過去を生きた題材として向き合いながら、今の時間を生きていく。

そんな風に、生き生きとした「かつてそこにあった現実」として古代中国を捉え、そして少しずつでもその場に自らの身体を置いてみて、かつてそこで繰り広げられたであろう風景を、こんな歴史小説の想像力を借りながら自らの脳裡に再現してみる。

そんな実感を伴った歴史の楽しみ方。「晋(Jìn)」が山西省のナンバープレートだと思うのと同じくらいに、春秋時代の一角を担った様々な人材が描いた爽やかな風景を、荒涼とした大地の中に見つけていく、そんな旅に出かけようと思いながらページを閉じることにする。

2014年8月31日日曜日

「黒と茶の幻想 上・下」 恩田陸 2001 ★★★★★

高校の卒業15周年を記念しての発足させて高校の同窓会。5年に一度と決めた全体同窓会が来年の夏に迫ってきたために、各クラスの世話人に「そろそろ始動し、役割分担をしていきます」とのメールを送る準備をする。

そんな時に手にしたこの一冊。地方の公立新学校の卒業生が東京の大学に進学し、そこで出会ったもう一人の友人とともに、大学を卒業後、就職、結婚、出産などを経験し、40歳を目前にした時期に、思い切って4人の同窓生での小旅行を決行する。そのテーマは「非日常」。

ドンピシャで今の自分の年齢に当てはまることと、登場人物達の背景などもかなり感情移入できる部分もあり、久々に恩田作品で一気読みしてしまった作品である。恐らく相当部分が、著者自身の人生に重なる部分もあるのだろうと思うが、逆に言えば、地方出身で東京に大学に進学する多くの人がどこかしらに自分の人生と重ね合わせることができる物語であるという点においては、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」と同じ分類ができる作品である。

最近はあまり当たりの作品に出会わなかった恩田作品であるが、やはり日常のすぐ横の非日常に入り込み、その中を「歩きながら」物語が進んでいくというゆっくりした動作の中での物語りは、読書以上の身体体験をもたらし、非常にスムースに物語の同化させてくれる。

「上と外」でも見られてようなうっそうとした森の中で流れる時間と空間は、日常を過ごす都会の中のそれとはまったく違ったものになり、今まで見えなかったものを見えるようにし、聞こえなかったものを聞こえるようにしてくれる不思議なデバイスとして扱われる。

日本に暮らしていると山に上ることは多々あれど、森の中を歩くということは非常に少なくなってしまう。その森を歩きながら、前と後ろに歩いている同行人に語りかけながらも、その実自分に向けて発している言葉が森の中に漂うのを感じるのは心にとって計り知れない効用をもたらすのであろう。

多感な高校時代から20年近い年月を過ごし、その間に進学、就職、結婚、出産などの様々な人生ゲームの一ページをクリアしてきてはいるが、かつて思ったほど自分の中では当時思い描いていた未来の自分の姿にはなっていないと理解しながら今を生きる主人公達。

自分で選ぶことができず、生まれた場所で振り分けられる人生の第一部。社会に出ていき、仕事上の関係性で付き合うことになる人生の第二部で出会う人は、どうしても根底のところで共感をもてないのは、マイルドヤンキーだけに限られて事ではなく、こうしてたまに同級生であつまるまともな大人たちもまたしかり。

自分にとっての人生の根っこがどこにあり、その根っこを共有している人々が人生にとってどれだけの意味をもたらしてくれるかをしっかりと描くのが「夜のピクニック」しかり、著者の一番の強みであろう。

歩きながら話す。そして、旅の中で非日常に出会い、自らの過去に会いに行く。

そんな旅を重ねることができること。
そんあ旅を共有する仲間がいること。

それが人生の豊かさなのだろうと思わずにいられない。


2014年6月3日火曜日

「ドミノ」 恩田陸 2004 ★

貫井徳郎による「乱反射」を思い出させる群像劇。

一見無関係な人々が、些細なことで繋がって、ある事件の一点に収束していくその求心力。無関係な人々がそれぞれが主役として自らの日常を生きている大都市で生活をしていたら、何かのきっかけで横をすれ違うまったく接点のなかった人たちが巻き込まれていく物語を書きたくなる衝動はなんとなく理解できる気がする。

それが都市の魅力でもあるから。まったく接点を持たない人と、ある日突然関係を持つことになる可能性があること。それが良い関係も悪い関係もあるのが都市。

だからこそ多くの作家がこの群像劇に引かれ、それを題材として自らの想像力を駆使し、今まで誰も描かなかった収束点、個として散らばっていた点をつなげ、物語の中に徐々に線を引いていき、最後には広大な面を展開してみたい。その欲求は非常に理解できる。

しかし、群像を関係づけて、バラバラに見ていた事象を物語として昇華させる。その点が主題になってしまい、決して強い物語の背景がある訳ではなく、作家としてテクニックを競う舞台となってしまうのがこの群像劇の難しさ。

そしてこの一作もまた、これだけ多く関係性の無い登場人物を、最初から最後まで頭の中で理解し、使い分けで読み進めろと読者に共用するのはあまりにも自分勝手な振る舞いなのではと思わずにいられない。

そりゃ自分はそのアイデアに興奮し、妄想し、何ヶ月もかけて登場人物を作り上げ、それぞれを結ぶ線を作り出し、徐々にそれらの線を編みこんで面にしていく作業を繰り返しているからこそ、各登場人物を把握することが可能だが、それを真っ白なところからいきなり理解してついて来いというスタンスはやはり好きにはなれないと理解する一作である。

2013年6月9日日曜日

「スプートニクの恋人」 村上春樹 2001 ★★★★

恐らく大学時代に手にした一冊。久々に手にとって読んでみると、当時では分からなかった世界観の奥行きを感じる一冊。

世界初の人工衛星スプートニク1号
ライカ犬を乗せたスプートニク2号

その名前を冠された恋人とは・・・と思わせるタイトル。

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22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進むような激しい恋だった。それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、片っ端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。
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激しい導入の文句とともに幕を揚げる物語。


そのロシア語の独特の響きのよさからという安易な引用ではなくて、ジャック・ケルアックの小説『ロンサム・トラベラー』の話から、ケルアックらが分類されるアメリカの作家の世代ビート・ジェネレーション。それが「ビートニク」と呼ばれることから、それをうろ覚えしていて出てきたのが「スプートニク」。

主人公に小説家になりたくて、なりたくてしょうがない女性を持ってくるだけに、小説としてもかなり挑戦的な内容になるべくして、選ばれる言葉達も相当に情熱的であり、感傷的なものが多い。

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その無辺の宇宙的孤独の中に、犬はいったい何を見ていたのだろう。

〈記号〉と〈象徴〉の違いを200字以内で説明できる?

あたりがまだ真っ暗で、それはかつてスコット・フィッツジェラルドが「魂に暗闇」と呼んだ時刻に近いらしい。

春の大地を黒く湿らせ、その下に潜む名もなき生き物たちを静かに鼓舞する柔らかな雨だった。

わたしは本当のわたしの半分になってしまったの。

すみれは彼女にしかできないやり方で、僕をこの世界につなぎとめていたのだ。

人にはそれぞれ、ある特別な年代にしか手にすることのできない特別なものごとがある。

にもかかわらず僕はもう二度と、これまでの自分のは戻れないだろう。明日になれば僕は別の人間になっているだろう。
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そんな言葉の中でミュウの言葉を借りて語られる台詞は極めて現実的。

「どんなことでもそうだけど、結局いちばん役に立つことは、自分の体を動かして、自分のお金を払って覚えたことね。本から得た出来合いの知識でなくて。」

作者の好きなギリシャを舞台とするだけあって、相当な意欲作と呼べる一作。そしてその期待に決して裏切らない良質の恋愛小説。多感な大学時代に手にすべき一冊だろう。

2013年4月4日木曜日

「千年女優」 今敏 2001 ★


演じることは時間を飛び越えることなんだと改めて思い知る。
それはある種のタイム・トラベルに違いない。

一人の女優の生き様を彼女の人生と、その中で演じてきた役の人生を横断しながら、ドキュメンタリーとして客観的な第三者を介入させる。その後に展開する監督の夢と現実の横断を先取りするかのようなストーリー。

「彼女が追い続けた男は誰か?」
「どこに行ったのか?」

という軸では、次から次へと変わる設定が「またか・・・」の繰り返しに陥るのを避けられるかと言えば少々辛い印象。「演じる」ことが「タイム・トラベルなんだ」という軸に匹敵するくらいのもう一つ大きな軸が必要だった気がせずにいられない。


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スタッフ
監督 今敏
原案 今敏
脚本 村井さだゆき

キャスト
荘司美代子 藤原千代子(70代)
小山茉美   藤原千代子(20~40代)
折笠富美子  藤原千代子(10~20代)
飯塚昭三  立花源也
津田匠子  島尾詠子
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2010年4月26日月曜日

「祝祭日の研究 - 祝いを忘れた日本人へ」 産経新聞取材班 角川oneテーマ21 2001 ★★★★★






















奇数月と日が重なった日を特別の日とする、中国の重日思想。そのうちの一つ5・5の端午の節供。そしてその次に控えるのが、7・7の七夕。

「七夕」と書いて、普通に読めば「しちせき」。
それがなぜ「たなばた」 なのか?


旧暦7月7日。今の8月中旬ころ。月も上弦の季節。

天上にことさら輝くのは、こと座のベガとわし座のアルタイル。中国の呼び名は織女と牽牛。もちろん日本では、織姫と彦星の悲しいラブ・ストーリー。

古来中国では、元々夫婦であった二人が、天帝の怒りに触れ、天の川の東西に分けて住まされた話から来ているという。それが仏教伝来と共に日本に入り、日本古来の伝承と融合して現在の七夕物語に昇華されていく。

日本の古来の伝承によると、棚機女(たなばたつめ)と呼ばれる乙女がいたという。収穫を控えたこの季節、畑に神様を迎えるために、人里離れた川辺に機屋を用意し、未婚女性が神様を迎える・・・

「たなばたつめ」から「たなばた」へ。そして「しちせき」と融合し「七夕」へ。


西洋諸国と付き合うためにと、明治5年に政府が突然決定した太陰暦から太陽暦の改暦によって、大きな影響を受けた伝統文化。そして徐々に忘れ去られていく祝祭日の本来の意味合い。それを懇切丁寧に説明してくれる、今の日本に必要な一冊ではないだろうか。

今年の七夕祭りはぜひ、仙台まで足を伸ばしたいものだ。

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「国民の道徳」 西部邁
「年中行事を科学する」 永田久
「花の話」 折口信夫 
「日本の昔話」柳田国男 
「たけくらべ」 樋口一葉
「キリスト教2000年の謎」 小坂井澄
「時計の社会史」 角山栄 
「文明の海洋史観」 川勝平太 
「古都」 川端康成
「暦と日本人」 内田正男 
「じいさんばあさん」 森鷗外
「スポーツとは何か」 玉木正之 
「浮雲」 二葉亭四迷
「三四郎」 夏目漱石
「日本の祭りと大嘗祭」 真弓常忠 
「宇宙はささやく」 佐治晴男  
「文明論之概略」 福沢諭吉 
「義経」 司馬遼太郎
「陰陽五行と日本の民俗」 吉野裕子
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2009年8月21日金曜日

「時の渚」 笹本稜平 2001 ★★★★

「夏が終わろうとしていた」

と始まる相変わらずのハードボイルド小説。今回の舞台はいつもの山岳小説ではなく、事故で妻と息子を亡くし職を失った元刑事が、ホスピスで人生の最後の時間を過ごす老人から、35年前に生き別れた息子を探して欲しいと頼まれるとこから始まる。

老人が赤ん坊を託した女性を追うことで生き別れた息子へと辿りつこうとしやってくるのは信州の鬼無里村(きなさむら)。同時にかつて自分の妻子をひき殺した犯人を追う主人公。その家庭で向き合う様々な家族の絆。

しっかりと練られたプロットに、育ってきた背景まで見えてきそうな登場人物たち。35歳という年齢で交差する登場人物達のそれぞれの人生をその年齢にあと少しの時期に読むことができ幸せだと思える一冊である。
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第18回(2001年)サントリーミステリー大賞
第18回(2001年)サントリーミステリー読者賞
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2004年11月9日火曜日

「BROTHER」 北野武 2001 ★★
















武の映画だけあって、脚本はもの至極単純である。しかし間がいい。そういえば、映画中の武も凄く言葉数が少ない。それは間をつくるための沈黙であるかのように。

ヤクザの山本が日本に居れなくなり、アメリカにいる弟を頼りロサンゼルスに渡る。弟の真木蔵人が営む麻薬の売買のいざこざに突如武が現れ、冷たく圧倒的な暴力で組を拡大していく。最後はそのやりすぎからマフィアに壊滅させられるのだが、面白いのはアメリカでもヤクザをし、義理人情であるということ。アメリカ人にもそれを押し付けることだ。彼らは指をつめ、武を兄貴と呼び、あのヤクザスーツを着る。なんともカッコ悪い。

それ以外には真木蔵人が意外と英語が旨いくらいしか印象が無い。

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ヤクザの抗争の最中、組を追われ、ロサンゼルスに留学している弟・ケンを頼って渡米した山本。ケンは、黒人デニーたちとヤクの売人をしていた。そんな彼らが起こしたひとつの事件が、縄張り抗争に発展。ヒスパニックのチンピラからチャイニーズ、イタリアン・マフィアをも巻き込んだ、絶体絶命の戦争が始まった……。
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キャスト: ビートたけし、オマー・エップス、真木蔵人、加藤雅也、大杉漣、寺島進、石橋凌、ロイヤル・ワトキンズ、ロンバルド・ボイヤー、タティアナ・M・アリ、ジェームズ繁田、渡哲也
監督: 北野武
プロデューサー: 森昌行、ジェレミー・卜ーマス、吉田多喜男、ピーター・ワトソン
脚本: 北野武
撮影: 柳島克己
照明: 高尾齋
美術: 磯田典宏
録音: 堀内戦治
編集: 太田義則、北野武
音楽: 久石譲
衣装デザイン: 山本耀司
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