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2015年12月20日日曜日

自由と選択

40歳を目の前にして思う。孔子の曰う様に「四十にして惑わず」などということはやはり難しいものであると。

人にはやはり物事の向き不向きというものがあり、ある性格の人にはある一定の仕事や業種が非常に向いているということもあるだろう。また同時に、自分では気がついていなくても、周囲から見ればその人にぴったりの仕事内容ということもあるであろう。

逆もしかりで、その人がどんなに努力しても、その人の生まれ持った、また育ってくる中で育まれた性格がどうしても行っている仕事や業種に合わない、ということもあったりする筈である。

その為に人は人生で迷い苦しむのであり、いっその事自分の生活をよく理解し、自分の願う方向性をよく理解し、そしてかつ世の中の仕組みを把握したとてもできた大人が、自分の人生の時々に、方向性を整理し、仕分けをし、進むべき方向を示唆してくれる、そんなことがあったらどれだけ良いかと思うこともある。

かつての様に、社会がある種の閉鎖性を持ち、人生の枝分かれが限られていた時ならば、それほど迷うこともなく、疑問を持つこともなく、少々の不満は抱えながらも、誰もが置かれた場所で咲こうと与えられたことに全うできたであろうが、現在のどこまでもフラット化し、何でも選択可能。その代わり、どう選ぶかとそのリスクについては誰も教えてくれない。そんな世の中の自由の側面ばかりが取り上げられ、ポイッと社会の渦の中に放り込まれ漂う若者たち。

恐らく日本だけでなく、全世界が同じような思いを持った人々が現れだしているのを象徴するかのように、逆に信頼がおけるコミュニティが自らの未来を決定してくれるという未来像を描き出したのが昨年公開の「ダイバージェント」

誰もが不安で、どこにも答えがない時代。だからこそ、ドキュメント72時間「占いの館 運命の交差点」が描くように、多くの人々が未来を示してくれる占いに吸い寄せられるのであろう。

家族に仕事を辞めたことを伝えられず、毎朝会社に行く振りをして外にでても会社に行かず、近くの公園で時間を潰す人も少なく無い現代。家族や社会のために、責任ある役割を受け入れなければいけないが、それができることなら自分の性格にマッチしたものであってほしいとは、誰もが願うことである。

努力することでその差異を最小化することはできるかも知れないが、根本的に間違った場所に、間違った人が着いてしまうことの悲劇は社会で生きる人は誰でも目撃していることであろう。

「自由と選択」の次にくるのが「リスク」であることを十分に理解した現代社会。どこから良識のあるメンターが社会の中で必要とされ、存在できるだけの場所と報酬が支払われる。そのことで人々がより生きやすく生活できる社会になる。個人が守ってくれる中間領域なしに社会に晒される現代だからこそ、そんなことを願わずにいられない。

2014年4月20日日曜日

文廟(孔廟) 1306 ★★★


進めているアメリカでのコンペの為に、また土日出勤となる週末。

「これではだめだ」となんとか夕方に切り上げ、「まだ5時前だから、ぎりぎり間に合うはず」と向かう先は八庙の一つである文廟。この北京という都市の中に埋もれる一つの数字を身体に吸収するための場所である。

何度も繰り返すようであるが、北京に散らばる九壇八廟。その中の一つであるこの文庙(wén miào)はまたの名を孔廟(kǒng miào こうびょう)と呼ばれ、儒教の祖である孔子を祀る廟であり、中国国内に多く存在する孔廟の中でも二番目に大きい規模を誇っている。

では最大のものはどこにあるのか?といえば、もちろん孔子(孔子 Kǒngzǐ)の生まれ故郷にある訳であり、孔子の故郷である中華人民共和国山東省曲阜市(Qūfù)にあるのが中国最大、世界最大の孔子廟というわけである。

北京の孔廟は成贤街(chéng xián jiē)というラマ仏教の寺院の西に伸びる如何にも昔からの文教地区だったと思わせる良好な環境に位置する道の沿って配置さている。この道は両脇に背の高い木々が配置され、夏になると生い茂った葉が空を多い、まるで緑のトンネルを作り出す、北京でも有数の心地よい道の一つである。

その成贤街の中で重要な役割を果たすのがこの孔廟とその横に位置する中国古代からの学校であり、儒教の最高学府・国子監(guó zǐ jiān)。中国の官吏である科挙の試験を受けに来たいたのはこの場所であった訳である。今のお受験のように、合否発表では様々なドラマが起こったに違いないと想像する。

文廟(孔廟)であるが、建設されたのは1306年とされている。これは他の九壇八廟が建設された1500年代。つまり明の時代よりも先の元の時代に属している。ちなみに元は1271年から1368年にかけて中国語支配した王朝である。

この地に都を定めた現王朝は、フビライ・ハンが儒教に重きをおいたこともあるが、漢民族を統制するための懐柔策としてこの文廟(孔廟)建設したともされているらしい。

そんな歴史の目撃者である文廟(孔廟)。中に入ると樹齢600年ともいわれる大木に囲まれてあちこちに石碑が建っているのが目に入る。これは古代の著書である十三経の碑林であり、近寄って見ると細かい字でびっしりと掘り込まれているのが見て取れる。

十三経(じゅうさんけい)は、儒家が重視する経書13種類の総称であり、宋代に確定したという。従来、儒家の経書に六経があったが、このうち『楽経』は早くに亡んで漢代には五経となり、その後徐々に増えていき宋の時代に13となる。

『易』
『書』
『詩』
『周礼』
『儀礼』
『礼記』(『大学』・『中庸』を含む)
『春秋左氏伝』
『春秋公羊伝』
『春秋穀梁伝』
『論語』
『孝経』
『爾雅』
『孟子』


最初の門の目の前には、随分威厳のある孔子の像が立っている。その後ろには孔子の12人の弟子の記念位牌も飾られている。中を見学し、内部からつながっている国子監へと足を伸ばす。こちらは南北軸に沿って奥へ奥へと建物が並ぶ配置になっており、随分と多くの観光客で賑わっていた。

今も昔もやはりまじめに学問を修める人がやはり世の中に必要とされるのだと理解し、家の本棚に眠っている「孔子」の本をそろそろ読み出そうかと決意して門を出ることにする。