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2013年12月8日日曜日

日本人の優秀さ


日本の外で日常を過ごし、日常で接する大多数の人間が日本人以外でいると考えさせられる事の一つに「日本人の優秀さ」がある。

世界で何かを成し遂げるタイプの人間というのは、とにかく自分で物事を決めていく人間であり、朝令暮改になろうとも常に自分で決断を重ね、その以前に行った決断よりもよいベターな選択肢があると判断した時には、周りが困ろうとも、プロジェクトが遅れようとも、より仕事が増えようとも、そんなことはお構い無しに決断をできるタイプの人間である。

ただしその決断には誰よりも責任を持ち、誰よりも深く考え、どんな反論を受けようとも論理的に論破できるだけのロジックを用意する。それでいながらも外からみると「なぜ?」と思うくらい鮮やかに、かつ迅速に決断を下していく。その積み重ねによってより感性が研ぎ澄まされ、リーダーとしての風格をまとっていく。

それに対して日本人で優秀だといわれるタイプは、とにかく空気を読める事。誰が何を欲し、何を望んでいるのかを瞬時に察して、うまく振舞う事ができるタイプ。その空気を読んだ上で決断を下していける人間。

いわゆる優等生といわれるタイプの人間で、常に決定の力の及ぼす枠組みを視点に捕らえ、マジョリティとして生き残るように決断を下していく。小さな頃から教師や親からそのようにすることで「偉いね」と褒められて、その結果同級生からもある程度の尊敬を集めて調整役としてのリーダーの経験を積んでいく。

「クラスの全員が反対しても、俺はこれが正しいと思うからこれだ。」

というような小学生の学級委員が日本中どこを探してもいないのは、この国を覆う空気がなせる業であろう。

典型的な日本人としてその様な時間が身体の中に浸み込んでいる自分にとっては、いまさらながら周囲をバッタバッタと一刀両断するようなリーダーにいきなり変われる訳も無く、どんなに外国人に囲まれる日常でもそれでもやはり空気を読んで調整をしてしまう。

その横で、「お前、この前全然違う事言ってたじゃないか・・・」と思うような決断を下していくパートナーの姿を見ると、「これはどうあがいても日本で育った日本人には無理だし、敢えてそれをやる必要もないから、自分は自分のやり方でボチボチやっていくしかないかな・・・」と目の前に続く厳しい道のりに思いを馳せる事になる。

2013年9月23日月曜日

企業文化 ARUP Beijing


今日はいつもお世話になっている世界的建築エンジニア会社であるARUP(アラップ)に中国でのプロジェクトについて少しでいいので話をして欲しいと頼まれて足を運んできた。

なんでも、世界的企業に成長したARUPの中で3年に一度行っている、次世代のリーダー養成の為のプログラムとして、世界中のどこかの支社に1週間滞在してその地で動いているプロジェクトについて学んだり、自分達でチームを組んでプレゼンをしたりするという。何と言っても40前後で分野を横断してプロジェクトを率いる段階に入ってきた人材が、こうして世界の様々な場所で働いている「同僚」と知り合い、情報交換し、互いに高めあっていくというのが大きな目的のようである。

そんなプログラムの一環として、この地で設計をする建築事務所が何を見ているか?どんなプロジェクトを進めているか?その裏に見えるこの先の中国の姿とはどのようなものか?というのを話して欲しいと言うので、30ページほどのプレゼンを纏めて、簡単なカクテルも用意してあると言うので妻も同伴の上、久々に訪れるARUPの事務所。

すっかり馴染みになったイギリス人のエンジニアは既に北京在住10年で、肩書きもダイレクターになっており、久々の再会を喜び会の流れを教えてもらう。参加者はヨーロッパ、アメリカ、アジア、中東、アフリカ等々から総勢30人で、世話人や北京での担当者などを合わせると50人弱。参加者は大体が40前後で、構造、設備、環境、シビル・エンジニア、法務など各部門から選ばれており、各専門によって性格も違っているようなのが見えて面白い。

北京事務所の担当者から現在進行中および過去に行ったプロジェクトの説明が30分ほど行われ、その後紹介を受けて我々のオフィスの作品のプレゼンを20分ほど行う。日本の事務所からの参加者もおり、妻も含め期待していなかった日本語でのリラックスした会話を楽しめた。

それにしてもこうして日常で行っている仕事が、シームレスに世界につながっており、自分の努力によっては世界最先端の技術がどれだけでも学べ、世界中のどこでも、そしてどれだけ面白く同時に困難なプロジェクトにチャレンジできる環境の中で、同じ思いを持った同僚と切磋琢磨しながら過ごせる。そして、会社が更にモチベーションと知識を高めるためのプログラムを与えてくれる。

これが世界で戦う企業文化なのかとすっかり感心すると同時に、どうやれば自分達の事務所に適応できるか考えながら、知り合った人と再会を誓い帰路に着く。

2013年4月21日日曜日

リーダーの国民性

かつてパートナーから言われた言葉。

「チームというのは、自分の手が沢山あるのと一緒なんだ。それを如何にスムースに動かしてより効率的に仕事をこなしていくかは、頭となるべき自分たちにかかっているんだ」

様々な国から来ている人間と一緒に仕事をしていると、それぞれの国柄というか、国民性によって適した仕事の役割というのが見えてくる。

その中でも圧倒的に人を使うのがうまいという印象を受けるのが、アメリカ人と中国人。人を使うのがうまいというか、人に指示をすること、チームをまとめて一人では出来ないことを成し遂げていくという、リーダーとしての役割を自然と意識して仕事をする姿勢を感じる。全員が全員という訳ではないが、明らかに何人かの人たちはそういうリーダーとしての役割をこなして成長してきたのだろうと感じずにいられない。

恐らく両国共に、教育システムの中、もしくは育ってくる環境の中で、優秀な人であれば、同い年、同じ地位の中でも、チームとして目的を把握し、各メンバーの特徴や適正を理解し、適切なタイミングでやることを指示をして、締め切りを与えて進み具合をチェックし、全体のバランスをとっていく。そんなことを誰かがやらなければ組織として成り立たないし、それをやれる人間が上に立っていくんだと身体で理解しているかのようである。

そういう意味でいったら日本人はまったくダメだと思わずにいられない。

同じ立場であるのに、でしゃばるように自分が前にでて、指示をして、決断をしていく、ということは、集団の和を乱すことだし、まずなによりも自分にその権利があるなんて誰も言ってくれない。その代わり、上の立場の誰かが「お前がこの集団をまとめていけ」と皆の前で立場の違いをはっきりさせてくれればやりますよ的な態度に留まる。

またその国民性からも来るのだろうが、大きな絵を掲げるよりも、自分の世界をできるだけ閉じて人からの干渉をできるだけ小さくしたなかで、職人の様に細かい仕上げにひたすら神経を研ぎ澄ましその精度を上げていく。言われたことはまじめに、正確に、そして時間通りにやり遂げる。それがどんなに困難であっても、我慢して、ストレスに耐え切って、文句も言わずにやり遂げる。もっと評価されたいと願っても、決して言葉には出さずに、「見てくれている人は見ているはずだ」とどこまでも謙虚。

恐らくドイツ人も同じような傾向をもっており、正確な指示を出してあげるとそれに比例するように正確な仕事をやり、報告をあげてくる。仕事を処理していく段階ではこれほど嬉しい「手」は無いわけである。

それぞれの立ち位置から見える風景は違って、その風景によって見据える目的地も変わってくる訳であり、集団を率いるならば、集団の中にいて同じ風景を見ていては旗を振れない訳であり、少しでも先を見渡せるような高い位置を探して首を伸ばし、どこに行けばいいのかを必死に見つけること。そんなことを訓練をすることなく自然に身につけていく国民性。

誰にどんなことを思われようとも関係ない。自分で考え、その考えをいろんな場所でいろんな人に伝え、相手の話を聞き、意気投合し相手の信頼を勝ち取り仕事に発展させる。自分で手を動かすのではなく、その仕事をやり遂げるチームを組織し、やるべきことを明確にし、チームを動かし、プレッシャーとモチベーションを与えながら、仕事を仕上げさせてそれをお客さんに届ける。

そういう能力はある年齢になった自然に身につくものではなく、生きてくるうえで、成長していく過程で徐々に身体の一部になっていくものであり、大人になって急に「学ぼう」としても本当の意味では身につかないものだと実感する。

国際人や国際化が叫ばれる現代日本だが、国際舞台で仕事をするだけなら、英語や中国語などのツールとプロフェッショナルとしての技能をしっかりと見につけていれば十分に活躍できる人材は多く出てくるだろうが、国際社会の中でリーダーとして突出していくためには、今の日本の社会の中からは相当な突然変異体で無い限り厳しいのもまた事実であり、今度の日本はこの問題をどう解決していくのだろうかと想いを馳せることになる。