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2016年2月4日木曜日

生田神社(いくたじんじゃ) 神功皇后元年(201年) ★★


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所在地 兵庫県神戸市中央区下山手通1丁目
主祭神 稚日女尊(わかひるめのみこと)
社格  式内社(名神大)・官幣中社・別表神社
本殿の様式 春日造
別名   生田さん
創建  神功皇后元年(201年)
機能  寺社
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神戸の賑わいの中心地である三宮。その象徴的な場所として存在するのがこの生田神社(いくたじんじゃ)。なんといってもともとはこの周辺が生田神社の社領であり、そこからその一体を神の地神戸(かんべ)と呼ぶようになり、それが紺戸(こんべ)となりそして神戸(こうべ)と呼ばれるようになったというからその歴史の長さが感じられる。

密集する都市部にあるからどうしても避けがたいのであろうが、個人としてはあまり賛成できないアイデアであるが、朱色の鳥居を潜った先の境内の一部が駐車場として使われており、そこに車を駐車し社殿の後ろ、境内の北側にこんもりとした社叢である生田の森が広がっており、その木々が社殿の後ろから頭を覗かせる神社らしい風景を眺めながら手を併せることになる。

結婚式場としても多くの人に親しまれているらしく、境内はいかにも明るい雰囲気が感じられる。2007年には陣内智則と藤原紀香の結婚式の会場となったことでも良く知られているという。

兵庫一の繁華街である三宮に程近いということもあり、三宮から生田神社にかけてのエリアは非常に賑わっており、飲食店だけでなく、夜のお店も多く見受けられるのが見て取れる。せっかく駐車場に車を停めたので参拝だけでなく、昼食も繁華街散策と兼ねて済ませてしまおうとアーケード街へと入っていく。昼時ということもあり三宮方面からサラリーマンやOLがランチを求めてやってくる姿が多く見られ、路地の少し裏に入ったいかにも雰囲気のありそうな定食屋に入ることにする。

カウンターに座るが、まだ時間帯も早いということで、「テーブルへどうぞ」というお店の方の言葉に甘えてテーブルに移動しようとしたその刹那、ガツンという音とともに椅子の端に紐が引っかかったカメラが見事に床にたたきつけられる。やばいと思って手に取り、電源を入れてみるがまったく反応せず・・・

「旅が始まったばかりなのに・・・」と動揺する気持ちを落ち着けせ、「大丈夫ですか?」と心配するスタッフさんに心配させないように「大丈夫です」とカメラをこっそりとカバンの中にしまうことにする。長年一緒に多くの場所を巡ってきたカメラが壊れてしまったかと思うと、ほとんど味を楽しむことなく昼食を終えるが、それでもやはり電源は入らず・・・。寿命を全うしたと思うことにして、直らなかったら新しいカメラを購入せよという生田神社のお告げだと理解して、携帯のカメラで残りの訪問をやりくりすることにする。
















西宮神社(にしのみやじんじゃ) 不明 ★★


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所在地 兵庫県西宮市社家町
主祭神 西宮大神(蛭子命)蛭子(ひるこ)大神,えびす様
社格  県社,総本社
本殿の様式 春日造
別名   西宮のえべっさん,えびす宮総本社,夷 (えびす) 社,戎 (えびす) 宮
創建  不明
機能  寺社
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総本社
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廣田神社で心地良い朝の参拝を終えて、近くの阪急神戸線の阪急凪川(しゅくがわ)駅周辺にあるはずだという藤本壮介による「House K」と吉阪隆正の「浦邸」を少し見て次の目的地に向かおうかと思って車を向かわせるが、ナビに促されるままに進んでいくと徐々に住宅街の中の狭い道路に入り込んでいく。この細さが尋常ではなく、レンタカーした軽でも一台でギリギリ。しかもどうやら一方通行の道路ではないらしく、対向車が来たら完全にアウトという状況で、加えて目的地は個人住宅ということもあり、事前の情報では詳しい所在地が掴めきれておらず、大まかな情報を元に周囲に視線を送りながら車を進めるというなんともストレスフルな運転をしばらく続けたが、対向車が来て動きが取れなくなる前に抜け出そうと、この二つの目的地をスキップして向かった先は西宮神社(にしのみやじんじゃ)。

平安時代には先ほどの訪れた廣田神社の境外摂社であり、日本に約3500社あると言われるえびす(戎)神社の総本社である。正月休みも終えて、そろそろ新年がスタートしてきたと感じられる時期に、風物詩のように流されるニュースがこの西宮神社で1月9日から3日間行われる「十日えびす」と呼ばれる祭典で、中でも10日の早朝に行われる「福男選びの神事」は、赤門が開かれてから健脚自慢の男たちが石畳の参道を駆け抜け、さまざまなドラマを作り出しながら、拝殿前で待ち受ける3名の神官に抱きかかえられてその年の福男の称号を得るなんともほほえましい姿。

その舞台がこの西宮神社であり、その3日間では100万人を超える参拝客で賑わうというから、この神社が阪神間にてどれだけ人々に親しまれており、身近な存在となっているかを物語っている。そんな訳で西宮に来たからにはどうしても立ち寄らなければ行けない場所であるが、大通りに面した正面入り口を通り過ぎ、境内をぐるっと回ってもどうやら駐車場が見当たらない。どうしたものかと思いながら、「まさか・・・」との思いで表大門を入っていくと、参道を進んだ先に、ぽつんと駐車場が見えてくる。参道の両脇を占拠する陶器市の出店主のおじさんに、「あっちあっち」とジェスチャーで教えられてやっと分かったくらいだから、これは初めて車で訪れる人にはハードルが高く、また看板などを出してないところから、あまり親切ではないかと思われる。

そんな訳で車を折り、境内の途中から参道を歩いていくが、この参道は東西に伸びており、拝殿が真東を向く形になっているようであり、その拝殿の後ろには、「えびすの杜」と呼ばれる社叢が広がっている。

徳川4代将軍である徳川家綱(とくがわいえつな)によって江戸時代に1663年に再建されたといわれる本殿は春日造であり、三棟連結した独特の造り(さんれんかすがづくり)となっている。春日造は出雲大社などに見られる大社造同様、切妻造・妻入であり、屋根が優雅な曲線を描いて端が反りかえっており、正面には向拝(こうはい)と呼ばれる庇が取り付いている。その色彩や、屋根の反りなどは中国から渡来した仏教などの寺院建築の影響から来るものとされている。

そんな訳で先ほど立ち寄った廣田神社の神明造の緊張感のある水平線に対して、この春日造が見せる優雅な曲線はまったく異なった表情を見せてくれる。しかしその屋根の上に乗る仕上げ材は、廣田神社同様こちらも銅版による葺き屋根。かつては桧皮葺だったというが、昭和の時代に亜現在の銅版葺へと改修され、現在では周囲の自然に溶け込むような優しい緑の表情を見せている。

地域に愛され、人々が日常の場として足を運ぶ場所として風景に溶け込んでいて、福の神であるえびす様を祀る神社としてなんとなく境内に明るく開放的な雰囲気が漂うのが感じられる。少しの距離しか変わらない廣田神社とこれほど雰囲気の違った境内がひとつの地域に共存していることに神道とこの国の多様性を感じながら境内を後にすることにする。







二の鳥居





2014年2月2日日曜日

物部神社(もののべじんじゃ) 514 ★★★


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所在地 島根県大田市川合町川合
主祭神 宇摩志麻遅命
様式  春日造(変形)
社格  式内社(小)、石見国一宮、旧国幣小社
創建  514年
機能  寺社
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須佐神社から山一つ超えた地域に鎮座する物部神社(もののべじんじゃ)。その由来は古代の物部氏にあり、日本全国に分布しその多くは、物部氏の初代の宇麻志摩遅命(ウマシマヂノミコト)や祖神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を主祭神とする。

あらかじめ調べておいた情報によると、この神社も山登りがセットになってくる神社らしい。つまりは神社後方に位置する山の上に、奥の院や磐境(いわさか)などが祀られており、そちらも合わせて参拝するタイプの神社。つまりどれだけ山奥まで登るのか、行程がどれだけきついのかによって参拝時間が変わってきてしまうため、スケジュールを立てるのがとても難しい神社である。

そんな山登りとセットになった神社は他にも様々ある。

神倉神社

佐太神社

須我神社

そんな訳でどれだけの難易度か少々心配しながら到着した駐車場からは、開けっ放しになった境内が一望できる、なんとも開放的な雰囲気。明日の節分の準備で境内には多くの出店が準備をしており、この開放的な雰囲気ととてもよくマッチしている。

背後の山である「八百山」をご神山としている為に、境内にアプローチをすると、本殿の後ろにこんもりとした鎮守の森が背景となり、何とも素晴らしい風景を作り出す。その「八百山」の上に、御神墓があるというのだが、まずは本殿に参拝する。

この本殿は春日造りでを採用しており、出雲地域から少し出たのを感じる。ちなみにこの場所は石見国となり、この物部神社が石見国一宮とされているため、この地で重要な地位を占めてきたのが伺える。

春日造りの神社としては、日本一の大きさを誇り、島根県内では出雲大社につぐ大きさなのだという。古来より文武両道、鎮魂、勝運の神として崇拝され、戦国時代には銀山争奪の舞台ともなったという。銀山といえば、この後向かう事になる石見銀山の事である。

参拝を終え稲荷神社の脇から山上の御神墓へと上がっていく。すると心配していたよりもあっさりと石を積み重ねられた御神墓が現れる。自然の中に少々の人工性を感じさせる信仰の跡。古代の日本人が自然の中に力を感じたその場を同じように感じ、石見銀山に向かう為に山を下りることにする。