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2016年10月30日日曜日

「コンビニ人間」 村田沙耶香 2016 ★★★


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第155回(2016年) 芥川賞
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毎年「芥川賞」と「直木賞」の発表があると、「ああ、今年ももう半分終わったんだな」などと6ヶ月という時間の流れを感じることになる。しかし、それも毎日留まることなく押し寄せるニュースの波の中に埋もれ、あっという間に「そういえば、今年の受賞作はあれだったな・・・」と、話題になる受賞作関連のニュースに触れては思い出すことになる。


今年はどちらかといえば、「コンビニ人間」の方がややスポットライトを浴びている印象があり、そのタイトルは耳に残りながら、「そのうち文庫化されてからブックオフで見つければ・・・」と思っていたくらいであっという間にコートが必要なほどの深い秋に差し掛かってしまっていた。

父親が定期購読をしている文藝春秋を帰国のたびに貰ってきては読み込んで、会うたびに読み終わった号をくれる親友が、「コンビに人間も載ってるよ」と渡してくれた最新号。こうして誰かの手を巡ってきた物理的重さを持った「本」というメディアのありがたさを再認識しながら、「ポン」と久々に時間ができた週末に、先日の産経新聞で書かれていたように、「いざ、読書。」と覚悟を持って手にしてみると、思いのほかするすると引き込まれてあっという間に読み終えてしまった一冊。

今年の受賞作なので、少しネットで検索すれば、それほど星の数ほど感想や批評が書かれているのであろうが、現代社会の中でほぼインフラとしてなくてはならなくなったその都市機能の中で、利用者からは当たり前の風景として視界に入ってこないそこで働く人々の日常を、小さなころから当たり前の人間としての感覚を持つことができなかった欠陥品として自分を捉える主人公の視線から描き出すことで、現代日本の持つ同調圧力と、無意識の中で人々がそれに併せて振る舞い、それぞれの役割をこなしていくこと。どんな場所でも、どんな立場でも人は自分を肯定しなければ生きていけず、どんな形でも自尊心を保つことが必要で、そのために時に周りの人を下に見ることによって、安易な自己肯定感を得ていく人々。「あなたのためを思っているのよ」とか「社会で生きていくためには」などと、価値観の強制が振りかざされ、「世間で言う全うな人」ではない人々がドンドンと切り落とされていく姿が徐々に鮮明に描き出されていく。

「マウンティング」や「「格差」。「底辺」といった様々なキーワードが、見え隠れしながら物語の背骨を支え、それでいながら、しっかりと生身の人間としての温もりを感じさせながら物語が展開していく。非常に限られたセッティングの中の、限られた人間関係の中で展開し完結する物語であるだけに、小説というメディアの素晴らしさを改めて感じさせてくれる一冊である。

2016年3月5日土曜日

「中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇」 中沢彰吾 2015 ★


電車の中、20代後半と思わしきスーツ姿の若い男女。上司の男性に部下の女性という感じ。身に着けているものは年齢に比べたら少し上等なモノのようだが、なんだか少しチャラチャラした感じ。一体どんな職業なのかと想像を広げていたら、男性がおもむろに電話を取り出し、「終了報告のメールさせとけよ」と指示の電話。そして読んだこの本。なるほど、ああいう彼らが派遣会社の若い社員で、中高年に高圧的に指示を与えては高収入を得ているのかとピンとくる。

つい先日のNHKの「クローズアップ現代|増える“正社員ゼロ職場”~公共サービスを担う現場で何が」でも、この数年で、今までは「公」の機関としてかなり好待遇で正社員として働いていた京都の保育士が、業務を外部の運営会社に委託するに伴い、その運営会社との再契約という契約の切り替えが行われ、今までの半分ほどの給与になったり雇い止めとなったりした話を報じていたばかり。

どこまでが過剰な好待遇で、競争に晒される市場原理から隔離された利権と呼ばれるようなものなのかは難しいところであるが、できるだけ組織をスリム化し、経費を削減して利益を上げていくことを迫られた企業にとっては、固定費として毎月のしかかる人件費は最も手をつけたいところである。だが、同時に従業員の生活と、会社のサービスに直結するところでもあるので、細心の注意を払って精査して「仕分け」していくこと、これはグローバル化し、どんどんと効率という波が押し寄せる現代においては、どうしても避けては通れないことも事実。

そんな中でこの10年近く、長きにわたって問題とされてきた格差問題と非正規労働者の問題。その問題の中にも既に10年以上の時間が流れたためにある種の歴史が生まれており、その概要を知ることと、この問題の現在の状況を把握するために手にした一冊。


第3章 人材派遣の危険な落とし穴―「もう来るなよ。てめえみてえなじじい、いらねえから」の「人材派遣が急拡大した本当のワケ」によれば、1995年に日経連が発表した「新時代の日本的経営」で、今後は働き手を、「長期蓄積能力活用型グループ(正社員の終身雇用)」、「高度専門能力活用型グループ(専門的な能力を要する働き手を期間だけ雇う)」、「雇用柔軟型グループ(パート、派遣労働者などの低賃金不安定労働者)」の三種に分けて、労働力を効率的に使い企業収益を高めようと宣言。つまり、今までの大量に従業員を抱え、組織内部で重い負担を抱えつつやりくりをするのではなく、より効率的に外部の人材も借りながらやりくりをしていきますということである。

しかしそれには「40代以上の社員の削減」という長年の慣行である終身雇用が壁になり困難であった。そこに登場したのが人材派遣業界で、企業が受けていた契約社員やパート労働者の賃金差別訴訟の頻発した状況を受け、労働者を本来の職場から切り離して人材派遣会社が雇用すると言う形にすれば、面倒な訴訟は回避でき、人事責任も負わないという新しい理論を提示する。企業としては「使えない社員」や「お荷物となった社員」に対し、自分たちで会社を辞めてもらう話し合いをすることなく、企業に人減らし合理化を提案するコンサルタントにアウトソーシングし、同時に足りなくなった労働力は派遣会社を通して補充することになる。

リーマンショックによる年越し派遣村など、社会がその問題を現実問題として受け止めるきっかけになったのは2008年。その当時を含め、「2010年頃までの第二時代の人材派遣会社に食い物にされた犠牲者は20代、30代の若年労働者が多かった」という。「だが、2015年の今は違う。2000万人を超えた非正規労働者のうち、6割以上が40代以上の中高年だ」と、5年を経た現在はその様相が変わり、30代だった派遣労働者が正社員になることなく、そのまま派遣労働者として40代に突入したのと、今までは正社員として働いていたがその身分を失って派遣として働かざるを得なくなった40代から50代、そして退職後の生活の為に収入を得るために仕事を求めるがやはり派遣の仕事しか得られない高齢者。これらの人がこの5年の間に数字を伸ばしたのだと想像できる。

「自己責任」だとか、「時代の流れだ」とか言ってしまうのは容易であるが、これが現在の日本の風景であり、多くの人が望んでその状況にいるのではなく、より安定し高収入な正社員として社会に関わりたいと望んでいるが、それがかなわない状況があること。それが「二極化」する世界の中で技能を持ってそれを正当に評価してもらえ、見合った報酬を払ってもらえる職場を見つけられる人はいいが、それ以外の人は生きていくためにこのような決して望ましいとは言えない労働状態に定常しなければいけない。これが今後も当たり前の風景として定着していくのが望ましいのか否か。それを考え、決めていかなければいけない時代に入ってきたのだと良く分かる一冊である。

以下本文より。

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―奴隷労働の現場
人材派遣は「使いたい人数を安価に、必要最低限の時間だけ単純労働に従事させ、人事責任を負わない」という派遣先企業にとって、すこぶる好都合な制度になっている

第1章 人材派遣という名の「人間キャッチボール」
特定労働者派遣と一般労働者派遣
一般派遣のうち労働期間が30日に満たない短期派遣を日雇い派遣という

/政府・財界による労働者の流動化政策
1985年に労働者派遣法が成立

/日雇い派遣でも有給休暇をもらえる
派遣社員は派遣先の福利厚生施設を利用できるのか否か
深夜食を食べようとしたら食堂を使わせてもらえず、外で食べろと追い出された。飲み物も自販機に格安の値段が設定されていたが、これは社員の為に会社が補助している者だから派遣は外のコンビニで買えと指示された

/人材派遣会社20代社員の異常な高収入
合理化を指南するコンサルタント
要するに企業に入り込んで組織改編と人減らしを促す事業

第2章 人材派遣が生んだ奴隷労働の職場
/未登録でも派遣する人材派遣会社がある
人材派遣の要でもあるマージン率の公開を義務付けた。かつては一部で50%にも達していたピンハネ率は30%程度に抑えられている
人材派遣会社にとってピンハネだけが問題だから、子供でも外国人でも誰でもいいのだろう

/就業規則で「おまえ、態度悪いからクビ」
派遣先で他の労働者と会話してはいけません
複数の人材派遣会社が一つの職場に労働者を派遣
派遣先との契約時期や派遣人数、ピンハネ率の違いなどで賃金に差
派遣先への移動に際しての交通費はお支払できません

/就業条件外の過酷負担
横浜市 問題の職権は市内を走る循環バスの乗客の誘導員
トリエンナーレ
/中高年は美術品が似合わない?
広域に広がったイベントであるにもかかわらず、該当に道案内のガイドが全く配置していなかった
頭を使うガイドとなると、自給は2000円に跳ね上がる

/二重帳簿ならぬ二重マニュアル
トリエンナーレのブラックバイトリポート

/ノロウイルス感染者に「食品工場に行け!」
大手製パン会社のクリスマスケーキ

/官公庁と自治体、外郭団体でも非正規労働が拡大
官庁のそれまでの随意契約方式による民間事業委託を否定し、競争入札制度を採用
図書館司書、役所の各窓口、公立学校の教職員、カウンセラー、消費生活相談員、博物館や大ホールの運営スタッフなどが続々と外部の民間業者に委託され、同時に人材派遣会社が低賃金労働者を送り込む仕組みができあがった
最低価格落札方式の場合、提案企業の業務の質、労働者の待遇など事業の中身が問われることは無い

/不正の温床になりかねない危うさ
人材派遣会社が提案する「コストダウン」
知恵が無い。単に派遣労働者の賃金と待遇を最低のレベルに設定するだけ

/恐怖をふりまく正規社員たち
正社員「感情を抑える」「相手の立場を思いやる」といった社会人として必要な節度が欠落している

第4章 悪質な人材派遣会社を一掃せよ
―「二度と仕事紹介してもらえないよ。かわいそう」
/拡大する一方の非正規労働者
雇用者数を押し上げたのは123万人増えた非正規雇用
アルバイト、パート、派遣社員などの日正規社員は2014年 2000万人を超えて2012万人
中高年は45-54歳 387万人
65歳以上141万人
/週5日終夜勤務/従順な派遣労働者
いったん正社員の座から落ちてしまったら、もう絶対に元には戻れないのが日本という国

/人材派遣を推進する識者たち
人材派遣を活用するのは、派遣スタッフの奴隷制、使い捨てに魅力があるから
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■目次
はじめに
―奴隷労働の現場

第1章 人材派遣という名の「人間キャッチボール」
―「いい年して、どうして人並みのことができないんだ!?」
/迷走する労働行政
/元祖はドヤ街の手配師
/政府・財界による労働者の流動化政策
/行政処分された第二世代人材派遣
/衰退と復活の第三世代
/労働内容の説明は虚偽
/派遣はエレベータ使用禁止
/監禁労働のタコ部屋
/悪意の果ての無駄
/人材派遣会社のシステム
/派遣労働者は保護されているか
/派遣元責任者と派遣先責任者
/日雇い派遣でも有給休暇をもらえる
/派遣労働者使い捨ての「待機」
/派遣先責任者によるひどい仕打ち
/一日中倉庫で重さ20キロのスーツケース運び
/人材派遣会社20代社員の異常な高収入
/求人サイトの矜持と責任
/ヤラセだった英会話通勤バス
/日雇い派遣の原則禁止問題
/近年稀に見る悪法
/中高年が職に就けない現実
/「年齢制限なし」の「裏メッセージ」
/「三種の辛技」
/いい加減な「人間キャッチボール」
/労働基準法に刃向う労働者派遣法

第2章 人材派遣が生んだ奴隷労働の職場
/極限まで単純化された派遣労働
/巨大ダンボール箱と格闘した中高年の「善意」
/人材派遣の定番「ピッキング」で実はトラブル続出
/派遣労働者に損害金を請求
/カゴテナーと接触して負傷
/出勤確認連絡
/マニュアルによる効率化は本当か
/予定調和のストーリー
/人材派遣会社が紀勢線を張ったワケ
/マニュアルは金科玉条
/未登録でも派遣する人材派遣会社がある
/就業規則で「おまえ、態度悪いからクビ」
/現代の派遣切り「お父さん、酒臭いよ」
/違法な人材派遣会社との二日間の攻防
/派遣労働者の差別待遇
/困難な業務でも派遣が担当
/就業条件外の過酷負担
/私たちは税金泥棒ではありません
/中高年は美術品が似合わない?
/二重帳簿ならぬ二重マニュアル
/テレビ局派遣で逆立ち強制
/ノロウイルス感染者に「食品工場に行け!」
/人材派遣会社の女性社員が必死なワケ
/東南被害も泣き寝入りの派遣労働者
/疑惑の「登録費」

第3章 人材派遣の危険な落とし穴
―「もう来るなよ。てめえみてえなじじい、いらねえから」
/人材派遣が急拡大した本当のワケ
/官公庁と自治体、外郭団体でも非正規労働が拡大
/時給2000円が900円に
/研修日当なし、交通費なし、最低賃金以下
/人材派遣会社の狡猾な手口
/人材派遣の安値受注が生んだトラブル
/人材を集められない人材派遣会社
/試験監督が逃亡しちゃった
/不正の温床になりかねない危うさ
/給与踏み倒し計画逃散?
/斜塔は元CAで名古屋財界のアイドル
/恐怖をふりまく正規社員たち
/事件の現場は巨大モール
/混乱する運営の尻拭い
/繰返される監視役の無意味な指導
/踏みにじられた買い物客の夢
/無知な派遣先責任者との攻防
/強要、脅迫、監禁
/労働者の救済要請を無視
/奴隷派遣は本当にお得なのか?
/熟練者と素人の差
/無責任体質
/人材派遣活用のリスク
/人材派遣会社に頼ったら事業が行き詰った
/カタカナ肩書き乱発のハレーション
/イベントでの日雇い派遣は業務上横領?
/除夜の鐘が鳴る頃、てんやわんやの大騒ぎ
/若者と中高年との格差
/意気消沈する派遣先責任者
/企業の稼ぐ力を削ぐ無責任人事

第4章 悪質な人材派遣会社を一掃せよ
―「二度と仕事紹介してもらえないよ。かわいそう」
/拡大する一方の非正規労働者
/週5日終夜勤務/従順な派遣労働者
/中高年を殺すな
/従順な派遣労働者
/権利意識に欠ける中高年労働者
/労働環境によるワナ
/現実を直視してほしい
/人材派遣を推進する識者たち
/重要な情報をネグレクト
/欠けている労働者保護の視点
/人材派遣と景気浮揚
/副社長が帰っちゃった!欧州の労働事情
/日本にスウェーデン流を持ち込んだ企業
/欧米先進国比較 ドイツ・米国・フランス

あとがき―すぐにできる改善策の提案
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中沢彰吾

2016年3月4日金曜日

「隠された貧困 生活保護で救われる人たち」 大山典宏 2014 ★★

2008年に起きたリーマンショック。その影響によって顕在化してきた社会の中の格差。その結果年越し派遣村など様々な形で日常を過ごすことが困難な経済状況にいる人たちが世の中に認知されるようになると、大きな格差という括りの中で、「非正規労働者」、「子供の格差」、「女性の格差」、「漂流老人」などと毎年の様に新たなるカテゴリーが登場して世の不安を煽るかのようである。

その流れの中でこの数年特にスポットが当てられているのはシングルマザーなどの女性の貧困と、高齢者の貧困。結局それらは現在の日本が構造的に抱える問題が断片的に光を当てられ、世間に分かりやすいように、「決して人事ではなくあなたもそうなる可能性のある、すぐ横にある問題ですよ」と報じられているだけに過ぎず、それでも決して報道で取り上げられることのない貧困の在り方は別にある。

そんな普段の生活からは見えにくい貧困の在り方に真摯に向き合い光を当てようとするこの一冊。児童養護施設出身者、高齢犯罪者、薬物依存者、外国人貧困者、ホームレス・高齢孤立者、生活保護受給者と、様々な場所で槍玉に挙げられがちな人々をその背景から現状まで詳しく描き、その根本にある原因を描き出そうとする。

まるで受けやすいネーミングをつけて「○○格差」や「○○の貧困」と世間の注目を浴びてそれにより何かを得ようとするある一定の報道のされ方よりは、よっぽど好感の持てる内容だし、問題の在り処もよく分かる内容である。全体的に客観的に物事を伝えようとするために、インタビューを大量に使用しているのが読み物としてやや気になるが、それは真摯な著者の態度の現れであるのだと思われる。

以下本文より。

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メディアで伝えるのは、多くの人が共感する、わかりやすい生活保護者です。

第一章 児童養護施設出身者 
/児童養護施設の現状
約4万7千人

/自立援助ホームとは
義務教育を終えた15歳から20歳までの子供たちが働きながら自立に向けて生活をする場所
基本的には生活のすべてを自分の手で賄わなければなりません

第二章 高齢犯罪者 
/高齢犯罪者大国・日本
諸外国が3%前後 日本だけが10%を超えている

/孤立と貧困が犯罪を生む
犯罪を繰返すことで、家族や仕事、住いを失い、孤立していく高齢者の姿

第三章 薬物依存者
/「ダメ、ゼッタイ。」では防げない
自傷経験のない9割の生徒の多くは、薬物乱用防止講演など聴かなくとも、そもそも薬物には縁のない生活を送り続けるのではないか。そして1割のハイリスク群の生徒は、その様な公園を聴いても結局薬物に手を出す時には手を出すのではないか。

/居場所がない寂しさ
「ヒマだったから」
「淋しさ」や「誰からも必要とされていない感覚」

第四章 外国人貧困者 
約203万人
/同胞のきずな
多くは日本人の男性と結婚をした女性とその子供
母親は「日本人の子の母」として在留資格を取得し、生活保護を利用している

/何が問題なのか
日本人男性と結婚したフィリピンの女性が離婚して生活保護を利用する例が、近年の外国人の生活保護では最も大きな問題


第五章 ホームレス・孤立高齢者
漂流高齢者
/ホームレス地域生活以降事業
緊急一次保護センターと自立支援センター
ホームレスが付き三千円の家賃で入居しながら自立に向けて職を探す

/アウトリーチとハウジング・ファースト
アウトリーチ 職員が困っている人のところに足を運び、サービスを提案するところからかかわりが始まる

第六章 生活保護から見えるもの
/激増する生活保護
2008年 起きたリーマンショック
日比谷公園 年越し派遣村

/求められる自立支援
若い利用者の急増
就職活動に疲れて自宅に引きこもる若者、精神疾患の増加とそれに伴う自殺、崎の見えない中高年男性の再就職活動、アルコールやギャンブルへの依存・・・。中卒、高校中退などの低学歴者 四角や経験もなく、身体のあちこちに不調を抱え、コミュニケーション能力 
生活全体を立て直すところから始めないといけない

三つの対策
生活保護に至る前のセーフティネットを手厚くする
早期に脱却できる体制を整える
貧困の再生産を防ぐための手立てをする

/モノ扱いされる人たち
人をモノとして扱う
冷凍食品に農薬のマラチオンが混入

/承認を巡る闘争
承認という概念「愛・法・連帯」の三つの次元
人から愛されること
認められる経験
役割を与えられる
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■目次  
はじめに

第一章 児童養護施設出身者 「私のことを必要としてくれた」
/ドキュメント=隠された貧困① 児童養護施設出身者
>私のことを必要としてくれた
/家族に黙って家を出る
/乳児院、児童養護施設、そして里親へ
/親権の壁
/自立援助ホームへ
/生活保護は受けたくない
/私のことを必要としてくれた
/実家との和解
/繰返される虐待死
/厳罰化で歯止めを
/児童養護施設の現状
/不十分なケア体制
/施設出身者の厳しい状況
/施設出身者の追跡調査
/自立援助ホームとは
/重なり合う不利
/自立援助ホームと生活保護
/大人のことは信用しないぞ
/共依存の女の子
/死ななきゃいい

第二章 高齢犯罪者 「息子たちに手紙を書いています」
ドキュメント=隠された貧困②  高齢犯罪者
>息子たちに手紙を書いています
/元気をもらいたくて
/病気は大丈夫?
/入院患者に四人の刑務官
/夫と二人で工場を切り盛り
/なぜ刑務所に
/今は天国のようです
/高齢犯罪者大国・日本
/高齢者のモラルが低下した?
/無銭飲食や放置自転車を盗んで刑務所に
/孤立と貧困が犯罪を生む
/困ったら刑務所へ
/累犯障害者
/地域生活定着支援センター
/昔からやっていた
/他に行け
/男物の使用済みトレーニングウェアを盗む男性
/実刑はやむを得ないと考えていた

第三章 薬物依存者 「認めてもらえる場所がある」
ドキュメント=隠された貧困③ 薬物依存者
>認めてもらえる場所がある
/シンナーがあんパンと呼ばれていた時代
/たいしたことじゃない
/逃げ癖がつく
/逮捕されてもやめられない
/あなたが決めなさい
/「分かるよ」と笑われた
/三度目の再使用
/またカネか!
/八王子にもダルクを
/「ダメ、ゼッタイ。」では防げない
/居場所がない寂しさ
/厳罰化で覚せい剤を止められるか
/薬物依存の治療
/ダルク設立のきっかけ
/たった一つのルール
/ダルクの現状
/八王子ダルク
/窓口には自分の足で
/ダルクのこれから
/日本にもドラッグ・コートを

第四章 外国人貧困者 「なぜ、外国人なのに保護が受けられるんですか」
ドキュメント=隠された貧困④ 外国人貧困者
>なぜ、外国人なのに保護が受けられるんですか
/外国人が生活保護をもらえるのはおかしい
/外国人の誰もが受けられる訳じゃない
/同胞のきずな
/ヘルパー資格を取る
/夢は子供のこと
/あなた生活保護でしょ
/日本に根を張る外国人労働者
/リーマンショック後の就労・生活相談の増加
/外国人と生活保護
/何が問題なのか
/ふじみの国際交流センターの活躍
/多岐に渡る生活支援
/二人三脚の相談体制
/変わる外国人支援
/働かせるために呼び寄せる
/ようやく手に入れた普通の生活

第五章 ホームレス・孤立高齢者 「続かないんだよね」
ドキュメント=隠された貧困⑤ ホームレス・孤立高齢者
>元ホームレス
/三千円アパート
/ホームレス地域生活以降事業
/アウトリーチとハウジング・ファースト
/10万円で売れたロレックス
/保護申請はスムーズだった
/落ち着かなくてね
/人間関係はどこにでもある
/静養ホームたまゆらの悲劇
/構造的に生み出される漂流高齢者
/福祉施設からも締め出される
/施設増設は解決の切り札になるのか
/今ある住いを「支援付き」に
/ホームレス支援から始まった
/ケア付き就労とコミュニティビジネス

第六章 生活保護から見えるもの
/忘れ去られた生活保護
/激増する生活保護
/求められる自立支援
/制度の設計では解決できない者
/見えない人間
/モノ扱いされる人たち
/承認を巡る闘争
/インタビューを振り返る
/誰でも生きやすい社会に
/最後のセーフティネットの価値

あとがき
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2015年12月29日火曜日

「里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く」 藻谷浩介 2013 ★★


藻谷浩介

報道ステーションなどでもコメンテーターとして登場する著者。全国の様々な自治体を歩き回り、その目で見たこの国の現状と地方格差。そしてそこから見えてくる今後の可能性。その著者によるこの本によって「里山資本主義」という言葉がかなり浸透し、グローバルを呑み込んでいくマッチョな資本主義に対して、日本の風景を作ってきたこの国ならではの経済のあり方、資源と自然との関わり方にもう一度目をむけ、現代のグローバリゼーションを否定するのではなく、その良さを活かしながら都市への一極集中から里山に寄り添うようにして成り立つ新しい経済活動のあり方を、様々な地方での実践を紹介しながら描いていく。

都会で朝早くから満員電車に揺られ、会社についたら様々な人間関係や厳しい市場競争からのストレスを抱えながら歯を食いしばりながら働き、自分の為の自由な時間などすべて犠牲にして夜遅く帰宅するのはただただ睡眠をむさぼり、明日の朝にまた同じ一日を繰り返すための体力を回復するため。

そんな風に必死に生きているのにも関わらず、決して豊かな暮らしになっているかといったらそうではない。それに引き換え、田舎では大家族で暮らし、時間に追われることなくゆったりとした時間の中で、多くのものを共有しながら、家族で過ごす時間を持つ余裕がある。

どちらか豊かであるのだろうか?と、都会であくせく生きる人々なら一度は考えた疑問であろう。今は我慢し、キャリアアップや能力を上げて将来への投資と思えるのならまだしも、明らかに大きな経済構造の一部として取り込まれ、ただただ労働力を提供し多くのものを吸い取られてしまっているこの感じ。

そのそのどうしようもない労感に対して別の道筋を描き出そうとする意欲作であるといえる。社会の構造変化のためにさまざまな場所で見えるようになってきた歪。あるところでは「格差」として、あるところでは「限界集落」として。

そんな風に、日本が世界経済の中で今後どのようなスタンスで立ち向かっていくのか、都市と地方、そして田舎ではどのような経済構造を再構築し、どのような生活のあり方を想定して人々が毎日を暮らしていくのか。そんな国としての大きなグランドプランを変革しなければいけない必要性に迫られている現代。盲目的に世界から押し寄せる波に飲まれて、海外からの輸入した労働の在り方を踏襲し、搾取され続け、疲弊した生き方を続けるのではなく、日本だからこそ可能な、そして以前には存在していたものを新しい形に蘇らせることで豊かな生き方を目指せるのではないかと声をあげる。

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経済成長には、金太郎飴の様にどこもかしこも画一的である方が効率的だったのであり、地域ごとの個性は不要だったのである。21世紀、ある程度の経済成長を果たし、ものが溢れる豊かな時代になって、全国どこに行っても同じような表情になってしまった日本の街を見て、違和感を覚え始めたのである
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というように、地方のどこの街に行っても同じものが手に入り、同じ風景の中を走るファスト風土が蔓延するなか、「効率」一辺倒ではない、価値観もあるのではという思いがあちこちからわきあがってきている。

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マネー資本主義に染まりきってしまった人の中には、自分の存在価値は稼いだ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。それどころか、他人の価値までもを、その人の稼ぎで判断し始めたりする。違う、お金は他の何かを買うための手段であって、持ち手の価値を計る物差しではない
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誰もが紹介された例のように、創造的な価値の転換をできる訳もないが、それでもどうにかして今までの社会の常識や在り方を根本的に変革し、硬直した社会の利権構造、変化を望まない一部の既得権益にとどまろうとする人々を押しのけて、未来の日本にとって、本当に相応しい社会と生活の在り方を考えていかなければいけない。その為には多くの人が一時的な痛みを伴うが、それは将来のために必要な治療であるのだと理解しなければいけない。そんな切実なメッセージが聞こえてきそうな一冊である。


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■目次  
はじめに─「里山資本主義」のススメ/3
/「経済一〇〇年の常識」を破る
/発想の原点は「マネー資本主義」
/「弱ってしまった国」がマネーの餌食になった
/「マッチョな経済」からの解放
/世の中の先端は、もはや田舎の方が走っている

第一章 世界経済の最先端、中国山地─原価ゼロ円からの経済再生、地域復活
/二一世紀の“エネルギー革命”は山里から始まる
/石油に代わる燃料がある
/エネルギーを外から買うとグローバル化の影響は免れない
/一九六〇年代まで、エネルギーはみんな山から来ていた
/山を中心に再びお金が回り、雇用と所得が生まれた
/二一世紀の新経済アイテム「エコストーブ」
/「里山を食い物にする」
/何もないとは、何でもやれる可能性があるということ
/過疎を逆手にとる
/「豊かな暮らし」をみせびらかす道具を手に入れた

第二章 二一世紀先進国はオーストリア─ユーロ危機と無縁だった国の秘密
/知られざる超優良国家
/林業が最先端の産業に生まれ変わっている
/里山資本主義を最新技術が支える
/合い言葉は「打倒! 化石燃料」
/独自技術は多くの雇用も生む
/林業は「持続可能な豊かさ」を守る術
/山に若者が殺到した
/林業の哲学は「利子で生活する」ということ
/里山資本主義は安全保障と地域経済の自立をもたらす
/極貧から奇跡の復活を果たした町
/エネルギー買い取り地域から自給地域へ転換する
/雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻す
/ギュッシングモデルでつかむ「経済的安定」
/「開かれた地域主義」こそ里山資本主義だ
/鉄筋コンクリートから木造高層建築への移行が起きている
/ロンドン、イタリアでも進む、木造高層建築
/産業革命以来の革命が起きている
/日本でもCLT産業が国を動かし始めた

中間総括 「里山資本主義」の極意─マネーに依存しないサブシステム
/加工貿易立国モデルが、資源高によって逆ザヤ基調になってきている
/マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう
/逆風が強かった中国山地
/地域振興三種の神器でも経済はまったく発展しなかった
/全国どこでも真似できる庄原モデル
/日本でも進む木材利用の技術革新
/オーストリアはエネルギーの地下資源から地上資源へのシフトを起こした
/二刀流を認めない極論の誤り
/「貨幣換算できない物々交換」の復権─マネー資本主義へのアンチテーゼ①
/規模の利益への抵抗─マネー資本主義へのアンチテーゼ②
/分業の原理への異議申し立て─マネー資本主義へのアンチテーゼ③
/里山資本主義は気楽に都会でできる
/あなたはお金では買えない

第三章 グローバル経済からの奴隷解放─費用と人手をかけた田舎の商売の成功
/過疎の島こそ二一世紀のフロンティアになっている
/大手電力会社から「島のジャム屋」さんへ
/自分も地域も利益をあげるジャム作り
/売れる秘密は「原料を高く買う」「人手をかける」
/島を目指す若者が増えている
/「ニューノーマル」が時代を変える
/五二%、一・五年、三九%の数字が語る事実
/田舎には田舎の発展の仕方がある!
/地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金
/真庭モデルが高知で始まる
/日本は「懐かしい未来」へ向かっている
/「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ
/「食料自給率三九%」の国に広がる「耕作放棄地」
/「毎日、牛乳の味が変わること」がブランドになっている
/「耕作放棄地」は希望の条件がすべて揃った理想的な環境
/耕作放棄地活用の肝は、楽しむことだ
/「市場で売らなければいけない」という幻想
/次々と収穫される市場“外”の「副産物」

第四章 “無縁社会”の克服─福祉先進国も学ぶ“過疎の町”の知恵
/「税と社会保障の一体改革頼み」への反旗
/「ハンデ」はマイナスではなく宝箱である
/「腐らせている野菜」こそ宝物だった
/「役立つ」「張り合い」が生き甲斐になる
/地域で豊かさを回す仕組み、地域通貨を作る
/地方でこそ作れる母子が暮らせる環境
/お年寄りもお母さんも子どもも輝く装置
/無縁社会の解決策、「お役立ち」のクロス
/里山暮らしの達人
/「手間返し」こそ里山の極意
/二一世紀の里山の知恵を福祉先進国が学んでいる

第五章 「マッチョな二〇世紀」から「しなやかな二一世紀」へ─課題先進国を救う里山モデル
/報道ディレクターとして見た日本の二〇年
/「都会の団地」と「里山」は相似形をしている
/「里山資本主義への違和感」こそ「つくられれた世論」
/次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している
/里山資本主義が競争力をより強化する
/日本企業の強みはもともと「しなやかさ」と「きめ細かさ」
/スマートシティが目指す「コミュニティー復活」
/「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」が「車の両輪」になる

最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に決別を─日本の本当の危機・少子化への解決策
/繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる
/マッチョな解決に走れば副作用が出る
/「日本経済衰退説」への冷静な疑念
/そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない
/ゼロ成長と衰退との混同─「日本経済ダメダメ論」の誤り①
/絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者─「日本経済ダメダメ論」の誤り②
/「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論─「日本経済ダメダメ論」の誤り③
/真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルを確立する」こと
/不安・不満・不信を乗り換え未来を生む「里山資本主義」
/天災は「マネー資本主義」を機能停止させる
/インフレになれば政府はさらなる借金の雪だるま状態となる
/「マネー資本主義」が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理
/里山資本主義は保険。安心を買う別原理である
/刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化
/里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策
/「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている
/里山資本主義は「健康寿命」を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す
/里山資本主義は「金銭換算できない価値」を生み、明るい高齢化社会を生み出す

おわりに─里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、二〇六〇年の日本
/二〇六〇年の明るい未来
/国債残高も目に見えて減らしていくことが可能になる
/未来は、もう、里山の麓から始まっている

あとがき
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2015年11月20日金曜日

「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜」 矢口史靖 2014 ★★

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スタッフ
監督 矢口史靖
原作 三浦しをん
脚本 矢口史靖
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平野勇気:染谷将太
石井直紀:長澤まさみ
飯田与喜(よき) :伊藤英明
飯田みき(与喜の妻): 優香
中村清一 :光石研
中村祐子(清一の妻) :西田尚美
田辺巌:マキタスポーツ
小山三郎:有福正志
林業組合専務:近藤芳正
山根利郎:柄本明
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なにやら後ろに大きな意図がやたらと見え隠れする映画である。それは

1 映画を使って地方の村おこし
2 映画を使って、廃れてきている産業の活性化

恐らくこれらは昔から行われていたのだろうが、この数年は地方の行政庁から助成金も期待できるので確実に黒字になると、幾つもの広告代理店が挙って企画をあげているのでは?と勘ぐりたくなってしまう。

それでも、今まで目に触れることのなかった地方の生活。そしてそこでの仕事や日常の姿を美しく、またコミカルに描くことで、出て行くばかりの人でなく、興味を持ってその地に足を運ぶひと、観光に訪れる人、移住を考える人などが増えればそれでもいいのかと知れないというのもまた当然のことで、そうなると「映画」というメディアの持つ意味もまた多様化してきているのだろうかと、なんともいえない感情を抱くことになる。

ロケが行われたのは三重県津市美杉町


トンでもない山奥の町で、林業を営む人々の姿を、都会からひょんなきっかけでやってきた若者の姿を通して描いていくという物語。主役に染谷将太でその脇を固めるのが伊藤英明、長澤まさみ、優香に西田尚美と若い世代相手でも十分に受け入れられそうな役者を揃え、テンポ良くコミカルに話は進んでいく。

身体の中まで清らかになる空気が満ちていそうな森や、こんな村なら住んでみたいと思えるほど美しい風景。そして毎日がしっかりと太陽の動きと連動してゆったりと流れる時間。

都会と地方の格差が叫ばれて久しい現代。この映画をきっかけに、都会の時間から離れてみようかと思う人がいるのかもしれないし、その足が向かう先がこの風景となることもあるかもしれない。それでいいのかも知れないが、やはりこれは映画なのか、それともテレビの延長なのか・・・と思ってみるとやはり製作の中にあるのはTBSテレビや博報堂の名前・・・

メディアミックスもいいが、時間が限られているのなら、やはり映画らしい映画を観たいものだと改めて思うことになる一作かもしれない。














2015年4月27日月曜日

貧困の原因

「貧困」や「格差」が叫ばれて久しくなった現代の日本。

「絶対的貧困率」「貧困線」などそれを定義するには様々な数字が並べられ、みんな自分が「社会の中でどのあたりにいるのか?」を知るために気をもむことになる。

収入は少なくとも、多くの友達に囲まれ十分に幸福そうに日常を過ごす若者がいたり、大きな会社で勤め上げたにも関わらず、老後一人で社会とのつながりを持たず、苦しみながら過ごす人がいたりと、「貧困」の定義はなかなか見えづらい。

「最貧困女子」の中でも語られるように、同じような低収入しかなくとも、ある女性は社会から孤立し、性風俗業界を渡り歩くことでなんとか人生を紡ぎ続ける貧困の日常にいるが、ある女性は地方で中学からの友達とつるみながら、お金が無いなりにうまくやりくりをしながらそこそこ幸せな日常を暮らしている。

その違いは何なのかと考える折に、作家の橘玲が非常に分かりやすく「貧困に陥る」とはどういうことかを説明している。



経済通の作者らしく、人の持ちうる「資本」を「人的資本」「金融資本」「社会資本」の三つとし、「人的資本」は如何にその人自身が社会の中で活躍する能力があり、仕事をこなし報酬を得る力を身につけているかとし、「金融資本」は収入や資産など、その人が持っているお金の多さを意味し、最後に「社会資本」とは、友人や地域とのつながりの強さや、困った時に助けてくれる家族や親類の多さを示す。

こうしてみると、地方でマイルドヤンキーと呼ばれる収入は決して高くは無いが、多くの友達に囲まれ、地域のつながりを強固に持っている人々は「人的資本」や「金融資本」は低いけれども「社会資本」は非常の高いので、貧困に陥ることなく幸せな日常を過ごせるとする。

今はまだまだ社会で認められてお金を稼げる段階ではないが、一生懸命勉強をし修行をしながら自らの技術や知識を磨いている若い世代は「金融資本」は将来的な「人的資本」への投資を行っている段階だとする。

そしてこれらの三つの資本をすべて失っている状態が「貧困に陥る」状態だと定義する。
と同時に資本を一つしか持っていないと、何らかの拍子にそれも失って「貧困」に陥るリスクが高いとする。

仕事を一生懸命しても、それがプロフェッショナルとして「人的資本」に繋がっていなければ、頑張って収入が上がっても、それは他の「資本」を構築していないので、何かしらの原因でその仕事を失ったら「貧困」に陥る可能性がある。

同じように、必死に仕事をして友達や家族とのつながりをないがしろにし、徐々に身の回りから近しい人がいなくっていると、これも何かの拍子に仕事を失ったりとする際に「貧困」に陥る可能性が高いという訳である。

つねに二つ以上、できれば三つの資本をバランスよく向上していくこと。適齢期に結婚をし、子供を作り、両方の親とも程よりつながりを持ち、昔からの友達とも友人関係を続けながら、仕事も自らの職業人としてのキャリアを意識しながら能力を向上させつつ、それが収入の向上と同調する。

そんなスーパーリア充「超充」がベストだということになる。そうはっきり言われるとハードルの高さにげんなりし、なんとも億劫になってしまう。

まぁなんだかんだ言いながら、「貧困」なんて相対的なもので、最終的には「自分がどう捉えるか?」によってしまうかなり主観的なものである。例えば同じものでも、ある人にしたら「こんな素晴らしいものを得られてなんて自分は幸福なんだ」と思う一方、ある人にとっては「こんなものしか得られない自分はなんて不幸なんだ」と。

旅行や、ファッション、食事、生活。すべてにおいてこの心理的な受け取り方の違いは発生する。それはその人が何をスタンダードとして捉えるか、どれだけのことを知り、経験して、物事のレベルを詳しく知っているかに拠ることになる。本や映画による疑似体験やそれによって養われた想像力によって補完されることもあるだろう。

それに自分の身の丈を十分に理解し、無理をして背伸びをしないこと。それによって、同じ量でも「これだけか・・・」と思うのか、それとも「こんなにも・・・」と思えるのか、それで幸福度は変わり、心理的な「貧困」からの距離を変化する。

そんな訳で「人」「金」「社会」という三つの資本を高める意識を忘れずに、なおかつ身の丈にあった日常を生きつつ「想像力」を養いながら生きるのが、あっちにもこっちにも潜む「貧困」の落とし穴に嵌らずに生き残る術なのだと納得することにする。

2015年3月27日金曜日

「朝まで生テレビ|ピケティ旋風と日本の格差」 テレビ朝日 2015 ★★

今流行の「ピケティ」関連なので、これはチェックすべしと久々に見た「朝生」。

政治家から経済評論家や企業家が、「いやいやピケティの凄いところは・・・」、「彼の正しいところはこうこうで・・・」、「この本を契機に今本当に見なければいけない日本の問題は・・・」などなど、皆これを機会にとそれぞれの言いたいことを言い合い、結局「ピケティ」を通して今の日本がどう見えてくるのかはよく分からずじまい。

改めてこの番組を見てみたが、ここに参加するパネリストはどういう意図を持って参加するのかと想いを馳せる。ある人にとっては、「自分はこんなに社会の為になるようにと物事を考えていますしやっています」というアピールのため。またある人にとっては、「自分の考え方に沿って経済の旗振りをしていけばもっと経済は良くなる」というアピールのため。またある人は「テレビというマスメディアを利用して、自分が関わる社会問題を世の人にもっと知ってもらおう」というアピール。

結局こういう場では純粋に議論をするよりも、どうしてもその裏の意図が透けてしまう。だからこそ、あれだけ人の意見を遮っても、「自分は分かってます!」と言わんばかりの発現はテレビ受けし、またその人の意図を成し遂げる役に立つのだろう。

ある人は自分の著書を売りたくて、
ある人を特定の団体から講演に呼ばれたくて、
ある人はどこかの団体からコンサルなどのオファーを受ける。

そんあ「この先」があるからこそ、オファーを受けるのだろうと思いながらも、それでも何か的を得ているなと思うパネリストの著書を調べても「欲しいものリスト」へと入れている。

結局番組を見て、「ピケティ」本を書くべきか買わないべきか、その答えは出ずじまい。

2015年3月19日木曜日

ベアの違和感


なんていう、非常に景気が良いのだと感じるニュースが躍っている。「アベノミクスで潤った企業の収益をその従業員まで恩恵が巡っているのだと社会にアピールするためになんとしても給与アップを成し遂げてくれ」という官邸の移行が上意下達として現れているのだろう。

「円安、株高」だから「収益アップ」。企業が儲かり、それが従業員まで給料アップで日本は好景気。

しかしどうも違和感を感じずにいられない。

数年前から何かしら社会において、この国の産業の価値を高める、各企業の市場における価値を高める、そんなイノベーションが起きて、それが認められ業績として跳ね返ってきて収益があがった。それならばきっと違和感は感じないだろう。

しかし、相変わらずこの国が10年後どんな社会を目指すのか、世界の中でどのような戦略を持ってビジネスを展開していくのか、崩壊していく地方社会をどう維持していくのか、漂流する高齢者に対する福祉政策をどうしていくのか、そんな見えないことに覆われた閉塞感はなんら払拭されることはなく、ただただ「アベノミクス」と「株高」の言葉が踊り、投資家という「労働無き富」を持つ人々が潤っていく。

「235万円」というのはとんでもない額である。年収がそれ以下で生きる人々のニュースも多く報道されているし、この報道を見て「やはり大企業は違う世界だな」と思っている人も数知れずいることだろう。そして逆に、「自分は世界企業に勤めているから、その恩恵を受けるのは必然だ」と思っている人もいることだろう。

二極化していく格差が顕在化し始めているのは間違いない。

しかし「どんどん売ればいい。売れば売れるほど利益は上がる。」と、売り上げ総数を目指し、その行為が我々の生きる世界にどんな影響を与えるのかを立ち止まって考えることなく、自分たちの利益を追い求める、そのやり方に限界は見えていないのかと考える。

限られたパイの中で、自分たちの獲得率を高める。それが自分たちが住まう世界をどれだけ傷つけようともそこは目を瞑る。それよりも自分の生活、家族の生活、会社の動向、自分に関係するそれぞれのスケールの所属母体が生き残ること、なおかつより豊かに生き残ることが利己的な人類にとっては何よりも重要であるのは間違いない。

しかし、これほどグローバル化が進み、経済活動が地球上を覆い尽くした現在においては、ある産業に力は生態系や気候すら変えてしまう巨大なパワーとなってしまった。その中において、「自分だけ」という考え方はすでに通用しなくなってきているのもまた誰の目にも明らかなのではないだろうか。

「周りに何を言われようが売れればいい」
「誰かが困ろうが、自分が得をすればいい」

そういう考え方の個人とそれを囲いこむ企業。「自分たちだけくらいは・・・」という思いはこれほど巨大化した世界経済圏の世界ではもう生き残れないと誰もが認識する時代に突入しており、誰かが、そしてどこかの企業が、企業の利益を超えた新たなる枠組みを提案していくそんなことが必要な時期に来ているのだろうと思わずにいられない。

2014年10月8日水曜日

「「夜のオンナ」はいくら稼ぐか?」 門倉貴史 2006 ★

街中を歩いていると、バスや看板広告で、「短時間、高収入、女性だけのバイト情報」などという文字を良く見かける。誰もが生きていく上でお金が必要で、誰かに養ってもらう以外では、どうにかして自分が生きていけるだけのお金を稼がなければいけない。

労働はつらいものである。ストレスや人間関係、面白くも無い仕事もお金の為に自分を殺して我慢しなければならない。それでも、月末に手にできるのはそれほど自分が欲しいものを勝ったり、好きなものを食べたりできるような余裕のある額ではなく、家賃や生活費を差し引いたら手元に残る額はたかが知れている。

そうなると、どうすれば収入を増やすことができるかと考える。何かの専門知識を身につけ、その特殊技能によって報酬を増やす。つまりは時間単位での収入を増やしていくか、もしくは時間自体を増やしていく。つまり時間ごとの報酬が決まっているのなら、働く時間を増やしていくしかない。昼間と夜で別の仕事を掛け持ちしたり、家に帰っても仕事をしたりと、どんどんと自分の時間を削っていくことになる。

専門知識は資格や免許など、取得するまでに多くの時間の学習が必要となり、同時にそれなりのお金の投資も必要となる。なによりもそこまでの忍耐が必要だ。これはつらい労働時間を増やすのも、体力的にも辛いし、自由にできる時間もどんどん削られる。これは面白くない。

そうなると、今度はどうやってその両方の問題をクリアできるか考える。つまり如何に時間当たりの報酬を増やし、短い時間にて十分な収入を得られるか。

こうなると、通常の経済圏の中でいてはどうにもならない。そこから一歩外にでることで今までの常識を外していくしかないとなる。都市伝説のように実しやかに囁かれる高額バイトの数々。自らの健康をリスクに晒すか、闇社会に足を染めていくか、犯罪に加担するか。

そんな数々の一般社会から外にある経済活動の中でも、極めて普段いる自分たちからの距離が近く感じられ、通常の職業となんら変わらないかのイメージに近づいてきているのが冒頭の広告。つまり水商売や風俗と言った性産業の夜の世界。

女性が様々な形でその性を売り物とすることで、通常では考えられない時間単価を稼ぎ出す。昨今、メディアで何度も繰り返し報じられる現代の「女性の貧困」の問題に関して、一つの繋がりとして一般社会から非常に見えにくくなっているために、その実態が把握しきれない部分が多いからと、手にとってみた一冊である。

しかしどうもこの一冊も統計学の観点から捉えただけであり、この本質を知るためには、なぜ女性達がその世界に入っていかなければいけなかったのか、もしくはあまりにカジュアルに女性がその世界に入っていくことになっている現代社会の現状や、何よりもその産業を裏で操っている様々な闇社会の実態、それらを総合的に描き出すには、社会学者や気骨のあるジャーナリストではないとできなく、とても新書として出版する本で費やせる手間と労力ではないのだろうと思わずにいられない。

このタイトルから世の中が期待するのは、いったいどれだけのお金がそれぞれの風俗や水商売に使われて、その中のどれだけの割合が女性に入り、お店に入り、そこからその裏にいるであろう組織に入り、そのお金がどの様に表社会に戻ってきて使われているのか。
またその業界に従事する女性の数だけでなく、この夜の世界の経済があるからこそ生きていけている人間の数。お店で働く男性スタッフや、運営側の人間、そのお店にスペースを貸す賃貸オーナーなどなど、いったいどれだけの人間が、一般社会とはかけ離れた経済単価の世界に依拠するために、どれだけ恩恵を受けているのか。

街中に当たり前に入り込んでいる性産業の風景がこの街、この国からなくなったとしたら、いったいどれだけの人間が路頭に迷うのか、生活に困るのか。駅前商店街が風俗街に変わってしまった北関東の太田市の様に、一般社会での経済概念から考えたら圧倒的に楽なお金の稼ぎ方をもたらしてくれるこの夜の世界。一度楽なほうに流れたら、二度と苦しみを伴う方へは戻れないのが人間。

女性を商品として自らの利権を守ろうとする運営側。世間体は悪いが自分が楽に稼げるなら見て見ぬ振りを続ける風俗ビルのオーナー達。そして事情はそれぞれであろうが、個人主義が横行し、かつてよりもよっぽどカジュアルに足を踏み入れていく女性達。

これだけの多くの女性が、何かしらの形で夜の世界に関わっているとしたら、自分の周りにも口にはしないけど実はそうだったという人がいるのかもしれないと思いながらも、やはり統計学的に数字で説得力を与えるよりも、自らドロドロとした世界に入り込み、外から見えない世界を描きだす、そんな本を読みたいものだと思いながらページを閉じる。

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序章 「夜のオンナ」のお金の行方
/目的に見合った金額
/ホステスたちの出生経路
/オンナの昼の顔と夜の顔

第1章 あなたが払ったお金は誰の手にわたるのか
/企業の交際費はいくら減ったか
/銀座のホステスの年収は3000万円
/ホステスがもらう大きな「手当」
/キャバクラの儲けはどこへいくか
/セクシーキャバクラという業態
/ホストクラブに使われるお金は1兆円
/ホストクラブの客の過半はホステスと風俗嬢
/芸者とコンパニオンの収入の違い
/夜に働く主婦の儲け
/女性パート・タイマーの稼ぎの総計は3~4兆円
/「昼クラ」へ向かう主婦の稼ぎ
/女性たちとパチンコ産業の関係

第2章 いちばん稼いでいる「夜のオンナ」は誰か
/時給ランキング第一位はあの仕事
/ソープランドで働く女性の取り分
/ソープランド営業はどこまで合法か
/「待ち行列理論」を応用した風俗調査
/ソープランドの個室をつくるためにはいくらかかるか
/日本全国のSMクラブの女性の稼ぎは年間1680億円
/なぜM女のほうが割高なのか
/ストーリー性を求められ始めた夜の仕事
/急成長するデリバリーヘルスの市場規模が2.4兆円に達した理由
/ピンクサロンで働く女性の給料は基本的に時給制
/ビデオ・ボックスの法的な問題点とサービスの中身
/新しいタイプの性風俗店で稼ぐ女性たち
/低迷を続けるストリップ劇場
/女子中高生らの援助交際相場は10万円以上になる
/東南アジアでの自動買春問題

第3章 日本の夜に稼ぐ外国人女性たち
/フィリピンパブは都会より地方で広がる
/アジアンエステでのお金のやりとり
/韓国エステの98%が違法行為
/日本国内での外国人売買春の市場規模
/摘発された外国人女性不法就労者の11%が売春を経験
/「ガラス戸の女」として働いていた外国人女性たち
/母国への送金を担う地下銀行の実態
/外国人不法就労者の増加は日本経済にマイナス
/ラブホテルは儲かっているのか
/1軒あたり20室、1日2.5回転が平均
/夜のビデオ、DVD業界はなぜ「セル」で設けるのか

第4章 外国では「夜のオンナ」はどうしているか
/米国の売春産業は地下ビジネスの5%を占める
/深刻化するキューバの売春問題
/売買春を「完全合法化」した国の狙い
/売春宿が株式上場を実現した国の名前
/公娼制度を廃止した台湾、台北市
/中国の人身売買の相場
/家族に収入の大半を送金するタイからの出稼ぎ女性

終章 日本の「夜のオンナ」をどうするべきか
/働く女性へのサポートが十分にできていない
/売春防止法は有効に機能しているか
/風俗産業に携わる女性の安全確保と福利厚生
/外国人労働者の受け入れ
/未成年の風俗産業からの保護
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「「夜のオンナ」の経済白書 ――世界同時不況と「夜のビジネス」」 門倉貴史 2009 ★

「消えた高齢者」「格差社会」「極点社会」などと不安をあおる様に現代社会の問題点としてNHKから定期的に発信されるメッセージ。

恐らく今年のキーワードは「女性の貧困」なのだと思わなければいけないくらい、今年は年初からいたるところから「シングルマザーの貧困」についてテレビで取り上げられたり、書籍で語られたりしている。

今まではサラリーマンの夫と専業主婦の妻に子供という標準的な家庭像を元に国が運営されてきたが、グローバル化の競争社会、効率向上の為に非正規雇用、女性の社会進出、核家族化の定常化、自由意志による結婚と離婚などなど、様々な要因が重なって世の中の様子は随分様変わりした。

サラリーマンの夫だけの収入ではなかなか家庭を支えられないのにも関わらず、女性側の意識が変わることはなかなか難しく、それでもやはり専業主婦として職場のストレスから離れて生活していきたいと思う人の数はなかなか減ら無い一方、仕事をする女性が増えて、自分で自由にできるお金もあり、自由にできる時間もあり、社会で認められる喜びもあるうちに、加えて自分にふさわしいと思う男性像も右肩上がりで上昇する。

都会にいれば、出会いは腐るほどあるという先入観も手伝って、結婚に踏み切る時期が遅くなるのは止む得ない。そういう層がいる一方、早く結婚して子供もできたが、夫が思ったようには家庭を大切に扱わず、もろもろの理由で離婚などして子供を育てるための十分な経済的余裕を持てない状態に陥る人々もいる。

男性の場合は、非正規労働者やホームレス、ネット難民などとしてすでに分かりやすい形で社会の弱者として何度も取り上げられてきたが、その背後でなかなか見えなかった女性に光を当てて、現代社会の一面として取り上げられる女性の貧困。

都会で一人暮らしする女性の貧困率。子供を抱えシングルマザーとして働きながら子供を育てる女性の現状。低賃金の溜めに親元を離れ、より良い機会をつかむことができない女性達。

そんな女性が、その経済的負担を少しでも軽くしようと、短い時間で高収入を得る方法として飛び込んでいくのが夜の世界。そうなると、この夜の世界の経済状況を理解しなければ、現在の女性の貧困の本質が見えないのではと繋がってくる。

この国ほど、水商売や風俗が当たり前の風景として街の中に入り込んでいる国も珍しいと思うほど、性産業が生活のかなり近い部分に存在する。甘い蜜に吸い寄せられる昆虫のように、夜な夜な闇の中で彷徨う男性の懐から流れ落ちる膨大な金が、どのように夜の世界で流通し、実際どこに消えて、どう使われているのか、そして彼女たちはそれで何を手にしていくのか。

そんなことが理解できる一冊かと思って手にしたが、統計学的な数字が並べられるだけで、本当に見たいドロドロとした闇の世界の支配者の姿。そしてその構造に気づかずにそちらの世界に足を浸していく女性の姿。そして夜の街の風景の裏に隠れる様々な利権構造を炙り出すには程遠い内容で少々がっかりとしてページを閉じることにする。

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■目次
はじめに
第1章 搾取される開発途上国の「夜のオンナ」たち
/開発途上国の男性優位社会が売春を促す
/タイの「夜のビジネス」はベトナム戦争の遺産
/サイクロンの季節になるとミャンマーで売春婦が増える理由
/東南アジア「セックス・ツーリズム」の仕組み
/カリブの買春ツアーの主要目的地ドミニカ
/美しすぎる売春婦には要注意
/ベトナムのカラオケ店は売買春の温床
/児童買春の問題が深刻化するフィリピン
/わずか5万円で売られる脱北者の女性
/中国の経済発展とチベットの売春ビジネスの関係
/中国で建設計画が浮上したセックス・テーマパーク
/インドの売春宿で「性の奴隷」にされるネパールの少女
/スマトラ沖地震に乗じて救済を装った人身売買が横行
/人身売買ビジネスは現代版の「奴隷貿易」
/欧州最大の性奴隷供給国モルドバ
/国際的な人身売買の中継地となるキプロス
/旧ソ連からトルコに流入した「ナターシャ」
/東欧諸国で売春が合法化された理由
/チェコに登場した世界初の「ゼロ円売春宿」
/コンドームの無償配布でHIV感染抑制に成功した国とは?

第2章 合法と規制の挟間で揺れる先進国の「夜のビジネス」
/先進国の「夜のビジネス」の仕組み
/米国デンバーで買春するとテレビで顔と名前が晒される
/「ハリウッドマダム」のスキャンダル
/エイズ対策担当調査官も顧客だった「DCマダム」
/下半身スキャンダルで辞職したニューヨーク州知事
/米国のアダルトビデオ市場は4222億円
/米国のポルノ雑誌市場は1100億円まで縮小
/ネットオークションに処女を出品、3億円の値が付いた女子大生
/英国でブームの「ドッギング」とは?
/合法化されたオランダの「夜のビジネス」はどうなったか?
/売春宿が株式上場したオーストラリア
/03年に売春を全面的に認めたニュージーランド
/「夜のビジネス」への規制強化に乗り出した北欧諸国
/ドイツでオープンした「セックス・アカデミー」とは?
/シニア割引を適用する売春宿が登場

第3章 日本の「夜のオンナ」最新事情
/締め出される「風俗案内所
/わいせつDVD販売に対する規制も強化
/児童ポルノは所持するだけでも罰金の対象に
/人身売買の「監視対象国」に指定された日本
/未成年者売買春の場は、「出会い系」から一般的な「SNS」へ
/無店舗型風俗の低価格競争
/営業禁止地域でも性風俗店が営業できるカラクリ
/お隣韓国では買春男性も摘発されるように

第4章 世界同時不況と「夜のオンナ」
/金融危機が「夜のビジネス」を直撃。エコ割引も登場
/カジノの収入減がセックス関連産業にも影響
/スペインで増加するサブプライム売春婦
/イタリアで増加する外国人売春婦
/ポルトガルとギリシャでも外国人売春婦が急増
/新型インフルエンザで売り上げが半減したメキシコの売春宿
/日本の「夜のビジネス」にも世界不況の影響が及ぶ
/ホステス→キャバクラ嬢→風俗嬢という玉突き現象
/外国人女性が在籍する安価な店に客足がシフト
/「裏ビデオボックス」の価格破壊
/AV女優のギャラもジリ貧
/風俗嬢の給料低下がホストクラブ業界にも波及

第5章 「セックス税」導入のススメ
/「タバコ税」「酒税」のように「ゼックス税」を
/「セックス依存症」という恐ろしい病気
/『カリヴァ旅行記』でも登場した「セックス税」構想
/売春合法化の是非
/「セックス税」をすでに導入しているドイツのケルン市
/1回5ドル。米国ネバダ州の「セックス税」導入案
/日本で「セックス税」を導入すると94億円の税収増

おわりに
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2014年6月26日木曜日

「弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂」 阿部彩 2011 ★

格差、貧困、孤立、孤独死、限界集落、極点社会、無縁・・・

この10年にわたる様々なキャンペーンのお陰ですっかり社会に定着したこの言葉たち。建築という社会を向こうにがっつり組み合って毎日の業務をこなす職業についていると、どうしても現代社会の抱える問題に目を向けなければならない。

細切れにされたそれぞれのテーマについて、少しずつ本を読み理解を深めて、やっとことの本質がおぼろげながら見えてきたこのごろ。また流行り言葉の一つとして、先進国であると叫ばれるアメリカからの言葉の輸入である「包括」「包摂」をテーマにしてこの一冊も、現代の社会を感じる必須本かと想い手にとって見る。

しかし・・・

アメリカでの研究が長かったのか、あまりに論点があやふやで、文章が稚拙に思えてしまったその内容。「承認」「排除」「包摂」に「包括」という、アメリカで使われ始めた言葉たちを、そのコンセプトとともに日本に紹介するという方式が全面に出すぎて、今まで様々なところで語りつくされた現在の貧困や格差に関する考察ばかりで、これといってなんら新しい現象も分析も提案も見られない。

やはりそれだけこの問題が複雑で一分野からの分析では捕らえられないのだろうと再認識してページを閉じる。
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■目次
プロローグ 社会的包摂と震災
第1章 生活崩壊の実態
/衣食住の崩壊
/公共料金、保険料、借金
/貧困は健康を蝕む
/震災の長期的影響

第2章 「最低生活」を考える
/「貧困」ってなに?
/貧困の定義
/「最低限の生活」に必要なおカネ
/ミニマム・インカム・スタンダード

第3章 「つながり」「役割」「居場所」
/社会的排除と社会的包括
/関係からの排除ーつながりがあるということ
/仕事からの排除ー役割があること
/場所からの排除ー居場所があること

第4章 本当はこわい格差の話
/排除と格差
/格差と人間関係
/格差とコミュニティ
/格差と健康
/格差の増幅
/日本の格差は海外でどう考えられているか?

第5章 包摂政策を考える
/ホームレスのかっちゃん
/これまでの社会保障を考える
/社会のユニバーサル・デザイン化
/ユニバーサル・デザインな働き方は夢か?

第6章 インクルーシブな復興に向けて
/阪神・淡路大震災の教訓
/震災後の社会政策を考える
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2014年5月6日火曜日

50年後に人口1億人程度を維持する


日経新聞に出た記事。

「50年後の日本の人口1億人維持」

先日のクローズアップ現代「極点社会」からの流れを見ていると、一体人口1億という数字に何の根拠があるのだろうかと思わずにいられない。

今後は加速度的に都市間での格差が広がっていくのは間違いない。

新たな流入人口を引き付けられる都市。
若い世代を引き止めておくことがある将来への希望を与えられる都市。
教育や職場などより良い機会を提供することができる都市。

そんな都市に人口がより集中するということは、その他の多くの地方都市が人口をどんどん失っていくということで、それは全世代的に同時に行われるのではなく、若い世代がどんどん都市へと流れて高齢者が地方に取り残される。

その状況を考えると、一体50年後の東京にはどれだけの人間が住んでいるのが適正なのか。

各地方の中核都市にどれだけの人間が集中し、どのような年齢分布となっているのか。

地方にはどんな産業を中心にして、どのような風景がつくられ、どんなコミュニティと暮らしを人々が享受しているのか。

そんな国の形。この国の近い未来の風景を想定しない限り、そこに与えられた「人口1億」という数字があまりにも空虚に思えて仕方がない。

この作業は簡単ではない。厳しい現実を踏まえてでも、誰かが自信を持って描かなければいけない。そうして枠組みを与えてこそ初めて数字が意味を持ち始める。

人口が8000万人でも幸せな日本の未来は描けるのかもしれない。
世界に誇れるような国の姿を提示することができるのかもしれない。

その為には利権を握って離そうとしないその手を緩め、将来の子供達のために必死にどんな国、どんな風景を残してあげることができるのかを考えることがどの分野にも必要になってきているのだと思わずにいられない。

2014年3月24日月曜日

希少性を薄める

テレビを見ていると相変わらず、「格差」「貧困」という内容で世間の不安を煽るような内容が流されている。「熟年離婚」や「介護」といった新しいものとくっつけての、新しい貧困のあり方を紹介し、誰でも貧困に陥ることはありうると警鐘を鳴らす。

その中で一点だけ気になったのが、親の貧困状態が子供の教育の機会の不公平を作り出していること。これは常識的に考えて、どの時代でも起こっていたことである。生活レベルの高い親は十分に子供へのケアを与えられ、また教育やスポーツなど様々な機会をも与えてあげることができる。得てしてそれらは時間と経済性という二つの余裕がないとできないことである。

しかし問題なのは、現在の教育システム。受験がある種テクニックの習得になっている状況では、如何にそのテクニックを身に付けることができるか、学校では教わらない内容が受験の現場で試され、その対策として塾に通って受験用に技術、テクニックを学ぶことができた子供のみ、優秀な学校に入学できる。

優秀な学校に入ることは、学歴を手に入れることと同時に、優秀なクラスメイト達と過ごす時間をも手に入れる。これが子供の生き方、時間の過ごし方に大きな影響を与えてしまう。どんなに素地が悪くても、一度そこに入ってしまえば、長年揉まれていくうえでそれなりに優秀な子どもになっていくシステム。

そう考えれば、塾に高い学費を払い、自分の子供だけには特別なテクニックを身に付けさせようと投資する親の気持ちも分からないではない。しかし、いくら子供や親がより高いレベルの学校に行きたいと望んでも、塾に通う経済性を持ちえない限り、自分ではそれを学ぶことができない。つまり親の経済性が大きなハードルとして子供の人生を決めてしまっている。

これは大きな問題である。酷い不公平な事態である。

経済性を持つ親は、できるだけ競争を楽にするために、より高い学費でより優れた内容の塾があればあるほど喜ぶはずである。愚かな自らの子供でも、お金さえ払ってその塾に通わせれば、そこに通うことができない一般の子ととの差を開けることができるから。

つまりは希少性をお金で買うことで格差の上への新路を進む現状。これでは同じ膠着した社会構造を保つだけで、何のイノベーションも起こらない。子供の能力とやる気にそって学ぶ可能性を与えてあげることができるのが健全な社会であろう。

ではどうするか?

それは価値を生んでいる希少性を薄めてやればいい。つまりは塾で高い学費を払ってでしか学ぶことができない知識、技術、テクニックを無料で公開し、誰でもそれを学ぶことができるようにしてあげればいい。なんともまっすぐな回答である。

それを実践しているのが東京大学の学生が立ち上げたNPO法人「manavee(マナビー)」。「地理的・経済的な教育格差の是正」を目標に、誰でも行きたい大学に行ける学習環境をウェブで無料にて提供するサービスを、ボランティアの大学生が教師を務めることで運営している団体だという。

社会の中ですでに「持つ者」となっている人々はその地位、利権を保持するために、できるだけ流動性のない社会を望む。硬直した社会が全体の利益になっている時代はそれでもいいか、変化が必要な現代のような時代には、さまざまな階層から新しい才能を持った若者が出てくる必要がある。

お金を払うことで、特権階級に居続けようとするお金持ち。その欲望をビジネスに転嫁する塾。ガチガチにビジネス化された教育制度の中ではじき出されて学ぶ機会すら得られない子供たち。

それを変える可能性のある大きな試みだろうと思われる。

そう考えると、ほかに希少性を薄めることで格差を解消することにつながることは多くある。本来誰もが発信者になることを可能にしたネットというのは、本来こういう目的につながるべきことであると思う。

このブログも、自分が若く建築を学び始めたばかりの時に、少しでも上の世代が何を考え、実際にどういう具合に設計実務の日々を送っているのか、その過程の中で何を見て、何を学び、どう職業的能力の向上につなげるのか。そんなことを知りたいと思っていたということは、今もどこかで同じように悩んでいる若者がいるはずで、ひょんな機会にその彼がこんなブログに目をとめて、少しでも建築家としての将来に明るい見通しを持つことができるようにと思っている。

百科事典が高価で特権階級しかある一定の知識にアクセスできなかった時代から、誰もが望めばどんなことでも知りうる時代に入った我々。覆い隠すことでは希少性を担保できなくなった時代には、新しい希少性によって価値を作り出していかなければいけない。

何を破壊し、何を新しい価値とするか。そしてその価値に自分がどう貢献できるかを考えながらテレビを消すことにする。

2014年2月10日月曜日

クローズアップ現代 「あしたが見えない ~深刻化する“若年女性”の貧困~」 ★★★

ネットでかなり話題になっているらしい先日放送された「クローズアップ現代」の特集。格差社会が叫ばれ、連鎖する格差の中で、生涯未婚率が20%を超えてきた現代日本。

少し前の日本の様に、自分で生活を支えるほど社会の中で稼ぐことをしなくても、ある年齢までは実家でやっかいにあり、出会いかもしくは誰かの世話によって結婚相手を見つけ、その後は専業主婦として男性に養ってもらう。そんな日本の女性の漠然とした生き方が変わってきた現代。

非正規雇用で働く人の数が増え、結婚相手どころか自分一人の生活すら支えるのが難しいという層が増加した時代には、もちろん結婚相手の女性にも家計を支える手助けをしてもらおうと期待する男性が増えるのは当然。

そうなると頭では分かっているが、やはり自分だけは自分の願うような生活を保障してくれるような男性と出会って結婚できるのでは・・・と理想の世界に行き続け、結局結婚せずに独身を守り続ける女性達。それらの女性はいくら収入が少ないといっても、いくら貧困だといっても、少なくとも実家にパラサイトし、自らもそれないの収入を得て、少なからず刹那的な欲望を満足させながら生きているだろう。

今回の特集で取り上げられたのは、それらの層ではなく、シングルマザーなど子供を育てながら、生活保護も受けられず、頼れる家族もなく、なんとか自分で生きていく糧を稼がなければいけない女性達。仕事をする時間に子供を預ける託児所も、日中の仕事をしている人にはまだ余地があるが、短時間で高収入を得ようとする彼女達の勤務時間に預けられる託児所の整備は進んでいない。

行政に縋ることもできず、血縁にも頼ることが出来ず、ましてやそんな境遇を助けてくれる強い絆で結ばれた友人がいるはずもなく、そんな彼女達に手を差し伸べるのは、風俗産業。若さと女性ということを、短時間の高収入に変換するその風俗店は、働き手である若い女性の実情を一番理解し、少しでも彼女達が働けるようにと手を尽くす。

それが、「寮あり、食事あり。託児所完備。シングルマザー歓迎。」という風俗店の求人広告。

仕事前には店の提携する託児所に子供を預けられるシステムを打ち出す店もあるという。

残念ながら風俗産業にとっては貧困に窮していようとも、若い女性であることがそのままビジネスでの価値となる現実。そしてその価値を最大限にする為に、店側の経営努力として、働き手の女性を確保する様々な特殊な福利厚生ではないが、働く環境を整えることが、頼ってくる人を精査して不正受給を防止しようとする行政側の生活保護ではシステム的に弾かれてしまい、何処にも行くあてが無く最終的に縋る場所になってしまっているという現代の一断面。

本当はこういう風になんとかその環境から抜け出そうと、子供の為に少しでも良い生活ができるようにと思いを持ってはいるが、それでも現状で自分の力だけではどうしようも抜け出せない多くの人にとって、本来的には力を発揮するべきの生活保護。

それが三親等まで扶助義務を拡張するとかよりも、多様なケースに多様な方法で対応できる、一定額支給から進歩した新しい形の生活保護の移行する必要があるのであろうと思わずにいられない。

この特集で取り上げられたシングルマザーの子供達は、恐らく十分な教育を得ることも出来ず、格差が再度連鎖していくことだろう。子供の教育の不公平を生んでしまう現状は、やはり社会の側に問題があると思われる。

ケースバイケースで現金を支給するのではなく、貧困者が無料で住まうことのできるソーシャル・ハウスを準備すること。もしくは似た環境の貧困者が集って住まい、互いに空いた時間で子供をみあったり、家事を分担したりと、新しいソーシャル・シェア・ハウスなんかも求める人は多そうである。

恐らくそういう政策は成果が見えにくいことと、その為に大きな手間がかかることが想像されるが、しかしこのまま現状の見えにくい貧困を社会に放置しておくことがこの国の未来に何かしら良い影響を与えるとは誰も思えない以上、やはり新しい動きが出てこないといけないのだろうと考えさせられる、素晴らしい内容のドキュメンタリーであった。

2014年1月27日月曜日

止められない性悪説化

「アクリフーズ」で起きた毒物混入事件。

食品の毒物混入

待遇への不満を抱えた内部の契約社員による犯行で、「アクリフーズ」は社長が責任を取って辞任し、今後はより検査を強化しチェックを厳しくしていくという。

今は待遇が低いけど将来的な好転を期待しつつ、生涯かけて会社に尽くすような正社員を減らし、景気動向によって人員整理をしやすい契約社員によって業務を遂行していかなければいけない現代の企業。その中で避けられない正社員と契約社員との格差。そしてその待遇に不満を持つ社員が現われるのは必然のこと。

そういう鬱憤を持ちながら日常を過ごす人間は恐らく日本中何処の職場でも、どんな環境でもいるであろう。しかし、この様に自分の人生も、家族の日常も、会社の社会的立場も全て吹っ飛ばしてしまうような行為に及ばれてしまうとは。恐らく特殊解として犯人の人格に関わる部分と、一般解として現在の日本の労働環境があるのは間違いない。

しかし「特殊」であると思っている方が徐々に「一般」へと開いていき、「もういいや」と開き直って、考えられないことを行ってしまう人物が増えてこないとも限らない。

そう考えると、このご時勢に飲食店を経営していくなどということは、本当に怖いことだろうと想像する。ちょっとした注意ごとでも、プライドを傷つけられた若者が、「くそ」と思い、復習の為に今回の事件と同じようなことを企てたとしても、恐らくネットで簡単に農薬も手に入れることが出来るであろうし、それを実行する方法もネットで簡単に検索できるはずである。

そうなると、後はその人物の心の中で何かが一つ背中を押すだけである。それほど、実行への壁が低くなり、それぞれの個人の道徳性や人格というものにかかってきてしまう。そしてそれが一度実行されてしまえば、会社が潰れるどころか、賠償請求などで一生かかるような負債をおってしまうかもしれない。

それを防ぐ為には「アクリフーズ」がコメントしたように、より厳重なチェックを行っていかなければいけなくなる。つまりは誰もが会社の不利益になるような、反社会行為を行う可能性があるとして対応していかねばならない。

留まることのない性悪説への傾倒。

一緒の目的を持って同じ職場で働いている人間が、その根底ではこの会社の存在すら脅かすような行為をする可能性があると疑いながら時間を過ごしていかなければいけないという事実。なんともさもしい時代。なんともしがない現代。

そんなことを考えているとどうもこちらもさもしい気持ちになってくる。一度傾くと止まる事ができないのが人間社会。行き着く先は「ガタカ」で描かれた、遺伝子レベルで反社会行為を行うかどうか調べて社員を選ぶ世界になるのだろうかと思わずにいられない。

2013年12月28日土曜日

水面ルンバ

タイのプーケット。朝食を取っていると、ホテルのプールに置いた葉っぱを拾うスタッフの姿が目に入る。

それを眺めていると、「恐らく何年後かには、水面をアメンボの様にスイスイ這っては葉っぱを自動的に片付けてくれるような、ルンバの様な機械が生み出されるんだろうな・・・」と想像する。

そうすると、今葉っぱを網ですくっているあのスタッフは仕事を失うことになるのだろう。そうしたら彼はどうするのだろうか?タクシーの運転手などになるのだろうか?しかしそういうある仕事が無くなったから、別の仕事を探して、別の仕事があるうちはいいけれどもそれがいつまで続くのだろうか?と勝手に想像は膨らんでいく。

単純労働であればあるほど、機械などに取って替わられていくのは避けがたい事実。その機会の出現で失われた雇用機会と、その機械の出現によって生み出された新たなる雇用機会を比べても、明らかに失われたものの方が多いであろう。

つまり新たなる発明は間違いなく人間の仕事を少なくしていく。人類に残された仕事量はいったいどれくらいなんだろうと。

Iphoneの登場によって間違いなく人類の時間の過ごし方は変わった。それを思いついたときにジョブスが見た未来は間違いなく輝かしいものだったであろう。そのビジョンへの想像力、それを可能にする実行力、それを支える経済力。様々な要因を持ちえて今世界中の人の手に彼のビジョンが届けられている。

そのビジョンのお陰でどれだけ生活が豊かになり、どれだけ仕事が効率化されたか。

しかし、それと同時に世界の何処かで誰かがそのせいで仕事を失ったこともあったに違いないと想像する。

「風が吹けば桶屋が儲かる」

ではないが、これだけ大きな社会的インパクトを与えた道具は同じくらいの大きな単純労働を無くしてしまったに違いない。その代りにアプリ制作や様々な広告など新しい業態の労働が生まれたのももちろんであるし、歴史なんていうのは多かれ少なかれ同じような事を経験しながら現在に繋がっていると言う事も事実であろう。

しかしこれほどある場所から発せられた事象の影響力が世界の隅々まで届くようになったグローバル世界においては、新しい事の輝かしい面だけを見て進めてしまうことにより、多くの無意識の格差の皺寄せを受ける人々を生み出してしまうのだと改めて感じながら朝食を終えることにする。

2013年12月23日月曜日

人は楽をする

色んなところで言われるように、日本では正規と非正規の格差が留まる事を知らずに広がり続けている。

それは「今見える格差」だけでなく、将来的、40代50代になった時の格差。病気や看護など「何かあった時」の格差。退職時の退職金など老後に備えた格差。退職後の国民年金だけに対して厚生年金や企業年金などの老後の格差など、様々な「見えない格差」が先に控えていることは随分と認知されてきた。

それほどの格差が圧倒的に自分の人生だけでなく、子供などにも大きな影響を与えてしまうからこそ、誰もが格差の負け組みになりたくなく、なんとしても格差の上部構造にしがみつこうとする。

その構造が明確であればあるほど、会社員はどんな過酷な労働でも会社に残る為に、正社員の椅子を掴み続ける為に必死に会社に奉仕する。その構造をより確固たるものにする為に、会社は一度その傘から外れたものに対しては敷居を高くし、「一度こぼれ落ちたら、二度とこの特権は得られない」という状況を作り出す。そして、一部の特権階級とその他の大勢の格差負け組という絵が明瞭に描かれていく。

それが今の世界。これが「キャリアラダーの無い」状況であり、「一度降りたら二度と戻れない」現在の仕組みである。

と良く言われているが、本当にそうであろうか?

張り詰めた日常を生きるのは相当に大変である。毎日楽しいばかりではない仕事に、朝早くから起きて、身動きの取れない電車内では他の人の迷惑にならないように気を遣いながら一時間近く我慢して出勤するのは確かに辛い。

健康でいる為に、体調を管理する為に、睡眠時間やのんびりする時間を削ってジムに行き、汗を流してランニングしたり筋トレするのは確かに辛い。

厳しい競争原理の働く市場の中で、新しく出てくる競走相手に対しても常に自らの職能的価値を高めていく為に、新しい知識を学び、様々な技能を身に就けていく為に、自分の時間を割いてでも勉強や読書、セミナーなどに足を運ぶのは確かに辛い。

能力があるだけでは仕事が来るわけも無く、会社を知ってもらって仕事を貰えるように、今までまったくやったことのない営業の為にあちこちに出て行かないといけないのは確かに辛い。

そんな日常の中から少しだけ楽をしていく。

睡眠を削って、辛い運動をして体調管理するためのジムに行かずに、その分温かい布団の中で余分に眠るのは確かに楽だ。

眠い朝、朝ごはんをしっかりと料理する時間がめんどくさいので、簡単なもので済ませてしまうのは確かに楽だ。

電車の中で新聞や読書で小難しい内容に向かうよりは、周りも気にせずPSPで恐竜でも追っていたら確かに楽しいだろう。

職業的能力とは関係なく、仲間内の関係性、お付き合いの深さで仕事が回ってくればさぞストレスも無いだろう。

自分で稼いで、少ない収入でもその中でやりくりして生活をするよりは、親にパラサイトして稼いだ分を家に入れることなく好きなだけ自分の欲望に使えたら、さぞ楽しいだろう。

努力する事を止め、会社のブランドや社内での立場を利用し、人間関係の波をうまく立ち回ることで出世していければどれだけ楽であろう。

親のストックで自分の一生ストレスに晒されずに済むような遺産や何もしないで定期的な家賃収入が望めるような家業があれば、さぞ楽だろう。

自分の欲望を抑えることなく、収入よりも多く支出をし、足りない分は親や扶養者、行政などに頼るか、もしくは安易に稼げるような夜の仕事へと足を踏み入れたり、犯罪行為へと手をそめていけば、さぞ楽であろう。

手に入れた政治家と言う権力を利用して、何千万もの大金を簡単に手中に収め、「アマチュアだった」の一言で過ごせてしまえば、さぞや楽であろう。

こうして人は少しずつ、日常の中で楽をしようとしていく。

そして一度楽をしたら、一度階段を降りたら、そこに待っているのは今までよりも快適な日常。自ら「楽をした」と認識して時間を過ごしても、それはあっという間に新たなる日常へと変わっていく。そうすると、再度階段を上り、また張り詰めた日常に戻るのはほとんど無理になる。そんな気力は無くなっていく。


最初はほんの少しの休憩。
ほんの一段だけ。

そんなつもりが、気づけは何段も降りていることに。そこからも振り返ると、元いた場所がどれだけ上にあるかに唖然とする。かつての仲間がどれだけ先に進んでしまっているか。その距離と、そこに戻るまでの労力を嫌というほど思い知る。

「日本では一度レールから外れると、また戻ってくるのは相当に難しい」

そんな風に言われるが、問題はレールから外れてどの道を歩くかに違いない。レールから外れたのは、実は無意識に階段を降りてしまうことは多々ある。

それほど、組織から離れ、自らの意思で自らを成長させ続けるような時間の過ごし方をし続けるのは途方も無く難しいことであり、同時に組織の中にいれば、意識の高くない普通の人間でもそれなりに成長をし続ける事ができるという事であろう。

楽をする為に、階段を下りる為にレールから外れるのではなく、自分だけの階段を上る為に歩を進める。意識を高く持ち、欲望とうまく折り合いを付けながら、自らがした選択に対して意識的に時間を過ごしていく。

そんなことが出来る人とそうでない人との差がより一層大きくなっていく世の中になっていくのだろうと想像し、本当の格差とはそこに生まれるものだと思わずにいられない。

2013年12月22日日曜日

「絶望の国の幸福な若者たち」 古市憲寿 2011 ★

最近様々なメディアでも目にするようになった若き社会学者。何冊か本が売れているという様子は知っていたが、どうにも腰が引けながら数年を過ごしてしまったが、どうやらこの世代のトップランナーであることは間違いないらしいので、とにかく知っておこうと手にした一冊。

若者である筆者自身が、おじさんが勝手に「最近の若者は・・・」とグチグチ言っているのに対して、「若者が若者の本当の姿を描いてやろう。彼らの視線が捉える現代の日本を描いてやろう。」という意欲作であり、そのためにはあまりにも曖昧に使われている「若者」という定義と「現代の」という定義をしっかりと統計学に沿って浮かび上がらせて、根本的には第六章の「絶望の国の幸福な若者たち」の内容が言いたかったこのという構成のようである。

もう既に「若者」というカテゴリーから足を抜いて、着実に「おじさん」のカテゴリーへと移り始めている自分であるが、「建築家」という職業的年齢ではまだまだ「若者」という払拭し得ない矛盾を抱える為に、社会学が捉える若者語りはどういう方向へ進んでいるのか見ていくことにする。

1章から5章までかけて語られるのは、「そもそも「最近の若者は・・・」と語られる、内向き、不幸、地元化、貧困、モノを買わないなどのそれぞれの要因について実際数字で検証すると何が見えてくるのか?」とおじさん世代が偉そうに言っている事が実は余りにも曖昧なイメージを元にしているということを論証し、そもそもそのおじさん達が若者であった時代と比べて若者自体が何か大きく変わったわけではなく、時代と国が変わったのだと一つ一つ論を進めていく。


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1950年の時点で日本の都市人口は4割に満たなかった。日本人のほとんどは農村に住んでいたのである。農村に住む若者と、都市に住む若者の生活スタイルはまるで違った。
企業としては一番人口が多い年代をお客様にするのが賢い。
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高度成長期を終え、右肩上がりの時代だから共有できた「中流の夢」が崩壊した後、生きる為に中央に向かわなければいけない人が減り、地元に残りながらも、それなりに楽しく、そこそこ幸せな日々が送れる現代。

縮小社会に向かう日本の今後を見据えるからこそ、その「幸せ」を支える生活の基礎自体が徐々に腐り始めていながらも、「今」の自分の状況をそれなりに「幸せ」だと定義して地元化の中で終わりなき日常を生きる現代の「若者」。

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なぜ車の販売台数が大きく減ったのか。日本の人口構造が変わって、高齢者が増えて若者が減ったからである。
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安全で確実な道を選んで生きる。
英語力が足りないために自由な交流ができているわけでもない
他人を押しのけてまでは成功を求めず、むしろ身近な仲間達を大切にする。
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不況だ、格差だと叫ばれている最近のほうが、バブル時代よりもよっぽどみんな留学しているのだ
「1マイル族」
「お金を使わない20代の若者」
「自宅から半径1.6キロ以内で暮らす若者」が増えている
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あくまでも高度成長期と比べた時の話だ。当時は農村人口が多く、地元で働き口の無い「二男三男」たちは都市にでるしかなかった。いわゆる「金の卵」というやつだ。
都会の企業は安価な労働力として農村出身の若者を求めた。その利害の一致が起こした人口移動。
大学も働き先も無い「本当の田舎」が減って、「そこそこの都市」が増えた
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自動車・家電・海外旅行離れ
若者は決してモノを買わなくなったわけではない。買うモノとそのスケールが変わっただけのこと
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これからの人生に「希望」がある人にとって、「今は不幸」だといっても自分を全否定したことにはならない
「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのである。
自分達の目の前に広がるのは、ただの「終わり無き日常」だ
コンサマトリーというのは自己充足的
社会という大きな世界に不満はあるけれど、自分達の小さな世界には満足している
「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のこと
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大学卒業後、一つの企業だけで働き、出世レースに明け暮れて、趣味と言えばゴルフとマージャンくらいしか知らない「お父さん」のほうが、僕から見ればよっぽど「内向き」に見える。
ムラに住む人の様に、「仲間」がいる、「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者達が幸せな理由の本質である。
多くの人が「仲間」と暮らすのは、何も起こらない退屈な日常だからだ。
日常の閉塞感を打ち破ってくれるような魅力的でわかりやすい「出口」がなかなか転がってはいないからだ
自分のつまらない日常を変えくれるくらいの「非日常」
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世界中何処にいても「故郷」とともに暮らしていけることを意味する
世界中を自由に移動できるのも、実際には限られた人だけだ
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おそらく若者を含めた、平均的な日本人はルイ14世よりも豊かな暮らしを送っている。
家の近所のレストランで世界中の料理を食べることが出来る
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原子力を受け入れたムラは活性化した。雇用は創出され、出稼ぎ労働の必要は無くなった。喫茶店や飲み屋、下宿宿などが出来てムラは活気付いた。電源三法交付金や固定資産税などにより、ムラには図書館や福祉施設などの立派な箱物ができるようになった。

原発を止めることは、原子力ムラの人々の生活の基盤を脅かすことになりかねない。
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ざっとこのようなことが5章までに語られる。その前提を踏まえ進むのが第六章の「絶望の国の幸福な若者たち」。

今の日本で叫ばれる「格差」や「貧困」の実の正体が見えにくくなってしまっているのは、日本が「社会福祉」で成り立っている国ではなく、実は「家族福祉」と「会社福祉」で生活が保護されているからだという点はとてもすんなり納得する。

「既得権益に居座る高齢者の勝ち逃げ」状態になっている現代の少子高齢化社会。「足りない労働力は解雇しやすい契約労働者や派遣労働者で補おう」という企業の勝ち残りのための已む無き選択の幅寄せは、ダイレクトに現役世代の若者へと向かう事になる。

会社への忠誠を誓わせる為に、終身雇用制と年功序列制で若いうちは給与は低いが、長く会社に奉公すればするほど将来的な給与も、様々な付加的な待遇や福祉も手厚くいただけるという制度は、必然的に雇用の流動化を妨げる。

社会を支えるエリート養成の場としての役割から、全入時代を経て、「大学進学率が急上昇してしまい」、そのあおりを受けて起こる「若者の就職難」。

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WiiやPSPを買えるくらいの経済状況で、それを一緒に楽しむことが出来る社会関係資本「つながり」を持っていれば、大体の人は幸せなんじゃないか
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というように、現代に生きるためには「経済的な問題」と「承認の問題」をクリアしさえすれば、そこそこ幸せな日常をおくれ、そのために「わかりやすい貧困者」がなかなか見えてこない。

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若者の貧困問題が見えにくい理由、それは若者にとって「貧困」が現在の問題と言うよりも、これからの未来の問題だからだ。若年層ほど世代内格差は少ない。20代のうちは給与格差があまりないからだ。

しかし正社員と非正社員の違い、優良企業の社員とブラック企業の社員の違いは、彼らに「何か」あった時に明らかになる。

病気なった時、結婚や子育てを考えた時、親の介護が必要になった時、社会保険に入っていたか、貯金があったかなどによって、取れる選択肢は変わってくる。

若者の貧困が顕在化しない大きな理由の一つに「家族福祉」がある。若者自身の収入がどんなに低くても、労働形態がどんなに不安定でも、ある程度裕福な親と同居していれば何の問題もないからだ。50代の家の平均貯蓄は1593万円、60代だと1952万円になる

働いている子供が家にお金を入れている場合もあるが、たいていの場合、その額は家族を支えるほどのものではない。家事をほとんど分担しないケースも多い。また親と同居している未婚者のほうが、同居していない人よりも生活満足度が高いという調査もある

日本の経済成長と共にストックを形成してきた親世代にパラサイト
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自分の近くの誰かの姿が思い浮かんできそうな表現だが、相当多くの若者が以上の通りにかなり親に「甘え」、自らの経済性以上のレベルの生活を享受し、それに何の疑問を持たず、自分で稼ぎ、その中でやりくりするという当たり前のステップを踏むことなく大人になってきている。すぐそばまで迫っている、「親がいなくなった後」の自分の生活に想像が及ばないのか、それとも怖くて目が向けられないのか。

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一度「いい学校、いい会社」というトラックから降りてしまうと、再びそこに戻るのは難しい。

かつての若者には貧困から抜け出すチャンスも多かった
現在はフリーターから抜け出すのが二重の意味で難しくなっている
フリーター経験者を正社員採用することを躊躇する企業が多い
当の若者が必ずしも正社員になりたがっているわけではない
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と描写される現代社会。確かにその理由は間違っていないだろうが、それは同時にその本人が、皆と同じように苦しみながらも、楽しくない毎日の仕事を我慢しながらもこなしていくというストレスのかかる生活から下りて、責任もストレスも少ない生活に入る事で確実に「気力」も下がることになる。それは、「生きる」ことへの「気力」でもあり、「がんばること」への「気力」でもあるだろうが、一度そこから下り、楽を覚えた身体と精神には、また元の場所に戻ることも、元の場所での仕事や生活で責任とストレスを抱えながら生きる事は、続けるよりもより大きな「気力」が必要になる。

つまり一度階段を下りると、なかなか戻れないのは社会だけでなく、人間の性でもあるのだろうと思わずにいられない。


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未来の「貧しさ」よりも、今現在の「寂しさ」のほうが多くの人にとっては切実な問題だからだ。恋人がいればいい。
「無いと不幸なもの」の一位は「友人」
「ブスなら化粧で化けられるし、仕事が無くても、不景気だからと言い訳できる。でも、「友達がいない」は言い訳が出来ない。幼少期から形成されてきた全人格を否定されるように思ってしまう。
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若者達の「二級市民」化は進んできている。「夢」とか「やりがい」という言葉で適当に誤魔化しておけば、若者が安く、クビにしやすい労働力だってことは周知の事実だ。
緩やかな階級社会へ姿を変えていくだろう。

Googleは「Googleで何を検索したらいいか」までは教えてくれない。提示される膨大な検索結果の中から自分で「正しい」情報を選ばないとならない。
そのうち、Googleから検索ウィンドウが消える日が来るかもしれない。過去の自分の行動履歴を元に、あらゆる情報はリコメンドされる。Amazonは、本の読むべき箇所までを推薦してくれるかもしれない。

一部のエリートは難解なNHKニュースを見続けるかもしれないが、多くの人はリコメンドされるままに「合コンで印象に残る自己紹介パターン」などのニュースを見続ける。
もうここまで来たら、江戸時代とあまり変わりが無い
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現代の情報社会に生きていると、情報革命が起こった初期の頃は、「ネット革命によって全ての人へ可能性がひらけた」とか、「生まれ持った経済性などの格差を取り除く可能性が生まれた」などと思われていたが、慣れてくるとそのツールをどう使いこなせるかによって、より格差を助長する役割を果たしてしまうものだと誰もが理解し始めた。

恐らく著者は、現代の日本の若者を見ていくにつれた、結局はそれも現代の社会の一現象に過ぎず、結局は世界全体で起こっている二極化の現象に他ならず、「緩やかな階級社会へ姿を変えていく」世界の中で、若者自らが「二級市民」化しているということを自覚せず、それでも「そこそこ幸せな終わりなき日常」を生きていることを指摘したいのだと次の言葉から読み取る。

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「日本」にこだわるのか、世界中どこでも生きていけるような自分になるのか、難しいことは考えずにとりあえず毎日を過ごしていくのか
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本来ならば、「日本」にこだわりながらも、世界中のどこでも生きていけるような職能を身につけて、常にその職能を向上させる日常を生きる事が出来る人か、それとも上記に示されたような「二級市民」化して終わる事なき若者として生きていくのか。

牙を剥いたグローバル資本主義世界が我々に突きつけているのはそれほど厳しい現実だと言う事だろう。

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目次
はじめに

第一章 「若者」の誕生と終焉
 1 「若者」って誰だろう?
 2 若者論前夜
 3 焼け野原からの若者論
 4 「一億総中流」と「若者」の誕生
 5 そして若者論は続く

第二章 ムラムラする若者たち
 1 「内向き」な若者たち
 2 社会貢献したい若者たち
 3 ガラパゴスな若者たち
 4 モノを買わない若者たち
 5 「幸せ」な日本の若者たち
 6 村々する若者たち

第三章 崩壊する「日本」?
 1 ワールドカップ限定国家
 2 ナショナリズムという魔法
 3 「日本」なんていらない

第四章 「日本」のために立ち上がる若者たち
 1 行楽日和に掲げる日の丸
 2 お祭り気分のデモ
 3 僕たちはいつ立ち上がるのか?
 4 革命では変わらない「社会」

第五章 東日本大震災と「想定内」の若者たち
 1 ニホンブーム
 2 反原発というお祭りの中で
 3 災害ディストピア

第六章 絶望の国の幸福な若者たち
 1 絶望の国を生きるということ
 2 なんとなく幸せな社会
 3 僕たちはどこへ向かうのか?

補 章 佐藤健(二二歳、埼玉県)との対話

あとがき
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