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2017年1月27日金曜日

人が知らない場所に行く理由

今回の休暇の初めての小旅行として選んだのは、静岡伊豆地方。現在の地名で言えば、伊豆の国市から、三島市、裾野市と巡って御殿場市を通って東京へ戻ってくるルートであり、旧国で言えば、伊豆国と駿河国を巡ることになる。

韮山反射炉は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界遺産登録された文化遺産である。それを作った当時の代官であった江川英龍の邸宅が近くに残される江川邸であり、これは新建築が出版した「日本の建築空間」にも掲載される貴重な建築である。そして伊豆長岡温泉の中心をなす三養荘は新館を村野藤吾が設計を担当し、その庭園は粕谷幸作によるもので「日本の庭園100選」にも選ばれており、「一度は泊まりたい日本の宿」として様々なところで紹介されている素晴らしいお宿である。

せっかくだからと三島の名物の鰻を食べて、そのまま裾野までしっかり見ることのできる富士山を目指し、「クレマチスの丘」と呼ばれる4つの美術館の複合施設に立ち寄り、最後は御殿場まで戻って虎や工房でお土産を買いつつ、隣に位置する安部首相のお祖父さんの岸信介の自邸として吉田五十八によって設計された名建築である東山旧岸邸を見学して、せっかくだからと高速に乗る前にアウトレットを冷やかしていこうというものである。

そんなルートを設定しながらふと思う。

現代ほど情報に溢れ、かつ交通が便利になり、その気になればどこにでも移動できる時代はかつて無かったはずである。その現代において、では人々が何を持って今まで知らない場所に足を運ぶようになるのか?そんなことを考える。

自分が育ったとか、大学に通った、働いている、転勤で赴任した、結婚相手の地元だとかいった、何かしら自分の人生で縁を結んできた場所ではない場所。

地元では買えない商品を求めて地域の中核都市へと足を運ぶ。そんな場所性を持っていたものが、インターネットの登場とそれを追うようにして現れたネット通販によって希少性を薄められた。

そしてディズニーランドに行きたいから地方から東京にやってくる、アイドルのコンサートを見るためにある都市まで出かけるといった、その場所やライブといったものの価値がさらに高まるのは必然である。

そんな時代に人々は、一体どんなことに興味を持ち、どんな媒体で情報を検索し、どのような形でその情報にフィルターをかけ、どのような形式にてそれを保存し個人化し、どのタイミングでそのデータにアクセスし、ルートの中に再配置していくか。

そういう観点で上記のルートを見返してみると、しょっぱなから「韮山反射炉」という2015年のニュースで初めて聞いた施設は、まさにこの世界遺産登録の報道が無ければ恐らく一生知ることの無かった場所であるだろうし、今回のルートも存在しなかったこととなる。

それに加えて、世界遺産に登録されたからこそ、「それだけ価値のあるものであるならば・・・」とそれをマッピングしてみようとした訳であるし、同時に登録された他の文化施設もそれぞれの県のマップにアイコンが挿された訳である。それがもし、「都道府県レベルの文化遺産」とかであれば、恐らくマッピングすることも無いだろうし、それ以前にニュースとしてアンテナに引っかかることもないであっただろう。

その記憶があったという事実にプラスして、その周辺に「江川邸」と「三養荘」と建築的にもかなり価値のある場所が二つも点在していることにより、このエリアの価値がぐっとあがり、今度はそこを中心として同心円を描きながら他の目的地を探していくこととなる。

その同心円に覆われているからこそ、「三島でお昼を、それならば名物の鰻を。それならば有名店であるここのお店で・・・」という行動様式になってくる訳であり、それらはすべて個人化されたマップの上で様々なフィルターを通して散りばめられたアイコンの間で行われている訳である。

ならば、そのアイコン達はなぜそこに挿されることになったのか。なぜ地図の上で可視化されるようになったのかと言えば、自らがその価値を認めるメディアに載っていたから、もしくは共感できる人の書くブログに紹介されていたから、かつて見たテレビで紹介されていたからと、人生の中で出会う様々な断片化された自分が「目利き」として信じる価値観の集合体である訳である。

これが現代のツーリズムであり、そこには様々なマッピング作業によって個人化されたマップの存在。そしてそれを可能にさせたグーグルマップの存在が見え隠れする。

これが今までの「地球の歩き方」などのガイドブックに頼るツーリズム、そのより遥かに前の万博黎明期におけるツーリズムなどとどう違うのか、つまりツーリズムが時代とともにどう変遷してきたのかは改めて何かの本などで体系立てて調べてみたいものだと思わずにいられない。

2017年1月15日日曜日

23区アイコン格差

休みが近づくと、今度はどこに行こうかとこまめに追加しておいたマップを開くことになる。東京近郊で日帰りでいけるとしたらここらへんか・・・と栃木、茨城、千葉、神奈川などを物色するが、なかなかピンとくるところがなく、ならばと今度は都内からと三多摩地域と23区別に分けられたマップを隣接する区とともに開きながら見ていく。

マップ上には、建築関係の雑誌に掲載されたものや、ブログに載っていた建物、そのほかに百寺や名刹としられる寺社仏閣や、百名園、百名城などの名勝、公園や花の名所、歴史的な建物を持つ大学や地域施設など、本やテレビ、ネットで目に留まるごとに足していったものがごった煮になっている。

それぞれにアイコン分けされているマップを自分なりに歩きながら、このあたりにいったら幾つ廻る事ができるだろうかと想像を巡らすのはとても楽しい時間であるが、それと同時に区によってそこにつけられているアイコンの数に圧倒的な差があることが見えてくる。

例えば港区や渋谷区。都内でも有数の賑わいを持つ街を持つこともあるが、圧倒的な商業的価値を反映し、ファッション関係の建築の数も多ければ、文化施設の数もそれに比例するかのようにかなりの数にのぼる。それを追うのが新宿、千代田、中央。交通の要所ということもあり、再開発がある周期ごとに訪れるために見るべき建物もかなりの数に上るとともに、歴史的にも重要な場所が幾つも点在する。そこから徐々に差がはっきりしてきて、住宅地と呼ばれる地域ではそれでも地域の各となる神社や寺社が残っているのか、それとも新興住宅地として新たに作られたところなのかがうっすらと透けて見えてくる。台東、江東などのかつての江戸を思わせる東地域には、やはり歴史を感じさせる様々な場所が点在しているが、その外側に位置する足立、墨田、練馬、荒川、北、板橋、葛飾では明らかにアイコンの数が少なくなる。

新しい建築というかなりの額の投資が必要とされる建築の数。文化の発信地となるコンサートホールや美術館の数。地域の核となる寺社仏閣。地縁の元となる数々の名所。大学進学で東京に出てきても、新しい若者が住み着く大学の数。

それらがある限られた範囲の中で一極集中していくのは資本主義の世界においては避けられないことであるのだろう。住まう場所と、働く場所、訪れる場所が住み分けられるのは当然のことであるのだろうが、それでもある種の違和感を感じずにいられない。

恐らくこのようなネットで安易に見つかるような全国レベルの名所検索では引っかからない、もっと地元に密着した、いくつものレイヤーの奥に潜む、その場所の魅力。賑わいのある商店街。住宅街の中にある桜の綺麗な地域公園。お年寄りがあつまるマーケットなど、現在のインターネットの世界においては、ある人々にとっては不可視となってしまうそんな魅力。だからこそ、様々なテレビ番組や新聞の特集でも、そんな魅力にスポットライトを当てる街歩きの番組がこれほど支持を受けている背景でもあるのだろう。

アイコンの間を想像の中で歩きながら、こんなことを考えつつ、今度はアイコンの少ない街で如何にネットで見つけることのできなかった美しい風景を見つけることができるか、その場所にしかない何かを感じることができるか、そういうことがネットの次に繋がるのだろうと改めて感じることとなる。

2014年1月10日金曜日

旅行の手配と建築設計

中華新年が近づいてきた。

100を超える建築体験を10日ほどで行った昨年の夏以降。ある種の燃え尽き症候群に陥っていたと思っていたが、どうも心の奥のワクワク感がまたムクムクを起き上がってきたようである。

そんな訳で昨年、会津若松で大変な思いをしたのを肝に銘じ、日本での予定を整理し時間を確保し、巡礼先の候補地を探し始める。

そうして徐々に旅行の行程を決めていく中で、ふと思う。
旅行の段取りは極めて建築の設計作業に似ていると。

様々な要因を同時に考慮しつつ、その中でもプライオリティを持って決定していく。一箇所か二箇所だけの立ち寄りでその周辺に興味深いものがあればついでにというような、なんともほのぼのした旅行ならなんてことは無いだろうが、できるだけ濃密にストイックにと考えていくと、これはなかなか簡単ではない。

まずは、大体どこら辺に行くのかを絞り込まないといけない。一番最初は可能性が無限である。北海道にもいけるだろうし、九州という手もあるだろう。まず調べるのは、そこまで行くのにどのような方法があるのか?そこから選ぶのは大変なことであるが、決断しないといけない。

格安航空券ならどの様な値段でいけるのか?
その飛行機が到着する県の周辺ではどのようなスポットがあるのか?

そこで活躍するのが、自ら編集しているマップ。その中にマッピングされているのは以下の目的地達

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建築 歴史的建造物から現代建築まで。もちろんこれは欠かせない目的地。

寺社仏閣 現在では建築を凌駕するほどの魅力となった目的地。むしろ古い寺社を超えるくらいの力強い建築がないのが嘆かわしいと言うべきか

温泉 寺社仏閣と同様に、遥か古代の日本人と同じ空間体験をできるという意味で、長く愛されてきた温泉は流石に身体に沁みるものがある。立ち寄りでも出来るだけ違う温泉を体験する。

城 地形の建築化。現代では見えにくくなった、日本独特の地形と建築の関係性を感じる。

庭園 禅だけでなく、日本人が歴史の中でどう自然と付き合い、どう制御し、どう建築空間の中に挿入してきたかを身体で感じる。

繁華街 グローバル化を成し遂げた後の世界で、地方都市がどのように生き残り、どのように廃れていっているのか、その生の姿を見る目的地。 
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大体これらのスポットが常時アップデートされながらマップの中でその色を変えられるのを待っている。

これらの手がかりを元に、フックする目的地を中心に徐々に行き先を絞り込んでいく。その後、日の出と日の入りの時間を調べ、目的地の数から一日どれくらい回れるか?次の日の日程を考えてどこらへんに宿泊すべきか?などを検討し始める。

楽しむタイプの宿泊では決して無いので、値段重視であるが、できるだけ街の雰囲気を味わえるところを考慮しつつ、「宿で美味しいご飯を・・・」とはいかないので、できれば近くに雰囲気の良い地元の美味しいものを出してくれる、安い飲み屋でもあればとリサーチする。そして翌日の朝は日の出前には出発するようになるので、宿の提供する朝7時からの朝食はつけない宿泊プランを選択する。

こうして日ごとの大体のエリアを決め、宿泊のスポット、街の中心地か温泉街を決め、徐々にそれぞれのプランの骨格を決定していく。

次はプランを元にどこでレンタカーを借りてどこで返すか?無駄を無くす為に一方通行で乗り捨てがいいのか、もしくは違うルートを通ってぐるっと回ってくるのがいいのか、乗り捨てだけで値段がグンと高くなるが、ぐるっと回ってくるとかなり無駄を走ることになる。それぞれの高速代とガソリン代とレンタカー代。それに時間と体力の無駄を加味して考慮する。

ここまで来るのに登場するパラメーターはすでにかなりの数になり、その中で決める事は結構難しい。しかし悩んでいて決めれなく時間だけ過ぎていけば、飛行機も宿泊の値段が上がっていってしまう。

そんな訳で大体のルートを幾つか決めて、そのシナリオにそった交通機関とレンタカーを調べる。今回上がっていたのは、東京から宮崎に飛んで、宮崎、大分、福岡と走って、福岡から名古屋へと飛ぶルート。成田から米子に飛んで、倉吉、米子、松江、出雲、益田、津和野、下関、北九州、福岡ときて福岡から名古屋へ戻るルート。もう一つは成田から米子に飛んで、出雲、益田、津和野から津山に戻って米子へ戻るルート。

その中で心配なのが天候。昨年会津若松で酷い目にあったので、行く先の雪の情報、天気の状況には相当敏感になり、昨年の情報や出現率調べても、どうも良く分からない。行き先が市街地にあればいいが、山の上にある神社などになると、調べてみても写真では3月でも雪があったりとなかなか予測がつきにくい。

そんなこんなで困ったと思って雪の心配が少ない九州に心が傾くが、やはり式年遷宮後の出雲は捨てがたく山陰決行する事に。

そうなると更に一つ一つ細かくシュミレーションしていき、実現可能性を確認していく。飛行機が何時に到着してレンタカーを何時から借りて、どのルートで回っていくか。目的地の数が数なので、それぞれの美術館や庭園の開館時間、休館日、入館料などを調べていく。神社は安心だが寺も参観時間が決められているので忘れずにチェックする。神社も油断していると閉められるところもあるので、一応チェック。

早朝の早い時間にできるだけ中に入らなくてよい建築、神社などを回るようにして、美術館などが開館する9時以降に建築へ足を運ぶようにルートを設定する。温泉でも立ち寄り湯は昼の時間に限られている事が多く、また事前連絡が必要なところもあるのでこれもチェック。建築に関しては見学の申し込みが必要なところもあるので、それぞれにメールをする。

そして徐々に旅の「カタチ」が見えてくる。

今度はそれぞれのスポット間での運転の時間をNavitimeとGoogle Mapの二つでチェックし、現実味のあるルートかどうか、参観時間を考えて行けるのかどうかを検討する。それを元にそれぞれのスポットをカレンダーの上に時系列に並べていく。

日の出から日の入りまで埋まってきたら今度は体力と明日の予定を考えて、温泉地か中心地での宿泊の再度の絞込み。駐車場があるか別料金かなどを踏まえて、それぞれの料金をエクセルで計算し予算がどれくらいになるかを調べながら、徐々に決めていく。

その後各地方の自治体や観光案内所にメールして、地元に住まう人で無いと分からない雪の状況や服装などのアドバイスを聞き、事前連絡の必要な施設にメールをする。

ここまでくるとある程度の仕事量である。

そして大体シュミレーションでいけると判断できたら飛行機のチケットを購入。レンタカーを予約。宿泊施設を予約。さらに地方の美味しいお店をチェックしてマップに入れておく。繁華街と呼ばれるところもチェックして夜に時間と元気があればどこに繰り出せばいいかもマップに入れておく。寂れた地方の居心地の良さそうな居酒屋でもフラッと入り、常連と思われる地元の人と、他愛もない話をしながらうまい酒を飲めればこの上ない。

更にスケジュールを詰めていき、建築物はやはり日の下で見ないといけない宿命のお陰で、できるだけ移動の時間を日の出ている時間に当てないようにと、疲れているだろうが夕方から夜間にかけて長距離の移動を行うようにスケジュールする。その時でも、体力と危険がないか判断し、どこに時間と体力の余裕を入れておくかも検討する。

こうして予算が大体見えてくると各食事時にどれくらいを使えるのかが把握でき、上記の様に居酒屋で地場の料理をいただけるかもしれないし、懐具合によってはコンビニかどこかの定食で済ませる事になる。

数が増えてくるとバカにならないのが入館料や参観料。それに合わせて駐車場代もふんだくろうとする不届きな寺もあるので困ったものである。ガソリン代と高速代も計算し、それほど外れない予算表とスケジュールと睨めっこをしながら、後は予想不可能な天候にも恵まれて、予定通り事故無く回るのを祈るだけ。

妻には「かなり過酷な行程になるので、正直言って足手まといになるから着いてこないでくれ」と言うと、笑って「自分は東京でゆっくりするので、自由に行ってくれば」と送り出される。

出来上がった行程表と予算表を見ていると、本当に建築の設計に似ていると思わずにいられない。機能、周辺環境、自然採光、予算、素材、構造、法規、設備、経済性、クライアントの要望などなどあげたらきりが無いほどの多くの要因を同時に考慮して、その中で決断を繰り返していく。

その中で徐々に、徐々に建築の「カタチ」が見えてくる。形態なんて、最初からあるはずもなく、複雑に絡み合う様々な要因を、自分達の思考にそって整理していくなかで、少しずつ見えてくるものである。

起こるであろう問題の為に、どこに余裕を持たせておくのか。すべてピチピチの寸法で設計するのではなく、どこが外的要因に影響される余地があるのか、そういう見えない要因も考慮して設計しておく。それは旅も同じ。これは簡単ではないし、誰でもできるものではない。

シュミレーションを繰り返し、現実的な行程になればなるほど、カレンダーの予定表もより綺麗にオーガナイズされていく。より自然な形に整っていく。徐々に整理されていき、詳細が見えてくる平面図のようである。

そのカレンダーの奥で待っていく様々な風景を想像し、少しだけ気分を良くして本来の仕事である建築の設計に戻りながらも、次は次は暖かい時期になんとしても東北、北陸を巡りたいものだと思いを馳せる事にする。

2013年12月15日日曜日

「世界は分けてもわからない」 福岡伸一 2009 ★★


ハルビンで進めているオペラハウスのプロジェクトの為にもちろんであるが、そこで使う椅子のデザインも進めている。行政のプロジェクトなのでこれらの施行会社の決定プロセスが入札によって行われるのであるが、その為にもまずは椅子のモックアップ。つまりサンプルを作って見て、デザインを確認していく作業を進めている。

そんな中モックアップを作成してくれている椅子会社からある程度出来上がったのでチェックに来て欲しいというので、北京の南に位置する大兴区までチェックしにいくことにする。

中国人のプロジェクト・アーキテクトと担当者、そしてデザインを担当しているイタリア人のスタッフと一緒に車で1時間かかるその会社の工場兼ショールームまで向かうことにする。

そんな訳で車の中で話をする。そのイタリア人スタッフは、イタリア北部のベネチア近郊のヴェローナ出身で、イタリアでも建築学部では屈指の名門であるベネチア大学を卒業し、インターン経てフルタイムへとなり、既に一年ほどオフィスに在籍している。

出身がヴェローナということから、イタリアを代表する現代建築家、カルロ・スカルパの代表作であるカステル・ヴェッキオの話から、『ロミオとジュリエット』の舞台となった街並みなどから始まり、少し下に移動して一時期東ローマ帝国の首都機能が置かれた為に初期キリスト教文化が花開いたラヴェンナのサン・ヴィターレ教会や、少々内陸に移動してテアトロ・オリンピコなどパッラーディオ祭りとなっているヴィチェンツァの街など、ベネト地方を中心とした北部イタリアの話も徐々に中心地ベネチアに収束し、いい加減にどうにかしないといけなくなっているサン・マルコ広場の高潮時の水浸しや同じくスカルパのベネチア大学建築学部の門のデザインなどあれやこれやと話しているとふと思い出す一つのイタリア語の言葉。

「コルティジャーネ」

この本で出てくるイタリア語で、意味は「高級娼婦」。ベネチア共和国が富と権力の中心として栄えた1500年代の中ごろ。貴族に囲われた「コルティジャーネ」達は肉体的だけではなく、文化や学問にも高い知識を得ており、精神的にも肉体的にも特別な刺激を与える存在であったという。

「そんなある時代にのみ許された存在の彼女達の「視線の先」が問題なんだよ。」と話していると、「何の本ですか?」というので、「生物学」と答えると、「interesting」だと言う。確かにそうだろう。何で高級娼婦の視線の話が生物学に繋がるのか?

そんなことを考えているとやはりこの本を手にとらなければ、ここでこうしてイタリア人と「コルティジャーネ」について話す事も無かったと思うと、それもまた生命の神秘と言わずにいられない。

という導入がよく示すように、この著者は前作の「生物と無生物のあいだ」 で日本中にその文才と専門分野の高い知識を知らせると同時に、本当に頭の良い人と言うのはやはり総合知を併せ持つ人であり、どんなに高度な専門分野の内容でも、一般の人が興味を持つように、そしてかつただ単にレベルを落とすのではなく、品を保ちながら読ませることが出来る人。その為には深く正確な理解と、そして専門分野から離れた幅の広い知識と人間的経験が必要だと見事に証明してみせた。

そんな訳で「生命とは自己複製システムを持つこと」から始まり、「内部の内部は外部である」という建築家にとって非常にインスピレーションに溢れた言葉まで与えてくれた前作によって高められた次作への期待度。

ハードブックの専門書を覗けば新書としてこれが次作とよべると思うのだが、さて今度はどんな生命の物語に誘い出してくれるのか、素晴らしいファンタジーの映画でも見るかのようなワクワク感を持ちながらページをめくる。


恐らく作者自身、前作が余りにもうまくいき、自分自身も納得の美しい文章と構成に纏まった手ごたえを感じていたに違いない。だからこそかなり肩に力が入って、次の作品が生まれるのを待っていたに違いない。

そして選ばれた今回の導入は「トリプトファン」。まったく理解できない単語。そしてそれを、「私が好きなものの名称である。五角形と六角形が合わさったその姿が好きだ。」と少々のヒントと共に更に煙に巻いていく。

なかなかいい導入ではないだろうか。とりあえず、訳の分からない言葉で興味を引いておく。専門分野の中から分野外の人に向けての広告塔となるその言葉は、できるだけキャッチーである必要がある。「トリプトファン」。悪くない。「では建築なら何か?」そんなことを考えながらページをめくる。

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昔読んだシャーロック・ホームズの中にこんな話しが合った。ここにあるのは、何らかの暗号だ「英語のアルファベットで一番頻度が高く使われる文字を知っているかい。Eだよ」20種類のアミノ酸には、一文字のアルファベットがあてがわれる。

グルタミン酸はたいていのタンパク質の中に最も多く含まれるアミノ酸である。それはうまみを司る。

では一番頻度が低く使われる文字は?「タンパク質を構成しているアミノ酸で一番頻度が低く使われるものを知っているかい」それがトリプトファン。そしてそのアルファベットは「T」がすでにトレオニンにとられているから「W」
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ふむふむと生物学の本だと言う事を忘れさせる。この辺りの導入は素晴らしいと思わずにいられない。恐らくこういう導入部分を思いついて本を書き出したのでは?と思ってしまうほど。

/視線とは何か
ハーバード大学文化人類学者・テオドル・ベスターという権威を引っ張り出してきて、何を語らせるかと思えば、「築地」で行った魚類の網膜の一層下部にある反射板の調査。つまり光を反射する眼。そしてそれは人間にも同じ事が言えて、それが我々が感じ取る「視線」の正体だと迫っていく。

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/夜空の星はなぜ見える?
大学に入りたての頃、理科系の学生なら必ず読んでおくべき本というものがあった。それは教師が講義中にそういったのかもしれないし、誰かクラスメートが熱心に読んでいるのを見てそう思ったのかもしれない。共通の了解のもとにある書物が何冊かあった。「夜空の星はなぜ見える」田中一

/赤い光の粒子
星を追う人は、ずっと昔、少年の私にこう教えてくれた。夜空に星を探す時は、まっすぐに星を見てはいけない。眼の端で捉える様に。
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建築の世界でも、大学何年生までにはこの本を読んでなければ恥ずかしい。一人前ではない。と刷り込まれていた情報が確かにあり、そのリストを片付けることなくただただ本棚に増えていく専門書を恨めしく思いながら眺めていたあの時代。どの分野でも同じなんだとホッとしながら先を進む。

かなり建築好きだと思われる作者。007でも一作に一つ有名建築が登場するなどという都市伝説があったようななかったようなだが、こちらも前作ではカーン設計のソーク研究所。そして今回はメイヤー設計のゲティ・センター。建築家ならば誰でも知っている有名美術館である。

しかし建築家の視線が捉えるのは、曖昧模糊としたその空間性。斜面を利用して作られた建物に内部に現れる様々な地形とトレースした場所性。しかし作者が捕らえるのは更にスケールを落として辿りつく一枚の絵。

まるでグーグル・アースの様に、やっと視線に目的の絵を捕らえたと思ったら「グーーーー」っとズーム・アウトしてぐるっと地球を回り、再度ズーム・インして見えてくるのがベネチア。その案内人は須賀敦子。見えてくるのはどこを眺めているのか、虚空に投げられた「コルティジャーネ」達の視線。

その間に補助線として「須賀敦子の文章には幾何学的な美がある。本を書くに至るまで彼女がずっと長いときを待っていたという事実」と幾何学と時間を導入してくる。

そして視線によってつながれる二つの絵。線を繋げて気がついたら「環」として完結している。

学生時代にある先生から、「よい建築の条件」について教えられた。それは、「ある場所から建物を入って、中を体験していくと、いつの間にか一周して下の場所に戻ってこれる」それが良い建築の条件だと言う。

良い文章もまさに同じ。自ら引いた伏線が後々見事に閉じられて一つの「環」として成立する。その心地よさ。一つの世界をぐるりと見てきた達成感。しかし、建築でも敷地があり、プログラムがあり、コストがありと、様々な条件の中で行う設計作業の中で、そう毎回毎回うまい事「環」を閉じられるばかりではない。時にまぐれの様に、「ピタッ」と嵌る時があるが、大概はうまくいかずに四苦八苦するばかり。それは文章の世界でも同じようである。

それを物語るように、この時点までは非常に美しい幾何学によって文章が構成され、その構成に使われたマップが見えるかのようである。そして次の章の案内役はその「マップ」。

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おおよそ世の中の人間の性向はマップラバーとマップヘイターに二分類する事ができる。

マップラバー map lover 地図が大好き。俯瞰的に世界を知る事が空きなのだ 
マップヘイター map hater  地図はいらない 私と前後左右 自分との関係性

/ジグゾーパズルをどう作るか
マップラバーは俯瞰的な全体像と局所的な現場を行き来しながら、世界を構築していこうとする。しかしマップヘイターはそうしない。行動のルールが単純。自分の形と合致するかしないか。それだけ。個々のピースは、自分が全体のどの部分に定位しているかを知る必要が無い。つまりマッピングの必要が無い。
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この部分は非常に面白い。というか、マップヘイターと共に生きるマップラバーの苦悩を少しでもマップヘイターに理解してもらいたい。そんな訳でという訳ではないが妻に読ませて、「どう?どう?」と感想を聞いてみながら先を進む。

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ガン細胞
細胞は分化を果たすと一般に分裂をやめるか、その分裂速度を緩める。つまり自分が何者であるかを知り、落ち着くわけである

生命現象に、「部分」と呼べるものは、本当には実在しない。ある部分がある機能を担っているとする考え方は、俯瞰的な視点からの、マップラバーによる見立てにすぎない。

実在しているのはたった一つの受精卵から出発した細胞の連続的なバリエーションだけ
つまりここで存在と呼べるものは、部品という物質そのものではなく、動的な平衡とその効果でしかない
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恐らく、そろそろ本書の「肝」と言える部分に入ってきた雰囲気が出てくる。

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/プラスαの正体
全体は部分の総和以上の何ものかである

ミクロな物質がひとたび組み合わさると動き出す。代謝する。生殖して子孫を増やす。感情や意識が生まれる。思考までする。

生命を生命たらしめるバイタルなもの。それは、「生気」である。
流れ。
エネルギーと情報の流れ。
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これも凄い事実である。心臓、肺、腎臓、肝臓、骨、筋肉。それぞれがそれぞれとして存在していたら何も行わない。しかし一度身体と言う枠組みの中で組み合わされると、それぞれの器官の役割だけでなく、全体として更に様々なことをやりだす。妄想したり勝手な解釈をしたり、悲しんだり、喜んだり。誰も頼んでないのに勝手に行うそれらの生命活動。

オフィスもそう。個人が集まってある知的活動を行うのであるが、時に個の総和以上の働きをすることがある。その時に居合わせることは建築家としてとても心地よいものである。

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/アミノ酸の握手
この10年ほどのあいだに急速に明らかにされた意外な事実がある。細胞は、つくる仕組みよりも、こわす仕組みの方をずっと大切にしており、そのやり方はより精妙で、キャパシティもより大きい。
タンパク質の合成ルートは一通りしか存在しない。しかし、タンパク質を分解するルートは何通りも存在するのである。

/生命現象における秩序
新しい形が生まれるということは、すなわち新しい秩序が生み出されるということで
秩序とは「情報」の同意語
情報をつくりだすには、その対価としてエネルギーが必要となる

/秩序はこわされるのを待っている
トランプ・タワーには秩序とエネルギーが含まれている
秩序は、その中に、構築のための膨大なエネルギーと精妙さを内包している。けれども、ひとたび組み上げられた秩序を壊すためなら、ほんのわずかな揺らぎがありさえばよい。秩序は壊される事を待っているからである。

暖めたコーヒーはまもなく冷える。熱い恋愛ほどなく醒める
乱雑さ=エントロピー増大の法則
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ここらへんは、専門分野へ徐々に話を引っ張っていく導入であろう。繰り返すようであるが、小難しい専門分野の話を門外漢にどうやって分かりやすく、レベルを落とすことなく伝えるか?「ごちそうさん」の「熱伝導」をどう見つけるかという訳である。

そんな訳で妻をよんで、「家が汚れる、すぐにぐちゃぐちゃになる。これは世界の物理法則に沿っているんだ。だから誰が悪いわけではない。自然の法則にしたがっているんだ」とその反応を伺ってみる。

しかし問題なのは、すっかりエントロピーの法則の本質を忘れてしまっているので、「え、どういうこと?」と聞き返されるとすっかり説明できずになってしまう。

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/恐怖の研究室セミナー
君が無能だということ。
無能さに給与を払っている。

/たんぱく質の挙動を調べる「レシピ」
ヒトは常に間違える。忘れる。混乱する。だから、それをしないよう注意をするのではなく、それが起こらないための方法論を考えよ。あるいはミスが起こったときに、その被害が最小限にとどまるような仕組みを考えよ。それが君達の仕事だ。
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建築事務所をやっていると、どうしても能力の違ったスタッフ達と毎日接する事になり、上記のような言葉を思い切って発したいと思う衝動にも駆られることになる。しかし感情で言葉を発するのではなく、論理で理解させられるようにと数秒グッと堪えて説明をする。

恐らく前作のせいで上がった期待値が想像以上に高かった為だろうが、なかなかの導入に比べて後半は不可避の専門分野の内容に終始し、最後の最後で紙を捻ったらうまい事「環」が現れる的な綺麗な終わりとはいかなかった様である。

それでも、作品を作り続ける。専門のことを毎日やり続ける。手を動かし続けることが、昨日よりも今日を前に進めてくれるのだと理解し、自分に出来るのは建築の設計を今日もやり、少しでも美しいものを生み出しながら、同時に言語化する作業を怠らないことだと言い聞かせてページを閉じる事にする。

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目次
プロローグ パドヴァ、2002年6月
/最も希少な必須アミノ酸
/トリプトファンのゆくえ
/脳の中のバリアー
/毒を無毒化する仕事人
/酵素とは何か

第1章 ランゲルハンス島、1869年2月
/視線とは何か
/人間の眼も光る
/夜空の星はなぜ見える?
/赤い光の粒子
/眼の解像力
/パワーズ・オブ・テン
/ランゲルハンスの小さな島
/イームズのトリック

第2章 ヴェネツィア、2002年6月
/世界一ゴージャスな美術館
/石油王J・ポール・ゲティ
/「ラグーンのハンティング」の謎
/ヴェネツィア爛熟の影
/須賀敦子の歩いた道
/高級娼婦の視線の行方
/もともと一つの絵だった

第3章 相模原、2008年6月
/コンビニのサンドイッチはなぜ長持ちするか
/ものがくさるメカニズム
/ミクロな”パックマン”
/ソルビン酸の質
/人体には無害?
/インビトロの実験
/ヒトの細胞で実験してみると
/腸内細菌と人間の共生
/見えないリスク

第4章 ES細胞とガン細胞
/マップラバーとマップヘイター
/ジグゾーパズルをどう作るか
/細胞は互いに「空気」を読んでいる
/自分を探し続ける細胞
/ガン細胞とES細胞は紙一重

第5章 トランス・プランテーション
/境界のこちら側と向こう側
/鼻はどこまでが鼻か
/明確な仕切りはどこに?
/この世界がもつ可能性

第6章 細胞のなかの墓場
/プラスαの正体
/アミノ酸の握手
/生命現象における秩序
/秩序はこわされるのを待っている
/細胞の懸命な自転車操業
/死も誕生も定義次第?

第7章 脳のなかの古い水路
/脳に貼りついた奇妙なバイアス
/モザイク消しの秘密
/空耳・空目
/必死にパターンを見出そうとする
/おせっかいな認識回路
/見たと思ったものはすべて空目

第8章 ニューヨーク州イサカ、1980年1月
/恐怖の研究室セミナー
/流浪の科学者、エフレイム・ラッカー
/細胞のエネルギー代謝
/なぜ細胞はガン化するのか
/忍耐と体力勝負の精製実験

第9章 細胞の指紋を求めて
/たんぱく質の挙動を調べる「レシピ」
/アクリルアミドの高分子化
/ゲルに小さな浅い井戸を掘る
/井戸に細胞サンプルを落とす
/タンパク質を泳がせる
/細胞の指紋を浮かび上がらせる
/卓越した実験者

第10章 スペクターの神業
/なぜスペクターにだけそれができたか
/再構成実験にも成功
/ガン細胞が浪費家なワケ
/細胞レベルの仕事の切り替えスイッチ
/ミクロなくさび
/Pのゆくえを追跡する
/ブレーキとアクセルの平衡関係
/放射性同位体を可視化する

第11章 天空の城に建築学のルールはいらない
/神々の愛でし人
/ガン細胞と正常細胞は何が違うか
/リン酸化の滝
/ガンウイルスの働き
/高らかな勝利宣言
/鳴り響いた警告音
/そこにないはずの放射性同位体の存在

第12章 治すすべのない病
/スペクターはなぜ信用されたか
/たくみな偽装
/証拠不十分、嫌疑不十分
/どこまでが本当でどこからが嘘なのか
/追試実験はなぜ成功したか
/治すすべのない病

エピローグ かすみゆく星座

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2013年9月15日日曜日

「日本庭園・鑑賞ガイド 庭がよくわかる本 庭に隠された約束ごと」 野村勘治 1994 ★★

建築家。

という職業をしているだけで、京都にいって寺院や庭園を廻るのが、安易にも何故かその仕事の糧となり、OLさんが3人くらいでキャッキャッいいながら内容の薄いガイドブック片手に廻る二泊三日旅行とは意味が違うように聞こえてしまうがそんなことはない。

見るものにテーマを持ち、意識を持って参観し、見たものを改めて整理し、自分の中で消化する。その中から見えてきた新しい意味を自分の日常の中へと持ち帰る。そうしていつか、何十年か先かもしれないが、どこかでそれが本当の意味での糧となって設計に反映される。それほど簡単に理解できたり、習得できるものではないのが京都の空間。

興味があるから訪れるのはもちろんだが、どんなに興味があっても事前に細かく調べることはできやしない。実際に足を運んでみて、そこで感じたものが何だったのかに興味が湧き、帰ってから時間をかけて理解しようとする。興味に奥行きを与えていく。

そんな訳でこの夏に様々なところで訪れた庭園。建築を職業とし30代も中ごろに差し掛かれば作庭の基本くらいは身についていてもよさそうだが、それはどっぷりと日本建築に関わる仕事に関わってこなかったからと言い訳をし、興味を持ったが始まりということで、いろいろと調べる手始めに、自宅の本棚から見つけ出したこの一冊。

やはりその時に読まなくても、とにかく本棚にコレクションとして残しておくことの意味に改めて気がつきながら、めくるページには、少なからず今回訪れた名庭園が紹介されている。

体系だてた説明というものではなく、非常に簡単な導入本ではあるが、それでもズブの素人の今の自分にはうってつけの一冊。何よりも巻末に名庭園リストとして掲載されている写真の全国の庭園がなんと84も載っている。

これはぜひとも自分のマップにマッピングしなければいけない・・・ということで、ネット上でそのリストを探そうとするがどうにも見つからず、しょうがないので、自分で打ち込むことにする。この作業が結構時間を要する。寺や神社に付属するものが多いので、必然的に読み方も複雑で簡単な変換では出てこない名称のものが多くなる。

しょうがないので、ひらがなで打ち込み、所属件名と一緒にネットで調べていく作業。「これでまた行かないといけない所が増えてしまうじゃないか・・・」などと思いながら、抑えることの出来ない嬉しさがニヤニヤと口元に出てしまいながらリストを完成させていく。

その姿を見た妻が、「なんだか楽しそうだけど、何してるの?」と聞いてくるので、「こういう手間を超えることで効率という近代のベールで見えなくなったもの探す地図をつくっているんだ」と、如何にもかっこよさげに答えると、「良く分からないが楽しいならいいや」と返される。

マッピングされていく目的地でいつか、その妻から「まだ次があるの?」と文句を言われる日も遠くは無さそうだと想像を膨らませながらまた一つ目的地を追加する。

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名庭リスト
青森
・瑞楽園(ずいらくえん)
・盛美園(せいびえん)
・ 藤田記念庭園(ふじたきねんていえん)
岩手
・毛越寺(もうつうじ)
栃木
・古峯神社(ふるみね)
東京
・小石川後楽園
・東京天理教館
・明治神宮
・六義園
神奈川
・三溪園(さんけいえん)
・箱根美術館
石川
・兼六園(けんろくえん)
静岡
・龍潭寺(りゅうたんじ)
愛知
・名古屋城旧二の丸
三重県
・北畠神社(きたばたけじんじゃ)
滋賀
・居初氏庭園天然図画亭 (いそめしていえん てんねんずえてい)
・旧秀隣寺庭園(きゅうしゅうりんじ)
・玄宮園(げんきゅうえん)
・大池寺(だいちじ)
・福田寺(ふくでんじ)
・楽々園(らくらくえん)
・蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)
京都
・京都府立総合資料館 
・銀閣寺
・金地院(こんちいん)
・三千院有清園(ゆうせいえん)
・橋本関雪記念館(はしもとかんせつ)
・平安神宮神苑(へいあんじんぐうしんえん)
・法然院(ほうねんいん)
・曼殊院(まんしゅいん)
・無鄰菴(むりあん)
・金閣寺
・孤篷庵(こほうあん)
・正伝寺(しょうでんじ)
・真珠庵(しんじゅあん)
・大仙院(だいせんいん)
・大徳寺
・龍源院(りゅうげんいん)
・京都御所
・仙洞御所(せんとうごしょ)
・本法寺(ほんぽうじ)
・青蓮院門跡(しょうれんにんもんぜき)
・東福寺
・普門院(ふもんいん)
・二条城二の丸
・旧嵯峨御所(きゅうさが) 大覚寺大沢池
・退蔵院(たいぞういん)
・天竜寺
・東海庵
・法金剛院(ほうこんごういん)
・龍安寺(りょうあんじ)
・真如院(しんにょいん)
・西本願寺対面所庭園(にしほんがんじたいめんしょていえん)
・桂離宮
・西芳寺(さいほうじ)
・醍醐寺三宝院(だいごじさんぽういん)
・酬恩庵(しゅうおんなん)
・浄瑠璃寺(じょうるりじ)
・慶沢園(けいたくえん)
・正覚寺(しょうかくじ)
奈良
・依水園(いすいえん)
・平城京左京三条二坊宮跡庭園(にぼうきゅうせき)
・大和文華館(やまとぶんかかん)
島根
・足立美術館
・出雲千家(いづもせんけ)
・櫻井邸(さくらいてい) 櫻井家・日本庭園
・万福寺(まんぷくじ)
岡山
・岡山後楽園
・頼久寺(らいきゅうじ)
広島
・縮景園(しゅっけいえん)
山口
・桂氏庭園(かつらし)月の桂の庭
・漢陽寺(かんようじ)
・常栄寺(じょうえいじ)
・宗隣寺(そうりんじ)
徳島
・観音寺(かんのんじ)
・千秋閣(せんしゅうかく)旧徳島城表御殿庭園(きゅうとくしまじょうおもてごてんていえん)
香川
・栗林公園(りつりんこうえん)
福岡
・木曽路博多駅南店
・旧立花家御花(おはな)松濤園(しょうとうえん)
熊本
・水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)
鹿児島
・磯庭園(いそていえん)
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[目次]
・庭―四季の彩り
・まずアプローチから始まる
・水の造形を楽しむ
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広がる水景 池泉庭園
/舟遊式庭園ー水上に浮かぶ
/廻遊式庭園ー景の中を巡る
/座視鑑賞式庭園ー枠鳥が産む立体絵画
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走る水景色 流水庭園
/造形としての流水
/流れの発展と、その効果
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究極の水景 滝
/滝への篤い思い
/滝の種類と、その効果
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水景の演出 島と汀
/島ー奥行きと広がりを演出
/汀ー海を写す造形美
/橋ー水景の小道具

・石と砂の造形を楽しむ
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心で観る山岳と大海 枯山水庭園
/枯山水庭園の始まりー平安から鎌倉
/写景庭園ー景観を写す枯山水
/写意庭園ー寓話を造形する枯山水
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現代の枯山水庭園
/脈々とつくり続けられる枯山水
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白いキャンパス、白い造形
/白砂と砂紋と盛砂

・究極の庭園美、石組
/枯滝石組ー流れ落ちる水を表現
/枯流れー清流・大河を表現
/橋石組ー景の中に導く表現
/石島石組ー水面を鮮やかに演出
/護岸石組ー汀を立体的に演出
/須弥山・三尊・七五三・の石組
/蓬莱石組・鶴亀石組ー伝説の島
/舟石・夜泊石ー蓬莱島へ渡る

・廻遊より生まれた用と景の世界
/飛石ー用と景が織り成すリズムとメロディー
/敷石ー文様のハーモニー
/灯篭・層塔ー誘う灯、景の要

・庭の外にも庭が見える
/塀・生垣ー囲障で切り取る
/植栽で整える
/建築でとる・背景と共につくる
/調和と対比
/枠取りで見る

・庭の彩り―植栽の美
/植栽がつくる空間構成
/刈込がつくる造形的空間
/下草ー庭のたたずまいをつくる
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2013年7月17日水曜日

高山別院照蓮寺(たかやまべついんしょうれんじ) 1253 ★

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所在地  岐阜県高山市鉄砲町
山号 光曜山(こうようざん)
宗派  浄土真宗 真宗大谷派
別称 高山御坊・ひだご坊
創建   1253
機能   寺社
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行く先を決めるためのマップだが、そこにマッピングされるためには、何かしらの情報源からピックアップされる必要があるのだが、その情報源はその人それぞれによる。

自分の場合は、尊敬する神社マニアのHPや、百選集、行く年来る年のロケ地などとなり、当然「地域と観光地」などで検索して出てくるような寺院などはカバーされないことになる。そこまでカバーしていたら、それこそマッピングの意味が無くなるからである。

しかし実際にその場に足を運んでみると、風景の中で明らかにこの土地で重要な位置を占めていると思われる寺社の姿を目にすることになる。つまり風景の中で無くてはならない建築として成立しているものたちである。それらをマッピングされていなかったからと見逃す手はないということで、昨日非常に好感をもったこの飛騨高山の良き街並みの中で重要なエレメントとして機能しているいくつかの寺院をさっそく宿で調べてはマップに入れておいた。

その魅力的な街並みをできるだけ楽しむために、旅程を変更し下呂温泉を諦めてでも市内を少し散策することにして朝一番に訪れたのがこの高山別院。この地・高山は浄土真宗の真宗大谷派が非常に浸透している場で、「別院」というのは、その真宗大谷派の布教の拠点として機能した寺院がそう呼ばれるという。

まだ静かな朝の境内だが、暫くするとその境内に止まった観光バスから大勢の観光客が降りてくる姿が。昔ながらの街並みが残るだけに、近代になって近場に駐車場を確保するのが難しく、止むを得ずに境内を駐車場にしたのだろうが、それにしてもなんとも残念な風景である。






2013年7月12日金曜日

ワクワク感



北京大学で博士号課程を教えているパートナーの奥さんが今年はサバティカルなので、その期間を利用してアメリカのスタンフォード大学で少し教えるので、パートナーも一緒に行って子供をサマースクールに通わせるためのを兼ねて3週間ほど夏休みとしてアメリカに行くという。

これは日本で住んでいたら一生見に着かないであろう考え方と習慣だと思わされる。

そんなことを思って妻に、「いつ、サバティカル来るの?」と聞いたら、しかめっ面をし「今がサバティカル中」と返ってきた。

なるほど、だからストレス・フリーで楽しそうに毎日を過ごしているのかと納得。

という訳で、他のパートナー達と居なくなる時期が被らないようにと、少々早めに我々も日本で夏休みでのんびりすることに決める。

いつもは仕事が絡んだりするのだが、今回は家族だけということにし、実家のある愛知に直接戻り、東京にも行かず、友人にも伝えないと心に決める。

そうなると2週間はかなり長い。どうやって過ごすかに想いを巡らす。


後期高齢者のカテゴリーに足を突っ込んだ両親の気分転換に、どこか近場に温泉宿でも一緒にいこうと実家を中心に半径100km圏内で、100名湯レベルの温泉地があり、魂が震えるような親密な神域が残るよき神社があり、実務の参考になる程度の現代建築があり、「教養」とか「文化」などの言葉では釣られなくなってきた両親と妻の興味を引くくらいの一般性を兼ね備えた観光地がある地域となると、それはそれはかなり限られてくる。中々絞りきれずにいるので、次に頭を向ける。

東京の実家に戻る妻の不在時に、フットワークの悪い両親と妻から解放され、好きなだけ山奥まで神域を求めていける時間を最大活用するために、4,5日の予定でレンタカーを借りることで、半径もぐっと200km圏まで拡大し、立ち寄り地を最大にできるのは一体どのコースかとより複雑なシュミレーションを開始する。自作のマップを前にして、「ここあたりに行ってからこっちにいって・・・」を繰り返す。

妻が東京から戻ってきた後に、二人でどこかゆっくりと・・・というので、ならばと上記の二つでカバーされてないエリアから候補地を探し、二泊三日で何が出来るか頭を抱える。

典型的な日本人らしく、新婚旅行以外これほど纏まって休みを取るということをしてこなかったので、行きたいところが止め処なく溢れ出てくる。

「この寺までいくのなら、あの神社も行けるか・・・」
「せっかくここまで足を伸ばすなら、ここを見ずに行くのは一生後悔するだろうな」
「こっちを優先させると、ここまで行くのは厳しいか・・ならこのあたりの滞在を一日伸ばして・・・」
「あー、この美術館はこの日は休館日か・・・」

なんてやってると、あっという間に過ぎていく時間。
止まらないワクワク感。

ニヤニヤしながらマップ上でシュミレーションを重ねている姿を見た妻が、「気持ち悪いよ」と言ってくるが、人生の時計も半分を回った後に一体どんな事にワクワクすることがあるというのか、と心の中でこっそり思う。

人格形成もとっくの前に終了している壮年期。ワクワクしようと思ってもそう簡単にはできるものじゃない。そのワクワクすることが、その人の人生の過ごし方を物語っているんだと改めて気づかされる。

そんなことを思いながら妻に、「少々厳しい行程が予想されるが、足手まといにならないように、しっかりと覚悟しておいて」と伝えることにし、再度ワクワク感と共にマップの上をあっちこっちに移動することにする。

2013年3月22日金曜日

目的地

仕事が忙しく、日々の余裕が無くなれば無くなるほど、次の休暇での目的地に想いを馳せることがなんとか一日をやり遂げることになる。

レンタカーでも借りて田舎道を飛ばして、人里はなれた山奥をひんやりとした空気に囲まれて向かう先は、我々の人生なんて軽く吹き飛ばすくらい長い時間そこから愚かなる人類の興亡を眺めてきた寺社たち。

観光名所になるようなところだけではなく、それこそ佇まいや雰囲気が素晴らしい寺社などはなかなか見つけることができない。だからこそ、実際に足を運んでみて身体で感じることが何より大切だが、その為にもまずは行き先を自らのマップの中に落とし込むことが必要になる。

そんな訳でさまざまなサイトを手がかりに「これぞ」と思う場所を、グーグルマップにマッピングしていくのだが、最近それはそれは素晴らしいチョイスをしてくれているサイトを発見。

ぶらり寺社めぐり

忙しくなればなるほど、家に帰ってまるでテレビゲームをする子供の様だが、「30分だけ」と自分に言い聞かせ、2,3の県だけマッピングしながら妄想を膨らませる。恐らく「撮り鉄」も同じような気持ちなんだろうと想像しながらも、周りの人には迷惑を掛けまいと心に決めて、また一つマップを増やすことになる。

次はぜひとも滋賀周辺を攻めたいものである。