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2014年4月8日火曜日

芸術家アパート セブンシスターズ 1952 ★★★


さすがに朝から、慣れない街で緊張しながら歩きっぱなしだったので疲れが出てきたので、この後予定していたロシア構成主義のメルニコフ設計による「Gosplan Garage」がかなり郊外に位置し、地下鉄とバスを乗り継がなければいけないことから時間のロスを考慮して、今回は諦めることにする。

労働者クラブから再度市中心部へと戻ってくるが、次の目的地の芸術家アパートは少々アクセスが悪く、最寄の地下鉄の駅からはすべて同じくらいの距離を歩くことになる。そこで最寄の地下鉄の駅からバスを利用することになるのだが、地下鉄というスケールの大きな公共交通からもう一つスケールを下げて、よりローカルな生活へと入っていくこのバスは観光客にとっては、かなりハードルが高くなる。

大体地下鉄の駅近くにはバス乗り場があるのだが、行き先によって微妙に乗り場と方向が違ってしまう。ネットで調べるのではどうしても大体の位置しか示されないので、行き先があっているバス路線を把握して、それを現地にて誰かに聞きながらバスに乗り、しかも降りる場所を地図で確認しながら間違いないようにしないといけないと、踏まなければいけない手順が格段に増えてくる。

乗るべき路線のバス乗り場らしきところを見つけるが、どうも目的の番号が書かれていない。それでバスを待つ人に聞いて見るがやはりまったく英語を解さない。数字を見せると、「ここで間違いない」的なジェスチャーをするので待っているが、15分ほどまってもバスが来る気配する無い。

心配になり、道を渡って反対側のバス乗り場に行ってみると、小さく目的のバス番号が書かれている。そこで再度15分ほど待つが、バスは来ない。心配になって同じく待っている人に聞いてみるがやはりコミュニケーションが取れない。「モスクワ恐るべし・・・」と思いながら、あと10分してこなければ歩くしかないと覚悟を決めて待っていると、すぐに目的のバスがやってくる。

バス・地下鉄共有のチケットなのでピッとセンサーに反応させ乗り込み、今度は地図と周囲の風景を確認しながら降りるところを間違えないようにと注意を払い、前方に明らかに目的のシスターズが見えてきたので、行過ぎるのを恐れ、かなり近づいたバス停で降りることにする。

残り二つとなったシスターズ。この芸術家アパートはその名のとおり、かつては芸術家が集まるアパートだったという。高さは午前見たものたちとほぼ同じ160メートル(26階)。なんといってもモスクワ川沿いに立っており、蛇行する川に沿って折れ曲がるような形の低層部を持っている。

その為に見る場所によって随分全体の印象が変わってくる。立面も真ん中の塔に両ウイングという構成ではなく、むしろ段々と高くなる山のような印象である。目の前のモスクワ川にかかる橋を渡りながら、市中心部へ正面を向けるその端正な立面を楽しみながら、落ち着いた雰囲気の周辺環境を楽しみながら、先を進むことにする。



















レニングラードホテル セブンシスターズ 1952 ★


昨晩、朝方までかかって準備しただけあって、思ったよりも英語表記の無いモスクワの街で公共交通を乗り継ぎしながら目的地を回るのも意外をスムースに進み、予定通りに午前の目的地を見終えて、一足先に今日の夜の便で北京に戻るという同行者がそろそろホテルに戻るかな?と思って聞いてみると、「次の目的地を見たらホテルに戻る」と言う。

という訳で、iPadの自作PDF地図を眺めながら駅名や道路名を確認しながら先を行く自分の後ろに、のんびりと周囲の風景を楽しみながらついてくる同行人というスタイルで午後もスタートすることに。

そして向かったのはモスクワ市の東側にあるセブンシスターズの一つ・レニングラードホテル。午前に訪れたウクライナホテル同様に、セブンシスターズの中に二つだけあるホテルのうちの一つである。

その名前の由来は目の前に鎮座するターミナル駅・レニングラーツキー駅。市内に9つあるターミナル駅の一つであり、北のサンクトペテルブルク(旧称・レニングラード)へ向かう列車が発着する駅である。

東の玄関口にあたるこのエリアは、いくつかのターミナル駅が並び立つ。レニングラーツキー駅の東には、ヤロスラフスキー駅。これはウラジオストクや途中から南下してモンゴルのウランバートルを経由して北京まで延びているシベリア鉄道が発着する駅である。その南にはカザン行きのカザン駅。

それらのターミナルに到着した人々が駅舎から外にでてモスクワの街で始めて目にするのがこのレニングラード・ホテルの壮大なファサードということになる。しかし先ほどまでのシスターズと比べて見ると良く分かるように、高さがやや低く136メートル(26階)。加えて両脇の建物も塔がなく、ボタッとした印象。そして全体的に装飾が少なく凹凸のないノッペリした表情。

なんとか正面からカメラに収めようと歩き回るが、周囲を大きな車道が走ってしまい、どうも正面からは見上げられず、やはり駅舎から出てくる人向けにファサードが向けられているようである。そのためにこのシスターズは市の中心部から見てもそれほど認識されないのではと勝手に想像する。

現在は、ヒルトン系列のホテルとして運営されており、300室以上の客室数を誇るという。ここに車での道すがら、そろそろ一人で帰るためには地下鉄の乗換えなどを把握しないといけないということで、少々焦りながらも路線名を駅名に注意を払い始めていた同行者が、「帰り道に迷うかも知れないからそろそろ帰るよ。内容の濃いツアーに参加させてくれてありがとう」と言い残して帰っていく。

それを見送って、後ろに見えるこの地のもう一つのシスターズ目指して歩き始めることにする。






ヤロスラフスキー駅
レニングラーツキー駅






2013年11月17日日曜日

「生きる」黒澤明 1952 ★★★★


夏の終わりにオフィスを辞め、母国に帰ることになったタイ系アメリカ人のスタッフ。故郷に戻る前にぜひ見ておきたいというので、10日ほど日本に行くというので、見ておいたほうがよい建築のリストを渡しておいた。

その後しばらくしてオフィスに届いたのは、日本の直島から投函されたはがき。「せんせいへ」という拙い平仮名での書き出しに続いては英語でどうにもこうにも日本に恋をしてしまったようですので、いつか日本でプロジェクトが動くようならぜひ声をかけて欲しいとのこと。

こういう手紙を受け取ると、やはり日本人として生まれてよかったなと思わずにいられない。

今より60年以上前の日本。高度盛況に入る前のまだまだ戦後の雰囲気を残す風景。それが日本のどこかとは決して描かれる事が無いが、それがどこにでもある風景だということが重要なように、ある市役所で30年にも渡る長い時間、ひたすら同じ事の繰り返し、ただただ判子を押すだけの作業を繰り返し、何も疑問を持たず、何も意見を言わず、何も新しい事をしないことが何よりの仕事だと言わんばかりの描写。

そんなさざ波を立てない日々を送っていた男が、ある日自分が胃癌を煩っており、残りの寿命が半年だと知る。それを機会に如何に今までの自分が「生きて」なかったかを知り、どうすれば「生きる」ことができるかを求めて彷徨い、そして見つけるのは今まで何も考えずに「こなす」だけであった仕事の中で、自分が頑張れば何かを変えれる、誰か人の為になることができる事を見つけ、一つの公園を実現することに命を駆けていく。

黒澤映画の凄さは、夏目漱石の小説と同様に、人間の本質を描くことにあり、それ故に60年経たいまでもそのテーマ自体は古びる事は無い。むしろその白黒の映像の方が、余計な装飾を剥ぎ取られ、日本人の如何に予定調和的な仕事の進め方、如何に周りを見ながら時間を過ごし、本当の意味では「生きて」いないかを強烈に描き出す。

「命短し恋せよ乙女 紅き唇 褪せぬ間に 
赤き血潮の冷えぬ間に 明日の月日の無ひものを」

命の長さ、時間の尊さ、生きることの意味について考えてこなかった主人公が、その終わりを知る事によって始めて「自分らしさ」に向き合うことを象徴するかのように、主人公が作中で何度も歌うこの歌は佐川満男の「ゴンドラの唄」の一節。

「夜は短し歩けよ乙女」でも引用されるが、短き時間を知ってか知らずか、とにかく「今」を精一杯生きるのが得意なのはどの時代でも乙女ということであり、主人公もまたその若き「乙女」に生きることを教えられる。これはどの時代も財も名誉も手に入れた老年男性が、それでも若き乙女に心を奪われる繰り返される人の性と言わんばかりに。

兎にも角にも、今の自分が本当の意味で「生きて」いるか?自分の頭で考えていると思う事で、実はただただ「こなしている」ことではないか?誰か他の人が考えた事をただただリピートしているだけではないか?今日一日だけを生きるだけを目的とし、どう人生を生きようとしているか考えてないのではないか?

そんな人間としての本質に向き合う名作に違いないと思いながら、恐らく今日もどこかの市役所では、要望書を「これは○○課にまわして」とたらいまわしにしてそれを仕事だと呼んでいる輩が数多くいるのは変わっていないのだろうと想像をめぐらせずにいられない。

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スタッフ
監督 黒澤明
脚本 黒澤明 
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キャスト
渡邊勘治 志村喬
渡邊光男 金子信雄
渡邊一枝 関京子
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2013年10月20日日曜日

龍潭公園(lóng tán gōngyuán)1952 ★


九壇八廟(jiǔ tán bā miào)という言葉がある。

これは北京における重要な場所を示したものであり、壇とは「皇帝が祈りをささげた場所」であり、廟とは「祖先の霊、神仏や歴史上の人物を祭る寺など」である。九壇の中でも極めて重要だった5つの壇・五壇を天壇、地壇、日壇、月壇、先農壇という。これは北京都市的成り立ちを理解する上でとても重要なポイントである。

歴史上最大級の風水都市・北京には風水の概念によって都市を持続させるべく様々な自然エレメントが配されている。その名残が現在も世界的メトロポリスとなりながらも、開発の手を逃れ都市に緑の空間を与えている様々な公園。その多くがかつての壇を起源とする。

都市の中心に南を向かって座す皇帝を取り巻く故宮(紫禁城)。その方向性が作り出す強烈な南北に走る都市軸。天と呼応するために太陽が昇ってくる東を、太陽が沈んでいく西に向かって横方向に直行する東西軸。

その故宮と直行する二つの軸を頭の中に描いて北京を眺める。南北軸からやや東に引っ張られる形で南に位置するのが天壇(tiān tán)。ちなみに壇とは中国語簡易体表記で坛となる。故宮の南北軸をはさんで、その天壇の反対側、つまり西側にあるのが先農壇(先农坛)(xiān nóng tán)。

そして今後は故宮から北に向かい、天壇同様東にすこしずれたところに位置するのが地壇(dì tán)。

故宮から東に向かっていくと、その軸上に位置するのが、日壇(rì tán)。その逆に西側に位置するのが月壇(yuè tán)。

それぞれがかつてはとんでもない聖域であったが、今では先農壇を除く全てが公園として整備されており、市民の憩いの場所として開放されており、先農壇は古代建築博物館の一部として整備されている。

そんな風に天壇地日月農の「壇」で紐解きながら北京の全体像を眺めていくと、どうしても次に目に留まるのが龍潭公园(lóng tán gōngyuán)。中国語表記では「龙潭公园」となる。

しかしこの「潭」という漢字。ややこしいことに「壇」とピンインも四声も同じ。意味は「淵」ということで、「水潭」と書いて「水たまり」。つまり「龍たまり公園」という訳だ。

「これは風水的にも重要な場所に違いない・・・」

ということで、眼鏡城で傷ついたレンズを直すついでに足を伸ばすことにする。

中心から強烈な磁場を発する風水都市なだけに、同心円状に走る環状道路はまさに都市の動脈といえ、排気ガスを巻き上げて走る車に占拠されている。なので、スクーターや自転車、歩行者がこの環状道路を渡ろうとすると結構大変なことになり、北に南に結構走り歩道橋などを探さないといけない。

やっとのことで歩道橋を渡ると、車の交通だけを考え、歩行者がその脇を歩くことを想定しておらず、脇をはしる南护城河沿いに道路より一段下がった川沿いの道へとスロープを下りていく。

橋が見えてくるので渡る為に再度道路レベルまで上がりたいと思って周囲を見渡すが、見えてくるのは歩行者用の階段のみ。「無理だろう・・・」と思いながら、スクーターを持ち上げて登れるか試してみるがやはり重過ぎて断念。

困ったなと周囲を見渡して、散歩中のおじさんに聞いてみると、「南に行くと上がれるスロープがある」というので、言われたとおりに走っていくと、角を曲がって南二环路沿いにスロープを発見し何とか脱出。

そんな訳で冷や汗をかきながら辿りついた龍潭公園。2元の入園料を支払い、中に入って案内を読むと、なんとも1952年に整備された都市公園らしく、地元の人の憩いの場になっているのが良く分かる賑わいぶり。大きな池の周りにめぐらされた遊歩道を歩きながら、やはり「壇」と「潭」では大きな違いだと理解する。






2013年9月28日土曜日

「こゝろ」 夏目漱石 1952 ★★★


自分自身の古典を探すためには、人生の中で何度も同じ本を読み返す事が必要だということで、本棚の中から忘却の彼方に置かれている本を探しだし、手に取った一冊。

言わずと知れた「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」の物語。

書生システムがまだ生きていて、学校以外でも自らの「先生」と呼べる人物にである事が可能だった明治末期。

陳腐化する以前の有産階級達がまだ生存していた消費社会の波に呑み込まれる前の日本。その時代には、「生きる」ことに膨大な費用を支払う現代のような汲々とした日常は無く、家族と女中、そして数人の書生を抱える姿は多くの過程で見られた風景であった。

田舎のそこそこの資産家の息子である自分。そして同じく田舎の資産家の息子であった先生。共に学の為に東京にやってきて、学ぶことを目指して日々を過ごす。

書生でありながら夏には涼を求め、房州を巡りながら学習をするなんて、現代から考えたらなんとも贅沢な時間の過ごし方が可能であった時代。高度成長という幻影のお陰で、国全体が豊かになったように見えるが、かつてあった文化的豊かな生活を送る余裕と、それを支える経済力を共に持ち得るのが非常に難しくなった現代は、本当に豊かになったのだろうか?と思わずにいられない。

自分は何を成すべきか?
自分のすべき事に対して自分の日々の過ごし方は十分にストイックであるか?

そんな高貴な思いではなく、もっとドロドロした人間の本質的な感情。自分が叶わないと思っているライバルとどうにかして蹴落としたいが、それを自分が好意を寄せてる相手に知られたくは無い。

千利休が死をもって永遠なる文化の華を咲かせたように、Kもまた死をもって永遠に先生の心の中で生き続ける。明治天皇の崩御に続いた乃木大将の自決。死が選択肢として生きていた時代のまっすぐな自らの表現。

ネットが露にしつつある人間の醜い本性。努力することなしに、誰か近しい人間が自分よりも高みに足をかけようとすると、ものすごい勢いで足をすくおうとする負の力。社会全体が病みだし、生きていくのが簡単ではない現代。

そんな時代にこそ、読み直す価値がある一冊なのかもしれないと読み直しに満足できる一冊。