ラベル ハルビン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ハルビン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年12月13日日曜日

ハルビン・オペラハウス「GA Document 134」掲載


我々MAD Architectsが設計を手がけました、中国・ハルビン市のハルビン・オペラハウス(Harbin Operahouse)が現在発売中の「GA DOCUMENT 134」に掲載されております。


MADアーキテクツ
ハルビン・オペラハウス
中国,ハルビン

GA編集者の二川さんとの対談形式で、私がプロジェクトの概要を説明するという内容になっています。5年以上に渡る大規模のプロジェクトで、オペラハウスという非常に特殊で複雑な機能に対して、新しい都市の風景としてどのようにアプローチできるか、様々なことに挑戦しながら完成を迎えたプロジェクトです。ぜひ書店に足を運ばれる際には手にとって見ていただければ幸いです。

2014年3月26日水曜日

ハルビン・オペラハウス MAD Architects 2014



仕事のことを書くにはどうも近視眼的になってしまうので、できることなら避けたいのと思っているが、流石に少しは仕事の内容を紹介しておくことも、何かの役に立つのではと思わない訳でのないので紹介しておく。

現在共同主宰するMAD Architectsが設計を手掛けるプロジェクトの中で、最も重要な位置を占めるプロジェクトの一つにあたるのが、2014年、今年の末に竣工を予定している、中国北部黒竜江省の省都・ハルビン市の北部に建設中の、ハルビン・オペラハウス(Harbin Opera House)。

2010年の年初から始めたからすでにまる4年が経ち、5年という時間を持って竣工を迎える何とも息の長いプロジェクト。

オペラハウスという都市にとっても文化を支える大きな意味のある建築物なので、美術館や図書館の様に、どこの地方都市にも一つある、というようなタイポロジーではなく、その維持と運営を賄うだけの公演を行い、それに見合ったチケット代を支払って鑑賞しにくる観客がいなければ、オペラハウスは維持できない。

その為に、必然的にかなり大都市のみに持つことが許される建築タイポロジーである。オペラハウスと言われイメージされる世界の都市でも、シドニー、ウィーン、ニューヨーク、パリ、ロンドン、サンクトペテルブルクなど、やはり名だたる大都市が上がってくる。

日本に目を向けると、オペラの上演を可能とするサイド・ステージとバック・ステージを持つものとすると、

新国立劇場(東京都渋谷区) 1997年 設計;柳澤孝彦
よこすか芸術劇場(神奈川県横須賀市) 1994年 設計;丹下健三
アクトシティ浜松(静岡県浜松市) 1995年 設計;日本設計
まつもと市民芸術館(長野県松本市) 2004年 設計;伊東豊雄
富山市芸術文化ホール(富山県富山市) 1996年 設計;久米設計
愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市) 1992年 設計;A&T建築研究所
滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール(滋賀県大津市) 1998年 設計;佐藤総合計画
兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市) 2005年 設計;日建設計

となるらしい。東京、名古屋、神戸は、上記のオペラハウスという文化施設を都市として維持するためには、チケット代として維持費を分担し負担する文化度の高い多くの市民が必要である、という流れで納得できる。

そう考えると、横須賀、浜松、松本、富山、大津などではどれくらいの人口で、どれくらいの人が足しげくオペラハウスに通うのかと気になったので各都市の人口を調べてみる。

横須賀市 408,934人
浜松市 791,513人
松本市 242,834人
富山市 419,240人
大津市 341,713人

浜松の人口がこれだけ多いは意外だったが、オペラハウスを持つ都市の基準人口がどれくらいなのか気になる数字であり、これらの市でオペラハウスの施設がどのように現在使われているのか気になるものである。

また松本と兵庫以外は、すべてが90年代というバブル時代に計画が進められた公共施設なので、その当時の想定と随分ずれてきている現在の差異がどのようにこれらの施設に影響を与えているのかも興味深いところである。

とにかく、市区人口は587万人、都市圏人口は1000万人を超す大都市と呼んでよいハルビン市にできるこのハルビン・オペラハウス。コンペから参加し、そのコンペを勝ち抜き、様々な困難を経験して現在最後の外装材の仕上げと、内装工事が進んでおり、規模が規模だけに、多くの部分を実際にモックアップと呼ばれる、1対1で実際の寸法で建物の一部を作ってみて納まりや素材、照明などを確認していく作業に追われている。

建設中なのでできるだけ情報を外に出さないように心掛けているが、やっとプレス・リリースできるようなところまで来たので、一部の現場写真も建築系ニュースサイトにアップされた。

Harbin Cultural Center / MAD Architects

シドニーの様に、街の誇りとして語り継がれ、世界から人を引き付けるようなオペラハウスになるかどうかは、この半年にかかっていると思っている。音響という身体に直接的に働きかける特殊な建築タイポロジーなだけに、実際に触ってみて、近寄ってみてはじめて分かる空間性。それを実現できるように、今まで費やしてきた時間とエネルギーを無駄にすることなく、手の痕跡が多く感じられるような内部空間を作り出せるように、あと半年を過ごすことにする。





2014年2月16日日曜日

施工に土日はない

日曜日だというのに、ハルビンからクライアント団を始めとし、内装、外装、カーテン・ウォールの施行会社、それぞれのコンサルタントなどが大量に事務所に押し寄せ、進んでいるオペラハウスの施行の問題点について打合せをする。

今年中に終わらせなければならないオペラハウスという巨大な現場が動いている様子は、あたかも強大な生物が日々蠢いているようなものである。様々な関係する人間が、その内部に入り込み、それぞれの役割を果たすべく作業をし、様々な決定を下していかなければいけない。

少しでも遅らせる事は現場に入っている何百という作業員の一日の仕事が遅れることを意味する。そんな現場に土日は無い。なんとか現場を止めない様に、遅らせないようにと日曜日でもなんだろうと打合せを進めていくわけである。

このプロジェクトに関係するメンバーはもちろん資料を用意し、朝から出てくる訳であるが、幾つものプロジェクトを同時に見なければいけない側としては、このような状況がx10で押し寄せてくる。当然、まともな週末など期待できるわけも無い。

せめて竣工後、こけら落とし公演で自分達が魂を込めて設計したオペラハウスの中で、今度何十年とその地の文化の発信源となる建築で、心地よい音楽を聴きながらアルファ波の中に落ちていく瞬間を期待する事にする

2013年11月7日木曜日

中国木彫美術館「GA DOCUMENT 125」掲載


共同主催しているMAD Architectsが設計を手がけている、中国・黒竜江省に立つ中国木彫美術館(China Wood Sculpture Museum)が現在発売中の「GA DOCUMENT 125」に掲載されております。

GA DOCUMENT 125

9月末、自分も北京から現地入りし撮影に帯同させていただき、中国各地のプロジェクト中心となる今回の号の撮影でハルビンを皮切りに各地を回られる編集長の二川さんから現在の建築の世界に関する様々なお話を聞かせていただき、改めて日常を振り返る良い機会となりました。

今後もこの様に皆さんにご報告できるような作品を作っていけるように、日々の建築設計活動に向かっていこうと思っておりますので、今後とも今まで同様の暖かいご支援をいただければ大変嬉しく思います。

早野洋介/MAD

2013年9月30日月曜日

「時が滲む朝」 楊逸 2011 ★★

----------------------------------------------------------
第139回(2008年度上半期) 芥川賞受賞
----------------------------------------------------------
12回9(2003年上半期) ハリガネムシ 吉村萬壱(男性)
130回(2003年下半期) 蛇にピアス 金原ひとみ(女性)
130回(2003年下半期) 蹴りたい背中 綿矢りさ(女性)
131回(2004年上半期) 介護入門 モブ・ノリオ(男性)
132回(2004年下半期) グランド・フィナーレ 阿部和重 (女性)
133回(2005年上半期) 土の中の子供 中村文則(男性)
134回(2005年下半期) 沖で待つ 絲山秋子(女性)
135回(2006年上半期) 八月の路上に捨てる 伊藤たかみ(男性)
136回(2006年下半期) ひとり日和 青山七恵(女性)
137回(2007年上半期) アサッテの人 諏訪哲史(男性)
138回(2007年下半期) 乳と卵 川上未映子(女性)
139回(2008年上半期) 時が滲む朝 楊逸(女性)
140回(2008年下半期) ポトスライムの舟 津村記久子(女性)
141回(2009年上半期) 終の住処 磯崎憲一郎(男性)
142回(2009年下半期) なし
143回(2010年上半期) 乙女の密告 赤染晶子(女性)
144回(2010年下半期) きことわ 朝吹真理子(女性)
144回(2010年下半期) 苦役列車 西村賢太(男性)
145回(2011年上半期) なし 
146回(2011年下半期) 道化師の蝶 円城塔(男性)
146回(2011年下半期) 共喰い 田中慎弥(男性)
147回(2012年上半期) 冥土めぐり 鹿島田真希(女性)
148回(2012年下半期) abさんご 黒田夏子(女性)
149回(2013年上半期) 爪と目 藤野可織(女性)

過去10年、つまり2003年からの芥川賞受賞作家22人のうち、13人が女性作家。半数以上というのはまさに女性の強い時代を代弁するかのようであるが、その中にたった一人外国籍の作家の名前が。それがこの2008年度上半期芥川賞受賞作家である楊逸。

中国語のピンイン表記ではyáng yìとなり、ヤン・イーと呼ぶ。我々夫婦の中国語の先生も同じくハルビン出身で楊さんというので、ハルビンには楊姓が多いのだろうか?と思ってしまう。

中国で生まれ、中国で育ち、大学の途中で日本に渡り、日本語を学び、大学を卒業し、就職をし、そして小説を書き始め、芥川賞まで上り詰める。なんといっても帰国子女などではなく、大人になってから学んだ外国語で物語を綴ることまでに費やした多くの時間と努力に頭が下がる。

青春を中国と日本で過ごし、民主化の動きを高めた天安門事件とその後の経済発展を中国内部からと、中国の外から見た視点で描き、なんと言ってもスポットライトを浴びる有名な民主化活動家ではなく、群集の群れの中でひっそりと燃えるような情熱を心の中にともしていた名も無き学生に焦点を当てて、激動の時代の中国を描きだす。

同じ時代をいきながら、まったく違う時間を過ごす二つの国。その両方に生身で生きた作者だからこそ描けるリアルな視点。そしてその二つを繋ぐ尾崎豊の「I Lover You」。

生の篭った物語を書くためには、社会にどっぷりと根を張って生きる時間を過ごさないとならない。その為には、その社会の共通認識を理解し、自分なりに消化していないといけない。その理解を得るための語学力を身につけるには並大抵の努力では辿りつけない。

今も日々感じるストレスや向き合う困難の多くは、自分が外国人であることから派生する。語彙力を向上させても埋めることの出来ないギャップは、その社会で生まれ育ってこなかったことからくる生身の視点。教科書では決して身につけることの出来ない時代の雰囲気や、社会の常識。それを他言語において、二つの国をこれほどにリアルに描けるというのは、よっぽどの取材力があるか、自らの生きた経験によるものだろうと思わずにいれらない。

主人公の様に、どんな場所にいようとも、どんな仕事をしながら生きようとも、まっすぐに必死に生きている人間には、誰もがこんな自分だけの熱い物語を持って生きているんだと思わせてくれる一冊。

2013年3月4日月曜日

面白いのは人

社員旅行でやってきたハルビン市。現在オペラハウスとレイバー・レクリエーション・センターの二つの建物が現場進行中で、近くには最近竣工したチュンリー美術館もあるので、オフィスのメンバーにこの現場を見せてあげることと、ハルビンという街を少しでも理解できるように、有名な観光スポットと合わせて一泊二日の弾丸ツアー。

初日の夕食で円卓を一緒に囲むことになったアメリカ人スタッフ。いつも「ヒュー!!」とか、「ワァオ、ザッツ・クール!」とすぐに大きな声をだす典型的な西海岸出身の性格で、明るく前向きなのはいいことだと思っていたが、そんなに詳しく話す機会は今までなかなかなかった。

円卓に納まりきらず、どんどん皿の上に積み木のように重ねられる東北料理に一向に手をつけないので、どうしたのか聞いてみると、「だって、ベジタリアンなので」とサラッという。「いつからベジタリアンなの?」と聞いてみると、「12年前からで、数年前からは卵やチーズも止めた」という。

「何かアレルギーとかの問題?」と尋ねると、「違う、だってこれ全部動物でしょ?」と。つまり動物の命を摂取するのはポリシーに反するということらしい。野菜の上にちょっと挽肉がまぶしてあるのも、「ああ、それは肉だからダメ」というので、食べれそうな野菜料理を追加注文。となりに座っているアメリカ人も同じくベジタリアンだとういので、二人して野菜の皿のつつくことに。

「アメリカの若者ではベジタリアンになることはある種流行っているのか?」と聞いてみると、「家族でも自分だけだからまだ特別な方だと思うけど、回りでは程度の差はあれ、結構居る」という。たしかにオフィスで一番背の高いもう一人のアメリカ人もベジタリアン・・・恐るべしアメリカ。

そんなこんなで話は他に飛ぶのだが、よくよく聞くと彼女はお母さんがイラン出身で20代の時に渡ったアメリカで彼女のお父さんに出会ってそのままアメリカに残り結婚をしたと言う。その時にイスラム教からキリスト教に改宗をしているので、もしお母さんが故郷のイランに帰ったら刑務所行きになるから帰れないという。自分は母方とは違った名前を持っているので、いつかテヘランに行って自分のルーツを見てみたいと、ガバガバとビールを飲みながらあっけらかんと言う。

「なんて重い話を軽くするんだろう・・・」と思いながらも、個性を尊重するアメリカらしく、人と違ったことがなんの問題も起こさないお国柄で育っただけあって、その人生もまたなかなか興味深いなと思いながら箸を進める。

そんなこんなで白酒をクライアントと乾杯したりとかなり深酒をした様子で、次の日は朝6時起床で7時にスキー場に向かって出発なので、遅れないようにと念を押したが、次の日の朝に案の定そのベジタリアンのアメリカ人が居ないという。それを探すドイツ人・・・

結局夕食後もホテルのバーで飲み続け、朝起きられず、二日酔いだしスキーは嫌いだから別行動をするといい、ホテルで寝続けるアメリカ人三人組・・・日本だったらどんだけの始末書を書くことになるのだろうと思いながら、それでも型にはまった生き方よりもよっぽどインタレスティングかもなと想いを馳せる。

人と違うのは、ただ自分の好きなことがはっきりしていて、それをただ純粋にやりたいだけであり、皆がこれをいいというからこれを着ようとか、こんな仕事についておけば大丈夫だとか、そんなことで人生の何かを決めるのではなく、少なくとも自分で考えて自分で決めていく。その代わり、最後は自分で責任を取ることになるのだろうが、日本人の生き方に比べたらよっぽど無駄がないように感じる。

社会人になっても、周りとの調和を図るために必要のない飲み会やイベントに顔を出し、人間関係に疲れながらも、それなりに楽しめるようになっていき、今度はその状況の中で自分が好きなものを見つけていく。

それに対してこんな自由なアメリカ人は、誰かと一緒にあるグループや集団の中に入っていなくてなんら不安を感じずに、むしろできるだけ無駄な時間を削って、自分の興味のあることに時間を費やそうとする。だからやたら初期のパソコンの歴史に詳しかったり、日本のアニメに対して膨大な知識をもっていたりと、会話をしていてやはり「インタレスティング」だと感じられる何かを持っている。

恐らく自分で決めていくプロセスの中で、様々な場面で自分を成長させることもあるのだろうと想像する。日本人でも外国人でも関係なく、自分が好きなことを明確に持っていて、しっかりとそれに向き合い時間を費やしている人はやはり何かしらの魅力をまとっていくのだろうと思わずにいられない。

いろんな場所に足を運び、いろんな風景や建築を見て感じることももちろん大切だろうが、それでも最後はやはり今、同じ時間を生きている、インタレスティングな人を知り、彼らの考え方や時間の過ごし方を知ることが一番面白いことなんだと改めて理解する。

2013年3月3日日曜日

MAD Office Trip to Harbin Day 1

事務所も人が増え、総勢50人くらいの所帯となった我々MAD Architects。中華新年前のAnnual Dinnerの席で、「中華新年が明けたら皆で建設中のハルビン・オペラハウスの現場を見に行って、ハルビン観光やスキーなどを楽しむ社員旅行をしよう」とパートナーのマーが言い出す。


プロジェクトが複数同時進行しているので、各所員やインターンはそれぞれのチームに属して毎日を過ごすことになる。そうなるとオフィスにいながらも、他のプロジェクトのことを知る機会はなかなか少なくなってしまう。そういう意味でも、現在オフィスで進行している中でも最大級の規模とデザイン難度を誇るオペラハウスの現場を皆に見せるのは大きな意味があるだろうと想像する。

そして組まれた一泊二日のハルビン弾丸ツアー。そういえば自分の人生でも初の社員旅行か?と思い、これはいい機会だということで妻も同伴して参加する。

朝の7時に空港集合で、早速一人来てないオランダ人スタッフに連絡がつかずに問題発生。しょうがないのでほったらかしで、乗り込む飛行機。二時間ほどのフライトで降り立つハルビンはまだまだ冬真っ只中という感じで吹き付ける風も春の兆しが感じられるようになってきた北京とは比べ物にならないほど寒い。

観光バスに乗り込み一時間ほど走った後に、オペラハウスのクライアントさんがお勧めしてくれたというハルビン料理のレストランで、クライアントさんも合流してランチに。様々な国籍のスタッフがいるので、皆上司やクライアントという関係性もそんなに気にせずお酒も入ってにぎやかに。

ランチを終えると、近くのオペラハウスの現場に向かう。ここはハルビン市の北側に位置し、新たに開発の進む地区の中心となる文化公園を形作り、MADがハルビン・オペラハウスとその横にこれまた建設中のハルビン・レイバー・レクリエーション・センターの二つの建物を含んだ、公園全体の設計を担当している。

流石に雪が深く積もった冬のハルビンでは現場作業は止まっているのだが、日本ならありえないなと思いながら、クライアントの案内で皆ヘルメットも無しに建設中の建物の中に入っていく。ところどころで簡単な説明をしてあげて、今どんな問題を抱えながら設計をしているのかを伝える。来年の終わりにはここでオペラを観ることが出来るのを楽しみに次の目的地へ。

次の目的地は現場のすぐ横に位置する「东北虎林园」。いわゆる絶滅の危機に瀕している野生のトラを保護しているというトラ園。数百頭いるらしいが、中はサファリパークのようになっており、トラックに乗り込んでそれぞれに仕切られた各エリアに入って息かなりの至近距離でトラを観察することが出来る仕組み。

流石は中国というところか、入り口で鳥や羊を購入し、広い雪に染まった草原で佇む何頭ものトラが待つ中に一台のバンがやって来ては、後部座席から入り口で購入された羊を投げ出し、それに群がり、地を滴らせてむしゃぶりつくトラたちの姿をバスの窓から眺めることができるという。

かつてここを訪れたときにはそのメニューに「牛」があったのを記憶しているが、それが無くなっていたのは流石にどこかの動物愛護団体からのクレームでもあったのかと、勝手に想像する。

自然の摂理ということで、我々も鳥を数匹購入し、投げ込まれる姿に弱肉強食の食物連鎖を垣間見て、日没前にトラ園を後にして、最後の目的地であり、ハルビン市の最も有名な観光イベントでもある「ハルビン氷祭り 冰雪大世界」の会場へ向かうことにする。

赤く染まりだした夕暮れの広い空をバックに、積み上げられた氷で作り上げられた様々な彫刻作品にテンションが上がりっぱなしの妻について会場を巡る。ここでもそうだが、他のところでも社員旅行といえども皆勝手気ままに、気の合うもの同士で歩き回っている様子で、これは気を遣わなくていいやと、終始妻との二人行動。

ここもかつて来たことがあるが、その時よりも随分洗練されてきたようではあるが、日が暮れだして下がってきた気温に耐え切れず、暖房の効いた喫茶店で暖を取っていると、入り口に向かって走っていくスタッフの姿が。「何があったのか?」と聞いてみると、「寝坊して遅れていたオランダ人のスタッフが、昼ごろの便を取りハルビンについてのだけど、お金を持っていなくて入り口で入れなくて困っている」とのこと。

日本だったらいったいどれくらいの始末書を書かされるのだろう・・・と思いながら、完全に日が落ちて、ライトアップされたまた違う表情を見せる氷の彫刻を最後巡ることにする。

その後近くのレストランで、もう今日はホテルについて寝るだけということもあり、白酒やビールなども入ってワイワイと食事と会話を楽しみながら、スタッフの意外な一面を発見しつつ夕食を終えホテルに戻る。

「明日は6時に起きて食事をし、7時には出発してスキー場に向かうから寝坊しないように!」という担当者の号令と共に解散した初日の夜。





























2012年11月20日火曜日

伸びきったゴム

「I'm very stretched....」

stretch;〈神経などを〉極度に緊張させる, 張りつめる;((〜 -selfまたは受身))〈人が〉能力[限度]いっぱいに働く

頭の中に思い浮かべるのは、ダラダラに伸び切ったゴムのイメージ。これ以上どんだけ引っ張っても何も出てこない感じか。


朝一から大連市の海辺に計画している新しい文化複合コミュニティアイランドの打ち合わせを、チームとパートナーと一緒に行う。約一時間かけ大きく二つの方向性を確認し、チーム内で各メンバーがどうやって進めていくか、フルタイムのスタッフがスタディをし、インターンがリサーチをしていく。30万平米の敷地に35万平米の延床面積の巨大プロジェクトで陸地からの見え方や高さ方向の決定方法など、検討項目は山ほどになる。

いくらオフィスでこなすプロジェクトが増えようとも、同じメンバーでこなさなければならず、出来るのはその効率を如何に向上させれるか。オフィスにいるすべてのメンバーがやることが無い時間をなくすこと、何をやっていいか分からずに無為に過ごす時間をなくすこと、それが至上課題。多くのプロジェクトが同時に進行中なので、少ない人数で明確な進行をはかること、それがオフィスを回していく上で非常に重要になる。

一時間の打ち合わせを終えると、昨日(日曜)の夜に、こちらも二人のパートナーとチームと一緒にレビューをした南京で進行しているプロジェクト、38万平米の敷地に、こちらも38万平米の延床面積という都市計画レベルのプロジェクト。夏に行ったコンペを勝ち抜き、来年度の施工開始に向けてものすごい勢いで進んでいくプロジェクトには、フルタイムが5人とインターンが2人の計7人体制。商業、オフィス、住居、文化と機能的にもかなり複雑であり、更に空中都市を夢見るクライアントの要求に応えるべくさまざまな挑戦が求められる。明日の夜までにまとめないといけない資料に向けて、誰が何と担当して進めていくか?それを明確にして、誰もが悩まないように、どんなダイアグラムを作り、どんな図面を作成し、何を3次元で立ち上げ、どんな角度で、どんな色合いのパースをつくるのか、一人一人に指示を出していく。

それが終わるとこれもハルビンで現在建設中の文化施設周辺のランドスケープデザインのための照明を担当する照明コンサルタントに、プロジェクトの概要を説明し、どのような照明効果を期待しているかを共有していく。質疑をあげてもらって問題が無いようにしたら、求める資料をいつまでに、どのように仕上げてもらうかを協議する。

それが終わると、アモイで進行中のアパレル会社の新社屋のプロジェクトのプロジェクト・アーキテクトとマネージャーと一緒に、迫ってきているSDパッケージの提出について、どのような進行状況かを確認して、何を準備するかを指示。それと共に、プランニングと平行して進んでいるファサードのデザインの方向性がオフィスとして固まってきたので、再度パースを作り直し、ファサード、構造、環境の各コンサルタントに伝えるようにお願いする。

下階の会議室では、ハルビンで建設中のオペラハウスのクライアントが来ていて、ランドスケープ・デザイナーの進行中の案を精査しており、オペラハウス周辺を担当するオーストラリア人のデザイナーと、全体を担当している中国の会社との調整をいsている。各コンサルタント会社から担当している3-5人が来ているので総勢40人近い人数になってしまうのだが、昼食時になったので打ち合わせの状況を知る為に、オフィスの担当マネージャーを連れ出して一緒にランチに。

ランチを食べに行く間も、注文する間も、食事が運ばれてきて食べている間もずっとそのマネージャーの携帯はなりっぱなしで、「こういうコミュニケーション関係の仕事は本当にしんどい・・・」と愚痴をこぼすのを、「君しかこれはできないからさ。」と励ましながらランチをかきこむ。

つかの間のランチを終えてオフィスに戻ると、そのマネージャーはまた始まっているオペラの打ち合わせに消えていき、こちらは毎週月曜日の恒例行事となってしまっている、応募して来てくれているインターンのポートフォリトとCVをチェックし、どの国のどの学校のどの学年で、どのレベルの学生が精査し、現在進行中のプロジェクトのスケジュールと、彼らが来れる時期を考慮し、現在いるインターンとこれから来るインターンの男女比や国籍比などを考慮して、返事を送る数人をオフィスのマネージャーと一緒になってピックアップしていく。

それが終わると日本で始まった保育所兼住宅の設計のために、中国で進行するような大きなディベロッパーがやる大規模のプロジェクトではなく、数百平米で内装まですべてを手がけて、法規的な理解も必要になってくるので、元フォスター事務所で細かいところまで手の届くドイツ人のスタッフを担当にして、日本人のインターンを翻訳担当として入れて、もう一人ハンガリーからのインターンと一緒にチームを組んで、プロジェクトの概要を説明し、最初のリサーチと設計の前段階になる資料の準備をお願いする。

このくらいの時間になると、午前に打ち合わせをした各プロジェクトごとにテーブルを回って、進行を確認し、方向性に間違いが無いか確認していく。スケッチや言葉ではどうしても逸脱していってしまう方向性を画面を指差しながら修正してもらう。各チームは3-7人構成なので、それを5-7プロジェクト見ていたらそれこそ数時間後とに様々なデスクを走り回ることになる。

それが終わると、今度はオペラハウスの外装材とランドスケープデザインに関して、二人のパートナーと一緒にプロジェクト・アーキテクトとマネージャー、そしてファサードを担当している担当者を交えて議論をする。どうしても、中国の現在の施工精度を考慮して、その現場施行性の悪さすら飲み込んで、滑らかなファサードを実現するディテールを作り出そうと、何が一番いい方法かそれこそ言い争うように必死に議論する。

最後は8時からまた二人のパートナーと一緒に、昨日レビューをした南京のプロジェクトの進行状況を再度確認し、デザインの方向性をまた決めていく。明後日の上海でのプレゼンのために、どういう資料を揃えていくか議論し、再度打ち合わせを踏まえてチームメンバーと誰が具体的に何を作っていくのか話し合い、それが終わったらほぼ10時前。

こんな時間の過ごし方をした一日は、「どのプロジェクトのどのコンサルタントに連絡しようと思っていたのか?」すら分からなくなり、「どのプロジェクトのどのことを話し合って、何を変えなければいけないのか?」それすら分からなくなる。

苦しいといっても何も解決されないわけだから、ただただ出来るのは、自分の能力が足りないからだと自らに言い聞かせる。さっさっと指示して、みんなにスムースに動いてもらって、正確に無駄なく、良い設計を作っていける。そんな一個の生命体の用に事務所が動いていけるように何をできるか、考えながら完全に神経のゴムを伸びきらせて、また頭を働かせながら自転車を飛ばして家路に着く。

2012年10月9日火曜日

ハガネの雨


午前5:30。

いつもより一時間ほど早めにセットされたアラームで目が覚めた脳は、いつもと違うパターンに一瞬何がどうなっているのか、ここがどこなのか分からなくなるようで、今日は朝一の便でハルビンに出張だと理解するまでに数秒かかることとなる。

進めているオペラハウスの仕事で、空調やら音響やらと問題が山積している細かい部分を、それぞれの担当者を集めて現地にて打ち合わせをするというので、担当の中国人マネージャーと二人でハルビンに向かう。

妻を起こさないようにと家を抜け出し、秋の冷え込みを肌に感じるようになってきた早朝の市内を抜け到着する空港で、一緒に北京から向かう内装会社の担当者と、施工図を担当する日本のスーパーゼネコンに相当するBIADの担当者と合流し、2時間のフライトで少しでも睡眠を確保しながら早くも冬を感じる北の街・ハルビン到着。

先日大きなニュースとして報道されていた崩落した橋の横を通り、クライアントのオフィスで各施工会社の担当者や音響の担当者なども合流して打ち合わせの開始。


オーディトリアム上部のキャットウォークの構造の状況と、それが現状の意匠と問題が無いかどうか。そして照明コンサルから十分なスペースと効果的な角度が確保できているかの確認など、それぞれの担当者がどんどん意見を出し合って誰が何をいつまでにするかを決めていく。

誰も外国人がいるからといって会話のスピードを緩めたり、わざわざ英語で言ってくれる訳も無いので、必死に耳を傾けながらポイントをつかみつつ意見を発していく。

それが終わると、今度はオペラハウスとして致命的な音響の問題に関して、新たに分かってきた問題点をどう解決するかを議論する。問題を見つけるのと、問題を解決する。その二つの相反する能力が建築家に必要な能力の中で大きな位置を占めるのだと改めて感じながら、また必死に耳を働かせる。

そんなこんなであっという間に昼になり、地方政府であるクライアントの事務所だけに、上の階の食堂で給食の様にみんなで一緒に食事を取り、その後は各座席からの視界の問題など、実際に作りながら見えてきた問題を解決する為に車で現場に向かう。

馴染みになっているクライアントの主任と一緒に車に乗り、建築物に辿り着くまでの敷地自体に渡る橋の現場にまずは到着し、一部完成したモックアップを見ながら具体的な寸法の調整を議論し、数日中に問題を解決する新しい案を送ることを約束する。

コンクリートの構造体に対して、がっちりと殻を被せるような鉄骨造の構造体が絡み合い、徐々に新たなる地形が生まれるように建築の姿が見え始めている現場で、それぞれの空間で見えてきた問題を話し合うのだが、内部を歩く間にどこからともなく、

「パチパチ」

と、天井を雨が叩くような音が聞こえてくる。

暗くなり始めた空の為に、夕立が襲ってきたのか?と空を見えげるが、雨の様子は見られない。よくよく見てみると、巨大な鉄骨増の接合部に張り付き、梁と接合部を溶接で繋ぐ作業員の手元で光る溶接の火花とそこから弾け、下に落ちていく小さな火花を見つける。そんな風景があちらこちらで見かけられ、それぞれに「バチバチ」、「パチパチ」なんてやっているので、全体としてはステレオで雨が降ってきているかのような音になる。

そんなハガネの雨音を聞きながら、今は内部も外部も無いこの建築化以前の構築物が、内部を持ち、建築となった時に、自分がどんな想いを感じるのか、今から楽しみだと心を弾ませる。







2012年9月5日水曜日

20分

夜の19時過ぎ。やっと自分のデスクに座ることができた。

かと思ったら、修正部分についての打ち合わせをしようとアモイで進めているプロジェクトの担当者がやってくる。そうだった・・・と思いながら、再度気を奮わせて打ち合わせに。

20時過ぎに打ち合わせを終えて振り返ると、結局今日一日自分のデスクでモニターを前に過ごしたのは20分足らずだったと驚き、そんな日は脳への負担も大きいはずだと、帰り道には十分気をつけようと自転車を飛ばす。

ハルビンで進めているオペラハウス。

建築家としての一生でオペラハウスを設計する機会があるというのは、実に稀であり、またとても幸せなことだと思う。ロンドンで働いていたザハ・ハディド事務所にとっても、オペラハウスはカーディフからの念願で、やっと中国・広州にて実現した思いの強いビルディング・タイプである。

オペラという視覚と音響の芸術だけあって、建築に求められるのは美しさとともに、素晴らしい音響空間を作り出す楽器としての要素。

朝の9時から施主、施工図担当の設計院、内装設計会社、アコースティック・コンサルタント、舞台音響のコンサルタント、舞台音響の専門家達経ちがオフィスに集まり、現状の音響設計の説明と、建築意匠の説明を踏まえて、如何に世界で一番の音響空間を作れるか、舞台音響の専門家達がそれぞれに意見を出し合う。

新彊のあのホールは低予算だったけど、音響空間はあれあれ、これこれでよくできているなどや、719やyamahaがどうのなどの専門用語が飛び交う中を、想像力でピースを埋めながら話についていき、とにかく舞台音響コンサルが一番ベストな設備情報をこちらに提供することで会議が終了。

既にお昼時で専門家達は施主達とともにランチに行くが、こちらはサンドイッチを頬張りながら午前中に溜まったメールの処理をする。

内装設計会社の担当者と、舞台音響のコンサルタント、アコースティック・コンサルタントに残ってもらい、具体的なスピーカーの処理の仕方、大きさ、向き、角度などを準備してあったファイルを元に一つ一つ質問し、それぞれにとって一番良い解決法を議論する。

舞台音響にとっては、でかい穴を壁に開けて、どんな風にでもスピーカーの角度を変えれるようにしておくのが、それはそれはベストとなるだろうが、できるだけ建築側のデザインを踏襲しながら、かつ1600あるどの席にも主なスピーカーから直線で音が届く事が必要で、さらにそのエリアをカバーするスピーカーが必要となってきたりと、大空間に大人数が一つの劇を音の到着するまでの時差を考慮しながらもベストの状態の音環境を作り出すには、それこそコンマ何秒を追いかけながら、見えないものを設計することが必要となる。

施主とのランチで思わぬ量のビールを飲んだからなのか、それとも毎日大音量のスピーカーに囲まれているからなのか、あきらかに自分の声量のコントロールのタガが外れ、こちらの鼓膜を痛めるような声量で話続ける舞台音響のコンサルタントにちょっと黙っててもらい、現状のデザインをもとにした設計からの質問および調整事項を説明し、それに沿って舞台音響の提案をやり直してもらうことにする。

打ち合わせが終了し、更にあがってしまった声のボリュームの舞台音響のコンサルタントから逃げるように、今度は外装材のアルミパネルを最適化してくれているBIM・コンサルタントとの打ち合わせに。

そのコンサルは、Gehry Technologies通称GT。

ゲーリーはもちろんFrank Gehry(フランク・ゲーリー)からきている。3次元曲面を多用するゲーリーの建築を解析するべく奮闘していたリサーチ・チームから発展し、世界的に広がった自由曲面の建築を解析し、最適化して建築材に落とし込むことに特化した別会社として立ち上げられた BIM・ コンサル。

このオペラハウスもその複雑な外形を最適に解くために、GTの手助けを借りているのだが、それでもなかなか進まないオプティマイゼーション(最適化)の為、担当者チーム3人をこちらのオフィスに送ってもらい、一週間の駐在としてもらって一気に作業を進めるようにしているので、その進行状況をチェックする打ち合わせが毎日行われる。

コンピューター上に存在する複雑な3次曲面を現実の世界に存在する建築を構築する一部材とするために、様々な要素を考慮しながらも一番デザインをより良くするであろう方法で分割線を決定していく。

中国での施工レベルと、3次曲面の現場での施工性、如何に誤差を目立たなくすることができるか、どうやったら全体のデザインコンセプトとかち合わないか、オランダ人のプロジェクト・アーキテクトと中国人のプロジェクト・マネージャーがそれぞれの意見をぶつけ合わせ、ほとんど喧嘩の様になってくる。

どれが一番ふさわしい方法かと必死に頭を捻りながら、言い合う二人の姿を見て、そこまで熱くなるほど、少しでもこのオペラハウスを良くしようと夢中になっている証拠だなと、なんだかハッとさせられる。

とりあえず意見を取りまとめ、考えられる方法を3つほど試して明日再度確認することにして、今度は構造材から防水層、断熱材、サブストラクチャーを考慮した700mmのセットバックが最新の構造模型を入れていくと、ところどころで問題があるということをGTが見つけ出し、どう処理するかの打ち合わせに。

クラディング、壁、床。それぞれの部分でどこが問題か3次元ですべて確認し、それぞれ施工図から断面、平面を確認し、担当構造コンサルに確認し、ファサード・コンサルタントに確認する。納まりの変更で対応できるのか、それとも外装の形状を変えなければいけないのか、またしても喧々諤々の議論になり、いくつかは構造とファサードのコンサルと踏まえてでないと結論が出せないとのことで、急遽明日の打ち合わせを打診して、GTが駐在できる今週中に目処をつけれるように段取りをする。

議論のほとんどが中国語で行われ、時々分からない言葉は隣でオランダ人のプロジェクト・アーキテクトに通訳をしている中国人スタッフの言葉を右耳で聴きながら全体を補い、それで中国語で質問や議論はしなければいけないので、かなりの集中力を要求され右脳も左脳もごっちゃになって打ち合わせが終わるたびにクタクタになる。

やっと戻ってこれた自分のデスクで溜まったメールにがっくりとうな垂れていると、アモイで進めているプロジェクトの担当者が呼びに来てくれ、気合をいれてクライアントのトンでもない要求により提出したSDも、掘り出した現場も関係なく変更を余儀なくされたデザインの更なる修正と、金曜日に迫ったこちらの構造コンサルのARUPに渡す基本平面図について話し合う。

どうやったって放り投げることはできない中で、如何に楽にできるかを考えると、それはできだけの自分自身の時間と効率のオプティマイゼーションしかなくて、その為にも少しでも早く完璧な中国語がかかせないなと思いながら、家に帰ってからの中国語の宿題に頭を切り替え、語学は右脳か?それとも左脳かと考えながら月の照らす夜道を飛ばす。