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2015年2月20日金曜日

竹林寺(ちくりんじ) 724 ★★★


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所在地 高知県高知市五台山
山号  五台山
宗派  真言宗智山派
創建  724
開基  行基
別称  竹林密寺
機能  寺社
庭園形式 池泉観賞式庭園
作庭年代 南北朝時代
作庭  夢窓疎石
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高知に来たら間違いなく訪れる場所にあげられるであろうお寺がこの竹林寺(ちくりんじ)。この寺院を語るのにはいくつかの側面があるが、まずは何といっても、四国と言えばのお遍路さんで立ち寄ることになる四国八十八ヶ所の一つということ。

その名の通りに八十八ヶ所であるのだから、それを四国にある4つの旧国、今の県で割れば当たり前の様に各国22箇所となるのだろうと思うがそうは甘くない。

阿波国(徳島県)の24
土佐国(高知県)の15
伊予国(愛媛県)の26
讃岐国(香川県)の23

となり、この高知の前身である土佐にあるのは15の霊場で、平均よりも少ないこととなる。その分他の国は平均の22よりも少しずつ多くなっている。そんな訳でこの広い高知に15の寺院となり、その中でも高知市に位置する4つの寺院の中で一番観光地として知られているのがこの寺院ということである。

その住所にもなっている山号の五台山は、中国の山西省にある霊山である五台山に由来を持つ。それは聖武天皇(在位724〜49)がその中国の五台山を登り文殊菩薩に拝したことを夢で見る。そのために開基とされる行基に命じて、五台山に似た山を見つけさせ、この地を探し出し自ら文殊菩薩像を彫り安置することにする。その後弘法大師・空海がこの地に滞在したことから、そのゆかりの寺院であるとして八十八ヶ所に名を連ねることになる。

そして今回の訪問の一つの原因となったのは、この寺院内に作られた庭園。数年前から体系立ててみて回ることにしている庭園であるが、その歴史の中でもマスターとして常にあがる数々の名前。

重森三玲、小川治兵衛、中根金作、小堀遠州、石川丈山、雪舟、そして夢窓疎石(むそうそせき)。

鎌倉時代後期に生きた禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)。時に夢窓国師とも呼ばれる彼がこの寺院に滞在し、その時に作庭したといわれる庭園があるという。日本庭園と言われるものの中でも、現在見られるものの中で最も古い時期にあたるのがこの鎌倉後期から室町前期に作られた庭園。その時代のマスターがこの夢窓疎石という訳である。

つまり700年以上も前にこの場に自然の力を美に昇華させようとした我々の先祖の価値観を見ることができる空間である。そんな訳でもちろん「日本の庭園100選」にも選出されており、多くの観光客が訪れる名勝となっている。

4つ目にあげられるこの寺院の特記事項は、その鎮座する五台山は標高145mで、山全体が県立公園として指定されており、豊かな自然が保護されている。そして寺のすぐ横には、高知と言えばといって名前が挙がる5人には入ると思われる植物博士の牧野富太郎の記念館が県立牧野植物園の中に建てられており、県を上げての文化・観光拠点としてのそのロケーション。

そして5つ目にあげられるのは、これはかなり建築的な観点であるが、2013年に完成したこの竹林寺の新しい納骨堂の設計が、建築家の堀部安嗣によって行われたことからも、和モダンな作風がどうやって歴史の中に溶け込んでいるのかを見るのもまた大きな楽しみである。

そんな訳でこの旅の中で間違いなく訪れる場所としてリストアップしていたこの寺院。一方通行でかなり急勾配な道を進み、高台に開けた公共の駐車場に車を停めると、どこが寺の入り口が分かりにくいために、売店の人に聞いて向かっていくのは寺の裏入り口。その脇にすぐに庭園入り口があり、入館料を払って中へと進む。

鎌倉という武士の時代に生きた禅僧らしいそのゴツゴツとした夢窓疎石の作風。室町や江戸の時代に作られた優雅さを感じさせる調和よりも、自然に厳しさに晒されながらも、それでも理想の世界を投影しているという無骨さが現れている。

その後境内を参拝し、寺院の人に聞いて見つけた納骨堂。しっかりと手を合わせ、死者の世界との境目をつかさどるその建築が、この世の大地からフッと浮かされているのを見ると、やはり菊竹清訓の「徳雲寺納骨堂」の階段を思い出さずにいられない。

寺院があって、庭園があって、見るべき現代建築もある。事前には情報過多で、あまり理解できていなかったが、実際に訪れてみてそのロケーションの特異さと、この場所がこの地域で神聖化されてきたのが良く理解でき、恐らく何百年と過ぎた後も、それは変わらないのだろうと思いながら次の牧野富太郎記念館へと足を進める。












































横倉山自然の森博物館 安藤忠雄 1997 ★★★


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所在地  高知県高岡郡越知町
設計   安藤忠雄
竣工   1997
機能   博物館
規模   地上3階
構造   RC造
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朝一番から「海のギャラリー」にて建築の素晴らしさに触れ、今日一日の建築巡礼の幸先の良さを思いながら、滞在数時間となった高知の最南端から北上して向かうのは、高知中部に位置する横倉山。目指したのは高知県内ならどこに行ってもこの名前に出くわすのでは?と思われる牧野富太郎のこの横倉山での業績を記念した博物館。

それほど知られている建築ではないようで、ナビに目的地として入れても上手いこと辿りつけずに移設に電話して、細い山道を入っていく行き方を聞き、山の中腹に突然ポッカリと姿を現す建物に到着する。

「日本の植物学の父」と呼ばれる牧野富太郎は高知県出身の植物学者。江戸後期から昭和まで生き抜いた博士は発見した新種の植物も多数にのぼり、豊かな自然の中を歩きまわり人生を過ごした人物である。

設計はあの安藤忠雄氏。1941年生まれということなので、主要作品をその年齢と重ねてみると

1976年(35歳) 住吉の長屋
1983年(42歳) 六甲の集合住宅Ⅰ
1984年(43歳) TIME'S
1986年(45歳) 風の教会(六甲の教会)
1988年(47歳) 水の教会
1989年(48歳) 光の教会
1989年(48歳) コレッツィオーネ
1991年(50歳) 本福寺水御堂
1992年(51歳) ベネッセハウス ミュージアム
1994年(53歳) 大阪府立近つ飛鳥博物館
1994年(53歳) 京都府立陶板名画の庭
1997年(56歳) 横倉山自然の森博物館
2000年(59歳) 淡路夢舞台
2001年(60歳) 大阪府立狭山池博物館
2001年(60歳) 司馬遼太郎記念館
2002年(61歳) 国際子ども図書館
2004年(63歳) 地中美術館
2004年(63歳) 県立ぐんま昆虫の森
2006年(65歳) 表参道ヒルズ
2008年(67歳) 東京大学大学院情報学環 福武ホール
2008年(67歳) JR竜王駅
2008年(67歳) 東京地下鉄副都心線・東京急行電鉄東横線渋谷駅
2009年(68歳) プンタ・デラ・ドガーナ再生計画

となり、中期の作品の一つだと見て取れる。

駐車場の脇に建っているトイレに入ると、何気ないところであるが、天井の脇にトップライトが設けられ気持ちの良い自然光が降り注ぐ。そんな安藤建築らしい導入を経て建物本体にアプローチする。

山に囲まれているためか、これといってメインになるファサードは見当たらず、長い壁に設けられたスロープを上っていく。徐々に周囲の木の枝の高さになったころに壁の一番先までたどり着き、壁に沿って折り返す。浮遊感を演出するような手すりのディテールと、徐々に上がる視線から山の裾野に広がる街の様子が見えてくる。

右手に設けられた開口部から先ほど登ってきたスロープの上から覗くような形になり、左手には二階部分からアプローチする形の建築と、その下に広がる水盤の関係性をちらりと見ながら到着する円筒形のエントランス。円が矩形にぶつかるところは全てスリットが設けられ、ここから取り込まれる光が後ほど内部に場所性を与えてくれることを理解する。

基本的な幾何学を自然の地形の中にそっと置きながら建築がなかった時には気がつくことのなかった自然の美しさ、風景の切り取り方を作り出し、豊かな場を作り出しながら、同時に自然との関係性を作り出す建築の素晴らしさを学ぶことができる安藤建築の教科書の様な空間。

水盤、スロープ、大階段、薄い手すり、コンクリート打ちっぱなしと木仕上げの内部空間、スリットど取り込まれる自然光、梁のフレームで切り取られる風景など、安藤建築の常套句が見事に使いこなされて余裕を感じる設計。事務所にも十分にノウハウが蓄積された時期に設計された作品なのだろうと勝手な想像を広げながらも牧野富太郎も愛した雄大な自然の姿を楽しむこととする。