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2015年10月7日水曜日

東京芸術劇場 芦原義信 1990 ★★★


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所在地  東京都豊島区西池袋
設計   芦原義信
竣工   1990
機能   劇場(841席/300席)、コンサートホール(1,999席)
延床面積 49,739
規模   地下4階、地上10階
構造   SRC造(一部S造)
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今回は進めているコンサートホールの設計の為に、音響設計を担当していただいている世界的音響設計者である豊田泰久さんと、以前設計された東京の幾つかのコンサートホールを実際一緒に見学し、各部の設計がどの様になって、どの様に使われているのか理解するために訪れることとなる。

その一つの目的地が池袋に位置する芦原義信(あしはらよしのぶ)設計による東京芸術劇場。まずはその設計者について。建築に関わる人であれば、その設計よりもむしろ著書の「街並みの美学」が思い浮かぶであろう建築家。1918年生まれで、坂倉準三の事務所で働いた後アメリカに渡り、近代建築の先進国であったアメリカの地にてハーバード大学で修士を取得し、マルセル・ブロイヤーの事務所で働き、帰国後自らの事務所を開設し、武蔵野美術大学、東京大学で教鞭をとり、特に「景観」という観点から多くの名著を残した建築家である。

作品
1959年 日光ユースホステル(41歳)
1964年 オリンピック駒沢体育館・管制塔(46歳)
1964年 武蔵野美術大学 アトリエ棟など(東京都小平市)(46歳)
1964年 秀和青山レジデンス(東京都渋谷区)
1966年 ソニービル(48歳)
1967年 モントリオール万国博覧会・日本館(49歳)
1969年 富士フイルム旧東京本社ビル(51歳)
1980年 国立歴史民俗博物館(62歳)
1982年 金沢市文化ホール(金沢市)(64歳)
1990年 更埴文化会館(長野県千曲市)
1990年 東京芸術劇場(豊島区西池袋)(72歳)
1991年 岡山シンフォニーホール(岡山市)(73歳)

著作
1962年 外部空間の構成/建築から都市へ(彰国社)(43歳)
1975年 外部空間の設計(彰国社)(57歳)
1986年 隠れた秩序(中央公論社)(68歳)

こうして見ると、この東京芸術劇場はキャリアのかなり後期、70歳前後にて設計が進んでいたこととなり、建築家としてのキャリアの集大成に当たるものであるといえるであろう。こうして建築を訪れることを契機に、その建築家の作品を改めて調べ、プラスその建築作品を改めて自らの地図へとマッピングすることで、次の訪問へと線を繋いでいくことは、建築家の思考の過程を自らの身体へと取り込むことにも繋がる。

さてこの「芸術劇場」、先日訪れた「水戸芸術館」と非常に似た背景を持ち、共に専用のコンサートホールと劇場を持ち、展示空間も抱える複合施設。完成したのも同じ1990年ということで、計画が進んだのはバブル景気が弾け飛ぶ前夜ということも同じ。

そして共に永田音響設計がコンサートホールの音響設計を担当したというのも同じで、その二つの施設がこうして時代が変わった現代の日本にて、文化の場として都市の生活の一部となっているのを目撃するのもなんとも建築の命の長さを感じずにいられない。

さて、そんな似た背景からという訳ではないだろうが、水戸の設計者である磯崎新はかつて新聞に「東京には5つの文化施設という粗大ゴミができた」となんともセンセーショナルな言葉を発している。その一部だけを取り上げて、それが勝手に一人歩きし、様々なところで誤解を生じさせているようであるが、その5つとは、

東京芸術劇場 1990(芦原義信)
東京都新庁舎 1990(丹下健三)
江戸東京博物館 1993(菊竹清訓)
東京都現代美術館 1995(柳澤孝彦)
東京国際フォーラム 1996(ラファエル・ヴィニオリ)

であり、1931年生まれの磯崎新が一つ上の世代の芦原義信や師である丹下健三の作品に対しての発言と言うことでかなり注目を浴びたようであるが、その意図はこれらはすべて行政主導の公共建築であり、その建築の機能が都市の中においてどの場所に位置するか、それが今後の東京の発展を見据えて的確であるかどうか?という行政への提言であると言える。

池袋(豊島区)の東京芸術劇場
西新宿(新宿区)の東京都新庁舎
両国(墨田区)の江戸東京博物館
清澄白河(江東区)の東京都現代美術館
丸の内(千代田区)の東京国際フォーラム

これらが建てられた1990年初頭からすでに四半世紀が経った今、改めてそれを俯瞰して見ると、ヨーロッパの都市の様に、文化施設の中心がある程度はっきりし、どこに行けばよいのかが分かる都市計画とは違って、上記の様に23区にある程度ばらつきを持って散らばっているが、その後完成した大江戸線などによって比較的アクセスも確保されているという印象である。

その中でも両国(墨田区)の江戸東京博物館と清澄白河(江東区)の東京都現代美術館はやはり少々アクセスに問題があり、そのために一般的な知名度もそれほど高くはないのではと思わざるを得ない。

それに比べたらのこの池袋(豊島区)の東京芸術劇場はすっかり池袋の西口の顔となり、「池袋ウエストゲートパーク(IWGP)」というテレビドラマが物語る様に、完全に都市の一景観を作り出したと言ってよいであろう。それほど、池袋の西口はこの芸術劇場を無くしては語れないのではないだろうか。

それはともかく、建築を見ていくと東京都主導による「東京ルネッサンス事業」の一環として、世界に東京の文化を発信する場として優れた舞台芸術を都市に提供するようにと企画されたという。「東京ルネッサンス事業」という計画がその後どうなっているのか・・・と調べてみても、どうやらあまり情報は無いようである・・・

機能を見ていくと、この過密な都市の中心部の限られた敷地の中に、2000席近いコンサートホールに、800席を越す劇場ホール、そして300席のシアターとかなり厳しい条件の中、加えて地下には地下鉄が走っており、その騒音と振動は繊細な音を聴き取る空間であるコンサートホールにとっては大敵であり、強力な境界線を作り出して遮断するか、それともできるだけ距離を稼いで影響を薄めるかのどちらかの選択から、高さ方向に距離を稼ぐために最上部にコンサートホールを持ってくるというかなりアクロバティックな手法がとられたという。

地上階部分は多くの人が恐らく建築の一部だとは気づかずに通り過ぎていると思われる天井の高いガラスのアトリウム空間がエントランスホールと機能しており、この空間が地下で池袋駅と直結し、地上部には様々な商業施設などが入り込み、そこから巨大なエスカレーターによって各階にアクセスするようになっている。

この巨大なアトリウムを都市に解放することと、巨大なエスカレーターによって各機能が位置する階に直接アクセスできることで、大多数の人が利用する巨大な文化施設が地上面に近い階に位置していないという不都合をなんとか解消しているようである。

クライアントと一緒に後部の搬入口から入らせていただき、劇場の方の説明を聞きながら各空間を巡っていく。メインのコンサートホールは2000席近いボリュームを持ちながらも、素晴らしい音響が確保されており、プラス各席からのサイトラインも十分に保たれている様子である。しかし当時の日本では一体いくつのパイプオルガンが設置されたのだろうと思うほど、このホールも前後二つのパイプオルガンが設計されており、用途によって回転させて使っているという。

トイレやコントロールルームを一つ一つ確認し、色々な場所の席に座って音響とサイトラインを確認していきながら、少しずつ設計段階の建築家の思考を追っていく。

現在の東京において、現在進行形で作られているコンサートホールはほとんど存在せず、すでに十分に作りきられてしまっているのを見ても、コンサートホールと言う公共建築を設計する機会はそれほど貴重である。ゆえに、一つの都市や一つの国だけの経験に終わらせず、人類の音楽文化に対する経験とその英知を少しでも未来に向けて紡げるように、少しでも多くのことをこのホールから吸収し、現在設計しているホールの設計に反映できるようにと、舞台に向けて視線を正すことにする。









2015年10月6日火曜日

水戸芸術館 磯崎新 1990 ★★


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所在地  茨城県水戸市五軒町
設計   磯崎新
竣工   1990
機能   美術館、コンサートホール、劇場
規模   地上4階、地下2階
構造   SRC造・RC造(塔本体のみS造)
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東日本大震災後、引き続く余震の度にテレビの地震速報でグラグラと揺れている映像を見て、「大丈夫か、あのタワー?」と知名度を上げた感のあるこの水戸芸術館。水戸市100周年事業として市長の鶴の一声で「予算100億、タワーの高さも100m」と音楽、美術、舞台と言った文化を使って市の活性化をしようという壮大なプロジェクトである。

1990年と言えば、1991年に弾けたとされるバブル景気の真っ最中に計画が立ち上がり進行していたということになり、当時日本全国の自治体による様々な町おこしブームの一環として起こったものの中で、明確に「文化」を軸にし、現代にもしっかりと都市に根付いているのを見ると、その先見の明があったことを物語る。

そしてもう一つ先見の明があったと言わざるを得ないのは、当時どこでも「多目的ホール」という音楽の演奏も聴くことができ、演劇も見れ、更に大きな会議にも使えるという多用途に対応できるフレキシブルなホールがあちこちに生まれた。しかしこの芸術館では、計画当初から美術・音楽・演劇の各部門に「芸術監督」なる外部のスペシャリストを招聘し、建築家と協議しながら設計に反映したというプロセスを経て、多機能に重ね合わせるものではなく、あくまでも三つの機能を独立させ、それぞれの機能に特化した空間を作り出すという方法を取ったこと。

その為に、コンサートホールでは音楽を楽しむための音響に特化した設計に、美術館では自然光を取り入れ、様々なタイプの展示に対応できる長さのある展示空間に、演劇では舞台を取り囲むように360度に配置された客席によって観客と演者の距離を近づけ、「見る/見られる」の関係から一体に演劇を楽しむ空間に設計を押し上げることになる。

それらの三つの文化機能が複合され、全体として芸術館という一見分かりにくい名前が冠されているわけである。

そして敷地脇にはシンボルとなる高さ100mのアートタワーが設置され、これはエレベーターにて上部の展望台にアクセスできる設計となっている。東日本大震災でもぐらぐらと揺れながらも、決して倒壊することなくその構造設計の正しさを証明することとなる。

建築の設計を担当したのは磯崎新。再度そのキャリアを見ていくと、そのキャリアの中期の作品に当たり、同県のつくばセンタービルから7年を経て、また茨城の地にて重要な建築を手がけることになったということである。

1960年 大分医師会館 (29歳)現存せず
1966年 大分県立大分図書館(現アートプラザ) (35歳)
1966年 福岡相互銀行大分支店 現存せず
1970年 日本万国博覧会・お祭り広場の諸装置 (39歳)
1972年 福岡相互銀行本店(現西日本シティ銀行本店) (41歳)
1974年 群馬県立近代美術館
1974年 北九州市立美術館
1974年 北九州市立中央図書館
1983年 つくばセンタービル  (52歳)
1985年 ザ・パラディアム
1986年 新都庁舎コンペ案
1986年 ロサンゼルス現代美術館(アメリカ)
1987年 お茶の水スクエアA館(カザルスホール)
1987年 北九州市立美術館アネックス
1988年 東京グローブ座
1990年 水戸芸術館 (59歳)
1995年 京都コンサートホール
1998年 秋吉台国際芸術村
1998年 なら100年会館
2007年 イソザキ・アテア(ビルバオ、スペイン)
2008年 深圳文化中心
2008年 中央美術学院美術館
2011年 ヒマラヤ芸術センター (80歳)
2014年 上海交響楽団コンサートホール(中国)


最近設計を進めているコンサートホールのプロジェクトのため、日常的に様々なコンサートホールを訪れたり、図面を見たりしては、その肝である音響設計を理解しようと、すっかりコンサートホール漬けの日々を送っている。

そしてこの水戸芸術館でも、日本が世界に誇る音響設計のスペシャリストである、永田音響によって音響設計が行われ、2014年に同じく磯崎新設計によって完成した上海交響楽団コンサートホールまで、建築家と音響設計者とのコラボレーションは長く続くことになる重要な一作。

コンサートホールを見ると680席という中規模のホールで、この水戸という都市には適したサイズのホールとなっている。舞台を6角形にし、舞台の後ろにも客席を置き、前方は3方向へと座席が広がるタイプであり、舞台と客席の一体感を作り出す配置となっている。

本来コンサートホールにあるべきパイプオルガンが、この建物ではエントランスホールの上空に設置され、背の高いホールの空間を時に音楽イベントでも利用するという意図で設計されたという。

タワー、パイプオルガン、劇場、コンサートホール、美術館。そして併設されるレストランなどのサービス機能を考えると、一体どれだけの機能を合わせ制御しなければいけなかったのかと、その設計過程を想像すると少々頭が痛くなる。

それを100億という予算で行ったと言うのであれば、恐らく行政としては十分にもとの取れる投資であったのではと勝手な想像を膨らませる。

市街地活性化の為に行われたプロジェクトではあるが、まさか竣工後すぐにバブル景気が吹き飛ぶとは誰も想像しなかったであろうが、それでも完成からすでに25年。四半世紀を経てもしっかりとこの都市で重要な場所となっている姿を感じ取り、次の目的地へと向かうことにする。






















2015年3月7日土曜日

フィルハーモニー・ドゥ・パリ(Philharmonie de Paris) ジャン・ヌーベル 2015 ★★


オフィスで進めるコンサート・ホールのプロジェクトの参考にと足を伸ばしたのがこのジャン・ヌーベル設計によるフィルハーモニー・ドゥ・パリ(Philharmonie de Paris)。

10年以上も前にデザインは決定しており工事が始まったのが2006年。その間に当初予定よりも費用がかかりすぎてしまい、建築家と発注者であるパリ市との間でデザイン変更に非常に激しいバトルが繰り返されたことで有名な建築である。

とにかく建物を完成させたいパリ市と、VE設計によってチープにさせられているデザインに対して、「すでに自分が設計した建物ではないので、完成後に自分の名前を冠するのは許さない」と鼻息荒く抗議する建築家。

そんな話を頭に入れて建物を訪れると、建物の至る所に「なるほどなぁ」と思える箇所を発見する。外装工事は前面からのアプローチから見えるところはなんとか終わっているが、少し脇に回ると手付かずのまま下地がむき出しにされた箇所をいくつも発見する。ファサードがどうつくられているのか、下地の施工を知るために喜んでみるのは建築関係者くらいで、一般の人にはどう考えてもいい印象は与えないだろう。

内部に入ると、「お金を稼がなきゃ」という意図なのか「デヴィッド・ボウイ」の展覧会を開催しているらしく、多くの人が列を作っている。その脇を通って奥のトイレに行くと、その脇には資金不足の為か手作りのゴミ箱が・・・日本では決して見かけることの無い風景だと、その涙ぐましい姿に少なくない感動を感じて外にでる。

コンサートホールと言う音楽専門の空間の設計に関わると、目に見えない音響設計の重要さを理解することになる。そしてこれだけ多くのコンサートホールが生み出され、それに関わる多くのコンサルタントがいるにも関わらず、設計の世界でスペシャリストとして名前があがるのは一人の日本人と一人のスペイン人。

そのうちの一人である日本の永田音響設計の豊田泰久さんが音響設計をしたというこのフィルハーモニー・ドゥ・パリ。なんといってもゲーリーのディズニーホールの音響設計でも知られる氏は、現在では世界中で多くの建築家と音楽空間の設計に携わっている。

その為にもぜひともここで実際にオーケストラの音を聴いてみたいと願っていたが、今回は時間の関係で実現できず、次回の機会に期待することにする。

建物をでると、すぐ脇に印象的な赤いフォリーが見えてくる。建築を学んだ者にとっては、それが歴史的なラ・ヴィレット公園のコンペを勝ち取ってベルナール・チュミが「フォリー」をグリッド状に散りばめて、「イベント」を喚起するという手法で、治安の悪いこの19区を、人々が憩いの場として集う都市公園へと変貌したのはすでに30年近く前。学生時代に訪れた風景と比べると、すっかり都市の日常の一部になったのを感じる。

2015年1月に発生したシャルリー・エブド襲撃事件の影響で、まだまだ街中には緊張感が張り詰めているのかと思っていたが、どうやら市民の人はテロに負けることなく、しっかりと日常生活を楽しんでいるようだと感じながら、そろそろホテルへと戻ることにする。