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2016年2月13日土曜日

最終便のリスク

大分から東京へと戻るために大分空港に向かっていると、徐々に霧が濃くなりほとんど視界が無くなっていく。雨や雷などの問題は無いようであるが、これだけ濃い霧だと、思うように運転もままならない。そうなると飛行機は無事に発着するだろうか・・・と心配して空港に到着すると、案の定到着ができない状況で、最終便が出るかどうかも分からないという。

調べてみるとこの濃霧による欠航などの問題は、海に張り出す形となっている海上空港の宿命であるようであるが、そう考えるとこれだけ「移動」が激化する現代においては、「最終便」で移動することのリスクの大きさを改めて感じることになる。

空港スタッフに日常をこの場所で過ごす人間としてどうなりそうかという感触を教えてもらおうとするが、「天気のことのなので、なんとも・・・」と言葉を濁すばかりで、欠航となった場合に近くのホテルを紹介したり送迎したりという対処があるのかと聞いても、どうやらそんなことは無いらしく、調べてみてもどうにも近くに宿泊できそうな施設は無く、欠航となったら大分市内までどうにかして戻らなければいけないことになりそうだと、ジリジリするような気持ちで待つことに。

地元の人ならば慣れている状況で、それほど焦りもしないことなのかもしれないが、一生のうちに何度かこの空港を利用するというほとんどの人にとっては、これはなかなか予想しがたい事態であり、明日の予定の調整も考えつつひたすら待っていると、1時間ほど遅れながらもなんとか無事に飛行機が到着し、そして飛び立てそうだということに。

近年の不安定化する世界の気候を見ていると、今後はより一層天候により移動にもたらされるリスクは増加するばかりであり、その中で最終便という後の無い選択肢はできるだけ避けておいたほうが良さそうだと思いながらつかの間の眠りに落ちることにする。

2015年12月20日日曜日

自由と選択

40歳を目の前にして思う。孔子の曰う様に「四十にして惑わず」などということはやはり難しいものであると。

人にはやはり物事の向き不向きというものがあり、ある性格の人にはある一定の仕事や業種が非常に向いているということもあるだろう。また同時に、自分では気がついていなくても、周囲から見ればその人にぴったりの仕事内容ということもあるであろう。

逆もしかりで、その人がどんなに努力しても、その人の生まれ持った、また育ってくる中で育まれた性格がどうしても行っている仕事や業種に合わない、ということもあったりする筈である。

その為に人は人生で迷い苦しむのであり、いっその事自分の生活をよく理解し、自分の願う方向性をよく理解し、そしてかつ世の中の仕組みを把握したとてもできた大人が、自分の人生の時々に、方向性を整理し、仕分けをし、進むべき方向を示唆してくれる、そんなことがあったらどれだけ良いかと思うこともある。

かつての様に、社会がある種の閉鎖性を持ち、人生の枝分かれが限られていた時ならば、それほど迷うこともなく、疑問を持つこともなく、少々の不満は抱えながらも、誰もが置かれた場所で咲こうと与えられたことに全うできたであろうが、現在のどこまでもフラット化し、何でも選択可能。その代わり、どう選ぶかとそのリスクについては誰も教えてくれない。そんな世の中の自由の側面ばかりが取り上げられ、ポイッと社会の渦の中に放り込まれ漂う若者たち。

恐らく日本だけでなく、全世界が同じような思いを持った人々が現れだしているのを象徴するかのように、逆に信頼がおけるコミュニティが自らの未来を決定してくれるという未来像を描き出したのが昨年公開の「ダイバージェント」

誰もが不安で、どこにも答えがない時代。だからこそ、ドキュメント72時間「占いの館 運命の交差点」が描くように、多くの人々が未来を示してくれる占いに吸い寄せられるのであろう。

家族に仕事を辞めたことを伝えられず、毎朝会社に行く振りをして外にでても会社に行かず、近くの公園で時間を潰す人も少なく無い現代。家族や社会のために、責任ある役割を受け入れなければいけないが、それができることなら自分の性格にマッチしたものであってほしいとは、誰もが願うことである。

努力することでその差異を最小化することはできるかも知れないが、根本的に間違った場所に、間違った人が着いてしまうことの悲劇は社会で生きる人は誰でも目撃していることであろう。

「自由と選択」の次にくるのが「リスク」であることを十分に理解した現代社会。どこから良識のあるメンターが社会の中で必要とされ、存在できるだけの場所と報酬が支払われる。そのことで人々がより生きやすく生活できる社会になる。個人が守ってくれる中間領域なしに社会に晒される現代だからこそ、そんなことを願わずにいられない。