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2013年7月25日木曜日

嵯峨野 竹林の小路 ★★★★


嵐山・嵯峨野の竹林と呼ばれるが、京都の西随一の観光地であり、全体を纏めて嵐山と呼ばれ如何にも嵯峨がその一部として思ってしまっていたが、地名としては西京区の桂川の南側を嵐山(あらしやま)、北側を嵯峨(さが)というらしい。どうにもその関係性がごっちゃになっていたが、やっと整理できた。

航空写真を見ても分かるように、明らかにその発育が進み、一本一本の大きさが周囲の樹木のスケールからかけ離れているこの竹林。いわゆる「嵐山の竹林」や「嵯峨野竹林の小路」と呼ばれるのは、嵐山の北東に広がる嵯峨野の中の野宮神社から大河内山荘の間の竹林の間を抜ける小さな道のことを指す。

この地域は平安時代から貴族が別荘を建てた土地であり、天皇や貴族が愛したその特権的景色を1000年を経た現代の我々は、貴族でないにも関わらず見る事が出来ることはなんとも嬉しいものである。

「日本」や「京都」、または「竹」と検索すれば恐らくヒットするであろう大きく成長し上部が視界から見えないほどの竹の中を緩やかなカーブを描きながら先が見えないこの道の風景。だれでもそこに悠久の京都の歴史を重ね合わせる。

野宮神社から天龍寺北門を通り越し、徐々に竹の幹のサイズが大きくなるにつれて、上部に伸びる幹の長さも増していき、光をフィルターする竹のレイヤーが作り出すなんとも不思議な光と空気に包まれる。

数年前に始めて訪れたが、やはり何度来てもこの自然の力と、それに少しだけ人間が手を入れて作り出す特別な風景に驚かされる。背の高く、緑の濃い竹の中に、枯れた竹の枝を使って作り出された茶色の竹塀。人工性をできるだけ排除して作り出された不整形の風景。緩やかなアップダウンと、微妙にうねる道のお陰で、場所場所で道の先が見えないことで逆に、「この道は永遠に続くのでは・・・」という思いを感じる。

大河内山荘に到着し、すぐ横に嵐山のトロッコ電車の駅を見つける。目の前に広がる池の向うにあるのは、「そうだ 京都、行こう。」キャンペーンでもおなじみの常寂光寺二尊院祇王寺などの嵯峨野の寺院群。

「すぐそこだから」と足を伸ばそうとするが、妻に「いや、もう満喫したし、ちょっと疲れたからもういいんじゃない」とあっさりと却下される。

「こっち側から歩き出すべきだったか・・・」と作戦ミスを悔やみながら、また次回足を運ぶ理由を残したと思うことにして、再度今来た竹林の道を戻りながら、やはりここは縦構図じゃないとその垂直性がカメラに納まらないなと四苦八苦しながらレンズを向ける。










野宮神社(ののみやじんじゃ) 800年頃 ★


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所在地 京都府京都市右京区嵯峨野々宮町
主祭神 野宮大神(天照皇大神)
社格  村社
創建  800年頃
機能  寺社
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嵐山・嵯峨野(さがの)の竹林といえば、京都を代表する風景。今回の京都旅行での妻からのリクエストのトップがこの竹林を歩くことということで、大徳寺から竹林の道の開始点・野宮神社(ののみやじんじゃ)へと車を向かわせる。

さすが古いナビだけあって、今来た道を引き返すのが一番早い道だと思うのに、なぜが奥へ奥へと導かれ、細い田圃道の中を通りぐるりと回って到着する野宮神社は既に嵐山の目抜き通りから細い道を中に入った所に位置するので、車を駐車場に入れて徒歩にて向かう。

遠くに桂川のせせらぎを聞きながら、天龍寺へ向かう多くの観光客を横目に既にちらほら見られる竹の姿に目をとられ、すぐに到着する境内には多くの中国語が飛び交っており、大量の中国人がいたるところで写真と取っている姿が見かけられる。

既に竹林の中に埋もれているように鎮座するこの野宮神社は、かつて皇女が天皇の使いとして伊勢神宮へ向かう前に身を清めた場所として伝わるという。嵯峨野の清らかな場所を選び作られた野宮に入り、一年間潔斎した後に伊勢神宮へ向かったと言うのが由来らしい。

境内奥には苔を用いた庭園の「野宮じゅうたん苔」が美しい落ち着いた緑の地平を見せてくれる。平安の世から変わらず、誰もがこの自然の美しい姿に心の安らぎを感じてきたのが良く分かる。

本殿に参拝し、「和」を求めてやってきた京都で追ってくるかのような大声の中国語から逃れるようにして、更に奥の大河内山荘へと向かう竹林の小路へ向かうことにする。