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2014年1月19日日曜日

「下流大学が日本を滅ぼす!――ひよわな”お客様”世代の増殖」 三浦展 2008 ★★★

数年前まで大学で若い学生相手に建築の設計を教える機会をいただいていた。

「人に何かを教える」ということについて、随分悩み、教育とは何だろうと今まで手にしない様な本を手にし、と同時に専門の内容も古典から現代までできるだけアップデートしながら毎年新学期に望む、そんな生活を数年に渡って過ごしていた。

そんな訳で学生の質の変容だけでなく、学校の体制や他の教師の面々など、様々なことを感じながら過ごした数年間の後だからこそ、この一冊が随分実感を伴って読み進めることが出来る。

恐らく現代においては、多くの学生が目的意識などなく、学習意欲など無いにも関わらず、取り合えず大学くらい行っておかないと、大学くらい出てないと就職にも不利だから、などという消極的な理由にて大学受験を行っているのだろう。


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今や大学を選ばなければ誰でも大学生になれる時代なのだ。

バカが多い大学はイヤだという噂が広まると、受験生が減って、学生が減って、大学がつぶれて、自分が失業するからである。

大学によるバカの大量生産
大学自らの保身の為にバカを大量生産している
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という導入部分に見られるように、全入時代を迎える前からも、一部のトップ大学以外においては、定員数の学生を得続ける為に、ある種の客商売のようなことが横行し、大学がその教育の質ではなく、他のサービスで学生とその親に媚び始めていたのは間違いないのであろう。

大学というのは、特別な専門知識を身につけるための場所であり、そこに通うのは贅沢であるのと同時に、ある種の選ばれたものでしか与えられなかった権利という時代のイメージだけが残りながらも、とうの昔に実体は大きく変わってしまった現代の日本。

「大学が商売になる」ということを嗅ぎつけ大学を増やし、本来なら若者に専門知識を教えるような立場に付けるようなレベルでない人々にも教授と言う安定した収入と立場を与え、本来なら大学に通うことなく、高校卒業と共に、社会に出てそれぞれの技能を身につけていくべき立場の人間も、親が援助してくれ、対して勉強もできないけどなぜだか入れる大学があるから、何とはなしに大学になって4年間を無為に過ごす。

一般的な社会を構成する為に、その何%に当たる人が大学という専門的知識を巳に付けていなければ社会が成立しえないか?といったら、恐らく20%にも満たないのではと思わずにいられない。

つまりは、高校卒業くらいの知識があれば、十分に幸福な職業人としての人生が送れるべきであり、大学へ進学するのは国や地域の為に役に立つべく高度な専門知識を得るために、大変な努力をし、その権利をつかんだ人間だけに与えられる時間であるべきであろう。

社会が成熟するにつれて、大学への進学率が上がるのは止められない。経済が成長するにつれて、それぞれの親が子供により高い学歴を得させたいと思うのが、競争社会においては避けられない。

しかしそれを放置することが本当に社会にとって良いことであろうかどうかは、政府なり誰かがしっかりと議論をするべきであることもまた事実。


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・私立大学では一般入試での合格者が半数以下
こどもの数が減ったから
進学率を上げないと学生の数が足りなくなる 学生が足りないと大学がつぶれちゃう
AO入試 アドミッションズ・オフィス入試

・AO入試組はウソつきばかり?
辛い受験勉強をしないAO入試組は一般入試組と学力において大きな差
大学が完全に大衆化
精神力は体力に比例する

・生き残りをかけた値引き合戦
大学側の生き残り戦略以外の何者でもない
・若者の人気スポットに大学集中

・学歴社会はより強固になっている
・酒の飲み方くらい大学時代に覚えるべきだ
・大学の先生自体が下流だ
・高校は職業に結びつかない
自分の会社の中でだけ通用する人間では生き残れない

・大学を出たけど何をしていいのかわからない
・大学も甘ければ、親も甘い
家族の問題
子供をペット化している
愛情と言うものを誤解しているのではないか
本来は自立するためにしつけとか教育をしていかなきゃいけないはずなのに、それは全部学校に任せている。いい大学、いい会社に入れることが親の役割と錯覚している人が圧倒的に多いのではないだろうか。
・授業料欲しさに高学歴ニートを量産

・教育費に圧殺される家計
・大学全入は大学貧乏と下流を増やす

・大学進学率は20%に
・職業大学をつくる
・若者を早く社会に出す
・大学では教養が必須
・履修ではなく習得を重視する
・大学の数を減らせる
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上記の様に本書の中で展開されるのは、大学の自己保身、大学教授の利権確保の為に、本来大学に進学する必要の無い水準の学生達が、親の経済的裕福さのお陰と、授業料さえもらえればいいという意識の低い大学サイドの思惑に乗せられて大学に入学し、結局何も身につけることなく卒業していき、どうしようもないレベルの低い社会人を大量生産しており、この現象は国に何の利益ももたらさないどころか、この利権構造はこの国の将来すら蝕むので、この際教育制度の改革をしたらどうかという内容。

恐らくどんなレベルの高いといわれる大学でも、本当に学問に喜びを感じ、自らの将来の為に日々ストイックに学ぶ学生と言うのは1割ほどというところだろう。8割ほどが可も無く不可もなく、ほどほどで単位を取得し、1割ほどが落ちこぼれる。そんなところか。

どんなに理想を掲げても、それでも社会は確固たる学歴社会がまかり通る。自分の子には苦労をかけたくなかったら、少しでもよい大学にいって学歴的優位性を手に入れさせたいのが親心。

しかし人口が減っていき、人口構成のバランスも変わっていくこれからの日本。今までの様な形では国が持たなくなるのは目に見えている中で、歪な構造はどうにかして修正していかなければいけない問題のど真ん中に位置するであろう教育の問題。

「こんな聞いたこともない学校で一体何を学んでいるのだろう?」と思うような大学にも、そこで教壇にたって学生の相手をしている教授がいる事実。一体その教授はどんな背景を持ってその場にたどり着いたのだろうかと勝手な想像を働かせたくなるものである。

専門的向上心の無い人物の昔取った杵柄とかなんやらで、ただただ安定した生活の糧として授業を受けることになることほど青春の浪費に違いない。と同時に、何の為に授業に出ているのかも考えることも、自分の将来がどういう風に進むのかも考えることも無く、ただただ惰性で単位の為に出席する学生相手の授業も同じくらい無為であろう。

若者が減り、生活水準が上がり、国の形が変わろうとする現代。今こそ教育、そして大学の在り方を再度考え、定義しなおす時期に違いない。大学が努力をし、学問を望むものだけの特別な場所であり、その難関を突破した学生にはドイツの様に、無料ほどの授業費で学問をさせてあげ、若くて活力に溢れ、まさに職業的向上を求める教授達の熱のある儒教を与えてあげるべきであろう。

その為には基準に満たない大学にはあっという間に消えてもらい、基準を満たした大学にも同じく、内部で既得権益となっている部門や学部にはメスをいれ、大いにスリム化と若返りを図ってもらいたいものである。

地域格差などと言うかもしれないが、やはり高度の学問を得るためには中心に出て行くことは避けられないであろう。中心までの距離が大きければ大きいほど、その人々の決意も強くなるであろう。

大学ほど既得権益の温床になりやすいところはないと本書でもあるが、国の根底を支える学問と、国の将来を担う人材を育成する大切な機関だからこそ、あるべき姿に少しでも早く戻って欲しいと願わずにいられない。

そうでなければこの世界的競争時代。誰がそんなデメリットの多い日本の大学に子供を通わせようというのだろうか?という時代がやってきてしまうと思わずにいられない。

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目次
第1章 大学がバカ学生を大量生産する
・偏差値48の高校からでも上智大学に推薦入学できる
・私立大学では一般入試での合格者が半数以下
・AO入試組はウソつきばかり?
・AO入試は見直しの方向
・証言①AO入試がバカを生む
・菓子パンの食べ残しが教室に散乱する女子大
・バカも大切なお客様
・証言②こんなバカ学生がいる
・泡を吹いて倒れる学生
・打たれ弱い、うつ気味の学生が増加
・メールで同期に「おはよう!」
・仕事のトラブルも同期に相談
・証言③打たれ弱い、すぐ泣く学生たち
・体力がない
・証言④いじめ世代の若者達
・時間のゆとりのない、ゆとり教育
・妙にまじめ
・証言⑤冗談が通じない学生たち
・証言⑥ゆとり世代の大学生
・大学こそが学力低下の原因
・教養の崩壊
・大学に学力低下を批判される筋合いは無い
・参考資料①学生の56%は基礎学力が無い
・参考資料②新しい学習指導要領の主なポイント

第2章 お客様化する学生とモンスター・ペアレンツ
・今の大学教師はファミリーレストランの店員みたいなもの
・クレーマー化する親
・宿題を出すとパワハラだと言う、バカ親
・モンスター・ペアレンツ急増
・消費者の歪んだ、サド的快感
・ファミレス、回転寿司化する大学
・証言⑦モンスター・ペアレンツ
・幼児化する学生
・ビデオカメラを持った親が、武道館に溢れる入学式
・低階層の親ほど、大学に文句を言うのか?
・子離れしない親
・証言⑧なぜ、モンスター・ペアレンツが生まれたのか?
・授業評価制度で、ますます増徴する学生
・証言⑨増長するバカ学生
・タレント教授花盛り
・忙しい有名人の為の新たな役職「特任教授」
・大学は吉本に運営してもらえ
・生き残りをかけた値引き合戦
・若者の人気スポットに大学集中

第3章 バカ学生は社会では通用しない
・今の新入社員は大人免疫力がない
・お客様大学生からお客様社員へ
・証言⑩新人教育で疲れ果てる
・同期同士がほめあうのはいじめの影響?
・証言⑪ゆとり社員に四苦八苦
・学歴社会はより強固になっている
・証言⑫企業人事部が重視する学歴
・大学が入学させるべき人間の基準は何なのか?
・酒の飲み方くらい大学時代に覚えるべきだ
・大学の先生自体が下流だ
・大卒者の72%が「友達づくり」に大学の意義を見出している
・社会科学系の大学生ほど何も得ていない
・経済学なんてわからない
・高校は職業に結びつかない
・高校にきてから教えても遅い
・大学を出たけど何をしていいのかわからない
・大学も甘ければ、親も甘い
・証言⑬子離れしない親達
・友達が作れない大学生、国立大の休学率は約20年で3倍
・授業料欲しさに高学歴ニートを量産
・大学院まで行って社会不適応者

第4章 「大学貧乏」の登場
・大学生のいる家庭の平均年収は低下
・教育費に圧殺される家計
・ケース1 通勤を車から自転車に変えて学費捻出
・ケース2 年収750万円の半分が娘の為に飛んでいく
・ケース3 両親の思いと裏腹に遊びまくる息子
・ケース4 大学進学のため、マイホームの頭金を切り崩す
・ケース5 無理やり大学に入れたが、バイトのほうがためになるという息子
・ケース6 ホステスをクビにして学費を捻出
・東大がタダの時代
・大学生の4割が奨学金制度を利用しているが
・ケース1 飲み大に消える奨学金
・ケース2 車を基準に大学を選ぶ
・ケース3 入学と同時に水商売を始める
・ケース4 入学金が払えずに二浪して授業料を貯める
・ケース5 奨学金をパチンコで使い果たすギャンブル狂女子
・大学全入は大学貧乏と下流を増やす

提言 オンライン大学で下流脱出を
・教育制度改革の提案
・大学進学率は20%に
・職業大学をつくる
・若者を早く社会に出す
・大学では教養が必須
・履修ではなく習得を重視する
・オンライン大学の提案
・地域格差、教育格差が縮小する
・時間に縛られずに学習できる
・学歴主義の解消
・教授の負担が軽減
・大学の数を減らせる
・地域拠点を作って交流の場に
・心の弱い若者はどうする?
・生活の知恵を学べる総合学習なら意味がある
・生活能力の格差を縮める
・携帯電話で大学に通う

あとがき
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2013年9月9日月曜日

「なぜ日本人は学ばなくなったのか」 齋藤孝 2008 ★★★

気がついたら1読書サイクルである4年になっている。文庫100冊、新書50冊。専門書、新書、文庫とサイクルで読み進めていたが、どうもサボリ癖がでてしまい、到底読書力のある生活とは言えないこのごろ。

積みあがっていくのは文庫の中でもカウントされない娯楽小説の類ばかり。これはまずいなと新書の数を増やすためにも手にした齋藤先生の新しい本。どうもかなり怒ってらっしゃるようである。そしてひたすらに耳が痛くなる一冊である。

それにしてもこの齋藤先生。もう何年もテレビで見続けているが、知識人という枠の中で常に必要とされるということは、次から次へと出てくる新しく面白い人材がいるなかで、それでもやはり齋藤先生だと言われる何かの理由があるのだろう。それはこの本で書かれている飽くなき向上心であり、総合的教養に支えられた人間性なのだろうと勝手に想像を膨らませる。

生命の宿命として、個体は必ず死を迎える。これは避けられない。誰でも必ず死ぬ。その個体として、自らの一生の中でも身につけた生きていく為の知識や経験を如何に同じ種の仲間に伝えるられるか?その術をもった種は生存競争の優位に立つことになる。その方法は当然の様に伝達による。そして知恵や経験は言葉に置き換えられ時間を超える。それを受け止めるのは「学び」。つまり学ばなくなった個体は、生物としてというよりも種としての生存本能を失ったことと同義である。そんなことを思いながら読み進める。

線が引かれた部分をメモにするために目次をネットで探すが、この本はどこを探しても検索に引っかからない。しょうがないので諦めて自分で打ち込むことにする。妻からもらったペーパー・ウェイトを役立てながら、章題から見出しを打ち込んでいくだけで、十分に耳が痛くなる内容。

日々の生活に汲々としていた時期に手にした本で、耳を痛くしながらもやはり再度の教養だと突入したはずの読書力のある生活。それにもかかわらず、現在の本棚に並ぶのは背表紙に何の個性も表さない小説と呼べないような娯楽文庫の山と、緊張感を持った読書から逃げ出すように途中で投げ出されっぱなしの専門書コーナー。ああ、恥ずかしい。

大学で学生を相手にする時期は、新年度が始まる前に知識の更新時期だとし、2月から3月にかけて大量に購入する建築関係の本と、時代を読み解く新書と、世間を賑わせる文庫。それらを短期に詰め込んで、準備をして向かえる新学期。学校に誘ってくれた恩師の「出来る限り勉強してくれ」というプレッシャーに対峙するための自己防衛。

社会無くして語ることが出来ない建築だからこそ、社会に目を向けない建築家がいない様に、出来るだけ幅広く現代を知るのと同時に、齋藤先生はじめ尊敬する知識人の読んでいる本を調べては、様々な分野に手をつける。

始めは浅く広くと。そして一部から深く掘り進める。ある一定の深さになったら、そこからまた横へと広げていく。そして徐々に立体的な知識の空間を構築する。そんな身体的感覚を伴った読書体験。

人は堕落する生き物であるのは当然で、読書は本来快楽であるはずなのに、読まなくなるのもまたすぐに日常へと組み込まれる。それが人間の適応力。「読んだほうがいいよ」と妻に薦め、「どう、耳痛くなってきた?」と痛みを共有しようと試みる。さぞや自分よりもキツイ痛みだろうと想像していたが、どうもあまり応えていない様である。しょうがないので堕落した自分の姿に一人で向き合うべく、耳を擦りながらも下記の本文をパソコンに打ち込むことにする。

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「バカ」とは、もちろん生まれつきの能力や知能指数ではない。「学ぼうとせずに、ひたすら受身の快楽にふけるあり方」の事だ。

学ぶ意欲とは、未来への希望と表裏一体だからだ。学ばない人間、向上心をもたない人間は、自分の明日を今日よりも良い日だと信じる事ができない。「生きる力」とは、「学ぶ意欲」とともにあるものだ。

当たり前の話ですが、人は勉強しなければバカになります。

何かに敬意を感じ、あこがれ、自分自身をそこに重ね合わせていくという心の習慣がごく自然に身についていた

まず自分より優れたものがあることを認識し、それに対して畏怖や畏敬の念を持つこと

ところがある時期を境にして、日本には「バカ」でもいいじゃないかという空気が漂い始め、もはや「あこがれ」という心の習慣自体がありません。学び続ける精神や教養への敬意はないし、学ぶべき書籍や教科書の価値も分からない。それに教えてくれる先生への畏敬の念もない。

ひたすら水平的に「何かいいものは無いか」「おもしろいものはないか」と探し回っているだけの自分探し。

読書の時間とは、著者が自分ひとりに語ってくれる静かな時間であり、それによって自分を掘り下げる時間である。

リスペクトと言う「精神のコスト」をかけずに得られるものは、所詮「それなり」でしかない。

いわば知性のないこと、あるいはそれを逆手にとって開き直る姿が、「強さ」として映るような時代になっている

人間の心の潤いというものは、尊敬や憧れの対象をもてるかどうかで変わってくる

外の情報を検索し、活用し、快適な暮らしをするだけの存在としか捉えられない

親元を離れ、食事も選択も自分でやらなくてはいけないという状況自体が、大学以上に人間としてのステージをクリアする事であった。「上京力」。上京への憧れ、プレッシャー、孤独感、負けん気、誇りと意地。緊張感のある向上心を生み出していた。

競争には参加せず、自分の実力を高める努力は避けつつ、一方で「君はユニークだ」「唯一無二だ」「資質がある」とほめてもらいたい。都合のよい欲求。

授業は授業料の対価としてのサービスとする学生と消費者(学生)優位に陥る大学の逆転現象。浅く短い学生生活を終えていく。一体彼らはいつ勉強したといえるのか。

知的な本を読む習慣さえ持っていません。軽い読み物ばかりです。小説ともいえない通俗小説やマンガ。

大学で学んだことを語れなければ、大学を出た意味がない。基本的な向上心と言うものは、読書量に現れます。学生時代に本を読む習慣を身につけないと、社会人になってからはなおさら読みません。

未来のタイムスパンは短期化している。無定期、無期限の夢だけを見て今を生きる。

いつまでも自分はフリーでありたい、モラトリアムな状態に置いておきたい。自分ひとりの自由。社会的な責任を負いたくないと短絡的に発想する。

学ぶと言う事は、たんに知識を獲得するだけの行為ではない。そのトレーニングを通じて、わからないことや大量の問題に立ち向かっていく心の強さを養っていく事

ウォークマンの出現により、自分自身の快適な空間を持ち運べるようになった。音楽は麻薬に似ている。音楽を聴くには努力も才能も徳も不要。要するに努力しなくてもエクスタシーを味わうことができる。地道な努力の果ての達成感、それは登山のようなもの。誰でも易きに流れやすいもの。「気持ちいいことが好き」。

アメリカのヒッピー文化。家から離れ、若者だけで漂流し、さまざまな人と出会い、コミューンと呼ばれる集団生活を行うというライフスタイル。

異性関係における若者の評価ポイント。イケメンかどうか。見た目が良いか。見た目が欧米人に近いことを重視する。

経営者の場合、強靭な精神が求められます。一般の人には考えられないほど、心身ともに疲れる激務です。途中で休むとか、具合が悪いから誰か交代してと投げだす訳にはいきません。自分自身がぶれない中心と言うものを持っている、あるいは判断力の基礎を養っているという自身があれば、それを原動力としてさまざまな障害を乗り越える事ができる。

自分の成功や快適さより優先すべきものがある。人としてどう活きるべきかどうか指針を持つ。

読書にかぎらず、高い山の切り立った崖を登るような努力やエネルギーを必要とする事は、若い頃に経験しておくべきなのです。

概して人間的にはさして問題ない。しかし、あまりにも本を読まないために、教養がない。したがって読書で知識・教養を得る面白さを知りません。高いレベルのものに憧れ続ける事によって、自分の心を生き生きとさせるという習慣も身につけていません。結局そのまま大学を卒業してしまうのです。

多くは生活に終われ、仕事のみに汲々とする日々を送っています。そこでどうやって心を癒すかといえば、インターネット、テレビ、あるいはSNS。いわば高校の同窓会のような雰囲気を続けている。ネット上では、お互いに追い込み合わないような、ゆるやかな会話が繰り広げられる。そしてお互い安心しあおうとする。

マルクスも指摘したとおり、こうしう文化的なことは経済的な基盤がなければできません。下部構造としての経済活動があって、初めて文化が生まれるということは、世界史を見ても明らかです。一人残らず明日の食べ物に困っていたら、さしもの紫式部も物語を書く余裕は無かったはず。
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一つ一つの段落ごとに猛省をし、せめて今まで読んではそのままになっていたメモを纏めるのから始めようかとカレンダーを遡ることにする。

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本文中で紹介される本や映画など
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栗原彬「やさしさのゆくえ=現代青年論」
石原慎太郎「太陽の季節」
アラン・ブルーム「アメリカンマインドの終焉」
富田常雄「姿三四郎」
福沢諭吉「学問のすゝめ」
サミュエル・スマイルズ「自助論」
サミュエル・スマイルズ「西国立志編」
西田幾多郎「善の研究」 
倉田百三「青春をいかに生きるか」
阿部次郎「三太郎の日記」
新渡戸稲造「自分をもっと深く掘れ!―名著『世渡りの道』を読む」
夏目漱石「こころ」
「きけ わだつみのこえ」
林尹夫「わがいのち月明に燃ゆ」
スタンダール「赤と黒」
バルザック「谷間の百合」
ピエール・ロティ「氷島の漁夫」
マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」
フローベール「感情教育」
ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
倉田百三「出家とその弟子」
西田幾多郎「自覚における直観と反省」
和辻哲郎「古寺巡礼」
倉田百三「愛と認識との出発」
筒井清忠「日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察」
森見登美彦「太陽の塔」
ハイデッガー「存在と時間」
渋沢栄一「論語と算盤 」
ジョン・スタインベック
ウィリアム・フォークナー
フランシス・フィッツジェラルド 
アーネスト・ヘミングウェイ
ジャン=ポール・サルトル「嘔吐」
ジャン=ポール・サルトル「存在と無」
九鬼周造「「いき」の構造」
和辻哲郎「風土―人間学的考察」
レヴィ=ストロース「野生の思考」
下村湖人「論語物語」

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目次
序章 「リスペクトの精神」を失った日本人
・バカを肯定する社会
・垂直志向から水平志向の世の中へ
・「検索万能社会」であらゆる情報がフラットに
・大学教授を引きずり下ろすテレビの性
・「内面」のない人間があふれ出す
・「ノーリスペクト社会」の病理


第1章 やさしさ思考の落とし穴
・濃い交わりを避ける学生達
・幼稚化する中高生
・「知」と出会わずに卒業していく大学生
・読書量の減少は向学心の衰退
・自ら転落していく若者達
・経済より深刻な「心の不良債権」
・「夢」しか持てない30歳代アルバイター
・若者はなぜ「やさしさ」に目覚めたのか
・「やさしさ」と「自由」の相関関係
・社会へのアンチテーゼとしての「やさしさ」
・「心の不良債権」の処置を
・「ゆとり教育」こそ元凶だ
・「偏差値教育」のどこが悪い?
・世界に比べても学ぶ力が落ちた日本の子供
・「モンスター・ペアレンツ」が子供に与える影響
・公立小学校の授業と教科書のレベルを上げよ
・将来の格差を是正する為に、今できる事

第2章 学びを奪った「アメリカ化」
・「アメリカ化」する若者達
・教養に対して「ノー」を表明する国・アメリカ
・ロックで簡単に得られる快感
・「性の解放」が日本にもたらしたもの
・「教養主義」はいつ没落したか
・ヒッピー文化が再興した「身体論」
・「中身」より「見た目」重視へ
・憧れの対象は白人文化から黒人文化へ
・アメリカ文化の優れた部分は導入せず
・精神の柱を失い、金銭至上主義へ
・広がる格差、崩れる信頼関係
・「学び重視」から「遊び重視」への大転換

第3章 「書生」の勉強熱はどこへ消えた?
・司馬遼太郎はなぜ「書生」にあこがれたのか
・「姿三四郎」に見る師匠と書生の濃すぎる関係
・「深交力」があればこそ
・大家族、居候、書生が当たり前だった時代
・「同じ釜の飯を食う
・学ぶ事が身体的だった素読世代
・明治の文豪は「一家」を背負っていた
・若い時代の「修行」が糧となる
・「書生再興」のすすめ
・「深効力」は人生の醍醐味

第4章 教養を身につけるということ
・旧制高校に心酔して
・哲学的思考を試みるなど垂直願望の生活を送った
・新旧の「世界」の違い
・「わだつみのこえ」の格調高さはどこから来るのか
・独特の「恥の文化」が向学心を生む
・修養主義から教養主義へ
・哲学を学び、思考の基本スタイルを作る
・大学の「一般教養」に忍び寄る危機
・教養の欠落を嘆く人すらいなくなった
・「新しい教養」としてのマルクス主義
・マルクス主義に予見されていた今日の日本
・「徳育」教育への期待
・倫理観を再興するための「読書力」
・「迂回」を知らない社会の脆さ
・現代恋愛事情が生み出した虚無感
・お金の使い方にも本来は教養が必要

第5章 「思想の背骨」再構築に向けて
・責任は中高年世代にある
・薄い人間関係を志向する若者達
・「パノプティズム」に陥った日本
・「コーチング」が流行する裏側
・早期退職する若者達の悪循環
・読書とは自分の中で行う他者との静かな対話
・「無知ゆえの不利益」に気づけ
・実在主義の「投企」に生きる意味がある
・「ポストモダン」で思想は終焉した
・思想なき世をいかに生きるか
・「ガンダム=世界観の全て」の恐ろしさ
・思想的バックボーンが溶解した日本
・「学び」へのリスペクト導火線に火をつけて

あとがき 次代へのメッセージ
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