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2013年7月26日金曜日

曼殊院門跡(まんしゅいん) 947 ★★


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所在地 京都府京都市左京区一乗寺竹ノ内町
宗派  天台宗
寺格  門跡寺院
創建  947
開基  是算
機能  寺社
文化財 古今和歌集(曼殊院本)1巻(国宝)
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日本の建築空間掲載(書院 1656)
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詩仙堂からさらに細い道を進んみ、山に向かって坂道を登っていくと見えてくるのが天台宗の門跡寺院の一つ曼殊院門跡(まんしゅいん)。昨日訪れた三千院を始め、青蓮院、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の1つに数えられる寺院である。

門跡と言われるだけあって、境内はゆったりとした配置で見事な書院と庭園を見ることが出来る。三千院同様に、都の北東に位置し、比叡山西麓の斜面を利用した伽藍配置となっている。

山門脇の駐車場に車を停めるが、妻は既に寺社空間はお腹一杯だから車で待っているというので、一人で門を潜って拝観料の600円を払い中へと向かう。いきなり台所に当たる庫裡から入る珍しい参拝ルート。

渡り廊下を伝わっていく大書院前に広がるのは曼殊院書院庭園。この庭園は江戸時代の小堀遠州の作庭で、遠州好みの枯山水庭園で、水の流れを表現する白砂の上に鶴島と亀島が配されている。

素晴らしい庭園なのだが、やはりそれも一人で鑑賞するのはなんだか味気ない気がし、こういうものはやはろ同行二人がいいものだと改めて思いながら、あまり妻を待たせないようにとやや早足で渡り廊下を戻ることにする。

あまりの暑さの為に、受付脇にある自動販売機に目がいき、妻の目の前では「デブの元凶」として炭酸飲料はほとんど飲ませてもらえないので、これはチャンスとばかりに自販機でメッツを購入しゴクゴクと咽喉を鳴らす。なんとも清清しい。吸収した糖分と水分は参拝中にかいた汗でプラスマイナス・セロだと自分に言い聞かせ、飲み終えた缶をゴミ箱へ投げ捨て証拠隠滅を終えて、次回は是非とも予約を入れて特別公開の八窓軒茶室を見学したいものだと思いながら車に戻ることにする。












詩仙堂(しせんどう)丈山寺 1641 ★★★


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所在地 京都府京都市左京区一乗寺門口町
山号  六六山
宗派  曹洞宗
創建  1641
開基  石川丈山
機能  寺社
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建築から見た美しい庭園の風景が印象的な京都の寺と言えば必ず上がるのがこの詩仙堂(しせんどう)。どうしても見逃すことが出来ないリストのトップに位置していたので、中心地から離れ北へと向かい、随分静かな集落に入ってきたなと思う頃に到着するその駐車場。駐車場代500円をしっかり徴収され、まずは坂の手前に位置する八大神社(はちだいじんじゃ)の境内へと向かう。

この神社は1294年の創建とされ、この地域である一乗寺の産土神として崇められてきたという。何といっても有名なのは、かの宮本武蔵が吉岡一門と決闘した「一乗寺下り松の戦」の前に八大神社に立ち寄ったことから、下り松の古木が境内に保存されている。本殿前には武蔵の銅像も置かれ、恐らく多くのファンが訪れているのだろうと想像する。

参拝を終えて参道を戻り、更に坂を下ったところにある詩仙堂へ。この寺は丈山寺といい、三河生まれで徳川家康に仕えた武士であり文人であった石川丈山が病気がちの母の看病の為に全国を転々とし、その母の死後、隠居の為に洛北に造営した山荘である。その為に丈山寺と呼ばれる。

では何で詩仙堂と呼ばれるかというと、文化に秀でた丈山だけに、中国歴代の詩人を36人選んで三十六詩仙とし、狩野探幽にその肖像を描かせて堂内2階の四方の小壁に9面ずつ掲げた為に詩仙堂と呼ばれるようになったという。

作庭にも秀でていたという丈山はこの一乗谷の傾斜地に自分の終の棲家となる建物と庭園を見事に配置させる。拝観料の500円を支払い中へ入ると、堂からは庭の綺麗に刈り込まれたサツキの姿が目に飛び込んでくる。400年も前の文化人が何を思い、何十年と言う自分の余生を過ごすべく棲家でどう自然と関わるかを考え抜いて作った庭だと思うと、なんだか感慨深くなるのもしょうがない。

庭に下りて回遊してみると、一般的にししおどしと呼ばれる水の力を利用して音を発生させる添水(そうず)が庭に置かれ、定期的に心地よい乾いた音を響かせる。元々は山からの鹿や猪の進入を防ぐという目的で作られたというが、「カーン」という竹の音はやはり自然の中に人工の音として聴覚を刺激する。

流石に個人の山荘ということで、今まで見てきた巨大禅寺の枯山水庭園とはまったく異なった趣であり、もちろんかけられた費用も桁違いだと想像する。訪れたときも二人の庭師さんが脚立を持って高いところの枝を落としているところで、比較的小規模のお寺がこれだけの庭園を維持管理していくのは相当大変なことだろうと勝手に想像を膨らませる。

そんなことを思いながらふと庭からお堂を振り返ると、軒先に高さを変えて吊らされている竹の樋が視界に入る。今まで訪れた寺院では恐らく目にすることが無かったこの意匠。急いで堂に戻り近づいてその詳細をじっくり観察する。

先程は気がつかなかったがどうもこの軒先。いろんな嗜好が凝らしてあるようで良く見てみると非常に面白い。やはり終の棲家として、静かなる額縁庭園を見ながら余生を過ごすよりも、生活の知恵がにじみ出た曖昧なフレーミングのほうがこの場所には合うんだと納得し境内を後にする。
























賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) 不詳 ★★★★



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所在地 京都府京都市左京区下鴨泉川町
主祭神 玉依姫命(たまよりひめのみこと),賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)
通称  下鴨神社(しもがもじんじゃ)
社格  二十二社(上七社),式内社(名神大),官幣大社,勅祭社,山城国一宮
創建  不詳
機能  寺社
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世界遺産
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相国寺から橋を渡ってすぐ右に入ると見えてくるのが通称下鴨神社(しもがもじんじゃ)と呼ばれる賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の表参道入り口。その前の駐車場に車を停めて駐車場代の300円を支払い参道へ向かう。

「一体どこまで続いているのだろう・・・」と思うくらいのまっすぐな参道。両脇を大きな木々で覆われてその歴史の長さを物語る。なんでも、境内は糺の森(ただすのもり)と言われるうっそうとした森の中にあり、その広さは約12万平方mという。航空写真を見ても良くわかるが、周囲が開発されたあとは細長い森がいかにも人工性を物語るが、この入り口より約1kmの参道を歩いていく。

参道を少々北に進むと、まず左手に見えてくるのが境内摂社である河合神社(かわいじんじゃ)。独立した神社だと思うくらい立派な門構えだが、これも賀茂御祖神社の摂社の一つ。祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)で、創建は不明。この玉依姫命が女性の守護神であり、美人祈願の社として知られているという。

面白いのが通常の絵馬ではなく、鏡絵馬と呼ばれる手鏡の形をした絵馬に自分の似顔絵を描いて奉納するらしく、境内には様々な女性の「美人になれますように・・・」という願いが込められた沢山の笑顔を見ることが出来る。

そしてもう一つ。ここ河合神社は「方丈記」の鴨長明ゆかりの神社。なんでも長明は賀茂御祖神社の神職の子として生まれたという。そして日本各地を移動する時に棲家としたのが、組み立て式に簡易な「方丈」。その大きさは一丈四方(約3m四方)であることから「方丈」と呼ばれたという。それが土台の上に柱を立てて作られている。

『行(ゆ)く川の流れは絶えずして、しかももと(本)の水にあらず。淀(よど)みに浮ぶ うたかた(泡沫)は、かつ消えかつ結びて、久しく止(とど)まる事なし。世の中にある人と住家(すみか)と、またかくの如し。』

と、周囲の自然と共に変化していく建築の在り方を提唱している。境内ではその方丈の再現された姿を見ることができる。その方丈をじっくり観察し終え再度参道へ戻り、北上し、暫く歩いて到着するのが賀茂御祖神社の境内入り口に立つ大きな朱色の鳥居。

京都と言えば鴨川。賀茂川なのか鴨川なのか非常に分かりにくいが、元々は鴨氏という豪族にちなんで鴨川と呼ばれていたという。歴代それぞれの流れの場所により、鴨川、賀茂川、加茂川と呼び名を変えられていたと言う。

それを現在では高野川合流点、いわゆる賀茂御祖神社つまり下鴨神社が位置するところより上流を賀茂川、下流を鴨川と呼ぶようにしているという。なんとも複雑な・・・と思わずにいられないが、兎にも角にも京都を代表する神社であるこの賀茂御祖神社。上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けていたというわが国最古の神社の一つである。

朱色の鳥居を抜けると境内には落ち着いた濃い茶色の社殿が待ち受ける。中門を潜ると弊殿の前に十二支を祀る「言社(干支社)」があり、二つセットで祀られている干支が妻と自分の干支のセットになっていたので、一緒に賽銭を投げてお参りをする。

国宝である東西本殿を探し歩き、他にも本当に多い境内の社殿を廻ってみて回るとあっという間に時間が過ぎてしまう。今回は上賀茂神社には立ち寄れないが、それでもこの下鴨神社に足を運ぶことが出来て少しは京都の神域を感じられたことに満足し、また木漏れ日の気持ちよい長い参道を戻っていくことにする。