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2014年4月12日土曜日

歷代帝王廟 1530 ★★★



モスクワで経験した塔のある風景。それは同種に分類されるものがある一定数となって
都市の中に散らばっていることの良さを実感することとも同義であった。

その体験を持って戻った北京。この街にも同じく歴史の中で作り上げられた数が都市の中に残っている。ここでも何度も紹介した九坛八庙(九壇八廟)がそれであつ。

坛(壇)と呼ばれる歴代の皇帝が祭事の為に使用した台状の構築物。その中でも特に重要なものをあわせて九坛。そして庙(廟)と呼ばれる先祖を祀る廟である建物の中で、極めて重要とされたものをあわせて八庙。

この国で生まれ育っていない外国人にも比較的建造物として理解しやすい九坛は既に全てコンプリートしていたが、歴史上の誰かを祀るという性質上、その歴史認識が必要となる八庙に関しては途中のままで放置してしまっていたので、折角の機会だからと残りの場所を訪れることにする。

そして今回足を運んだのが、北京の西部に位置する歷代帝王廟。その名の通り、歴代の皇帝を祀る廟である。いつものごとく妻を後ろにのせて、電池の減り具合を気にしながら電動スクーターを飛ばして景山公園の前を越えて普段あまり訪れることの無い北京の西側に到着。

この歴代帝王廟は明代である1530年に建設されている。これは奇しくも九坛である日坛 (日壇)月坛 (月壇) 地坛 (地壇)天坛 (天壇)が建設された年と一致する。明の王朝がその首都設立に際して、どれだけ祖先への祭事と天上界との交信を大切にしたのかが見て取れる。

明・清代の皇帝が祖先を祭る為の場所であり、同じく八庙に分類されている太廟(現在の労働人民文化官の中に位置する)と孔廟(孔子を祀る廟でまたの名を文廟と言う)と共に、三大廟宇と呼ばれているという。

明の初代皇帝・朱元璋はここに祀る帝王を18人としたが、その後の清の順治帝の時代には25人が祭られるようになる。歴代皇帝の中でも特に康熙帝、雍正帝、乾隆帝は歴代帝王廟を非常に重視したという。

こうした都市の歴史にまつわる数が、ひっそりとだか日常のすぐ脇に存在していることこそが、歴史を持つ都市の魅力であり、そこに住まう人々の誇りとなる要素でもあるのだろうと思いながら、廟を後にすることにする。








2013年11月24日日曜日

日壇 (にちだんこうえん 日坛公园) 1530 ★★


九壇八廟の「壇」採集。その最終目的地となったのがこの日壇 (日坛 Dìtán)。

昨年北京に戻ったばかりの頃は、何とか日常生活のリズムを作ろうと、毎朝必死にランニングにでかけた時の折り返し地点としてよく中を通り抜けたこの公園。大気汚染が肺に与える影響のお陰でランニングを中止するまでに良く来たはずだが、その時はまだ後々「壇」にはまるとは思ってもいなかった。

日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)

例のごとく昼過ぎにはオフィスに出なければいけないので、せめて日曜のランチくらいは贅沢をと、新しく出来たショッピングモールに入っている日本の老舗のトンカツ屋に向かうがやはり長蛇の列。予約を入れるとちょうど40分ほどだというので、その間に「壇」へと向かう事にする。

さてこの日壇公園。壇公園の中で唯一無料で市民に開放されており、そのお陰でランニングする人や太極拳に勤しむ人の姿を多く見ることができる。ロシア人街となっている北門エリアから内部に入るとまず目に入るのは大きな朱色の門である北天門。それを抜けると鮮やかな黄色に色を変えた大きなイチョウの葉が地面を埋め尽くし、綺麗な黄色のカーペットを作り出している。

枝で覆われた黄色のトンネルを抜けて更に南に下ると、左の方に如何にもな塀が視界に入ってくる。特徴的な朱色の壁が円状に湾曲している為に、方形で構成された公園の中で明らかに異彩を放っている。

まずは北門から見てみるが、どうにも門が閉ざされているようである。鍵のかかったその隙間から中を覗いてみてみるとやはりそこには壇があるが、天壇、地壇の様に塀が何重にも囲われて壇も何層にも重なっている訳ではなく、一重の塀に一段の壇という構成の様である。

壁にそってぐるりと西に向かって回ってみると、円に沿って移動するとすぐに距離感覚が鈍るのかあっという間に西の門にたどり着く。そこで気づくのは先ほどの北の門と違って今度は三つの門で構成されている。後ろを振り向くと、ずっと先に立派な西門が見え、そこまでの道は真ん中に大きな石が敷き詰められる如何にもな舗装形式。

横に置かれた説明を見ると、やはりこの道は皇帝が通る路だと言う。この日壇は、明と清の皇帝が「太陽の神」を祭った場所であり、天壇、地壇、月壇と同様に明時代の1530年に建設された。

それゆえにまたの名を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)とも呼ばれ、祭壇は西を向いて建てられているという。普通太陽を崇めるのなら、太陽が昇ってくる東を向いて建てられそうなものだが、太陽が沈んでいく西に向かって建てられたのか、それとも北京の中心にいる皇帝に向けて建てられたのか想像力を刺激される。

兎にも角にも皇帝がこの場所に祭事の為にやってくるというが、ではどこから来るか?それは紫禁城(故宮)。つまり北京中心に位置する紫禁城から北京の東に位置するこの日壇までやってきた皇帝は、西門より中に入り徐々にこの朝日壇にアプローチする。つまりは西門にあたる西天門から朝日壇にいたる道は皇帝が通る神聖な道であり神路と呼ばれ、そして皇帝がくぐる朝日壇の西側の門もまた他の、北・南・東の門に比べ特別な設計がされており、3つの門となっている。

そんな訳で更に進んで南の門を見ても、北と同じく一つであり、その先の東の門もまた同じく簡単なもの。円という無方向性な図形に対して、東西南北という絶対方位を与え、更に西に向けることで正面性を作り出す。それはその概念を理解したものにしか見えてこない観念的な図形であり、文化を理解するものにしか語りえないものだと思うと、建築に込められた深い思いに改めてゾッとする。

中に入れないのは残念だが、無料で開放している以上、文化財保護のためにも必要なのかと思いながら、更に公園内を散策してみるが、自分の顔以上の大きさを持つイチョウの葉を拾い集める子供連れの姿を眺めながら、どこの国でも巨木が残る風景はやはりいいものだと改めて思わされながら、一先ず終えた「壇」採集と次はどんな楽しみを見つけるかに思いを馳せながらトンカツを食べに戻る事にする。



















2013年11月17日日曜日

月壇 (げつだんこうえん 月坛公园) 1530 ★


まるでドラゴンボールでも集めているかのような気分になれる北京の「壇」採集。恐らくスマホでカードゲームにはまる子供や大人も遠かれ近かれ同じような気持ちなのだと思うが、それぞれの場所で壇を体験するたびに、身体の中で何かがスポッと嵌るような気分になれる。

日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
月壇(月坛) 別称を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する

北京を首都と定めた明王朝。皇帝がこの現世を支配するのに相応しいものとして、天と交信をしてこの世の統治の方法を授けられるようにと設けられたのは天と地を司る天壇と地壇。では、その後には「何を祀るのか?」の答えはもちろん太陽と月であった。電気もない時代に、地上を照らしてくれる空からの光はまさに神そのものであったであろう原初的な世界。その神に少しでも近づき、声を聞くために地上より少しだけ高く持ち上げられた壇。

この壇を眺めていると、マヤのジャングルの奥地に設けられた原初的なピラミッドを思い出さずにいられない。どんな段階の文明に置いても、この世を司る天と地、日と月に神聖を感じるのは理性を持つ生物として当然であり、その動きにこの世の真理を見つけようとする。その神を崇めるために、何かしら人工性を持った建築物を持って向き合おうとする。その時に選ばれるのは自然界には存在しない原初的な幾何学の代表である正方形や円形の壇。こうして見ると、この壇にも人類の建築の歴史が閉じ込められているようで面白い。

そんな訳で1530年に建設されたのがこの月壇 (月坛 yuè tán)。太陽が沈んだ後は闇に包まれた当時の北京。そこに火を灯し、闇の恐怖に立ち向かった人々が見上げた夜空に明るく煌く星々たち。その中でも極めて大きく光を放つ月。その月を神とし、夜明神(月)と空に浮かぶ星々を祭ったこの場所は又の名前を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)と呼ばれ、「夕」とは中国語で「夕方,日暮れ」を意味する。

東へと発展する現代の北京。西にはかつてより軍隊の敷地が多く残るので、開発の手が入るのが遅れているという事情はあるにしても、目的がないとなかなか足を伸ばす事がない北京の西。さすがに電動スクーターでたどり着ける距離ではないので、自宅近くからバスに乗り込み、乗客の乗り心地など関係無しに思いっきりブレーキを踏み込むバスの運転の為に、グラグラ揺られて吐き気を覚えながら、とてもじゃないが読書などできずに棒に捕まりながらなんとか耐える1時間。

到着したのは月壇公園駅だが、北京に4か所ある壇のうちで最も小さい公園だけあって、それほど観光地化している訳でもなく、案内板も出ておらず、携帯で地図を見ながら北に位置するチケット売り場へ。地域の住民の憩いの場になっていると言うだけに入場料も1元。ここにくるまで1時間揺られてきたバスも1元。これは都市の流動化を促す大きな要素であると思うので、ぜひ東京も移動にかかる費用を抑える対策を取ってもらいたいものである。

さて、門を抜けて中に入ると、なんとも仄々した雰囲気。バスケットボールで遊んでいる親子の後ろには、如何にもそれらしき門があるが堅く閉ざされている。上を見上げると門の中に聳えている電波塔が威容を誇って見下ろしてくる。「さては・・・」と悪い予感を感じながらも更に南に下って壇探し。

どこまでいっても、整備された庭園が広がるばかりで、否が応でも手元のチケットの裏に示された園内地図と見上げると視界に入ってくる電波塔の関係が気になるばかり。諦めきれずに先ほどの門を北側に回ると明らかに壇のあとだという階段があるが、こちらも堅く閉ざされているので係員と思われるおじさんに聞いてみると、「入れないよ」と言うので、「中の壇は壊されたのか?」と聞くと「知らない」と。

言葉を失いチケット売り場に戻って聞いてみると、随分昔になくなって今は電波塔が建てられて中には入れなくしているという。「それでは、風水都市北京が完結しないじゃないか・・・」とがっくり肩を落として丁度やってきたバスに飛び乗りオフィスに戻る事にする。

東から西は混んでいるが、西から東は空いているようで、椅子に座れるとすっかり冷えた身体に車内の暖房が丁度良く、ウトウトとしているうちにオフィス近くのバス停を乗り過ごしてしまい、ワンブロック歩かなければいけないので、折角ならばと胡同の中に入っていって肉まんとゆで卵を頬張りながらオフィスに戻ることにする。
















2013年11月16日土曜日

地壇 (ちだんこうえん 地坛公园) 1530 ★★★★


建築事務所をやっていて、いくつか異なるプロジェクトが平行して進行しているのが日常となると、週末なんていう概念はとてもじゃないが望めない。せいぜい午前中は出勤せずに、昼過ぎにオフィスに出てそれぞれのチームの進行状況をチェックしながら、平日に進められなかった設計やスケッチを進めることになる。

建築というやるべき作業は増えるが与えられる時間は変わらないという非常に酷な職業をしている限り、それは浮け入れるしかなく、医者や弁護士などの職業の様に、行政からその労働条件を守られるような職種でもなく、また膨大な報酬が支払われ時間的余裕を持って仕事を進められるようなことはなく、ひたすらに厳しい競争の中で生き残っていくために、昨日よりも少しだけでも効率を上げることを考えていかなければいけない職業であるとかなりマゾ的素質も必要とされる職業である。

そんな訳で、唯一与えられる自分の時間と呼べる週末の午前を如何に有効利用するかが重要となる。体内に溜まった不純物を体外に出すためにジムで汗をかくことも必要であるし、溜まった洗濯物を片付けてたり、食材を買出しに言ったりと家事的なこともこなさなければいけなければ、心の澱を流すために文化的活動の為にオペラハウスなどにチケットを物色しにいったりもする必要がある。

そして自分が住まうこの街を少しでも理解するために、建築的価値のある場所に足を運び、歴史の中で何が残され、何を手がかりに都市が作られてきたのかを身体に入れていく必要もある。と言うわけでここ最近にはまっているのが北京の「壇」採集。

何度も繰り返すようになるが、「壇」というのは歴史の中で皇帝が天と交信を行うために設けられ、様々な祭事を行ってきた地上より盛り上げられた壇である。そして北京には九壇八廟(jiǔ tán bā miào)と呼ばれる歴史的に重要な位置を占める9つの壇と8つの寺社がある。

地壇(地坛) 別称を方沢壇(方泽坛 fāng zé tán)
日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
月壇(月坛) 別称を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)
祈穀壇(祈穀坛 qí gǔ tán)  天壇内に位置する
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する

その中でも最も重要とされるのが、天と地。天壇と地壇 (地坛 Dìtán)である。

北京に住んでいるとその「壇」としての性質よりも、地壇公園として毎年陰暦の正月に当たる春节(旧正月 chūn jiē)に様々な公園などで執り行われう祭りである廟会の中でも最も有名で、最も規模の大きな「春節文化廟会」がこの地壇公園で執り行われることで身近に感じることになる。

以前北京に住んでいた頃。今よりも8年ほど前になるだろうが、その時も日本人の友人数名と連れ立ってこの廟会(miào huì)に足を運んだことを良く覚えている。当時はヒートテックなどというものもなく、ただただ凍てつくような北京の冬の寒空の下、公園のいたるところに行われている出し物や屋台などを冷やかして歩いて回った。

その時の出し物が、それこそかつての日本でも祭りの時に行われていたような「見世物小屋」的なもので、双头姑娘(shuāng tóu gū niáng)と呼ばれるような「頭が二つある女の子」という意味だが、「ビッグ・フィッシュ」でも描かれるような奇形の一種なのだろうが、これはそんなものではなく、箱の中に女性が座っていて、明らかにその後ろから顔の似た女性が肩に顔を乗せているだけで、角度によればそれが顔の二つある女性に見えるというような代物。

もちろんこういうことは現在の日本ではかなりタブーとして扱われているのだろうと想像するが、他にも「蛇食い女」と言った、口から生きた蛇を飲み込み、鼻からその蛇が出てくるというようなかなり際どい出し物だったので、記憶にも鮮明に残っている。

そんな話をオフィスのアソシエイトの中国人スタッフにしてみると、彼の出身の山西省でも昔はそんなのは何処でもやっていたといい、昔はどこも貧しかったので新鮮な肉を食べれるのはそういう「ハレ」の場である春节くらいしかなく、庙会では生きた牛をその場で捌いて、調理して皆に振舞うなんていうことが行われていたという。

そしてそういうのを皆が楽しみにしていたが、今ではいろんな報道のせいで、かつての面白いものがどんどん減ってしまっていると、「何処の国でも同じだな・・・」と思わされるような話をしたのを思い出す。

そんなことを思い出しながら、今度は「壇」採集という明確な目的を持って再度訪問する地壇公園。幸いにもオフィスからすぐのところに位置するので、その後オフィスに戻るのを考えても時間的なロスが少ないのでとても助かる。

北京を首都と定めた明の時代である1530年に天壇と同時に建設された地壇。紫禁城(故宮)を挟んで、南東に天壇、北東に地壇が配され、様々な意味で天壇と地壇は対を成している。

「天は円、地は方」という古代思想に基づき天壇は円形、地壇は方形とされており、この地壇では夏至の日に土地の神が祭られた。方形をしている地壇の周囲、4辺にそって水路が設けられ、それによって別名を方沢壇(方泽坛 fāng zé tán)と呼ばれている。ちなみに「方」は「方形の,四角な」と言う意味であり、「沢」は「沼,沢」という意味である。

そのアプローチも天壇とセットにされており、南から北に向かってアプローチするのが天壇なのに対して、地壇では北から南に向かって入るように設計されている。そして壇に登る皇帝が目の前にするのは、南に設置された皇祈室。

天壇では「天は陽、地は陰とみなす」という陰陽思想に従い、様々な要素が奇数(陽数)で構成されていたのに対し、こちら地壇では偶数(陰数)で構成されている。天壇では9段であった階段がこちら地壇では8段であり、壇は6方丈だという。使用した石版の数も偶数で、徹底した中華思想を体現する場所である。

その大きさも天壇について二番目に巨大な壇であり、天壇ほど観光客で込み合っている訳でもなく、「大きな風景」が見たい時には一番よい場所なのではと思いながら、壇の中心で二段に高さを変えて張り巡らされた塀の中で一つの小宇宙を作り出しているこの場所の空間にしばし身体を浸してみる。

方沢壇をこえて北に向かうと、神宮外苑を思い出させるような黄色に色づいた銀杏並木が目に飛び込んでくる。

地坛赏银杏
北京的秋天,有两种自然所赐的景致是最有味道的:一种是红叶,另一种就是银杏。特别是深秋时节的银杏,树上、地上金黄一片,是活生生、金灿灿的秋日童话。地坛公园的银杏大道就是北京一道美丽的风景。它位于东城区安定门外大街,虽紧邻北二环,却是喧闹繁华中的一片净土。古朴幽雅的皇家坛庙点缀着金灿耀眼的银杏叶,秋意浓烈,是游人赏秋,思秋,怀秋,恋秋的好去处。

と説明されるように、この地壇の銀杏並木の下で、銀杏を拾うことが北京っ子にとっては秋の風物詩であり、その言葉に違わないように多くの市民がビニール袋を片手に黄色に染まった落ち葉のカーペットの中から選りすぐりながら一つ一つ銀杏を取り分けている姿を見ることが出来る。

「たっぷりPM2.5を吸ってそうなのにな・・・」と思いながら、その独特な匂いにかつて通った母校の通りを思い出しながら、そろそろオフィスに足を向けることにする。