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2017年12月16日土曜日

「オリエント急行殺人事件」 ケネス・ブラナー 2017 ★★


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スタッフ
監督:  ケネス・ブラナー( Kenneth Branagh )   
脚本: マイケル・グリーン(Michael Green)
原作: アガサ・クリスティ 「オリエント急行の殺人」
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ひたひたと今年の終わりが忍び寄るようにして近づいてくるのを感じると、どうしても「今年の一本」はなんだったろうかと焦りを感じる。そんな折に、テレビでやたらとプロモーションをしているのを目にしたのが、イギリス人俳優で映画監督でもあるケネス・ブラナー( Kenneth Branagh ) によって、リメイクされた「オリエント急行殺人事件」。言わずと知れたイギリスのミステリー作家、アガサ・クリスティ (Agatha Christie)によって書かれたミステリー小説。

1974年にも映画化され世界中で大ヒットとなったが、今回は豪華キャストでリメイクということで、大々的なプロモーションも手伝い、「これはぜひとも映画館で」と思い立ち妻を誘って映画館へ向かうことに。

立ち往生する列車に限られた乗客。その中で起こる殺人事件という典型的なクローズド・サークルはややもすれば、古臭いミステリーに感じでしまうが、それは 1934年の原作を忠実に守ったということで目もつぶり、随所に使われるドローンによるカットも有効的に使われて、キャストに負けないほどの豪華な衣装や内装も、古き良き時代のヨーロッパの雰囲気を充分に楽しませてくれる一本。

ケネス・ブラナー( Kenneth Branagh )

エルキュール・ポワロ(世界一の名探偵): ケネス・ブラナー
エドワード・ラチェット(2号室,アメリカ人 実業家. ギャングで富豪) : ジョニー・デップ 
キャロライン・ハバード夫人  (3号室,アメリカ人,未亡人): ミシェル・ファイファー  
メアリ・デブナム(11号室,イギリス人,家庭教師,アーバスノットと近しい): デイジー・リドリー 
ドクター・アーバスノット(15号室,イギリス人黒人の医師,デブナムと近しい)  : レスリー・オドム・Jr  
ドラゴミロフ公爵夫人(14号室,ロシア人):ジュディ・デンチ
ヒルデガルデ・シュミット(8号室,ドイツ人,ドラゴミロフ公爵夫人のメイド): オリヴィア・コールマン
ゲアハルト・ハードマン(16号室,アメリカ人,教授): ウィレム・デフォー
ヘクター・マックイーン(6号室,アメリカ人,ラチェットの秘書): ジョシュ・ギャッド 
ルドルフ・アンドレニ伯爵( 13号室  ,ハンガリー人外交官)  : セルゲイ・ポルーニン  
エレナ・アンドレニ伯爵夫人(12号室,ハンガリー人): ルーシー・ボイントン

ピラール・エストラバドス(10号室,宣教師): ペネロペ・クルス
ビニアミノ・マルケス(自動車のセールスマン): マヌエル・ガルシア=ルルフォ
ピエール・ミシェル(オリエント急行の車掌):マーワン・ケンザリ

2014年5月22日木曜日

担当者と同化する

良い建築に足を運び、必死に建築を見ることは、設計に時間を費やし、自分の情熱も時間も全て捧げてきたその事務所の担当者と同化することと同じである。

建築ではどんなに小さな建物でも、通常一年以上かかる設計を経て、行政からの許可を得てから工事を開始し、様々なことが起こり、それを解決することが求められる現場の監理。そんな訳で少なくとも2年ほどはかかる行程の中で、事務所の中で進行する全てのプロジェクトを統括しなければいけない代表に代わって、最前線でプロジェクトに向き合い、全ての関係者との間に入り調整をし、やりたいこととやれることの中で自分の経験を総動員しながら、足りない知識や経験は学びながら全身全霊を傾けるのはその担当者。

プロジェクトの規模にも拠るだろうが、大学を出て何年か実務を経験し、一人でプロジェクトを統括できるようになってきた時代にまかせられるのが担当者。その担当者がどれだけの情熱や思いを持って向き合うか。そしてその過程でその担当者が何に悩み、何を苦しみ、何を学び、何を決定してきたか。その全ての時間と全ての苦難の結晶が、目の前に建っている建築である。

一つ一つのディテール、素材、照明、目地、サッシ周り、足元のデザイン、アプローチ等々、全てがその担当者がこの世の中で一番時間をかけてこの建物に向き合い、彼が一番良いと判断して事務所の代表のOKを取ってきたものの積み重ねがその建築である。

予算、法規、施行可能性、施主の要望、機能性、事務所の方向性等々、様々な要因がありながらも、やはり担当者の好みや個性が必ず出てくるのが建築。その必死に過ごした時間の結晶からは多くのことが学び取れる。

どうしてこの納まりはこうなっているのだろうか?
なにがその決定を後押ししたのだろうか?
そんなことを考えながら一つ一つその背景を読み解いていく。
建築を見ることは、ある種その設計過程を読み解くミステリーの様なものである。

しかも、その設計者の手を離れ、実際に使われるようになってから分かってきた様々な不具合。つまり設計者が想定しきれていなかった自然との折衝。それが生のものとしての、人間を相手にする建築の宿命。そのような「設計以後」の状態も見ることが出来る。

恐らく多くの設計者が、そして担当者が竣工後に月日を重ねて見えてくる現象に、不具合ではないが使われていく中で「ああ、あそこはああしていれば良かったな・・・」などと思うことがある。実際に使われている建築を見て、その「ああ・・・」という担当者の思いまで想像することで、更に設計能力を向上することが出来る。そうした未来に繋がる発見こそ、一番学ぶことが出来る部分である。

そんな担当者が血の滲むようにして過ごした何ヶ月、何年の月日を余すことなく出来るだけ吸収してしまうこと。掻っ攫ってしまうこと。一生の中で実際に設計に携われる物件の数は必然的に限られてしまう。しかしこういう見方を持って訪れることが出来る建築の数は、交通の便が向上した現代においては人類史上最も建築体験をすることが出来る時代に入っている。

つまり、古代から現代に至るまで、様々な人々が設計してきた建築を体験し、そこに蓄積された人類の英知を全て吸収してしまうことが可能なわけである。

その為にはその建築の前で、自分ならこの敷地条件においてどう設計を始めるか。どうボリュームを置いて、どう機能を解いていくか。どう動線を配置し、どんな素材を採用し、設備はどうしたか、その設計過程を想像してみることが必要になる。

設計の中で何処が難しかったのか。担当者としてどこがチャレンジをしている部分か、どこで悩み、苦しみ、先輩に聞いたのか、それに思いを馳せることが必要である。

いくら若いスタッフといえども、建築という道で学び、そして自分の人生をかけている人物が一年以上もの時間を必死に向き合ってきた設計。その力は凄いものがあるはずである。それを全部吸収してしまうことは一体どれだけの価値になるのだろうかと思わずにいられない。

その担当者が犯してしまったミスから学ぶこと。
人のミスを自分のミスとして悔しがること。
なぜ設計の過程でその要因を見ることが出来なかったのか。
今の自分は見えないなにを今見なければいけないのか。

そうして過ごす時間が建築家としての職業的能力の向上を加速させる。

コルビュジェから学ぶこと。
雪舟の視線を奪うこと。

彼らが感じた「しまったなぁ・・・」ということを感じること。

離見の見(りけんのけん)から更に先へ。
歴史の先達の視線を借りて、その先に何を見ていたのか、
その境地の先にあった更なる世界を見ること。

建築巡礼の旅に出て、数多の歴史上の建築家の視線と同化し、多くの担当者の時間を垣間見る。そうして戻ってきた時には何倍もの経験値を身体の中に蓄えるような旅を建築家は人生の中で何度も繰り返すべきである。

2014年3月25日火曜日

「ゴールデンスランバー」 伊坂幸太郎 2010 ★★★

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第21回(2008年) 山本周五郎賞受賞
第5回(2008年) 本屋大賞受賞
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何かの本を読んでいると、ミステリーなんていう娯楽小説は、読んでも毒にも薬にもならず、読み終えてもなんら職業的向上、人生の価値に繋がらない。そんなものに時間を使うよりも、専門書に向かう時間を増やすべきだと書いてあるのを耳が痛くなりながら見たのも束の間、やはりリラックスする事も必要だと手にした一冊。

様々な賞を受賞し、映画化など何かと話題になっていたので、間違いなく娯楽として楽しめると信頼を置きつつも、本棚にほったらかしにしてあった一冊。読み始めてみるといやはや、何とも面白い。久々に止まらなくなりながら読み進める。

途中から、出てくるものは必ず後半で回収される布石だと思って読むことになる。印象的な花火。放置された車。飄々としたキルオ。それぞれは話の中でそれほど重要ではなく、恐らく思いついてどうしてもこれらを書きたいがために挿入したと少々テクニックが過ぎる感もあるが、それでも十分に面白い。先日の「ソロモンの犬」ほど、技に溺れる感がでるほどは踏み込んでいない。

タイトルの「ゴールデンスランバー(Golden Slunbers)」はビートルズの曲名で、直訳すれば「黄金のまどろみ」となるらしい。心地良い眠りとなるらしいが、大きなプロットがしっかりしており、緊迫感のある構図がちゃんと描かれ、そして登場人物の設定は明確に描かれている。その上、物語に新鮮さのあるトリックが使われており、何ともアメリカのドラマ的なプロットが実際に日本で起こってもおかしくないかなと最後まで読み切らせる力量はさすが様々な賞を取っただけのことはあると納得。

2013年6月22日土曜日

「龍神の雨」 道尾秀介 2012 ★★



ミステリーを展開する上で自ら設定した物語の前提。

それをどこまで崩すか?

もちろん、前提が堅強であればあるほど、それが崩れたときの驚きは大きい。しかし、インパクトを狙うあまりに、なんでも崩してしまう前提でいいのかといえば、それでは読者との信頼関係が構築できない。

どこまでの破壊を良しとするか?
その絶妙な駆け引き。

それが許せるギリギリの境界線で成り立っているからこそ、ある1ページから以降は、今まで見ていたと思っていた風景が一気に「ガラッ」と変わってしまう。そんな印象を受ける、その1ページの存在。

その1ページから失踪するように暴かれる様々なボタンの掛け違い。文字によって、作者の意図に操作され、読者の頭の中で構築された世界が、実は大きく偏差してしまっていたと徐々に気づかされる。その楽しむかのような騙しあい。

登場するのは共に兄妹。
共に不幸を身に纏い、
共に近くて遠い家族への疑惑を抱え、
共に本当の世界が見えていない。
共にやまない雨の中で生きている。

雨の日に恐怖で見えたと思う龍の姿。
そこに恐怖を感じるのも、もしくはその後の希望を感じるの、
受け取る自分の気持ち次第。

「雨さえ降らなければ」と過去を見つめて生きるより、
「雨のせいで見えなくなってしまったものがある」ことを理解し、
「雨の後に覗く日の光」を信じて前を向く。

前半での伏線の仕掛け方、読者の思考の操作、複数の登場人物の交差の仕方、そして後半にて一気に回収される伏線達など、ミステリー作家としての作者のテクニックが確かなことが良く理解できる一冊。ではあるが、だからこそか読み終えた後に何か物足りない気分にも陥る一冊でもある。



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第12回(2010年) 大藪春彦賞受賞
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2013年5月30日木曜日

「砂の器 上・下」 松本清張 1961 ★★★


これまた家の本棚に長年埋もれていた一冊。読んだものだとばかり思っていたが、改めて手にとってみると、恐らくテレビや映画で目にしていたその有名なタイトルのイメージから読んだ気になっていただけで、決してちゃんとは読んでいないと理解し改めて手に取ることにした。

そんな訳でオーストラリアまでの長い機内でさらっと読み切れてしまうが、その内容はとても50年以上も前の作品とは思えないくらい、細かいところに伏線が敷いてあり、それが後半にしっかりと回収されていてなんともお見事としか言いようが無い。

冒頭から明らかにこいつらの中の誰かが犯人だろうとは暗示されているが、まさか二人の犯人だとは思いもよらない。そしてその生い立ちに込められた複雑な事情と、それを隠すための経歴。

ゲームではなく何もないところからヒントを見つけ、自ら過程を構築していき、実際にその場に足を運んで追っていく。徐々に自ら描いた物語を具体化し、その中の人物像を見つけていく。まるで靄の中に手を伸ばし、人影らしきものを捕まえるかのように。

ミステリー好きならできるだけ早い時期に手にする一冊であろう。

2013年5月15日水曜日

「さよならドビュッシー」 中山七里 2010 ★★★★


このミステリーがすごい大賞受賞作の中では圧倒的な作品だと思わずにいられない、圧倒的な言葉と内容。そしてピアノという世界の疾走感とリズム感。読み終えた後に、久々にショパンとドビュッシーでも聞くような週末を過ごしたくなるような一作。

ミステリーとしての伏線のしき方。楽譜の上に置かれた音符が連なることで音楽を奏でるかのように、前半から散りばめられた伏線たちが一つ一つ絡み合いながら、徐々に一つのメロディをつむぎだす。時に強く、時に速く、時に優しくとリズムを変えながら。

「楽器を奏でるのはもっと楽しいはずなのに、何でこんなに苦痛なのだろう?音楽ってこんなに気まずい思いをしなきゃいけないモノだろうか?」

バレエでもピアノで、どの世界でも上を目指そうと決めたときから開始する痛みを伴うような苦痛の日々。ピアノという10代の時間の過ごし方がその後のキャリアに直結するような世界。

「夢を見る夢、お前が追っているのは起きて見る夢。そいつが現実の中でどれだけ足掻いておるか」

自我が芽生え始めた時代に、これだけストイックに自分を追い詰め、楽譜に向き合いながら、それでも努力した誰でもが評価される訳ではなく、そこには厳しい優劣が決められ、勝敗が決定される。そして勝ち残ったものだけが次のステージに上がっていける厳しい世界。

「ピアノ弾きとピアニストという言葉があって、この二つは似ているけど全く違うものなんだ。ピアノ弾きは譜面通りに鍵盤を叩くだけ。しかしピアニストは作曲家の精神を受け継ぎ、演奏に自らの生命を吹き込む。もちろん、そのためには血の滲むような努力が必要だ。」

好きで足を踏み入れた世界。気がつかないうちに目を送ることになった上の世界。限られた席を目指す数多のライバル。より高いところからの風景が見たければ、他の誰にも負けない実力を身につけるしかない。

「重要なのはその人物が何者かじゃなくて、何を成し遂げたか」

誰もが口には出さないが、一日でも早く「勝負」で優劣が決まる、勝敗が決まる日々から解放され、自分の立場、自分のポジション、安定した生活が保障されてほしいと願うものである。それは楽だから。常に自分を追い込み、ストイックに時間を過ごし、周りが楽しそうに過ごす姿を横目に見ながらも、それでもまた自分自身に向き合うことになる。

「称賛と興奮は一瞬で治まるが、嫉妬と冷笑はいつまでも持続する」

ネット社会に突入し、無制限の刺激に晒された人類は、その欲望の消費活動も加速させ、一つの刺激に飽きてはすぐに次の刺激をさ迷い歩く。

「我が身を不幸と信じる人間が嘆き悲しんだ後に思いつくことは、自分以上に不幸な人間を見つけ、その不幸度合いを確認することだ」

人生はいい時もあれば、悪いときもある。良い時は上を見て歩けるが、悪いときは必ず下を向くことになる。その時にどういう風に時間を過ごすかがその人の人格を決定させる。

「その職業を選択した時点でその道のプロになろうと努力するのは最低限に義務だと僕は思います」

生きる糧なのか、それともプロフェッショナルとして二本の足で立ち、社会に対して正々堂々と生きていくのか。

「皆と違う道を歩いているのは、皆と一緒に歩くことが怖いからじゃないか。表現者だとかクリエイターだとか、自分は一般大衆とは違うんだと気取っても、結局は闘うことから逃げている只の臆病者じゃないかと思ったんだ。他人と違う道を歩けば、確かに違う景色を見られる。しかし、その道は未舗装の曲がりくねった道だ。泥沼もあって足を取られる。どこに到達するのか道標もない。自分のことは棚にあげておいて卑怯なようだけど・・・自分だけが特別な存在だというのは傲慢で、そして臆病な者の虚勢に過ぎない。」

人が社会的存在であるならば、その存在意義もまた社会なくしては成り立たない。自分の本来の姿を見ることを恐れ、また見られることを恐れるあまり、「競争」や「勝負」から避けているうちに、社会からどんどん距離を置くことになる。

「大事なのはどんな道を歩くかではなく、どう歩くかである。」

「逃げるのは確かに楽だ。でも、それだけだ。楽をして得られるものは怠惰と死にゆくまでの時間しかない。」

「すべての闘いはつまるところ自分との闘いだ。そして逃げることを覚えると余計に闘うのが怖くなる。」

とことんストイックな言葉達。中高生の部活動の先生が読んだらよっぽど意味があるだろうと思わずにいられない。

「技術は必要だけど聴衆はそんなものを聴きたいわけでない。聴衆はどんな超絶技巧をみせられても、感心はしても感動はしてくれない。人が感動するのはいつだって人の想いだからね。その想いを形にしたものが芸術性だ。」

建築の世界でも陥りやすいこの穴。技術という積み重ねが聞く分野に足を踏み入れ、費やした時間の長さで評価を得ようとするのに対して、いつまでも潔く、自らの信念と感性によって負けるのも厭わずに勝負し続けること。その中でしか、見えてこない本当の自らの想い。それを見つめられるまで時間を費やせるかどうか。

「現代は不寛容の時代だ。誰もが自分以外の人間を許そうとしない。咎人には極刑を、穢れた者、五体満足でない者は陰に隠れよ。周囲に染まらぬ異分子は抹殺せよ。今の日本はきっとそういう国なんだろう。いつころからか社会も個人も希望を失って皆が不安がっている。不安が閉塞感を生み、その閉塞感が人を保身に走らせる。保身は卑屈さの元凶だ。卑屈さは人の内部を腐食させ、そのうち鬱屈した感情が自分と毛色の違う者や少数派に向けられる。彼らを攻撃し排斥しようとする。そうしているうちは自分の卑屈さを感じなくて済むからだ。立場の弱いものを虐めたり差別するのもたぶんにそういう理由だろう。不正を糾弾された人間に問答無用で罵声を浴びせる、頂上を極めて者の転落を悦ぶ・・・全部同じ構造だ。」

日本全国を覆う閉塞感。誰もが感じるその圧迫感。いつからこんな国になってしまったのか。その「空気」を代弁する作者。

「逃げることを覚えるな。闘いをやめたいと思う自分に負けるな」

なんともかんとも、ミステリーという形を借りた作者の人生論が散りばめられた言葉達。それらがどれもストイックで、そしてまっすぐ。啓蒙本のように借りてきた言葉ではなく、自分で見つけた言葉だからこそ物語の中で彩りを放つ。恐らくとてつもなく物事を考えながら、密度の濃い時間を過ごしているのに違いないと思わずにいられない。


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『このミステリーがすごい!』大賞第8回(2010年)大賞受賞作
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2013年5月14日火曜日

「早春の化石」 柴田哲孝 2010 ★★★


男なら一度は憧れる職業というものがある。

その一つが私立探偵。東京のような狭苦しい場所に留まらなければいけないのは、そこにしか仕事が無く、そこでしか人に出会えず、そこでしか楽しいと思える刺激がないからだとしたら、生きるに困らないだけの仕事の依頼が入ってきて、興味深くかつ若くて美人なクライアントがわざわざ訪ねてきてくれて、時に友人達とBBQをし、時に鳥のさえずりを聞きながら物思いに耽ることが出来る自然の中のテラスがあり、適度な距離を保ちながら彩りを与える友人達がいる。そんなおおらかな生活を可能にする広さ。それを所有する事が可能でかつ東京にも繋がれる場所として福島が舞台。

都会の雑踏の中でしか生きる喜びを見つけられないというような青臭い時代を終え、ある年代で経験すべき事をしっかりとこなして大人になった男が、自分の時間の過ごし方を知り、ダッチオーブンやローマイヤのハムなどこだわりをもったモノ達に囲まれる生活。社会や世間というものから距離を取ること、その中で評価される事に囚われない身。漂う清々しさ。今の自分の姿と比べてみては、間に横たわる距離に歯ぎしりすることになる。

そんな訳で叔父の死により相続したこの家を拠点に活動する事になった神山健介シリーズ第2弾。前作の夏から季節は巡り今度は春。土の中から様々な生命が息吹出す季節にその土の中から死んだはずの姉の声が聞こえるという双子の妹からの依頼。有名なモデルでしかも相当な資産家の娘。なんとも羨ましいがありがちな展開にもれず、どうも男性に依存するタイプの女性な様子であっという間に身体を重ねる事になる。どうにも最近はワイルドなタイプはモテるという設定のようである。

何世代にも渡る歴史の中にミステリーの答えを持って行くのは他の作品でも見受けられるが、そのワイルドな風貌か想像出来るワイルドな私生活と交友関係からの真実味のありそうな歓楽街での人探し。そのやり取りはなかなかスリリングで物語に緊張感を与える。

通底するハードボイルドとしっかりと練られたミステリーの絡み合う糸。ストーリーが比較的明確なのであっさり読みきれてしまうが十分楽しめる娯楽作。次の季節の秋を楽しみに待つことにしながら、それまでに自分もローマイヤのハムで・・・というように、「○○の何とか」と身の回りのものに対してのこだわりレベルを少しでも向上しておくようにする。

2010年10月8日金曜日

「禁断のパンダ 上・下」 拓未司 宝島社文庫 2009 ★


タイトルと元料理人という作家の略歴に第6回『このミス』大賞受賞と帯がつけば、十分手に取ってみる理由付けはできる。

ミステリー作家が料理を題材に取材を重ねて書いた作品というよりも、ミステリー好きな料理人が溜め込んでいたアイデアを存分にぶつけたという感じの作品。

「アラサーにもなると、女性は出席する結婚式での料理にはかなり厳しい視線を持って出迎える。」

という妻の言葉が頭を過ぎるオープニング。

元料理人ならではの料理の味に対する表現などは、ところどころなるほどと納得させられ、それにパンダが昔は肉食であったということに、禁断の行為が神の怒りに触れて草食にさせられというアイデアが組み合わされって、これはいける!と思ったであろう筆者に「アハッ!」体験が訪れた日が目に浮かびそう。

しかしその武器だけで最後まで緊張感を保つのにはやや厳しかったのか、最後はかなりダレた感がいなめない。