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2018年5月27日日曜日

「「ラクして速い」が一番すごい 」 松本利明 2018 ★★

松本利明 

「生産性と効率化だけを求めると、人はいつか燃え尽きます。」

この本の中でも言われるように、いかに効率を上げて仕事をこなそうとしても、現代のような情報社会の中で、生身の身体で向かっていけば、おのずとそこには限界があり、行き着く先は身体を壊すか、精神をやられるかのどちらかになるのは間違いない。

それが頭で分かっていても、一日に処理しなけばいけない事象は加速度的に増えていき、行わなければいけない判断と、それに伴う指示というコミュニケーションも数年前とは比べ物にならないほどに多くなってきている。

「限界」が訪れるのはそう遠くない未来だなと思うからこそ、根本的に仕事への取り組み方を考え直さなければと考え始めてこの数年。その一環としてふと手にした一冊。

まずは、物事の整理整頓をしっかりし、必要ないものを抱え込まず、残ったものに優先順位をつけて、どうにかなるさと小さな失敗に捉われることなく前に向かうこと、それを繰り返すのみということのようである。
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目次
1章 一発で決める
2章 スパッと割り切る
3章 抱え込まない
4章 組織の「壁」を利用する
5章 自分で「できる」ようになる
おわりに
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2014年2月11日火曜日

少々の不自由さ

北京に戻り、冷蔵庫を開けるが暫く家を空けていたのでこれといった飲み物が無い。そんな時思うのは、深夜にも関わらず、すぐに外にでて近くのコンビニで何十種類の中から好きな飲料を選ぶ。そんな日本の便利さはここにはない。夜には閉まるスーパーが朝に開くのを待つしかない。

こんな些細な事だけと、日本にいると当たり前のことがどれだけ過剰に便利であり、心地よい環境かということを思い知る。

これを企業努力というのだろうが、人は少しでも便利だと思う事、快適だと思う事にお金を払う。それが企業にとって少しでも儲けに繋がる、利益になれば、様々な手段を使って開発される。競合他社よりも一時間遅くまで営業していれば、利益がどれだけ上がる。ほかよりもより近く、高密度で店を展開すればどれだけ売り上げが上がる。

高度なマーケティングのシュミレーションと組み合わされ、住まう人はデータを作り出すパラメーターとして把握される。そこには、快適な調整された環境で育てられた動物が、いきなり厳しい野生の中に放り込まれたら自分を守ることもできずに死に絶えてしまうような、「人はどこまで快適さを与えられたら、厳しい現代社会で生きていくうえでの力を無意識のうちに失っていくか」などという要因は加味されない。

確かに便利になったり、快適さを感じたりすることに流れるのは止める事ができない。ただ、それが世界の他の国と比較して、どれだけ差異化されているのか?多様である他の国では、どれほど日本から見たら低いといわざるを得ないスタンダードで多くの人がそれを当たり前として暮らしているのか。

それを認識せずに、ただただ全てを与えられ、すべてを経済性から捉え、対価を支払う事で進歩したサービス産業の恩恵を受けるんだと開き直ることで、どんどんと楽に慣れた堕落した人間を作り出してしまうのではと思わずにいられない。

コンビニの例だけではなく、様々な場面において一つの事をこなそうとする時のハードルが過度のサービスの発展の為に、非常に低くなっている現代の日本。しかし提供されるサービスが向上するのは、それはあくまでもビジネスの一環であるから。そこに利益があがるというシュミレーションが働くから。

もし、そこが限界集落、極点社会へと針が振れ、利益の見込みがなくなった時には、恐ろしいくらいにあっさりと撤退していくのが競争に晒された企業の本質。日本が人口を失い、国の枠組みが少し外に開き始めれば、外部のスタンダードが大量に流入するのは眼に見ていてる。

そんな時代を見据えると、至れり尽くせりのサービスにどっぷりと精神を浸して過ごすのではなくて、人が健康的に生きていくのに一体どの程度が適切か、自ら判断しながら、世界の標準と距離を測りつつ、しっかりとサービスの中から意識的に選択して付き合っていく必要があるのだろう。

少々の不自由さの中で生きたほうが、人は困難を克服しようとする力が養われる。特に小さな子供には、できるだそんな環境で育っていくのがいいのではと思いながら冷蔵庫を閉めることにする。

2014年2月8日土曜日

スーパー銭湯の公共性

風呂好きの父親が、「最近できたスーパー銭湯の割引券があるから一緒にいかないか?」と誘ってくる。折角だからと風呂嫌いを公言している母親をおいて、妻と三人で出かける事にする。

地元には昔からあるスーパー銭湯があり、いつもはそこに足を運ぶのだが、今回は少し方角が外れた方向にできたという新しい施設。到着すると広い駐車場にはほとんど満車の車。

スーパー銭湯が郊外生活の一つのプチ贅沢に定着したのがモータリゼーションと融和したこの風景からよく感じ取る事ができる。日常の夜。夕食を食べた後の家庭で、「今日お風呂行くか?」と子供をつれてやってくる家族の姿。大人一人700円くらいなので、決して安くは無い金額であるが、毎日ではないからと少しだけ贅沢な気分になれて、なおかつ身体を伸ばしてお湯に浸かって、疲れが取れると自分に十分な言い訳を与えられる。

子供連れの家族が月に2,3回、一度につき2000円ほどの出費をすることで、恐らく十分施設的には利益を上げることができる仕組みになっているのだろうが、外食同様、通常家庭の中にあるものを外で行う事で少し豊かな気分に浸れるという、必要な日常の一部を外に持ち出すビジネスである限り、今後共間違いなく広まっていくだろうと思える業態であろう。

そんな間違いの無いビジネスだけに今後は競争が激しくなってくるはずであるが、そこに現れたのが二番手が、一体どんな手を使って差異化をしてくるのかと期待して暖簾をくぐる。

「500円の割引券をもらった」という父親がなにやら入口で戸惑っているようなので聞いてみると、これは通常700円のところ500円で入れますという割引券で、それを父親は500円割り引かれる券だと理解していたという。確かに分かりにくい表記をしてあるのでなにやら怪しいなと思いつつも料金を支払い妻と待ち合わせ時間を決めて中に入る。

脱衣場に入って気がつくのが、あちこちに張ってある「盗難注意」の張り紙。そして同時に張ってあるのが、「盗難については一切の責任を負いません」の文字。オープンから既に、何かしらのトラブルが発生したのかどうかは知らないが、明らかにトラブルに巻き込まれる事を回避することを目的とした張り紙。「忠告しましたからね。後はこちらは責任を負いませんよ」といわんばかりのその張り紙は見ていて少々気分が萎える。

流石に新しい施設だけあって風呂はなかなか綺麗で多様で、しかもそれぞれの風呂で共用のテレビが見れて、長く浸かっても飽きないようになっている。身体を洗い、一頻りそれぞれの風呂を楽しんで外に出て妻を待っていると、どうやら待合場所にはたくさんの子供向けのゲーム機が用意してある。どうやら甥っ子がはまっているという、魚釣りゲームもおいてあるようである。なんでも、お金を払うとより良い竿が手に入り、より大きな魚がつれるという課金方式のあれである・・・

見ていると浅はかなゲーム会社の姑息な手段にまんまと踊らされている無垢な子供達がダダをこねて親を困らせているようである。恐らくここに来ている家族の中には、子供があのゲームをやりたいが為に親にねだってこの銭湯に来ている人たちもいるのだろうと思わずにいられない。

自分で理性をコントロールできない子供をゲームで釣って、それをだしに家族を引き付けると言うなんとも古典的といえばあれであるが、そのようなビジネスモデルはますます下流化の流れを加速するだけでは?と思いながらなかなか出てこない妻を捜しに入口に。

カウンターを越えたところにも簡単な座れる場所があるので、ひょっとしたらそこで待っているのかも、と思い受付の人にそこまで人を探しに行きたいのですが・・・と聞いてみるが、「再入場は一切お断りですので」と頑なな態度。さっき中から出てきたところを見ていたはずだし、そこまでなら視界に入っているのでチェックもできると思うのだが、一切の例外は認めない方針のようである。

つまりは全てが性悪説に基づいて運営されており、「人は悪い事をするはずだ。だから先手を打って、こちらに迷惑がかからないようにしておこう。あとはそちらの責任です」というなんとも味気のない場所になっている。きっとそれでも十分利益がでているのだろうが、スーパー銭湯という少々わびしいが、残念ながらこれからの地方都市の地域の公共の場となる場所であるならば、少しは人間を信頼し、大らかな空間を作り出すことで問題を防ぐことができないのだろうかと思ってしまう。

どちらにせよ、二度と来る事は無いだろうし、またそんなに遠くない時期にここはつぶれるのではないだろうかと想像しながら、出てきた妻を連れ立って家路につくことにする。