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2014年1月28日火曜日

展覧会 「磯崎新 都市ソラリス」 ICC 2014 ★★

ギャラリストの友人から招待券を頂いたので、折角だからとオペラシティへまで足を伸ばすことにする。メディア系ギャラリーとして認識はしていたが、こうして展覧会を見に来るのは意外と初めてになるICC。磯崎新設計のオペラシティと言う事もあり、いい機会だから建築と合わせて展覧会を楽しむ事とする。

そのキャリアの中で常に「都市」に向き合ってきた現代の建築業界における巨人・磯崎新。氏の時代ごとのプロジェクトの変遷を辿りながらその都市論を再考しながら、現在進行している世界での都市計画を展示しながら最新の都市論を考えるという趣旨のようである。

「ソラリス」と聞けば、タルコフスキーの映画を思い出してしまうが、使い古されながらもそれでもまだ近未来の面影をかすかに待とうその言葉を巧みに使いながら、数年前に日本を襲った津波を引用しながらも、〈しま〉から〈しまじま〉へ、そしてフーコーの〈ビオス〉などの引用を経て〈しまじま〉が今度は〈ギャラクシー〉へと成長していく過程にある現代において、一体どんな都市論が議論できるのだろうかと投げかける。

常に建築言論のトップを走ってきた氏ならではの、広範囲でかつ非常に深い総合地が無ければ疑問すら挟めないような雰囲気にさせてくれるその言説。留まる事のない大衆化が押し寄せる現代の建築界において、それでも建築家と自らを称するならば求められる教養のハードルの高さを改めて実感させられるその入り組んだ言葉達。

眩暈のするようなその展示方法と同様に、少々その言葉達にも酔いそうになりながら、何とかその重厚な手すりを握りながら階段を下りることにする。



2014年1月24日金曜日

「斜陽」 太宰治 1947 ★★★


漱石にしても太宰にしても、描くことはその時代時代に目新しい事象ではなく、人間の持つ本質的な感情を描き出すから、何十年経っても決して古びることなく読めるのだと感心する。

まさに戦後と呼べる1947年に書かれた、没落にせよ貴族が残っていた時代の物語。

異なる時代の太宰自身が投影されたという4人の登場人物の設定ということだが、何と言っても冒頭から不思議な雰囲気を醸し出す母のなんとも上品なしぐさに、全てが大衆化に向かう現代には無いものを感じざるを得られない。

貴族という、ある種の下部構造に支えられる階層が社会の中にあることで、それぞれの役割分担が深層心理の中で共有されていた時代。生活の保障の上に成り立つ文化への深い造詣など、生きる事を心配しなくて良い身分ならではの日常だが、社会が変化し、その基盤も変化する変動期において、人々がどうリアクションし、市井の大衆であればあるほど、軽やかにその変化に対応していくのに対して、高貴な人々はそれぞれが新たなる道を見つけられずに没落していく。

まさに一日の終わりに訪れる斜陽の様に。

そして現代の日本に訪れているのも、社会の根本を変えないといけないほどの変化の波。それが外からも内からも沸き起こっているのに対し、大衆は敏感に変化へと向かいつつあるにも関わらず、現代の貴族達はやはり変化を拒み、今を継続しようと躍起になる日々。

そこに訪れるのは同じような斜陽なのか、それとも終わる事の無い夕闇なのかは誰にも分からない。