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2015年1月2日金曜日

南屏晩鐘 浄慈寺 西湖十景 ★★


蘇堤を渡りきり、西湖の南岸へとたどり着く。そこからぐるりと湖を巡るようにして徐々にその全容を現す雷峰塔を前方に捕らえながら進んでいく。

西湖南岸には西湖十景の二つが存在するが、まずは外側の「南屏晩鐘(南屏晚钟)」から立ち寄ることにする。といっても、それが何を意味するのか誰もちゃんとリサーチしてきている訳でもなく、分かりやすい案内板がある訳でもないので、それらしき施設に行って「南屏晩鐘はここか?」と聞いていく。

右手に見えてくるのは浄慈寺(じょうじじ、jìng cí sì)というお寺で、その南に広がる南屏山の麓に鎮座している。この寺は五代時代の呉越王が建立した寺といわれ、時代に鐘楼が消失したが1985年に日本の永平寺の僧侶たちにより再建されたという。

⑧「南屏晩鐘(南屏晚钟)」 (なんびょうばんしょう、nán píng wǎn zhōng)
浄慈寺の境内にある鐘楼。少し小高い丘の上にある境内から、夕暮れ時にこの鐘の音を聞きながら夕日に染まる西湖の風景を見ることを指す。

それを知らずに境内を何かを知らずに探し物をするかのごとく歩き回り、結局何が「南屏晩鐘」指すのか分からずお坊さんに聞くと、「この鐘だ」と教えてくれる。せっかくなので鐘の上に上がっていくと、ちょうど係りのおばさんがご飯を食べて帰ってきたばかりで、口の中に大量の食事を詰めながら門を開けてくれ、「鐘を一つ突くには10元だ」とい言うので、4人を代表して煩悩を飛ばすかのように「ゴォーン」とやっておく。 

日本の除夜の鐘の習慣も、中国から宋代に渡来した習慣というから、南宋の首都であった杭州で鐘を突くのもまた、何かの縁なのかと思いながら、リスの走り回るのどかな境内を後にする。


西湖十景
①「蘇堤春暁(苏堤春晓)」
②「曲院風荷(曲院风荷)」 
③「平湖秋月(平湖秋月)」
④「柳浪聞鶯(柳浪闻莺)」
⑤「断橋残雪(断桥残雪)」
⑥「花港観魚(花港观鱼)」
⑦「双峰挿雲(双峰插云)」
⑧「南屏晩鐘(南屏晚钟)」 浄慈寺
⑨「三潭印月(三潭印月)」 
⑩「雷峰夕照(雷峰夕照)」 雷峰塔








2013年2月10日日曜日

総持寺(總持寺)(そうじじ) 1321 ★★


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所在地  神奈川県横浜市鶴見区鶴見2
宗派   曹洞宗
寺格   大本山
開山   1321
祖師   道元・瑩山
機能   寺社
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奈良から続く仏教に対して浄土思想、禅宗の伝来によって新たな局面を仏教世界に与えた鎌倉仏教の革命。その大きな流れの一つとして、道元によって開かれた曹洞宗。仏教の修行の為に禅を極める根本道場として人里離れた越中の山奥に1244年に開かれたのが永平寺

南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)という念仏が、しとしとと降りしきる雪の中に染み入る様な空気の中では、常時200名以上の修行僧が朝から日が沈むまで修行に励げむ。

それから80年の月日が流れ、瑩山が石川県輪島市に1321年に開いたのが総持寺。1615年に徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで曹洞宗の大本山と認定されるようになる。

そして600年の月日が流れ、江戸から明治の近代日本のなか、1911年に火災により消失したのをきっかけに現在の横浜市鶴見へと場所を移し、近代建築として再建され、約50万m²以上の敷地を持ち、全国に約15,000の寺院と、1,200万人の信徒を抱える曹洞宗の大本山として永平寺と肩を並べる存在になっている。

なんといってもその大きさ。広大な敷地の中では大学も運営しているだけあって、とにかく広く、敷地のあちこちに袈裟を着たお坊さんの姿が見え、国際的な禅道場として位置づけられているのが良く伝わってくる。

かつては草深かったであろう武蔵野国だが、600年の時間と共にすっかりと俗世へと染まった周辺地域を横目に、小高い丘にこんもりとした森の中にひっそりと隠れ、山の起伏を利用した参道の配置から金鶏門(きんけいもん)を潜った途端に直行グリッドの中に配置される建物郡。そしてとにかくでかい大祖堂。

その信徒数からも納得できるように、そして永平寺として全国15000万以上もの寺院のトップに立つ総本山としての威容を見せ付けるかのごとく、俗世からは遠くかけ離れた建築のスケール。

石原裕次郎や伊東忠太の墓もこの総持寺にあるというが、他にも多くの有名人が眠っているという。

そんなに勾配は無いが、出来るだけ俗世に距離を取ろうという意志が働いたと思われるが、参道から出来るだけの直線をとりたどり着く三松関。そこから折れてまた出来るだけの直線を歩かされて、微妙な勾配も手伝って見上げることになる三門(さんもん)。

その後は起伏に沿って金鶏門(きんけいもん)をくぐって境内へ。左右二つの如何にもな雰囲気を醸し出す建物を見据え、どちらからお参りに行くか迷いながら、まずは木造の仏殿へ。これも相当大きな建物に分類されるはずだが、その横に見えている大祖堂のスケールが桁外れなだけに、なんだか小さい建物の様に錯覚を覚える。

お参りを終えて、緩やかな勾配を下りながら、壮大と巨大の違いをに想いを巡らせることになる。



















2011年12月17日土曜日

永平寺 曹洞宗 大本山 ★★














冬の北陸を見に、雪の小松空港に降り立ち、レンタカーを飛ばして隣県の福井県へ。

目指すは曹洞宗の大本山・永平寺。

曹洞宗といえば、鎌倉新仏教である6宗(浄土宗、浄土真宗、時宗、法華宗、臨済宗、曹洞宗)の一つで道元によって開かれた坐禅を組むことで悟りに至るとし、厳しい修行で知られる宗派。

今年のテーマが宗教ということもあり、鎌倉仏教の総本山は永平寺を終えれば残すは時宗の遊行寺のみ。年内になんとか行けそうだなと想いを馳せながら、道路わきの木の枝に降り積もった雪が、時々「ドサッ」っと落ちてくる、なかなか緊張感のある雪道を走ると、次第に背の高い杉の頭にチラチラ雪がかかる雰囲気のある景色へと変わる。

寺院の建物は伽藍と呼ばれ、人の身体になぞらえて建てられた7つのお堂を七堂伽藍と呼び、坐禅だけでなく、食事、入浴、寝ること全てが修行として、全国から集まる200名の雲水が寝起きをする座禅修行の道場。

その為に、山門は修行に訪れた僧が修行を始める時と、修行を終えて自らの地元に帰る時の二度しかくぐることができないということで、もちろん参観客はくぐれない。その先にある鐘楼堂は「ゆく年くる年」でお馴染みのもの。

あくまでも修行の道場ということで、ところどころで多くの僧にすれ違う。皆、赤は4時半から修行を開始し、食事担当になると2時半から起床しているという。真っ暗だろうな・・・と思いながら、起きて半畳、寝て一畳という僧堂では、言葉を発してはいけないと教えられる。

百寺巡礼にもあるが、永平寺では宿泊を兼ねた坐禅修行ができるコースが用意されてるという。3泊4日でかなり厳しい日課をこなすという。

それにしても思うのは、降る雪が遅いこと。スローモーションのように、音無く漂う白の粉末。時間が止まったような風景に目を取られていると、屋根の端からコインゲームのように押し出された雪塊が「ドサッ」っと時間を進める様に、空間にアクセントをつけてくれる。そんな雪の永平寺。