ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年3月25日火曜日

悪人の比率

日本の携帯にメールが届いているので珍しいなと多い見てみると、下記のような内容。

-------------------------
差出人; (株)エスワーク

早速、本題に入ります。
現在お客様がご使用になった携帯電話端末より、以前お客様がご登録されました
「総合情報サイト」
「特典付きメルマガ」
「懸賞付きサイト」等において、無料期間内に退会手続きが完了されていない為、ご登録料金及びご利用料金が発生しておりましたが、料金が未払いの状態となったまま長期間放置されております。

当社はサイト運営会社より依頼を受け、料金滞納者の個人調査、身辺調査及び手続きの代行を主に行っております。
本通知メール到達より翌営業日正午までにご連絡を頂けない場合には、規約に伴い、
個人調査の開始・各信用情報機関への個人信用情報(ブラックリスト)の登録・法的書類を準備作成の上、即刻法的手続き(強制執行対象)の開始、以上の手続きに入らせて頂きますので予めご了承下さい。
手続き完了後、後日回収機関によりご本人及び第三者への満額請求へと変わる場合もあります。
手続き移行の前により良い解決に向かう為、退会の手続き、和解、相談等ご希望の方は、お電話にて担当者までお問い合わせ下さい。

※尚、本通知は最終通告となります。
-------------------------

「オレオレ詐欺に引っかかる高齢者はなんであんなに簡単に引っかかっちゃうのだろう?」と思っていたが、やはりこんなメールがいきなり届くとやはり人は不安になるものである。

こういうのはやはりいきなり「個人」あてにくるから、相談する人もいなくて勝手に一人で不安になってしまうのが問題だろう。そんな訳でネットで調べてみると、出てくる出てくる、詐欺メールの報告。

詐欺・迷惑メール・架空請求・個人情報  注意対策・相談ブログ

(株)エスワーク って知ってる人いますか…  至急回答願います。 早速、本題... - Yahoo!知恵袋

何十万通もランダムに送り付け、その中の一人でも返信したらそれで元は取れるような詐欺になっているのだろうが、こういうのを見ると人というのは根本的には少しでも楽をして生きよう、お金を稼ごうとする生き物であるということを見せつけられる。

皆がそんなことばかりしては社会が成り立たないので、なんとか倫理観をうえつけて、まっとうに働いて労働の対価としてお金をもらうようにして生きていく。それでも、どんな社会においても、そんな辛い労働に従わずに、少しでも悪知恵を働かせ、人を騙すことで自分の利益を上げようとする悪者が必ずある一定の割合で現れるものであるのだろう。

それだけ知恵が働くのなら、普通に働いてもかなり立派な仕事ができるのではと思ってしまうが、やはり少しでも楽をして大金を手にしたいという動物的な本能が勝るのと、仕事で何かしらの達成感を感じようとする社会生物としての存在意義を一切感じないのだろうと想像する。

メールを見て少し不安になり、そしてネットで調べ、現在進行形の詐欺の形を理解し、そしてこうしてそれについて思いを巡らせる。そんな時間も悪人がいなければ費やすことになかった時間だと思うと、何とも無駄な時間を使わせてくれたな・・・と毒つかないわけにいかない。

2014年2月10日月曜日

実家堕落論 

休暇にあわせて帰省をし、両親が住まう実家にて数日を過ごす。数日にも関わらず、あまりの快適な環境に麻痺するように自らが堕落していくのを感じて過ごす。

ネット時代から取り残された高齢者の両親の家であるため、ネットへの接続がない環境。普段なら考えられない事態であるが、その為にまともに仕事のメールをチェックすることすらままならない。

仕事をするしつらえになっていない為に、図面を開いてチェックしようとしても、ちゃぶ台にノートパソコンを置いてなんとも疲れる格好で画面に向き合おうことになる。そんな状況でまともな仕事ができるはずもない。

普段なら数十分ごとに各プロジェクトの進行がどうなっているか、SNSやメールでやり取りが行われているが、完全にその世界から蚊帳の外に置かれた状況。始めの数日はその環境にかなり焦りを感じてソワソワと落ち着かないが、それすら「しょうがない」と踏ん張りが効かなくなってしまう。

日常は物凄いスピード感で動いている世界。様々な相手とやり取りをし、問題をできるだけ短期間で解決し、できるだけ設計を進めること。少しでもサボれば、その分後の自分がきつくなるだけ。だからできるだけスピードを落とさず、流れから外れないように仕事を進める。

そんな日常がすぐ隣に存在しているのが嘘の様にゆったりと流れる時間。そして「人は慣れる動物」であるのを実証するように、こんな堕落した時間を過ごしていてはいけないとわかっていても、人は楽を覚えるとドンドン流される。

生きていくうえで負担しなければいけない様々な事。洗濯や家事、家賃負担や料理。掃除や風呂の準備まで、そこに生活を持っている人の日常に入り込むので、短期のパラサイトになる訳で、自分がやらずともおのずとやってくれてしまう親のありがたさ。

とにかく楽。

もし自分が引退し老後を過ごすだけの高齢者ならそれでもいい。しかしこれから現役世代とし家族を養っていかなければいけない年代に、気力が萎えるのが一番恐ろしい。

この環境は頑張る気力を萎えさせる。ここに長くいてはダメだと身体が感知する。

とりわけ、自分の両親が特にダメ、子供に甘い、という訳ではない。恐らく親というのはそういうもので幾つになっても子供の世話をして喜ぶ。問題は大人になっても、その緩い環境に甘んじてしまい、楽をする自分。

それはある種の怖さをもたらす。その緩慢な環境から抜け出せない人が多くいるのも理解できなくない。そしてそれを簡単には責められない。誰もがこんな楽をしていては、自分で生きていけなくなると思いながらも、それでも毎日少し、少しと麻痺し、それでも世話を焼いてくれてしまう親心に甘え、徐々に徐々に堕落の底へと落ちていく。

その先に待っているのは、引きこもり、ニート、パラサイト。親が元気なうちのという期限付きのパラダイス。

親と過ごす時間は必要であるが、適切な距離を保ちつつ、自らに滞在時間を限ることが自身の心の堕落から救う必要があるのだと改めて理解し、子供が出来たらやはり適切な時期には親元を離れて生活させる必要があるのだと実家に戻る為に思わされることになる。

2013年12月23日月曜日

人は楽をする

色んなところで言われるように、日本では正規と非正規の格差が留まる事を知らずに広がり続けている。

それは「今見える格差」だけでなく、将来的、40代50代になった時の格差。病気や看護など「何かあった時」の格差。退職時の退職金など老後に備えた格差。退職後の国民年金だけに対して厚生年金や企業年金などの老後の格差など、様々な「見えない格差」が先に控えていることは随分と認知されてきた。

それほどの格差が圧倒的に自分の人生だけでなく、子供などにも大きな影響を与えてしまうからこそ、誰もが格差の負け組みになりたくなく、なんとしても格差の上部構造にしがみつこうとする。

その構造が明確であればあるほど、会社員はどんな過酷な労働でも会社に残る為に、正社員の椅子を掴み続ける為に必死に会社に奉仕する。その構造をより確固たるものにする為に、会社は一度その傘から外れたものに対しては敷居を高くし、「一度こぼれ落ちたら、二度とこの特権は得られない」という状況を作り出す。そして、一部の特権階級とその他の大勢の格差負け組という絵が明瞭に描かれていく。

それが今の世界。これが「キャリアラダーの無い」状況であり、「一度降りたら二度と戻れない」現在の仕組みである。

と良く言われているが、本当にそうであろうか?

張り詰めた日常を生きるのは相当に大変である。毎日楽しいばかりではない仕事に、朝早くから起きて、身動きの取れない電車内では他の人の迷惑にならないように気を遣いながら一時間近く我慢して出勤するのは確かに辛い。

健康でいる為に、体調を管理する為に、睡眠時間やのんびりする時間を削ってジムに行き、汗を流してランニングしたり筋トレするのは確かに辛い。

厳しい競争原理の働く市場の中で、新しく出てくる競走相手に対しても常に自らの職能的価値を高めていく為に、新しい知識を学び、様々な技能を身に就けていく為に、自分の時間を割いてでも勉強や読書、セミナーなどに足を運ぶのは確かに辛い。

能力があるだけでは仕事が来るわけも無く、会社を知ってもらって仕事を貰えるように、今までまったくやったことのない営業の為にあちこちに出て行かないといけないのは確かに辛い。

そんな日常の中から少しだけ楽をしていく。

睡眠を削って、辛い運動をして体調管理するためのジムに行かずに、その分温かい布団の中で余分に眠るのは確かに楽だ。

眠い朝、朝ごはんをしっかりと料理する時間がめんどくさいので、簡単なもので済ませてしまうのは確かに楽だ。

電車の中で新聞や読書で小難しい内容に向かうよりは、周りも気にせずPSPで恐竜でも追っていたら確かに楽しいだろう。

職業的能力とは関係なく、仲間内の関係性、お付き合いの深さで仕事が回ってくればさぞストレスも無いだろう。

自分で稼いで、少ない収入でもその中でやりくりして生活をするよりは、親にパラサイトして稼いだ分を家に入れることなく好きなだけ自分の欲望に使えたら、さぞ楽しいだろう。

努力する事を止め、会社のブランドや社内での立場を利用し、人間関係の波をうまく立ち回ることで出世していければどれだけ楽であろう。

親のストックで自分の一生ストレスに晒されずに済むような遺産や何もしないで定期的な家賃収入が望めるような家業があれば、さぞ楽だろう。

自分の欲望を抑えることなく、収入よりも多く支出をし、足りない分は親や扶養者、行政などに頼るか、もしくは安易に稼げるような夜の仕事へと足を踏み入れたり、犯罪行為へと手をそめていけば、さぞ楽であろう。

手に入れた政治家と言う権力を利用して、何千万もの大金を簡単に手中に収め、「アマチュアだった」の一言で過ごせてしまえば、さぞや楽であろう。

こうして人は少しずつ、日常の中で楽をしようとしていく。

そして一度楽をしたら、一度階段を降りたら、そこに待っているのは今までよりも快適な日常。自ら「楽をした」と認識して時間を過ごしても、それはあっという間に新たなる日常へと変わっていく。そうすると、再度階段を上り、また張り詰めた日常に戻るのはほとんど無理になる。そんな気力は無くなっていく。


最初はほんの少しの休憩。
ほんの一段だけ。

そんなつもりが、気づけは何段も降りていることに。そこからも振り返ると、元いた場所がどれだけ上にあるかに唖然とする。かつての仲間がどれだけ先に進んでしまっているか。その距離と、そこに戻るまでの労力を嫌というほど思い知る。

「日本では一度レールから外れると、また戻ってくるのは相当に難しい」

そんな風に言われるが、問題はレールから外れてどの道を歩くかに違いない。レールから外れたのは、実は無意識に階段を降りてしまうことは多々ある。

それほど、組織から離れ、自らの意思で自らを成長させ続けるような時間の過ごし方をし続けるのは途方も無く難しいことであり、同時に組織の中にいれば、意識の高くない普通の人間でもそれなりに成長をし続ける事ができるという事であろう。

楽をする為に、階段を下りる為にレールから外れるのではなく、自分だけの階段を上る為に歩を進める。意識を高く持ち、欲望とうまく折り合いを付けながら、自らがした選択に対して意識的に時間を過ごしていく。

そんなことが出来る人とそうでない人との差がより一層大きくなっていく世の中になっていくのだろうと想像し、本当の格差とはそこに生まれるものだと思わずにいられない。

2013年12月20日金曜日

ごちそうさんの時代から


「あまちゃん」にどっぷりはまり、すっかり「あまロス」になっている妻を横目に、高視聴率をたたき出しているという「ごちそうさん」もやはり何かしら多くの人の心を打つメッセージが込められており、「食わず嫌い」だけはよくないと思いついに見てみることにする。

最初の1週だけはなかなかストーリに入り込めなかったが、その後はなんとも面白い。どちらかというと、女子的要素が多い身にとっては、女学校でキャピキャピしているシーンなど見るとなんとも、「分かるわぁ」となってしまう。

さてこの「ごちそうさん」の時代。明治後期から大正時代の様であるが、何とものんびりした感じの時代描写。女学校で花嫁修業のような学科を受けては、授業後に学友と「かふぇ」でおしゃべりに明け暮れながら甘味を味わう。帰宅しても家事を手伝うわけでもなく、女中さんがあれやこれやと手伝いをしてくれる。

恐らく現代に生きる多くの女性、「中流の夢」の果てに大量生産された自分は「お嬢さん」ととんでもない勘違いをしている女性がまさに夢見る日常。ストレスも無く、ただ毎日欲望と共に生き、決して辛い事はやらず、いつまでも子供のままで、独立した女性として果たすべきことも学ばないままに、このモラトリアム状態を持続させてくれる経済力と包容力を持ち合わせた男性との出会いだけを求める受身の日常。

そんなことが許される何とも贅沢な時代であると思わずにいられない。テレビも無いので、ランプを灯して本でも読むが、基本的には暗くなったら寝るという何とも健康的な生活。

そんな何とも暇そうな主人公に比べて大変そうなお母さん。ご飯を炊くのも、洗濯するのも、それを取り込むのも、掃除をするのも全て人の手でやらなければならない。それに比べて現代は、何でもボタン一つ「ピッ」とすればできてしまう。何とも楽になったものである。

本来、人が生きていく。家族が生活をしていくというのは大変手間がかかり、それを役割分担で負担しながら、誰かが家族の生活がうまく回っていくようにサポートをしてくれていた時代。その為に大変手間のかかる様々な家事があった時代。

それを理解せずに生まれたときからボタン一つで何でも済ませてしまい、本来の「手間」を忘れて生きる現代人。何でもかんでも「楽」をしようとし、「効率」だけを追い求め、果てない自らの「欲望」に押しつぶされそうに生きている。

本来大変手間のかかる家事から、ボタン一つで解放されたはずの現代の人類。かつてに比べて恐ろしいほど自由な時間が出来、余裕のある日常を過ごすはずが、どうにもそうならず、どう考えても当時の方が精神的に余裕を持って日常を過ごしているように描写される。

現代人は、朝起きた時から真夜中に寝るまで、当時の人の何倍ものことをこなさなければならくなってしまった。やる事もストレスとも人間関係も増えてしまい、精神的余裕を感じることなくただただ日々は過ぎていく。それほど現代社会で生きていくのは大変なことである。

人という生物が一日に処理しきれる事象やストレスというものがあれば、恐らく人類史上を考えても、現代人ほどそのリミットに近づいている人はいないのではないだろうか。恐らくある一定の人にとっては、これ以上負荷が高まると、一気に爆発してしまう。そんな臨界点の現代社会。

「手間」から解放する為に発展した技術のはずが、果てなく人を追い詰める。それは人の欲望が同じく果てしなく膨らむからであるに違いないが、毎日ご飯を食べたくなる朝ドラを見ながら思うのは、「手間」の大切さということか。