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2015年12月19日土曜日

秋葉山本宮秋葉神社 下社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ しもしゃ) 709年 ★★


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所在地 静岡県浜松市天竜区春野町領家
主祭神 火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)
社格   式外社,総本宮
創建  和銅2年(709年)
機能  寺社
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実家のある三河地方では、町内会を代表して毎年数人がこの秋葉神社に訪れて、火事などに遭わないようにと火災鎮護のご祈祷に来る慣わしが今でも残っており、道中70歳を超える、「朝から電車を乗り継いで、最後は数の少ないバスを乗り継いでやってきたのを今でも覚えているよ」と懐かしそうに何十年も前のお参りの様子を語ってくれた。

秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)はその北に聳える秋葉山の山麓に鎮座する神社であり、山頂に位置する上社と麓に位置する下社によって構成されており、日本全国に約800社存在すると言われる秋葉神社の起源として崇められている神社だという。

古来より火そのものに対する信仰が根本であり、上記の様に周辺地域から火災防止の為のご祈祷に訪れる人が多く存在する神社でもある。

下社の目の前に流れるのは非常に透明度の高い気田川であり、その河原はキャンプ地としても人気があるようで、駐車場が広く取られている。その目にある神社専用の駐車場から山の斜面に沿うようにしてかなり長い石階段を上っていくと、ふと平らになった場所に鎮座する拝殿と向き合うことになる。下社の境内は斜面に位置していることもあり、かなりこじんまりとした様子。拝殿の作りも非常にシンプルなものとなっている。

折角ここまで来たのだからと、案内板にそって上社へも参拝しようと山道を進んでいくが、細い山道で前方から対向車が来るために、さっさと引き返すことになり、上社への参拝はまた今度の機会に取っておくこととする。





2014年2月5日水曜日

清水寺(きよみずでら) 587 ★★



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所在地 島根県安来市清水町
山号  瑞光山
宗派  天台宗
創建  587
開基  尊隆上人
別称  安来清水寺
機能  寺社
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百寺には名を連ねはしないがこのエリアで古刹と言えば名前が挙がるのがこの清水寺(きよみずでら)。帰り道に位置しているので目的地リストに連ねていたが、この大雪の為に車でたどり着けるかどうか、また駐車場から参拝までの道はどの様になっているのかを心配し、寺に問い合わせの電話を入れる。

「参拝に伺いたいが、雪道の運転になれて折らず、スタッドレスは履いているが除雪がされているかどうか、駐車場から歩いて参拝できるかどうかを知りたいのですが・・・」と聞いてみると、お寺の人も、「私が朝来た時にも雪はかかれていたし、人も上がってきているので大丈夫かと思いいますよ」とのこと。

それならばとナビにセットし山道を上がっていく。暫く走って到着した駐車場は思った以上に雪に埋もれている。その中を突き進むスタッドレスタイヤ。やはり冬の雪国にスタッドレスなしで行くのは相当無謀だと痛感する。

周囲を見ると、団塊世代を思われる老夫婦が車から降りてさっさと長靴に履き替え、スノーウェアのような服装を装着している。「慣れているな・・・」と思いながら、極めて軽装なまま参道を進むことにする。

この清水寺(きよみずでら)、名前が同じで間違えられやすい京都のそれと比べてももっと古い歴史を持っている古刹であるという。山ひとつがそのまま境内となっているお寺であり、駐車場からすぐの石階段には千年杉が立ち並び、島根でも最強クラスのパワースポットと呼ばれているらしい。

それだけあり、雪道のなかで歩く距離も長くなり、汗をかきながら湯気を漂わせ先を進む。すると頭上の境内から「グギャァアアアア。グギャァアアアアア」という何とも不吉な音が聞こえてくる。

それこそ「黄泉の国」から出てきてしまった、得体の知れない化け物の断末魔かのように、雪山に響く恐ろしい軋んだ音。後ろを振り向くと、先ほどの老夫婦も頭上を見上げて、「なんだこの音は?」という顔をしている。

そんな不穏な音の振動を受けてではないだろうが、頭上の杉からは時折「ドサッ」と雪が落ちてくるのを気をつけながら先を進む。

参道を突き進み山の中腹に位置する境内に上がる階段を登りきると、振り返ったところに浮見観音の小さなお堂が建っている。よく見ると先ほどの怪しい音はその付近から発生されているようである。

目を凝らしてよく見てみると、お堂脇に走っている細い道を塞ぐようにして左右に立っている石の柱。そこから繋がれている鎖が電動仕掛けによって引っ張られては上下しているようである。恐らく雪が積もってしまわない為であろうが、詳しい目的は良くわからない。

それにしても不思議な音の発生源が突き止められ、少々ホッとし先を進む。その先に見えてくるのは根本堂。巨木の陰に隠れるようにして美しいプロポーションで、その歴史の長さを感じさせてくれる。

静かな雪景色の中、心穏やかにお祈りをし、この巡礼の旅も残すところあと僅かになってきた事を感じながら足元を気をつけながら駐車場へと戻っていく事にする。













2014年2月4日火曜日

粟島神社(あわしまじんじゃ) 不詳 ★★★



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所在地 鳥取県米子市彦名町
主祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)
様式  流造
社格  別格官幣社
創建  不詳
機能  寺社
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雪が降りしきる夕暮れ時に、本日最後の最後目的地。完全なるトワイライトの時刻に神域に踏み入れるのはかなり怖い気もするが、明日の天気を考えるとここにこれるのはこれが最後のチャンスとばかりに気をつけながら車を飛ばして米子市内を北上する。

左手にうっすらと見えてくるのはこんもりと繁った森。細い道に入り込み鳥居脇の駐車場に車を停めると既に日没は過ぎて当たりはうっすらと見えるくらいの暗さに包まれている。雪に埋もれた足元に注意しながら、鳥居をくぐると目の前に見えてくるのは果てしなく上まで伸びるかの様に見える石階段

これを登っている間に完全に闇に包まれてしまうのでは・・・と思いながらも、ここまできて登らないのはないだろうと、手すりにつかまりながら、雪の積もる滑りやすい急勾配の階段を意識を保つ為に数えながら上がっていく。

もちろん踊り場などあるわけもなく、休みまもなくノンストップで登っていく。息は切れるが止まったら日が暮れてしまうしと心は焦りながらも足はフラフラ。びちゃびちゃになった雪のお陰でさらに滑りやすくなった石段を傘をさしながら何とか登りきる。その段数なんと187段。

肩で息をしながらも休む暇は無いと足を前に進めるとそれほど広くは無いが十分な奥行きのある空間が開けている。地上から持ち上げられ、水平に整えられた儀式の空間。まさに神域と思えるなんとも不思議な空気が流れている。

それもそのはず、この粟島神社(あわしまじんじゃ)は主祭神を少彦名命(すくなひこなのみこと)とし、「一寸法師」のモデルと言われる小さな身体のこの神様は、その身体の小ささから栗の穂にはじかれて「常世の国(とこよのくに)」に渡ったということから、この地が「粟島」と名づけられたという。

そしてその「常世の国」とは、古代に信仰された、海の彼方に存在するという異世界のことであり、不老不死をさすと共に、死者の国も意味した。その為ではないだろうが、決して規模が大きいわけでも無い境内はそれでもしっかりと人の手入れが届いた雰囲気を保ちながら、非常に整った感じと、そして何か得たいの知れない不思議な空気が混在する。

朝から緊張感を感じながら、それでもカメラを覗き込んできたためか既に左目の筋力は失われかなり目がショボショボするのも手伝って余計に周囲の不思議な空気に圧倒される。如何にもこの世の境の様な雰囲気を示す本殿にまずは手を合わし、その後ろのうっそうとした森を除くのはなんとなく気が引けると同時に、日が完全に落ちた闇の中でこの境内にいるのはどうしても避けたいとすごすごと引き返すことにする。

階段に残る自分の足跡を見ながら、足を踏み外さないようにと気をつけてサイド187段の階段を下りていく。下についたときには完全に周囲は闇に包まれて、車に到着するとどっと疲労が身体を襲う。

後々調べてみると、この神社には他にも様々な伝説があるらしく、一つは「八百比丘尼(やおびくに)の伝説」というもので、神社脇には人魚の肉を食べて不老不死になった18歳の少女が逃げ込んだといわれる粟島洞窟があったり、この神社で祈った88歳の老婆が子供を授かった為に八十八からくる米の子として、米子の地名になったとか、なんとも不思議な曰くがついてくるのも納得できる雰囲気を持った神社である。

とにかく足を滑らせ怪我をすることなく一日を終えられたことに感謝し、折角なので米子市中心の繁華街でチェックしていた食事処を除いて食事を済ませて宿に帰ろうと、先程やってきた産業道路を南下することにする。







2014年2月2日日曜日

斐伊神社(ひいじんじゃ) 不詳 ★★


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所在地 島根県雲南市木次町里方字宮崎
主祭神 素盞嗚尊
様式  大社造
社格  式内小社、旧郷社
創建  不詳
機能  寺社
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須我神社の山登りで噴出した汗が引かず、到着した斐伊神社(ひいじんじゃ)前の人気の無い空き地で風邪を引かないように着替えをする。この時点でまだ8時半なのでここまでは予定通りにこなしていることになる。気持ちを落ち着かせ一車線でまっすぐ伸びる木次線のすぐ脇に鎮座する斐伊神社(ひいじんじゃ)を参拝する。

この斐伊神社(ひいじんじゃ)、宮崎大明神とも呼ばれているそうであるが、一の鳥居をくぐるといきなり相当な急勾配の石階段。その右手には二股に分かれたとてつもない大木が目に飛び込んでくる。

勾配に立っているのでその圧迫感は更に強烈になるが、幹の表情などとにかく普通ではなく、御伽噺にでてくるような霊気を漂わせるような神木である。その上の境内はそれほど広くなく、社殿もこれといったインパクトは無い。

ただしこの斐伊神社の凄いところは、境内をでて、すぐの線路を渡ってまっすぐ100メートルほど路地を行くと右手に見えてくるこんもりとした小さな森。なんでも素戔嗚尊(スサノオ)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治しその8本の角を埋めた場所に杉が生え、「八本杉」をして祀られている場所であるという。

ちなみに、この八岐大蛇(ヤマタノオロチ)は「日本書紀」での表記で、「古事記」では八俣遠呂智となっているという。

更にだが、同じく「日本書紀」では素戔嗚尊(スサノオ)といい、「古事記」では須佐之男命(スサノオノミコト)と表記されており、八岐大蛇の尾から出てきた例の剣も、「日本書紀」では草薙劒(くさなぎのつるぎ)で、「古事記」では草那芸之大刀(くさなぎのたち)らしい。なんとも複雑な・・・

住宅街の中に森の一部が切り取られたような背の高い8本の杉。その杉をしたから見上げていると、なんだか自分も古代の時間にタイムスリップしたような気分に陥る。行き交う人の姿も見えないなんとものんびりとし、ひなびた感じの田舎の風景。なんだか映画に出てきそうな田園だなと思いながら、なかなか来ない電車がどんな姿かを想像しながら、再度線路をまたぐことにする。
















2014年2月1日土曜日

神魂神社(かもすじんじゃ) 平安時代 ★★★★


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所在地 島根県松江市大庭町
主祭神 伊弉冊(イザナミ)、伊弉諾(イザナギ)
様式  大社造
社格  旧県社、意宇六社
創建  平安時代
機能  寺社
文化財 本殿(国宝)
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八重垣神社からさらに西に走ると、「八雲立つ風土記の丘」といういかにもハコモノ建築的な雰囲気を漂わせる案内板が見えてくる。

調べてみると「風土記の丘」というのは、文化庁によって推進されたプロジェクトで、日本全国の遺跡や歴史資料の保存の為に設置された野外博物館と公園の施設を総称し、現在では全国に17の風土記の丘が設置されており、この「八雲立つ風土記の丘」はその中でも6番目に作られたものであるという。

山陰の地を廻っているといたるところで「風土記に既に載っていたから・・・」という言葉を耳にする。古事記や日本書紀ではなく風土記。調べてみると風土記(ふどき)とは、一般的に奈良時代に各地方の文化風土などの情報を編纂し天皇に献上したものらしく、この地では出雲国風土記(いずものくにふどき)がそれにあたり、完成したのは733年で聖武天皇に奏上されたという。

つまりはこの地ではこの出雲国風土記に名前が出てくる神社は相当な格式の神社だということになる。そんな訳で興味をそそられながらもまずは神社だということで先を進むとすぐに神魂神社の駐車場へ辿りつく。

この神魂神社(かもすじんじゃ)。漢字を見てもどうやってもその読み方は分からないことから既に相当な神社だろうと勝手に想像する。もちろん先程の2社同様、意宇六社(おうろくしゃ)の一つであり、駐車場脇にある二の鳥居からその前に広がる田園に伸びる参道がすでのその格の高さを物語っている。

視界の先にうっすらと見える一の鳥居。時間の関係でそこから参道を歩くことは出来なかったが、一の鳥居から歩いてくると道のある左には灯篭が並べられ、右手に広がる田園風景には桜が等間隔に並べられ、さぞや春には美しい風景を作り出すのだろうと想像する。

そしてこの二の鳥居をくぐると始まる石階段。今度は左手には等間隔に年月を感じさせる立派な杉の木が等間隔に並び、右手には山の傾斜と石垣。上空で遮られた日の光がうっすらと降りてくる柔らかな光の中で石で整備された階段を上がっていく。なんとも心地よい。

神社を訪れる時に何を持ってその評価をしているかと自分に問いかけてみると恐らく下記の5つではないかと思われる。

参道、つまりアプローチ空間
階段、つまり地形との関係性
聖域感、つまり周囲の環境の読み取り、
神木、つまり場の持つ自然の力、
境内空間、つまり建築の形態と配置計画

それぞれのポイントにおいて秀逸な空間を見せてくれる神社があるが、参道に関して印象に残っているのはこれらの神社だが、恐らく、ここの参道はこれらの神社に勝るとも劣らない素晴らしいものであろうと思いながら先を進む。階段を上がりながら左の杉の足元を眺めると、円形に石で足元を囲ってあるのに気がつく。なかなか珍しい気配りに感心しながら先を進むと、

暫くすると右手に見えてくる御手洗(みたらし)。その右には急勾配の石階段にその上にちょっぴり社殿が覗いている。そして目の前には更に続く参道が。つまりは急な階段を行く男坂と、緩くて長い道のりを行く女坂という二手に分かられる参道である。東京の湯島天神や、戸隠神社の中社、高山の日枝神社にも見られた形式で、急勾配に鎮座し、しかも横に緩やかな傾斜も取れる場所にある神社だけに限られる参道形式である。

もちろん男坂を選びなかなかの急勾配の石段を登り切る。するとすぐ目の前に社殿がドーンと聳えている。

聳えている。一見して、歴史的にも価値がありそうな建物で、威圧感があたりに漂よっているのを感じる。圧倒的な存在感のこの本殿はもちろん大社造であるが、なんと出雲大社よりも古く、現存する大社造の神社の中では最も古いものとされ、国宝にも指定されている大変貴重なものであるという。

その存在感が境内を支配し、周囲の自然と見事に融和しなんともいえない聖域感を醸し出す。とても素晴らしい空間である。

伝説を紐解くと、この神社を作ったのは天穂日命(アメノホヒモミコト)と言われ、かの天照大神(アマテラスオオミカミ)の第二子である。ちなみに何人の子がいたかというと、以下の五柱の神である。

天忍穂耳命(アメノオシホミミ)
天穂日命(アメノホヒモミコト)
天津彦根命(アマツヒコネ)
活津彦根命(イクツヒコネ)
熊野櫲樟日命(クマノクスビ)

では天照大神(アマテラスオオミカミ)は誰の子かと言うと、伊弉諾尊(イザナギ)・伊弉冉尊(イザナミ)の子であり、この両親からは天照大神(天を治める)・月読命(ツクヨミ)(夜を治める)・素戔嗚尊(スサノオ)(海を治める)という訳になるのだが、複雑になるのでここら辺で止めておく。

つまりは国譲りの使者として高天原から大国主命(オオクニヌシノミコト)のもとにやってきた天穂日命が、出雲の守護神として伊弉冉尊(イザナミ)を祀ったのがこの神魂神社の始まりであるという。そしてこの天穂日命は出雲大社の最高の神官である「出雲国造」の祖先であるというすごい家系と言う訳である。

主祭神は伊弉冊(イザナミ)であり、女神であるので、本殿の屋根の上に飛び出ている千木(ちぎ)の先端が水平に切ってあるという。逆に、男神である大国主命(オオクニヌシノミコト)を主祭神とする出雲大社では、その千木の先端が垂直に切ってあるという。このことを妻に説明したら、「前に伊勢神宮のところで説明されたよ」とあっけなく返される・・・

真名井神社でもあったが、この神社の神紋にも「有」という字が使われており、その理由は神様が集まる神在月(かみありづき)の十月の字の十と月を合わせたものといわれているらしい。真名井神社で分からなかった謎がここで解けたことになる。

もう一つこの神社の名である「神魂」と書いて「かもす」だが、ある説によると、「神霊の鎮まり坐す所」つまり神坐所(かみますどころ)が「かんます」となり、それが「かもす」となったといわれているらしい。

兎にも角にも長い歴史があり、そこから様々な物語の舞台となったのが頷けるトップクラスの神社であるのは間違いないが、流石にこれだけのことをブログに纏めるとなると一日に一つも書けなくなるのはしょうがない。