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2017年1月27日金曜日

人が知らない場所に行く理由

今回の休暇の初めての小旅行として選んだのは、静岡伊豆地方。現在の地名で言えば、伊豆の国市から、三島市、裾野市と巡って御殿場市を通って東京へ戻ってくるルートであり、旧国で言えば、伊豆国と駿河国を巡ることになる。

韮山反射炉は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界遺産登録された文化遺産である。それを作った当時の代官であった江川英龍の邸宅が近くに残される江川邸であり、これは新建築が出版した「日本の建築空間」にも掲載される貴重な建築である。そして伊豆長岡温泉の中心をなす三養荘は新館を村野藤吾が設計を担当し、その庭園は粕谷幸作によるもので「日本の庭園100選」にも選ばれており、「一度は泊まりたい日本の宿」として様々なところで紹介されている素晴らしいお宿である。

せっかくだからと三島の名物の鰻を食べて、そのまま裾野までしっかり見ることのできる富士山を目指し、「クレマチスの丘」と呼ばれる4つの美術館の複合施設に立ち寄り、最後は御殿場まで戻って虎や工房でお土産を買いつつ、隣に位置する安部首相のお祖父さんの岸信介の自邸として吉田五十八によって設計された名建築である東山旧岸邸を見学して、せっかくだからと高速に乗る前にアウトレットを冷やかしていこうというものである。

そんなルートを設定しながらふと思う。

現代ほど情報に溢れ、かつ交通が便利になり、その気になればどこにでも移動できる時代はかつて無かったはずである。その現代において、では人々が何を持って今まで知らない場所に足を運ぶようになるのか?そんなことを考える。

自分が育ったとか、大学に通った、働いている、転勤で赴任した、結婚相手の地元だとかいった、何かしら自分の人生で縁を結んできた場所ではない場所。

地元では買えない商品を求めて地域の中核都市へと足を運ぶ。そんな場所性を持っていたものが、インターネットの登場とそれを追うようにして現れたネット通販によって希少性を薄められた。

そしてディズニーランドに行きたいから地方から東京にやってくる、アイドルのコンサートを見るためにある都市まで出かけるといった、その場所やライブといったものの価値がさらに高まるのは必然である。

そんな時代に人々は、一体どんなことに興味を持ち、どんな媒体で情報を検索し、どのような形でその情報にフィルターをかけ、どのような形式にてそれを保存し個人化し、どのタイミングでそのデータにアクセスし、ルートの中に再配置していくか。

そういう観点で上記のルートを見返してみると、しょっぱなから「韮山反射炉」という2015年のニュースで初めて聞いた施設は、まさにこの世界遺産登録の報道が無ければ恐らく一生知ることの無かった場所であるだろうし、今回のルートも存在しなかったこととなる。

それに加えて、世界遺産に登録されたからこそ、「それだけ価値のあるものであるならば・・・」とそれをマッピングしてみようとした訳であるし、同時に登録された他の文化施設もそれぞれの県のマップにアイコンが挿された訳である。それがもし、「都道府県レベルの文化遺産」とかであれば、恐らくマッピングすることも無いだろうし、それ以前にニュースとしてアンテナに引っかかることもないであっただろう。

その記憶があったという事実にプラスして、その周辺に「江川邸」と「三養荘」と建築的にもかなり価値のある場所が二つも点在していることにより、このエリアの価値がぐっとあがり、今度はそこを中心として同心円を描きながら他の目的地を探していくこととなる。

その同心円に覆われているからこそ、「三島でお昼を、それならば名物の鰻を。それならば有名店であるここのお店で・・・」という行動様式になってくる訳であり、それらはすべて個人化されたマップの上で様々なフィルターを通して散りばめられたアイコンの間で行われている訳である。

ならば、そのアイコン達はなぜそこに挿されることになったのか。なぜ地図の上で可視化されるようになったのかと言えば、自らがその価値を認めるメディアに載っていたから、もしくは共感できる人の書くブログに紹介されていたから、かつて見たテレビで紹介されていたからと、人生の中で出会う様々な断片化された自分が「目利き」として信じる価値観の集合体である訳である。

これが現代のツーリズムであり、そこには様々なマッピング作業によって個人化されたマップの存在。そしてそれを可能にさせたグーグルマップの存在が見え隠れする。

これが今までの「地球の歩き方」などのガイドブックに頼るツーリズム、そのより遥かに前の万博黎明期におけるツーリズムなどとどう違うのか、つまりツーリズムが時代とともにどう変遷してきたのかは改めて何かの本などで体系立てて調べてみたいものだと思わずにいられない。

2017年1月15日日曜日

23区アイコン格差

休みが近づくと、今度はどこに行こうかとこまめに追加しておいたマップを開くことになる。東京近郊で日帰りでいけるとしたらここらへんか・・・と栃木、茨城、千葉、神奈川などを物色するが、なかなかピンとくるところがなく、ならばと今度は都内からと三多摩地域と23区別に分けられたマップを隣接する区とともに開きながら見ていく。

マップ上には、建築関係の雑誌に掲載されたものや、ブログに載っていた建物、そのほかに百寺や名刹としられる寺社仏閣や、百名園、百名城などの名勝、公園や花の名所、歴史的な建物を持つ大学や地域施設など、本やテレビ、ネットで目に留まるごとに足していったものがごった煮になっている。

それぞれにアイコン分けされているマップを自分なりに歩きながら、このあたりにいったら幾つ廻る事ができるだろうかと想像を巡らすのはとても楽しい時間であるが、それと同時に区によってそこにつけられているアイコンの数に圧倒的な差があることが見えてくる。

例えば港区や渋谷区。都内でも有数の賑わいを持つ街を持つこともあるが、圧倒的な商業的価値を反映し、ファッション関係の建築の数も多ければ、文化施設の数もそれに比例するかのようにかなりの数にのぼる。それを追うのが新宿、千代田、中央。交通の要所ということもあり、再開発がある周期ごとに訪れるために見るべき建物もかなりの数に上るとともに、歴史的にも重要な場所が幾つも点在する。そこから徐々に差がはっきりしてきて、住宅地と呼ばれる地域ではそれでも地域の各となる神社や寺社が残っているのか、それとも新興住宅地として新たに作られたところなのかがうっすらと透けて見えてくる。台東、江東などのかつての江戸を思わせる東地域には、やはり歴史を感じさせる様々な場所が点在しているが、その外側に位置する足立、墨田、練馬、荒川、北、板橋、葛飾では明らかにアイコンの数が少なくなる。

新しい建築というかなりの額の投資が必要とされる建築の数。文化の発信地となるコンサートホールや美術館の数。地域の核となる寺社仏閣。地縁の元となる数々の名所。大学進学で東京に出てきても、新しい若者が住み着く大学の数。

それらがある限られた範囲の中で一極集中していくのは資本主義の世界においては避けられないことであるのだろう。住まう場所と、働く場所、訪れる場所が住み分けられるのは当然のことであるのだろうが、それでもある種の違和感を感じずにいられない。

恐らくこのようなネットで安易に見つかるような全国レベルの名所検索では引っかからない、もっと地元に密着した、いくつものレイヤーの奥に潜む、その場所の魅力。賑わいのある商店街。住宅街の中にある桜の綺麗な地域公園。お年寄りがあつまるマーケットなど、現在のインターネットの世界においては、ある人々にとっては不可視となってしまうそんな魅力。だからこそ、様々なテレビ番組や新聞の特集でも、そんな魅力にスポットライトを当てる街歩きの番組がこれほど支持を受けている背景でもあるのだろう。

アイコンの間を想像の中で歩きながら、こんなことを考えつつ、今度はアイコンの少ない街で如何にネットで見つけることのできなかった美しい風景を見つけることができるか、その場所にしかない何かを感じることができるか、そういうことがネットの次に繋がるのだろうと改めて感じることとなる。

2016年11月7日月曜日

サン・ジャックの塔(Saint-Jacques Tower) 1522 ★★



朝の6時に空港に到着し、空港のWifiを利用して市内までどうやって移動するのかをGoogle Mapで調べ、「なるほどRERと呼ばれる電車で市内までいって地下鉄へ乗り換えか」と便利になった世の中を実感し、やっと出てきた荷物を持ってRERの乗り場へと向かい、今度は電車のチケットを10€で購入しようとするが、チケット販売機はコインと10€と20€のみ受け入れで、手元にある両替していたお金は50€と5€のみと早速トラブル。チケット販売オフィスは早朝だからまだ人がおらず、何とかならぬか画策すると、クレジットカードで買える販売機を見つけて何とか購入。数分後に出発の電車を逃さすように小走りでプラットフォームへと向かう。

一時間ほどで到着したホテルの最寄り駅を出ると、外は冷たい小雨。想像以上に厳しい寒さに不安を感じながらホテルに到着すると、この時間でも入れる部屋があるというので、とにかくチェックインをして冷えた身体を暖めながら、パソコンを開いて今日一日をどう有効活用できるか、リストアップしていた目的地をマップで確認しながらルートを想定していく。

まずは9時にオープンするサント・シャペル(Sainte-Chapelle)を目指しながら、近くのカフェで朝食を取るためにホテル付近でお勧めされているカフェを探し出してマッピングし、時間に余裕を持って出かけることにする。

歩くこと5分ほど、目的のカフェが位置するのはこのサン・ジャックの塔(Saint-Jacques Tower)のすぐ向かい。フランス語のみのメニューと受け答えに、久々に異国を感じながらなんとか注文を終えて、手を擦りながら見上げるこのタワー。

夏には内部に入ることができるというこの塔は、もともとこの地にあった教会の一部であり、かつ遥か西のスペインの聖地サン・チャゴ・デ・コンポステーラへ繋がる巡礼の道の始まりの地として知られているらしく、かつて映画「星の旅人たち」を観た時に、いつか時間をかけてこんな旅をしてみるのを悪くないなと思いを馳せたの旅の出発点がここであり、その巡礼路の一部として世界遺産にも登録されている建物でもあるという。

1522年に竣工したサン・ジャック・ドゥ・ラ・ブシュリー教会の鐘楼であり、その教会本体はフランス革命時に破壊され、この塔だけが残り、その後1850年代に周囲の広場とともに改修・整備が行われ今に至るということで、その時期はセーヌ県知事としてオスマンがパリの大改造に腕を振るっていた時期に重なることから、この改修において高さ52 mのこの塔がアイキャッチとしての機能を持たされたのが良く分かる。

パリの中心と呼ばれる4区の中でも、長くこの地でパリの発展を見続けてきたこのサン・ジャックの塔。その塔を見上げながら、残りのクロワッサンをコーヒーで流し込み、セーヌ川の真ん中に浮かぶシテ島へと足を向けることにする。



パリ4区

パリ



一年半ぶりにやってきたパリ。今回の目的は始まったばかりの大きなコンペの打ち合わせのため。第一回のクライアントとの打ち合わせと、地元パリの協力会社となる設計事務所、構造、設備、ファサード、音響、防犯等々、様々な現地のチームメンバーと顔合わせをしてどうプロジェクトを進めていくかの打ち合わせ。

そしてそれと同じくらいに重要なのが、モンパルナスタワーがパリという都市の中でどのような位置づけをされ、人々に捉えられており、街並みの中でどの場所からどのようにして浮かび上がってくるのかを身体を通して理解すること。

それと同じように、昨年発生したテロ事件以来、その雰囲気をガラッと変えたであろうパリの日常の生活風景。テロが発生した場所を自らの地図にマッピングしながら、ネットや写真では見ることの出来ないその都市のリズムをできるだけ身体に叩き込むためにも自分の足を使ってできるだけパリのあちこちを歩いていくことを目的とする。

「あぁ、港区住んでるのね・・・」とか、「へぇー、杉並なんだー」などと、東京であれば23区がかなりそれぞれ特徴のある地域性を作りだすのと同様に、このパリも「中心から渦を巻くようにしてぐるっと・・・」と言われるように、中心部を20区によって構成され、それぞれにある特徴があるようであるので、今回はその中のいくつかの区でもその雰囲気を掴み取るために俯瞰した地図を意識に入れながら、都市を理解していくことにしようと思いながら、やたらオシャレなエアーフランスの機内安全ビデオを見ながら、可愛さは美しさではなくて、オシャレ具合とスタイルだと改めて納得する。





2016年2月9日火曜日

泉龍寺(せんりゅうじ) 756 ★


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所在地 東京都狛江市元和泉
山号  雲松山
宗派  漕洞宗
創建  伝・天平神護元年(756)
開基  伝・良弁
機能  寺社
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目的地を定めるマッピングのためには、様々なところから訪れるのに良さそうな候補を選ばなければいけない。たとえばJR東海の美しい京都の寺院の季節ごとの姿を見せてくれる「そうだ 京都、行こう」。今まで知ることの無かったお寺の素晴らしい風景を知ることのきっかけになり、早速過去のキャンペーンで取り上げられた寺院を探してはマッピングしていく。

他にも同じような美しい風景があるのでは?と他のキャンペーンを探していくと、同じくJR東海の「うまし うるわし 奈良」。「京都があるなら奈良もだよな」というわけで、奈良の各地の美しいお寺をこれもまたマッピングしていく。

となると、JRだけでなく、他の沿線や私鉄でも同じようなキャンペーンをしてるのではないか?

ということになり、日本中の鉄道路線をそのキャンペーンとともに巡ることになる。この時点で近代をの地図を作り上げていった鉄道網にすでに操られているのだが、今はそれは敢えて抵抗することなく調べていくと、関東の民営鉄道9社共同企画「ゆるり散策 花と寺社めぐり」なるキャンペーンがされており、ここで取り上げられている寺院は今までのマッピングでも引っかからなかったものが非常に多い。恐らく地元では有名であるが全国的にはそうでもないという、喉から手が出るような情報なのでは?と早速マッピングしていく。

という過程で知ることになったのがこの泉龍寺(せんりゅうじ)。きっと地元民には知られた名所なんだろうと期待して足を伸ばしたのは、三多摩地区でも知名度ではワースト二位だという狛江市。確かに聞いたことはあるけれど、地図の上で指し示せといわれたらまったく自信が無い。

小田急線の狛江駅すぐのところに位置する泉龍寺。住宅街の中のために随分狭い道を進み境内へ。曹洞宗のお寺ということで、総本山は福井の永平寺と神奈川の総持寺となる禅宗である。地元にもありそうな感じの、いわゆる地域に根ざした寺院という雰囲気。緑の多い境内でお参りをして三多摩地域巡りを終了する。




鐘楼


2014年4月17日木曜日

西光寺 吉村靖孝+吉村真代+吉村英孝/SUPER-OS 2005 ★★★


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所在地  愛知県岡崎市
設計   吉村靖孝+吉村真代+吉村英孝/SUPER-OS
施工   小原建設
竣工   2005
機能   寺社
規模   平屋
構造   鉄骨造
敷地面積 1,8436㎡
建築面積 172㎡
延床面積 171㎡
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打ち合わせの合間に少し時間が出来たので、車を運転してくれているクライアントである同級生にお願いして、以前から見てみたかったこの寺院に向かうことにする。

設計はSUPER-OSという吉村靖孝+吉村真代+吉村英孝によるユニット。夫婦と兄弟というユニットという訳である。その後はそれぞれ吉村靖孝建築設計事務所吉村英孝建築設計事務所、そして不動産を手がけるSTAYCATIONとして個別に活動をするようになっているようである。

何はともあれ、現代建築が非常に少ない地元の岡崎市。日本中の現代建築をマッピングしていると、やはり愛知には建築家による意欲的な建築作品が圧倒的に少ないことを知ることになる。これは保守的、閉鎖的と言われがちな県民性にも拠っているのだろうと創造する。

そんな中に隣の豊田市出身であり、様々なメディアでも活躍する若手建築家である吉村靖孝がかつて手がけた寺院があるというので、それは是非とも見てみたいと暫く思っていた。

市の北側、幹線道路から少し入ると袋小路になっている道の先に目的の寺院の入口がある。住宅地にある寺院と言うことで、それほど規模の大きな境内を持っている訳ではなく、敷地の中に住宅が併設されており、その先を曲がるとこの赤茶けたコールテン綱の段々の姿が見えてくる。

「これがお寺なんだ。面白いね」とつぶやくクライアントの言葉通り、建築畑で無い人にとっては、かなり衝撃を受ける建物であるだろう。その厚み6mmと言うコールテンの特徴を生かすべく、開口部などのディテールも全て「面」を意識する納まりになっており、想像していたよりもきっちり出来ている印象であった。

それを思わされるのはそれほど広くないアプローチの中で、いろいろと工夫を凝らされた足元のデザイン。素材を変え、色を変え、コンクリートのベンチを設置し、なんとか短い距離の中で「俗」から「聖」への気持ちの準備を成し遂げようとする想いが感じられる。

こうして少しずつでもこの街にこうした意欲的な建築が増えていくのに自分達も力になれることが、この街の風景を作っていくことになるのだろうと思いながら次の打ち合わせへと向かうことにする。
















2014年1月10日金曜日

旅行の手配と建築設計

中華新年が近づいてきた。

100を超える建築体験を10日ほどで行った昨年の夏以降。ある種の燃え尽き症候群に陥っていたと思っていたが、どうも心の奥のワクワク感がまたムクムクを起き上がってきたようである。

そんな訳で昨年、会津若松で大変な思いをしたのを肝に銘じ、日本での予定を整理し時間を確保し、巡礼先の候補地を探し始める。

そうして徐々に旅行の行程を決めていく中で、ふと思う。
旅行の段取りは極めて建築の設計作業に似ていると。

様々な要因を同時に考慮しつつ、その中でもプライオリティを持って決定していく。一箇所か二箇所だけの立ち寄りでその周辺に興味深いものがあればついでにというような、なんともほのぼのした旅行ならなんてことは無いだろうが、できるだけ濃密にストイックにと考えていくと、これはなかなか簡単ではない。

まずは、大体どこら辺に行くのかを絞り込まないといけない。一番最初は可能性が無限である。北海道にもいけるだろうし、九州という手もあるだろう。まず調べるのは、そこまで行くのにどのような方法があるのか?そこから選ぶのは大変なことであるが、決断しないといけない。

格安航空券ならどの様な値段でいけるのか?
その飛行機が到着する県の周辺ではどのようなスポットがあるのか?

そこで活躍するのが、自ら編集しているマップ。その中にマッピングされているのは以下の目的地達

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建築 歴史的建造物から現代建築まで。もちろんこれは欠かせない目的地。

寺社仏閣 現在では建築を凌駕するほどの魅力となった目的地。むしろ古い寺社を超えるくらいの力強い建築がないのが嘆かわしいと言うべきか

温泉 寺社仏閣と同様に、遥か古代の日本人と同じ空間体験をできるという意味で、長く愛されてきた温泉は流石に身体に沁みるものがある。立ち寄りでも出来るだけ違う温泉を体験する。

城 地形の建築化。現代では見えにくくなった、日本独特の地形と建築の関係性を感じる。

庭園 禅だけでなく、日本人が歴史の中でどう自然と付き合い、どう制御し、どう建築空間の中に挿入してきたかを身体で感じる。

繁華街 グローバル化を成し遂げた後の世界で、地方都市がどのように生き残り、どのように廃れていっているのか、その生の姿を見る目的地。 
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大体これらのスポットが常時アップデートされながらマップの中でその色を変えられるのを待っている。

これらの手がかりを元に、フックする目的地を中心に徐々に行き先を絞り込んでいく。その後、日の出と日の入りの時間を調べ、目的地の数から一日どれくらい回れるか?次の日の日程を考えてどこらへんに宿泊すべきか?などを検討し始める。

楽しむタイプの宿泊では決して無いので、値段重視であるが、できるだけ街の雰囲気を味わえるところを考慮しつつ、「宿で美味しいご飯を・・・」とはいかないので、できれば近くに雰囲気の良い地元の美味しいものを出してくれる、安い飲み屋でもあればとリサーチする。そして翌日の朝は日の出前には出発するようになるので、宿の提供する朝7時からの朝食はつけない宿泊プランを選択する。

こうして日ごとの大体のエリアを決め、宿泊のスポット、街の中心地か温泉街を決め、徐々にそれぞれのプランの骨格を決定していく。

次はプランを元にどこでレンタカーを借りてどこで返すか?無駄を無くす為に一方通行で乗り捨てがいいのか、もしくは違うルートを通ってぐるっと回ってくるのがいいのか、乗り捨てだけで値段がグンと高くなるが、ぐるっと回ってくるとかなり無駄を走ることになる。それぞれの高速代とガソリン代とレンタカー代。それに時間と体力の無駄を加味して考慮する。

ここまで来るのに登場するパラメーターはすでにかなりの数になり、その中で決める事は結構難しい。しかし悩んでいて決めれなく時間だけ過ぎていけば、飛行機も宿泊の値段が上がっていってしまう。

そんな訳で大体のルートを幾つか決めて、そのシナリオにそった交通機関とレンタカーを調べる。今回上がっていたのは、東京から宮崎に飛んで、宮崎、大分、福岡と走って、福岡から名古屋へと飛ぶルート。成田から米子に飛んで、倉吉、米子、松江、出雲、益田、津和野、下関、北九州、福岡ときて福岡から名古屋へ戻るルート。もう一つは成田から米子に飛んで、出雲、益田、津和野から津山に戻って米子へ戻るルート。

その中で心配なのが天候。昨年会津若松で酷い目にあったので、行く先の雪の情報、天気の状況には相当敏感になり、昨年の情報や出現率調べても、どうも良く分からない。行き先が市街地にあればいいが、山の上にある神社などになると、調べてみても写真では3月でも雪があったりとなかなか予測がつきにくい。

そんなこんなで困ったと思って雪の心配が少ない九州に心が傾くが、やはり式年遷宮後の出雲は捨てがたく山陰決行する事に。

そうなると更に一つ一つ細かくシュミレーションしていき、実現可能性を確認していく。飛行機が何時に到着してレンタカーを何時から借りて、どのルートで回っていくか。目的地の数が数なので、それぞれの美術館や庭園の開館時間、休館日、入館料などを調べていく。神社は安心だが寺も参観時間が決められているので忘れずにチェックする。神社も油断していると閉められるところもあるので、一応チェック。

早朝の早い時間にできるだけ中に入らなくてよい建築、神社などを回るようにして、美術館などが開館する9時以降に建築へ足を運ぶようにルートを設定する。温泉でも立ち寄り湯は昼の時間に限られている事が多く、また事前連絡が必要なところもあるのでこれもチェック。建築に関しては見学の申し込みが必要なところもあるので、それぞれにメールをする。

そして徐々に旅の「カタチ」が見えてくる。

今度はそれぞれのスポット間での運転の時間をNavitimeとGoogle Mapの二つでチェックし、現実味のあるルートかどうか、参観時間を考えて行けるのかどうかを検討する。それを元にそれぞれのスポットをカレンダーの上に時系列に並べていく。

日の出から日の入りまで埋まってきたら今度は体力と明日の予定を考えて、温泉地か中心地での宿泊の再度の絞込み。駐車場があるか別料金かなどを踏まえて、それぞれの料金をエクセルで計算し予算がどれくらいになるかを調べながら、徐々に決めていく。

その後各地方の自治体や観光案内所にメールして、地元に住まう人で無いと分からない雪の状況や服装などのアドバイスを聞き、事前連絡の必要な施設にメールをする。

ここまでくるとある程度の仕事量である。

そして大体シュミレーションでいけると判断できたら飛行機のチケットを購入。レンタカーを予約。宿泊施設を予約。さらに地方の美味しいお店をチェックしてマップに入れておく。繁華街と呼ばれるところもチェックして夜に時間と元気があればどこに繰り出せばいいかもマップに入れておく。寂れた地方の居心地の良さそうな居酒屋でもフラッと入り、常連と思われる地元の人と、他愛もない話をしながらうまい酒を飲めればこの上ない。

更にスケジュールを詰めていき、建築物はやはり日の下で見ないといけない宿命のお陰で、できるだけ移動の時間を日の出ている時間に当てないようにと、疲れているだろうが夕方から夜間にかけて長距離の移動を行うようにスケジュールする。その時でも、体力と危険がないか判断し、どこに時間と体力の余裕を入れておくかも検討する。

こうして予算が大体見えてくると各食事時にどれくらいを使えるのかが把握でき、上記の様に居酒屋で地場の料理をいただけるかもしれないし、懐具合によってはコンビニかどこかの定食で済ませる事になる。

数が増えてくるとバカにならないのが入館料や参観料。それに合わせて駐車場代もふんだくろうとする不届きな寺もあるので困ったものである。ガソリン代と高速代も計算し、それほど外れない予算表とスケジュールと睨めっこをしながら、後は予想不可能な天候にも恵まれて、予定通り事故無く回るのを祈るだけ。

妻には「かなり過酷な行程になるので、正直言って足手まといになるから着いてこないでくれ」と言うと、笑って「自分は東京でゆっくりするので、自由に行ってくれば」と送り出される。

出来上がった行程表と予算表を見ていると、本当に建築の設計に似ていると思わずにいられない。機能、周辺環境、自然採光、予算、素材、構造、法規、設備、経済性、クライアントの要望などなどあげたらきりが無いほどの多くの要因を同時に考慮して、その中で決断を繰り返していく。

その中で徐々に、徐々に建築の「カタチ」が見えてくる。形態なんて、最初からあるはずもなく、複雑に絡み合う様々な要因を、自分達の思考にそって整理していくなかで、少しずつ見えてくるものである。

起こるであろう問題の為に、どこに余裕を持たせておくのか。すべてピチピチの寸法で設計するのではなく、どこが外的要因に影響される余地があるのか、そういう見えない要因も考慮して設計しておく。それは旅も同じ。これは簡単ではないし、誰でもできるものではない。

シュミレーションを繰り返し、現実的な行程になればなるほど、カレンダーの予定表もより綺麗にオーガナイズされていく。より自然な形に整っていく。徐々に整理されていき、詳細が見えてくる平面図のようである。

そのカレンダーの奥で待っていく様々な風景を想像し、少しだけ気分を良くして本来の仕事である建築の設計に戻りながらも、次は次は暖かい時期になんとしても東北、北陸を巡りたいものだと思いを馳せる事にする。

2013年9月15日日曜日

「日本庭園・鑑賞ガイド 庭がよくわかる本 庭に隠された約束ごと」 野村勘治 1994 ★★

建築家。

という職業をしているだけで、京都にいって寺院や庭園を廻るのが、安易にも何故かその仕事の糧となり、OLさんが3人くらいでキャッキャッいいながら内容の薄いガイドブック片手に廻る二泊三日旅行とは意味が違うように聞こえてしまうがそんなことはない。

見るものにテーマを持ち、意識を持って参観し、見たものを改めて整理し、自分の中で消化する。その中から見えてきた新しい意味を自分の日常の中へと持ち帰る。そうしていつか、何十年か先かもしれないが、どこかでそれが本当の意味での糧となって設計に反映される。それほど簡単に理解できたり、習得できるものではないのが京都の空間。

興味があるから訪れるのはもちろんだが、どんなに興味があっても事前に細かく調べることはできやしない。実際に足を運んでみて、そこで感じたものが何だったのかに興味が湧き、帰ってから時間をかけて理解しようとする。興味に奥行きを与えていく。

そんな訳でこの夏に様々なところで訪れた庭園。建築を職業とし30代も中ごろに差し掛かれば作庭の基本くらいは身についていてもよさそうだが、それはどっぷりと日本建築に関わる仕事に関わってこなかったからと言い訳をし、興味を持ったが始まりということで、いろいろと調べる手始めに、自宅の本棚から見つけ出したこの一冊。

やはりその時に読まなくても、とにかく本棚にコレクションとして残しておくことの意味に改めて気がつきながら、めくるページには、少なからず今回訪れた名庭園が紹介されている。

体系だてた説明というものではなく、非常に簡単な導入本ではあるが、それでもズブの素人の今の自分にはうってつけの一冊。何よりも巻末に名庭園リストとして掲載されている写真の全国の庭園がなんと84も載っている。

これはぜひとも自分のマップにマッピングしなければいけない・・・ということで、ネット上でそのリストを探そうとするがどうにも見つからず、しょうがないので、自分で打ち込むことにする。この作業が結構時間を要する。寺や神社に付属するものが多いので、必然的に読み方も複雑で簡単な変換では出てこない名称のものが多くなる。

しょうがないので、ひらがなで打ち込み、所属件名と一緒にネットで調べていく作業。「これでまた行かないといけない所が増えてしまうじゃないか・・・」などと思いながら、抑えることの出来ない嬉しさがニヤニヤと口元に出てしまいながらリストを完成させていく。

その姿を見た妻が、「なんだか楽しそうだけど、何してるの?」と聞いてくるので、「こういう手間を超えることで効率という近代のベールで見えなくなったもの探す地図をつくっているんだ」と、如何にもかっこよさげに答えると、「良く分からないが楽しいならいいや」と返される。

マッピングされていく目的地でいつか、その妻から「まだ次があるの?」と文句を言われる日も遠くは無さそうだと想像を膨らませながらまた一つ目的地を追加する。

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名庭リスト
青森
・瑞楽園(ずいらくえん)
・盛美園(せいびえん)
・ 藤田記念庭園(ふじたきねんていえん)
岩手
・毛越寺(もうつうじ)
栃木
・古峯神社(ふるみね)
東京
・小石川後楽園
・東京天理教館
・明治神宮
・六義園
神奈川
・三溪園(さんけいえん)
・箱根美術館
石川
・兼六園(けんろくえん)
静岡
・龍潭寺(りゅうたんじ)
愛知
・名古屋城旧二の丸
三重県
・北畠神社(きたばたけじんじゃ)
滋賀
・居初氏庭園天然図画亭 (いそめしていえん てんねんずえてい)
・旧秀隣寺庭園(きゅうしゅうりんじ)
・玄宮園(げんきゅうえん)
・大池寺(だいちじ)
・福田寺(ふくでんじ)
・楽々園(らくらくえん)
・蘆花浅水荘(ろかせんすいそう)
京都
・京都府立総合資料館 
・銀閣寺
・金地院(こんちいん)
・三千院有清園(ゆうせいえん)
・橋本関雪記念館(はしもとかんせつ)
・平安神宮神苑(へいあんじんぐうしんえん)
・法然院(ほうねんいん)
・曼殊院(まんしゅいん)
・無鄰菴(むりあん)
・金閣寺
・孤篷庵(こほうあん)
・正伝寺(しょうでんじ)
・真珠庵(しんじゅあん)
・大仙院(だいせんいん)
・大徳寺
・龍源院(りゅうげんいん)
・京都御所
・仙洞御所(せんとうごしょ)
・本法寺(ほんぽうじ)
・青蓮院門跡(しょうれんにんもんぜき)
・東福寺
・普門院(ふもんいん)
・二条城二の丸
・旧嵯峨御所(きゅうさが) 大覚寺大沢池
・退蔵院(たいぞういん)
・天竜寺
・東海庵
・法金剛院(ほうこんごういん)
・龍安寺(りょうあんじ)
・真如院(しんにょいん)
・西本願寺対面所庭園(にしほんがんじたいめんしょていえん)
・桂離宮
・西芳寺(さいほうじ)
・醍醐寺三宝院(だいごじさんぽういん)
・酬恩庵(しゅうおんなん)
・浄瑠璃寺(じょうるりじ)
・慶沢園(けいたくえん)
・正覚寺(しょうかくじ)
奈良
・依水園(いすいえん)
・平城京左京三条二坊宮跡庭園(にぼうきゅうせき)
・大和文華館(やまとぶんかかん)
島根
・足立美術館
・出雲千家(いづもせんけ)
・櫻井邸(さくらいてい) 櫻井家・日本庭園
・万福寺(まんぷくじ)
岡山
・岡山後楽園
・頼久寺(らいきゅうじ)
広島
・縮景園(しゅっけいえん)
山口
・桂氏庭園(かつらし)月の桂の庭
・漢陽寺(かんようじ)
・常栄寺(じょうえいじ)
・宗隣寺(そうりんじ)
徳島
・観音寺(かんのんじ)
・千秋閣(せんしゅうかく)旧徳島城表御殿庭園(きゅうとくしまじょうおもてごてんていえん)
香川
・栗林公園(りつりんこうえん)
福岡
・木曽路博多駅南店
・旧立花家御花(おはな)松濤園(しょうとうえん)
熊本
・水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)
鹿児島
・磯庭園(いそていえん)
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[目次]
・庭―四季の彩り
・まずアプローチから始まる
・水の造形を楽しむ
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広がる水景 池泉庭園
/舟遊式庭園ー水上に浮かぶ
/廻遊式庭園ー景の中を巡る
/座視鑑賞式庭園ー枠鳥が産む立体絵画
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走る水景色 流水庭園
/造形としての流水
/流れの発展と、その効果
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究極の水景 滝
/滝への篤い思い
/滝の種類と、その効果
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水景の演出 島と汀
/島ー奥行きと広がりを演出
/汀ー海を写す造形美
/橋ー水景の小道具

・石と砂の造形を楽しむ
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心で観る山岳と大海 枯山水庭園
/枯山水庭園の始まりー平安から鎌倉
/写景庭園ー景観を写す枯山水
/写意庭園ー寓話を造形する枯山水
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現代の枯山水庭園
/脈々とつくり続けられる枯山水
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白いキャンパス、白い造形
/白砂と砂紋と盛砂

・究極の庭園美、石組
/枯滝石組ー流れ落ちる水を表現
/枯流れー清流・大河を表現
/橋石組ー景の中に導く表現
/石島石組ー水面を鮮やかに演出
/護岸石組ー汀を立体的に演出
/須弥山・三尊・七五三・の石組
/蓬莱石組・鶴亀石組ー伝説の島
/舟石・夜泊石ー蓬莱島へ渡る

・廻遊より生まれた用と景の世界
/飛石ー用と景が織り成すリズムとメロディー
/敷石ー文様のハーモニー
/灯篭・層塔ー誘う灯、景の要

・庭の外にも庭が見える
/塀・生垣ー囲障で切り取る
/植栽で整える
/建築でとる・背景と共につくる
/調和と対比
/枠取りで見る

・庭の彩り―植栽の美
/植栽がつくる空間構成
/刈込がつくる造形的空間
/下草ー庭のたたずまいをつくる
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2013年7月17日水曜日

高山別院照蓮寺(たかやまべついんしょうれんじ) 1253 ★

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所在地  岐阜県高山市鉄砲町
山号 光曜山(こうようざん)
宗派  浄土真宗 真宗大谷派
別称 高山御坊・ひだご坊
創建   1253
機能   寺社
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行く先を決めるためのマップだが、そこにマッピングされるためには、何かしらの情報源からピックアップされる必要があるのだが、その情報源はその人それぞれによる。

自分の場合は、尊敬する神社マニアのHPや、百選集、行く年来る年のロケ地などとなり、当然「地域と観光地」などで検索して出てくるような寺院などはカバーされないことになる。そこまでカバーしていたら、それこそマッピングの意味が無くなるからである。

しかし実際にその場に足を運んでみると、風景の中で明らかにこの土地で重要な位置を占めていると思われる寺社の姿を目にすることになる。つまり風景の中で無くてはならない建築として成立しているものたちである。それらをマッピングされていなかったからと見逃す手はないということで、昨日非常に好感をもったこの飛騨高山の良き街並みの中で重要なエレメントとして機能しているいくつかの寺院をさっそく宿で調べてはマップに入れておいた。

その魅力的な街並みをできるだけ楽しむために、旅程を変更し下呂温泉を諦めてでも市内を少し散策することにして朝一番に訪れたのがこの高山別院。この地・高山は浄土真宗の真宗大谷派が非常に浸透している場で、「別院」というのは、その真宗大谷派の布教の拠点として機能した寺院がそう呼ばれるという。

まだ静かな朝の境内だが、暫くするとその境内に止まった観光バスから大勢の観光客が降りてくる姿が。昔ながらの街並みが残るだけに、近代になって近場に駐車場を確保するのが難しく、止むを得ずに境内を駐車場にしたのだろうが、それにしてもなんとも残念な風景である。






2013年4月3日水曜日

旧国地図



寺社や公園、名湯や昔ながらの風景を残す街並みなどを目的地としてマッピングしていくと、地図の中に密度をもったある種の分布図が見えてくる。

それを見ていると、東京や大阪を筆頭とする現代都市の勢力図と比例しない、明らかに昔に現代と異なる勢力をもった都市や街があったのだと思わずにいられない。それが奈良や京都といったかつての都がおかれ権力の頂点に位置する都市ならまだしも、そうでない高密度な場所に見えてくるある種の共通項。

出雲、伊勢、伊豆、志摩、近江、土佐、佐渡、豊後・・・・

その多くが旧国名が冠された地名であり、かつての日本で各地方において堂々たる地位を確保していた場所である。自動車や鉄道といった高速陸路移動手段をもとに、近代に東京を中心として再編された都市分布。経済効率性ともともとの地勢とのバランスをとりながら、徐々に新たに浮き上がってきた地勢は次第に現代国家の基盤として定着していく。

日本全国にその地方地方の中心が存在し、多中心な地勢を誇っていたかつての日本。資金も労働力も必要とする建築が中心に閉める寺社。その歴史の中でも、権威を誇り、他より立派な建築物を持つに至った寺社には、やはりそれ相応のバックグラウンドが存在するはずである。

アースダイバーとは違うが、そんな寺社たちを一つ一つ訪ねていくことで、現代人の様にみみっちく貯金を貯めて土地を購入し、ささやかな家を建てるというプロセスを踏まなくてよく、気が良さそうだ、と思える場所を探し出し、かなり自由に建築を作ることが出来ていた、古代の日本人達が、この日本という地形にどのような気やゲニウスロキを感じ取ったのか?それが見えてくることになるはずである。

そしてそれは、国家としての統治をより効率的にするために敷かれた都道府県という境界線よりも、多中心の重なりのなかで生き生きとグラデーションを見せていた旧国での地図の方が、より日本人の歴史の中での地形の読み取りに対応しやすいのであろうと考える。

そんな訳で現代の都道府県地図に対応するような、旧国地図をネットで探してみるが、どうにも分かりやすいものがないので、折角だからと自分で作成してみることにする。

変わらない国家という外形線の中、一つ一つ旧国の境界線を引いていき、一つ一つ旧国名を入れていく。始めは東山道がなぜ東北地方と、群馬、長野、岐阜などを一緒くたにしてしまっているのだろうかと頭を悩ませていたが、これは京都が都として君臨していた永きに渡る日本の歴史の中で作り上げられて地図なのだと理解すると、後は比較的すんなりと頭に入るようになる。

都から伸びる数々の道。火山列島である地形の中心に位置する都から、各地に向かうには中央を走る山脈の北側をいくか、南側をいくか、それとも山の中を進んでいくかに分かれていく。

都から東に向かい山の中をいく東山道。
都から東に海を眺めながら進む東海道。
都から北に陸路を進む北陸道。
都から西に陽のあたりやすい南側を行くのが山陽道。
そして北側をいくのが山陰道。
南に向かって海に沿っていくのが南海道。
西に向かって海を行くのが西海道。
そして都を抱え込むのが5つのエリアからなる畿内。
この7つの道と5つのエリアを合わせて「五畿七道」。

こうしてマッピングだけでなく自ら地図を作っていくと、小説などで度々遭遇する近江や摂津、肥後や備前といった旧国表記がいまいちぴんと来てなかったが、ようやく少しながら場所と実態を持った場所として頭の中に浮かび始める。

それぞれ小さな中心として地形を読み解きながら長い時間をかけてつくりあげられてきた旧国は、地形だけでなくその土地の気候や風土をより色濃く反映されたものであり、それは同時にその土地に住まう人々の性格や考え方の基盤をつくっていくものである。

現代に育った自分たちですら気がついてない自らの性格のもとをつくった地域のDNA。それを読み解くためにも、現代を旧国と重ねてかつてあったであろう風景を想像しながら日本を歩くこと。

島根、宮崎、三重といった、経済性が上位に位置せざるを得ない現代日本においては、なかなか一線に躍り出ない場所たちが教えてくれる日本の源泉。一生つきあうことになるこの国に生まれた自分だからこそ、この国で多くの人たちが見守ってきた多くの風景を見ながら少しでも多くの道を歩くことができるようにと、ワクワクしながら自らの地図眺めて想像を膨らませる。




2013年3月21日木曜日

中国 省


日本ならどんな人に出会っても大体「どちらのご出身ですか?」みたいな会話から始まり、「秋田の生まれなんです」なんて言われればしんしんんと降り積もる雪の彼方に見える日本海を想像し、「鹿児島出身です」なんて言われれば、江戸から明治へと時代を動かす原動力になった周縁の地の男気をついつい想像してしまう。

日本に生まれ、日本で育てば必然の様に身に染み付く郷土の感覚。旧国名から都道府県に変わっても、簡単に変わることがないのがその土地に住み続けてきた祖先のDNA。気候や地形によって養われる地域の性格。それが「どちらのご出身ですか?」に凝縮される。

そう考えるとその国の人を少しでも理解する為には、その国の中に存在する地域性を理解し、「出身は?」の返答に込められる様々な意味が分かる様になるのは、遅かれ早かれ通る道であろう。

その理解が無いので、いつまで経っても場所が点として理解され、白紙の地図の上に浮遊する感覚。点から少しでも線を引き出し、それを繋げて面にしていく、そんな作業。

そんな訳で昨年北京に拠点を移すのを機会に、自分で地図をトレースし、各省の境界線を描き込んでみた。その中に一つ一つ省名を入れていくがまだまだその文字が意味を持って頭に入って来るには程遠い。

仕事や旅行で行ったことのある都市があるのは、雲南や内モンゴルとかなりキャラの立っているところが多いので、必然に頭の中でも地図の上で場所が分かるが、読み方すら危ういマイナーどころもしっかり抑えていかないとということで、各省毎に地図を書き出し、出張で足を運んだ街は出来るだけ自分なりのマッピングをしていく様にと準備をしていた。

が、すっかりやりっ放しで時間は過ぎて早一年が経とうとしている折に足を運んだ遼寧省の省都・瀋陽。大連も遼寧省の都市なのかと、久々に増えたマッピングにまたやる気が立ち上がり、この省と接すののは・・・なども直感的に分かる様まで地図を身体に染み込ませるかと心に決める。

2013年2月25日月曜日

他の場所でも

国土の中で養われてきた自然と建築との関わりをダイレクトに身体に感じるために、寺社仏閣などを回るのがかなり有効的だと思っているが、それと同じくらいに有効なのが時の権力者達の作り出した建築。

その際たるものが古の都・京都に鎮座する御所を筆頭とする天皇家一族に関連した建築郡。ブルーノ・タウトを驚愕させた桂離宮をこの中華新年に訪れたイタリア人スタッフは、「モダニズムよりも遥かにモダニズムだ」と、未だに興奮冷めやらない様子。

それだけに留まらず、日本の様に起伏に飛んだ地形の国で、戦乱の世を勝ち抜くために開発された城郭建築郡。日本のあちこちに散らばるこれらの城こそ日本独特の地形を読み解き、その地形を拡張させて建築化して、戦闘と防御に特化した建築様式を作り出していく過程で、まさにこと細かく地形を読み解き、場所の力を具現化されたものだったに違いない。

日本のあちこちで、戦略的意味だけでなく物流の拠点としても重要な意味を持つ特別な場所を押さえ、現代でいう都市計画の拠点となっていく城郭建築。山城から平城まで防御から領主の屋形、ひいては地域の拠点として役割を変遷していくなかで、寺社仏閣に劣らず地域の良質な場所をその建築場所に選定されたことは想像に難くない。

そう評価していくと、現代でも街の中心に城を構える都市は、かつて栄えた時から拠点を移すことなくそのまま土地の力を活用しながら現代まで発展を続けていることになる。つまりは昔の人々が感じた、そして見つけた土地の力を具現化して立てられた城の様に、力強い土地の力を受けつづけ現代を生きている都市ということになる。現代にとってつけたように、「開発」というかつての人にとっては価値を見出せなかった場所に、無理やり近代のシステムの最たるものである「鉄道」を敷き、価値を植え付け「作り出された」新しい都市とはその成り立ちにおいて確固たる差異があることになる。

そんな訳で百名城だけでなく、各地の名所となっている百景や、山登りのためにと100名山などの場所も含め、自らのGoogle Mapにマッピングしたのは既に6,7年前で、それらのアイコンも徐々に「既に訪れた」赤色へと多くが変わっていっている現在、さて次にマッピングすべきはどんな場所だろうと頭を巡らせる。

そして次にくるのは各地の風景の拠点ともなる「公園」空間。その土地土地に生まれ育った人ならば、遠足や遊びの中で当たり前の様に身体に取り込んでいるその風景は、その土地以外で育ち、移り住んできた人々にとってはなかなか入っていきにくいし、その場所が土地の中で持つ意味を捉えにくい。東京で言えば、大学あたりから移入してきた人々にとっても馴染みが深いものといえば、代々木公園、日比谷公園、井の頭公園程度で、生活レベルに合わせてそこに世田谷公園や砧公園、上野公園、芝公園、青山公園などが入ってくる程度で、水元公園や舎人公園などは何らかのきっかけでその地に住まない限りほとんど知られることのない存在であろう。

しかし城や寺社に負けず劣らず、アースダイバーではないが、川や池、森や丘が作り出し、近代以前の街づくりでも庭園や憩いの場として場所の心地よさを評価され整備された場所があり、近代になりより統計的かつ計画的に整備され、地域のコミュニティを形成する上で大きな意味を込められて作り出された特権的空間であったはずである。そう考えいけばいくほど、これは無視できない存在だということになり、東京中の有名公園をマッピングし、日本中に広げて「日本の都市公園100選」などもマッピング。

そうしてみるとやはりかなり知らないところが多いことに気がつかされる。グローバリゼーションで世界は狭くなったはずが、まだまだ深くなることが可能だということかと、今度は「にほんの里100選」などに手を伸ばし、まだまだ控える100選リストを頭に入れながら、これで次に行くべき場所の再選定が必要だと想いをめぐらせる。

2013年2月11日月曜日

95%の見たくない建築

休暇の前になると、自分でマッピングした地図を眺めて、今度はどこに行こうか頭を悩ませる。

それは至極の一時。

しかしその地図のほとんどを埋めているのは、目的地としてマッピングされなかった、見るに値しないと判断された建築達。建築家と冠した人々に設計されたわけではなく、かといってヴァナキュウラーな魅力をまとっているでもなく、ましてや場の力を空間化した寺社空間でのないそれらの建物郡は、建築の歴史の一ページを飾ることは一度もなく、ただただ凡庸なる日常の風景として広大な風景を占めている。

はっとするデザインを持つわけではなく、ほのかな品の良さをかもし出すでもなく、ただただ標準仕様に少しばかりの自己主張を添加してパッケージされたそのマイホーム郡。「作る」ものではなく、「買う」モノとしてマーケットの中から「選ばれる」家たち。それが普通。

そしてその圧倒的な物量が凡庸と連なり、それが風景になっている現在日本。

否定する対象ではなく、それが当たり前の風景の作られ方であり、その凡庸さの中でも様々な波が押し寄せては引いていき、その経済性や機能性と呼ばれる荒波の中を生き抜いたある型が、現在の家の型として主流を占めており、そこには必ず生き残った、指示された理由があるはずである。

南国と雪国では、それでもやっぱり凡庸の風景が違うはずであるし、生き抜いた家の型もまた違っているはずである。

それらは決して目的地にならないからこそ、その「凡庸さ」に潜んだ強靭な家型のDNAもまたなかなか見えにくくなっているのが事実。

しかしその中にこそ、新しい時代を作っていく目的地になる「建築」へと発芽する何かがあるこをもまた確かであろう。

見るべきものが無いと、「図」として浮かび上がることなく「地」として余白に沈み込んだ95%の見たくない建築たち。その風景に「何か」を見ることができるかどうかが、次をつくることができる建築家かどうかの資質に関わってくるのだろうと想像する。