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2017年11月12日日曜日

新宿御苑 旧御凉亭 森山松之助 アンリー・マルチネー 1906 ★★



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所在地  東京都新宿区内藤町  
機能   都市公園・庭園
庭園形式 池泉回遊式庭園
作庭年代 明治時代初期
作庭    アンリー・マルチネー  
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日本の庭園100選 
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秋の東京。見逃す前にと都内の紅葉スポットに足を運ぼうと到着したのは新宿御苑。朝ごはんを食べずに出てきたので、小腹が空いてるという妻が思い出したのは、先日「じゅん散歩」で高田純次が食べていて美味しそうだったというハンバーガー屋さんを探しで見つけた「CHATTY CHATTY」

「これを食べるのはやはり若者じゃないと・・・」と思うほどのボリュームでなんとか平らげ、腹ごなしにちょうどよろしいと200円の入場料を支払って58.3ヘクタールという広大な都市公園の中へと向かう。

この新宿御苑は元々徳川家康が家臣の内藤清成に授けた江戸屋敷跡地が元となっており、それを明治時代に当時の責任者であった福羽逸人がフランス人でベルサイユ園芸学校教授であったアンリー・マルチネーに巨大な庭園とする設計を依頼する。そして生まれたのは、イギリス式庭園、フランス式庭園、日本庭園を組み合わせた巨大な都市公園という訳である。

入り口近くの温室を越えると、全体が輝くような黄色に色づいた銀杏の巨木の下には多くの人が集まり写真を撮っている姿が見えてくる。どうやらその多くは外国人観光客のようであり、その先に広がるキューガーデンを思わせるイギリス式庭園の広い芝生の上には、多くの人がシートを広げ気持ちよい秋晴れの休日を楽しんでいる姿が見えてくる。

迷わないようにと地図を確認しながら目的の日本庭園へ足を向ける。玉藻池を中心として西側には中国様式の建物が池に張り出すようにして建っているのが見えてくる。この建物は旧御涼亭(台湾閣)と呼ばれ、当時の皇太子で後の昭和天皇が御成婚される際の記念として1927年に当時台湾在住の日本人有志により贈呈された建物であり、その設計を担当したのは森山松之助という当時の台湾で活躍した日本人建築家という。

この旧御涼亭のバルコニーからは玉藻池越しに緩やかな傾斜を持つ日本庭園が見渡すことができ、所々赤や黄色に色づく木々の姿の後ろには、暴力的な風景が逆に新宿御苑のランドマークともなっている背景のNTTドコモ代々木ビル。

旧御涼亭 を離れ今度は外苑方向に足を向け、イギリス式庭園を抜けるとそこに見えるのはフランス式庭園を形作るプラタナスの並木。こちらも多くの観光客が写真を納めに来ているが、残念ながら紅葉のピークは過ぎ去ってしまったようで、木々の葉がややスカスカな感は否めない・・・そのすぐ横にあるバラ花壇を眺めながら、千駄ヶ谷出口に向かい、「御苑でここが一番気持ちいいのでは?」と思える大きな木に覆われた森の中を歩きながら、こうした公園に足を運ぶ時間が日常の中にある人というのは、とても豊かな日常を過ごしているのだなと思いうことになる。




イギリス風景式庭園
イギリス風景式庭園



旧御涼亭(台湾閣)
旧御涼亭(台湾閣)

玉藻池
プラタナス並木のフランス式庭園

2016年2月11日木曜日

旧久留島氏庭園 橋本東三 江戸時代後期 ★★


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所在地  大分県玖珠郡玖珠町森
機能   都市公園・庭園
庭園形式 池泉回遊式庭園
作庭年代 江戸時代後期
作庭   橋本東三(庭師)・久留島通嘉(8代藩主)
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日本の庭園100選  
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せっかく世に知れた温泉街に宿泊しているのだから、そそくさと朝早くから出てしまうのはさすがにもったいないということで、ゆっくり朝食を頂いて、朝の温泉を楽しみ、街の中をのんびりと散歩してから出発することに。

今日は阿蘇から出発し大分を北上し一気に宇佐まで抜けて、最後は中津まで行くことになっているので、できるだけ先を急ぎたいところであるので、途中にある気になるスポットに立ち寄りたいところが一つであれば、泣く泣く飛ばすところであるが、さすがに二つ固まっていると少しだけでもよっていきたくなるのが人の常。

途中かなり海抜の高い地点なのだろうか、素晴らしい雲海を見ながら高原地帯を抜けて最初に立ち寄ったのは随分と鄙びた雰囲気の大分県玖珠郡。目指すは江戸時代、この地を治めていた久留島氏が8代藩主・久留島通嘉の時代に整備させたという通称・旧久留島氏庭園。「日本の庭園100選」に名を連ねているから知ることになったが、そうでもなければ恐らく一生足を運ぶことのなかったであろう場所である。

中心部から相当離れ、山の中にある場所で、かつ江戸時代の領主によって整備された庭園だということで、三重の北畠氏館跡庭園に近いのかと想像しながら、「あんな厳しい山道は勘弁してほしいな・・・」と思いながら進むと非常に整備された道で到着することに。日本の道路状況は本当に世界一なんじゃないかと再度思わされる。


ネット情報ではどのような運営状態になっているのかいまいち分からず、問い合わせ先の珠町森に電話すると、町の中心の三島公園にむかってもらい、わらべの館という施設の駐車場に車を停めて歩いていってくださいとのこと。言われるままに向かっていくと、確かに中心部は昔の雰囲気が伝わる街並みが広がっており、その中心に大きな広場を併設するわらべの館が位置している。

どうやら庭園はその北側に広がる末広山(すえひろやま)の斜面を使って造成されているようで、公園の一部として一般にも開放されているようである。公園には小さな子供連れの家族が遊んでいたり、なんとものどかな雰囲気。

かなり急な斜面の下の堀を利用して池泉回遊式庭園があり、その脇の斜面を利用した階段を上がっていくと、随分あがった先に栖鳳楼(せいほうろう)という建物が見えてきて、その前にも小さな庭が広がっているのが見て取れる。さらに斜面を進んでいくと、そこには末廣神社が鎮座しており、手水が素晴らしい石にて作られているのを見て、この付近ではかつてより豊富な岩が取れたのだろうと想像する。

つまり、8代藩主・久留島通嘉によって開始されたこの末廣神社の造営の一つとして、その周囲に広がる庭園を土佐出身の築庭師である橋本東三に命じて造営させたということらしい。

朝一番から山登りに庭園鑑賞、そして神社参拝と非常にご利益ありそうじゃないかと思いながら斜面をおりてこの町にあるもう一つの立ち寄り地へと足を向かわせることにする。


















栖鳳楼


末廣神社













2016年2月5日金曜日

相楽園(そうらくえん) 1911 ★


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所在地  兵庫県神戸市中央区中山手通
機能   都市公園・庭園
庭園形式 池泉回遊式庭園
作庭年代 1911(1941年開園)
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日本の庭園100選  
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昨日閉館日の為に再度やってきたのが、神戸中心地にある相楽園(そうらくえん)。古い町並みが区画としてそのまま残されているのが良くわかるように、細い一方通行の道が入り組んでいる先に位置するために、まずはナビに導かれ正面入り口に向かうが駐車場が無く、後ろからやってきた車のために停車して駐車場を聞くことができずに前に進む。

すると一方通行のためにどんどん先に進む羽目になり、目的地と随分離れてしまう。やっと一方通行からはずれ路肩に停車できるところを見つけ、電話で相楽園に電話すると、「いやー、うちは駐車場無いんですよ。周囲にたくさんコインパーキングあるんで、そちらに停めて来てください。一番近いのは区役所の前の路面駐車場ですなねぇ」などと返される・・・

土地勘が無いものにとって、ナビに設定できない目的地は非常にたどり着くのが難しく、やっとのことで到着した指定されたパーキングはすでに一杯。なかなかの交通量のために路肩に一時停車も限界があり、さらに先に進みパーキングを探すがどこも「満」も文字。刻々と近づく閉館時間に焦りながら、視界に飛び込んできたファミレスに飛び込むことに。せっかくだからとドリンクバーと軽食を頼み、さっさと流し込んで駆け足で相楽園へ。「こんな大変な思いをして来なければならないのか・・・」と思いながら、日も暮れ始めた頃になんとか中へ。

三田藩士・小寺泰次郎の私邸として1911年に完成した広大な庭園と邸宅を、その後1941年に神戸市が譲り受け、名称を中国の「易経」の一節にある「和悦相楽(和して悦び あい楽しむ)」より取った「相楽園」として一般公開されるようになり、平成22年より神戸市造園協力会・神戸市公園緑化協会グループが指定管理者として園の管理運営を行っているという。

園内には、第二次大戦後に移築された洋館があったり、茶室が建設されたりと、純粋な日本庭園とは違った雰囲気を楽しめる。

どうしても昨日訪れた好古園との比較で見てしまうのだが、少なくない高低差を移動する石段や、その表面の舗装材、それらの微妙な凹凸が、好古園に比べて歩くのにかなり辛く、正直それほど繊細に設計がなされているとは思われない。それぞれの舗装の上には木々は張り出し、それらの花や芽が落ちて石の上で潰れていたり、落ち葉が散乱していたりと、まさに自然の増大するエントロピーそのままの姿を見せている。これらを見ると、やはり「庭園」としては整った風景を期待してしまうし、その点好古園がどれだけこまめに手入れをしていたのかが逆に理解できる。

小川を渡る飛び石も、人が渡るという点においてベストな石の置き方であるのかどうか。そして水の流れが作り出す音が、心地よいさえずりではなく、いくつもの音が重なり合ってしまってノイズとなってしまっている点など、細かい点を見ると好古園に比べ相当に設計の面で見劣りし、そして手入れや運営の面でも格段に低いと言わざるを得ない。

池のほとりに張られたテント。恐らく、何かのイベントなのだろうが、庭園を鑑賞しに来た人にとって、それが決してあってほしくはない異物であり、非常に残念な思いで一周をし、入り口で係りの人に「あのテントは何の為なんですか?」と聞いてみると、「明日の夜に夕べ庭園鑑賞のイベントがあってそれの為のものです」と・・・


やはり風景という文化的に感受性の求められる施設にとって、その運営を一般的な経済性の上で考えるのは何かしらの矛盾を起こし、好古園と相楽園の二つの庭園とその都市の中での役割を見るにつけ、やはり現代における庭園文化を体験し、学ぶ場としては、より姫路における好古園の様な扱いが正しいのではないだろうかと思いながら、夜の便に向かう為に神戸空港へと車を向かわせることにする。








旧小寺家厩舎



船屋形