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2013年6月11日火曜日

翡翠園 1978 ★

谷村美術館の再開と同時にこちらも一般公開されるようになったいう回遊式庭園。「お勧めですので、ぜひ」と谷村美術館で薦められ、にべもなく断わる訳にも行かず次の目的地に向かう途中で寄っていく事にする。

横に位置する五百羅漢堂と七社大神もさらっと見学し、先ほど購入したチケットで入場。朝一番ということで、自分以外には誰も見学者はいないようであり、早足で見ることが出来た。

かなり広い庭園ということもあり、上の方まで上がっていくと、大きなクマバチを見かけるが、係りの人に報告すると、スズメバチと違ってクマバチは攻撃性が無いので大丈夫ですよと言われる。

庭園内に併設された「ひすい美術館」も是非、ということで、係りの人にマンツーマンでの説明を受ける。翡翠は光を通すということで、ライトを当てて緑色の光を発する部分が翡翠で、黒い部分は蛇紋石といって、海底から一緒に隆起してくる過程で混ざり合うという説明を受ける。

化合物の絶妙なバランスで白っぽかったり、濃い緑になったりと変わるらしいが、昔から中国ではこの翡翠の彫刻が重宝されて、置いてある仏像の彫刻もすべて中国の職人の手によるものだという。

「今だと、朝ドラのあまちゃんの影響で、琥珀が知られるようになっているから、そのうち翡翠ブームもくるかもしれないですね」なんていっていると、係りの人が、「私は元々岩手出身なので、楽しく見ているんです」なんて話をされる。

琥珀は茶色で翡翠は緑。両方ともに地球が長い年月をかけて作り出した色だと思うとなんとも感慨深いものだと思いながら次の目的地に足を向ける。










谷村美術館 玉翠園 村野藤吾 1983 ★★★


不条理を成立させるためには、規律としての直線が必要だと改めて教えてくれるような建築。

今回の旅のメインの目的地の一つであり、2011年までの2年間閉まってしまっていた美術館だが、市民の要望を聞き入れた市の助成によって、昨年より再度第3セクターとして再会したという村野藤吾設計の美術館。

彫刻家・澤田政廣のパトロンであり作品の収集家でもあった、糸魚川市を拠点に活動する建設会社・谷村建設社長の谷村繁雄が、その収集作品を展示するための美術館計画。それを澤田政廣が芸術院会員仲間として知り合った建築家村野藤吾に依頼をする。

設計当時、村野藤吾は92歳。翌年93歳でこの世を去るのだが、美術館に置いてあるスケッチや現場写真では、白髪の村野藤吾が精力的に模型を覗き込み、光の入り方をチェックする姿が残されている。人生の灯火が消える最後の最後まで一建築家として存在しようとしたその魂を感じる。

シルクロードの砂漠の遺跡を想定し、館内は石窟風にされているというが、外部も内部も端部が落とされ、直線的な陰と光の面を表現せず、全体に曖昧な光が回り、建築の全体像をぼやかす。床と壁の境目も曲面でつながれて、当たり前の様に同じ素材で覆われる。床・壁・天井という近代建築が分断した建築の要素化に対しての異議申し立ての様にも見える、根源的な空間への挑戦。

幾何学と不条理の幸せなる共存を見せられると、曲線の正しい使い方を改めて教えられる。我々がモノを見ることができるのは、そのものが光を受けて反射するからであるという原理原則から、如何にその光の反射をコントロールできるか、如何に柔らかく光を回り込ませられるか。その為に表面の処理はあくまでも荒く仕上げられ必要がある。場所が違い、太陽光の質が違った場でも同じようにルイス・バラガンが住宅の壁に用いた仕上げの様に。

その洞窟的な空間性の為に、ガウディがよく引き出されるようであるが、やはり幾何学の中に挿入された不整形が生み出す不思議な空間の魅力を目の前にすると、やはり出てくるのはまたしてもコルビュジェ。何処まで行ってもまた向き合うことになるこの名前に、やはり彼が辿りついた地平は遥か先立ったと思わずにいられない。

この美術館に併設される玉翠園は、オーナーである谷村繁雄氏が作った観賞式庭園。「サツキが一番綺麗な季節ですので、ぜひゆっくり見ていってください」と丁寧な係員さんが説明してくれて、入り口に飾られる大きな石をどうやって切り出してきたか、鮮やかな色の赤い葉をつけるのは紅葉の一種である「野村紅葉」で赤も微妙に変化するとか、いろはもみじやなんやらともみじの品種は200以上にもなるなどと、懇切丁寧に教えてくれる。

図面や、各展示室への光の入り方のスタディ模型、工事現場の写真まで見せていただけ、小さいながらも関係者の情熱が感じられるとても良い一作。

























天津神社 (あまつじんじゃ) 1662 ★★★

一宮(いちのみや)とは、ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことであり、この場が長いことこの地域の重要な位置を占めていたというのが良く分かる厳かな境内の雰囲気を感じられる。

長くこの地域の産土神(うぶすながみ)として崇敬されたというが、周囲の立派に育った樹木や、拝殿の前に伸びる石舞台、それらは4月に行われるという地域最大のお祭り糸魚川けんか祭りのような「ハレ」の行いが、現代に至るまで長く歴史の中で同じようにこの境内を舞台として繰り広げられてきたのだろうと容易に想像がつく。

茅葺作りの拝殿は、1662年建築。桁行7間で平入りの入母屋造。
その奥に隠れるようにひっそり経つ本殿は1797年建築。桁行3間の切妻造銅板葺。
更に本殿と並列して建てられるのが奴奈川神社本殿で1798年建築。一間社 流造の銅板葺。

直線を折り曲げるような不思議なアクセスの最初に位置する一の鳥居を潜ると、左手の池の向こうに特徴的な茅葺の拝殿を眺めながら参道を進むことになる。池の中心に設けられた浮石には彫刻か?と思うくらい何匹もの立派な亀が日を浴びている。彫刻だろうと、近づくと気配を察した一匹が急いで水に飛び込む。

ちなみにこの石鳥居の横に位置するのが清崎神社。廃れてしまった緑に覆われる祠。神域に人の手が入らず荒れてしまった姿は、あちらの世界とこちらの世界の開いてはいけない扉があきっぱなしになってしまっている雰囲気。悪い気が流れてきてしまう様な、なんともいえない不安な気持ちに陥る。長くこの場にいてはいけないんだと警戒信号を感じ、そそくさと今来た鳥居を再度潜ることにする。

そんな訳で参道に戻り、まっすぐ進むと待ち受ける狛犬。能生白山神社でもそうだったが、この地域の狛犬はなんとも特徴的なデザインと顔をしていて、それだけでも楽しめる。

ジグザグな参道を左に折れて目に入ってくるのが広くとられた境内。ここから見て拝殿の手前には、最近まで何かの建物が建っていた痕跡があるので、この狛犬にはさまれた道から目に入ったのはまずは石舞台ということだろう。

これだけ豊かに残された自然に囲まれて、数百年この場で人々の栄枯盛衰を見続けてきたであろう拝殿や本殿。それを抱きかかえる境内の空間にたった一人で佇んでいると、今がどの時代に属していてもそれが対して大きな問題ではないんだと思えてくるから不思議である。

このような地域を見つめ、地域を守り、地域から愛され続けてきて、そしてこれからも変わることの無い一宮の空間が、この日本には多くあるんだということが、この国の風景の源だと改めて思わされることになる。

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所在地  新潟県糸魚川市一の宮
社格  越後国一宮
本殿の様式 三間社流造杮葺
創建   130年頃
機能   寺社
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