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2014年1月13日月曜日

オレンジジュースと白いコップ

ジムから戻ってきて乾いた喉を潤そうと手にしたオレンジジュース。
手にしたガラスの透明なコップ。それを一度おいて再度手にしたのが陶器の白いコップ。

その時にふと「色のついている飲み物は、その色が良く見える白い背景のコップの方がおいしく感じるのではないか?それを無意識に脳が理解し、白いコップを選んでいるのではないか?」と考える。

調べてみると味覚と視覚の関係性は流石にいろんなところで語られているようである。

ヒトの味覚と視覚の関係!

味覚と視覚について

それでもオレンジジュースは白いコップで飲んだほうが美味しいと脳が感じるかどうか?については言われていないが、それでもきっとそうに違いないと確信しながら明日もまた白いコップを手にすることにする。

2013年12月23日月曜日

人は楽をする

色んなところで言われるように、日本では正規と非正規の格差が留まる事を知らずに広がり続けている。

それは「今見える格差」だけでなく、将来的、40代50代になった時の格差。病気や看護など「何かあった時」の格差。退職時の退職金など老後に備えた格差。退職後の国民年金だけに対して厚生年金や企業年金などの老後の格差など、様々な「見えない格差」が先に控えていることは随分と認知されてきた。

それほどの格差が圧倒的に自分の人生だけでなく、子供などにも大きな影響を与えてしまうからこそ、誰もが格差の負け組みになりたくなく、なんとしても格差の上部構造にしがみつこうとする。

その構造が明確であればあるほど、会社員はどんな過酷な労働でも会社に残る為に、正社員の椅子を掴み続ける為に必死に会社に奉仕する。その構造をより確固たるものにする為に、会社は一度その傘から外れたものに対しては敷居を高くし、「一度こぼれ落ちたら、二度とこの特権は得られない」という状況を作り出す。そして、一部の特権階級とその他の大勢の格差負け組という絵が明瞭に描かれていく。

それが今の世界。これが「キャリアラダーの無い」状況であり、「一度降りたら二度と戻れない」現在の仕組みである。

と良く言われているが、本当にそうであろうか?

張り詰めた日常を生きるのは相当に大変である。毎日楽しいばかりではない仕事に、朝早くから起きて、身動きの取れない電車内では他の人の迷惑にならないように気を遣いながら一時間近く我慢して出勤するのは確かに辛い。

健康でいる為に、体調を管理する為に、睡眠時間やのんびりする時間を削ってジムに行き、汗を流してランニングしたり筋トレするのは確かに辛い。

厳しい競争原理の働く市場の中で、新しく出てくる競走相手に対しても常に自らの職能的価値を高めていく為に、新しい知識を学び、様々な技能を身に就けていく為に、自分の時間を割いてでも勉強や読書、セミナーなどに足を運ぶのは確かに辛い。

能力があるだけでは仕事が来るわけも無く、会社を知ってもらって仕事を貰えるように、今までまったくやったことのない営業の為にあちこちに出て行かないといけないのは確かに辛い。

そんな日常の中から少しだけ楽をしていく。

睡眠を削って、辛い運動をして体調管理するためのジムに行かずに、その分温かい布団の中で余分に眠るのは確かに楽だ。

眠い朝、朝ごはんをしっかりと料理する時間がめんどくさいので、簡単なもので済ませてしまうのは確かに楽だ。

電車の中で新聞や読書で小難しい内容に向かうよりは、周りも気にせずPSPで恐竜でも追っていたら確かに楽しいだろう。

職業的能力とは関係なく、仲間内の関係性、お付き合いの深さで仕事が回ってくればさぞストレスも無いだろう。

自分で稼いで、少ない収入でもその中でやりくりして生活をするよりは、親にパラサイトして稼いだ分を家に入れることなく好きなだけ自分の欲望に使えたら、さぞ楽しいだろう。

努力する事を止め、会社のブランドや社内での立場を利用し、人間関係の波をうまく立ち回ることで出世していければどれだけ楽であろう。

親のストックで自分の一生ストレスに晒されずに済むような遺産や何もしないで定期的な家賃収入が望めるような家業があれば、さぞ楽だろう。

自分の欲望を抑えることなく、収入よりも多く支出をし、足りない分は親や扶養者、行政などに頼るか、もしくは安易に稼げるような夜の仕事へと足を踏み入れたり、犯罪行為へと手をそめていけば、さぞ楽であろう。

手に入れた政治家と言う権力を利用して、何千万もの大金を簡単に手中に収め、「アマチュアだった」の一言で過ごせてしまえば、さぞや楽であろう。

こうして人は少しずつ、日常の中で楽をしようとしていく。

そして一度楽をしたら、一度階段を降りたら、そこに待っているのは今までよりも快適な日常。自ら「楽をした」と認識して時間を過ごしても、それはあっという間に新たなる日常へと変わっていく。そうすると、再度階段を上り、また張り詰めた日常に戻るのはほとんど無理になる。そんな気力は無くなっていく。


最初はほんの少しの休憩。
ほんの一段だけ。

そんなつもりが、気づけは何段も降りていることに。そこからも振り返ると、元いた場所がどれだけ上にあるかに唖然とする。かつての仲間がどれだけ先に進んでしまっているか。その距離と、そこに戻るまでの労力を嫌というほど思い知る。

「日本では一度レールから外れると、また戻ってくるのは相当に難しい」

そんな風に言われるが、問題はレールから外れてどの道を歩くかに違いない。レールから外れたのは、実は無意識に階段を降りてしまうことは多々ある。

それほど、組織から離れ、自らの意思で自らを成長させ続けるような時間の過ごし方をし続けるのは途方も無く難しいことであり、同時に組織の中にいれば、意識の高くない普通の人間でもそれなりに成長をし続ける事ができるという事であろう。

楽をする為に、階段を下りる為にレールから外れるのではなく、自分だけの階段を上る為に歩を進める。意識を高く持ち、欲望とうまく折り合いを付けながら、自らがした選択に対して意識的に時間を過ごしていく。

そんなことが出来る人とそうでない人との差がより一層大きくなっていく世の中になっていくのだろうと想像し、本当の格差とはそこに生まれるものだと思わずにいられない。

2013年7月12日金曜日

次の朝をどう生きるか


記念日をしっかりと区切りの日にするためには、昨日までの一年を振り返って思ったこと、見えた自分の弱さを変えるために、次の朝をどう生きるかが重要になる。

何かの変化が起きなければ、区切りはなんの意味も持たない点として埋もれていってしまう。

それをちゃんと句読点としていくために、次の日からのライフスタイルを変えていくこと。

記念日をだらけがちな日常への変換点として意味づけるために、何を変えるか?

何よりもまずは、ジムでランニングと筋トレし、弛んだ身体と精神にハリをもたらすことだろうと、眠い目をこすりながらも1時間半早く起きる。

そう自分に言い聞かせながら、隣ですやすやと寝息を立てる妻の顔を決して羨ましいと思わないように自分の海馬を騙まし込み、音を立てないように玄関に向かうことにする。

2012年12月3日月曜日

抜け落ちる日常

毎日に余裕が無くなるとどうしても日常から何かが抜け落ちて行く。
抜け落ちていく順序は生活に潤いを与えてくれている部分からであり、まずは早朝のジム通い。7時からの筋トレと30分のランニング。走りながらの聞くのは昨日した中国語学習の復習。

その次に抜け落ちていくのは、その語学学習の復習と予習の時間。それが無くなるから学校で学ぶの初見となり、一つ一つ後手後手に回りだし、学習効率も下がりだす。

その次に襲ってくるのは、ジムの後に向かっていた語学学校での一時間の授業。これが抜け落ちてくるころには、もちろん過ごした毎日を振り返る余裕も無くなって、文章化している時間もなくなっている。

その時にはすでに日常に仕事が独占してしまい、職場以外の自分が消えていき、強制的に仕事以外のことを考える時間がなくなると同時に、頭の中は常に仕事関係の事象で埋め尽くされて、そこから逃げられないとてもまずい状態に陥る。

更に悪いのは、しばらくその状態が続くことによって、この異常状態が日常になってしまうこと。抜け落ちた状態が日常になる前に取り戻さないといけないと、再開するのは持続するよりもよっぽど辛いんだと自分に言い聞かせながらあるの日常に思いを馳せる。

2012年9月3日月曜日

ジョガーズフット

体重増加が甚だしいので行き始めたジム。

望みとしては、歯を磨くくらいの日常としてランニングをして筋トレをしたいと思うタイプなので、毎日それが可能な時間をどこで捻出するかを考える。

事務所に出る前に一時間だけ語学学校に通い、夜は仕事の関係で帰りの時間がまちまちで、ご飯を食べた後は学校の復習をしなければいけないので、必然的に取れる時間は更に早い朝の時間ということで疑問は無く、仕方が無いので7時前に起きては30分のランニングと一部所の筋トレをなんとか終わらして、急いで家に戻って果物メインの朝食をほお張り学校へ向かう。

そんな一ヶ月を過ごし、どれくらい歯を磨いたかと確認してみると、一ヶ月のうちに24日走った様で、これならプライマリー・バランスはなんとかクリアだと思っていると、なんだか最近足の裏の内側とかかと部分に鈍痛を感じるようになってきた。

嫌な思い出もあるので、ちょっと心配してネットでいろいろ調べてみると、「ジョガーズフット」などという呼び名で、同様の症状が報告されている。つまりは足の筋肉が炎症を起こしているということ。

不思議なことに一日なんとも無かったのに、夜にベッドに横になると痛みを感じたり、朝起きたら痛みを感じたりすること。悪化させたくはないのですぐに馴染みのマッサージ師に相談して状況を説明すると、「心配することはない」とマッサージをしてくれ、「毎日これを入れて足湯をしてみればいい」と、漢方らしい薬をくれる。

しかし一向に収まる気配の無い痛みと、再度上昇の気配を見せる体重にヤキモキしながら、

「痩せるために走って、体重の重みで足を痛め、痛みの為に走れなくて、走れないために体重が増えて、増えた体重の重みがまた足を痛める」

と、なんだかどこかの国のデフレ・スパイラルにそっくりだな・・・と一刻も早い脱却を願う。

2012年8月5日日曜日

プライマリーバランス



住む場所を変えるというのは結構な変化な訳で、その前後3ヶ月つまりは半年ほどその変化に振り回され生活が不規則なる。

そんな不安定な生活を送っていれば必然的に運動不足に陥り、身体もぶよぶよになってくるのは避けられない。そんなリズムを立て直し、なんとか規則的に戻す様にとこちらに来てからずっと探していたジム。

大気汚染が酷いので道の近くを走るのは辞めたほうが良いと医者に止められ、わざわざ公園に行って走れば、梅雨のようになった空模様で運動が不定期になり、ならばと全天候型のジムに頼るしかないということで、週末の時間を使っては家の周辺のジムをしらみつぶしに当たってみる。

隣の小区に一つあるというので足を運んでみるが、入り口の保安員が既に「辞めたほうがいいよ・・・」と言うように、中は汚く、ランニング・マシンも一台と一体どうやって運動するのかという内容。

やや遠いが有名な高級マンションの地下にあるジムに足を運んでみると、それはそれは綺麗だがとても許容できる金額ではないので諦め、簡単に足を運べそうな範囲にあるすべてのジムに見学に行くが、ことごとく希望に見合うものはない。

がっくり肩を落とし、家のマンションの馴染みの保安員に、「近くで良いジムを知ってない?」と聞いてみると、「この前パンフレットを配っていたよ」と言う。「ぜひそのパンフレットをまた探しておいてくれ!」と言い残しておいたら、数日後に見つけたよとパンフを渡してくれる。

さっそく見に行ってみると、なんでも3ヶ月前にオープンしたばかりで、「人が少ないからいいですよー。」と良いのか悪いのか分からないことを言われるが、確かに綺麗だし、器具は揃っているし、サポート員のレベルも悪くなさそうだしと考えていると、特別価格にしてあげるからとの殺し文句。しかも休みなどで日本に長く戻るときはその時期、2ヶ月間まで契約を止めることができるという。なんて気の利いたサービスなんだろうと納得。

あっという間に契約を終え、計算すると毎日行ったとすると一日12元、およそ150円の計算になる。東京でよく足を運んでいたのが、区民なら安く利用できると言う港区スポーツセンター。区民なら一回400円。それを基準に考えると二日に一回のペースを守るのが、一応プライマリーバランスを黒字で通すということになりそうだ。