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2013年7月20日土曜日

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ) 128 ★★★


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所在地 和歌山県新宮市新宮1
主祭神 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ),熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)
社格  式内大社・官幣大社・別表神社
創建   128
機能   寺社
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世界遺産
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本宮から新宮市に向かう途中、左手に見えてくる雄大な川。エメラルド・ブルーと言える様な、とても不思議な色に水面を光らせる熊野川。

これから向かう熊野速玉大社までの流域は世界遺産にも登録されているという。水に石灰が混ざって青色で独特の色をしているというが、確かにあまり見たことの無いような不思議な色に魅かれ、車を脇に停めてカメラを向けることにする。

やはり良い水が聖域の何よりもの基本なんだと納得し、新宮に向けて車を進めると、川辺に何台ものトラックやショベルカーの姿が見えてくる。環境を壊すための工事ではないことを祈りながら先を進む。

本日の最終目的地である那智の青岸渡寺が、参拝時間が16;30までだというので、なんとか間に合うようにと新宮市での立ち寄り地のシミュレーションを繰り返しながら運転すること1時間弱。想像していたよりもこじんまりとした街並みの新宮市に到着。

まずはなんといってもこの街での最大の目的地である熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)へ。熊野川のほとりに位置するこの朱色の神社。熊野三山の一角をなし、近隣の神倉山に祀られていた神様を、ある時から現在地に祀られるようにしたと言われている。それより神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮と呼ぶらしい。

伝承では創建は128年と2000年近くも昔と言うことになり、住宅街の真ん中に立つ姿からは想像も出来ない歴史を持っている。駐車場から表参道に回って一の鳥居をくぐる。朱色に統一された境内は濃くなってきた緑の色との対比で素晴らしい景色を作り出している。

境内を折れるように進んでいくと、左手にはご神木のナギの樹が見えてくる。樹齢・約1000年とのことで天然記念物に指定されている。横に広い神門上部には立派な注連縄がかけられており、神域をしっかりと意識付けている。その中に見えるのは豆砂利の先に横に広く構える社殿。第一殿から第四殿まであるので、ほかではなかなか見かけない水平を意識させる社殿。

緑を背にし横に広がる朱色の社殿。なんとも整った空間に心を打たれる。左を見ると、奥には元宮と呼ばれる神倉山。神倉山中腹にはこの熊野速玉大社のもととなる巨岩崇拝に起源する神社「神倉神社」が鎮座している。

「ザッザッ」という足音を聞きながら、左の第一殿から順に参拝をし、境内の空気の様に、すがすがしい気持ちになって朱色の空間を後にする。
















大斎原(おおゆのはら) 2000 ★★


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所在地 和歌山県田辺市本宮町本宮
主祭神 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)
社格  官幣大社、別表神社
本殿の様式 入母屋造
創建   不明
機能   寺社
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世界遺産
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本宮を出てるとすぐに目に入るのが大斎原への道を示す大きな看板。

その指示に従って田圃道を少し南にいくと、道すがら熊野本宮大社の末社の産田社(うぶたしゃ)が見えてくる。総てを産みだした「産土(うぶすな)」の神と崇められている「伊邪那美尊(いざなみのみこと)」を主祭神としているというので、折角だから参拝していく。

その後左右をよく実った稲穂で覆われた厚みのある田圃で縁取られたまっすぐな道を歩いていくと、遠近感をぶっ飛ばしてくれるような巨大な鳥居が前方に待ち構える。

パワースポットとして近年注目を集め、テレビでも映されることが多かったこの大鳥居。しかし実際に立ってみないとこのスケール感は感じられないなと納得。もちろん古代からこのサイズの鳥居が建てられて訳も無いが、ここが聖地熊野の中でも重要な場所であるということが伝わってくる。

熊野本宮大社の旧社地で、明治22年に発生した熊野川の大洪水によって流されたかつての社殿を山の上に移築した為に、2000年にかつての社殿地であるこの地に、巨大な鳥居が建てられた。その規模は高さ34mという日本一の大きさという。

この地に立っていたイチイの大木に神が降臨したことが熊野本宮大社の始まりとされ、まさに自然信仰の場であることを示している。同じくその後熊野速玉神社はゴトビキ岩という巨岩を、熊野那智大社は那智の滝をそれそれ神体として祀ってきたのにも特徴的である。

鳥居の下から上を見上げても、それはもう高層ビルのスケール感。「鳥居をくぐっている」という感じはまったく受けられない。ならばなぜこんな巨大な鳥居を作る必要があったのだろうか?

この場所が日本最大級の聖なる場所であることは納得するが、この鳥居を計画したときにどんな理由でこの大きさに決定されたのか、この大きさがこの地に相応しいのか、そんなことを思いながら周囲を歩いてみると、恐らく動物が田圃を荒らさない様にとフェンスが張られているのが視界に入ってくる。

聖地もまたある人にとっては日常であり、そこには守るべき毎日の生活があるのだと言われているようでもある。そんなことも含めて、様々な思惑が重なりこの大きさになったのだろうと思いながら、再度鳥居をくぐって次の新宮市へと向かうことにする。


















熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ) 不明 ★★★


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所在地 和歌山県田辺市本宮町本宮
主祭神 家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)
社格  官幣大社、別表神社
本殿の様式 入母屋造
創建   不明
機能   寺社
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世界遺産
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熊野街道をひた走り、やっとぶつかった熊野川。看板に指示されるままに、その道を左に曲がり新宮川沿いに暫く走ると見えてくるのが、古来より多くの参拝客の目的地として君臨してきた熊野三山の首座であり、熊野信仰の中心となる熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)。

熊野古道を徒歩で歩き、辿りついた人にとってはその感慨はどれだけ大きいか想像に難くない。それほどの思いをする山道を抜けて、やっと広がる風景の中にうっそうと広がる森。否が応でも気分は高まるばかり。

流石に世界遺産にも登録された場所だけに無料の駐車場も広く完備されており、観光客と思われる人々の間を抜けて、開いてるスペースへ車を入れ、水を補給していざ参拝へ。

八咫烏の幟とセットになった如何にも雰囲気のある鳥居。まっすぐに山を上がっていくかのような参道の両脇には「熊野大権現」と書かれたの白旗がはためく。砂利の敷かれた参道を突っ切ると見えてくる階段。その階段を登りきると正面に神門が見えてくる。

しかしこの境内の雰囲気。右の社務所では随分関連グッズが売られ、境内のいたるところに看板が置かれており、想像に反して随分と観光化されてしまっている感じが漂っている。

もっと厳かな雰囲気を想像していたので「あれれ?」とあっけにとられながら、神門をくぐると、正面に見えるはずの社殿が工事中のシートを被せられ、横の看板を読むと、「社殿屋根葺き替え工事」だという。

「何もこのタイミングでやること無いのに・・・」と当たるに当たれない気持ちを抑えながら、「ここに神様がいることに変わりは無いはずなのに、参拝する対象が見えないこと、本来見えるべき対象が隠されることがこれほど心理的に大きな喪失感を与えるとは・・・」と意外な発見をしながら、がっくり感を抑えきれないままに、左の第一殿から順に四殿すべてにお参りをする。

『伊勢へ七度、熊野へ三度』

と古代から言われるように、この熊野本宮大社は熊野速玉大社、熊野那智大社と共に、熊野三山(くまのさんざん)と呼ばれ、熊野信仰の中心地であり、日本全国ある熊野神社の総本社である。

田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)が、「熊野参詣道」として世界遺産に登録されているのでも有名で、来る途中にも道端に段階世代を思われる夫婦の姿をチラチラ見かけた。

多くの参詣者が歩いたとされる熊野参詣道・中辺路。その道の途中途中にあるのが、「○○王子(おうじ)」と呼ばれる熊野古道沿いに在する神社。それらの経てたどり着くのがこの熊野本宮大社。それから熊野川を下って速玉大社、那智大社へとめぐるのが、熊野詣での昔からのコースだったという。

ちなみにこの本宮大社の社殿は当初から現在地にあったのではなく、少し南に行った熊野川と音無川、岩田川が合流する中州にあったが、1889年の大洪水で倒壊したため、1891年に現在の地に移されたという。その元々社殿が建っていた場所を大斎原(おおゆのはら)と呼び、現在では大きな鳥居が建っているのでも有名。

当時は上、中、下の三社で構成されており、そこから熊野三所権現と呼ばれる。その三社はそれぞれ四殿からなり、十二殿で祭神が祀られていたことから、熊野十二社権現とも呼ばれたという。

そんな訳で、今度はしっかりと社殿の姿を見れる時に、ぜひとも熊野古道を歩いて辿りつこうと心に決めて、神門を潜り大斎原へと向かうことにする。