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2016年11月7日月曜日

ポンデザール(芸術橋,Pont des Arts) 1804 ★★



シテ島を南に渡り、セーヌ川沿いを西に向かっていく。朝のラッシュ時にあわせ、車も人も仕事場へと向かって急いで動いていく姿が、都市の一日のリズムを加速させていくようである。

遥かかなたに頭を雲に隠されたエッフェル塔を見ながらしばらく進むと、左手に半円弧の古典主義であるフランス学士院が見えてくる。その中心軸上にセーヌ川にかかり、向かいのルーヴル宮殿へと繋がるのが、このポンデザール(Pont des Arts)。

1804年にナポレオンの命を受け、初の鋼鉄製の歩道橋として架けられたという。ここで問題なのは、まず歩道橋。つまり馬車や汽車などではなく、純粋に人々が歩いて渡るために架けられたということ。そしてもう一つが鋼鉄製。つまりそれ以前にも石橋や木橋はあったけど、鉄という新しい素材を使い、その特性を表現するように、今までの石や木に比べて格段に「軽い」表情を持った橋が生まれたということ。

都市の中に輸送の手段として大きな川が流れる場合の必然として、両岸を生活の場面から分断してしまうが、それを人類の知恵として橋を架け、つなげることで様々な物流や交流を生み出す。その中で歩行橋として人の移動を主として架けられたということから、19世紀初頭のパリが都市としてどれだけ成熟してきていたかを感じさせる。

それと同時に、「鉄」という近代を象徴する新たなる素材が、様々な研究を積み重ねられ、その耐久性や加工性などを踏まえて今までにできなかったことを土木の世界において実践し始められたということ。こうした鉄に対する技術発展はさまざまな技師によって行われ、それがこれからおよそ100年後、1887年に開始してたった2年という驚異的なスピードで1889年に完成したエッフェル塔の建設へと繋がり、その後様々な建築にも使用され、軽く透明感をもった近代建築が生まれていく流れとなる訳である。

そんな歴史上の重要性よりも、この橋を有名にしたのは、世界中様々な有名観光地の橋で行われる「愛の南京錠」という若いカップルが互いの名前を記して永遠の愛を誓って橋の欄干に取り付けるという儀式。このポンデザールでも2008年ころからその行為が人気となり、あまりの多さに2014年にその大量の南京錠の重さによって一部の欄干が壊れてしまい、そのために南京錠を取り付けられないようにするために、以前の金網を取り外し、現在のガラス板の欄干へとデザインの変更が行われたという。

ちなみに橋の名前がポンデザール(芸術橋) と呼ばれるのは、ルーヴル宮殿がかつて「芸術の宮殿」と呼ばれていたからだといい、観光シーズンには多くの観光客がこの橋を渡り、セーヌ川の北と南を行き来するのだという。

ちなみ北側のルーブル宮殿は1区に属し、南側のフランス学士院は6区となる。すぐ南にはサンジェルマン・デ・プレ教会があり、学生時代によく聴いていたサンジェルマン・デ・プレ・カフェの音楽を思い出しながら、6区を南へと進んでいくことにする。



パリ6区


2015年3月7日土曜日

サン・トゥスタシュ教会(Eglise Saint Eustache) 1637


シテ島を後にしてやっとランニングの折り返し。ここまですでに一時間・・・後半はあまり立ち寄り場所がないからとテンポを速めて走り出す。

そこで迷い込んだのは巨大なショッピングセンターであるフォーラム・デ・アール(Forum des Halles)。そのすぐ脇に位置するのがこのサン・トゥスタシュ教会(Eglise Saint Eustache) 。

建設の開始されたのは1532年で、およそ100年かけて1633年に完成されたこの教会はゴシックとルネサンスが入り混じった様式を纏い、パリでも一番壮麗な教会と呼ばれているらしい。

幅44m、高さ39mとあるように、「どっしり」とした印象を抱かせるこの教会。さらに有名なのは内部にあるパイプオルガン。およそ8000本ものパイプを持つオルガンは、ノートルダムの7800本、サン・シュルピス教会の7500本を押さえフランス最大のものであるといい、その音色もまた格別だという。

ぜひいつか、その音を楽しみにここにコンサートを聴きに戻って来ようと思いながら先を進むことにする。








サント・シャペル Sainte-Chapelle 1244


ノートルダム大聖堂と同じくシテ島に位置するこのサント・シャペル(Sainte-Chapelle)。遠いところから見ると印象的に高く飛び出ている塔の先端が印象的で、ついついこれがノートルダムかと思ってしまうほど。

その名の通り、「聖なる礼拝堂」という意味で、お向かいのノートルダムとほぼ変わらない1244年という完成年度を見ても、初期ゴシックの最盛期の建物だということが見てとれる。

ロマネスク 1000年から1200年頃
ゴシック  1150年頃から1500年頃まで
ルネサンス 1500年頃から1620年頃
バロック  1600年頃から1700年頃
ロココ   1700年頃から1800年頃

もともとはルイ9世が収集した様々な聖遺物を納めるために建設がされ、現在は最高裁判所の一部となっているため、入り口がなかなか見つけにくい教会である。

なんといっても凄いのはその内部空間。「壁の柱化」というゴシックが与えた建築空間への大きな変化を究極の形で体現するかのように、聖堂内部は柱以外すべて開口部であり、そこには色とりどりのステンドグラスが嵌められる。

まさに組積造の壁から柱と壁の分離を行ったゴシックの極点としての空間である。

「聖遺物」というと、荒俣宏の「レックス・ムンディ」の世界が思い出されるが、この美しき光が満ちる内部空間も、歴史の中でドロドロとした様々な陰謀の舞台となったのかと思いながら、少々肝を冷やして折り返すことにする。






ノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris) 1225


やっと到着した折り返し点。パリの歴史が始まったとされるセーヌ川に浮かぶシテ島。何よりも外部から攻め込まれた時に防御しやすいことが一番の基礎に置かれていた時代を考えると、川の中心に浮かびある程度の広さを持つこのシテ島が選ばれたのは納得がいく。

そんな土地には都市の中心をなす宗教施設が古代より建設されるのはこれまた当然の成り行き。ローマ時代にはユピテル神域が建設され、ローマ崩壊後の中世にはキリスト教徒によってバシリカが建設される。そして1163年に、現在の教会堂の建設が開始され、1225年に完成をする。

その特徴的なファサードを構成する双塔(ツインタワー)は1250年まで建設が続き、石造りにおいてその高さを成し遂げるために発展したフライング・バットレスによって支えられる。

時代を確認すると、

ロマネスク 1000年から1200年頃
ゴシック  1150年頃から1500年頃まで
ルネサンス 1500年頃から1620年頃
バロック  1600年頃から1700年頃
ロココ   1700年頃から1800年頃

このパリのノートルダム大聖堂が初期ゴシック建築の最高傑作とされるのが見てとれる。

またこの教会堂の名を世界に知らしめる役割を担っているのが、1831年のヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)」「ノートルダムの鐘」としてディズニー映画にもなったこの小説であるが、学生時代に映画館に足を運んだ記憶が蘇る。

そんな歴史の中で常にパリの中心として聳えてきたこのノートルダム大聖堂。それだけにここを訪れる人はエッフェル塔やルーヴル美術館よりも圧倒的に多いという。

ちなみに「ノートルダム」とはフランス語で「我らが貴婦人」を意味し、つまり聖母マリアを指すという。その為に「ノートルダム大聖堂」とは聖母マリアに捧げられた教会堂ということになり、フランスだけでもパリ、ランス、シャルトル、アミアン、ルーアン、ストラスブール等々、ゴシックを代表する多くの教会堂が同じ「ノートルダム大聖堂」の名を持つことになる。

いつか北フランスのゴシック教会をまとめて見る機会を持ちたいと思いながら聖堂の背後から昇る太陽の日に照らされ、キラキラと反射するセーヌ川の川面を眺めながら先に足を進めることにする。


コンコルド広場(Place de la Concorde) アンジュ=ジャック・ガブリエル 1755 ★★


折角パリに来たのだから、朝のランニングで昼間に回ることのできない市内の建物を巡ってこようと、朝7時前に起きだし外へ出る。「ミュンヘンよりはあったかいのでは・・・」と甘い期待を裏切るように半袖半ズボンのランナーにはあまりに厳しい寒さ。

「日がのぼれば暖かくなるはずだと」気合を入れて、まず向かったのはコンコルド広場(Place de la Concorde)。南西にエッフェル塔が良く見え、振り返るとセーヌ川の向こうに太陽が空を赤く染めながら上ってくる。

フランス革命中にはマリー・アントワネットの処刑が行われたりと、この街の歴史を作る舞台となってきた広場。朝早いというのに、メトロポリスの一日の始まりを告げる様に行き交う車や人々の姿を眺めながら川を渡って南へと渡ることにする。