ラベル ツーリズム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ツーリズム の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年1月27日金曜日

人が知らない場所に行く理由

今回の休暇の初めての小旅行として選んだのは、静岡伊豆地方。現在の地名で言えば、伊豆の国市から、三島市、裾野市と巡って御殿場市を通って東京へ戻ってくるルートであり、旧国で言えば、伊豆国と駿河国を巡ることになる。

韮山反射炉は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界遺産登録された文化遺産である。それを作った当時の代官であった江川英龍の邸宅が近くに残される江川邸であり、これは新建築が出版した「日本の建築空間」にも掲載される貴重な建築である。そして伊豆長岡温泉の中心をなす三養荘は新館を村野藤吾が設計を担当し、その庭園は粕谷幸作によるもので「日本の庭園100選」にも選ばれており、「一度は泊まりたい日本の宿」として様々なところで紹介されている素晴らしいお宿である。

せっかくだからと三島の名物の鰻を食べて、そのまま裾野までしっかり見ることのできる富士山を目指し、「クレマチスの丘」と呼ばれる4つの美術館の複合施設に立ち寄り、最後は御殿場まで戻って虎や工房でお土産を買いつつ、隣に位置する安部首相のお祖父さんの岸信介の自邸として吉田五十八によって設計された名建築である東山旧岸邸を見学して、せっかくだからと高速に乗る前にアウトレットを冷やかしていこうというものである。

そんなルートを設定しながらふと思う。

現代ほど情報に溢れ、かつ交通が便利になり、その気になればどこにでも移動できる時代はかつて無かったはずである。その現代において、では人々が何を持って今まで知らない場所に足を運ぶようになるのか?そんなことを考える。

自分が育ったとか、大学に通った、働いている、転勤で赴任した、結婚相手の地元だとかいった、何かしら自分の人生で縁を結んできた場所ではない場所。

地元では買えない商品を求めて地域の中核都市へと足を運ぶ。そんな場所性を持っていたものが、インターネットの登場とそれを追うようにして現れたネット通販によって希少性を薄められた。

そしてディズニーランドに行きたいから地方から東京にやってくる、アイドルのコンサートを見るためにある都市まで出かけるといった、その場所やライブといったものの価値がさらに高まるのは必然である。

そんな時代に人々は、一体どんなことに興味を持ち、どんな媒体で情報を検索し、どのような形でその情報にフィルターをかけ、どのような形式にてそれを保存し個人化し、どのタイミングでそのデータにアクセスし、ルートの中に再配置していくか。

そういう観点で上記のルートを見返してみると、しょっぱなから「韮山反射炉」という2015年のニュースで初めて聞いた施設は、まさにこの世界遺産登録の報道が無ければ恐らく一生知ることの無かった場所であるだろうし、今回のルートも存在しなかったこととなる。

それに加えて、世界遺産に登録されたからこそ、「それだけ価値のあるものであるならば・・・」とそれをマッピングしてみようとした訳であるし、同時に登録された他の文化施設もそれぞれの県のマップにアイコンが挿された訳である。それがもし、「都道府県レベルの文化遺産」とかであれば、恐らくマッピングすることも無いだろうし、それ以前にニュースとしてアンテナに引っかかることもないであっただろう。

その記憶があったという事実にプラスして、その周辺に「江川邸」と「三養荘」と建築的にもかなり価値のある場所が二つも点在していることにより、このエリアの価値がぐっとあがり、今度はそこを中心として同心円を描きながら他の目的地を探していくこととなる。

その同心円に覆われているからこそ、「三島でお昼を、それならば名物の鰻を。それならば有名店であるここのお店で・・・」という行動様式になってくる訳であり、それらはすべて個人化されたマップの上で様々なフィルターを通して散りばめられたアイコンの間で行われている訳である。

ならば、そのアイコン達はなぜそこに挿されることになったのか。なぜ地図の上で可視化されるようになったのかと言えば、自らがその価値を認めるメディアに載っていたから、もしくは共感できる人の書くブログに紹介されていたから、かつて見たテレビで紹介されていたからと、人生の中で出会う様々な断片化された自分が「目利き」として信じる価値観の集合体である訳である。

これが現代のツーリズムであり、そこには様々なマッピング作業によって個人化されたマップの存在。そしてそれを可能にさせたグーグルマップの存在が見え隠れする。

これが今までの「地球の歩き方」などのガイドブックに頼るツーリズム、そのより遥かに前の万博黎明期におけるツーリズムなどとどう違うのか、つまりツーリズムが時代とともにどう変遷してきたのかは改めて何かの本などで体系立てて調べてみたいものだと思わずにいられない。

2013年12月31日火曜日

プーケット ★

「一年、しっかり働いたから、束の間でも身体を精神をゆっくり休めて英気を養う」

自分が納得できるくらいよく働いたと思えるような一年をなかなか過ごすことなくこの歳まできたが、流石に今年は身体も精神もへとへとになるくらい働き詰めだったと思うので、思い切って休みを取り足を伸ばしたプーケット。

普段はどうしても安易な方へと流れてしまう読書の傾向なので、一年を締めくくるにはやはり少々ハードめな専門書をと悩みに悩んで選んだ二冊の建築本。想像していたような「波の音だけしか聞こえない静かな夕闇の中、お茶を飲みながらゆっくり本のページをめくる」というような、如何にも村上作品に出てきそうな時間の過ごし方は叶わず、結局行きの飛行機の中で読み進めただけで、リュックのなかの重しとしてしか機能しなかった重いその二冊を罰ゲームの様に持ち帰ってくることになるのだが、緩んだ神経には緩い内容が丁度いいと言わんばかりに、一緒に持っていった小説はサクサク読み進めることができた。

ワクワク感を感じながら、職業的刺激を探しあてるように向かう巡礼のような旅ではないこのような旅は、その段取りを全て妻にお任せしていたので、ホテルや行き先などの重要項目以外はほとんど知らずに当日を迎える。

現地での移動を楽にする為に、空港でレンタカーをしてホテルに向かう。という段取りだったようであるが、どうもホテルがあまりプロフェッショナルなやり取りをできず、情報が間違っていて、深夜に到着した空港のレンタカー・カウンターはしっかり閉まっているので、あれやこれやと手を尽くして結局タクシーでホテルに。

空港から1時間ほど、ビーチごとに町になっているプーケットの様子を見ながら、「これは初日にカーナビのない車を借りたところで、どうせ運転して到着するのは無理だったな・・・」と思いなおしながらホテル到着。

深夜にチェックインということで、余り英語が得意ではないスタッフに部屋に案内されながら、「この部屋の後ろの敷地で建築作業をしているので、ちょっと騒音がうるさいかもしれません」と飄々と言うので、「明日にでも他の空いている部屋を調べて変えて貰えるように頼んでおいてください」と伝えるが、どうもうまく伝わらない様子。その様子に一抹の不安を感じながら眠りにつく。

翌朝、早速ビーチに足を運ぶことにし、北京に行くからということで、水着を持ってきていなかった妻の為に水着を物色しに近くのマーケットへ。道から外れた奥にあるお店で陽気に話してくる女性の店員に話をすると、なんでも「ビルマ(ミャンマー)から来ている」と。今回の滞在中に何人ものミャンマー人に出会ったが、タイ南部にはかなりの亡命ミャンマー人がいるようである。

なんでも彼女が言うには、ビルマの情勢がやっと安定してきたから、2015年には国に戻るのだと言う。日本にもかなり多いミャンマー人。「いつかぜひ行って見たいんだ」なんて言いながら「今日最初のお客なんだから・・・」なんて中国式の値段交渉で水着とパレオを安く購入してビーチに向かう。

街中では多くの外国人がスクーターをレンタルして足としているようなので、ついでに道すがらのレンタルバイク屋を覗いてみると、上のフィットネスクラブに入って来い。という看板が。

入っていくと、筋肉が盛り上がったシベリアンハスキーのような獰猛な目をし、頭の上からびっしりと刺青の入った軍曹の様なロシア人が対応してくる。普通こういう人は見かけと裏腹に優しいものだと思うがいやはや。「スクーターに乗った事があるか?」と聞いてくるので、「電動スクーターだけど毎日乗っている」と答えると、「俺は、乗った事があるかとだけ聞いたんだ」と、「YesかNoだけで十分だ」と言わんばかりの圧迫感。「満タン返しを忘れるな」と言う言葉を聞きながら、逃げるように外にでる。

外にでて、「あれはどこかの傭兵だったに違いない。絶対に人を殺している目をしている。」なんて勝手に想像を膨らませ、近くのレストランで本場のトムヤンクンのスパイスに舌を痛めながらプーケット生活を開始する。

街中がロシア人とロシア語に覆われているのに驚きを感じツーリズムの恐ろしさを実感しながらも、滞在したカロンビーチからスクーターで南に足を伸ばして、プロンテープ岬やラワイビーチ、プーケットタウンなどを巡りながら妻の調べたレストランなどに向かう。

ガソリンスタンドのおじさんに「これで満タンだよ」と言われて夜に軍曹にスクーターを返却しに行くと、貸し出しの時には何の確認も無かったくせに、無言のままに隅々まで傷をチェックしだし、ガソリンタンクに指をつっこみ、「貸したときは第二関節だったが、今は第一関節だ。満タンといったのに満タンではないので追加料金だ」と何とも理不尽な事を言われるが、こんなところで殺され熱帯魚の餌にされるのも癪なので、さっさと払って後にする。

翌日はホテルで紹介しているツアーに参加し、ピピ島にも足を伸ばしたりしながら、それなりにツーリストらしい時間を過ごし、よくよく考えると野菜が非常に少なく、一辺倒なタイ料理にそろそろ胃腸と舌がやられはじめていく。

軍曹とは違って感じのいいタイ人のレンタル屋でスクーターを借りて、更にいろいろと足を伸ばしては、「今年は一体何日、夕日を見ることがあっただろうか」と思いながら沈む夕日を見ながらレモンジュースで喉を潤す。

何もしない事を目的にするならば、プーケットの様に開発の入ったところで、ビーチ・アクティビティーや色んなツアーのあるようなところではなく、本当に何もする事がないくらいの僻地に行かない限り無理だろうと思い知りながら、押し寄せるツーリズムの波の強烈さを身にしみて大晦日の北京に向かって帰ることにする。















2013年12月29日日曜日

ツーリズム

ロシア語で埋め尽くされたプーケットの街に、「ツーリズム」という名のイナゴに襲われ荒廃した風景を重ねてしまう。

日本でかつて起こったように、巨大な人口を抱える中国とロシアにおいても「中流の夢」として生み出された中産階級と、彼らが実現し始めた「ツーリズムへの欲望」。

恐らく国内のメディアで大々的に煽られて、脳内に刷り込まれている「ちょっと上の休暇の過ごし方」。そこそこの家庭が向かう先としてのタイのリゾート地。その少し上のクラスが向かうタイの孤島や、インドネシアのリゾート。更にグレードが上がるとカリブのリゾートへと。その欲望の受け皿になる為に、開発は止まる事をせず、際限なく地球に手を入れ続ける。

一つの街がその国の母国語以外の多言語に覆われる状態。それはなぜか女性への暴力を思わせる。圧倒的な力を持ち、押し寄せるように強制する。それを拒めば、「多くの外貨」という甘い汁を与えられることなく、他の候補地に流れていく。つまりは生き残る為に拒否できない強要。

それは観光という、他者によって生活が成り立つ都市にとっては受け入れるしかないものであり、英語やロシア語などの街中での比率が上がれば上がるほど、地元言語の世界的優劣を表しているようである。

誰もが無意識に強制参加させられている世界的競争。それによって終わる事のない開発。少しでも他の都市と差異化し、少しでも同じ年の中の競合者と差異化する。普通のホテルには少しでも写真栄えのするプールを設置し、少しでも海への眺望が望めるなら景色を売りにする。差異化の為に、全ては食べつくされ、もっともっとと限界を知らない。

星野リゾートの様に、自ら価値を生み出せる会社にとっては、逆にどこの場所にいってもそのサービスとノウハウで、十分に周囲と差異化をなしえる価値を創り出せる時代でもある。

「中流の夢」が世界中に撒き散らされ、開発の手が世界の隅々まで延びきった後には、今まで雑誌で取り上げられてきた一般的なリゾート地では膨れ上がった欲望は満足しきれなくなり、次に目が向けられるのは今までアクセスが悪い為に手が入ることなく守られてきた北海道や宮古島など毛細血管の先ともいえる場所場所。

そんな場所まで、いつかは中国語やロシア語で覆われる時代が来るのもそう遠くは無いかもしれない。それによってその土地に落とされる外貨。それによって失われる何か。それでは、何処かで「ツーリズム」に対してノーと言うか?まるで「リーガルハイ2」で描かれた一場面の様であるが、これも都市間競争の成れの果ての今の世界の実体。

やらなければ他の都市にとって代わられる。
自分がやらなければ、結局誰かがやる。

この状況は建築もまったく同じ。自分がやらなければ、結局誰かがやってしまう。その資本主義の流れは止められない。なら自分が必死に最善と思えるものをやるしかない。

ツーリズムの片棒を安易に担ぐのではなく、問題を見据え、どこもが「one of them」の世界にならないように、場所のゲニウス・ロキを見据え、何を成すかに意識を払い、日々の設計に向かいなおすしかないんだと改めて理解する。

2013年12月27日金曜日

都市間競争

プーケットに来て驚くのが、圧倒的なロシア人の多さ。それにもまして、街自体がロシア人用にフォーマットされてしまっていること。

街のいたるところの看板は、ロシア語でかかれ、レストランに入れば自分達以外はほぼロシア人家族。メニューを見ればまず最初にロシア語で、その次に英語、中国語でタイ語。

そのロシア人が特別裕福そうな感じではなく、如何にも中流という雰囲気なのもまた驚く。普通の家庭が年末にタイにバケーションで数日滞在できる。それほどの経済水準に国自体が成長しているという事実。

それに対して受け入れる側のこのプーケットの街。資本主義というものがそもそもそういう性質のものだからであるが、タイの街であるにも拘らず、街中がロシア人の為にフォーマットされ、共通言語のタイ語は見かけることなく、ロシア語、英語で街が覆われる。

恐らくレストランのメニューも地元民が普通に暮らす単価より明らかに高く設定されており、その理由となるような特別なサービスや特別な材料は使われておらず、「これくらいのマージンを乗っけても、街全体として価格破壊を起こさなければツーリスト達は払うはずだ」という思惑が透けてしまっているのは否めない。

かつてはアメリカ人やイギリス人相手、その後一時期日本人が大量に押しかけ、中国人とロシア人に人口移動の重点が移動しているという事だろう。その度に新しい言語のメニューを作り直し、同じことを繰り返して生きていくこの街。

このプーケットが相手にしているのは、決してロシア人ではなく、バリ島やフィリピンの小さな島など、同じように経済の後ろ盾を得て、大量のマネーを落として要ってくれるツーリスト達の受け皿になろうとする南のリゾート地達。

彼らなりの努力をし、なんとか要望に応えることで、街が生存でき、そこで生きる人たちの生活も成り立っていく。明らかなる都市間競争の一シーンがそこで繰り広げられているわけである。

少し前に日本国内の都市の勝ち組、負け組について考えた「吸い上げる都市」だったが、結局ここプーケットでも同じことが行われているわけである。飽くなき都市間競争。リゾート都市として負けることはここに住まう人の生活が成り立たなくなるだけであり、新規参入し新しいツーリズムの価値を携えてくる新たなる新興都市に対して常に優位に立たなければいけない。

ツーリズムではなく、人の流れ、経済の流れ、ビジネスの流れ、文化の流れにおいても、それはひたすら加速し、際限なく国際化し、全世界を舞台にして繰り広げられる。

今の日常でも接する数々の外国人。彼ら一人一人に「何故ここにいるんだ?」と聞いたら間違いなく、「より良い機会と仕事と人が集まっているからだ」と答えるだろう。国境という見えない線を越えて、限られた都市へ、更にその上の都市へとつながって行くモノとヒトの流れ。

東京の相手は、大阪や名古屋ではなく、ましてやマドリッドやイスタンブールなどでもなく、今や北京、上海、シンガポール、香港となっており、これは誰も止められない。

アジアに向かう優秀な人材が、東京に向かわずに上海に向かえば、それは都市の魅力においての負けを意味している。

優秀な人材であればあるほど、その上限は無い。より上の条件、良い機会、良い生活とキャリアアップにつながる場所。その能力を発揮できる場所へと人は動き続ける。

それがどこまでいくか?国の中での負け組都市を大量に作り出すだけではなく、国家間でも古く新しい社会に対応できないままのかつて繁栄した都市は衰退しながら臨界点で自ら変革を受け入れていくことになる。

かつて言われた地元回帰。「なぜ戻る必要があるか?」を考えると、それは家族であり、友人であり、自ら育てくれた故郷であるが、都市間の移動がより容易になり、生活圏の拡大によってある程度の距離と時間が問題にならないようになれば、それすら意味を変えてくる。

緩やかな階級社会の次に来るのは、明らかなる都市間格差。

徹底した効率化でもそれでも必要となる単純労働力を提供する低金銀労働者と共存しながらも都市の衰退に敏感な都市間ノマドとして生きる人々。やがて都市が多国籍の特権的場所に成り代わる日も遠くは無い。

競争に勝ち抜けなかった、
競争に参加しなかった
過去の栄光に胡坐をかいていた都市は取って代わられる

しかし、新しい都市が簡単に生まれるわけにはいかない。それが都市の難しいところであり、何故ならそれは都市は歴史を下書きにして作られているからである。

問題は都市の行く末を決定する力を持った人々が、どれほど敏感にこの世界の潮流を感じ取り、どれだけその圧力に恐怖を感じているかどうかである。

恐らく魅力を失いながらも、それでもある種の需要には応えつづけていくであろうプーケットの姿を見て、その奥に日本の様々な都市がこの先100年、どのような時間を過ごしていくのかに想いを馳せずにいられない。