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2015年12月29日火曜日

「里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く」 藻谷浩介 2013 ★★


藻谷浩介

報道ステーションなどでもコメンテーターとして登場する著者。全国の様々な自治体を歩き回り、その目で見たこの国の現状と地方格差。そしてそこから見えてくる今後の可能性。その著者によるこの本によって「里山資本主義」という言葉がかなり浸透し、グローバルを呑み込んでいくマッチョな資本主義に対して、日本の風景を作ってきたこの国ならではの経済のあり方、資源と自然との関わり方にもう一度目をむけ、現代のグローバリゼーションを否定するのではなく、その良さを活かしながら都市への一極集中から里山に寄り添うようにして成り立つ新しい経済活動のあり方を、様々な地方での実践を紹介しながら描いていく。

都会で朝早くから満員電車に揺られ、会社についたら様々な人間関係や厳しい市場競争からのストレスを抱えながら歯を食いしばりながら働き、自分の為の自由な時間などすべて犠牲にして夜遅く帰宅するのはただただ睡眠をむさぼり、明日の朝にまた同じ一日を繰り返すための体力を回復するため。

そんな風に必死に生きているのにも関わらず、決して豊かな暮らしになっているかといったらそうではない。それに引き換え、田舎では大家族で暮らし、時間に追われることなくゆったりとした時間の中で、多くのものを共有しながら、家族で過ごす時間を持つ余裕がある。

どちらか豊かであるのだろうか?と、都会であくせく生きる人々なら一度は考えた疑問であろう。今は我慢し、キャリアアップや能力を上げて将来への投資と思えるのならまだしも、明らかに大きな経済構造の一部として取り込まれ、ただただ労働力を提供し多くのものを吸い取られてしまっているこの感じ。

そのそのどうしようもない労感に対して別の道筋を描き出そうとする意欲作であるといえる。社会の構造変化のためにさまざまな場所で見えるようになってきた歪。あるところでは「格差」として、あるところでは「限界集落」として。

そんな風に、日本が世界経済の中で今後どのようなスタンスで立ち向かっていくのか、都市と地方、そして田舎ではどのような経済構造を再構築し、どのような生活のあり方を想定して人々が毎日を暮らしていくのか。そんな国としての大きなグランドプランを変革しなければいけない必要性に迫られている現代。盲目的に世界から押し寄せる波に飲まれて、海外からの輸入した労働の在り方を踏襲し、搾取され続け、疲弊した生き方を続けるのではなく、日本だからこそ可能な、そして以前には存在していたものを新しい形に蘇らせることで豊かな生き方を目指せるのではないかと声をあげる。

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経済成長には、金太郎飴の様にどこもかしこも画一的である方が効率的だったのであり、地域ごとの個性は不要だったのである。21世紀、ある程度の経済成長を果たし、ものが溢れる豊かな時代になって、全国どこに行っても同じような表情になってしまった日本の街を見て、違和感を覚え始めたのである
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というように、地方のどこの街に行っても同じものが手に入り、同じ風景の中を走るファスト風土が蔓延するなか、「効率」一辺倒ではない、価値観もあるのではという思いがあちこちからわきあがってきている。

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マネー資本主義に染まりきってしまった人の中には、自分の存在価値は稼いだ金銭の額で決まると思い込んでいる人がいる。それどころか、他人の価値までもを、その人の稼ぎで判断し始めたりする。違う、お金は他の何かを買うための手段であって、持ち手の価値を計る物差しではない
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誰もが紹介された例のように、創造的な価値の転換をできる訳もないが、それでもどうにかして今までの社会の常識や在り方を根本的に変革し、硬直した社会の利権構造、変化を望まない一部の既得権益にとどまろうとする人々を押しのけて、未来の日本にとって、本当に相応しい社会と生活の在り方を考えていかなければいけない。その為には多くの人が一時的な痛みを伴うが、それは将来のために必要な治療であるのだと理解しなければいけない。そんな切実なメッセージが聞こえてきそうな一冊である。


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■目次  
はじめに─「里山資本主義」のススメ/3
/「経済一〇〇年の常識」を破る
/発想の原点は「マネー資本主義」
/「弱ってしまった国」がマネーの餌食になった
/「マッチョな経済」からの解放
/世の中の先端は、もはや田舎の方が走っている

第一章 世界経済の最先端、中国山地─原価ゼロ円からの経済再生、地域復活
/二一世紀の“エネルギー革命”は山里から始まる
/石油に代わる燃料がある
/エネルギーを外から買うとグローバル化の影響は免れない
/一九六〇年代まで、エネルギーはみんな山から来ていた
/山を中心に再びお金が回り、雇用と所得が生まれた
/二一世紀の新経済アイテム「エコストーブ」
/「里山を食い物にする」
/何もないとは、何でもやれる可能性があるということ
/過疎を逆手にとる
/「豊かな暮らし」をみせびらかす道具を手に入れた

第二章 二一世紀先進国はオーストリア─ユーロ危機と無縁だった国の秘密
/知られざる超優良国家
/林業が最先端の産業に生まれ変わっている
/里山資本主義を最新技術が支える
/合い言葉は「打倒! 化石燃料」
/独自技術は多くの雇用も生む
/林業は「持続可能な豊かさ」を守る術
/山に若者が殺到した
/林業の哲学は「利子で生活する」ということ
/里山資本主義は安全保障と地域経済の自立をもたらす
/極貧から奇跡の復活を果たした町
/エネルギー買い取り地域から自給地域へ転換する
/雇用と税収を増加させ、経済を住民の手に取り戻す
/ギュッシングモデルでつかむ「経済的安定」
/「開かれた地域主義」こそ里山資本主義だ
/鉄筋コンクリートから木造高層建築への移行が起きている
/ロンドン、イタリアでも進む、木造高層建築
/産業革命以来の革命が起きている
/日本でもCLT産業が国を動かし始めた

中間総括 「里山資本主義」の極意─マネーに依存しないサブシステム
/加工貿易立国モデルが、資源高によって逆ザヤ基調になってきている
/マネーに依存しないサブシステムを再構築しよう
/逆風が強かった中国山地
/地域振興三種の神器でも経済はまったく発展しなかった
/全国どこでも真似できる庄原モデル
/日本でも進む木材利用の技術革新
/オーストリアはエネルギーの地下資源から地上資源へのシフトを起こした
/二刀流を認めない極論の誤り
/「貨幣換算できない物々交換」の復権─マネー資本主義へのアンチテーゼ①
/規模の利益への抵抗─マネー資本主義へのアンチテーゼ②
/分業の原理への異議申し立て─マネー資本主義へのアンチテーゼ③
/里山資本主義は気楽に都会でできる
/あなたはお金では買えない

第三章 グローバル経済からの奴隷解放─費用と人手をかけた田舎の商売の成功
/過疎の島こそ二一世紀のフロンティアになっている
/大手電力会社から「島のジャム屋」さんへ
/自分も地域も利益をあげるジャム作り
/売れる秘密は「原料を高く買う」「人手をかける」
/島を目指す若者が増えている
/「ニューノーマル」が時代を変える
/五二%、一・五年、三九%の数字が語る事実
/田舎には田舎の発展の仕方がある!
/地域の赤字は「エネルギー」と「モノ」の購入代金
/真庭モデルが高知で始まる
/日本は「懐かしい未来」へ向かっている
/「シェア」の意味が無意識に変化した社会に気づけ
/「食料自給率三九%」の国に広がる「耕作放棄地」
/「毎日、牛乳の味が変わること」がブランドになっている
/「耕作放棄地」は希望の条件がすべて揃った理想的な環境
/耕作放棄地活用の肝は、楽しむことだ
/「市場で売らなければいけない」という幻想
/次々と収穫される市場“外”の「副産物」

第四章 “無縁社会”の克服─福祉先進国も学ぶ“過疎の町”の知恵
/「税と社会保障の一体改革頼み」への反旗
/「ハンデ」はマイナスではなく宝箱である
/「腐らせている野菜」こそ宝物だった
/「役立つ」「張り合い」が生き甲斐になる
/地域で豊かさを回す仕組み、地域通貨を作る
/地方でこそ作れる母子が暮らせる環境
/お年寄りもお母さんも子どもも輝く装置
/無縁社会の解決策、「お役立ち」のクロス
/里山暮らしの達人
/「手間返し」こそ里山の極意
/二一世紀の里山の知恵を福祉先進国が学んでいる

第五章 「マッチョな二〇世紀」から「しなやかな二一世紀」へ─課題先進国を救う里山モデル
/報道ディレクターとして見た日本の二〇年
/「都会の団地」と「里山」は相似形をしている
/「里山資本主義への違和感」こそ「つくられれた世論」
/次世代産業の最先端と里山資本主義の志向は「驚くほど一致」している
/里山資本主義が競争力をより強化する
/日本企業の強みはもともと「しなやかさ」と「きめ細かさ」
/スマートシティが目指す「コミュニティー復活」
/「都会のスマートシティ」と「地方の里山資本主義」が「車の両輪」になる

最終総括 「里山資本主義」で不安・不満・不信に決別を─日本の本当の危機・少子化への解決策
/繁栄するほど「日本経済衰退」への不安が心の奥底に溜まる
/マッチョな解決に走れば副作用が出る
/「日本経済衰退説」への冷静な疑念
/そう簡単には日本の経済的繁栄は終わらない
/ゼロ成長と衰退との混同─「日本経済ダメダメ論」の誤り①
/絶対数を見ていない「国際競争力低下」論者─「日本経済ダメダメ論」の誤り②
/「近経のマル経化」を象徴する「デフレ脱却」論─「日本経済ダメダメ論」の誤り③
/真の構造改革は「賃上げできるビジネスモデルを確立する」こと
/不安・不満・不信を乗り換え未来を生む「里山資本主義」
/天災は「マネー資本主義」を機能停止させる
/インフレになれば政府はさらなる借金の雪だるま状態となる
/「マネー資本主義」が生んだ「刹那的行動」蔓延の病理
/里山資本主義は保険。安心を買う別原理である
/刹那的な繁栄の希求と心の奥底の不安が生んだ著しい少子化
/里山資本主義こそ、少子化を食い止める解決策
/「社会が高齢化するから日本は衰える」は誤っている
/里山資本主義は「健康寿命」を延ばし、明るい高齢化社会を生み出す
/里山資本主義は「金銭換算できない価値」を生み、明るい高齢化社会を生み出す

おわりに─里山資本主義の爽やかな風が吹き抜ける、二〇六〇年の日本
/二〇六〇年の明るい未来
/国債残高も目に見えて減らしていくことが可能になる
/未来は、もう、里山の麓から始まっている

あとがき
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2014年5月1日木曜日

クローズアップ現代 「極点社会~新たな人口減少クライシス~」

久々にゾッとするクローズアップ現代。やはりネットでもかなり話題になっているようであるが、一体何処に向かってしまうのかこの国の未来は・・・

縮小社会が叫ばれて久しい現代日本。地方では限界集落と呼ばれる高齢者だけが取り残された自立できない集落が大量に発生しているなか、この特集では更にその先を描き出す。

極点社会

今のところ日本の地方を支えているのは高齢者の経済力。それは実際に労働の対価として稼ぎ出す報酬ではなく、長年積み立ててきた年金。その年金を便りとして回っている多くの地方自治体。

これが一部での現象で、他の地方では若者が増加し、全体としてバランスが取れているならまだしも、現在の日本を襲うのは全体的な人口減少。そして地方を襲うのは若者だけでなく今や老人すら減ってきているという事実。

高齢者の年金で成立していた地方経済が縮小し、今までなんとか成立していた雇用の場が失われ、就職もできず、結婚も出来ない若年女性が増加する。彼女らの受け皿となるのは、東京などの数少ない勝ち組の大都市への流出。

一度彼女らが流出すると、残された地方は、限界集落を越えてただ消滅を待つだけの崩壊集落へと変容していく。いくら一度流出していった彼女達が何年後かに田舎に戻ろうと思っても、その時にかつての田舎の姿はもうそこには無い。また彼女達が戻ってこようと思えるような職・住環境もまた地方には用意されていない。

更に恐ろしいのは地方自治体が自らが首都圏で運営するケアハウスで働く人材を地元で採用し、そのまま首都圏に送り込むことによって、更に地元から若い女性の数が減っていくという負のループ。若い女性が減れば、子供を産む人も減り、必然的にその地域は消滅していくのみである。

縮小社会に入った国家の避けられない一現象であるのは間違いない。しかし問題なのは、現在の日本においては、機会や報酬など全てをとっても数少ない大都市の一人勝ちの状況になってしまっているということ。

国全体が同時に縮小するのではなく、全体が縮小する前に、崩壊していく地方から更に未来の可能性である若者を吸い上げる大都市がいて、それが地方の疲弊を加速させる。

都市に出てきた女性が、求める結婚相手を見つけるのにどれくらいの時間がかかるのか、激しい競争の中で十分な環境で子供を育てることができるのか。都市には都市の問題がある。

人が住まなくなった空家。しかしそれを取り壊して更地にすると更に税金を取られることになる。そんな時代錯誤のシステムが蔓延る中、事態は既に深刻な状況にと陥っている。

一時期待ち状態が何ヶ月にもなっているといわれたケアハウス。それも既に空き室が出てきているという。稼働率が低下することで、利益が無くなっていく。そうなると無駄な価格上昇で更に一般消費者を苦しめることになるのなら、行政の適正な判断で統廃合を繰り返し、適正価格へと持っていくのが妥当な線であろう。

ここで描かれているのはまさに巷に溢れる様々な縮小社会関連の書籍に書かれていることそのもの。マイルドヤンキーという地元に住み着いた若者がまだいる地方は良いということで、そんな彼らからも拒否をされた地方都市は今後更に崩壊社会へと突き進むであろう。

恐らく今後の20年。日本中の地方で見るも辛い本当の意味での都市間格差が明らかになってくるだろう。それはそこに住まう人がいいとか悪いとかの問題ではなく、都市として生き延びることが出来なかった、都市として今後を生きる若者を惹きつけることが出来なかった、つまりはそんな都市として放置してしまった行政の問題でしかないのだろうが、そうして誰に知られることも無くひっそりと消滅していく様々な都市があるはずである。

その消えていった都市を見過ごすのではなく、21世紀の日本の地方の風景を本気になって考えて、現実味のある街づくりへと着手していくことがこの時代に残された我々の役割なのだと思わずにいられない。

2014年2月11日火曜日

少々の不自由さ

北京に戻り、冷蔵庫を開けるが暫く家を空けていたのでこれといった飲み物が無い。そんな時思うのは、深夜にも関わらず、すぐに外にでて近くのコンビニで何十種類の中から好きな飲料を選ぶ。そんな日本の便利さはここにはない。夜には閉まるスーパーが朝に開くのを待つしかない。

こんな些細な事だけと、日本にいると当たり前のことがどれだけ過剰に便利であり、心地よい環境かということを思い知る。

これを企業努力というのだろうが、人は少しでも便利だと思う事、快適だと思う事にお金を払う。それが企業にとって少しでも儲けに繋がる、利益になれば、様々な手段を使って開発される。競合他社よりも一時間遅くまで営業していれば、利益がどれだけ上がる。ほかよりもより近く、高密度で店を展開すればどれだけ売り上げが上がる。

高度なマーケティングのシュミレーションと組み合わされ、住まう人はデータを作り出すパラメーターとして把握される。そこには、快適な調整された環境で育てられた動物が、いきなり厳しい野生の中に放り込まれたら自分を守ることもできずに死に絶えてしまうような、「人はどこまで快適さを与えられたら、厳しい現代社会で生きていくうえでの力を無意識のうちに失っていくか」などという要因は加味されない。

確かに便利になったり、快適さを感じたりすることに流れるのは止める事ができない。ただ、それが世界の他の国と比較して、どれだけ差異化されているのか?多様である他の国では、どれほど日本から見たら低いといわざるを得ないスタンダードで多くの人がそれを当たり前として暮らしているのか。

それを認識せずに、ただただ全てを与えられ、すべてを経済性から捉え、対価を支払う事で進歩したサービス産業の恩恵を受けるんだと開き直ることで、どんどんと楽に慣れた堕落した人間を作り出してしまうのではと思わずにいられない。

コンビニの例だけではなく、様々な場面において一つの事をこなそうとする時のハードルが過度のサービスの発展の為に、非常に低くなっている現代の日本。しかし提供されるサービスが向上するのは、それはあくまでもビジネスの一環であるから。そこに利益があがるというシュミレーションが働くから。

もし、そこが限界集落、極点社会へと針が振れ、利益の見込みがなくなった時には、恐ろしいくらいにあっさりと撤退していくのが競争に晒された企業の本質。日本が人口を失い、国の枠組みが少し外に開き始めれば、外部のスタンダードが大量に流入するのは眼に見ていてる。

そんな時代を見据えると、至れり尽くせりのサービスにどっぷりと精神を浸して過ごすのではなくて、人が健康的に生きていくのに一体どの程度が適切か、自ら判断しながら、世界の標準と距離を測りつつ、しっかりとサービスの中から意識的に選択して付き合っていく必要があるのだろう。

少々の不自由さの中で生きたほうが、人は困難を克服しようとする力が養われる。特に小さな子供には、できるだそんな環境で育っていくのがいいのではと思いながら冷蔵庫を閉めることにする。

2014年2月10日月曜日

どこでも道路


実家に帰ってきて街中を車で走っていると、こんな田舎町にも関わらずどこに行っても綺麗にアスファルト舗装され、道路脇にはガードレールと道路標識がしっかりと整備されている風景に驚く。

データを見てみると、2008年の段階で日本の道路総延長距離はロシアやカナダよりも長く世界5位。

世界各国の道路総延長距離

日本の道路の総延長はどのくらいですか? 道路:道の相談室:道に関する各種データ集 - 国土交通省

その国土面積から考えても、一定面積辺りに占める道路面積でいったら間違いなく世界トップクラス。「道路大国」と呼ばれるのに相応しい長さの道路である。

そして問題はその数値に表れてこない道路の質と、道路周りの標識やガードレール、街頭などの付属施設の質。中国やロシアなどの大国では都市部のほんの一部を除いては道路が整備されているといっても、相当に質の悪く、凹凸はあり、ところどころはげてしまっており、もちろんガードレールも街頭も無く、道路標識などは何キロに一つという程度。そう考えてみると、道路一定距離あたりにかけられている費用で考えたら、恐らく日本は圧倒的に世界一であろう。

「道路族」という言葉が示すように、この国ではどこに儲けとなる利権が埋もれているか、それをどうやってうまく自分の儲けにつなげられるか、そういうことを必死に考える人がいて、またそういうことを考えさせたら相当に優秀なものだから、本当はもっと有益に使われるべき税金が湯水の様にそちらに流れてしまうのがこの国の形。

先日巡ってきた山陰地方の山間の集落。そんなところまでまぁ綺麗な道が通っている。間違いなく史上これほど国土を覆う網の目が細かくなり、田舎まで含め日本全国に道路という神経回路が張り巡らされては無い。旅行する身にとってはこれほど便利な事は無いが果たしてそれが本当に必要なものなのかといえば疑問である。

人の神経網も細部の細胞に血液と栄養を届けなければその細胞が死んでしまうからであり、どうにかして循環の一部に取り込まなければ全体が機能しないからである。そう考えると同じように、どんなに限界を迎えた集落でも、やはり全国の交通から隔離する事は出来ず、どうにかその一部に接合しているべきである。

しかし、それが世界のほかの国の首都のど真ん中にある道路よりも綺麗に整備され、過剰な周辺設備も付加されている必要があるかどうかはまったく別問題。恐らく余りに暗く、夜道の運転で事故が起こり問題が発生した時に責任を逃れるためにか、とにかく交通量などは関係なく全国共通仕様で纏めましょうということなのだと想像する。

住んでいる北京では、中心の紫禁城のすぐ脇の道でも、スクーターで走ってもボコボコな道だったりするが、恐らく山陰の山奥の道のほうがよっぽど綺麗な道になっている。間違いなくこれから限界集落を超えて極点集落が増加し、高齢者も減っていく縮小社会に突入していく日本。

その中で今までの経済体制、儲けや利権構造を守る為に、過剰に必要以上な道路を作り、また直して整備していくこの国の建設・土木産業の形。そんなことをしていれば、それはお金がかかるだろうし、本当に必要なところにお金が届かないというのもしょうがないと思わずにいられない。