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2015年2月18日水曜日

三嶋大社(みしまたいしゃ) 不詳 ★★


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所在地 静岡県三島市大宮町
主祭神 大山祇命(おやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
通称  三嶋大明神
社格  伊豆国一宮、式内社、伊豆国総社、
創建  不詳
機能  寺社
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徐々に西日が強くなり、日の光の下で建築を見れるのはあと数十分かと思いながら住宅地を抜けて到着した三嶋大社(みしまたいしゃ) 。駐車場から境内に入っていくと、前方のおじいさんが「あ、観光の片ですか?」と話しかけてくる。

「なんだか、怪しいぞ・・・」と思いながらも、「あぁ、そうですが・・・」と返すと、「良かった。今日はもう帰ろうかと思っていたんですが、地元のボランティアで案内しますが、どうですか?」と言われるので、「是非」とお願いすることに。

ずっと地元に住んでいて、この神社が大好きな様子のそのおじいさんについていきながら境内をぐるぐる回り説明を受ける。この三嶋大社は鎌倉幕府を開いたかの源頼朝が崇敬した神社としても有名で、どうやらそのおじいさんにとっては頼朝よりもその妻である北条政子の方が思い入れが強いらしく、政子目線での説明をしてくださる。

そんな訳で桜が多く植えられている境内の入口近くに戻り、政子が勧請したと伝えられる厳島神社を眺めながら、池の向かいに見える如何にも神木っぽい雰囲気を醸し出している老木へと歩み寄る。なんでもこの三嶋大社には二本のご神木があり、一本がこの楠。おじいさんに拠れば、樹の形が男性に見えるが、あくまでも女性の姿を現しているという。

神門を潜ると右側に一対の石が見えてくる。ここは伊豆に流されていた源頼朝が平家追悼の祈願の為にこの三嶋大社に訪れた際に腰を掛けた石で「腰掛石」と呼ばれているという。一対なのは大きなほうが源頼朝用で、小さいほうが北条政子のものだという。

そんな武士の時代であった鎌倉時代の到来を告げる重要な場所となったこの神社は、中世以来も多くの武家の崇拝を集めたという。伊豆国の一宮であり、また「大社」と冠しているところから、東海道の中でも特に重要な意味を持つ神社として長い年月に渡り庶民に愛されてきた神社だということが見て取れる。

「腰掛石」の先にはもう一つのご神木だという国の天然記念物であるという巨大な金木犀が見えてくる。霊力が流れ出しているかのような異様な姿。幹の皮一枚で辛うじて生きながらえているその姿はまさに神木と呼ぶに相応しい。

熱心に説明をしてくれるおじいさんの姿に、本当にこの神社とこの地域が好きなんだろうと感じながら、こうして神社を愛する人たちに悪い人たちはいないだろうと思いつつ、同時に社会に巧く馴染めず、なかなか自分の居場所を見つけられずに悩んでいる多くの人たちが、こうして神社に足を運び、こういう人たちと会話をすることで、何か少しでも心の重荷が軽くなるのではないだろうかと思いながら、案内のお礼を言って境内を後にする。





厳島神社

神木(楠)
神木(楠)
神木(楠)
神木(楠)


腰掛石

舞殿
金木犀
金木犀


2014年2月4日火曜日

名和神社(なわじんじゃ) 1652 ★★★


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所在地 鳥取県西伯郡大山町名和
主祭神 名和長年
様式  流造
社格  別格官幣社
創建  1652年-1658年
機能  寺社
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「楠木正成」を読んだばかりなので、なおさらこの伯耆国(ほうきのくに)に思い入れが強くなる。

暗く厳しい目の前の日本海。その先に浮かぶのは隠岐島。鎌倉時代末期。長きにわたる武士の支配から天皇へと権限を取り戻そうと、1331年の元弘の乱で鎌倉幕府を討幕しようと企て、その罪の為に天皇でありながら隠岐島に流された後醍醐天皇。

それでもその意志を継ぐもの達と新たな時代に頭角を現した楠正成を代表とする悪党達によって時代の針は進められ、1333年に隠岐島を脱出した後醍醐天皇を迎えたのはこの地の英雄である名和長年(なわながとし)。

楠木正成が河内国の悪党であるならば、この名和長年は伯耆国の悪党。正成らが南から京に向かい、天皇を迎えた長年は西から京へとのぼり、南北分裂後には南朝について戦うことになる。

その名和長年と一族郎党42人の英魂を祀るのがこの名和神社(なわじんじゃ) 。そのまっすぐと伸びた参道は、あたかも隠岐の島へと視線を送るかのようである。山陰有数の花の名所と言われるのが納得の整った参道。その参道を覆いつくすかのように枝を伸ばす両脇の大木。その枝のスクリーンの先に見えてくる本殿。

境内を巡って戻ってくるときには先ほど歩いてきた自分の足跡さえも雪に覆われてしまうほどの強さになってきた天候。厳しいこの地の天気の下で、コツコツと商業にて蓄財をし、一緒に一度の来るべきに備えていた名和一族の心意気が伝わってくるような参拝である。