ラベル インターン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル インターン の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2013年12月17日火曜日

フィルタリングとセレクション

出来るだけ仕事に関する事は、この場では書かないでおこうと心に決めている。もちろんまだ外に出せない事項などがあるから不用意に言葉にするのも憚られるというものもあるのだが、何よりも一度仕事の事を書き出すとどうしても愚痴や忙しいことへの文句など、「グチグチ・・・」と自分のできない事へのへたれっぷりを晒す事になりそうなのが怖いというのと、それが止まることなく加速していくのも怖いという理由から。

そしてもう一つは、オフィスをオフィスをするのは人であり、仕事について書くというのは、どうしても「人」について書く事になってしまう。なので、ある特定のスタッフの個人的評価に繋がってしまうような事が無いようにと気をつけるとどうしても仕事についてかけなくなってしまうという訳である。

しかし、年間330日以上オフィスに居て、一日のほとんどを仕事関係のことを考えながら過ごしていると、どうしても仕事と日常の境目が曖昧化してしまう。

そして建築事務所なんていう「ノウハウ」が伝わりにくい日常を過ごしていると、随分長い年月をかけて「あーでもない、こーでもない」と考えてやってみてはうまくいかず、やり方を変えてみてのトライ・アンド・エラーの末になんとか自分達なりの方法論を見つけていく。

しかしポイントさえ理解していれば、そんな無駄な時間をすっ飛ばし、もっと建築家として大切な事に時間を割けるだろうと毎日思いながら過ごしている身としては、少しでも現在の体験が未来の有望な建築家達の貴重な時間を有効利用するのに役立ってもらえればと思わない訳も無い。

そんなことを考えると、やはり少しだけでも「建築家の仕事」についてなんらか記録を残しておく事がベターだと自分を納得させることにして、日常を吐露する言い訳として使用する。

50人を超える所帯となり、10カ国を超える多国籍のスタッフを抱え、国内外でプロジェクトを進めるようになると、幸いな事に沢山のインターン希望の学生や学校を終えたばかりの人材から多くのCVが送られてくるようになる。

自分が学生の時はそんなことを思いもしなかった。どうやって応募していいのか?どうやって建築事務所で経験を積むことができるのか?どうやって建築事務所の門をくぐることができるのか?きっと知り合いやツテがなければいけないのでは・・・。コンペなどで名を馳せてそれが目に止まって声をかけられないといけないのでは?と勝手に想像を膨らませていた。

今の学生は、気軽にHPを見て、「インターン募集を見ました。どこどこ大学の何年生です。添付のCVとポートフォリオ。」

なんとも手軽なものである。かつての自分の気負いっぷりが恥ずかしくなるくらいの軽さ。「カルヴィーノが次のミレニアムに残そうとした「軽さ」もこれと同じものであろうか?」と首を傾げたくなるほどである。

月曜の朝。アウトルックに入れてある個人とは別のHRのアカウントのを開くと、黒く未読になっている膨大な数のメール。特に今週は建築系のサイトに募集を掲載した事もあり、いつもの倍ほどのメールが届いている様子。げんなりしながらも、お茶を用意し先週チェックしたところまで遡って一つ一つ開けていく。

どうチェックするかというと、まずざっと文面に目を通す。細かく追っている時間は無いので、添付されているCVを開きまずはどこの国、どこの大学、大学院かどうか、何年生なのか、どんなソフトウェアが使えるか、インターンとして建築の実務の経験があるか、どこのオフィスでインターンをしたか等々を理解する。

その後別途添付されているポートフォリオを開いて学校やコンペなどに参加して、どのような作品を作っているか。それが個人の作品なのか、それともチームとして誰かと一緒にやった作品なのかを見て、実際にCVで書かれている事と照らし合わせながら、応募者が何ができるのか?を見て取っていく。

年間軽く1000以上ものポートフォリオを見て、その中から何人かは実際にオフィスに来て一緒に仕事するようになると、ポートフォリオの中から、図面の描き方、レイアウトなどからどれくらい建築的理解度があり、どれくらい美的センスをもった設計能力があるのかくらいは分かるようになる。

同時に、どこかの雑誌に載っているような派手なパースだけ載せていてもまったく建築として成り立ってないものもあれば、自分達が学生だった時代の様に、手描きの図面に模型写真という古風なポートフォリオもあったりする。

「これは」と思う応募者は再度CVに戻ってチェックをし、よさげだなと思えばHRの担当者にチェック済みで選択済みと転送する。その後は担当者が人数などを調整しながら、各応募者にコンタクトをとり調整をする手はずとなっている。

この選択する時に注意することは、以下の項目。

男女比
国籍比
CADなのか3Dなのか得意な分野のバランス
中国人の比率
常に10人以上のインターンがオフィスに在籍するようなスケジュール


国籍別のバランスをとる目的は、グローバル化を果たした建築世界において、世界中様々なところで行われるコンペティションはより良いプロジェクトを得るための大切な機会。ほとんどのページが英語表記されているといっても、どうしてもその地に出身の人物で、その地の事情を知るもので無いとそれが良い機会が否かは中々判断が出来ないし、その地出身のものがオフィスにいないと、そもそもそういう情報をキャッチするアンテナを持たないことになる。

なのでオフィスとしてはできるだけマルチ国籍のチームをオフィス内に持ち、母国語でなければ知りえないコンペ情報などをできるだけインターンに拾ってもらう。情報が網に引っかかるようなシステムをオフィス内に持ち、各インターンはそれぞれの国、もしくは地域でこれはというコンペがあればオフィスに知らせるように」と言っている。

それでなければ、このグローバル化した世界といえども、グローカルの情報はやはりローカルを取り込んでいかないと視界に入ってこない

が、これはなかなか徹底しなくて、結局は長く付き合っているコンサルタントや外部の人から情報を聞いたりしてコンペに応募する事が多いのだが、システムが機能するまでは時間がかかると少し見守っている状況である。


それとは別のこうして様々な国からの応募を見ていると、色々な事が見えてくる。その一つが各国の建築水準。そしてその国でどこの大学が良い建築教育をしているか。そしてなんといっても各国の経済状況と若者がその国の未来に何を見ているか。

最近の傾向としては応募者の内訳は圧倒的に、イタリア、スペイン、ポルトガルとなっている。普通に選んでいたらイタリア人、スペイン人、ポルトガル人ばかりになってしまうが、その中でも作品のレベルが高いのはイタリア人であり、それぞれの国でどういう建築教育がなされているのかが良く分かる。そうして選んでいくとオフィスにイタリア人ばかりになるのも困るので、その中でもバランスをとりながら選択することになる。

その他にも中国各地はもちろんアルゼンチン、インド、イラン、レバノン、ロシア、アメリカ、バングラディッシュ、エジプトなど様々な国から届き、やっている事もやはり国柄が出ると言うか、水準がバラバラなのを新鮮に見ていくことになる。

しかし、100以上のメールをこのようにしてチェックするというのはかなり体力と集中力を使う事だけでなく、同時に貴重な時間を消費してしまう。なので、HR担当者に上記のポイントを伝え、最初のセレクションは自分がやらなくても、世界の建築大学のレベルが大体分かり、CVの見方が分かっているフルタイムのスタッフに、セレクションのバランスとポイントを理解させてフィルタリングさせる。そのフィルターをくぐってきたものを最終的にこちらが目を通して最終の選択をするようにする。

それがHR担当者と自分の時間のロスを少なくしてくれるはずである。何の為に行い、どういう意図の元、どうすれば一番効率的に行えるか。それを常に考えていかないと、現代社会で生きているとあっという間に高齢者へとなってしまう。フィルタリングとセレクション。その違いに思いを馳せながら、来週は1時間ほどで終わる事を願って通常業務へと戻っていくことにする。

2013年12月7日土曜日

コンサート 「Stravinsky Festival: Valery Gergiev and Mariinsky Theatre Orchestra」 NCPA 2013 ★★

----------------------------------------------
Programme

 Fireworks, Op. 4  
 Card Game  
 Concerto for Two Pianos  
   
 ——Intermission——  
 Firebird  
----------------------------------------------
今年最後のオーケストラ。文化の秋に集中的に身体を舞台芸術の空間にどっぷりと浸らせようと意図し、何度も足を運んでオペラハウスだが、残すところ今日のオーケストラと来週のピアノ・コンサートのみ。

いつもどおりに妻とメンターご夫妻と一緒に行くのだが、今回は妻の分のチケットを購入するのが遅れて、離れ離れの席になる。一番お手頃なチケットが既に売り切れ済みで、一つ上のランクの席を購入すると二階席の右手、オーケストラを上から見下ろす形になるシートを購入する。

以前購入していたチケットはオーケストラを後ろから眺めるシートとなり、近くて識者なども良く見えるから素人には良いように思えるが、音響的には方向が逆になりあまり楽しめない場所だという。

そんな訳でまず自分が2階席、妻が1階のオーケストラの後ろに陣取る事にする。普段は後ろの一番上の席の一番お手頃な席を取ることが多いので、どうしても正面のかなり遠い距離からオーケストラを見るのだが、こうして上から表情も分かるほどの距離で見ていると、今までとは違った楽しみ方ができるのだと理解する。

上から見ると良く分かるそれぞれの楽器がどれだけの人数がいて、二人で一つの楽譜を共有して、からなず一人がページをめくっていくだとか、結構自分が参加しない時間が多い奏者は楽器の手入れなど、いろいろと動いているのだというのを見て、やはりこの人たちも人間なんだとなんだか不思議な思いを持ちながら演奏を楽しむ。

本日のコンサートは、メンターが「これは素晴らしいから!」と力をこめて推薦してくれるように、かなりトピック盛りだくさんの様である。まずは何と言ってもストラヴィンスキー。

イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky,1882年 - 1971年)は、ロシアの作曲家で、20世紀を代表する作曲家の一人であるという。ストラヴィンスキーと名前は聞いたことがあるが、時に高価なヴァイオリンの名前とごっちゃになりそうだが、改めて海馬に植えつける事にする。

非常に長期に渡り活躍したというだけあって、ロシアで活動を始め、その後あまりに前衛的な作風の為に台頭してきたナチスに目をつけられたため、アメリカに亡命しハーバード大学などでも教鞭をとるなど、当時の世界的知識人の一人であったことが伺える。

生涯を通して原始主義、新古典主義、セリー主義と作風を変えつつも、一曲聞くだけで理解できるように相当な前衛的な作品を残したようである。中でも初期の3つの作品、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』は有名で、その中でも『春の祭典』は20世紀最高傑作と呼ばれているようである。プログラムを調べると今日は『火の鳥』、明日は『春の祭典』ということで、少々残念に思いながら、まずは体験することからだと心を切り替える。

今回は世界最高峰の指揮者がロシアトップクラスのオーケストラを率いて、ロシアが生んだ世界的作曲者であるストラヴィンスキーの曲を3日間に渡って演奏するという壮大な
Stravinsky Festival。そのロシア尽くしが良く理解できるように、会場のあちこちでロシア人らしき人たちの姿を目にする事ができた。

さて続いては、指揮者のヴァレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev, 1953年 - )。現代ロシアを代表する指揮者の一人らしく、とにかくメンターが「この指揮者は世界最高レベルの一人だ」と熱弁している姿から恐らく凄い人なんだろうと理解することができる。

彼に率いられているのはマリインスキー劇場管弦楽団(Mariinsky Theatre Orchestra)。ゲルギエフが若く35歳の時に芸術監督に就任したキーロフ劇場から発展した楽団で、サンクトペテルブルクにあるマリインスキー劇場付属のオーケストラであり、ロシアを代表するオーケストラの一つだという。ゲルギエフの指導の下、世界的な名声を得るまでに発展したそうである。

もう一人重要な登場人物である、ピアノのアレクサンドル・トラーゼ(Alexandr Toradze, 1952年 - )。旧ソビエト連邦のグルジア出身のピアニストらしく、その後はアメリカへと活躍の場を移動させるが、とにかくロシアを代表するピアニストらしい。

これらが本日の基本情報で、オーケストラに引き続いて入ってくる指揮者のゲルギエフは如何にもこの世界で何十年もトップをはって戦ってきた雰囲気を身体中から発散させながら中々の雰囲気のある容貌。演奏を始めようとするが「指揮棒を持たずに指揮するのかな?」と思ってよく見ると、爪楊枝のような何とも可愛らしい短い指揮棒を持っている。しかも両手が「何かの薬でもやっているのか?」と思ってしまうほど細かく震えながらタクトを振っていくとても個性的な指揮者。

曲の始まりから今まで体験してきたオーケストラのような、「あ、日本のCMで聞いたことがある・・・」という心地の良い甘ったるく、脳の中でアルファ波が溢れるような心地よさは無く、一発で「さぞや前衛的だったんだろうな・・・」と思えるような不協和音ともいえるような曲の進行。

それでも、「これがストラヴィンスキーか・・・」と有りがたく思いながら聞いていくが、二曲目に入ると時々びっくりさせるように激しく鳴らされるドラムの音などですっかり身体中が緊張してしまう。

その影響もあるのかしれないが、二階席から見下ろしながら演奏を聴いていくと、この「マインド・コントロールにも使えるのでは?」という調べに身体を浸していると、「フラフラ」と目の前の手すりを乗り越えて下に落下していく姿を想像してしまい、その想像を頭の中から搾り出す事ができずに余計に身体が緊張してしまう。

「これは幕間で妻と席を替わってもらわないと・・・」と思って階下の妻の姿を目で追うと、感動しているのか口元を手で覆いながら指揮者を凝視する妻の姿。確かにこの音楽は身体をダラリと弛緩させて聞き入るようなものではないなと思いながらも、「早く幕間が来てくれ」と願いながら演奏を聞き入る。

やっとのことで幕間になり身体の緊張を示すかのようにトイレに向かって出てくると、どうにも見たことのある顔が。オフィスがロシアはモスクワのとても大きなコンペにショートリストされ、この数週間力を入れて進めているコンペがあるのだが、ロシアから来ているインターンの女の子もそのチームに参加していて、その彼女が今日のコンサートにも足を運んでいたようである。

「あれ、ストラヴィンスキー?」と声をかけると、そうだという。「ストラヴィンスキーはロシア人に好かれているの?」と聞いてみると、丁度妻もトイレにやってきたので、インターンの女の子と分かれて妻と一緒にメンター夫妻に合いに行く事にする。

メンター夫妻に「これっていいんですか?相当からだと緊張させるような調べで何とも楽しめないんですけど・・・」と聞いてみると、奥さんも同じような感想を述べていた。まぁ後半に期待しようということで妻に聞いてみると、「口を押さえていたのは隣の席の男性が、あまりにガーリック臭く、体中から発せられるその臭いにとてもじゃないが耐え切れないんだ」という。こちらは高さに参ってしまい、あちらはガーリックに参っているとは、なんとも似たもの夫婦だと思いながら、荷物を置いてきてしまったので席を替わることができずになんとかお互いに後半を乗り切ろうという事で席に戻る事に。

前半の3曲目から登場したピアニスト・トラーゼも幕間と一緒に引っ込んで、通常のオーケストラとして後半は『火の鳥』一曲のみ。さすが名曲といわれるだけあって、前半とは変わって随分楽しめることができた。所々で各楽器がリズムを変える様にしながらも有る場所ではきっちり一つの線になって戻って来る。ストラヴィンスキーが追い求めたポリスタイリズム(多様式)的な感覚というのが少しだけ理解できる気がする。

そんな調べを楽しみながら、先ほどバッタリあったロシアから来ているインターンについて思いを馳せる。大学時代に、自らの意思で世界中の建築事務所から一つを選び、こんな大気汚染にまみれた北京の地までやって来て、毎日設計の現場で実務が何かを学んでいる。それだけでも自分の学生時代には考えもしなかったと思うのだが、時間を見つけて、自分で情報を見つけて、自分の国・ロシア音楽界のスター達がやってくるコンサート・チケットを手に入れ、週末の夜にオペラハウスへと足を運ぶ。

これは相当に文化レベルの高い育ち方、家庭の教育を受けてきたのだろうと勝手に想像する。自分が学生だった頃に、そういうことを少しでも考える想像力があったらだろうかと思うと何とも恥ずかしい想いばかりである。中年に差し掛かってやっと、舞台芸術が面白いと感じられるようになって今だからこそ、彼女達の育った環境が如何に素晴らしいかが理解できる。

また、こういうことをきっかけでオフィスの中でプロジェクト以外に会話の糸口ができること、それを通して自分がよりロシアという国を理解する事ができる事は非常に嬉しい事だと思わずにいられない。

コンサートを終えて、メンターの感想を聞くと、やはり後半は凄く良かったと言っていた。妻と一緒に寒い北京の夜の電動スクーターで走りながら、そろそろ毛嫌いしていたロシア文学を手にしないといけない年齢に入ってきたんだなと思いを馳せながら家の棚に眠っているトルストイなどに思いを巡らす。
















2013年11月4日月曜日

インターンとフルタイム

建築家の仕事には本当に様々なものが含まれる。

日常的な「設計業務」も、一つ一つ内容をみていったら本当に多岐にわたることとなるが、設計事務所というある種の組織を率いていくとなると、必然的に経営や人事など組織を運営していく業務も同時に行わなければいけなくなる。

「上司にとって最も重要な仕事は部下を公正に評価すること」

そんなことを以前何かの本で読んだことがある。事務所のスタッフやインターンとして来ては離れていく何百という人間と接しているとその言葉の意味が徐々に分かってくることになる。

世界の様々な国からスタッフやインターンがやってくる国際性を持った建築事務所をやっていくと、常にオフィスには様々な文化的、または教育的バックグランドを持ったスタッフを抱えることになる。

その一人一人が、それぞれに何かしらの目的を持ってこの地にやってきて、この事務所を選び、自らが持っていた期待通りに何かを得よう、何かを学ぼうとして毎日を過ごしていく。

それと同時に日本ではまだまだ定着していない制度であるが、この国を始め多くの国では「新卒」という制度に囚われず、大学を卒業しても建築家として働き報酬を得るにはまだまだ経験と知識が足りないと思う人材が、興味を持っている建築事務所でインターンとして入って実務を実際の現場で見ながら学び、その中で経験を積みながら次はスタッフとしての職を探すということが良く見られる。

大学を卒業したから即スタッフ、つまりはフルタイムとして働かなければいけないとはそんなに思ってなく、それよりも自分が何を求め、今の自分がどの程度のレベルで、何が足りていないのか、それを良く考え今自分が行くべき場所を見つけているようである。

そんな訳で我々MAD Architectsにも何人ものインターンが世界中からやって来てくれており、その中には大学を卒業し終え、経験を積むためにこの街へとやってきてくれている人もいる。そんな彼らもインターンとして数ヶ月を過ごし、オフィスのプロジェクトの進め方を理解し、なおかつ配置されたプロジェクトの中で十分にその能力を発揮する子達もいる。

このような流動的な雇用関係の世界では、それこそ恋愛と同じく、お互いが何を考え、何を期待し、どうしたいのかを知ることが重要である。そんな中、何人かのインターンが、インターンを終えてフルタイムのスタッフとなって事務所に所属したいと申し出てくることがよくある。

オフィスのマネージャーと、普段から彼らが属するプロジェクトを率い、直接彼らに接している担当プロジェクト・アーキテクト、そして他のパートナーとアソシエイトと意見を交換し、彼らをどう評価するかを話し合う。

そんな中、フルタイムになることを望んでいる3人のインターンと面談をし、オフィスの意向を伝える機会を設けた。オフィスマネージャーと二人のアソシエイトと一緒になって、一人一人打ち合わせ室に呼び面談を行う。

まずはオフィスとして彼らがインターンとして過ごした数ヶ月を何を評価するかなどを伝える。そして事務所として外国人を雇い入れるということがどういうことか、オフィスがフルタイムのスタッフに期待し、求めることが何か、その責任がインターンと決定的に何が違うのか、オフィスとしてどのようなタイプのスタッフを求め、彼らがどのタイプだとオフィスが評価しているのかなどを伝えていく。

それと同時に、まだまだ若い彼らが自らの建築家としてのキャリアをどう考え、この先数年間をどのように過ごそうと思っているか、将来どこでどのように建築と携わっていこうと思っているのか、そしてこの事務所で何を期待しているのかなど相互理解を深めていく。

そうしながら、インターンとフルタイムの差を彼らに理解してもらいつつ、オフィスとして彼らをフルタイムとして迎えたいと伝えることになる。いきなり呼び出され、何人もの中年達の目の前に座らされ、あれやこれやと言い聞かされながら最後まで聞いた彼らは、それぞれがやはり誇らしげに嬉しそうな表情を見せてくれる。

外国人には英語で、中国人には英語と中国語で話し終え、横に座るアソシエイトとオフィス・マネージャーに何か付け加えることは無いか?と聞くが、それぞれに「がんばって」だとか、「おめでとう」と声をかけてあげている。

そんな姿を見ていると、遠い場所から建築家として時間を過ごしたいと思ってくれる若者がいる、そんな事務所になったんだと改めて思いながら、その期待に応える為にも彼らが望んだものをしっかりと手にして成長していけるような深みのある場所にしていかないとと気持ちを引き締めることになる。

2013年5月6日月曜日

結局は教育


以前よりETB研究会などでお世話になっている東京工芸大学の田村幸雄先生が、名誉教授を務められる北京交通大学にいらっしゃっているとのことで、せっかくの機会だからということもあり、オフィスの見学にいらしていただいた。

田村先生は、耐風工学という建築における風の研究の世界的権威で、国際風工学会 IAWE(International Association for Wind. Engineering)という世界的組織の会長を務められている、世界でも一線のエンジニアでいらっしゃる。

海外の大学でも客員教授を務められたり、国連や政府関係のプロジェクトにも参加され忙しく世界を飛び回られている様子だが、覚えていてくれて、わざわざ連絡を下さっての今回の訪問。なんともありがたいものである。

交通大学の博士号だという二人の付き添いの中国人学生と一緒に来られ、一時間ほどオフィスで進行中のプロジェクトなどについてご説明させていただく。

その後学生達は先に大学に戻るということで、先生と一緒に近くの中庭のあるレストランでランチをご一緒させていただき、昨日コンペも終了したということで、私も久々ののんびりしたランチを過ごせるということもあり、いろいろとお話を伺わせていただいた。

「教育者は太陽の様に常にさんさんと学生に日を見返り無しに与え続けるくらいの人物で無いといけない。」

そんな言葉を何かの本でかつて読んだが、まさに「こんな先生の下で勉強することのできる学生は幸せだろうな」と思えるお話ばかり。

話は我々のオフィスに世界中から来ているインターンの話から、日本人のインターンが一人もいないこと、それには日本の教育のシステムがそれを許容しないこと、また今の日本では日本国内で全てが完結するようなシステムになっているので、教授の顔色を伺っているのに忙しい学生はとてもではないが外に視線が向かないことや、その教授もまたなんとなく国内でそれらしく振舞っているが、国際舞台で注目されるような実績や論文を残している人物は本当に減ってきてしまい、全体の教育のレベルも随分下がってきてしまっていること。

中国やアメリカの学生は本当に熱心で、ホテルまで質問に追っかけてくるという話から、日本は昔からだが勉強に対して本当に熱心ではなく、学ぶことでスキルアップをして、更に高みの世界に自分を持ち上げるという意欲が無くなって久しいのではという話まで。

日本は効率的などといわれているが、本当はかつてからどの時代でも、どの年代でも、切り取って一個人でみたら決して世界で戦える能力のある国ではなく、ただ膨大な量の残業と戦後の幸運ににも助けられて経済が上昇していっただけであり、砂の上を自転車で漕ぐかのように、一度でも止まったら倒れてしまうという状況を認識しておかなければいけないという話。

日本という国をがんじがらめにしている「システム」。震災でも変わったのは津波に対しての考え方だけであり、あれだけの社会的インパクトを持ってしても、硬直したシステムが更新されることはなく、その奥底に潜む既得権益はしっかりと守られること。

世界の中での自分の立ち位置と世界との距離をしっかり把握し、日々更新される知識と技術の中で緊張感を持って過ごす10年と、システムの中で生活を保障されて、それなりの地位で安穏とする10年。その時間の後に歴然として現れている差。

世界でプロフェッショナルとして立つ上で最も必要なのは個人力であり、職能やスキルを伸ばすべき時間に、社内政治や人間関係など他のことに時間を費やなければいけない現代の日本のシステムでは、その個人力が養われる土壌が無いということ。

それらの全ては教育が変わらないといけないという同じ根っこを持つこと。大学も国も高校も小学校も、全てが教育を変えないといけないという危機感を持つこと。そこから新しい世界で生きていく人間が育っていくこと。

「ほどほど」の厳しさの教育環境の中で、「ほどほど」の内容を教える教授の下で、「ほどほど」の学生生活を送り、「ほどほど」の会社に就職し、「ほどほど」の社会人生活を送っていく。国に期待するのも「ほどほど」で、「ほどほど」の今の暮らしが維持できればいいという考え方。

その惰性で成り立つ時代はとうに終え、日本は労働力という貯金を使い果たしてしまった今、「ほどほど」から先に進む人間を育てていかなければいけないという危機感。そうでなければあっという間に訪れるであろうパラダイム・シフト。

などなど、久しぶりに「この時間が終わってほしくないな」と思えるようなとても有意義なランチタイム。

今の自分にできることは、やりたいとかつて願ったことができているこの場所で、無駄なことに目を向けず、ただ一心に前を向き、手を動かし、頭を働かせ、目を見開いて、どこに行きたいかの目的地を曖昧でも視界の片隅に捕らえながら、緊張感の中で毎日を過ごすこと。

そして、「システム」で守られることで得られる様々な甘い蜜。それは「システム」の中で真面目に生きている限り手に入れることができるであろう、厚生年金や様々な社会保障、そして大企業の福利厚生と安定した収入と安心の老後など。それらを秤にかけても決して見劣りしない生き方ができることが若者の目にも届くようにならないと、この閉塞感というモヤはなかなか晴れないのかと想いを馳せる。

2013年4月22日月曜日

物凄いインターン


毎週月曜日は、HRの担当者と共に国内外から届くインターンへの応募してくる学生のCVとポートフォリオを10から20通近く見ることになる。予め担当者が選別をしているから、現在進行中のプロジェクト・チームに入ってチームの助けになるような能力を持った人材が中心となる。

思うのはそのレベルの高さ。中国人ならほとんどが海外の大学に留学しているか、国内でも良く耳にする有名大学で、英語が出来るのは当たり前。CADが使えるのは当然で、ライノも必須。Mayaがついてくればなお良く、Grasshopperも最近では標準となってくる。

ポートフォリオでAdobe関係のソフトとMaxwellなどのレンダリングスキルも問われ、設計事務所の中でどのプロジェクトでも手助けになれると判断したら返事を出す。

外国人はより各大学などの傾向が強く反映されており、コロンビア、サイアーク、コーネル、MITなど各大学が今どんな教育をしているのかが良く分かるようになっている。

学生を終えて実際に所員として働き出すまでの期間に経験を積むために来るものが多く、ほとんどの人間が既にどこかの事務所でインターンシップの経験がある。

確かにここで過ごす4ヶ月の間に、みんな英語も流暢になっていくし、Ecotect、Grasshopper、Gecoなどのソフトまで使えるようになっていく。学生としてそれだけの能力あれば、さぞや面白いプロジェクトを学校で作るのに役立つだろうと想像する。それは驚くべきことである。

結局学生時代に身につけたものがその後の建築家人生の基礎となり、その後いくら頑張っても概念を理解してないものをいきなり覚えるのは無理であることはこの10年で十分理解できた。

バージョンアップや同じ分野の新しいソフトの出現には対応できるが、スクリプトに触れてこなかったら今のアルゴリズム系のソフトへの理解はほとんどが無理であろう。

もし今の自分が学生ならインターンへの応募も断られてしまうかもと思うと改めて現代の学生の出来る事の多さに改めて凄いなと思う。

また同時に、このようなインターンシップを経験する事がない国の建築学生。そこに日本も含まれるが、どれだけ自分が同年代の海外の学生に比べ、知識や能力に差がついてしまうか?それを実感せずに、ただただ学生時代の作品をまとめたもので、毎日必死に戦い続ける建築事務所が戦力としてみてくれて、雇いとってくれると思うのか?

就職が戦線であるように、限られた数のポジションしか無いのであれば、他の人間よりも力があると証明しなくてはならず、毎日朝から遅くまですべてが吸収するべき内容に触れる数ヶ月を過ごし、それを踏まえて自分の足りてない部分を補いつつ、残りの大学生活を過ごしてきた人物とそうでない人物とを比較すれば、大学卒業時には大きな差となって現れるのは必然だと思わずにいられない。

もちろんインターンはずっとこの場にいる訳ではなく、目的があって仮の居場所として数ヶ月ここで過ごすだけである。彼らもそれを理解し、確実に自分が自分の将来のために必要なものをできるだけここから身につけ、十分にしたたかにしっかりと持って返っていく姿を見ると、どうしてもただ目の前のことに夢中になっていた純粋無垢な自分の学生時代と比べてしまうし、それ以上にのほほんとしていた日本で教えていた学生たちの姿を思い起こさずにいられない。

建築なんて息の長い世界に飛び込むのだから、決して焦ることもないのだと思う一方で、こうして緊張感のある時間を学生のうちから経験し、建築家としての日常が実際にどんなものなのかを感じて自分の将来を決定していくプロセスがあったのならば、きっと今とは違った現在が自分にも存在していたのだろうと想像し、できることなら少しでも多くの学生がこのようなインターンとしての時間を過ごしても、その将来にマイナスにならない教育制度に一刻も早く変わっていってほしいと切に願わずにいられない。

2012年9月6日木曜日

一言

今週もまた新しいメンバーがオフィスに参加した。

インターンだけで5人。ハンガリー、タイ、カナダ、アメリカ、中国。そして新しい所員として一人アメリカから。

それぞれのメンバーのCVを再度確認し、誰がどのようなことを得意としているか理解し、進行中の各プロジェクトのプロジェクト・アーキテクトと話をし、どのような人員がどの部分の仕事に必要か確認をする。

リストを持って各人を回ってそれぞれの顔写真を撮影し、どのプロジェクトに参加するのか説明をし、

「Welcome to MAD」と伝える。

その顔写真と一緒にそれぞれの個人情報を連絡帳にデー化し、出身国や出身大学、そしてどのプロジェクトに配置されるかをタグで管理。

顔と名前と特徴を把握し、暫くそれぞれのプロジェクトでどのようにパフォーマンスを発揮できるか見ながら、必要に応じて配置換えをしていかなければいけないので、少しでも早くメンバーとして自分の海馬に認識させるにこしたことはない。

以前書いたが今は様々な国でも夏休みということもあり比較的多くのインターンがオフィスにやってくる。以前から来たいたインターンと新しく参加してくるインターンの移行期でもあるので、総勢17人のインターンとなっている。

若いときに建築事務所で所員として働いている時にそうだったが、自分よりシニアである人やチームリーダー、ダイレクターやボスからどんな風に自分がやった仕事内容が評価されているのか、どこをどういう風に伸ばせばより優秀な建築家になれるのか?少しでもいいから話をしてもらい、一言を貰いたかった。

しかし、その一言をくれる人、プロジェクトの切れ目切れ目で時間を費やしてくれる人というのはなかなかいないもので、皆自分のステージが上がるごとに自分の視界で精一杯になり、昔の自分の視点などは振り返っている余裕はなくなってしまうものである。

「オフィスは学校ではない」のは当然であり、学ぶ環境やモチベーションをこちらが用意してあげる必要はなく、オフィスの毎日の活動の中でどれだけでも学べるところは見つけられるはずである。

しかし、自分の青春を捧げ、これからの人生を共にする職業としてそれを選ぶかどうかまだ定かでないインターン達。想いをもってこの事務所で建築が生まれる現場を経験したいと応募してきて、二十歳そこそこでは大変な思いをしながら、住む場所を変えて住まう環境も違う場所に飛び込んでいく、その調整を踏まえてやってきたこの地。

そこでボスの一人がかけてくれた一言は、一人の建築家としてその後そのインターンが歩む道にどれだけ大きな影響を与えるのか。恐らく今はそう思わなくても、いつかきっとその意味が芽を出す日がくるのだろうと思わずにいられない。

建築は楽しいんだということを少しでも感じられるように、また建築家として生きることが豊かなことだということを思えるような、そんな接し方と一言を彼らの心のどこかに残せるように、遠目からそっと見守ることにする。

2012年8月23日木曜日

インターン文化

インターンシップで我々の事務所に来ている学生が常に10人以上いる。

その国籍はと言うと、今在籍中のインターンだけでも、中国はもちろんのこと、タイ、スペイン、イタリア、レバノン、スウェーデン、香港、アイルランドと多国籍に渡る。

夏休みの期間だけに、毎週の様に新しいインターンとして誰かが入ってきては、3.4ヶ月ほど、事務所で建築設計事務所の生活とはどのようなものか、MADではどのように設計を進めていくのか、を実際に仕事を通して学んでそれぞれの国に帰っていく。

そんな訳で、毎月一度は金曜の夕方からハッピー・アワーと銘打ってオフィス内でビールを飲みながらカジュアルな会を催して、その中で新しく来た所員やインターンが挨拶をし、また去っていく人も同じように挨拶をする。

まだ二十歳そこそこの若さだと思うが、皆恥ずかしがったりしながらも、ちゃんと30人からの人の前でしっかりと英語で挨拶をしていくのを見ると、自分がその年頃にできていたかな?と思わずにいられない。

そんなインターン達を見ていると、来たばかりのときは英語もたどたどしかった子でも、インターンが終わる頃になるとかなり会話も上達してるし、CADや3Dも使えるようになっていく姿を見ると、こういう経験は学校ではなかなかできないだろうと感じ、なによりも、これだけ多国籍の同世代で同じく建築を目指す友人を作って、その後の勉強を続けると言うのは、何にも変えられない経験だろうと思う。

それぞれのプロジェクトに配置されるインターンなので、会話を交わす機会は人によってバラバラになってしまうが、できるだけ様々なステージのプロジェクトを体験できる様に考慮してあげて、何か一つでもいいので、より建築を好きになれるものをここから持ち帰って欲しいと伝える。

インターンにはインターンのコミュニティがあるようで、昼時はインターン同士でテーブルを囲み、その後はインターン同士で散歩に出て行く。そんな姿を目にすると、自分もそんなインターンを経験していたら、また違う道を歩んでいたのかと想像する。

そんなインターン達を見ていても、その中に日本からのインターンの姿が一人もいないことに少しの悲しみを覚える。

大学生時代に、長い人では半年間、違う国に行き建築の実務を学ぶ。

恐らく日本の大学のカリキュラムではそれだけの長い時間を研究室や大学から離れることは、日本の建築村の中での大学という更に小さな村の中ではマイナスの要素でしかないのだろうか。担当教授の覚えよろしくして、常に彼の視界の中に姿を置いておけば、安定した就職先への推薦ももらえやすいだろう。

この不況下で不安定極まりないアトリエ系設計事務所に就職を望む生徒も数少ない中、皆が競って目指す先は安定した大手設計組織。日本の優良企業として一般的な採用活動をするそれらの企業を目指す学生は、必然的な長期に渡る無用ともいえる就職活動を強いられる。その就職戦線から半年近く脱落するのはある意味彼らにとってはドロップアウトを意味するのだろうか。

そしてもう一つの大きな理由は英語という言語の壁。しかし公平にこれからの建築の流れを見ていくと、学生のときにその壁を取っ払ってしまうほうが、よっぽどその後の人生における「就職活動」になるのだと思わずにいられない。

とにもかくにも、なんだか楽しそうなインターン達の中に、当たり前のように日本からの学生がいて、当たり前の様にその学生とも英語か中国語かで会話をしているようになる日が来れば、日本も真の意味での国際化に近づけたということか。