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2017年10月26日木曜日

パリ(Paris)


そういえば、昨年のこの時期にも訪れたパリ。その時に新しく始まるコンペの為に、パリを理解するために、螺旋状に分布する各区を意識してとことん歩き回ったのは、霧の様な小雨の降りしきる冷たい秋だったが、残念ながらそのコンペは勝つことができず、悔しさをかみ締めて夏を過ごして迎えた次の秋。今度はまた新しいコンペの打ち合わせの為に急遽訪れることになったパリ。

夕方に飛行機を決め、荷物をまとめに家に戻り、そのまま空港に向かって深夜過ぎの飛行機に搭乗。相変わらず可愛らしいエアーフランスの機内放送をばっちり動画に収め、パリに着くのは早朝6時。昨年と同じシチュエーションだと思いながら、パリ高速鉄道(RER)のチケットを買いこんで、まだまだ暗闇の中をパリ中心に向かう電車に揺られる。

オリンピックも決まったパリでは、その報を待っていた訳ではないが、21世紀のコスモポリタンへと変貌すべく、様々な開発が市のあちこちで行われている。世界中から様々な建築家が招聘されては、新しい都市の風景を作るべく、様々なコンペに参加しているニュースを耳にし、街を歩けば、「こんなところでも・・・」と思うほどに建設現場に出くわすことになる。

今回のコンペは開発が遅れていたパリの東側。セーヌ川に沿ってルーブルやノートルダムのある中心地から東に向かって進んでいくと、現代の記念碑とばかりにスクッと立ち並ぶ巨大な透明の本棚のようなドミニク・ペローの国立図書館が見えてくるが、その先がコンペの敷地という訳で、パリに観光に来る人であれば、よっぽどのことが無ければ足を運ばない地域である。

地下鉄の最寄り駅についてもまだ外は暗闇で、とりあえずホテルにチェックインし、軽く朝食を済ませ、午後の打ち合わせに間に合うようにと一人敷地周辺を歩きに地下鉄を乗り継ぐ。

敷地最寄り駅は、国立図書館駅ということもあり、学生時代に訪れた以来足を運んでいないので、折角だからと図書館の素晴らしいファサードを観に行き、そこから霧に霞むセーヌ川沿いを歩きながら、カサカサと風に揺られる足元の落ち葉に秋を感じながら、コンクリート生成工場などが立ち並び、すぐ横を大きなトラックが走り抜ける敷地周辺をじっくり歩き回る。

すぐ近くの大学エリアでは、ここでも大規模の開発が行われており、巨大な工事現場の中から、派手なファサードを競いあうようないくつもの建物が姿を見せつつあるのを横目に見ながら、資本に翻弄される都市と建築にはどのような未来があるのか少々げんなりしながら、せっかくだからと大学エリアの中にある、コルビュジェの救世軍本部まで足を運び、ホテルに戻り身支度を済ませ、共にチームを組むことになっているクリスチャン・ポルザンパルク(Christian Portzamparc )の事務所へと事前打ち合わせに向かうことにする。

午後の3時過ぎに、チームをまとめるディベロッパーのオフィスにて、共に設計を進める4事務所のメンバーと、投資を行う会社などの担当者も集まり、コンペのキックオフ・ミーティングが始まり、様々な意見が交わされ、18時過ぎに今後の動き方が話し合われて解散。

酷い渋滞ではあったが折角だからと事務所のメンバーとオペラエリアへと戻り、夏に満席で入ることができなかった、パリに住む日本人の友人に教えてもらった日本料理のお店で、お惣菜をつまみに日本酒をいただき、疲れも手伝ってあっという間に酔いがまわり、そろそろ時間がと20時過ぎに空港に向かい、次こそはせめて一日は滞在できるようにと心に決めて、23時過ぎに再度北京に向けて飛行機に乗り込む。




パリ高速鉄道(RER)





2014年6月11日水曜日

城のある場所

城を築くということは、もちろん防御とか交易など様々な理由はあるのだろうが、その中には必ず居住地、自らの支配地の拠点となる場所として絶対に「心地よい」という理由はあったはずだと思っている。

つまりは城がある地域というのは、歴史の中で誰かに選ばれた場所であるということ。

ここは住まうのに心地がいい場所だ。
この場所は力を持っている。

などと誰かが何かポジティブな要素を感じ取り、「よし、ここに城と城下町を築こう」と決断されたに違いない。

しかも城を築いていた時代というのは、現代の様に「ここの土地が手に入ったので、ここの敷地に城を築こう」などというみみっちい話ではなく、広大な領地の中を歩き回り、土地に耳を傾け、場所の力を感じ取り、それを最大限に人工物である建築へと転換し領地を守り、人々にとって心理的にも視覚的にも中心となる城を作り上げていた時代である。

一番いい場所を、どれだけでも時間をかけて見つけることが出来た時間。それだけに、自然の力を感じ取る力が試された。

永く人が住んできた地球。その中で幾つかの場所が何かしらの理由があって選ばれてきた。城を見上げる我々は、その後ろに隠れる様々な理由を同時に眺めているわけである。

選ばれた場所があるということは同時に、決して選ばれることの無かった場所も数多あるということ。誰もがポテンシャルを感じることなく、誰もが心地よいと判断しなかった場所。そんな手付かずに取り残されていた場所に、現代人がやってきて、細かく切り刻み、そして開発を行っていく。

そう考えれば考えるほど、城のある街で育つことの豊かさを考えずにいられない。

城だけでなく、同じように何かしらの歴史の中で「選ばれた」という印となるものがあるのだろうと想像する。港にしても、市場にしても、様々な理由と様々な心地よさによって場所を人が発見し、手を入れていく。それが風景として次の世代に繋がっていく。

そう考えて、改めて自らの生まれ育った街、そして現在過ごす街が歴史の中で「選ばれ」てきた場所であるかを考えるざるにいられない。

2014年2月2日日曜日

石見銀山(いわみぎんざん) 神屋寿禎 1526 ★★


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世界遺産(2007)
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金・銀・銅に石炭。何百万年も地中の中で眠り、特殊な鉱物となり現代の我々にエネルギーや希少性といった「価値」を与えてくれる様々な鉱山。

金山、銀山、銅山、鉱山。

ドラマでよく描かれる発展途上の日本の風景。鉱山開発の為に切り開かれる自然と集落。地元民の反対を押し切って進められる開発。そして劣悪な環境で蝕まれる鉱山夫の健康。突然の落盤によって失われる作業員の命。などなど。

旧世代の遺産として負のイメージを伴うのがこの鉱山。それでいながらも、迷宮の様に広がる地下通路。誰も踏み入れた事の無いその通路の先に、古代の財宝が眠っているかも・・・というロマンを併せ持つのもまた事実。

かつて熱狂した初期のファミコン・ソフトである「スペランカー」もまた、ヘルメットを被り、洞窟の奥深くへと秘宝の山を目指しながら下へ下へと進んでいくものであった。

そんな訳で、トロッコに乗り、狭い坑道の中を小さな灯りを頼りに進んでいくことはな現代社会では決して味わえないスリルとロマンを与えてくれる体験であるのは間違いない。かつて足を運んだ足尾銅山もまた、歴史の中で光と影を体験してきた日本の鉱山の歴史を見せてくれた。

そんな鉱山の中でも抜群の知名度を持つのがこの石見銀山。なんと言っても世界遺産に登録された鉱山である。面白いのは銀山として単独で登録されたのではなく、この地方全体に広がる史跡や遺跡と共に郡として登録されたものである。

それを理解するためにも歴史を紐解くと、まずは室町時代後期の1526年に当時、日本最大の貿易港であった博多の豪商・神屋寿禎(かみやじゅてい)によって発見され、開発が開始される。

当時は掘り出された銀は近くの港から博多へと船で送られたため、その港の鞆ケ浦には多くの家屋が建ち並び、繁栄した。その当時、この石見国を支配下に治めていたのは、戦国大名大内(おおうち)氏であり、博多を拠点として中国・朝鮮と貿易を行い力を蓄えた大名である。

金や銀などの貨幣価値を持つものが栄えるのはどの時代も同じであり、その金脈を自らの手中に収めようと近隣の大名も常にこの石見銀山を奪おうと機をうかがい続ける。

その流れを受け、1550年代には出雲地方を拠点とする戦国大名尼子(あまご)氏が石見銀山の実権を奪うことに成功する。しかしそれも長く続かず今度は南の安芸(あき)地方の大名毛利(もうり)氏が支配権を奪っていく。

毛利氏は銀山から西に位置する温泉津や沖泊に家臣を置き、周辺地域への支配を行った為に、銀山から中継地である西田の町を経由して温泉津(ゆのつ)・沖泊に至る街道が整備され大いに栄える事になる。

特に温泉津(ゆのつ)は温泉地であるとともに、日本海沿岸の船舶交通の寄港地としても有名な場所であった。16世紀後半には既に集落が存在し、17世紀初頭には宿泊施設・商業施設を含む繁華な町に発展した。

その後、毛利氏が戦国時代を制した豊臣秀吉の傘下に収まったことで、石見銀山の支配権は豊臣の手中に納まることになる。その安定した銀山経営が豊臣の天下統一に大きな力となっていく。

関が原の合戦を制した徳川家康がもちろんこの石見銀山の実権も奪う事になり、徳川幕府の安定した時代と共に、効率的な銀山運営が行われ、当時では世界でも有数の銀山として世界に知られるようになる。

そうして掘り尽くされた銀は無限である訳が無く、1620〜1640年代頃を最盛期として銀生産減少に向かう。その後18世紀、19世紀と徐々に坑道が閉鎖され、石見銀山は衰退の一途を辿ったが、その保存状態の良さから近年の世界遺産登録と相成ったわけである。

そんな訳で、坑道を歩けるもんだと勝手に想像して向かった石見銀山世界遺産センター。閉館ギリギリに到着したので、既に坑道へのツアーは終わってしまっていると言うので、残念ながら展示品を眺めて気分を盛り上げる。





2013年12月29日日曜日

ツーリズム

ロシア語で埋め尽くされたプーケットの街に、「ツーリズム」という名のイナゴに襲われ荒廃した風景を重ねてしまう。

日本でかつて起こったように、巨大な人口を抱える中国とロシアにおいても「中流の夢」として生み出された中産階級と、彼らが実現し始めた「ツーリズムへの欲望」。

恐らく国内のメディアで大々的に煽られて、脳内に刷り込まれている「ちょっと上の休暇の過ごし方」。そこそこの家庭が向かう先としてのタイのリゾート地。その少し上のクラスが向かうタイの孤島や、インドネシアのリゾート。更にグレードが上がるとカリブのリゾートへと。その欲望の受け皿になる為に、開発は止まる事をせず、際限なく地球に手を入れ続ける。

一つの街がその国の母国語以外の多言語に覆われる状態。それはなぜか女性への暴力を思わせる。圧倒的な力を持ち、押し寄せるように強制する。それを拒めば、「多くの外貨」という甘い汁を与えられることなく、他の候補地に流れていく。つまりは生き残る為に拒否できない強要。

それは観光という、他者によって生活が成り立つ都市にとっては受け入れるしかないものであり、英語やロシア語などの街中での比率が上がれば上がるほど、地元言語の世界的優劣を表しているようである。

誰もが無意識に強制参加させられている世界的競争。それによって終わる事のない開発。少しでも他の都市と差異化し、少しでも同じ年の中の競合者と差異化する。普通のホテルには少しでも写真栄えのするプールを設置し、少しでも海への眺望が望めるなら景色を売りにする。差異化の為に、全ては食べつくされ、もっともっとと限界を知らない。

星野リゾートの様に、自ら価値を生み出せる会社にとっては、逆にどこの場所にいってもそのサービスとノウハウで、十分に周囲と差異化をなしえる価値を創り出せる時代でもある。

「中流の夢」が世界中に撒き散らされ、開発の手が世界の隅々まで延びきった後には、今まで雑誌で取り上げられてきた一般的なリゾート地では膨れ上がった欲望は満足しきれなくなり、次に目が向けられるのは今までアクセスが悪い為に手が入ることなく守られてきた北海道や宮古島など毛細血管の先ともいえる場所場所。

そんな場所まで、いつかは中国語やロシア語で覆われる時代が来るのもそう遠くは無いかもしれない。それによってその土地に落とされる外貨。それによって失われる何か。それでは、何処かで「ツーリズム」に対してノーと言うか?まるで「リーガルハイ2」で描かれた一場面の様であるが、これも都市間競争の成れの果ての今の世界の実体。

やらなければ他の都市にとって代わられる。
自分がやらなければ、結局誰かがやる。

この状況は建築もまったく同じ。自分がやらなければ、結局誰かがやってしまう。その資本主義の流れは止められない。なら自分が必死に最善と思えるものをやるしかない。

ツーリズムの片棒を安易に担ぐのではなく、問題を見据え、どこもが「one of them」の世界にならないように、場所のゲニウス・ロキを見据え、何を成すかに意識を払い、日々の設計に向かいなおすしかないんだと改めて理解する。

2013年7月22日月曜日

内々神社(うつつじんじゃ)庭園 夢窓疎石 南北朝時代 ★★



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所在地 愛知県春日井市内津町
主祭神 建稲種命(たけいなだねのみこと),日本武尊,宮簀姫命(みやずひめのみこと)
社格  国幣小社
社殿の様式 権現造り
創建  不明
機能  寺社
庭園形式 林泉回遊式庭園
作庭年代 南北朝時代
作庭  夢窓疎石
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長かった旅もついに最後の最後の立寄り地。犬山から春日井に移動し、バイパスから横に入った道を暫く進むと見えてくるのが内々神社(うつつじんじゃ)。内々と書いて「うつつ」とはなかなか読めないだろうと思いながら、さぞや由緒古き神社なのだろうと期待を膨らませる。

伝承ではご祭神である建稲種命が亡くなられたときにその訃報を聞いた日本武尊が「うつつかな」と悲泣し、その霊を祀ったのがこの神社でであるとされている。

「夢か現か(うつつか)」と言われるあのうつつ。夢や非現実に対して現実のことをいうのだが、あまりの訃報に驚いて、「信じられない・・・」と嘆いた訳である。

そんな如何にも古めかしい神社であるが、今回の訪問は本殿裏にある内々神社庭園が目的。作庭はまたしても夢窓疎石で南北朝時代の林泉回遊式庭園の様子を現代に伝える。夢窓疎石と言えば、先日訪れた永保寺も彼の手による庭園だったが、ここでは神社裏手に広がる険しい岩山の自然美をうまく取り入れ、風景から選び取られた三大巨岩をうまく取り入れながら、中央に池を配し、その中に出島・中島を設け、なんとも頼りない木の橋で渡っていく構成になっている。

こじんまりとした庭園ではあるが、横の通路は天然の岩の中を切り抜き作られたもので、非常に幅が狭くなっており、後ろに回ると山の斜面沿いに上に上がり、この度は上から池を見下ろすという立体的な構成になっている。

岩山の表情そのものに、大変粗い表面をもった庭園。自然にほんの少しだけ人間の手を加え整える。その中に自然の中では決して見ることの出来なかった美しい景色、整った風景を作りだし、鑑賞するではなく、その中に身を置くことを目的としていた時代。

そんなことを思いながら上から見下ろしていると、こんな人里離れた神社にも関わらず、一組の老夫婦が庭園に顔を見せる。残される古き日本の文化空間に、現代の人が足を運ぶこと。その中で自然に日本性というものが継承されていくのだろうと想像する。

そう思いながら境内を出ると、細い山道にも関わらずやはり多くのトラックの姿。航空写真で確認すると周囲はすっかりゴルフ場として開発されているようだ。大縣神社同様に、決して観光地として多くの人を集めるでもなく、現代社会の中の中心地から距離があり、日常の境内として利用されることも無い古き聖域は、現代に置いて別の価値を見出す場所の一部となる。

そのベクトルは「開発」や「処理場」などの中心から距離を持った「周縁」としての場所。現代社会が成立するために必要なそれらの場であるが、それでも暴力的なそれらの行為が古来の日本人が長年かけて「見つけた」聖域をいとも簡単に枯れさせることのないようにと願うしかないのだろうかと思いながら東名高速に乗って帰路に着く。

地元のレンタカー屋で車を返した時点での走行距離は9076キロで本日は170キロ以上の走行距離。初日からの合計は1350キロにもなる走行距離。最初の石山寺がはるか昔のことの様に感じながら、迎えに来てくれた家族の車に乗り込み長い旅を締めくくる。





















2013年3月19日火曜日

「天の方舟 上・下」 服部真澄 2011 ★★



なんの不自由も感じることなく育ってきている現代日本人。ふとしたことで海外に目を向けると、今日一日を生き抜くことすら自分の意思ではどうにもならない人々が沢山いることに気づき、そして悩み、自分でも何かできることがあるのでは?と行き着く先が「国際協力」の分野。日本という枠を飛び出して、世界を舞台に活躍し、なおかつ行く先々の人の為になる仕事を行う。

20代から海外で過ごす時間が長かったために、開発コンサルタントやJICAなど「国際貢献」「国際協力」「国際援助」の分野で仕事をしている友人と知り合う機会にも恵まれたが、そのほとんどの人が教養も高く、人の為に何かできないかと想いを馳せる気持ちの優しい人たちばかり。

そんな人たちを接する上で、少なくとも知っておかなければいけないこともあるだろうとかつて読んだ「ODA 援助の現実」 。その中で示されていたODAが本質的にもってしまう問題点。

友人達もこんな世界を垣間見ていたのか・・・と思わずにいられなくなる内容で、それともそんな世界も95%は、真面目で真摯な人たちで構成されているのだろうと勝手な想像を膨らませずにいられなくなる一冊。

今も中国で地方政府がクライアントの大きな公共建築の仕事を進めているが、関係してくる会社は世界一大きなカーテン・ウォールの会社だったり、様々なコンサルタントだったりする。ひょっとしたら、ここでも自分からは見えないところで、バッド・マネーの濁流が流れているのだろうか?などと想像してしまうことになる。

「国際協力」や「国際貢献」という理想を持って飛び込んだコンサルタントの世界。そして次第に見えてくるシビアな世界の姿。理想だけと貫くだけでは現実の世界で前に進めないと理解し始め、そんな中で耳にする言葉は、

「金はいくらでも抜ける。簡単に億単位の金が沸いて出てくるんだ。」

数字に残らない裏金が存在し、いくら頼まれて、いくら渡されたのか双方に分からない状況の架け橋として自分が存在していれば、ついつい聞こえてきそうな悪魔のささやき。誰も責めないし、誰も傷つけない。そんな中で、「ちょっとだけ・・・」と金を抜き、「これも貧しい国の人々の為になっているんだ」と自分の心を納得させる。次第にそれが当たり前になり、心が求める額が大きくなる速度に応えるために、更に大きな額を扱う場所に自らをおき、そこで力をつけていく。

「理想」と「現実」に苦しむ20代。

「現実」に上手く心を順応させる程、経済的な豊かさがついてくる。その豊かさはその他の様々な豊かさを伴ってやってきて、次第に人格すら変容していく。今まで経験してきたように、経済的な辛さがどうしても心を小さくすることを知っていればいるほど、それが人間としての余裕を無くすのを知っていればいるほど、悪魔のささやきに自分の心を傾けるのはいとも簡単になっていく。

「うぬぼれという感覚は、本能的なもので、自分を肯定しなければ人はやっていけない」

なにかを「肯定」することは、他の何かを「否定」することに他ならず、否定するのは、違う時間を過ごしていたらなっていたであろう「自分の姿」かもしれない。

「海外協力」の世界に飛び込んでいく人と同様に、建築の世界に飛び込んでいく人もまた、相当に世界に対してウブであり、夢見がちで、「理想」と「現実」の狭間で苦しむことになる。

その世界の入り口で見聞きした建築家の名前は、それこそ一握りの成功者の例だと頭では理解していても、その他大勢のその世界に生きる人々の生活の姿になかなか目を向けることができずに、30歳あたりまで厳しい生活のなかでやりくりしながら、それでも自らの「建築家」というイメージにがんじがらめになりながら生きていく。

大学同期の友人がちゃんと大企業に就職し、「理想」と「現実」に折り合いをつけながら、結婚や出産など確実に人生を進んでいる姿を脇目にしながら、自らの「理想」と「現実」の狭間に苦しみながら、それでもなかなか進まない自らのキャリアに苛立ちを感じつつ、ままよっと踏み切る独立への道。

理解のあるお施主さんと出会って、メディア飾るようなセンセーショナルな「作品」を発表し、斬新なアイデアでコンペを勝ち取って、大学の講師として学生と建築を語る日々。などというキャリアのイメージからは徐々に偏差していく自らの日常。

「理想」と「現実」に挟まれて、徐々に秤が片方に倒れだし、生きるためにとにかく仕事をこなしていかなければいけない状況になっていき、そのための仕事すらどうして手に入れたらよいのか分からない毎日。

そんな時に、この本に描かれているような状況が目の前にぶら下がっていれば、お金という安心感をいとも簡単に手に入れることができるような状況に置かれていたら、一体どれだけの人間がそれを拒むことができるだろうかと想像する。

生きるために必要な悪。そのインナー・サークルに入れば、その仲間の利益は確保される「談合」。そこで生きる続ける以上、「理想」と折り合いをつけていけば、生きることへの安心感は常の手の中にあるという「現実」。

恐らく、様々な分野で多くの人が多かれ少なかれ同じようなことをして作り上げてきたのが現在の日本であり、きっと数え切れない人がこのような「おいしい」思いをしてきたのだろうと想像させる一冊であり、それにODAというテーマを絡ませるのはやはり著者らしいチョイスだと思わずにいられないが、いかんせん、最後がややあまい感じはぬぐえない。

2012年11月3日土曜日

「風をつかまえて」 高嶋哲夫 2011 ★


豊かな自然が広がる北海道の地方都市。なんともほのぼのしたその風景だが、そこに生きる人にとっては「何もない」ということに他ならない。「観光」だけが望める産業であるならば、「何か」がなければ人は来ない。

「脱原発」が叫ばれる昨今。のどかな自然の中にのんびりと白い風車が羽を回す。そんな新しい日本の田舎の風景を再生エネルギーのアイコンで呼び起こそうとする戦略。その矢面に立たされるのが小さな町の鉄工所。

一度は周り、そして嵐に吹き飛ばされるブレード。いつの間にか引くに引けなくなり、ものづくりのプライドが、町の為にではなく、自分たちの為により専門的な風車作りへと駆り立てる。

地震、津波、嵐、原発と、自然の驚異とエネルギーの恐ろしさを描き続けてきた作者が提示する新しい日本の風景がちらっと見えるようなそんな一冊。

2009年10月10日土曜日

「ODA 援助の現実」 鷲見一夫 1989 ★



人の為に何か出来ないかと真剣に考える人が、別の何かを犠牲にしなくても良い、それが援助の本当の形ではないかと思う。

人体が多様性のバランスによって成り立つように、都市や国家、そして世界自体も様々な力のバランスによって成り立つ。

パワー・オブ・テンの様に異なるスケールで異なる世界が広がる様に、この世を成立させる力にも異なるスケールで異なる欲望が支配する。

一つのスケールの欲望は異なるスケールにおいては、時に暴力として現れる。しかも見えない力として。

同じ時間に生まれたにも関わらず、国を追われて、祖国を思い、今日一日を必死に生きる人々。その人たちの為に「微力ながらも自分にも何かできないか?」と想いを持って援助の世界に飛び込んでくる若者。

その反面、国家予算から捻出される巨大な予算に群がる様々な思惑。そしてできるだけ自国の自分達の利益へと繋がるように仕組まれたそのシステム。

世の中は決して綺麗事では回らないが、それでも援助を冠された税金であるからこそ思い描く、貧しい国の人々が少しでも良い暮らしを得られるようになるイメージ。そんな生ぬるい世界で無いと分かるからこそ、いっそ今はやりの仕分事業にODAも入れてほしいと願わずにはいられない。

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1 援助―その多面的な顔
2 霞のなかのODA
3 何が行われているのか
4 受け入れ国側の事情
5 誰のための援助か
6 新しい発想、多様な試み
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