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2016年10月30日日曜日

「コンビニ人間」 村田沙耶香 2016 ★★★


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第155回(2016年) 芥川賞
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毎年「芥川賞」と「直木賞」の発表があると、「ああ、今年ももう半分終わったんだな」などと6ヶ月という時間の流れを感じることになる。しかし、それも毎日留まることなく押し寄せるニュースの波の中に埋もれ、あっという間に「そういえば、今年の受賞作はあれだったな・・・」と、話題になる受賞作関連のニュースに触れては思い出すことになる。


今年はどちらかといえば、「コンビニ人間」の方がややスポットライトを浴びている印象があり、そのタイトルは耳に残りながら、「そのうち文庫化されてからブックオフで見つければ・・・」と思っていたくらいであっという間にコートが必要なほどの深い秋に差し掛かってしまっていた。

父親が定期購読をしている文藝春秋を帰国のたびに貰ってきては読み込んで、会うたびに読み終わった号をくれる親友が、「コンビに人間も載ってるよ」と渡してくれた最新号。こうして誰かの手を巡ってきた物理的重さを持った「本」というメディアのありがたさを再認識しながら、「ポン」と久々に時間ができた週末に、先日の産経新聞で書かれていたように、「いざ、読書。」と覚悟を持って手にしてみると、思いのほかするすると引き込まれてあっという間に読み終えてしまった一冊。

今年の受賞作なので、少しネットで検索すれば、それほど星の数ほど感想や批評が書かれているのであろうが、現代社会の中でほぼインフラとしてなくてはならなくなったその都市機能の中で、利用者からは当たり前の風景として視界に入ってこないそこで働く人々の日常を、小さなころから当たり前の人間としての感覚を持つことができなかった欠陥品として自分を捉える主人公の視線から描き出すことで、現代日本の持つ同調圧力と、無意識の中で人々がそれに併せて振る舞い、それぞれの役割をこなしていくこと。どんな場所でも、どんな立場でも人は自分を肯定しなければ生きていけず、どんな形でも自尊心を保つことが必要で、そのために時に周りの人を下に見ることによって、安易な自己肯定感を得ていく人々。「あなたのためを思っているのよ」とか「社会で生きていくためには」などと、価値観の強制が振りかざされ、「世間で言う全うな人」ではない人々がドンドンと切り落とされていく姿が徐々に鮮明に描き出されていく。

「マウンティング」や「「格差」。「底辺」といった様々なキーワードが、見え隠れしながら物語の背骨を支え、それでいながら、しっかりと生身の人間としての温もりを感じさせながら物語が展開していく。非常に限られたセッティングの中の、限られた人間関係の中で展開し完結する物語であるだけに、小説というメディアの素晴らしさを改めて感じさせてくれる一冊である。

2015年3月7日土曜日

身体を通しての認知

写真やインターネットでエッフェル塔を見ても、「あ、エッフェル塔だ」としか感じないが、しかし実際そこに身を置き見上げる時に感じる「おおっ」というあの感覚は一体何なのかと不思議に思う。

同じ様に、Google Mapで航空写真として見下ろすパリの街並み。それを見ても何とも感じないが、しかし着陸寸前の飛行機の窓から見下し、流れていく街の光としてパリの街並みを見るときに湧き上がる「おおっ」という感情は何なのだろう。

百科事典が限られた人の特権だった時代から時間は流れ、今では無料で無限の情報に触れることが出来るようになった。情報が限られていれば限られているほど、その情報に触れたときの感動は大きいはずであり、それが動画でも画像でもましてや活字であっても、その価値は相対的に決まっていたはずである。

それに対し現代では、世の中に存在するほとんどのものや景色はインターネットで検索すればほぼ目にすることが出来る。実際に自分が決していけないような場所や、顕微鏡の様にスケールの違う世界の様子も簡単に目にすることが出来る。

その「目にすることが出来る」ということを、実際に体験した、理解したと同様に感じてしまうこと。

そこに人の愚かさがあり、そこにこそ、例の「おおっ」という驚きが隠されているはずである。

人間がものを感じ、理解するのは決して視覚だけの問題ではなく、自分の身体や周囲の建物と比較して大きさを体感したり、その場に差し込む光の微妙な変化や、吹き抜けていく風のぬるさを感じること。そんな身体を使って感じることが本来の体感することである。

視覚に偏重した現代社会だからこそ、できるだけ身体を使って物事を感じること、物事を体感することの価値が高まり、同時にそうして身体を通して世界を認識することができるかどうか、その訓練を重ねてきたかどうかが、その人の感情の豊かさや想像力に比例していくのだろうと思わずにいられない。

2014年4月13日日曜日

「人間関係力~困った時の33のヒント~」 齋藤孝 ★★ 2008

数ヶ月前の中華新年を前にしたオフィスでの忘年会。そこでスタッフを前にして簡単なスピーチをするのだが、その時に何を題材とするかも悩みの種となるが、それと同時にどうやって締めくくるのかに思いを馳せる。

その時に読んでいたこの本の中のケネディの一節を思い出す。重要なのは明るさを示すこと。明るい未来への見通しを示すことが組織を率いる大きな力になるということ。

そういう風に人生の中のあるシーンにおいて、ふと思い出すことが読書の功績なのだと思う。読み終えてすぐに考え方が変わる訳でもなく、時間の過ごし方や行動に影響が出ることよりも、ふと思い出したフレーズが自らの行動を決定していく。その積み重ねで人生が決まっていく。それを感じさせてくれた一冊である。


まえがきで語られる
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人間を泳ぐことに喩えるなら、人間関係は水である。水が抵抗になる
人間関係は、人生を生きていく上での最大の抵抗力である。私達がストレスを感じる時の多くは、人間関係が絡んでいる。
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はまさに現代社会に生きる全ての人に共通の事項であり、だからこそその抵抗となる人間関係を如何にスムースに泳いでいけるか、そのヒントを過去の偉人の生き方に読み取ろうとする良き導入である。

仕事に対して徹底して効率主義者であったエジソンは効率的な生活リズムが効率的な仕事に繋がる年、「食事の量と、睡眠時間を極力少なくし、血管をまったく圧迫しない衣服を着た」という。「休むことは、錆び付くことだ」という言葉。伝えたいと思う顔が何人も浮かんでくる。

高橋是清の段では、如何に「自分に重きを置くことをしないこと」が仕事の本質に向かわせてくれるかを示す。「元来無一物で世の中に出で来たのだから、いくら貧乏して困ったといっても、以前の境遇に戻ったと思えば辛抱もできよう」と言う言葉こそ、現代の日本の全ての政治家が再度思い起こす言葉であるだろう。

チャップリンの段では「ええ、私に必要なのはチャンスだけです」という彼の言葉が、日常に溢れる「仕事をください」という言葉とどう違うかを示し、準備ができていてなおかつ上昇しようとする勢いを持つことの大切さを示す。

夏目漱石においては、年の離れた奇妙な友情関係を持ち上下関係を「水平関係」に変換した彼の姿勢に、10代20代の若者と、対等に話すことは骨が折れるものではあるが、そこに未熟だけど気概だけはあると見抜いて対等に付き合うことの大切さを説く。

黒澤明の段の「批判は、誰にでも云える。しかし、その批判の上にたって、具体的に改訂して見せることは、並大抵の才能で出来ることではない」という言葉。

ジョン・F・ケネディにおける、大統領に不可欠な資質として6つの能力として人格と判断力、活力、知的好奇心、歴史感覚、未来に対する強力な見通し。将来への明るい見通しと姿勢に人は惹きつけられる。

杜甫の様に10歳以上年上の離れた友人を作ること。親友と呼び合えた2大詩人である李白44歳と杜甫33歳。真面目な杜甫に豪快な李白、年齢が離れているからこそ生まれる刺激。

与謝野晶子では「女は恋をするにも命がけです」とし、「老いることは肉体より先に精神と心情がとが硬化」することとする。精神的に老いない人には、「可塑性」がある。

マキャベリの段では、「私は悪評に弱い」とし「私のように「いい人」と周囲から思われたいと願い続けている人は、やはり組織のトップには立てない。評判ばかり気にする人は、最後は破綻してしまう。」と自らを分析し、「よい人間」が良い国(会社)を作るかといえばそうではないとする。

孔子の段では「我を知るものは其れ天か」という言葉から「自分を見てくれている存在、を作ると、不思議なことに逆境に強くなるのである」とする。その為に家族の存在が大きいのだろうと実感をする。
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こうして幾つか纏め今は言葉として残っているが、またいつかケネディのケースではないが、人生のある場面に置いてふと思い出して行動を決定することがこのメモの中にも隠されているのだろうと期待する。

目次
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まえがき

第一章 ビジネスに効く人間関係力
仕事関係に振り回されてばかりだ - 回答者/宮本武蔵
仕事で悩んでいる部下になんと声をかければいいか - 回答者/エジソン
最近仕事の愚痴が多く、つまらない - 回答者/高橋是清
会社でもっと重要なポジションに就きたい - 回答者/チャップリン
出来の悪い新入社員とは口も利きたくない - 回答者/夏目漱石
出来る年下の部下とどう接すればいいのか - 回答者/劉備玄徳
若手の社員を一人前に育てたい - 回答者/黒澤明
部下の士気が一向に上がらない - 回答者/アレキサンダー大王
心の狭いイヤな上司に当たってしまった - 回答者/三遊亭円朝
もっとリーダーシップを発揮したい - ジョン・F・ケネディ
無責任な上司、無能な部下の板挟みだ - 回答者/孫子
部下からいいアイデアが上がってこない - 回答者/松尾芭蕉
どうすれば部下の信頼が得られるか - 回答者/ナポレオン

第二章 プライベートを円滑にする人間関係力
出会いが少なく、仲間もいない - 回答者/寺山修司
なぜあの人は不機嫌なんだろう - 回答者/モーツァルト
「人の話を聞かない」といわれる - 回答者/宮本常一
人生に刺激を与えてくれる友人を得体 - 回答者/杜甫
キレやすい自分を持て余している - 回答者/新渡戸稲造
誰も本当の自分を見てくれていない - 回答者/マーク・トウェイン
子どもをどう教育すればいいか - 回答者/勝小吉
あんな女とは結婚しなければよかった - 回答者/サルバドール・ダリ
夫婦間の危機にうろたえている - 回答者/与謝野晶子
世間の評判が気になって仕方がない - 回答者/マキャベリ

第三章 他人に頼らない人間関係力
女性にモテるにはどうしたらいいか - 回答者/坂口安吾
逆境に経ち、途方に暮れている - 回答者/孔子
仕事関係者とプライベートまでつきあいたくない - 回答者/渥美清
すべてがうまく行かず何もかもイヤになった - 回答者/種田山頭火
他人から尊敬されたい - 回答者/モハメド・アリ
人から「存在感が薄い」とよく言われる - 回答者/一休宗純
マンネリ感を脱したい - 回答者/ヒッチコック
他人の中で自分を見失ってしまった - 回答者/道元
友情と保身、どっちを取るべきか - 回答者/司馬遷
人間関係にほとほと疲れ果てた - 回答者/釈迦

あとがき
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2014年2月5日水曜日

想定外に出合うこと

レンタカーを運転していると、CDなどを用意しているわけでもないので、必然的にラジオを流しながら運転する事になりがちである。

そんな状況の良いところを考える。現代社会に生きていると普段はテレビにしてもネットにしても、自分の好きなものだけを選んで録画し、録音し、見たり聞いたりしている。そうなるとどうしても自分の知っているものの中での選択になり、自分の好きなものだけに囲まれて生きる事になる。

テレビだって流しっぱなしのような見方が出来ればいいが、時間が無くて得るべき情報が明確であればあるほど、録画し広告は飛ばして見たりしてしまう。ネットにしても同じ行動様式となっている。

それに対してラジオは不確定そのもの。その地域ごとで受信しやすいラジオ局の運転している時間に流れている番組を聞き、流される自分のまったく知らない曲を聞く事になる。それはなかなかいいものである。

耳を傾けていたらなんとも印象的な曲が流れる。「これはいい」と思いながら、最後にアーティスト名と曲名を復唱するのを頭に入れて、信号待ちにアイフォンに記録する。

自分の好きなものだけを選んで生きがちになってしまう現代社会。こうして想定外に出合う時間を日常の中に持つのがある種の刺激であり、自分の成長にもつながるのだと再認識しながらハンドルを握りなおす。

2014年1月11日土曜日

欲望との付き合い方

旅行の段取りをしていると、これは非常に生活に役立つことだと理解する。
ぜひとも子供にも早い段階に教えるべきだと思わずにいられない。

予算と時間という限られたリソースの中で、どうやって自分の行きたい所を回れるか?
自分が今、幾ら持っていて、何を買いたいか?
それはつまりは欲望とどう付き合うか。

これを買えば、次の月までお小遣い無し。
それでも買うのか?それとも我慢するのか?それとも計画するのか?

大人になっても親にパラサイトする多くの社会人。
それはつまり自分ひとりが生きていくのにかかるお金を稼げない。
家屋にどれだけ、食費にどれだけ、交際費にどれだけ、自分が生きるのにどれだけのお金がかかるのか把握できない。


お小遣いが無くなったら、ひもじい思いをしていた子供時代。
それを分かっていながら「使ってしまった」と親に再度頂戴と頼めばいいのか?

欲望とどう付き合うか?
それをどうやって自ら習得しきながら大人になるのか。

欲望は自分がどれくらい所持しているかに依るが、その資金が貰う事が当たり前だった子供時代。しかし一度大人になってしまうと、今度はそれを自分で稼がなければいけない。どんなに欲望が膨らんでも、稼げる額は自分の能力次第になってしまう。

その時に、自分の能力によって稼げる金額と、自らの欲望の調整がつけられない人間は大変に苦しむ事になる。その結果、我慢し、欲望を抑制することを徐々に身につけて成長するか、もしくは簡単にお金が稼げる方法に走っていく。

簡単にお金が稼げるほど世の中甘くない。それでも努力して苦しんでお金を稼ぐ忍耐力も無いので、何かを犠牲にする事で対価を得ていく。良心や社会常識、それまでの人間関係を切り売りしながら、犯罪に手を染めてあり、風俗の世界に足を踏み入れたりと通常の労働環境では考えられない大金を手にしていく。

そうでなければ、欲望を抑える努力をしていかなければいけない。
しかし、それは教育だと思わずにいられない。
人生の中で誰かが教えなければいけないことであり、まさに「しつけ」の一つである。

色々な本で書かれているように、現代では多くの親が子供を育てる事は「良い大学」に入れることだと勘違いをし、大切なことを教えることを放棄されてきたようである。安易な親子関係を作る為に、惨めな思いをさせたくないと目先のことだけ見てお金を与えてしまう親。

しかしその行為が、近い将来子供が独立し、自分でやりくりできない様な大人をつくってしまうこと。もしくは自分が死んだ後、その子がどう生きていけばいいのか?そういうことには目を瞑り、とにかく目先の安易な親子関係に安然とする。

その反面、どんどんと社会との、そして自らの欲望とのギャップを埋められず、埋めようともせず「今」と過ごしていってしまうパラサイト達。

本当は自分で自分の欲望をやりくりできない大人になってしまうことの方がもっと惨めなのに、決してその部分には目を向けない。

そして生み出される自分ひとりのことも世話できない大人達。互いの事をケアしあって、世話しあって、共にやりくりしていかなければいけない結婚生活など出来る訳が無い。ましてやもっと手間も、お金も、時間もかかり、自分の時間を犠牲にしなければいけない子供の親となることなどは・・・

そういう子供のままの大人が増えているから、まともな教育やしつけのされない甘い子供が増殖されてしまう現代社会。問題は家族という福祉の傘の中、その実体が見えにくいこと。家族と言う枠組みの中で隠されてしまう事。

しかしこれからの世の中では、そうした欲望との付き合い方をしっかりと教えられて、自ら身の丈にあった欲望との適切な付き合い方をできる人間とそうでない人間との格差がより開いていくと勝手に想像を膨らませ、そのことを幼少期から教え込むために、夏休みにでも一人で小さな旅行の計画を立てさせることは大いに役に立つのではないかと一人考えを膨らませることにする。

2013年8月16日金曜日

胡同のおじさん


オフィスからの帰り道。暗くなった胡同の中を自転車で抜けていく。

そうすると、夏の風物詩であるランニングシャツを脱ぎ捨て、上半身裸で道端で涼むおじさんが沢山いる。別に何をするでもなく、ただただ道端にたって、行きかう人を観察している。

例のごとく、「ジィッ」とこちらを眺め、フクロウの様に首だけを回転させてこちらが走り去るのを眺めている。夕飯を食べ終わり、家の中は風が流れないから暑いので、外で涼みながら同じように溢れ出てくる近所の老人連中と井戸端会議でもする途中なのだろう。

その姿を見ながら、この人たちはきっと今の自分よりもある意味幸せなんだろうと思う。

住んでいる場所の環境はそんなに良くはないかも知れない。衛生的に綺麗だとはいえないかも知れないが、生きていくのに問題ない家があり、気の置けない近所の仲間がいる。

旅行をしたり、外食をしたり、服を買ったりするような収入は無いかも知れないが、心配することのない貯蓄と年金があり、住まう家があり、家族がいる。

文化的な娯楽に触れたり、新しい考え方に接したりすることは少ないのかも知れないが、毎日心を「ギュッ」と掴まれる様なストレスは決して感じることはないだろう。

そんなことを考えながら、こちらは代われるものなら代わってみたいと思うけど、あちらは絶対にお断りだろうなと思いをめぐらす。

グローバル化で止め処なく格差が広がっていく現代社会だが、人としての豊かさはその二極化とは決してオーバーラップしない。それが如何にもそうだと刷り込まれるのは日本のメディアの原罪。

そんなことを考えながらも、例え数日代わってもらったとしても、おじさんが根をあげる前に自分自身が「一体自分は何をやってるんだ?」と思い返し、やっぱり建築を考える毎日に戻ってくるのだろうなと妄想を膨らませ暗い胡同を抜けていく。

2013年6月24日月曜日

「苦役列車」 西村賢太 2012 ★


平成22年度下半期の部門だから昨年の前半に受賞のニュースが流れていたことになる。受賞作家の経歴が変わっていて、その振る舞いも変わっているかなんかで、随分メディアに登場していたイメージがあった一冊。

直木賞、芥川賞受賞作品の一環としてそろそろ手に取ってみようと思い開いた一冊だが、中卒という作家の私小説というだけあって、なかなか毒気のある内容になっている。

安部公房の「他人の顔」のような、肉塊と化した人間の姿。それが蠢き、床を這う時のおぞましい「ヌメリ」としたなんとも嫌な感覚。

父親が性犯罪者という劣等感と、やり場のない怒りを抱え、中学卒業と同時に埠頭での日雇い仕事で稼ぐその日暮らしの5500円。食事、酒、タバコと風俗への積立金。その生活から抜け出すために稼ぐ金ではなく、目の前の欲望を解消するために費やし、金が無くなればいやいやまた家を出て5500円を得るためだけに埠頭に向かう。

欲深き生物である人間が、何を持って他の動物を区別されるかと問われたら、それはその理性によってと答えるのが限りなく正しい答えだろうと思わずにいられない。しかし自分を律し、社会の一員として必要な知識を得て、まともな大人として仕事をし、生活を成り立たせるのは誰もができることと想像する。

テレビで繰り返し放送される、「生活保護から抜け出せない人々」などの特集。それらの番組をテレビのこちら側から眺めて簡単に心に浮かぶのは、「なんて駄目な人たちなんだ」という安易な感想。それによって感じるまだ自分はこちら側にいるんだという安心感。

しかし、現代社会において堕ちるのは非常に簡単である。
しかも、一度堕ちたらなかなか這い上がれない。

恐らく身の回りにいる今まで知り合ってきた人達の多くは、相当恵まれた環境で育ってき、まともに社会人としてやっていける人ばかり。

しかしその誰にでも、こうして堕ちていく可能性はあるのが現代。
日常が一気にその風景を変えてしまう。

人間はその環境に時間の過ごし方を影響されるものであり、自分自身で本当に自分に起こっている変化を外から見るよりもはるかに小さく捕らえてしまうものである。つまり、堕ちていくことはなかなか自ら気がつかない。

理性に包まれること無く、剥き出しにされた人間の欲望。それがいかに醜いものであり、社会にとって異質なものか。そしてそれが人間の本来持っているものであるという事実。そしてそれらは社会の中にいるために、また社会の中にいることで押さえつけ、塗り固められているだけのものだという紛れも無い事実。

読み終わったときに「一体、こういう気分の悪い欲望剥き出しの内容で、何を感じろというのか?」と少々憤っていたが、暫く時間が経ってみると、どの時代にもこうして社会の周縁で生きる人は必ずいて、現代においてのその姿を見事に描いたのがこの作品であり、こうして「まっとうな社会人」を演じている側からはなかなか見えにくい側にいる人は、恐らくかつての社会よりも、はるかに大きい割合になっているのだろうと想像する。

それがグローバル化した資本主義の獰猛な姿であり、その経済活動のなかで強者と弱者をはっきり「仕分け」し、その格差を限りなく大きくしていく現代社会の必然の姿であるからであろう。


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第144回(平成22年度下半期) 芥川賞受賞
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