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2016年2月4日木曜日

廣田神社(広田神社、ひろたじんじゃ) 神功皇后2年 ★★★


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所在地 兵庫県西宮市大社町
主祭神 天照大神荒魂(あまてらすおおみかみあらみたま)
社格  式内社(名神大),二十二社(下八社),旧官幣大社
本殿の様式 神明造
創建  (伝)神功皇后2年
機能  寺社
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兵庫を横断し、できるだけ重要な場所を巡ろうと調べて見ると、改めてその大きさを理解する。東は大阪に面してかつての摂津国の範囲となり、西は岡山に面する赤穂市など、北には日本海まで広がり京都と鳥取に面し、南は瀬戸内海に広がり四国へと繋がる淡路島。

どう画策しても一日やそこらでは回れるはずも無く、今回は瀬戸内海に面した山陽道沿いをメインに巡ることに決め、折角だからと東の西宮、芦屋から始め、西に向けて神戸、明石、加古川、小野と巡り途中淡路に飛んで、最後は姫路と兵庫南部を横断するルートを採用する。

そんな訳で昨晩の宿泊地の有馬温泉のある六甲山から坂道を下り最初の目的地に選んだ西宮市の廣田神社(広田神社、ひろたじんじゃ)に到着したのはまだ朝日が昇ったばかりの7時台。西宮と言えば、甲子園や正月の「福男」を決定する西宮神社などのイメージが強いが、神戸、姫路に次いで兵庫第三の規模を持つ都市という。

そんな西宮に位置するこの廣田神社は、二十二社(にじゅうにしゃ)の下八社に数えられる由緒正しき寺社。「二十二社?」とならない様に、下記のリンクで社格の復習。


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■二十二社(平安時代)
・朝廷奉幣のために11世紀初頭に定められた
・祈雨・祈晴や国家的大事に際しては特別に奉幣の対象になり、「二十二社」という名で特別な社格の神社として、他の神社よりも優越の地位を占めた

・上七社(伊勢、石清水、賀茂、松尾、平野、稲荷、春日)
・中七社(大原野、大神、石上、大和、廣瀬、龍田、住吉)
・下八社(日吉、梅宮、吉田、廣田、八坂、北野、丹生、貴布禰)
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平安時代ということで、都のあった京都からある程度の距離内にある神社で占められており、ほとんどが山城・大和(やまと)・河内(かわち)・和泉(いずみ)・摂津の五か国
で構成される畿内に位置していることになる。

西に広がる山陽道から畿内に入り、やっと京に入っていく西の要である摂津国。そこにいつするこの廣田神社は京から西にむかう重要な街道上にあるために、「西宮(にしのみや)」と呼ばれることになり、この一体をさすことになる。「福男」で有名な戎さんの西宮神社は元々はこの廣田神社の摂社であったという。そこからもこの廣田神社が長い歴史の中でいかに重要な場所であったかを物語る。

六甲の裾野に広がる昔ながらの住宅地ということで、神社に近づくにつれて徐々に狭くなる道幅からも感じられる。少々幹線道路から少し脇にそれ、一の鳥居がすぐ見える場所に、その先に駐車場があることもすぐに認識でき、ありがちな境内の周りをぐるぐる迷いながら回ることなく駐車場に車を停めることができ、非常に気持ちのよい一日のスタートを切ることができる。

一の鳥居をくぐり、数段のゆったりとした段差をあがると程よく手入れがされた森の中に入っていく。ここは廣田神社の社叢も含める広大な敷地を持つ広田山公園として住民に愛されている様子が読み感じられるように、境内には

「清々しい気持ちで参拝していただくために神聖な境内で犬の散歩はご遠慮下さい」

という社務所からのお願い看板を見かけたり、これから登校なのか、地元の中学生といった体の子供たちが公園の中を数人で歩いている姿や、地元住民が朝の散歩がてらにお参りに来ている姿を見かけたりと、この地の日常の風景として溶け込んでいる様子が感じられる非常に心地よい景色が開けている。

そんな参道を進むと、ポッと空間が開けて右のほうに拝殿が地形に沿うようにして更に数段立ち上がった場所に姿を見せる。伊勢神宮などと同じ神明造(しんめいづくり)の拝殿はその上には緑色の緑青が生成した周囲の自然に溶け込むような美しい銅葺き屋根が他の形式の様に流れるような軒線ではなく、平入りの特徴を活かし緊張感のある水平線を風景の中に浮かべている。

それもその両端が手前の木々の枝に隠れて見えないというなんとも奇跡的な演出を見せている。神明造という伊勢神宮と同じく切妻屋根に対して妻側ではなく平入りすることで、勾配屋根の大きな面を正面に向け、その突き出た庇の下に陰で暗くなる空間が屋根の投影面積に比べ低くなることから、アプローチする人の視界の中で重要な位置を占めるのはやはりこの斜めの屋根面。

そしてその屋根面を覆うのは、今度は明治神宮と同じく、銅版を丁寧に葺いた平葺き屋根。銅版だけに当初は赤橙色をしているが、大気に晒され酸化することで徐々に暗褐色となり、その後緑色をした緑青(ろくしょう)が作成されてよく目にする緑色をした屋根が作られる。自然にこのプロセスを経るとおよそ20年近くかかるらしいが、もちろん人工的に処理をして最初からこの色を作り出すこともあると言う。

どちらにせよ、地域の重要な意味を持つ寺社という、「この場所に長い年月留まる」ことが約束されている建物に対して、できるだけ長く建物を保護する役割を持った屋根に採用された素材。そして長い時間というものが色の変化としてデザインに取り込まれた素材。

そんなことを思いながらも、あまりの寒さにとりあえずトイレへと駆け込む。一息ついて冷たい水で手を洗っていると、トイレの壁の足元が微妙に地面から持ち上げられ自然光が入ってきているのを発見する。恐らく昨今はこういう場所でも治安の問題を考慮して、できるだけプライバシーを守りながらも、中に誰かいるのかを確認できるようにということもあるのだろうが、明らかにデザインしているというその造詣になんとも心地のよい気分になって手水舎にむかう。

そんな訳で「足元のデザイン」に意識が行くと、この廣田神社は非常に品のよく、かつとてもデザイン性の高いデザインが成されているのに気がつく。社務所にむかう石での舗装面もジグザグとよいリズムを醸し出しながら社務所という機能的な建物の圧力を参道にむき出しにすることなく処理し、そこから拝殿にむかう勾配の緩い階段も手前に石を敷き詰めながら色調はそろえながらも表情を変えるなど、なんとも憎らしい演出をしてくれる。

自然素材を使ったゴツゴツした舗装面からいきなり平ら石を敷き詰めた緊張感のある面へ、そして最後の階段は矩形に切り出された大き目の石、そしてその階段を上りきると最後は砂利面で拝殿には再度表情を変えた石階段と、高さを変える度に足裏に異なる台地との関係を伝える感触のある足元のデザイン。前に前にと主張しすぎず、非常に心地よい距離感を取りながらも、空間とその体験に非常に奥行きのある意味を付加するデザインの在り方。参拝をする前に既に、「朝からいいものを見させてもらった」となんともいえない清清しい気持ちになって拝殿に向かい手をあわせることにする。














2015年10月6日火曜日

大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ) 856 ★★★


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所在地 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町
主祭神 大己貴命 (おおなむちのみこと)
社格  式内社(名神大),旧国幣中社
本殿の様式 一間社流造、茅葺
創建   856
機能   寺社
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朝一番はやはり気持ちの良い神社で過ごしたいと、最初の目的地に選んだのは大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)。

太平洋に面した大洗海岸。打ち寄せる波に洗われる岩肌の上に力強く建つ鳥居。その鳥居越しに、後ろの広がる水平線より上る太陽の姿は、この地の絶景として多くの人が押し寄せるという。もちろん、元旦のご来光スポットでもあるらしい。

この鳥居は、道を挟んで向かいの丘の上に鎮座する大洗磯前神社の御祭神である大己貴命の現れた場所として、「磯神の鳥居」と呼ばれているという。

東京から車を飛ばし、行き交う車も疎らになってきたころ、やたらと道の起伏が厳しくなったなと思ったら到着するこの神社。駐車場からは境内脇へとアプローチし、右手に二の鳥居を捉え、その先に長く下っていく大階段を臨み、その先に視界に広がる太平洋を見つけることになる。

朝一番の風景としてはこれ以上ない期待感。早速、手水舎で身体を清め、なかなか整った拝殿にお参りを済ます。折角だからということで、大麻(おおぬさ)を振ってお祓いをし、後ろに回り茅葺の本殿を参拝する。この本殿は水戸藩第2代藩主であった水戸光圀によって起工され、3代藩主の綱條によって完成したというもの。

朝一番の境内の空気を楽しみ、早速大階段を降りていくと、階段脇に御手洗池(みたらしいけ)があるのが分かり、さらに気分を向上させてくれる。意外にも結構の車どおりのある道を渡ると、朝日に照らされ何とも美しく反射する石畳の小路を通り海岸へ。

風景がパッと開けたかと思うと、その先には波を受けながらもスクッと立つ鳥居が視界に飛び込んでくる。その後ろの海面は、日の光に照らされて白くキラキラと反射する。その風景を眺めると、この太平洋からの日の出を称して「日立ち」とし、そこから「ひたち」として名称されたという常陸国(ひたちのくに、常州)の姿が見えてくるようである。

早朝の誰もいない海岸で、妻と二人、海と鳥居に向き合いながら思い思いに時間を過ごし、何とも心地良い気分に満たされながら、今度はお腹も満たさなければと朝食を求め北に向かうことにする。























2013年6月11日火曜日

松代城(海津城)(かいづじょう) 1560 ★★



大体こういう風に連続してブログでもアップしている時というのは、何かやらなくてはいけない締め切りに追われながらも、どうにもこうにも乗り気にならず、それでいながら自分の中であと一日くらいは大丈夫・・・と時間計算をしている時である。

自分でも目の前のタスクから逃げていると認識しているのだから、そういう時は無理して向き合うよりも、体内に溜まった不純物を出してしまうように、溜まったブログをアップしてしまった方がよっぽどいい。

という訳で一気に書き上げることにする。

糸魚川から戸隠経由で長野を飛び超え足を伸ばした松代。

「松代」といえば、松代藩と呼ばれるくらいなメジャー都市であり、江戸後期には儒者・佐久間象山を輩出するくらいの文化レベルの高い都市が存在し、現在は松代市として当時のよき街並みを残しているのだろうと勝手に想像を膨らませていたが、まさか市町村合併によって長野市の一部に組み込まれているとは・・・

旧国地図でみると信濃国の一部に位置する松代。1966年の合併前は、人口21,451人というから、明治維新以後、この地の勢力図が大きく変わったのだろうと想像される。

それはともかく、松代城。戦国時代に憎き謙信を打つために何度も攻め入ったこの地において、武田信玄によって築城された平城。現在は石垣が残るのみという風景だが、周囲に広がる北信州の風景。続く平地の向こうにそびえるアルプスの山々の姿を背景に、水平に積み上げられた石垣の人工性は、中心が失われた今でもある種の美しさをかもし出す。

背後に控える千曲川の流れが長い年月をかけて作り出してきたこの信濃の風景。その風景の中に新しい人工の水平線を挿入する、とても心地の良い風景を見ることができる。
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所在地  長野県長野市松代町松代殿町
城郭構造   輪郭式平城
別名  海津城
築城主 武田信玄
築城   1560
機能   城郭
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