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2015年12月6日日曜日

河南博物院 1927 ★★



「商」と呼ばれる「殷」王朝の遺跡が出土したとされるこの鄭州。その遺跡が見れる場所があると言うので、鄭州商代遺址(郑州商城遗址,Zhèng zhōu guǎngchǎng)と呼ばれる場所にむかってみるがどうもおかしい。市民がのんびり憩いの場として使っているだけで、悠久の歴史を感じさせる遺跡らしさは感じられない。

座っている人に「鄭州商代遺址はここか?」と尋ねるが、「たしかにそうだ」との返事。どうももやもやして帰宅後調べてみると、やはり自分がいったのは「商城公园」と呼ばれる場所で、本来の目的地はもっと市の東側に行ったところで、もう少しちゃんとした城壁らしきものが残っているという。google mapに頼る身としては、それが指し示した場所が違うとは流石に疑うこともできず、なんとも残念であるが、その場ではもやもやした気持ちで次の目的地である河南博物院に向かうことしかできない。

時間もあることだからとバスで移動しようと地図を見ながら歩いていくが、どうやらこの都市、とても交通渋滞が酷いようである。また示された乗車駅までもかなり遠く、目的の駅までそれほど直線距離は無いにもかかわらず、渋滞の為に無駄な時間を車中で過ごすことに。

最寄のバス停から目的の河南博物院までも相当な距離を歩いていかなければならず、ついてみるとメインの建物は改修工事のために中には入れず、脇にある別館だけ見学することに。

見学終えて、疲れきったので高速鉄道の駅に向かおうと思っても、どうやら一度先ほどいた二七広場まで戻ってそこから地下鉄に乗らないといけないようである。その為には先ほど下車したバス停までを戻り、更に渋滞が激しくなった道を1時間近くかけて戻っていく。

人とモノと車であふれ、文化的にみるべきものもそれほどない街。中国人がこの街をそれほど良く言わないのも納得しつつ、やっと到着した高速鉄道からまた3時間近く電車に揺られて夜の北京西駅に到着する。








二七広場(二七广场,èrqī guǎngchǎng) 1971 ★


どこの都市にもその都市の顔となるような広場があるものである。その都市の重要なイベントの舞台となって、多くの市民を飲み込んできた場所。この鄭州においては、それがこの二七広場(二七广场,èrqī guǎngchǎng)。

鄭州駅から歩いて焼く5分の位置にぽっかり開けた広場は周囲を多くの商業施設に取り囲まれ、広場の脇にはたくさんの路線バスの停車駅があるようで、多くの人だかりでにぎわっている。

広場の中心には12階建てで、五角形をした塔が双子の様にくっついているなんとも奇妙な塔が建っており、これが二七記念塔(二七纪念塔)と呼ばれ、この広場の名前の由来となっているようである。

なんでも1923年の2月7日に起きた「二七大罢工」もしくは「京汉铁路工人大罢工」と呼ばれる、京漢鉄道が軍に対抗して起こしたストライキを記念して1971年に建設された塔ということらしい。

そんな歴史上の事件が霞むかのように、本当に多くの人、特に若者が道を行きかい、あちこちでたむろしたり、買い物をしたりと、広場全体が活気を持ち、人も車も所狭しと行き来し、土ぼこりを立ち上げている広場。

埃を吸い込まないようにと、さっさと広場を後にして、徒歩にて次の目的地へとむかうことにする。


鄭州(郑州,Zhèng zhōu,ていしゅう) 河南省省都 八大古都 河南省 ★★


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八大古都
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さて、巡ってきた八大古都も最後の都市となるとさすがに感慨も深くなる。いかにも古都らしき開封から向かったのは、1億近い人口を抱える中国最大の省である河南省の省都として君臨する鄭州(郑州,kāi fēng,ていしゅう) 。中原と呼ばれる中華の中心でも地政学的に見ても中心に位置するその地理的利点を生かし、人とモノの流れの中継地として現在の中国の中核都市として機能している。

歴史を紐解くと、安阳同様、「商」とも呼ばれる「殷」王朝の時代においてすでに街があったとされ、時代が下って春秋時代にはこの地の名前にもなっている古代国家である「鄭」の領地であり、宮城他に宮城谷昌光にも描かれた大夫・子産の領地として栄えた。車のナンバープレートに使われる略称は豫(豫,yù,ゆ) であり、これは古代にこの地が豫州と呼ばれたためである。

東に開封、東北に安阳,西に西安という中華の歴史の中で重要な舞台となってきたこの都市に、古都の最後の風景として何が残っているのか楽しみにしながら、30分あまりでった電車の到着をまって如何にも巨大都市だという高速駅へと降り立つことにする。







禹王台公園(禹王台公园,yǔ wáng tái,うおうだいこうえん) ★



日本では中国の最初の王朝は「殷」として習うが、中国ではその「殷」に先立って損zないしたと言われる「夏」が最初の王朝とされており、その初代王が「禹(yǔ,う)」と言われている。

中国の歴史は黄河とともにあり、氾濫を繰り返すその水をどう治めるか、それが直接に国を治めることにつながっていた。そのため黄河の治水事業に力を注ぎ、大きな成果を挙げたこの禹王は、中号では治水神として、また名君として崇められているという。

明代の初めに、その禹王の治水の功績を記念しこの地に台を建設し、その上に禹王廟が建てられたために、この地が禹王台と呼ばれるようになったという。その禹王廟の東の東院には、三賢祠として李白、杜甫、高適の彫像が建てられていたり、園内には孫文(孫中山)銅像が建っていたり、辛亥二次革命烈士記念堂などがあったりと、広大な敷地の中に自然に隠れるように様々な施設が散らばっている。

歩きとおした開封の最後の立ち寄り地として、更にかなりの距離を歩くことになり、先ほど下りたバス停まで戻り少し西にある開封駅へとむかうことにする。





禹王廟




禹王廟正殿東院
唐代の李白
杜甫
高適


孫中山銅像


辛亥二次革命烈士記念堂