ラベル アーケード の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル アーケード の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年3月7日土曜日

ギャルリ・ヴィヴィエンヌ (Galerie Vivienne) 1823


最後にパサージュ・デ・パノラマ (Passage des Panoramas) を見ていこうと思っていたが、何かの間違いでたどり着いたのはギャルリー・ヴィヴィエンヌ (Galerie Vivienne)。

ヴァルター ・ベンヤミンの「パサージュ論」を引くまでもなく、19世紀の華やかなパリの風景を代表する場所として都市に生み出された新たなるショッピング空間であるのが、このパサージュ。店舗が立ち並ぶ通りにガラス屋根をかけて半屋外空間とし通り抜けられるショッピング・モールが誕生した。

ことなる業種の店舗が通りと言う「線」に張り付く形である種の共同体を形成し、空間としての性格を持ち始める。ショッピングという消費の欲望を刺激する新たなる魅惑の都市空間と言うわけである。

あっという間にパリのあちこちに広がった流行のパサージュは、多くが失われつつも今でも幾つか残されている。大学で建築を学んだ者は、とにかく「パサージュ」と言っておけば日本の商店街や現代の巨大ショッピング・モールに繋がる都市の消費空間の履歴をなんとなく把握していると思われると共に、その魅惑的な響きを伴う「パサージュ」の耳ざわりに自己陶酔を得ることができる言葉でもあろう。

ちなみにロンドンでは同様の空間を「アーケード」といい、比べるとどうしても「パサージュ」の方を口にしたくなるのはその語の含む魅惑性のなす業か。

「パサージュ・デ・パノラマ」も「ギャルリー・ヴィヴィエンヌ」も19世紀初頭に作られたパサージュで当時のパリの都市空間の記憶を現代にとどめる貴重な場所であるが、「パサージュ・デ・パノラマ」が朝の6;30よりやっているというので、朝の賑わいを感じるいことを期待していたのだが、着いてしまったのは「ギャルリー・ヴィヴィエンヌ」で門が開くのは8:30ということで中を覗いて後は想像力で補うこととし、いい加減ホテルへと戻ることにする。


2015年2月20日金曜日

はりまや橋商店街 ★★


自分の知らない土地に、見たい建築を尋ねて足を運ぶことの喜びの一つに、その街に滞在し、異邦人として夜の街に繰り出し、その街で日常を過ごす人々と肩を並べて地元の料理や酒を楽しみ、その土地の人と少しでも交流をしてこの土地に流れる今の空気を感じ取ることがある。

どこでも食べられる様な料理ではなく、この地に住まい、この地で日常を過ごす人々が、気の置けない仲間と一緒に昼間の仕事のストレスや疲れを癒すために美味しい料理とお酒を求め、リラックスしながらたわいも無い会話を楽しむ、そんな決して大きくは狭さも感じない個人経営の料理店。そんなところでカウンターにでも座り、たまたま隣に座り合わせた人たちや大将と、「どこからですか?」なんて話しながら地元情報を聞きながら、少しだけこの地の時間に入ることを共有させてもらう。そんな時間が理想である。

そんな訳で宿はもちろん素泊まりで、ネットで調べた情報と、ホテルでもらった情報を照らし合わせながら、繁華街の地勢図を頭の中で描きながら一通り徒歩で歩いてみることにする。高知駅から徒歩で10分ほどの距離にあるこのはりまや交差点が高知の今の中心地であることは間違いないようで、この周辺に並ぶ商店街の多さからもそれが見て取れる。

北西に広がる京町商店街は、そのまま高知城や市庁舎へと延びる軸線に沿って展開し、逆の北東には県産材の木材を利用した珍しい木造のアーケードをもつはりまや橋商店街。その北側には少しくらい路地にポツンポツンといかにも地元民に愛されている雰囲気をかもし出す小さな居酒屋が軒を並べる。

ネット情報にも出てきた一軒を見つけるので、入れるか覗いてみると、今日は予約でいっぱいで申し訳ないと断られる。しょうがないと、近くの別の店に入ってみても、同じ答えが返ってきて、平日の夜からこうして外食が盛んなこの地の豊かさを思ることになる。

木造のアーケードを眺めながら商店街の果物屋で威勢のいいおばさん相手にくだをまき、今度は南側に足を伸ばす。こちらの堺町は水商売や風俗店が軒を並べる所謂「夜の街」というらしいが、どうやらかつての賑わいは失われたのか、かなり寂しい街並みを見せるのみ。

再度北へと戻り、京町商店街をブラブラしてみるが、どうも郷土料理でありながら、大きくなりすぎていない店を探すことができず結局先ほどのはりまや橋商店街付近のお店に戻り、「料理出せるまで30分くらいかかっちゃいますけど、それでもよければ」ということでカウンターに座り、ビールを飲みながらメニューを眺めていると隣に座っていたカップルから、「良かったらこれどうぞ。美味しいですよ」と卵焼きをいただき、感謝しながらチビチビとやりながら、夜の高知の時間へと入っていくことにする。




2014年6月3日火曜日

リアルト橋(Ponte di Rialto) アントニオ・ダ・ポンテ 1591 ★★★★


ベニスに滞在していると何度も足を運ぶことになる場所がある。その一つが中心でもあるサン・マルコ広場。そしてもう一つがこのリアルト橋(Ponte di Rialto)。

群島というベニスの中心には大運河であるカナル・グランデ (Canal Grande)が街を分断する。海運輸送によって街がつながれているという側面もあるが、徒歩で移動する人にとってはやはり、運河が街を分断する側面は否めない。

そうなるとその運河のこちら側とあちら側を繋ぐ橋が都市にとって重要な意味を持つのは世界中の水と関係する都市においては共通の問題であり、このベニスでも中世の時代からこのカナル・グランデを渡す橋の設計が都市にとっての大きな課題であった。

大運河と言うだけに他の小さな運河に比べてもちろんその幅が大きくなる。その為に小さな運河を渡す橋とはことなり、これだけ大きなスパンの橋を当時の技術でどう作り出すかが長年探求されたのは想像に難くない。

その解決策として橋の案を広く募集することになった中世のベニス。その橋の候補地として挙げられたのが、比較的海抜が高く、洪水の被害が少ない為に早くから人々が集まり商業の中心地として栄えていたこのリアルト周辺。そしてそのコンペを勝ち取ったのがアントニオ・ダ・ポンテという技術者の案で、橋の下を通る船を妨害しないように、アーチ型の太鼓橋。

その上にはアーケードが作られ、現在でも土産物を売る多くの商店が賑わいを作り出す。このリアルト橋はその構造よりかなり高い位置からベニスの中心風景であるカナル・グランデを眺めることが出来る為に昼夜を問わず多くの観光客で賑わっている。

橋の上にアーケードと言うと、どうしてもフィレンツェ(フローレンス)のアルノ川に架かるポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)を思い出す。ポンテ・ヴェッキオもフィレンツェ最古の橋であり、現在の橋は1345年に再建されている。橋がただただ移動空間としてではなく、都市の重要な活動空間の一部として発展したイタリアの都市空間の凄さを思う。

では、向こう側とこちら側を繋ぐ橋が都市の徒歩交通にとって重要な意味をもつということで、このリアルト橋を含め、ベニスのカナル・グランデには現在までに計4本の橋がかけられている。

リアルト橋 1557年
アカデミア橋 1930年代
スカルツィ橋 1930年代
カラトラヴァ橋 サンティアゴ・カラトラバ(Santiago Calatrava)の設計により2008年に完成

それぞれの時代のそれぞれの技術を使って作り出されたこの4本の橋は、ベニスという都市の本質をある意味一番良く現している風景なのかも知れない。そんなリアルト橋近くに位置するマーケット脇のレストランで、ベニスで食前酒として良く飲まれているスプリッツ(Spritz)を飲みながら、少々の観光客気分を味わいながら本場のイタリア料理を楽しむことにする。

--------------------------------------------------------------
二日目の朝。

ランニングの途中で立ち寄るリアルト橋とそのマーケット。まだマーケットが賑わう前の時間らしく、揚ったばかりの新鮮な魚達を並べる姿とそのマーケットが入る空間を写真におさめる為に、暫しランニングの足を止めることになる。








--------------------------------------------------------
二日目朝








2014年4月7日月曜日

グム百貨店 GUM Department ウラジーミル・シューホフ 1893 ★★★★


モスクワの中心地、赤の広場。ロシア正教会の歴史を表す教会建築や、クレムリンの城壁など厳かな雰囲気を醸し出す他の面と対照的に、何とも温かな光を広場に投げかけるのがこのグム百貨店(GUM)。

建築に携わるものとしたら、この赤の広場で一番体験してみたいものがこのグム。建築家・鈴木恂の著書「光の街路」でも紹介されるその百貨店は、モスクワという厳しい気候の元、なおかつ帝政ロシアの首都としての世界に誇る商業施設を作らなければいけないという使命を帯びて、巨大なスケールを併せ持つことで可能になった内部の巨大なアーケード空間。まさに建築内都市空間が実現している。

様々な条件がこの場所で重なり合うことで可能になった、非常に稀な建築空間。いつかその巨大でたくさんの光が注ぐアーケードを体験してみたいと、学生時代から思い描いていた場所である。

パリやロンドン、ミラノの都市内に張り巡らされたパッサージュ空間とは違い、建築の中に閉じ込められたガラスの天蓋。凍てつく冬を持ち合わせるモスクワだからこそ出現した空間だといってよいのだろう。

そのグム百貨店(GUM)。帝政ロシア時代の1893年に完成しており、すでに120年の歴史を持つことになる。中に入る店舗数は200以上となり、現在はロシア有数の高級百貨店として営業されている。ソビエト時代には国営化されたために、品切れを起こさない商店として国民から重宝されたという。

建物自体は200mを超える正面のファサード。そこに3つの入り口が取られ、内部に入ると、長手方向に延びるギャラリーに面して商店が並ぶ形になっている。内部には3列のギャラリーが並んでおり、そのギャラリーの上空にはガラスのアーケードがかけられている。ここから光が降り注ぎ、買い物客は思い思いのところに腰を掛けては、有名なGUMのアイスを味わっている。

ギャラリーの上空には2階、3階と徐々にセットバックし、それぞれはブリッジにて繋がれている。ブリッジ付近は床が緩くアーチを描いているためにフラットではなく、現代の百貨店にはない場所性を作り出してくれる。

このグムを設計したのが、1853年生まれのウラジーミル・シューホフ(Vladimir Shukhov)。今のように建築家や構造家として明確な区分がなかった時代で、技術者でもあり、構造家でもあり、建築家でもあったシューホフは鉄線を格子状に組んで双曲面構造の外観をもつ塔も作り出した逸材である。

同年代に活躍したフランスのギュスターヴ・エッフェル同様、やはり技術者として鉄道や塔などを手掛けることになるシューホフは、鉄の不足を克服し、同時に工期を短縮する工夫を重ねていく。その中で大規模建築の屋根の加工方法の考案も行っており、その結果としてこのグム百貨店のアーケード屋根が鉄とガラスの組み合わせたヴォールト屋根として実現した。

シューホフが生涯かけて取り組んだのが、双曲面構造。これは鉄線を格子型につなぎ合わせていく方法で、鉄の使用量を削減し、かつ強度を維持しながら、全体として括れた曲面を描く美しい構造体を完成させる。この構造は最初給水塔に採用され、その後様々なラジオ塔などにも広まっていく。

ロシア革命後、革命政府からモスクワに建つシャーボロフスカヤのラジオ塔の設計を命じられたシューホフは、1922年に高さ150mの塔を双曲面構造を使って完成させる。その軽やかな形状はソヴィエトという新時代の幕開けを告げる象徴とされたという。

この双曲面構造(そうきょくめんこうぞう)。その構造的合理性の為に、同時代に多くの技術者、構造家、建築家がその実用に向けて様々な試行錯誤を繰り返していた。線材を面として使うことで、双曲面状の構造の強靭さを兼ね備えながらも、材としてはかなり少ない量でできるという経済性を兼ね備える方式、さらに軽やかさを表現することができる。

その利点を理解し、一番最初に実現化したのがこのシューホフであるが、アントニ・ガウディも同じように双曲面の研究をつづけ、サグラダ・ファミリアの一部分にも採用されている。

他にも、スペインのエドゥアルド・トロハ (Eduardo Torroja) や、ル・コルビュジエ、メキシコのフェリックス・キャンデラ(Félix Candela)も、好んで双曲面構造を用いて設計をした。

そんな現代建築の発芽を感じることのできる奥の深い空間がこのグム百貨店。ギャラリーがあまりに長いので、下手にあちこち歩くと相当疲労するために、自分もアイスを買いこんで、ベンチで上空を見ながら味わうことにする。