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2015年2月21日土曜日

国分寺( こくぶんじ) 756年以前 ★★


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所在地 高知県南国市国分
山号   摩尼山
宗派  真言宗智山派
創建  756年以前
開基  行基
別称  土佐国分寺
機能  寺社
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四国八十八ヶ所霊場29番札所
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国府総社神社を目的地としナビに設定し、岡豊城を出発するとすぐにとんでもない田んぼ道を進まされる。軽トラック一台がギリギリ通れる様な細道に入り込み、前方からは軽自動車が進んでくる。なんとか横の公園に車を入れてやり過ごそうとするが、どうにも切り替えせず苦戦しているのに対して、対向車はこの付近の郵便局の車らしく、社内では若い女性が悠々とお化粧直しをしている。

「朝から困ったな」と季節はずれの冷や汗をかきながら何とか切り返しをしていると、対向車の後ろについた軽トラックからおじいさんが降りてきて、郵便局の車の女性に「あんた、動いてあげなよ!」と渋滞解消への催促をしてくれる。そのお陰でなんとか窮地を乗り切り、その後も続く不思議な細い道を「対向車よ来るなよ・・・」と祈りながら抜けて幹線道路へとたどり着く。

そして前方に見えてくるこんもりした鎮守の森。「あれこそ目的地に違いない」と思って駐車場に車を入れるが、どうやらここはお遍路さんの立ち寄り寺院である国分寺( こくぶんじ)であるようだ。駐車場には早朝というのに少なからぬ車が入ってきて、「早く着替えないと!」と白装束を楽しそうに羽織る団塊世代のおじさんの姿。

「自分の目的地はここではない」と境内の前で掃除をしているおばあさんに「すいませんが、総社はどこですか?」と聞くが、「えー、耳が悪いんでね、大きい声でいってくれますか?」ということなので、朝にしてはかなりの大声で再度聞くと、「あー、この先の、あの電柱のところですよ」と言われる。

せっかくだからと、お礼をいって総社に向かう前にこの寺院を参拝していくことにする。恐らく遠くない将来に、自分もきっとお遍路を巡るのだろうとは思っているのが、今はその時期ではないとあまり視界に入れないようにしていた八十八ヶ所巡り。境内に相当するいる高齢者の団体はやはり皆楽しそう。何冊も記帳をしてもらっているおばさんの姿を横目に、相当立派な境内を巡り本堂へお参り。

この地は「土佐日記」で知られる紀貫之(868〜945頃)が、国司として赴任した国府からすぐ近くで、中世の時代に政治と文化の中心として栄えた場所だと言う。「国を分ける寺」と書いて国分寺というその名から見て取れるように、由来も古く、聖武天皇(在位724〜749)が書写したお経を納めるために全国にて建立されたのが国分寺の由来だという。

寺院の裏のこんもりとした森の姿や周辺ののどかな田園風景を眺めると、この場所ががこの地域の風景の一部としてすごして来た悠久の時間と、その間にこの境内に訪れた数々の白装束に身を包んだ参拝者の姿に思いを馳せて、「いつかまたお遍路でここに足を運ぶことがあるのだろうな」と思いながら境内を後にする。








2015年2月20日金曜日

竹林寺(ちくりんじ) 724 ★★★


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所在地 高知県高知市五台山
山号  五台山
宗派  真言宗智山派
創建  724
開基  行基
別称  竹林密寺
機能  寺社
庭園形式 池泉観賞式庭園
作庭年代 南北朝時代
作庭  夢窓疎石
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高知に来たら間違いなく訪れる場所にあげられるであろうお寺がこの竹林寺(ちくりんじ)。この寺院を語るのにはいくつかの側面があるが、まずは何といっても、四国と言えばのお遍路さんで立ち寄ることになる四国八十八ヶ所の一つということ。

その名の通りに八十八ヶ所であるのだから、それを四国にある4つの旧国、今の県で割れば当たり前の様に各国22箇所となるのだろうと思うがそうは甘くない。

阿波国(徳島県)の24
土佐国(高知県)の15
伊予国(愛媛県)の26
讃岐国(香川県)の23

となり、この高知の前身である土佐にあるのは15の霊場で、平均よりも少ないこととなる。その分他の国は平均の22よりも少しずつ多くなっている。そんな訳でこの広い高知に15の寺院となり、その中でも高知市に位置する4つの寺院の中で一番観光地として知られているのがこの寺院ということである。

その住所にもなっている山号の五台山は、中国の山西省にある霊山である五台山に由来を持つ。それは聖武天皇(在位724〜49)がその中国の五台山を登り文殊菩薩に拝したことを夢で見る。そのために開基とされる行基に命じて、五台山に似た山を見つけさせ、この地を探し出し自ら文殊菩薩像を彫り安置することにする。その後弘法大師・空海がこの地に滞在したことから、そのゆかりの寺院であるとして八十八ヶ所に名を連ねることになる。

そして今回の訪問の一つの原因となったのは、この寺院内に作られた庭園。数年前から体系立ててみて回ることにしている庭園であるが、その歴史の中でもマスターとして常にあがる数々の名前。

重森三玲、小川治兵衛、中根金作、小堀遠州、石川丈山、雪舟、そして夢窓疎石(むそうそせき)。

鎌倉時代後期に生きた禅僧・夢窓疎石(むそうそせき)。時に夢窓国師とも呼ばれる彼がこの寺院に滞在し、その時に作庭したといわれる庭園があるという。日本庭園と言われるものの中でも、現在見られるものの中で最も古い時期にあたるのがこの鎌倉後期から室町前期に作られた庭園。その時代のマスターがこの夢窓疎石という訳である。

つまり700年以上も前にこの場に自然の力を美に昇華させようとした我々の先祖の価値観を見ることができる空間である。そんな訳でもちろん「日本の庭園100選」にも選出されており、多くの観光客が訪れる名勝となっている。

4つ目にあげられるこの寺院の特記事項は、その鎮座する五台山は標高145mで、山全体が県立公園として指定されており、豊かな自然が保護されている。そして寺のすぐ横には、高知と言えばといって名前が挙がる5人には入ると思われる植物博士の牧野富太郎の記念館が県立牧野植物園の中に建てられており、県を上げての文化・観光拠点としてのそのロケーション。

そして5つ目にあげられるのは、これはかなり建築的な観点であるが、2013年に完成したこの竹林寺の新しい納骨堂の設計が、建築家の堀部安嗣によって行われたことからも、和モダンな作風がどうやって歴史の中に溶け込んでいるのかを見るのもまた大きな楽しみである。

そんな訳でこの旅の中で間違いなく訪れる場所としてリストアップしていたこの寺院。一方通行でかなり急勾配な道を進み、高台に開けた公共の駐車場に車を停めると、どこが寺の入り口が分かりにくいために、売店の人に聞いて向かっていくのは寺の裏入り口。その脇にすぐに庭園入り口があり、入館料を払って中へと進む。

鎌倉という武士の時代に生きた禅僧らしいそのゴツゴツとした夢窓疎石の作風。室町や江戸の時代に作られた優雅さを感じさせる調和よりも、自然に厳しさに晒されながらも、それでも理想の世界を投影しているという無骨さが現れている。

その後境内を参拝し、寺院の人に聞いて見つけた納骨堂。しっかりと手を合わせ、死者の世界との境目をつかさどるその建築が、この世の大地からフッと浮かされているのを見ると、やはり菊竹清訓の「徳雲寺納骨堂」の階段を思い出さずにいられない。

寺院があって、庭園があって、見るべき現代建築もある。事前には情報過多で、あまり理解できていなかったが、実際に訪れてみてそのロケーションの特異さと、この場所がこの地域で神聖化されてきたのが良く理解でき、恐らく何百年と過ぎた後も、それは変わらないのだろうと思いながら次の牧野富太郎記念館へと足を進める。